17章 申命記の編集(後編)
■クリステンセンによる申命記12章の解釈
わたしたちはここで、今までの聖書本文の解釈、すなわち歴史的な諸段階に沿って解読する方法とは全く異なる解釈に出逢うことになります。これからこの解釈の一端を、クリステンセンの申命記解釈から垣間見たいと思います〔Duane L. Christensen. Deuteronomy. Word Biblical Commentary. T&T Clark (2001). Electronic edition by Logos Bible Software.〕。
これまでは、いわゆるJEDPの4種類の資料分析を通じて、モーセ五書や申命記史家的歴史(DH)の概要を見てきました。この方法は、聖書本文を歴史的な段階において、言い換えると「時間軸に沿って」解明しようとするものでした。例えばJ資料とE資料は9世紀から8世紀にかけての資料であるとか、Dは7世紀のヨシヤ王時代のものであるとか、DHにいたっては、ヨシヤ王以前から、捕囚期を経て、ペルシア時代の初期、あるいはもっと遅い時期(400年)までの編集が想定されていました。
こういうアプローチは、19世紀(紀元後)の終わり頃までは、まだ十分な成果をあげることができませんでした。20世紀に入ると、申命記で用いられている人称と単/複数による違いから、本文の分析が試みられました。しかし、このように、聖書本文をその時代ごとに言わば「輪切り」にするやり方は、必ずしも納得できるものではなかったのです。例えば、いわゆる「2人称複数」部分から成る「申命記版」が、はたして実際に存在していたのかどうか疑わしいからです。
この間に、申命記解明への別のアプローチが形成されてきました。この方法は、列王記下22章22〜23節(ヨシヤ王の原申命記発見物語)を一つの目印にするやり方を無視するのです。あるいは、申命記12〜26章が、申命記ほんらいの版であったという説を拒否するのです。このような文献批評的な解明方法では、聖書本文の複雑な構成を解き明かすのに限界があるからです。申命記の本文構成は、こういう文献的な階層分けで成り立っているのではなく、文献的に見える構成に先だって、より伝統的な編集によって複雑かつ豊かな構成を成しているからです。この伝統的な方法は、複雑で多様な諸伝承を一つの統一された全体像へと導いてくれるものです。
この方法は、聖書本文を外から歴史的に分析するのではなく、本文それ自体の内部の構成に目を留めること、すなわち、聖書本文を叙事詩あるいは物語詩(韻文的なスタイルで語ること)と見なして、そこに古代から伝わる音楽的/詩的な語りの手法を見出そうとするのです。以下でわたしたちは、こういう解釈によるクリステンセンの申命記12章の解釈を見ていきたいと思います。
イスラエルの民は、異教の神々の社を滅ぼして、年に3度の祭りのための巡礼を行ない、献げ物、犠牲の獣、十分の一税などを「あなたの神、ヤハウェが選ばれる場所で」献げることが義務づけられていました(申命記16章1〜17節)。申命記によれば、その中心となる聖所とは、ほんらいはシケムにあるエバル山のことであり、ヨシュアによるカナン征服の直後からは、約束の土地における契約更新は、この場所で執り行なわれました。その後、聖所はシロに移されて、シロに安置されていた神の箱(契約の箱)がペリシテ人によって奪われるまで、聖所はそこに置かれていました(サムエル記上1〜4章)。その後、ダビデ王の時代を経て、ソロモン王がエルサレムのシオンの山に神殿を築くことで、「ヤハウェが御名を置く場所」がエルサレム神殿に定まることになりました。
W・M・L・デヴェッテの論文(1805年)によって、19世紀のモーセ五書の文献批評の礎(いしずえ)が置かれて以来、申命記12章は、歴史的な文献批評の注目の的になってきましたが、ヨシヤ王時代の「巻物の発見」と聖所の中央化に始まる申命記の編集と、モーセ五書のJEDP理論とが、欧米の学界の主流を成してきました。申命記12章は、祭儀規定(祭壇への律法)として聖所の中央化の核を形成していたからです〔この理論のまとめとしてはJ. M. McConville. "The Altar-Law and Centralization of the Cult." in Law and Theology in Deuteronomy. (1984)がある〕。
中央聖所は、シケムからシロへ、さらにダビデ王朝の時代のエルサレムへとつながりますが、それとは別に、ギルガルにも聖所が置かれており、カナン侵入を記念するエリコでも、王国成立以前の段階からヤハウェの聖戦を祝う公の聖所が存在していました。また、王国の分裂以後においては、北王国のヤロブアム1世が、エルサレムに対抗してベテルとダンに中央聖所を設けました。また、南王国ユダの南の境界にあるアラデ(ベエル・シェバの東約30キロの北側にあたる)にも、ヨシヤ王に破壊されるまで神殿があったことが発掘によって明らかにされています。
以上の歴史的背景をもとに、クリステンセンは、12章の構成を以下のように位置づけています。
【A】(第一区分)12章1〜7節:異教の社を壊しヤハウェのみを礼拝せよ。
【B】(第二区分)12章8〜12節:中央聖所でヤハウェに献げ物を献げ礼拝せよ。
【X】(第三区分)12章13〜19節:聖と俗との獣の屠りを区別せよ。
【B’】(第四区分)12章20〜28節:肉はどこで食べてもよいが血を食べてはならない。
【A’】(第五区分)12章29〜32節:あなたが廃棄した神々に再び仕えてはならない。
このように【X】を中心にして、その前後に対称形に、しかも前後がやや異なる形で配列されているスタイルを、修辞学で「交差対句法」あるいは「交錯配列法」(英語で"chiasmus"「カイアズムス」)と呼びます(語源はギリシア語 "chiasmos"「キアスモス」で、ギリシア文字Xの形に交差していること)。またそのような構成を交差対句的(「カイアズティック」"chiastic")な配列/構成と言い、後ろの部分を前の部分とは逆の順に配列することです。
この構成で12章を見ると、申命記5章7節「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」を受けて、【A】「異教の社を破壊せよ」と【A’】「ほかの神々に仕えるな」とが外枠を形成しているのが分かります。外枠の内部は、【B】「古代イスラエルの犠牲の献げ方を守れ」と、【B'】「獣の屠りが聖(中央聖所)であれ俗(地方の聖所)であれ、いずれの場合も血を食べてはならない」とあって、命令がさらに立ち入って規定されています。中心【X】には、犠牲の聖と俗の区別(中央と地方)が告げられています。
ところが、このようなカイアズムのパターンが、12章の第一区分には、さらに二つでてきます。そのほかに韻律に関するパターンあり、原文の語数に関するパターンあり、強勢(アクセント)の数あり、数秘ありで、これらを細述するのはとてもわたしの手に負えることではありません。大事なのは、この解釈法の概要を知ることですから、以下では、ごく大まかな紹介に止めたいと思います。
12章1節〜13章1節の構成は、これをさらに細かく見ると、以下のようになります。
【A】1節:以下は掟と法である。
【B】2〜7節:異教の社を壊し、ヤハウェの選ぶ場所で礼拝せよ。
【C】8〜9節:自分が正しいと見なすことを行なうな。
【D】10〜12節:献げ物と十分の一の献げ物を中央聖所へ携えよ。
【E】13〜16節:聖と俗との獣の屠りを区別せよ。
【X】17〜19節:献げ物と十分の一の献げ物は選ばれた場所でのみ食べよ。
【E’】20〜22節:俗の獣の屠りは、地方の町で食べてもよい。
【D’】23〜27節:献げ物と十分の一の献げ物を中央聖所へ携えよ。
【C’】28節:ヤハウェの目に正しいことを行なえ。
【B’】29〜31節:滅ぼされた神々に仕えるな。
【A’】13章1節:注意して神が命じるとおりに行なえ。
ここでは、過越と七週祭と仮庵の三大巡礼祭は中央聖所で行なうことが中心に来ていますが、それ以外に地方の町々でも、人々が食するために行なう獣の屠りが認められています。これはおそらく、それぞれの「地方の集まり」で、年間を通じて50日ごとに行なわれる獣の屠りのことです。
ここで述べられているのは、古代イスラエルで行なわれた中央聖所(必ずしもエルサレムのことではない)での犠牲の祭儀に関するものです。俗な獣の屠りとは、現代の食肉業に類するもので、それが聖職者たちの管理の下で行なわれたのです。この場合、血は食べることをせず、水のように流します。中央聖所へは、年に三度家族で巡礼を行ないますが、その際にレビ人たちと寄留の他国人をも同伴します。中央聖所では、血は「ヤハウェの前で」祭壇に注ぎます。
ヤハウェの前での祭儀と礼拝は6〜28節で明らかにされていて、この部分は次のパターンになっています。
【A】6〜12節:献げ物をヤハウェに献げその前で食べよ。
【B】13〜16節:地方の町々でも屠った獣を食べることができる。
【X】17〜19節:献げ物と十分の一の献げ物は中央聖所でのみ食べよ。
【B’】20〜22節:地方の町々でも屠った獣を食べることができる。
【A’】23〜28節:肉は中央聖所で食べてもよいが、血はいけない。
以上のパターンを見ると、イスラエル領内での大巡礼祭は、申命記16章1〜17節と重なるのが分かります。したがって、12章〜16章全体を以下のようにつなぐことができます。
【A】12章1節〜13章1節:礼拝は中央聖所と地方の会衆で行なえ。
【B】13章2〜19節:偶像を壊してヤハウェのみを礼拝する律法。
【X】14章1〜21節:聖なるものへの律法。
【B’】14章22節〜15章23節:周期的な義務として、十分の一の献げ物と貧しい者への保護と犠牲について。
【A’】16章1〜17節:中央聖所での巡礼祭。
このように、【A】と【A’】を対応させるなら、12章13〜29節と16章16〜17節との「テキスト同士つながり」が見えてきます。ここでは、「あなたの神、主(ヤハウェ)より受けた祝福に応じて」(12章15節/16章17節)がベースになっていて、「主が選ばれた中央聖所で献げ物を行なう」ことが定められています。
このように申命記では、中央聖所での犠牲の献げ物が最も重要なこととされていて、これは申命記(5章)に記された古代からの契約規定に基づくものです。王国以前の時期においては、古代イスラエルの民は、原始的な農耕暦に従って共同生活を営んでいました。農耕祭儀の三大巡礼祭は、(1)アビブの月(後にニサンの月=3〜4月)で、大麦の収穫時期が近づいた「初穂が揺れる」頃に新年の「除酵祭」(種入れぬ祭り)が祝われ〔ただし、古くは新年が秋の仮庵から始まったと見る説もあります。筆者〕、(2)その50日後の小麦の収穫時期(シワンの月=5〜6月)に七週祭(ペンテコステ)が祝われ、(3)秋のぶどうの収穫が終わる頃(キスレウの月=11〜12月)に「仮庵祭」(取り入れの祭り)が祝われて、悦びと感謝が献げられました。
クリステンセンはさらに、12章の人称変換の問題にも言及して、1〜12節の2人称複数と13〜31節の2人称単数は、本文の文学的な構成の「目印」だと位置づけています。その上でさらに、ヘブライ語の韻律(meter)とこれが織りなすパターンをも分析していますが、この点は、各区分においてとりあげます。クリステンセンの解釈は、このように聖書本文をあたかも音楽的な構成のように見て、主旋律とこれに伴う副旋律が複雑な構成パターンを形成していると観るのです。以下で彼は、12章全体を第一区分(1〜7節)/第二区分(8〜12節)/第三区分(13〜28節)/第四区分(29〜13章1節)に分けて釈義を行なっています。
■第一区分(1〜7節):異教の社を壊しヤハウェのみを礼拝せよ。
12章1〜7節においては、2〜3節と6〜7節の韻律のパターンに注目します。まず2〜3節の韻律の構成は次の通りです。以下、ヘブライ語原文に対応して訳します。
(1)あなたたちは必ず破壊せよ
(2)すべての場所を
(3)そこでは国々の民が礼拝している
(4)そこからあなたたちが
(1)彼らを追い払う
(2)彼らが神々に(仕えるから)
(3)高い山々の上で
(4)そして丘の上で
(5)すなわち下で
(6)すべての茂った木々の
(1)そしてあなたたちは彼らの祭壇を壊せ
(2)そして倒せ
(3)彼らの聖なる柱を
(4)そして彼らのアシェラ像を
(5)あなたたちは火で燃やせ
(6)彼らの神々を刻んだ像を
(1)切り倒せ
(2)そしてあなたたちは彼らの名前を消し去れ
(3)そこから
(4)その場所から
これは、聖書の教典を朗唱する際の韻律に従って分類したもので、4:6:6:4の韻律を形成しています。このような聖典の韻律は、仏教の教典を朗唱する場合でも同様で(韻律は全く異なりますが)、ある一定の抑揚(声の上げ下げ)と長短のリズムで教典を唱えます。御詠歌もこれを基にして生まれました。どちらの教典も、礼拝や祭儀の場で、礼拝式文として唱える際の形式です。
2〜3節は、4:6:6:4の韻律構成で、第一区分の主旋律を奏でます。それは、「国々の民が彼らの神を礼拝した場所をすべて壊せ」というメッセージです。この第一区分の韻律構成をそこで語られる内容と関連づけて見ると、2人称単数と複数との変化によって、次のような交差対句(カイアズムス)を構成しています。
【A】1節:これらはあなたが守るべき掟と定めである。
【B】2〜3節:あなたたちの領土内にある異教の礼拝所を破壊せよ。
【X】4〜5節:それらはあなたたちのヤハウェが選んだ場所での礼拝ではない。
【B’】6節:あなたたちの献げ物を中央聖所へ携えよ。
【A’】7節:あなたたちの神の前で家族共々に悦び祝いなさい。
ただし、上の交差対句(カイアズムス)分析は、筆者の見るところ、【A】と【A'】との対応が不正確です。なぜなら、1節では「<あなた>の先祖の神・・・・・<あなたたち>が地上で生きている限り・・・・」とあって、前半の2人称単数から後半の複数へ移行しますが、7節では「<あなたたち>の神・・・・・<あなた>の神・・・・・」とあって、前半が2人称複数で後半が単数に入れ替わっているからです。だから、【A'】の7節は、さらに前半と後半とに分けて、後半部分だけを【A】と対応させなければなりません。そうすれば、【A】(2人称単数)【B】【C】【X】【C’】【B’】(いずれも2人称複数)【A’】(2人称単数)の構成になります。いずれにせよ、内容的には「あなたたちのヤハウェが選んだ場所での礼拝」が中心に来ます。
2〜3節の韻律構成が4:6:6:4であることは先に指摘しましたが、6〜7節の韻律構成は、これと少し違っていて次のようになります。
(1)あなたたちはそこ(中央聖所)へ携えよ。
(2)あなたたちの燔祭を
(3)そしてあなたたちのほかの献げ物(いけにえ)を
(4)そしてあなたたちの十分の一の献げ物を
(5)それから
(6)そしてあなたたちの手による献納物を
(1)そしてあなたたちの満願の献げ物を
(2)そしてあなたたちの随意の献げ物を
(3)そして牛の初子や
(4)羊の初子などを。
(1)それからあなたたちはそこで食べなさい。
(2)御前で
(3)あなたたちの神ヤハウェの。
(4)そして喜びなさい
(1)すべてにおいて
(2)あなたたちの手の働きを
(3)あなたたちと
(4)あなたたちの家族と共に
(5)あなたを祝福してくださった
(6)あなたの神ヤハウェが。
これで分かるように、6〜7節の構成は2〜3節の構成の変形で、6:4:4:6の韻律構成になっています。
ここで改めて第一区分の内容を見ることにします。この部分は、フォン・ラートによれば、どの時代にも適用できる不特定な内容になっています。鈴木氏はここをヨシヤ王時代の編集だと見ていますが、レーマーは捕囚以後のペルシア時代の初期だと考えます。
クリステンセンは、この第一区分が、モーセに反対したアロンたちの金の子牛の物語(出エジプト記32章)を形成する基になっていると見ています。この金の子牛物語は、北王国と南王国の時代を通じて行なわれた王たちの悪行とも重なります。だから、申命記史家的歴史、すなわち「前の預言者」(ヨシュア記〜列王記下)全体が、申命記12章のこの規定に従って記されているのが分かります。
特に出エジプト記34章12〜13節「あなたがこれから入って行く土地の住民と契約を結ばないよう注意せよ。それがあなたの間で罠とならないために」は、ここ申命記12章の第一区分と神学的に同一です。出エジプト記のこの部分は、ノートが指摘するように申命記史家的な編集によっています。モーセ五書(律法/トーラー)の中で、特に金の子牛事件は、モーセに対する最初の反逆です。この出来事以後、金の子牛物語は、ヤロブアム1世による金の子牛(列王記上12章25節〜13章34節)の出来事に見るように、イスラエルとユダの両王国を通じて、背教の原型として繰り返し表われます。これに対してソロモンの神殿のほうは、ヤハウェを礼拝すべき唯一の礼拝の場と定められていて(列王記上8章65〜66節)、そこで「あなたたちが、自分の手の業を悦び楽しむ」よう定められています。
2〜3節で命じられる「壊すべきすべての場所」とは、最近の発掘によれば、鉄器時代(11世紀〜6世紀)の祭壇のことで、それらはカナンの社で、全土の生い茂る木の下に広がっていました。祭壇は石で造られ、石の柱が建てられていました。アシェラ像とは女神アシェラのことで、祭壇の傍らに建っていたものです(申命記16章21節)。古代のイスラエルでは、ヤハウェを礼拝する場でさえも聖なる樹木の下に置かれて石の柱が建てられていましたから、イスラエルの民は、これらカナン~の名残をことごとく消し去るよう命じられているのです。ただし「その場所から取り除く」とは、ユダヤ教では、約束の領土の中でのことに限定されます。
5節では、神ヤハウェが選ばれた場所を「尋ね求める」よう求められていますが、これはその場所へ「巡礼する」ことです。ただし、地方でもそれなりの祭儀が認められていました。やがて過越祭への中央巡礼が求められるようになり、ヒゼキヤ王やヨシヤ王の時代には、献げ物は、すべてエルサレムの中央聖所に限られるようになります。しかし、それ以前においても、中央聖所となる幕屋がどこに置かれていても、聖所は一つに限られていたことに注意しなければなりません。
ヤハウェは、自分のために聖所の場所を「選び」ます。神が「その御名を置く」とは、中央聖所といえども、そこが神の本当の住まいではなく、神の真の住まいは天にあるという意味ですが、地上の聖所に「御名を住まわせる」とは、そこでヤハウェの臨在を顕わすという「御名神学」が受け継がれているからです。このような申命記的な聖所/神殿観は、特にソロモン王の祈りに明記されています(列王記上8章27〜29節)。この第一区分の段階では、国々の民の異教礼拝を廃絶することが求められていますが、ソロモン王の神殿はまだ考えられていません。
7節で「あなたたちは食べなさい」とあるのは、6節の献げ物のことで、これを「あなたの神ヤハウェの御前で」行なうとは、神が臨在する中央聖所で家族揃って公式の礼拝を行なうことを意味します。「あなたたちの家族」とは女性や子供たちをも含みます。申命記はこのように人々の信仰に及ぼす犠牲の意義を強調するのです。また申命記は、祭司たちが日々執り行なう献げ物のことには触れず、一般の民が献げるべき犠牲や十分の一の供え物について定めるのです。
これらの犠牲の献げ物による礼拝の基礎となるのがモーセ律法であり、契約です。しかも申命記は、いかなる意味においても神がある特定の場所に限定して存在することを否定します。このような「神の住まい」は、後のキリスト教では、イエス・キリストという一人の人格体として受け継がれることになります。
イスラエルの民が住まう以前のいかなる国々の神々をも排除するよう厳しく戒めているのは、現代において、福音をその地域の文化的状況に適合させようとする傾向に注意を向けさせるものです。しかも申命記は、あらゆる地域からの巡礼によって、民の一体化を図ろうとするのです。献げ物は主の御前に悦びと感謝を持って献げるべきで、この点については後にパウロが、コリントの教会へ宛てた手紙で、献金について「不承不承ではなく、喜んで与える人を神は祝福してくださる」と勧めているのと一致します(第二コリント9章6〜8節)。
■第二区分(8〜12節):中央聖所で献げ物を献げてヤハウェを礼拝せよ。
第二区分の10〜11節では、第一区分に表われなかった韻律構成がでてきます。
(1)そしてあなたたちはヨルダン川を渡り
(2)そしてあなたたちはその地に住まう。
(3)それはあなたたちの神ヤハウェが
(4)あなたたちに嗣がせる。
(1)そしてあなたたちに安息がある、あなたたちのすべての敵からの
(2)取り囲む(者からの)
(3)そしてあなたたちは安らいで住まう。
(4)そしてそこが場所(である)
(5)あなたたちの神ヤハウェがあなたたちに選んだところの。
(6)その御名をそこに住まわせるための
(7)その場所へ。
(1)そこへ携えよ
(2)すべてを
(3)すなわちわたしが
(4)あなたたちに命じたとおり
(5)あなたたちの燔祭とあなたたちの犠牲とを
(6)十分の一の献げ物を
(7)そしてあなたたちの手による献げ物を
(1)そしてすべての
(2)あなたたちの随意の献げ物を
(3)あなたたちが誓ったところのものを
(4)ヤハウェに(対して)。
このように10〜11節では、4:7:7:4の韻律がでてきます。荒れ野時代のイスラエルの民の礼拝は比較的簡素で、ひとつの中央聖所、すなわち会見の幕屋(後に臨在の幕屋)でした。ところが十二部族がそれぞれの約束の領土に住まうと、カナンの神々との混交が始まります。そこで、この危険を避けるために、イスラエルの民はすべての異教の社を壊すように命じられ、中央聖所の伝統を守って、年に三度の巡礼の祭りにおいて、献げ物を中央聖所で献げるように定められたのです。この箇所は、約束の領土において、中央聖所での正しい礼拝を行なうための規定です。ただし、ここでクリステンセンが言う「中央聖所」とは、王国成立以前からの時代のことですから、時期によってその場所が異なり、必ずしもエルサレムのことだけではありませんから注意してください。
8〜9節で「自分が正しいとすることを行なってはならない」とあるのは、士師記17章でダン族が行なった蛮行と関連します。ダン族は、エフライムに住むミカの家から、彫像やテラヒム(その家の守り神である小さな神の像)や鋳造を奪って、その彫像を自分たちの部族のための礼拝の場所に置いたのです。さらにダン族は、イスラエル領の北部にあったライシュの民を殺しました。士師記のこの物語は、申命記12章の第二区分に基づいて語られています。士師の時代には「まだ王がいなかったので、それぞれ自分の目に正しいとすることを行なっていた」(士師記17章6節その他)のですが、士師記のこの物語を始め士師記17〜19章の物語が、イスラエルの民が王制へ移行するきっかけになったと見ることができます。そのような「礼拝の場所の自由」は、イスラエルの民が約束の領土で嗣業と安息を得た後では許されないのです。だから、申命記的な規定は、イスラエルの領土に戦がなかった平和な時代に定められたとクリステンセンは見ています。
11節の冒頭は「そしてそこが〜の場所(である)」で始まります。これは「そしてその場所は〜となる」と読むこともできます。後の読み方だと、主が与える場所こそ、確かな安息の場所となることを告げていて、その場所こそ、すべての献げ物を携えて訪れるべき所になります。「あなたたちの手による献げ物」とは、民数記17章27節〜18章に定められた祭司の取り分のことで、これは「喜んで/進んで」献げなければなりません。十分の一の献げ物とはレビ人の取り分のことです。安息の地こそヤハウェから受けるイスラエルの民への嗣業なのです。
12節では、中央聖所での祭りには、「あなたたちの町のレビ人」も家族同様に含まれなければなりません。レビ人は、イスラエルの各地に散在していて、一般の人たちの献げ物によって生活するからです。彼らは律法に基づいて信仰を教え解釈する人たちですが、申命記では、「レビ人」とは地方で奉仕する祭司たちを指します。
以上の第二区分では、従来の慣習を改めることが求められています。古い価値観は時代と共に変容しなければなりません。しかし極端な「自由主義」と極端な「原理主義」との間には、均衡が取れていなければなりません。真の意味で伝統を守ることは、これら両極端の間に存在する緊張関係の上に成り立つのです。古い慣習は改めなければなりませんが、それらを生み出した価値観自体は、時代が過ぎても現在に生き残り続けるのです。
これを現代的な意味で理解するならば、「聖書的無謬の一貫性」ということになりましょう。聖書的無謬とは、ローフィンクの言葉を借りれば「議論されるべきは(聖書の)思想それ自体のことではない。それは、古代からの議論の余地のない信仰の伝統だからである」ことになります。ローフィンクは、わたしたちが聖書の基本的な教義について、「特定の事柄に関しては明確な無謬性」を保持しなければならないと言います。なぜなら、聖書の無謬性は、神がこれの著者だからであり、それゆえに、わたしたちへの啓示だからです。ただし、このような無謬性は、作者の無謬性とか聖書の諸文書の無謬性という視点を離れて、聖書の全体的無謬性へと焦点を移し替えなければならないでしょう。筆者の見るところ、ローフィンクのこの視点は、クリステンセンの聖書解釈の方法論とも結びつく大事な点だと考えられます。
申命記のこの箇所は、古代イスラエルにおいて、完全な中央聖所へと移行する過渡期の段階を示していると見る学説があります。しかし上に述べた見解によれば、申命記の律法は、過渡期の段階において必要とされる幾つもの神々の社や祭儀場を想定する必要がないようです。公式の献げ物と礼拝の場は、やがてエルサレムだけに限定されますが、それはおそらくヨシヤ王の時代のことでしょう。
■第三区分(13〜28節):聖と俗の屠りの献げ物。
13〜16節の韻律は次のような構成になっています。
(1)あなたは注意せよ
(2)献げないように
(3)あなたの燔祭を
(4)いかなる場所でも
(5)あなたが見る(好む)ところの。
(1)むしろ場所で
(2)ヤハウェが選ぶところの
(3)あなたの一つの部族の所
(4)そこで
(5)あなたの燔祭を献げなさい。
(1)その場所であなたは行ないなさい
(2)すべてを
(3)すなわちわたしが
(4)あなたに命じるところの。
(1)ただあなたが願うすべてを
(2)あなたは屠りなさい。
(3)そして肉を食べなさい
(4)あなたの神ヤハウェの祝福によって
(5)あなたに与えられたところの
(6)あなたのすべての町(の門)で。
(1)汚れている人も
(2)浄い人も
(3)〔彼らは〕食べてよい
(4)かもしかのようなもの
(5)雄鹿のようなものを。
(1)ただし血を
(2)あなた(たち)は食べてはならない
(3)あなたはそれを地の上に注ぎなさい
(4)水のように。
これで見ると5:5/4:6/5:4の韻律構成になっています。では次に、21〜22節の韻律構成を見ることにします。
(1)もしも遠いのなら
(2)その場所が
(3)あなたの神ヤハウェが
(4)選ぶところの
(1)御名をそこに置くために、
(2)そしてあなたは屠りなさい
(3)あなたの牛の中から
(4)そしてあなたの羊の中から
(1)ヤハウェが与えたところの
(2)あなたに対して
(3)ちょうど
(4)あなたに命じたように。
(1)そしてあなたは食べてよい
(2)あなたの町で
(3)すべてにおいて
(4)あなたの願うとおりに。
(1)確かに
(2)それらをかもしかを(食べる)ように食べてよい
(3)そして雄鹿を(食べる)ように
(4)そのようにあなたは食べてよい。
(1)汚れた人も
(2)浄い人も
(3)一緒になって
(4)彼らは食べてよい。
このように21〜22節は、4:4/4:4/4:4/の韻律構成になっています。以上見てきたように、いろいろな韻律が混在して複雑な構成を採ってはいますが、これで見ると4歩格の韻律が、ひとつのベースになっているように見受けられます。日本の仏典でも四文字が韻律を形成する単位のひとつになっていますが、これにはなにか共通する要因が潜んでいるのでしょうか。
次に20〜28節の内容の構成を見ることにします。
【A】20節:肉を食べたい場合は、好むだけ食べてもよい。
【B】21〜22節:神が選ぶ場所が遠いなら、自分の町でたべてもよい。
【X】23〜25節:肉を食べてもよいが、血は食べてはならない。
【B’】26〜27節:聖なる献げ物は神の選ぶ場所へ携えなさい。
【A’】28節:注意してこれらの定めを守りなさい。
ここで焦点になるのは、地方での献げ物の場合、肉を食べてもよいが血をたべてはならないことです。後半では、地方から中央聖所に移ります。ここでは聖と俗の目的で、犠牲の獣を屠ることが定められていますが、「聖」とは年に三度の巡礼の祭りでは、中央聖所で獣を屠ることであり、家族全員が旅をして中央聖所で共同の犠牲の食事をしなければなりません。「俗」とは、それぞれの地方の「集会」で、年間の暦に従って家族のために屠ることを指します。
12章13節に「自分の好む場所で犠牲を献げてはならない」とあるのは、サウル王が預言者サムエルの指示に反して行なったことに関連します。サウルは申命記12章の定めを破ったために、その重罪の結果、王位を失うことになります(サムエル記上13章8〜14節)。第三区分では、燔祭を自分の好む場所で献げてはならないこと、地方での祭りを容認すること、血を食べてはならないことなど、相互に異なる規定が一つにされていますが、これもサウル王の出来事に起因するものでしょう。サウル王は、モーセの律法に違反して血を含んだまま食べた兵士たちを非難しました(サムエル記上14章32〜34節)。申命記12章22節の「汚れた者」と「浄い者」についても、サウル王の物語が関係しています。サムエル記上20章26〜34節では、サウルは、宴会に招かれていたダビデが出席しなかったのは「(ダビデが)汚れている」からだと考えました。王の招きは中央聖所での会食にあたるからです。ところが、ダビデは、離れた地方にあるベツレヘムの「自分の家族の所」で犠牲を献げていたのです。ここにも申命記12章が反映しています。サムエル記上20〜26章のサウルとダビデの物語全体は、申命記12章を踏まえて構成されていると考えられます。
申命記12章17〜19節もサムエル記上21〜22章のダビデの物語と関連しています。ダビデは、サウル王の手を逃れてノボの祭司アビメレクを尋ねてパンを求めます。しかし神に献げた供えのパンしかなかったので、ダビデと彼に従う者たちはその聖なるパンを食べます。しかし「収穫の穀物でできた献げ物を食べてはならない」(申命記12章17節)とあるのは、このようなパンのことですから、ダビデはあえてこれを食べたことになります。また、同19節には「レビ人をみすててはならない」とあります。ところが、ノボの祭司の家族は地方のレビ人であるのに、ダビデを助けたとしてサウル王に殺され、一人アビアタルだけがダビデの下へ逃れます(サムエル記上22章18〜20節)。だからこの物語の背景には、申命記12章17〜19節があると考えられます。
申命記12章20〜28節では、イスラエルの各部族にそれぞれの領地が割り当てられます。すると、献げ物すべてを中央聖所へ携えることが困難になりますから、地方での献げ物を食べることが認められるようになります。ただし、中央聖所での献げ物の規定は、地方の場合にも適用されて、「血は祭壇に注がれ肉だけ食べる」ように命じられています(12章27節)。筆者の見るところ、ここでクリステンセンが言う「中央聖所」とは、イスラエル12部族がそれぞれの領土を割り当てられた頃のことですから、エルサレムの聖所のことではなく、シロの聖所のことです。だから、クリステンセンによれば、申命記の古い規定はすでにこの頃か、それ以前から存在していたことになります。クリステンセンは、申命記の編集と成立が、このように長い年月にわたって徐々に成立していったと見ているのが分かります。
13〜14節で、「あなたの一部族の中に選ばれる場所で燔祭(焼き尽くす献げ物)をささげなさい」とあります。「一部族の中に」という言い方はあいまいで、これはおそらく「(どこか)一箇所の聖所」のことではなく、「一部族の聖所」(中央聖所)のことであろうと考えられます。特に「燔祭」があげられていますが、これも必ずしもそれだけでなく、すべての献げ物を含んでいると思われます。
15〜16節では、狩りの獲物は犠牲としてではなくそのまま食べることができるが、家畜類(牛や羊や山羊)は、たとえ食用が目的であっても、必ず祭壇の上で犠牲の献げ物として屠り、血が祭壇に注がれ、特定の内臓が焼き尽くされてから、食用にすることを指すと思われます。また、「あなたたちの町でも屠って食べてよい」とあります。古代イスラエルの農耕暦は、一年を七週ごとに七つに区切って持たれる「集まり」で成り立っていました。その中の二つ、七週祭(刈り入れ祭)と種入れぬパンの祭り(後の過越祭)とは、ほかの五つの七週祭(「あなたたちの町」での祭り)から区別されていたのです。三つの祭りだけは、「ヤハウェの選ぶ場所」である中央聖所へ集まって祝うことになっていました。十分の一の献げ物もまた地方の集まりで食べることができます。ここで言う「汚れた者も浄い者も」とは、これら地方での「集まり」のことであって、「汚れた者」が「ヤハウェの選ぶ中央聖所」で犠牲を食べることは許されませんでした。「血を水のように流す」とあるのも、古代イスラエルでは、血は「聖なるもの」であり、食べてはならないが、中央聖所への巡礼の祭りでは、特に血の扱いに注意を払うことが定められているのです。
17〜19節では、十分の一の献げ物や新しい収穫物や初子などは、レビ人と共に家族で食べることが許されます。
20〜21節で、「ヤハウェがあなたの領土を広げた時」とあるのは、ダビデ王の時代までは実現されませんでした。ここは、地方が中央聖所から遠く離れているために、犠牲の献げ物を携えることができないので、「あなたの町で」献げて食べることが許されるのです。ただし、この場合でも、犠牲の献げ物同様に、喉をかき切る方法で屠ることが求められます。
22節で、「汚れている者も浄い者もたべることができる」とある犠牲は、中央聖所での三大祭りの犠牲から区別されています。ここは、中央聖所と地方との犠牲の区別だけを念頭に置いているのです。
23〜25節で「血を食べるな」とあるのは、「血は命」だからです(創世記9章2〜4節)。だからここでは、「自分の目に正しいと思うこと」(12章8節)をおこなってはならないのです。
26〜27節での「あなたが献げるべき聖なる献げ物」とは、中央聖所で献げるべき物を指します。古代イスラエルでは、これらの「聖日」に献げるべき十分の一の献げ物、供え物、犠牲などが、それぞれの農家ごとに決められていました。
28節の「これらすべての言葉」とは、申命記の1章1節でのモーセの言葉のことです。この節は、12章1節と対応して全体を囲い込む働きをしています。「ヤハウェの目に正しいこと」とは、12章8節と25節とに関連しています。
以上見てきた第三区分の内容をまとめると以下のようになります。先ずモーセがモアブの地で亡くなる以前においては、イスラエルの民はそれぞれ好む場所で犠牲を献げていたようです。しかし、レビ記17章1〜9節では、イスラエルの民が犠牲を献げる場所は、必ず主の臨在の幕屋/会見の天幕の前でなければならないと定められています。これによれば、荒れ野の旅においても臨在の幕屋/会見の天幕がすでに存在していて、民はそこで犠牲を献げなければならなかったことになります。
レビ記の規定は、申命記12章15〜16節で語られる内容と矛盾するようにも思われます。なぜなら、申命記では、血を正しく処理するならば、食用の獣の屠りは、必ずしも中央聖所の犠牲の祭壇の前でなくても許されると定めているからです。
この問題はユダヤ教の「ミシュナ」(紀元後200年頃〜400年頃)でも問題にされて、ラビの間で論じられました。レビ記と申命記との規定がどのように整合できるのかは、レビ記17章3節の動詞「屠る」(シャーハット)をどのように理解するかにかかってきます。ラビ・イシマエルによれば、レビ記は中央聖所以外の場所でのいかなる動物の屠りをも禁じていることになるが、申命記12章は、この禁令を緩和して中央聖所以外での動物の屠りを認めたと解釈しました。イシマエルによれば、レビ記は、イスラエルの古い/以前の段階の規定に属することになります。
これに対してラビ・アキバによれば、トーラーは、俗の目的(食用のため)の獣の屠りを指しているのではなく、レビ記17章の規定は、祭壇での屠りについて定めているにすぎないと解釈したのです。だから、ラビ・アキバによれば、レビ記の規定は、古代イスラエルでの平俗の食用の獣の屠りのことではなく、祭壇に犠牲として献げられる物だけは、臨在の幕屋の入り口で行なわれなければならないことになります。アキバの解釈では、レビ記の規定は平俗の食用に関することではありませんから、申命記12章は、レビ記の禁令を緩和したことにはなりません。なぜなら、レビ記17章と申命記12章とは、祭殿での犠牲に関する正しい手続きについては、本質的に同じことを述べているからです。
古代イスラエルでは、契約の箱はヤハウェの臨在を象徴していて、エバル山での契約更新(ヨシュア記8章30〜35節)に始まり、神は最初にシロの地に中央聖所を設けました。これがダビデ王の時代にエルサレムへ移され、続いて、ソロモン王の時代にエルサレムの神殿に置かれ、ここが犠牲を献げるべきヤハウェの選ぶ場所となったのです(歴代誌下7章12節)。
クリステンセンによれば、イスラエルの民が荒れ野を旅していた間は、彼らは臨在の幕屋以外の場所で殺されたいかなる獣の肉をも食べることはしませんでした。その肉の一部を必ず神への犠牲の献げ物としたからです(レビ記17章3〜4節)。しかし、約束の土地に入り、多くの部族には、中央聖所の幕屋が遠い場所になったために、犠牲の肉の一部を必ずしも中央聖所へ携えなくても食べることが認められたのです。しかしこの場合でも、「ヤハウェが与えた祝福に従って」肉を食べなければなりません(12章15節)。また、その血を食べてはならず、地方で屠る場合でもこれを流さなければならなかったのです(同23〜25節)。
クリステンセンによれば、申命記のこれらの規定は、新約時代のキリスト教徒の場合にそのまま適用されませんが、主から与えられた物は、必ず貧しい者たちと、同時に「レビ人」、すなわち主のご用にあたっている人たち(教役者たち)と分かち合わなければならないのです。
■第四区分(29〜32節):カナンの宗教と礼拝を避けなさい。
12章29〜32節は、13章への序文であって、異教の神々の罠にかからぬよう警告しています。12章1節〜13章1節は、次のようなカイアズムスを形成しています。
【A】12章1節:これらは掟と定めである(まとめ)。
【B】同2〜7節:異教の社を壊しヤハウェを礼拝せよ(ほかに神はない)。
【C】同8〜12節:中央聖所で献げ物を行ないヤハウェを礼拝せよ。
【X】同13〜22節:聖と俗との犠牲を区別せよ。
【C’】同23〜28節:肉は食べてもよいが血を食べるな。
【B’】同29〜31節:あなたが排除した神々を拝むな(ほかに神はない)。
【A’】13章1節:あなたたちは何も加えず何も減らすな(聖典への命令)。
これは、左右3本ずつで構成される7本の「燭台」(メノラー)のパターンで、内容的に見ると、ここはいわゆる「祭壇規定」です。しかも、12章29節〜13章1節は、このカイアズムス全体の結びであり、同時に12章1〜7節と対応してモーセの十戒の第一「わたしのほかに神はない」と第二戒「いかなる偶像も造ってはならない」を確認しているのが分かります。この規定は中央聖所での礼拝と特にこれに関わる動物の犠牲の献げ物に関係するものです。
さらに12章29節〜13章1節それ自体もまた、ひとつのカイアズムスを形成しています。
【A】29節:あなたたちが諸民族を追い出しその地に住まう時。
【B】30節:彼らの神々を求めたり仕えてはならない。
【X】31節前半:あなたたちの神ヤハウェにはそのように行なうな。
【B’】31節後半:彼らはその神々の前であらゆる忌むべきことを行なった。
【A’】13章1節:わたしの命令を心して守り、何も加えず何も減らすな。
このパターンで見ると、【A】【A’】は申命記全体の主題で、律法(トーラー)を覚えて守ることです。【B】【B’】は、その内部を構成しており、他の神々を否定する内容です。中心の【X】は、ヤハウェにはそのように行なってはならないとあります。
ここで、ヘブライ語のテキストに潜む「数秘(学)」"numerology"について説明しなければなりません。ヘブライ語のそれぞれのアルファベットは、数をも表わします。初めから10番目までは、1〜10を表わしますが、11番目の「カフ」は20を、12番目の「ラメッド」は30を表わし、以下「コーフ」(100)にいたり、20番目の「レーシ」は200となり、最後の「タウ」は400です。これとは別に、今度はアルファベットの文字の順番に1から22までの番号をも振り当てられています。
そこで、「ヤハウェ」を表わすヘブライ文字は、英語のアルファベトで代用すれば、<IHWH>です(ヘブライ語は英語と逆に右から左へ読みますが)。文字を数字に置き換えますとI(10)+H(5)+W(6)+H(5)=26になります。「ヤハウェ」を古い読み方で「アハウェ」と読むなら、AHWHになりますから、A(1)+H(5)+W(6)+H(5)=17になります。したがって、<17>と<26>は、神の名前を表わす二つの重要な意味を帯びています。
これと並んで、ヘブライ語の「栄光」は「カーベッド」(KBD)です。この語を今度はアルファベットの順番に合わせた数で置き換えると、K(11)+B(2)+D(4)=17になります。ところがK(カフ)は20をも表わしますから、カフだけをこの数に置き換えて読むならば、KBDはK(20)+B(2)+D(4)=26になります。だから、<17>と<26>は、「ヤハウェの栄光」を意味する重要な神名になります〔Christensen, Deuteronomy.ciii.〕。
ところで、申命記12章1〜28節(第一区分から第三区分まで)は、全部で459語です(語数の数え方のルールは複雑で説明を控えます)。459=17×27です。また、この部分を主節と従属節とに分類するなら、主節に属する語数の総数は234=9×26になります。このように12章には、<17>と<26>の二つの神名が織り込まれていて、それがヤハウェの言葉であることを象徴していることになります。筆者の見るところでは、このような数秘を扱う場合には独特の難しさがありますから、注意を要しますが、この問題は後で採りあげることにします。以上、韻律と構成と数秘について見てきたので、本文の内容に入ります。
そこで12章の1〜28節を数秘的に見ると、1〜28節全体の語数は459=27×17(~名数)を表わします。これに、同1〜31節までを加えると、全体の語数が520=20×26となって、もう一つの~名数(26)が織り込まれているのが見えてきます。
ここのカイアズムスは、サムエル記上26章でダビデがサウル王の下を逃れて他の王の下に逃れた物語と関連します。サウル王は、ダビデを追放したために、ダビデはガテの王アキシの下に逃れ、こうしてサウルは、ダビデがヤハウェの憎む他の神々を礼拝するように仕向けたからです(同19節)。しかしダビデはそのような忌むべきことを行なわなかったのです。これに対して、南王国ユダのアハズ王は、まさにここで申命記が禁じていることを行ないました(列王記下16章2〜4節)。
■クリステンセンの解釈について
以上クリステンセンの申命記12章の解釈を紹介しました。これを見れば、彼の聖書解釈の方法は、いわゆる歴史的文献批評の方法論とは全く異なることが分かります。歴史的な方法論は、言わば申命記などの諸文書を歴史の「時間軸に沿って」、その成立過程を解明しようとするもので、このような方法を「通時的」(ディアクロニック)な解釈と言います。これに対して、クリステンセンは、聖書本文そのままをいわば現在の状態のままで解き明かそうとするもので、このような方法は「共時的」(シュンクロニック)な解釈と言われています。
共時的な解釈法では、聖書本文の複雑な形成過程やその過程に潜む歴史的背景などには直接関わらず、もっぱら本文を構成しているテキストそれ自体をありのままに受け容れて、その本文を構成している原理を解明しようとします。とは言え、クリステンセンの注釈にあるとおり、彼はノートやフォン・ラートなどの歴史的批評のこれまでの経過を心得ていて、決してこれを無視しているのではありません。この点で、いわゆる原理主義的な逐語霊感説に基づく解釈法とは異なりますから、注意してください。
では、その共時的な解釈とはどのような方法かと言えば、クリステンセンの場合は、大きく分けると次の三つによると思われます。
(1)聖書本文にカイアズムス "chiasmus" のパターンを適応して、本文を構成する大小様々なカイアズムスを見出し、これらを組み合わせることで、本文がどのように構成されているのかを確定し、そこから、本文の「内容」がどのように構成されているのかを探る方法です。
(2)カイアズムスを見出す最も基本的な方法は、韻律 "meter" です。この韻律もまた幾つもの構成のパターンを採りますから、それらの構成とカイアズムスとを組み合わせることで、いっそうきめ細かな本文の構成と、同時にその内容を解明しようとするのです。
(3)これと同時に大事なのは、本文に潜む「数秘」 "numerology" の構造です。数秘の発見方法にもいろいろありますが、クリステンセンの場合は、主として、聖書本文のアルファベット文字の示す「数」と「語数」による数秘の構成を読み取ろうとするものです。
「カイアズムス」「韻律」「語数」「数秘」を確定するために、彼の注釈には膨大な文献目録が併記されており、また韻律の解明には、ヘブライ語聖典の朗唱方法、すなわちその発音の解明についての分析と解説があり、また、これに伴って、本文の詳細な「テキスト批評」が、それぞれの部分について行なわれています。これらを説明するのはとても筆者の力の及ぶところではありません。
しかし、クリステンセンのこの解釈には、それなりに問題点があります。先ず、カイアズムスの構成です。多数の学者の説を参考にしているとは言え、これだけ複雑なカイアズムスともなれば、同じ方法論に準拠するとしても、学者によって細かなところでは意見の食い違いが生じるのは避けられないと思われます。これに韻律構成が重なりますと、分析結果は、かなり多様な説に分かれるでしょう。だから、クリステンセンの分析が、本当にどこまで的確なのか、そこには著者の思いこみや恣意的な分析が入り込んでいないか? これを考慮に入れなければならなくなります。
次に問題になるのは、数秘の扱いです。数秘は旧約聖書だけでなく、ヨーロッパ文学においても、特に詩の構成に大事な方法として用いられてきました。クリステンセンの数秘構成は、主として本文を構成する文字が象徴する「数秘」と、本文を構成する語数によって判別しています。数秘や語数は、ヘブライ文学だけに限りません。例えば、16世紀後半のイングランドの詩人スペンサー "Edmund Spenser" (1552?〜1599年)は、ルネサンス期を代表するイギリスの詩人の一人ですが、彼の小篇『祝婚歌』"Epithalamion" は、全体が24のスタンザ(節)から成り、全体の行数が365行で形成されています。ここでは24が一日の24時間を表わし、365行が一年の365日を象徴しています。さらに、24スタンザの最後のスタンザがそれまでのと行数が半分になっています。この23.5は、地球の赤道と太陽の巡る黄道とが交わる角度23.5度を象徴します。さらに、24スタンザ全体は、昼と夜との12スタンザ(12時間)にわかれていて、全体が、3:4:3:2/3:4:3:2のスタンザ数に分かれていて、24時間の巡りを昼の12スタンザと夜の12スタンザのカイアズムスとして構成しています〔Motohiro Kisaichi, Spenser: Epithalamion. Yamaguchi-shoten (1982).30/43.〕。
『祝婚歌』の構造についても、細部にわたると諸説があります。特に注意を要するのが数秘の扱いです。24や365の場合は比較的その象徴の意味が分かりやすいのですが、問題は幾つかの数を掛け合わせたり足したりする場合です。例えば、5(幸運)=3(男性数)+2(女性数)/6(愛情)=3(男性数)×2(女性数)ですが、これは、5=2+2+1ともなるし、6=4+2にもなります。4は、4元素、4方向、4季など、いろいろな解釈が可能です。また365=91+91+91+92に分けることもできますが、はたしてこのように割り出した日数(91/92)にどんな意味があるのかが問題になります。
クリステンセンの申命記の分析でも、26と17が「ヤハウェの栄光」を象徴する鍵となる数秘を構成しています。しかし、「ヤハウェ」を構成する文字が象徴する数秘が、「ヤハウェ」の最初の文字を別の文字に置き換えることで数秘を割り出していますから、この辺にいささか不安が残ります。また、12章の語数を459=27×17(~名数)と同1〜31節までを加えて全体の語数を520=20×26としていますが、このような分析がどこまで正当なのかが、論じられ確認される必要があります。
数秘についての問題点を指摘しましたが、今度は、このような分析による内容の解釈のほうに目を向けたいと思います。カイアズムスや数秘は、一般的に本文の構成を客観的に分かりやすく提示してくれますから、テキストの内容を理解する上でとても大事な意味を持ちます。しかし、実を言えば、数秘構造は、それ以外の方法では、テキストの内容が整理できないような複雑で、混沌とした内容を扱う場合に最も有効な手段であることを知っておく必要があります。
数秘構造の代表的な例が、ヨハネ黙示録です。これは、全体が7という数字で構成されていて、7のそれぞれがまた7に分かれるという、複雑な数秘構成を採っています。この「7」構成は、ヨハネ黙示録が提示する内容が、整然として分かりやすいから用いられているのではありません。事実はその逆で、ヨハネ黙示録には、内容的にとても処理できないような、様々な象徴やイメージが、それも混沌とした状態で渦を巻いているのが分かります。7構成を幾つか組み合わせることで、読む人に全体を秩序立てて提示してくれるのが数秘構造なのです。
旧約聖書のカイアズムス構成の研究者としてランドボムがいます。彼の『エレミヤ書』"Jack R. Lundbom. Jeremiah. A Study in Ancient Hebrew Rhetoric. Eizenbrauns (1997)." は、エレミヤ書の複雑な預言構造をカイアズムスを用いて解明しようとする試みですが、その序文によれば、このような分析方法は、古代から「修辞的批評」と呼ばれていたもので、アメリカで1900〜1925年にかけて新たによみがえり、マタイ福音書の解明などにも適用されたようです〔Lundbom. Jeremiah.xixff. 〕。ランドボムのエレミヤ書のカイアズムス研究は、その修士論文(1973年)に端を発したようです。
エレミヤ書に限らず、イスラエルの預言書は、神の啓示が与えられるままに告げられた神託や預言や幻で成り立っていますから、それ自体混沌として収拾がつかないほど、複雑で錯綜した内容を具えています。このような預言を一つの全体的なまとまりとして構成するためには、カイアズムスが重要な役割を果たしていると考えられます。このような解釈と構成法は、イスラエルの知恵思想から来る聖書解釈の伝統に基づいています。
こういう共時的な構造解明の聖書解釈は、聖書本文を整理して、そこで語られていることを分かりやすく構造的に提示してくれるものです。しかし、同時にこのような解釈法に具わる問題点にも注意する必要があります。なぜなら、この方法では、テキストの「表層の構造」は理解できますが、その構造が、テキストの内奥にどこまで届くかは別だからです。喩えて言えば、深い海の表層の海流は比較的容易に読み取ることができます。しかし、その表層が、はたしてどのように海底の流れと対応するのか、これを読み取るのは容易でありません。場合によっては、表層とは全く逆の流れが海底で生じているかもしれないからです。
同じように、テキストの表層の構成が判明したとしても、そのような構成が、テキストに秘められた内奥とどのように対応するのか? これを見分けるのはなかなか難しいのです。ヨハネ黙示録の場合でも、7構成の低層には、新約聖書は言うまでもなく、旧約聖書の様々な表象をも含み、さらに言えば、カナンのウガリット神話や古代バビロニアの神話までさかのぼる人類の「原神話」が、底流に潜むのが見えてくる可能性があります。それにしても、欧米の旧約学には、日本で紹介されている歴史的文献批評に基づく解釈の方法論とは、全く異なる別の解釈の流れが存在していることをわたしたちは知る必要がありましょう。
ヘブライの伝承へ