はじめに
 
 私が北王国イスラエルの十部族の足跡に関心を抱き始めたのは、かれこれ40年ほど前の1980年代の頃だろうか。それも、日本の皇室の先祖はユダヤ人だという、にわかに信じがたい話を耳にするようになってからのことである。それまでは、パレスチナの<西へ向かった>キリスト教の話ばかり聞かされていたから、まるでエルサレムから東の世界は存在しないかに見える聖書巻末の新約時代の地図ばかり眺めていた。私は、「東へ向かった」キリスト教に関心を抱いていたから、東へ移動した十部族のことを本格的に知りたいと思うようになった。すると、ケン・ジョセフと久保有政氏(ラビ・トケイィヤー解説)の『封印の古代史』(2)「仏教・景教編」徳間書房(2000年)を読む機会を得た。さらに、佐伯良郎『景教碑文研究』待漏書院(明治44年)/復刻版:大空社(1996年/初版1932年)と、川口一彦『景教』イーグレーブ(2002年)とを入手するに及んで、「東に向かった」キリスト教の歴史的な出来事を知るようになった。
 ところが2000年頃から、日本人の起源はユダヤ人である、皇室の祭儀はユダヤ教から出ている、という噂(うわさ)をしきりに耳にするようになり、近頃では(2020年)、歴史的にとうてい受け入れがたい憶説や、歪んだ国粋主義的な見解からユダヤ人を誹謗する反ユダヤ主義の渡来人説などが流布していることを知った。そこで、改めてこの問題を私なりに考えて見直そうと、アビグドール・シャハン著、小久保乾門(そろもん)訳『失われた十部族の足跡』 NPO法人神戸平和研究所(2014年)を取り寄せて読んでみた。以下で語ることは、主としてこの著作に基づいている。しかし、同時に、この著作への疑問と問題点をも併記したい。私なりに学んで思い巡らした内容ではあるが、これが、これからの日本人にとってきわめて重要なこの問題を考えるための一助となれば幸いである。
2020年6月19日    私市元宏

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