12章 モーセ五書とヤハウィスト
■モーセ五書とその資料
 旧約聖書は、イエス以前の初期ユダヤ教の頃には、大きく四つに分けられていました。創世記から申命記までの「モーセ五書」で、これは「トーラー(律法)」と呼ばれていました。次はヨシュア記から列王記(上下)までで(ルツ記を除く)、これは「前の預言者」と呼ばれ、続いてイザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、ダニエル書と、ホセア書からマラキ書までの十二小預言書は「後の預言者」と呼ばれました。これ以外の文書は、一括して「諸書」と呼ばれました。
 この分類は現在では用いられていませんが、これで分かるように、モーセ五書は、天地創造からノアの洪水を経てアブラハムの召命にいたり、そこからイスラエル十二部族の物語とモーセによる出エジプト、これに続く荒れ野の旅、約束の土地カナンへの到着とモーセの死で終わります。これに続く「前の預言者」では、モーセの後を継いだヨシュアに率いられたイスラエルの諸部族が、カナンを征服して、士師たちの時代に入り、サウルを王とする王国を建設します。この王国は、ダビデとソロモンの時代に絶頂期を迎えますが、その後北王国と南王国とに分裂し、やがてアッシリアによる北王国の滅亡と新バビロニアによる南王国の滅亡、これに続くユダの民の捕囚時期に入ります。以上がモーセ五書と「前の預言者」の二つを貫く天地創造から捕囚までのイスラエルの「民族的な叙事物語」"the national epic" 〔Skinner, xxii〕です。四福音書が伝えるイエスは、旧約聖書が語るこのような伝承を学んで育ち、これを己の信仰の糧としてその生涯を全うしました。
 いったいこのようなスケールの大きい歴史を語る叙事物語は、どのようにして形成されたのでしょうか? このような叙事物語は、イスラエルの諸部族の歴史的な体験と、これを口頭で伝える諸伝承が、おそらく職業的な語り部たちによって幾世代にもわたって伝えられる過程で、相互に結びついて、やがて書かれた諸資料となり、最後に総合されて物語化されたと考えることができます〔Skinner, xxiii-xxv〕。そこでこの12章からは、モーセ五書を中心に、諸伝承とその資料をごく大まかに見たいと思います。
 モーセ五書には「ヤハウェ」(固有名詞の神の名)と「エロヒーム」(普通名詞の「神」)という二つの神名が用いられています。このことを最初に指摘したのはドイツのH・B・ヴィッター牧師で(1711年)、時を同じくしてフランス人の医師ジャン・アストリュックです。ヴィッター牧師は、これを彼の創世記の研究書で指摘しました(1753年)〔ワイブレイ『モーセ五書入門』30頁〕。「ヤハウェ」(当初は「イェホバ」と発音されました)を用いる資料を「J」、「エロヒーム」を用いるほうを「E」と呼びます。ここから、モーセ五書の資料研究が本格的に始まることになります。以下の「年」を表わす数字は、断わりがない限り、すべて紀元前です。
■J資料について
 「J」は、モーセ五書の仮説的な作者とその資料の両方を指しますから、これを区別するために資料のほうを「J資料」と呼び、この資料をまとめた人物を「ヤハウィスト」と呼ぶことにします。ヤハウィストはその資料を9世紀にまとめたと言われていましたが、これに対しては異論があり、最近では、ヤハウィストの存在した時代をさらに遅く想定しています。
 ヤハウィストはモーセ五書を編集した人物であると言いましたが、フォン・ラートは、モーセ五書とヨシュア記とを併せた六書の主な編集者としてヤハウィストを位置づけています。六書の諸資料の中核を形成しているのが、イスラエル民族の「信仰告白」です。信仰告白は幾つかありますが、これらは、祭儀において実際に行なわれていたものが保存されていると考えられます。その代表的なものが申命記26章5〜9節です。この告白は、同10節以下にある初物を献げる収穫感謝の祈りと結びついています。
 告白には(1)イスラエルの先祖が弱小な族長であったこと、(2)エジプトで奴隷状態にあったこと、(3)ヤハウェの力あるしるしと奇跡によって出エジプトが行なわれたこと、(4)約束の「乳と密の流れる土地(国土)」が与えられたことなど、イスラエルの民の歴史的な体験がまとめられています。この信仰告白は短い「救済史」を語っていて、約束の土地取得が成就したことへの感謝が、収穫の感謝に結びついています。
 この告白にはヤハウィストの編集が加えられていますが、告白自体は、ヤハウィストの時代よりもはるかに古い起源を持っていて、ほんらい祭儀の際の信仰告白として唱えられていたものでしょう。これと類似した信仰告白は、申命記6章20〜24節にも見ることができます。また類似の告白が、ヨシュア記24章2〜13節では、さらに敷衍された形で語られています。ただしヨシュア記の告白では、カナンの土地「取得」以後に向けて、イスラエルが取得した土地の「保全」への感謝が語られているのが注目されます。
 注意してほしいのは、これらのどの告白にも、「シナイ契約」と「律法授与」が抜けていることです。申命記の告白では、族長時代から土地取得にいたるまでの救済史が語られており、ヨシュア記では土地取得以後の国土保全が祈られています。それにもかかわらず、イスラエルの土地取得への感謝の中には、シナイ山でのヤハウェとイスラエルとの契約も、モーセを通じて授与された律法も見あたらないのです。ここに、ヤハウィストにいたるまでの六書全体の原形となる信仰告白の本質的な形を読み取ることができます。この意味で、ヨシュア記24章の告白は、言わば六書の要約と見ることができましょう。
 これらの告白は祭儀の場で唱えられたものですから、祭儀のための口頭伝承として伝えられたものでしょう。このような祭儀的な伝承は、出エジプト記15章1〜18節の「海の歌」やサムエル記上12章6〜8節/詩編136篇などにも保存されています。同様の内容は詩編78篇/105篇/135篇などにも見ることできますが、これらのどこにもシナイ伝承を見ることができません。シナイ伝承が救済史に組み込まれている最初の例は、捕囚期以後のネヘミヤ記9章6〜15節の告白においてなのです(特に13〜14節)。このことは、約束の土地取得伝承とシナイの契約と律法伝承とは、ほんらい別個の伝承であったことを示しています〔フォン・ラート(3)7〜23頁〕。
 以上のことから判断すると、六書は、必ずしもヤハウィスト一人の手によって系統的に記述されたものではなく、古い諸伝承が長期間にわたって徐々に結合されていく過程の中で成立したものであり、その最終の編集者としてヤハウィストの存在を考えることができます。彼はそれまで伝えられてきた大きな伝承複合体を、土地取得伝承を軸として、これに諸伝承を加えるという形で六書を編集したのです。
■ヤハウィストと救済史
 モーセ五書だけに限るならば、その始めから終わりまでヤハウィストの手が加わっています。ただし、モーセ五書で最も大きな働きを見せているモーセ自身については、ヤハウィストは、彼の役割を比較的小さく観ているようです。ヤハウィストの視点から見れば、エジプトでの奇跡もしるしも、モーセ自身の働きではなく、どこまでもヤハウェの手によって生起するからです〔フォン・ラート『旧約聖書神学』(T)302〜303頁〕。以上のことから判断すると、ヤハウィストによる次のような編集過程が見えてきます。
(1)シナイにおける契約と律法授与の伝承を土地取得伝承と結びつけたのはヤハウィストです。彼がどのようにしてシナイ伝承を得たのかは分かりません。しかし、この結合はネヘミヤ記において初めて行なわれたのですから、この場合、ヤハウィストによる結合の時期は、捕囚期か、あるいはそれ以後になると考えなければなりません。
(2)詩編78篇/同136篇では、救済史が、ヤコブと出エジプトの出来事から始まっていますが、そこにはアブラハムやイサクなどの族長伝承が抜けています。族長伝承には、アブラハムとロトの伝承、イサクについての短い伝承、イスラエル十二部族の祖としてのヤコブ伝承、さらにヨセフ伝承があります。したがって、族長に関するこれらの諸伝承も出エジプトから土地取得にいたる伝承とは別個のものであったと見ることができます。これらの諸伝承が出エジプトと土地取得伝承と結びついて祭儀に取りこまれたのはかなり後の時期でしょう(ソロモン王以後の南北二王国の頃か?)。
(3)ヨセフ伝承は北王国イスラエルに由来するものであり、イサク伝承は南王国ユダに由来すると思われます。これらの諸伝承は、すでにヤハウィスト以前に土地取得伝承と結合していたと考えられますが、これをアブラハム=イサク=ヤコブとして系統づけたのはおそらくヤハウィストでしょう。したがって、アブラハムへの土地約束自体は、ヤハウィスト以前からのものになります。ヤハウィストは族長伝承とシナイ伝承とを土地取得のための契約と見て、この契約を約束の土地取得の成就として位置づけたのです。
(4)創世記2〜11章の楽園の堕罪からバベルの塔伝承までには、楽園物語、カイン物語、その系図、セツの系図、天使の結婚、ノアの洪水物語、バベルの塔物語などがあります。これらが、ヤハウィスト以前にどのような形で伝えられたかを知ることはできませんが、これら諸伝承を系統づけたのもおそらくヤハウィストでしょう。J資料の部分は、後で述べるP資料よりもはるかに人間中心的に描かれています〔フォン・ラート『旧約聖書神学』(T)203頁〕。ヤハウィストは、人類の堕罪物語を神話的な様式から歴史的な物語伝承へと変容させることで、この前歴史の物語伝承をアブラハムの選びへ結びつけ、さらにモーセの出エジプト物語伝承へと結びつけているのです。
 このようにして、ヤハウィストは、堕罪からバベルの塔にいたる前歴史の物語と族長物語とを系統づけてまとめることよって、神話的伝承や部族ごとの諸伝承をイスラエルの土地取得へ向けて歴史化し、これによって、イスラエルの救済史を成立させたのです〔フォン・ラート(3)77〜108頁〕
■ヤハウィストの執筆時期
 ヤハウィストが存在した時期について、フォン・ラートはソロモン王の時代(950年〜930年頃)を想定しています。J資料ではダビデ・ソロモン王国の理念が支配的で、しかもユダ王国が重視されているからです(創世記9章26節/同15章18節/同25章23節/同27章37節/民数記24章15〜19節)。その上、J資料には9世紀のアッシリアの侵攻の影響が全く見られないからです。このため、ノートもまたヤハウィストの著作はダビデ・ソロモン時代だと推定しています〔ノート『イスラエル史』282頁〕。しかしヴェルハウゼンはやや遅い時期を想定していて、ヤハウィストの執筆時期を850年頃、すなわち北王国イスラエルと南王国ユダの二王国時代の中頃と見ていて、『旧約新約聖書大事典』(1191頁)には、ヴェルハウゼンのこの年代決定が現在でもほぼ認められているとあります。
 ここで終わると比較的分かりやすいのですが、問題はむしろここからです〔Anchor(6)1016-18.〕。フォン・ラートはJ資料の終わりをヨシュア記と見ていますから、六書までをヤハウィストの編集と見ています。しかし、フォン・ラートやノートが想定するように、ヤハウィストがダビデ・ソロモンの王朝時代の人物だとすれば、はたしてJ資料は、六書で終わるのか? という問題が生じてくることになります。
 ここから、J資料の結尾については、(1)民数記14章8節まで、(2)ヨシュア記14章の終わりまで、(3)同24章まで、(4)士師記1章26節まで、(5)列王記上2章まで、(6)列王記上12章まで、(7)列王記上14章24節まで、のように諸説が表われることになります〔Anchor(6)1016.〕。
 もしもヤハウィストが、ダビデ・ソロモン王朝(1000年頃〜922年)の頃にこのような民族的な「歴史」を編集したとすれば、それはホメーロスの『イーリアス』と『オデュッセイア』(730年頃)やヘーシオドスの『神統記』(700年頃)よりも早い時期になり、イソップの『寓話』(6世紀)よりも、ギリシア最古の哲学者と言われるピュタゴラス(582頃〜497年頃)よりも早く、人類最初の歴史家と言われるヘロドトス(484頃〜425年頃)の『歴史』よりもずっと早い時期の歴史的著作になります。
 ノートが、「ギリシアやその他の地域で歴史的記述が行なわれる<ずっと以前に>、イスラエルではダビデ・ソロモンの時代にヤハウィストによる著作が行なわれた」(ノート『イスラエル史』282〜83頁)と言うのはこの意味でしょう。彼は、ヤハウィストがこの時期に、イスラエル王朝の歴史の前史となる六書の諸伝承を「固定した」(前掲書283頁)と述べています。しかし、J資料の最終箇所を明らかにはしていませんから、それが六書を超える可能性を示唆しています。いったいJ資料の「終わり」はどの時代まで降るのか? このことが、フォン・ラートやノートの説に続く大きな問題になったのです。
 近年、20世紀の後半頃から、ヤハウィストをめぐるこのような議論に決定的な役割を果たしたのはヴァン・セータース(1975年)とシュミート(1976年)とレントルフ(1976年)です。ヴァン・セータースは、六書におけるヤハウィストのモーセ像は、神の働きに比べると弱いことを指摘していますが、彼はフォン・ラートたちの伝承資料的な方法に基づく従来のドイツの学説を不明確であるとして、主として文学様式に基づいてモーセ伝承を分析しようとしました〔Van Seters, The Life of Moses.11〕。こうして、ヴァン・セータースらによって、フォン・ラートとノートの一致した見解が崩れ始めることになります。
 例えば、荒れ野でのイスラエルの民の「不従順」を記した記事は、ダビデ・ソロモン王朝時代の輝かしい時期のことではなく、申命記史家(たち)の解釈に基づいて編集された部分であり、「民の不従順」は、イスラエル民族が最大の危機状態に置かれていた捕囚期の時期を反映していると見なされるようになりました〔Anchor(6)1016〕。ヤハウィストがJ資料を編集し始めたのは、ノートによればソロモン王国時代の初期の頃だとされていますが(この見解はドイツ系の学者に多いようです)、これに対して、最近では、捕囚期前後の申命記史家(たち)による伝承の層に近いと判断されるようになったのです(これはヴァン・セータースなど英米系の学者に多いようです)。
 ヴァン・ セータースは、ヤハウィストの時代を南王国ユダ時代の後期か捕囚期が最も適切であると推定しています〔ワイブレイ前掲書45/49頁〕。捕囚期以前の時代では、モーセ五書のように優れた歴史的な著作は、イスラエルよりもはるかに文化の進んでいたエジプトやメソポタミアにおいてさえまだ書かれてはいません。だから、ヤハウィストやエロヒストが、捕囚期以前の時代の人物であるとはとうてい考えることができないからです。ワイブレイによれば、ヤハウィストは一人の歴史家であって、5世紀のギリシアの最初の歴史家たち、特にヘロドトスとほぼ同時代の人になります。ヴァン・セータースやワイブレイによれば、ヤハウィストは、モーセ五書の事実上の著者であり、彼の時代まで伝えられてきた古くからの諸伝承を総合することによって、イスラエル民族の救済史的な歴史を記した人物になります〔ワイブレイ前掲書53頁〕。
 ヤハウィストより後になって、「P」と呼ばれる祭司資料編集者たちが、ヤハウィストの記述にさらに加筆して、これを編集し直します(例えば創世記6〜9章のノアの洪水伝承)。ところが、もしもヤハウィストが捕囚期の終わり頃の人であったとすれば、祭司資料編集者たちがヤハウィストよりも<先の>時期の人たちになります。だとすれば、モーセ五書は全く一人の歴史家(ヤハウィスト)の手によって成立したことになります。ワイブレイはこのように考えて、このヤハウィストこそが最終的なモーセ五書を編集した歴史家であると考えるのです〔ワイブレイ前掲書53〜54頁〕。
 20世紀のアメリカの著名な文芸評論家ハロルド・ブルーム"Harold Bloom"(1930年生まれ)は、ユダヤ文学を含む広範囲な評論活動を行なった人です。彼は、ヤハウィストの編集範囲をヨシュア記からサムエル記へ、さらにはソロモン王国時代の記述まで(列王記上11章)をも含めました。なんと彼は、ヤハウィストは女性ではなかったかと言うのです!
 これで分かるように、旧約聖書の資料分析は、内容だけでなくその成立時期をめぐって相当に混乱しています。したがって、この12章では、ヤハウィストに注目することにして、エロヒストや祭司資料編集者たちや申命記史家(たち)は、後にそれぞれの章で扱うことにします。
■ヤハウィストによる編集
 ではここで、ヴァン・セータースの説によるヤハウィストの編集を幾つかの具体例をあげて見ていくことにします。
(1)申命記26章5節の信仰告白は、申命記史家(たち)の編集に基づく伝承によるものであって、ヤハウィストはこれを受け継いで、この信仰告白をアブラハムの子孫繁栄(創世記28章14節)と結びつけました。しかもヤハウィストは、これをさらに第二イザヤ(イザヤ書54章3節)のイスラエル民族の繁栄へと関連づけるのです。これだとヤハウィストは、族長物語伝承とイスラエルの信仰告白とイザヤ預言とを一つの線で結んだことになります〔Van Seters 21.〕。
(2)出エジプト記2章1〜10節のモーセの誕生とナイル川からの救出物語は、口頭伝承によるものではなく、「サルゴン王の誕生伝説」やペルシア王キュロスの救出物語など、古代オリエントの伝承や伝説を歴史的に組み込んだもので、これもヤハウィストの発案によるものです。したがって、「モーセ」の名前の由来もおそらく彼の発案によるものです〔Van Seters 27-28〕。
(3)出エジプト記3章13〜15節の「ヤハウェ」からのモーセへの啓示では、従来この箇所はエロヒストによると考えられていました。しかしヴァン・セータースは、これをヤハウィストの記述とするほうがより適切だと見ています。同14節に「エロヒーム(神)はモーセに言った。『エヒイェ・アシェル・エヒイェ(わたしはある。わたしはあるという者だ)』」とありますが、これは15節の「エロヘー・アヴラハム(アブラハムの神)、エロヘー・イツハク(イサクの神)、エロヘー・ヤアコヴ(ヤコブの神)」へと続くのが自然です。それまでは、15節の「エロヘー・アヴラハム」以下は、後にエロヒストによって追加されたもので、エロヒーム(神)の名前の意味を説明するためだと解釈されていました。しかし、ここ全体をヤハウィストの記述だと考えると、そのように資料的に分ける必要がないことになります。ヤハウィストは、この箇所に、おそらくエゼキエル書20章5〜6節の「わたしはヤハウェ・エロヒームである」を反映させていて、これによってヤハウィストは、かつての出エジプトの時のように、捕囚期のイスラエルの民に対して主なる神の名前が新たに啓示されることを願ったのだと見るのです〔Van Seters 47-48〕。
(4)ヴァン・セータースによれば、「族長時代からエジプト滞在への移行は、ヨシュア記から士師記への移行をモデルにしており、ファラオの時代のイスラエルのエジプト滞在はソロモン時代との類比に基づくもので、エジプトでの奴隷状態はソロモン時代の<非>イスラエル民族の奴隷状態をモデルにしたと見ることができます。ソロモンは倉庫の町を建設するために強制労働を強いたからです。
(5)モーセが大量虐殺を免れてミディアンへ逃れ、その後にエジプトへ戻ったのは、エドム人ハダドをモデルにしています。ハダドはダビデの時にエジプトへ逃れて、ソロモンの時に戻ったからです(列王記上11章14〜22節)。
(6)さらに、ヴァン・セータースによれば、モーセが捨てられて救済される場面は(出エジプト記2章1〜10節)、ヘロドトスの記述スタイルと似ていなくもないことになります。これをもって、ヴァン・セータースが、ヤハウィストをヘロドトスの時代(5世紀)まで引き下げているかどうかは分かりませんが。
 このようにヴァン・セータースは、モーセ五書のモーセの誕生から死にいたるまでのすべての物語伝承を、ヤハウィストとほぼ同時代に属すると思われるオリエントの文学様式に基づいて分析し直しました。
 ヴァン・セータースによれば、出エジプト記における過越の記述も捕囚期時代のものです。捕囚以前の預言者たちは、出エジプトについてごくわずかしか触れていません。申命記史家たちの伝える伝承だけが、ヤハウェの力ある業としるしと不思議によって出エジプトが起こったことを確認するのですが、それとて、確認以上のことは記述していません。これらの出来事を想像的に再構成することによって詳細に記述したのは、申命記史家(たち)よりも<さらに後の>ヤハウィストなのです〔Van Seters 127〕。したがって、ヤハウィストは、申命記史家(たち)の歴史的な記述様式を採り入れて出エジプトを書いたことになります。
■ヤハウィストの執筆時期再考
 ヴァン・セータースのこのような編集説から判断すると、モーセ五書の最終的な成立は、従来考えられていたよりもはるかに後期のことになります。ワイブレイは、創世記1〜11章の族長物語以前の前歴史的な物語伝承は、古代オリエントのどこにもこれに類比する記述を見ることができないと指摘した上で、ギリシア・ローマ時代になって初めて、同じような種類の作品が一般的になると述べて、「ヘレニズム時代以前に、これ(創世記1〜11章)と比較できる著作が存在したという証拠は、エジプトからもメソポタミアからも得られていない」と述べています〔ワイブレイ79〜80頁〕。
 したがって、ワイブレイは、ヴァン・セータースが、ヤハウィストを「前5世紀のギリシアの最初の歴史家たち、特にヘロドトスとほぼ同時代に置いている」と見ています〔ワイブレイ53頁〕。これはむしろワイブレイ自身のヤハウィスト説かもしれません。ワイブレイは、ヴァン・セータースの説をその大筋で支持しながらも、ヤハウィストが祭司資料編集者たちよりも<先の>著者だとする必要はなく、モーセ五書は事実上ヤハウィスト単独による最終的な作品として見るべきだと述べているからです〔ワイブレイ54頁〕。
 ヴァン・セータースによれば、ヤハウィストは捕囚期の一人の歴史家であり、それ以前のイスラエルの膨大な伝承と、同時に捕囚期における伝承とを併せ用いて、イスラエルの歴史を著わしたことになります。彼が主張するように、祭司資料編集者たちのほうがヤハウィストよりも先の時期の人たちであるとすれば、モーセ五書は、ヤハウィストという一人の歴史家によってその最終的な形態を確定したことになります〔ワイブレイ53頁〕。
 ただしヴァン・セータースは、族長伝承を始めモーセ五書の諸伝承が、長期の口頭伝承によって形成されてきたという従来の説を否定することはしていません。また彼は、口頭伝承と文書による記録との区別はつけ難く、ヤハウィストはこれらすべてを含めて最終的な編集と記述を担ったと考えています〔ワイブレイ102頁〕。
 ヴァン・セータースはこのように、従来の資料説をほぼ受け容れつつも、ヤハウィストこそ事実上のモーセ五書の著者であり、しかも6世紀の単独の著者であると言うのです。したがってヴァン・セータースは、ヤハウィストをペルシア王国時代のギリシアの哲学者たちとほぼ同時代までその年代を引き下げたことになります。それでも歴史家ヘロドトスよりは早い時期になりますが。
 彼によれば、ヤハウィストの歴史とは、創世記の原初物語、族長物語、モーセ物語を含む古代イスラエルの(特にユダ王国の)歴史です。ヤハウィストは捕囚時代をバビロニアで過ごし、当時の書かれた預言、知恵、歴史伝承に通じていて、第二イザヤに大きな影響を与えた人物です。同時に、バビロニア古代の伝承や東西の伝承にも通じる広い視野を持っていました。彼の作品は申命記史家(ヴァン・セータースは複数説よりも一人説に近い)の民族的歴史の序文を構成し、また申命記史家を拡大し、申命記史家の狭い民族主義の視点を修正しました。彼はまた、第二イザヤに唯一神教の場を提供し、知恵伝承によって、ユダヤ教に自由で人間的な要素を加えた人物になります〔Van Seters: The Life of Moses.468〕。
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