4章 ギリシアとパルティアとペルシア
■アレクサンドロス大王の征服
 紀元前330年頃に始まるマケドニアのアレクサンドロス大王の東征は、アケメネス朝ペルシアの広大な支配領域をそのまま受け継いで、西はギリシアから東はインダス川西岸まで、北は、カスピ海とアラル海の東方のアム川のはるか北まで、その支配が及んだ。ペルシア帝国内にいたパルティア人やカスピ海から南下してペルシアに住み着いていたスキタイ人(ほんらいは遊牧の騎馬民族)たちは、ギリシア軍に追われて北東へ逃れ、その結果、アム川流域の都市バクトラを首都とするバクトリアが、交易の要衝を占めることになる。だから、前250年頃の東西の世界は、西から始めるなら、マケドニアを支配するペルガモン王国に始まり、パレスチナのアンティオキアを首都とするギリシア系のセレウコス朝の支配がカスピ海南部まで、カスピ海南部を境界にして、そこから東へ、現在のアフガニスタンとパキスタンの西の国境までがパルティア王国の支配にあたる。さらにその東は、現在のアフガニスタンとパキスタンの一部を含むインダス川の西岸までがバクトリア王国で、その支配は、はるか北方の都市バクトラまで及んでいた。さらにその東は、インドのマウリア朝が支配していた〔『世界史図録:ヒストリカ』45頁下欄の地図〕。注目したいのは、このバクトリアを含む北方一帯が、先に述べた月氏が西方に移動することで、大月氏国の支配領域に入ったことである〔『世界史図録:ヒストリカ』10〜11頁〕。
 アレクサンドロス大王によるヘレニズム世界は、インダス川を越えてその東の流域まで拡がり、その支配は、ギリシア系のセレウコス朝の前2世紀頃まで続くことになる。ギリシアの支配と文化は、イスラエルの十部族にとって全く未知の世界であったが、マケドニアとペルシアの支配が、インダス川を越えて、その東方のインド(正確には現在のパキスタンとアフガニスタン)へ拡大したことは、十部族にとって大きな意味を持つ出来事であった。なぜなら、彼らは、ギリシア軍と共に、インダス川を越えてその東方へ移動することができたからである。これが後に、十部族が、大月氏国を含み、インダス川の両岸地帯をも支配する広大は版図のエフタル王国を建国することで、自分たちの「約束の地」に、十部族による王国を築く大事な足がかりとなった。
■パルティアと漢王朝の時代
 開封に遺された神殿の入り口の一つの石碑によれば、イスラエルの先遣隊に続いて、さらに後続するイスラエルの人たちが、国際貿易の担い手として前・後漢の時代に、開封を訪れている。
 アケメネス朝ペルシアの版図は、ギリシア系のセレウコス朝の支配に受け継がれて、その後、その版図は、前200年頃から後200年頃まで、パルティア王国の支配下にあった。紀元前200年から後200年にわたるこの400年間は、中国では、ちょうど前漢と後漢の支配時代と一致する。だから、この400年間のアジアと地中海は、東から前・後漢王国と、パルティア王国と、ローマ帝国という三つの帝国が、東から西へつながることなる。これに伴って、シルクロードを経由する東西の交易と文化の交流が、平和の内に進行することになった。この頃、前漢の西域に居た部族の一つ月氏が、(現在のアフガニスタンの)カブールの北部一帯に移動して「大月氏国」を建国している〔『世界史図録:ヒストリカ』10〜11頁の地図を参照〕。そこは、後の、エフタル王国の中心部にあたる。紀元後のパルティアは、東ローマ帝国のキリスト教圏と接していたから、キリスト教の影響をも受けることになった。
■ササン朝ペルシアの時代
 パルティアの後は、これも版図をほぼ同じくするササン朝ペルシアの時代(200年頃〜600年頃)になる。この時代のペルシアは、西は東ローマ帝国のキリスト教国、東は仏教国グプタ王朝に接していた。だから、国教であるゾロアスター教と、キリスト教と、仏教とが習合したマニ教がさかんで、その影響はローマのキリスト教世界にも及んだ〔『世界史図録:ヒストリカ』14〜15頁の地図を参照〕。ササン朝の工芸品は、マニ教と共に、西はローマから、東は、サマルカンドと敦煌を経由して、長安と洛陽へ及んだ。注目すべきなのは、5世紀半ばに異端とされて東方に向かったネストリオス派のキリスト教が、ユーフラテスとチグリス両川一帯を中心に、ササン朝の版図に沿って拡がったことである〔『世界史図録:ヒストリカ』14頁下欄の地図〕。使徒パウロたちによって西へ向かったキリスト教が、ユダヤ教の諸会堂を拠点として、ユダヤ人キリスト教徒を中心に伝播したのと同様に、ネストリオス派のキリスト教は、ササン朝帝国の地域に離散していたイスラエル十部族の人たちに受け入れられて、彼らを通じて広まったと推定される。十部族は、これらの諸帝国の支配下に順応しながら、イスラエル民族としての独立性を保持しつつ存続していたのであろう。
                   イスラエル十部族の足跡へ