18章 祭司資料編集者たち
■P資料と祭司資料編集者たち
 「P」(Priest)も「J」や「E」と同様に、資料と人たちとの両方の意味で用いられています。しかしここでは、資料のほうを「P資料」と呼び、人たちのほうを「祭司資料編集者たち」と呼ぶことにします。P資料は、創世記1章1節〜2章4節前半がその最初の部分ですが、P資料の終わりはどこまでなのかが問題です。P資料はモーセ五書に限られているという説とヨシュア記まで続いているという説とがありますが、ヨシュア記まで含めるほうが正しいようです。ただし、創世記と出エジプト記と民数記の中のP資料は、単一ではなく、「P」と「H」と呼ばれる二つの学派(?)による合成だと考えられます〔Anchor(5)454〕。P資料をさらに二種類にふるい分けるのはあまりに細かすぎるので、ここでは、全体をP資料として見ていくことにします。
 P資料は、主としてイスラエルの祭儀制度や法制度に関わる部分が多いとされています。P資料が扱う時代は、天地創造の時と、人間の堕罪やノアの洪水やバベルの塔などのアブラハム以前の時代と、アブラハムに始まる族長時代とに及びますが、これらの時代を結合するために、祭司資料編集者たちは系図を用いています。これによって、人類の始まりとアブラハムの選びとイスラエルの選びの物語がつながるのです。
 モーセ五書の資料分析の最初期の段階では、P資料が最も古い資料だと見なされていた時期があり、P→E→J→Dの時代順だと考えられていました。しかし、この見方は大幅に変更されることになります。ここでP資料とこれ以外の資料との関係について、今までの諸説をごく簡単にまとめてみます〔『旧約新約聖書大事典』教文館(1989年)1190〜92頁〕。
 ユリウス・ヴェルハウゼン(Julius Wellhausen:1844-1918)は、モーセ五書を構成する4種類の資料をそれまでのP→E→J→DからJ→E→D→Pへと改めました(以下の年代は断わりのない限り紀元前です)。彼は、(1)イスラエルの最古の歴史書はJ資料(850年頃)とE資料(750年頃)であり、(2)J資料のほうがE資料よりも古いと考えました。次に(3)申命記史家(たち)の基となる原申命記は7世紀(621年)に神殿で発見されたヨシヤ王の律法の書(列王記下22章8節)と同じであると考えました。その結果(4)創世記から民数記までの四書に含まれている律法に関する部分(出エジプト記25〜40章/レビ記/民数記?)とこれを含む物語の全体が、J資料とE資料とD資料(申命記史家たちの資料)によると見なされるようになりました。したがってP資料は、これらよりも後の時代のもので、P資料は捕囚期の後に初めて公布されたと考えたのです。ヴェルハウゼンによるJ→E→D→P説は、現在でもなお主な基準と見なされています。
 ヘルマン・グンケル(Johann Friedrich Hermann Gunkel: 1862-1932)は、旧約聖書の文学類型を本格的に分析することで、旧約聖書の文献批評を開拓した人です。ハンス・シュミット(Hans Schmidt: 1877-1953)はグンケルの弟子で、旧約聖書の類型的な理解とその評価に努めました。彼は、モーセ物語全体において、ヤハウィストのJ資料が、申命記史家(たち)の資料や預言者の伝承と親近性があると考えて、ヤハウィストは、申命記史家(たち)の資料に基づいて記述していると推定し、このために、ヤハウィストはソロモン王時代の初期の人だと見なしました。ユーゴー・グレスマン(Hugo Gressmann:1877-1927)は、ヴェルハウゼンの弟子ですが、彼は、宗教史的な視点から類型的な様式による伝承批判をさらに進めました。
 申命記史家たち(the Deuteronomists)は「申命記学派」とも呼ばれます。彼らは、申命記、ヨシュア記、士師記、サムエル記上下、列王記上下を編集してこれらの文書を記した人たちです。彼らの記述は、申命記の律法的な精神に基づくもので、その史観は「申命記史家的史観」(the Deuteronomistic History)と呼ばれています。彼らは、ヨシヤ王の宗教改革(622年)以前から活動を始めて、捕囚期にもなおエルサレムに留まり、さらに捕囚期以後までも活動した人たちだと見なされました。
 マルティン・ノート(Martin Noth: 1902-68)はグレスマンの分析を受け継ぎました。彼は、いわゆる「イスラエル民族」とは、ほんらいカナンのシケムにおいて結成された契約共同体のことであり(ヨシュア記24章)、十二部族は、ゆるやかに連合しながら、ヨシュアによって課せられた「ヤハウェ契約」に基づいて信仰とその宗教的祭儀とを形成したと見ています。グレスマンは、十二部族連合の結成後において初めて、各部族の口頭の諸伝承が結合されてモーセ五書が形成されたと見なしました。ただし、モーセ五書の物語が全体として成立したのは、捕囚期以後のエズラの時代になってからです。ノートによれば、J資料もE資料も過越祭も出エジプトも、ほんらいは別個の諸伝承であったことになります。彼の『イスラエル史』(初版1950年)はモーセ五書を伝承史的な方法を用いて大系づけようとした著作です。しかし彼の旧約史観は呪いと裁きに重点が置かれていて、それだけに暗い史観になっています。
 フォン・ラート(von Rat)はノートの歴史伝承を受け継ぎましたが、モーセ物語でのヤハウィストの役割を過小に見て、エロヒストを過大に見る傾向があります。彼によれば、モーセは奇跡も行なわず宗教の創始者でもなく軍事指導者でもないことになります。ヴァン・セータース(John Van Seters.1935年生まれ)は、フォン・ラートを批判して、ヤハウィストの年代を大きく引き下げました。セータースの説は、ある意味でシュミットの説に近いところがあります。彼は、J資料とこれの周辺にあるP資料との関係に注意して、ヤハウィスト物語を復元しようとしました。セータースはエール大学で、チャイルズ(?)(Brevard S. Childs)の指導を受けた人です。
 このように、ヴェルハウゼン以後は、P資料が最も新しい時期のものであると見なされるようになり、したがってJ→E→JE→Pという順序になります。もっとも、この時期的な順番も最近では崩れていますが。P資料には「神聖法集」(レビ記17章〜26章)や「献げ物」に関する規定(レビ記1〜8章)などが含まれていますが、これらの資料も幾つかの段階を経て編集されたと考えられます。P資料の編集が始まったのは、6世紀のバビロン捕囚中のことであり、バビロンで、ユダヤ教の祭司学者たちが編集したと考えられますから、この人たちを「祭司資料編集者たち」と呼ぶのです。P資料の編集が終わったのは、捕囚期の終わり頃であろうと推定されます〔『旧約新約大事典』501頁〕。
 ただし、このような見方は、現在このままでは支持されていません。一つには、祭司資料編集者たちのバビロンでの編集作業と時期的に平行して、捕囚期間中のパレスチナにおいても、南王国ユダの地で、ユダヤの申命記史家(一人説と複数説との両方があります)が、聖書の編集作業を進めていたと見られるからです。主として英米の学説では、申命記史家たちの編集は、ヤハウィストの頃から祭司資料編集者たちの頃までと考えられていますから、かなり長期にわたる編集になります。しかし、ドイツ系の学者の説に立てば、申命記史家(たち)の編集は、祭司資料編集者たちと同じ頃の捕囚期からその後に及ぶことになります。この節だと、申命記史家(たち)の編集は英米説に比べてかなり後の時期になります。さらに、ヴァン・セータースが唱えるように、ヤハウィストが捕囚期の人物であるとすれば、問題はいっそう複雑になります。なお、この問題については、トーマス・レーマーが、その著書The So-Called Deuteronomistic History. (2005)〔山我哲雄訳『申命記史書』日本基督教団出版局〕で、両説を統合して、ヨシヤ王の時代に始まり、ペルシア時代にいたるまでの申命記学派の編集が提示されています。
■P資料を見分ける
 祭司資料編集者たちによるP資料は、捕囚期以前から捕囚期の終わり頃までの時期(前6世紀)に記されたと考えられます。創世記で見るならば〔関根正雄訳註『創世記』岩波文庫〕、1章1節〜2章4節前半「これが天地創造の由来である」までは、神名に「エロヒーム」だけが用いられていますからP資料であることが分かります。これに対して創世記2章4節後半の「ヤハウェ神(ヤハウェ・エロヒーム)が天と地を造られた日」から同24節まではJ資料です。「ヤハウェ」はモーセ以後にイスラエルの民に啓示された神名です。続く3章の堕罪の出来事でも「ヤハウェ神」が用いられていますから、ヤハウィストによるJ資料からです。
 続く4章のカインとアベルの物語とこれに続くカインとセツの記事には、「ヤハウェ」だけが神名として用いられていますから、これもJ資料になります。ただし4章25節には「神(エロヒーム)が別の種をわたしに与えた」とあり、ここに「エロヒーム」がでてきます。続いて26節に「この時初めて人々が(神を?)『ヤハウェ』と呼んで祈った/崇めた」とあります。ここでは「ヤハウェ」だけが用いられていて、「エロヒーム」が抜けていますが、その理由はよく分かりません。4章17〜26節は、3章の「ヤハウェ・エロヒーム」とあるJ資料よりもさらに古い伝承から出ているという見方もできますが、どうもそうではないようです〔Gordon Wenham. Genesis 1-15. WBC.(1987)〕。創世記4章26節は、エノシュ(原義は「人」のこと)が生まれた頃に初めてイスラエルの神(エロヒーム)を「ヤハウェ」と呼ぶ礼拝が始まったという意味でしょう〔Skinner, Genesis. 127.〕。ヤハウィストは、エロヒストや祭司資料編集者たちと異なって、エノシュの時代からヤハウェの宗教が始まったと見ているのです。だから、ここもP資料ではなくJ資料に入ります〔関根『創世記』164頁〕。
 創世記5章のアダムからノアの子たちまでの系図は、「エロヒーム」とあってP資料ですが、29節だけに「ヤハウェ」が出てきて、この節はJ資料でしょう。このようにP資料には系図が多く用いられています。
 P資料それ自体の中で、その時期的な編集の跡を見分ける方法を例示すれば、レビ記4章6節に、罪を犯した祭司は、その罪の贖いのために、「聖なる垂れ幕の前で主の御前に七度血を振りまく」とあります。「垂れ幕の前で」とあるのは、直前のレビ記4章4節に「主の御前に」とあるのと適合しません。「主の御前に」とは至聖所にある祭壇を指しているからです。さらに、4章7節では、「香を焚く祭壇」と同8節の「焼き尽くす献げ物の祭壇」とが区別されていますが、ほんらい燔祭の祭壇は一つだけであったはずです。ここにも時期的に異なる二つのP資料が混在していると考えられます。捕囚期以後の第二神殿では、神殿の「聖所」で「香を焚く祭壇」に血を塗る祭儀は廃れていたと思われます。だから、レビ記4章3節の「油注がれた祭司」に関する贖罪の規定は、捕囚期以後では事実上行なわれず、理念的な規定に留まっていたと思われます〔Noth, Leviticus. 39.〕。 
 P資料の中での時期的な差を示すもう一つの例をあげると、民数記18章1〜7節では、アロンとその祭司たちが幕屋の祭壇で勤めることが語られています。その際に、レビ人が祭司たちを「助ける」ように定められています。アロンもレビ人の一族ですが、民数記18章2節では、祭司とレビ人とは区別されていて、レビ人は祭司を「助ける/補助する/つなぐ」役目をします(「レビ」の語源は「つなぐ/助ける」の意味)。民数記18章2節はP資料ほんらいの規定で、神の幕屋での祭壇(燔祭の祭壇)にかかわる者を定めています。ところが同7節には、アロンとその祭司たちは「祭壇<と垂れ幕の奥>にかかわる事柄に奉仕する」とあります。しかし、レビ記16章2節では、<垂れ幕の奥>の至聖所には、大祭司アロンだけが年に一度入ることが許されるとあるのです。「垂れ幕」(パーローケット)は、捕囚期以後の第二神殿になってから設けられたものです。また「大祭司」制度も捕囚期以後のことです。だから、民数記18章7節の<垂れ幕の奥>は、ほんらいのP資料に、後期の祭司資料編集者たちが追加したと考えられます。レビ記16章2節での捕囚期以後の神殿に関わるP資料(垂れ幕の奥には大祭司のみがかかわる)と民数記18章の捕囚期以前の古いP資料(祭壇にはアロンと祭司たちがかかわる)とが、矛盾して共存していることになります〔Noth, Numbers. 135.〕。
■P資料と用語の変容
 P資料の時代経過を見分けるために、ある時代だけの制度/施設に関する用語を基準にすることもできます。また「悔い改め」の教義の変化もP資料を見分ける重要な要素になります。祭司資料編集者たちの用語には「時代錯誤」な用法があります。例えば、モーセ時代の衣服をことさらに擬古的に真似ようとする傾向です。ただし、「時代錯誤」かどうかを決定するのは必ずしも容易でありません。同一の作品の中で、はっきりと「後期の」用語だと分かる場合にのみ、その用語が、時代錯誤的な擬古調として用いられていることが分かるからです。
 もう一つの決め手となる基準は、用語の意味の変化です。しかしこれも、その用語の意味の時代的な変容過程を描くことができる場合にのみ有効です。しかも、新しい意味が、それ以前の意味と適合しない場合、あるいは矛盾する場合にはじめて変化が確認されることになります。これらの基準の例として「ミシュメレト」を採りあげます。
 「ミシュメレト」はほんらいアッカド語から出ていて、神殿でのお勤めあるいは境内の警護を意味しています。ヘブライ語では、「お勤め」と「警護/見張り」とが分かれることになります。「お勤め」(ミシュメレト)は、P資料におよそ76回でてきますが、幕屋との関連では、この言葉は「契約の幕屋」が汚れないように守ることにその意味が限定されていて、この勤めはレビ人と祭司の仕事とされています。レビ人は「ヤハウェの証し(エーダー)の幕屋(ミシュカーン)へのお勤め(ミシュメレト)」(民数記1章53節)にあたらなければなりません。これは幕屋の聖所が汚れることで「主の怒り」をイスラエルの民に招くことがないための「お勤め」のことです。彼らレビ人は「幕屋の前で彼(アロン)に対する彼らの勤め/務め(ミシュメレト)と、民全体に対する勤め(ミシュメレト)とを果たす」のです(民数記3章7節)。オリエント世界では、神殿の「汚れ」は悪霊的な働きによると考えられていましたが、イスラエルの場合は、その「汚れ」は人間の行為によって生じると考えられました。神への冒涜や罪、正しくない仕方でみだりに神殿に入る行為などがこれに当たります。
 ただし、この場合の「勤め」には、幕屋を解体して運んだり、これを建てたりする肉体的な労働作業(アボーダー)はいっさい含まれません。レビ人の任務は、契約の幕屋が罪に汚されないように「守る」という宗教的なお勤めに限られているからです。だから、レビ人は、「お勤め(ミシュメレト)を守るためであって、作業(アボーダー)を行なってはならない」(民数記8章26節)のです〔TDOT(9)73〕。だからレビの氏族たちは祭司と共に臨在の幕屋の周囲をそれぞれの氏族に従って「聖所への警護(ミシュメレト)」にあたるよう定められているのです(民数記3章14〜38節)。これは人間の行為による「汚れ」が侵入しないためです〔TDOT(9)74〕。
 ところが、コラたちがモーセに反逆した出来事(民数記16章1〜3節/17章11〜15節)を境にして、レビ人の「お勤め」の意味が変わることになります。この「書き換え」は、すでに民数記1章53節から始まり、「レビ人たちは、掟/証しの幕屋の<周辺に宿営して>掟の幕屋の警護(ミシュメレト)」を命じられるようになります〔TDOT(9)75〕。すなわちレビ人たちは、「幕屋の仕事(アボーダー)を行なう(アーバッド)」ように定められるのです(民数記3章7節)。祭司たちは、彼ら以外のレビ人たちや資格のない者たちがみだりに幕屋に近づくことがないように幕屋の神聖を守らなければならないからです(民数記3章10節/同18章1節)。このようにして、レビの「勤め」は、軍事的な機能をも含む「務め」へと変容することになります。祭司資料編集者たちの編集によって、みだりに聖なる場所あるいは物に近づくことで神の怒りを招き、民を危険にさらす者たちを殺す仕事がレビ人たちに与えられることになるのです〔TDOT(9)76〕。
■汚れと浄め
 祭司資料編集者たちの神学は、異教的な二元論や人間による魔術的あるいは呪術的な要素を排除して、唯一の神による一元的な支配を確立しようとするものです。したがって、神に敵対する悪霊や悪魔などよりも、むしろ、神に敵対する存在としての「人間」が重視されることになります。例えば皮膚病(レビ記13〜14章)や男女の尿道からの漏出(同15章)などは、完全に治癒しなければ浄められたとは認められません。治癒した後で初めて、浄めの儀式を受けることができます。
 レビ記14章1〜7節の独特の「鳥による浄め」は、悪魔払いに由来するものですが、もはやここでは象徴的な意味を帯びているだけです。またレビ記15章の漏出の場合でも、漏出物そのものが汚れているのであって、その人自身が汚れているとは見なされません。したがって、手洗いあるいは沐浴によって、自分の身を浄めることができます。レビ記16章6〜10節のアザゼルに捧げられる雄山羊の場合も、アザゼルは悪霊を表わしますが、雄山羊はこの悪霊に捧げられるために屠られるのではなく、荒れ野へ追いやられるだけです。この場合も、犠牲の献げ物ではなく、悪霊が「追い払われる」ことを象徴的に表わしていると見ることができます。ただし、このような悪魔払いは、長い過程を経ることで徐々に象徴化されたもので、悪霊と悪魔払いは、イスラエルの浄めの祭儀において、長い歴史を持っています。
 「聖なるもの」についても同様です。イスラエルの初期の時代には、神殿の聖所に宿る「聖なるもの」は、見ることによって、あるいは触れることによって、人に「働きかける」ことになりますから、「聖なるもの」に不用意に「触れる」ことは、その人の死を意味します(サムエル記下6章6〜7節)。しかし、後には、聖なるものは神殿の至聖所に限られるので、通常、人が聖性を帯びた物に不用意に触れても死を招くことはありません〔Anchor(5)455〕。ただし、エゼキエルは、聖性が人に「移行する」と見ています(エゼキエル書44章19節)。
 レビ記1〜16章における「汚れ」の問題に戻りますと、人体からの汗や尿などの様々な分泌物の中で、なぜ特に皮膚病と性器からの漏出と死体とが不浄と認定されたのかが問題になります。この認定は、祭司資料編集者たちの規定に関わることですが、それは「死」に関係するからでしょう。性器からの漏出は、命の源である精子と血を意味し、皮膚病の場合、その「外観」が特に重視されるのは、それが死体と共通する「現われ方」をするからで、「死が近づいている」しるしだと見なされたのです。だからミリアムが、皮膚病にかかったことは「死」を意味していたことになります(民数記12章12節)。
 「汚れ」の反対が「聖」ですから、「聖なるもの」は「命」に関わることになります。皮膚病が治癒することは、命が死に打ち勝ったことを意味します。祭司が聖所において、民の罪を贖罪によって「浄める」とは、聖なる命が死を克服することを象徴する行為だったのです(レビ記16章21節)。これは、異教世界におけるような善霊と悪霊との宇宙的な闘いではなく、人間それ自体のレベルで神の命と死とが闘い、命が死に勝つことを象徴する祭儀です。
 生と死の問題は、創世記9章5〜6節のノア契約においても見ることができます。「暴虐」(ハーマース)とは、流血/殺人を意味しています(エゼキエル書7章22〜23節参照)。ノア契約は、人類全体を視野に入れた規定であり、人類には倫理的な規範として流血と血を飲むことが禁じられ、イスラエルの民には契約規定として流血が禁じられるのです。
 この点では、P資料それ自体にも二つの異なる層を見分けることができます。「聖性」の空間的領域が聖所に限定されている層(P)があり、祭司と誓願したナジル人とは、この限定された聖なる領域に属する人たちに属しています(民数記6章5〜8節)。これに対して聖性がイスラエルの全土に拡大されている層(H)があります。聖性はP層では、聖所の領域に限定されているのに対して、H層では、イスラエル全体に関連し、それは「聖化する」という動的な性質のものとしてとらえられています。「聖化」と「聖性」という動と静との二つの関係は、動詞「カーダシュ」(聖別する)の分詞形として、レビ記21章8節に「わたし(主)はあなたたちを<聖別する>〔ピエル態分詞〕者」とあり、これに対して22章32節には「わたしはイスラエルの人々の間で<聖別されている>〔ニファル態完了分詞〕者」とあることに見ることができます〔Anchor(5)457〕。
 この二つの層の違いは、汚れにも関係します。P層では、主として倫理的な違反が問われていて(レビ記4章2節)、これは祭儀によって浄めることができます。しかしこれに対してH層では全イスラエルに及ぶ契約違反が問われていて、これは祭儀的な行為によって浄化することができません(レビ記18章24〜30節)。
■和解の献げ物
 「和解の献げ物」については、喜びや感謝や誓願成就、あるいは自発的な献げ物でなければならないとされています(レビ記7章11〜17節)。捧げられた生き物の肉は、家族や招待客と分け合うことになります(サムエル記上1章4節)。ただしこの場合、血をその肉と共に食べてはならないとされています。血は命であり、命は神のものだからです(創世記9章4節)。この規定はP層に属するものですが、H層はさらにこれに加えて、生き物を殺すのも、献げ物以外の場所で行なってはならないという規定を加えています(レビ記17章3〜7節)。この規定は、流血の罪を犯した者への神との「和解」をも新たに含むことになります。動物と言えども、流血は命を「殺す」行為と見なされているからです。
 「贖罪の献げ物」もまた流血への禁止と関係しています。禁止を犯す者には「汚れ」が生じることになるからです。祭司的な原理から見ると、罪はこれを犯した者を汚すだけでなく、「聖所をも」汚すことにつながります。これは、古来の連帯責任の考え方からくるものでしょう。邪悪な者を罰することは、同時に「正しい者たち」をもその連帯責任から免れ得ないことを意味します。邪悪な者が「聖所を汚した」場合、義人たちが、たとえそのことを知らずにいたとしても、邪悪な者たちの存在を許したその罪は、自分たちにも及ぶと考えられたのです。特に大祭司や民の指導者たちの罪は重大です。祭司的な発想によると、「聖所を汚す」ことは「社会それ自体を汚す/堕落させる」ことになるからです。こうして「何も言わなかった多数の者たち」もまた「聖所を汚す」行為の責任を問われることになります。「聖所を汚す」とは、神の聖性が失われることであり、それは「国土が滅びる」ことにつながるのです。異教世界では、聖所の汚れは悪霊の仕業とされましたが、イスラエルでは、悪霊ではなく人間の責任と見なされたのです〔Anchor(5)457〕。
 「賠償の献げ物」については(レビ記5章14〜26節)、「賠償」(「アーシャーム」)とは「やましい」(「アーシェーム」)と関連します。この場合、その行為を倫理的に「悔いる」ことと、神と人との前にその罪を「賠償する」献げ物との二つの行為から成り立っています。例えば、偽りの誓いの場合(レビ記5章20〜26節)、その偽りを悔い改めることによって初めて、賠償の献げ物が許されることになります。ここでは、たとえ故意の罪であっても、悔い改めることによって、その罪が「過失」による罪と同等に見なされ、したがって「賠償」によって赦されます。賠償の献げ物は、このように個人の良心と深く関係します。
 また、献げ物についての規定は、貧しい者たちへの配慮に富むものとされています。レビ記2章1節以下の穀物の献げ物に関する規定は、同1章14節の鳥を献げる規定に続いています。鳥の献げ物も貧しい人たちへの配慮から来るものですが、穀物のほうは、さらに貧しい人たちのために後から加えられたものです。ただし深刻な「汚れ」の場合は、穀物の献げ物では贖うことが許されません(レビ記12章8節)。
■流血と罪からの浄め
 祭司資料編集者たちの異教に対する姿勢は、その倫理性に基づいています。血は命と同一視されるだけでなく、侵すべからざるものです。獣の命さえも「殺し」と見なされるのであれば、人命の流血はなおさらです。このことは、聖所を汚すことへの厳しい恐れと結びついてきます。ただし、聖所は、犯罪者にとって、逃れの場でもあったことを忘れてはならないでしょう。聖所と流血に対するこのような倫理観は、主の戒め(ミツワ)として(レビ記4章2節)、さらに広い範囲にまで拡大されます。したがって、この禁忌を破った場合は、人間の側がまず悔い改めて、その後に初めて神と和解しなければなりません(レビ記5章24〜25節)。
 祭司資料編集者たちによる「浄め」の規定は、レビ記16章にでてくる「贖罪の供え物」と23章27節の「贖罪日」(ヨーム・キップーリーム)において頂点に達します。これはほんらい聖所の汚れを浄めるための祭儀でしたが、イスラエルの民全体の浄めへと内容が拡大します。これに伴って、聖所を悪と汚れから浄める二匹の雄山羊の規定(レビ記16章6〜10節)も、その意義が深められて、人の心の罪そのものを浄めるための祭儀的な性格を帯びてくるようになります〔Anchor(5)458〕。こうして、神は聖所と民全体に宿り続けることができるのです。
■P資料の洪水伝承
 創世記6章に始まるノアの洪水伝承は、すでに第一部でも採りあげましたが、創世記の6〜8章は、J資料とP資料とが入り混じって構成されていますから、J資料とP資料との特徴の違いがよく分かる箇所です。
 6章1〜4節の天使たちと人間の女との結婚物語と、続く6章5〜8節の洪水物語の序の部分はJ資料です。これらの部分で語られるヤハウェは、人間を造ったことを「後悔する」など、素朴で古い層の物語であることが分かります。しかし、6章9節から8章の終わりまでは、両方の資料が入り組んで語られていますので、フォン・ラートは、この部分全体をJ資料とP資料とに分けて構成し直して注解しています〔Von Rad, Genesis. OTL. SCM Press.118-130.〕。「(J資料とP資料の)それぞれの伝承を分けて知ることで初めて、物語を正しく理解することができる」〔Von Rad, Genesis.119〕と彼は考えるからです。ここでは、便宜上、フォン・ラートの編集に従って、P資料の箇所だけに目を留めて見ていくことにします。フォン・ラートがP資料としてまとめている部分は次の通りです。6章9〜22節/7章6節/同13〜16節前半/同17節前半/同18〜21節/同24節/8章1〜2節前半/同3節後半/同4〜5節/同7節/同13節前半/同15〜16節〔前掲書125頁〕。
 祭司資料編集者たちは、5章のアダムからノアにいたる系図を言わば洪水物語の前置きとして示すことで、人間の創造からノアに至るまでの時代の経過を語っています。続いて「これがノアの系図/歴史/物語(トールドット)である」(6章9節)とあり、「ノアは正しく(ツァディーク)完全(タミーム)な人で、神(エロヒーム)と共に歩んだ」と厳かな調子が続きます。「ツァディーク」は「神に受け容れられる」ことであり、「タミーム」は、ひたすら神と共に歩むことですから、必ずしも道徳的に完璧な人であったという意味ではありません。「正しく完全」とは、このように祭儀において捧げ物が「神に喜ばれる」ことであり、それが「神に受け容れられる」ことを指します。ノアもちょうどそのような人であったという意味です。
 洪水物語は「地(全人類)は、神の御前に腐敗堕落した。地は暴虐(ハーマース)で満たされた」(6章11節)で始まります。6章5節でヤハウィストが描く素朴でやや人間味を帯びたヤハウェの姿とは違って、P資料の11節は明らかに神学的な叙述です。「暴虐」(ハーマース)は、祭司資料編集者たちが導入した神学的な概念で、これは、圧政者どもの思い上がった振舞い、神の定めた法を踏みにじる行為、特に暴力的な流血のことです。これらによって、神が創造した「善い地」が腐敗堕落する(ニシュハット)のです。そこで神(エロヒーム)がノアに告げます。「すべての肉(バーサール)に終わり(ケツ)が訪れる」(6章13節)。「肉」は人間だけでなく人間を取り囲むすべての動物をも含みます。「終わり」とは、終末的な意味で、世界全体に神の裁きが降る時を指します(エゼキエル21章29節/哀歌4章18節/ハバクク2章3節参照)。おそらくこの言葉は、祭司資料編集者たちと同時代の捕囚期頃の思想を表わすのでしょう。
 それから箱船の構造とその寸法までが詳細に記述されます(6章14〜22節)。ここではエロヒームの行為が具体的にはっきりした形となって表示されます。それからノアの年齢と洪水が生じた日付が明確に記されます(7章6節前半/同11節)。箱舟に入るのは、ノアの家族だけでなく、<すべての>命ある生き物「1つがい、2匹ずつ」(7章15節)です。これに対してJ資料のほうは、浄い動物は「7つがい」ずつで、浄くない動物は1つがいずつです(7章2節)。ここにも祭司資料編集者たちの全人類へと全生物への普遍的な視野を読み取ることができます。
 それから「洪水(ハマブール)が40日間地上を覆った」(7章17節前半)とあります。定冠詞(ハ)の付いた洪水(マブール)とは、地上の洪水とこれによる被害のことではありません。それは、同じくP資料にあたる創世記1章6〜7節にあるとおり、天上に蓄えられている「天の水」を支えている天蓋(ラキア)が破れて、その水が地上に落ちてくることです。だからこれは、天地がひっくりかえるような宇宙的な規模での終末を意味します。今や、神が天と地とに分離した水が、神が陸地と海とを分離した地上に落ちてきて、天上と地上、陸地と海との境界がなくなる混沌状態が、宇宙的な規模で生じることを意味しています。ここには天地を創造したエロヒームの働きだけが顕現するのです。この終末的な洪水の規模は、ヤハウィストの描く「地上の」洪水(創世記7章4節)とは異なっています。
 「しかし神はノアを顧みました」(8章1節)。「顧みる」とは「覚える」(ザーカル)ことで、この用語は神学的に神が特別の恵みをもってその人を「想い出す/顧みる」ことを指します。そこで、神は洪水の混沌を「抑制して」、再び秩序の回復へ向かわせます。J資料では雨が40日40夜降り続いたとあるだけですが、P資料では、洪水が150日間続いたとあり(8章3節)、これを境に水が減り始めて箱舟はアララト山の頂上に停泊します(同4節)。J資料では鳩がでてきますが、P資料では烏が登場します。これはおそらくJ資料とは別の伝承からでしょう。祭司資料編集者たちは、洪水が続いた期間と、箱舟が停泊した山と、これが生じた日付とを明記しています。それは「箱舟(ハテヴァー)がアララト山の上に留まった」からです。「留まる」(ヌーアハ)とは、「落ち着く」「休息する」ことを意味し、この段階でノアハ(ノア)はヌーアハ(休息)したのです。終末的な大混乱の後で、ようやく「休息」の時が訪れたことになります。祭司資料編集者たちはこのように「神学的な詳細」で、具体的に人類を襲った終末の危機とこれからの脱出を記しています。ここでは、人間を始めいっさいの生き物は全く無力です。ただ神の完全に自由なお計らいだけが望みの綱です。
 神はノアに命じて、すべての生き物を箱舟の外へ連れ出させて言います。「ウファルー(そして産む)ヴェラヴー(そして増える)アルハアレツ(地の上に)」(8章17節)。これはP資料の創世記1章28節「ペルー(産めよ)ウレヴー(そして増えよ)ウミルゥー(そして満ちよ)エット ハアレツ(地に)」に対応する言い方で、祭司資料編集者たちは、洪水を境に、それ以前と以後とが明確に区切られて、ここから新しい「時代」と「地」とが始まることを神学的に定義しているのが分かります。ここには人類の罪に対する神の厳しい終末的な裁きと同時に、裁きに伴う奇跡的な恵みによる救いが語られています。神によるこの厳しさと奇跡的な救いは、新約聖書では、イエス・キリストの到来によって訪れた終末的な裁きと恵みを表わす「洗礼の水」となって受け継がれることになります(第一ペトロ3章20〜21節)。
 創世記9章1〜17節まではP資料で、同18〜29節までがJ資料です。すでに指摘したように、人間と他の生き物に「産めよ増えよ」という神による新たな祝福の時代(アイオーン)がここから開始されます。しかし、P資料には「地の生き物の上には、お前たち(人間)への畏敬と(ウモラーアヘム)従順とが(ヴェヒテヘム)臨む」(9章2節)とあって、洪水前にはなかった言葉がここにでてきます。「畏敬/恐れ」(モーラー)は、ここでは動詞「ヤーレー」の「恐れおののく」の意味も含まれるでしょう。これは人間が神に対して抱く恐れであり畏敬のことですが、ここでは、人間と他の動物たちとの間に今までにはなかった緊張関係が生じたことを意味します。それは、「青草と同じように生きているもの(動物)もお前たちの食糧となる」(同3節)からです。ここで初めて、人間に肉食が許されることになります。最初の創造の時にはなかった肉食が人間世界に入り込むのです。
 これに続いて、「しかし、(動物の)肉をその命の血と共に食べてはならない」のです。「命」(ネフェシュ)は「魂/命」のことですが、ここは「肉の命がある間に(まだ生きている状態で)その血と共に」と読むこともできます。特に人間の血の場合は、動物とは違って「流す」ことも禁じられます。「しかし、あなたたちの命であるあなたたちの血については、わたし(神)は(その相手から同じ命の血を)求める。(人の血を流した)すべての生き物の手から(その人の血と同じ命の血を)求める。(人の血を流した)人(アダム)の手からも(同じく流した人の血を)求める。兄弟の(血を流した)男の手からも(殺された)そのアダムの命を(殺した男から)求める」(9章5節)。
 動物の肉を食べることができるというのは、創世記1章29節の菜食の定めを祭司資料編集者たちが、人間の現状に合わせて変更したのでしょう。人間の血を流した生き物は必ず殺されます(出エジプト記21章28節)。9章5節の「兄弟の血」とはアベルの血を思わせます。ただし、「兄弟」には、血縁関係だけでなく「同胞」「人間仲間」の意味も含みます。だから、続く人間の流血については、それまでイスラエルの民だけに限られていた食物規定とは全く異なる思想に基づいています。それは、人間同士が殺し合ってはならないという暴虐と流血への厳しい禁止で、しかもこれが、全人類に普遍性を帯びて与えられる掟なのです。流血の惨事を体験した捕囚期の祭司資料編集者たちの神学が、ここで人類全体への流血の禁止として実を結んでいることが分かります(エゼキエル書18章4節)。ただし、この流血の禁止は、祭司資料編集者たち以前から、無制限な「血の復讐」に対する規制としてすでに存在していたものを基にしているとも考えられます〔Von Rad, Genesis. 132.〕。
 「人の血を流す者は/人によって自分の血を流される/(神は)人を神にかたどって造ったからだ」(9章6節)は、以上の祭司資料編集者たちの神学を最も簡潔にまとめた一節であると言えましょう。しかしながら、犯すべからざる「アダム(人)の血」を流す罪を別のアダム(人)が、流血を犯したその「アダム(人)の血」を流すことによって償わせるというこの掟は、一つの矛盾を抱えています。ここでは流血を犯した者に対しては、流血で報いることを神が人間に制度的に保証していることになります。これが祭司資料編集者たちの時代(アイオーン)の定めであり、神はこのような制度を「忍耐を持って見過ごす」(ローマ3章25節)ことを暗黙に了承していることになります〔Von Rad, Genesis. 133.〕。祭司資料編集者たちは、このようにして、ヤハウィストに見られない「神とノアとの契約」関係を啓示しています。この「ノア契約」は、旧約聖書ではP資料だけに表われる重要な契約です。後の「アブラハム契約」(創世記15章:エホウィスト資料?)は、族長アブラハムと神との個人的な契約であり、モーセによる「シナイ契約」(出エジプト記19章)は、イスラエルの民とヤハウェとの契約です。しかし、ここで祭司資料編集者たちが語るのは、神と全人類との間の契約なのです。ノア契約を象徴する「虹」が、ほんらい闘いの「弓」の表象であるとすれば、この契約によって、神と人類全体とが、弓を捨てて「和解する」こと、人と自然(虹)と神とがこれによって秩序を保つことができることを保証する契約であることになります。
 ノアの洪水伝承は、古代メソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』にさかのぼるもので、この叙事詩に登場する賢者ウト・ナピシュティームが、創世記のノアの原型だとされています。これが創世記に取り込まれた経緯ははっきりしませんが、祭司資料編集者たちによって、神と全人類との契約思想へと高められることになったのです。
■J資料と三種族
 創世記9章18〜28節までは、J資料に属しています。ここには有名なセムとハムとヤフェトの三種族が登場します。一見するとこの三種族は、洪水以後の世界を構成する人類の種族であるようにも思われます。ただし、祭司資料編集者たちの洪水物語では、ノアの三人の息子たちは結婚しています(9章16節)が、ここJ資料では、息子たちはまだ独身で、父ノアと同じ天幕に住んでいます。「ハムはカナンの父である」(9章18節/同22節)とあるのを見れば、ヤハウィストは、祭司資料編集者たちのように洪水以後の世界的な視野に立っているのではなく、実はより古いパレスチナの部族関係を意識しているのが分かります(おそらく「カナンの父」はヤハウィストによる挿入でしょう)〔Von Rad, Genesis. 135.〕。
 「セム」は「エベルのすべての子孫の先祖である」(10章21節)とあります。「エベル」はおそらく「ヘブライ」の語源となった「ヒブル/ヘベル」から出ていると考えられますから、セムは、イスラエルの民の先祖を指しています。「ヤフェト」の起源には、(1)小アジアの民族説と(2)エジプト人説と(3)インド=ユーロピアン系の種族説と(4)ペリシテ人説とがあります。ヤフェトがセムと共に「カナンを奴隷にする」(9章26〜27節)とあることから判断して、フォン・ラートは、イスラエルとほぼ同時期にカナンに侵攻して、カナンの原住民を服従させたペリシテ説を重視しています〔Von Rad, Genesis. 138.〕。ただし、(3)のインド=ユーロピアン系の種族説のほうが、現在では一般に受け容れられているようです。
 いずれにせよ、カナンは、その偶像礼拝の罪のゆえに呪われて、セムとヤフェトに隷従することになるのです(9章25節)。ここで語られているのは、カナンがセムとヤフェトの支配下にあるという伝統的なパレスチナの状況です。
■エゼキエル書について
 最後にエゼキエル書と祭司資料編集者たちとの関係に簡単に触れておきます。エゼキエル書とP資料との関係は特に複雑で、それだけに注目を惹きます。理由はエゼキエルが祭司資料編集者たちとほぼ同じ時期の預言者であったこと、それに、エゼキエル自身も祭司だったことです。エゼキエルは597年の捕囚でバビロンへ送られ、捕囚の第5年目から、すなわち593年から568年まで、捕囚の民の間で預言活動をしました。エゼキエル書には、この期間の一貫した日付が付されていて、全体が年代的に統一されているように見えますから、エゼキエル自身によって書かれたと考えられていました。
 しかし、この見方は、20世紀の初め頃(1920年代)から疑問視されるようになります。エゼキエル書には、5世紀初め頃のエルサレムのツァドク系の祭司たちによる編集の跡を読み取ることができると見なされたからです。エゼキエル書17章や19章の詩の文体と(エゼキエルほんらいの預言)これに前後する散文体(後の編集による)との違い、「主なる神は(ヤハウェ・エロヒーム)はこう言われる」(31章10節/同15節)のような随所に表われる繰り返しなどが編集の目安と見なされました。しかし、それらは決め手とはなりませんでした〔Paul M. Joyce, Ezekiel: Commentary.T&T Clark (2007).10.〕。
 またこの書のヘブライ語の原典と七十人訳との違いも注目されました。七十人訳のほうが原典よりも縮小されているからです(例えば七十人訳には1章14節が欠けています)。だから七十人訳のほうがほんらいのエゼキエル書だと考えられたのです〔Walther Eichrodt, Ezekiel. Old Testament Library.SCM (1965)66)〕。しかしこの基準も仮説に基づくもので、ほんらいの預言と編集とを区別するだけの信憑性を持たないと考えられるようになりました。
 特に問題なのは、祭司的な律法の箇所です(エゼキエル書3章17〜21節/14章1〜20節/18章1〜20節など)。これは、後からの編集だと見なされるようになったのですが、エゼキエル自身が祭司ですから、これも決定的とは言えないでしょう。だから、これら編集の跡と考えられる箇所も、エゼキエル自身による編集かもしれません。エゼキエル書全体の文体が緊密なのは、エゼキエルとその弟子たち、すなわち「エゼキエル学派」によって、エゼキエルの預言が編集されているからだという説もあります。要するに最近では、後の編集の手が加わっているとは言え、全体としてエゼキエル自身によって、その統一した文体が保たれているという見方が有力になっています〔Joyce, Ezekiel: Commentary.11-16.〕〔樋口進/吉田泰著「エゼキエル書」。『新共同訳旧約聖書注解』(2)日本キリスト教団出版局1994年〕〔月本昭男訳『エゼキエル書』岩波書店(1999年)〕。
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