19章 イスラエルの領土(旧約時代)
 
 わたしたちは、すでにヤハウィストとエロヒストとエホウィスト、これに申命記史家(たち)などを通して、イスラエルの「土地取得」に関する伝承をごくおおざっぱに見てきました。これによって、「土地取得」とは、神からイスラエルの民に与えられた「約束の国」の別名であることをも知ることができました。けれども、この「約束の国伝承」には、さらに申命記史家(たち)による「律法伝承」と、祭司資料編集者たち(とP資料)による「神(主)の家伝承」、すなわち幕屋/神殿に関する伝承とが加わることになります。しかし、律法と神(主)の家の二つの伝承に入る前に、ここでイスラエルの「土地取得」に関する伝承を概観することで、そこに含まれている霊的な意義を探りたいと思います。
■エレツ・イスラエル
 「土地」を意味するヘブライ語には、「アダーマー」と「エレツ」があります。この二つの用語は、例えば、「あなたのエレツ(土地)から取れるすべてのアダーマー(地)からの実を」(申命記26章2節)のように、二つは同じ意味で用いられることもあります。しかし、どちらかと言えば、「アダーマー」は「土/土壌」を意味し、「エレツ」は、地理的な土地、特定の民の住む領土、あるいは人が住む場所としての「大地」を指します。
 創世記の初めにでてくる「エレツ」(地)は、神によって創造されたものですが(創世記1章2節)、神は人を創造して、そこに住まわせ、その地を「治める」ように命じます(同1章26節)。「治める」(ヤーラッド)とは、「上から降下する」「下に置く」「統治する」ことです。しかし、伝承によれば、人は神に対して罪を犯したために、「地」は男と女に対して「重荷となり」「労苦の場」になります(創世記3章16〜19節)。その結果、カインによるアベルの殺害に始まり、地には暴虐と流血がはびこり、人は洪水によって地から滅ぼされます。それでも神は、生き残ったノアの家族と契約を結び、2度と地を洪水で滅ぼすことはしないと誓うのです。以上はすでに第一部の「堕罪と洪水伝承」で見たとおりです。
 これらの前歴史的な物語に続いて、アブラハムに始まる族長物語が語られ、そこでは神から、アブラハムの子孫にカナンの地が与えられると「約束」されます。この約束に沿って、アブラハムは、そのさすらいの旅の終わりに、「カナンの地」(エレツ・ケナアン)にあるヘブロンの洞穴とその周辺を妻サライの埋葬地として「取得」することができました(創世記23章19節)。このことは、神からアブラハムへの「カナンの地」取得の約束の「しるし」になります。これが約束の領土/国伝承の始まりです。
 モーセに導かれたイスラエルの民が、出エジプトを決行できたのもこの約束に基づくものです。当初は、約束の地が「すぐに与えられる」という期待に満ちていたのですが、イスラエルの不誠実と罪のために、この約束は大幅に遅れて、イスラエルの民の荒れ野の旅が始まります。ところが、このさすらいの過程において、神の顕現と契約と律法とが民に授与され、苦難の旅路において主なる神の恵みが啓示されるのです。こうして民は、ついに約束の「地」(エレツ)へ到達することになります。この地は神からイスラエルに授与される「約束の土地/領土/国土」として「乳と蜜の流れる国(エレツ)」(申命記3章17節)と呼ばれています(「蜜」はナツメヤシの実から作った蜜のこと)。
■イスラエルの領土の範囲
 「イスラエルの領土」(エレツ・イスラエル)という言葉は、最初にサムエル記上13章19節にでてきます。しかし、この言い方は旧約聖書全体でもエゼキエル書(40章2節/47章18節)と歴代誌上(22章2節)と歴代誌下(2章16節/34章7節)の8回だけで、そのほかに、北王国イスラエルを指す場合が4回ほどあります。「イスラエルの領土」は、具体的には、現在のイスラエルの国土を中心にした地域のことですが、ここは、イスラエルの民が住み着く以前には、カナン人、ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の七つの民が住んでいた「カナンの土地」でした(申命記7章1節)。ただし、これらの民の名称は、「アモリ」のようなカナン全体を指す呼び方もあれば、「ギルガシ」のようにエリコ周辺の限られた地域の民を指す場合もあります。しかし旧約聖書では、「カナンの土地」とは、ほんらいはこれら七民族の土地であったというのが伝承で、これはモーセ五書からネヘミヤ記(9章8節)まで変わりません。また、「イスラエルの領土」の範囲も必ずしも一定ではありません。これを大きく分けますと、
(1)「ベエル・シェバからダンまで」(歴代誌上21章2節)とあるように、イスラエルの土地取得直後の十二部族の頃は、南北は、現在のイスラエルの領土にあるネゲブの荒れ野の北にあるベエル・シェバから、レバノンとの国境に近い地域(ダン族)までです(ダン部族は途中で最北の地域まで移動しました)。これが、イスラエルの十二部族が定着したほんらいの「エレツ・イスラエル」だったのでしょう。東と西は、ヨルダン川の東岸地帯と死海の東側を含む地域から地中海までです。イスラエルのいわゆる十二部族は、カナンの領土をそれぞれの部族に従って割り当てられますが、その配分は、ヨシュア記13〜19章に詳しくでています。ただし、レビ族だけは、自分の嗣業を持つことが許されませんが、その代わりとして、全部族からの献納物の10分の1を与えられます(民数記18章20〜28節)。
(2)イスラエルの領土をより正確に定義したものが民数記34章1〜12節にでています。これによれば、イスラエルの南の境界は、「塩の海」(死海)の南端から南西に100キロほどのところにあるカデシュ・バルネアまで線を引き、そこから北西に線を引いて地中海にいたります(カデシュ・バルネアは、出エジプトのルートの重要な目的地です)。これは前10〜8世紀の南王国ユダの南の境界とほぼ等しくなります(ただしユダ王国の最大版図のことではありません)。北の境界は地名が同定できませんが、地中海沿岸のティルスとシドンの間から東へ向かってヘルモン山脈の麓まで線を引き、そこから北上してダマスコのはるか北にあるレボ・ハマトまで線を引きます。北の境界は、10〜8世紀頃の北王国イスラエルが最大版図を広げた時期の境界とほぼ重なります〔Eli Barnavi, A Historical of Atlas of the Jewish People. 21. 〕。西は地中海沿岸までです。東の境界は、北境のレボ・ハマテのやや南に位置するリブラからダマスコを通りガリラヤ湖(キネレト湖)の北東地域一帯を含んで、ガリラヤ湖にいたり、そこからヨルダン川沿いに塩の海へいたります。これだと、ガリラヤ湖と死海との間のヨルダン川の東岸地帯は含まれてきません。
(3)これよりもさらに拡大したものが、申命記11章24節にでていて、「ユーフラテス河から西の果ての地中海沿岸まで」とあります。これはおそらく、当時のオリエントの王朝にならって、ダビデ王国の絶頂期(10世紀頃)に構想された「理念的な」イスラエルの領土のことでしょうが、このような拡大解釈は、申命記史家(たち)によるのかもしれません〔Anchor(4)146〕。このように、領土の範囲が時代によって様々に変化しますから、「イスラエルの領土」とは、必ずしも地理的な概念ではなく、イスラエルの民が共同体として住む地域のことを指していると考えるほうが適切です。
■領土の取得と保全
 以上で分かるように、「イスラエルの領土」とは、ほんらいイスラエルの民に属するものではなく、別の諸民族が所有していた領土を「取得する」ことから始まります。それゆえ、神が、イスラエルの民に、その領土を与えると「約束する」のです。「約束する」は、主が「言う」「言葉を語る」ことによって生じます。また、これが「約束の」領土であるとは、その領有がイスラエルに「与えられる」ことですが、その授与は完全に神に依存していますから、イスラエルの民は、この領土を言わば「ヤハウェからの嗣業(しぎょう)」として「受け継ぐ」のです(サムエル記上26章19節/サムエル記下14章16節/同16章18節)〔TDOT(1)401〕〔Anchor(4)144〕。しかし、たとえ嗣業として与えられていても、その「領土」は、ほんらいヤハウェに属するものであって、イスラエルの民は、そこに「寄留する」者であり、しばしの間の「トーシャーブ」(居留者/宿る者/よそ者)であることを忘れてはならないのです。「領土はわたし(主)に属する」からです(レビ記25章23節/詩編39篇13節)。
 ただし、「受け継ぐ」ためには、その領地を「取得」しなければなりません。「わたしがイスラエルの子孫(人々)に与える」とあるのは「カナンの領土」(エレツ・ケナアン)のことです。「与える」のは、それをイスラエルが「取得する」(アフザー)ためです(申命記32章49節)。「受け継ぐ」は、ほんらいヤハウィスト以前の古い遊牧の民にさかのぼり、これに「土地約束」が族長物語に加わり、それが部族連合時代に「領土/国土」への約束へと移行したとも考えられます。だから、族長伝承が、出エジプト伝承と結合することによって、カナンの「征服」へと、その意味が変容したことになります〔TDOT(1)403〕。
 「所得する」とある動詞「アーハーズ」は、「占拠する」「獲得する」「固く握る」ことですから、単に「所有している」状態のことではありません。それは「固く握りしめて手放さない」こと、決して「手放さない」ように、不断に努力して保持し続けることが要求されます。だから、これは領土の「所有」ではなく「取得」です。「取得」はこのように、「保持する」だけでなく、その取得範囲がさらに拡大していく可能性をも含んでいます。ここには、授与された民による不断の努力と、それが「神から」授与されていて、その取得と保全は完全に神に依存し続けるという、ある意味で矛盾した二つの要因が潜んでいるのが分かります。
 したがって、ヤハウェに対する不従順は、その領土の神聖さを汚すことになり(エレミヤ書2章7節)、その嗣業を失うことを意味します(ホセア書9章7節)〔TDOT(1)402〕。こういう「嗣業」観は、特に申命記に明示されてきます(申命記4章21節/12章9節/19章10節/21章23節など)〔TDOT(1)402〕。この状況は、現代のわたしたちには、「自由」とか「平等」とか「権利」のようなある特定の価値観を「獲得する/取得する」状態に類似すると言えましょう。主が与える「<広々とした>領土」とは「自由である」ことをも意味するからです(出エジプト記3章8節/ネヘミヤ記9章35節/歴代誌上4章40節)〔TDOT(1)403〕。「勝ち得た」権利は、手放さないように、不断に努力してこれを「確保する」必要があるのです。
■栄光の国土
 わたしたちはここまで来て初めて、イスラエルの「領土」あるいは「国土」がほんらい意味しているその本質的な意義を問うことができます。荒れ野の放浪からイスラエルが到達した「地とは」は、イスラエルの民にとって、神から与えられた「善い土地/領土」(エレツ・トーヴェ)と呼ばれています(申命記8章7〜10節)。それは「平野にも山にも川が流れ、泉が湧き、地下水が溢れる土地」であり、豊かな穀物と果物が実り「石は鉄を含み、山からは銅が採れる土地」です。これは未来に授与されるであろう「約束の国土」ですが、そこに描かれるのは、「何一つ欠けるところのない完全な国」であり「神の楽園」にほかなりません〔von Rad, Deuteronomy. 72.〕。「鉄と銅」はヨルダンの東側で産出しますから、これはヨシア王の時代のイスラエルの領土にあたります。ここで申命記史家(たち)は、かつてのイスラエルの領土の最大版図を約束の国土/国に重ねているのです。さらに「山も谷もある土地で、<天から降る>雨で潤される」(申命記11章11節)とあるように、その豊かさは、人間の力によるものではなく、全く神からの恵みの雨に委ねられています〔『新共同訳旧聖書注解』(1)318頁〕。申命記では、「イスラエルの領土」は、このように神がイスラエルに約束された未来の領土への「御国賛歌」でもあるのです。だから、ここで言う「善い」は、イスラエルの領土が「(神の)栄光の国」でもあることを意味します〔TDOT(1)403〕。
 このような「栄光の領土」としてのイスラエルの領土は、ダニエル書では「麗し(の国土)」(ハ・ツァヴィー)と言い表わされます(ダニエル書8章9節/11章16節/同41節)〔TDOT(1)403〕。「麗し(の国土)」とは、字義どおりには定冠詞を伴う「栄光/輝き/美麗」"the beauty/splendour"のことです。ところがダニエル書の「栄光の国」は、尊大な雄山羊(アンティオコス4世の象徴)によって侵略されるイスラエルのことであり、しかもこのイスラエルの領土は「天の万軍」へと、すなわち神の支配する天の領域へつながるのです(同8章11節)。
 ここまでくると、「イスラエルの領土」は、単なる地理的な概念ではないことが分かります。なぜならその土地は、常に<神の栄光の輝き>を伴っていなければならないからです。だから「蜜と乳が流れる」のも、「山にも川が流れ、泉が湧き、地下水が溢れる」のも、穀物が「豊に稔る」のも、神の栄光を伴うことによって初めて可能になる描写のことであって、その土地が、ほかの土地と比較して、地理的に見て特に肥沃で水が溢れるという意味ではありません。「イスラエルの領土」は、地理的に見るなら、それほど肥沃でもなければ、まして「水が豊に湧き出る」所とは言えないからです。
 したがって、「イスラエルの領土」とは、ヤハウェへの従順と信仰に基づく<霊的な主観性>を含む概念です。これは、本質的に「神学的な」概念であって、地理学的な観点から見るなら、このような記述は「理念的」で、ある種の「虚構」ないしは「誇張」を含むことになります。現在の旧約学が、申命記史家(たち)を始め、旧約聖書で語られる記述が、概(おおむ)ね「理念的」な構成による「虚構」にすぎないと判断するのはこのような理由からです。このように見るなら、ここで申命記史家(たち)は、かつてイスラエルの民に約束されていた「イスラエルの領土」を理想化して歌うことで、捕囚期の民に慰めと希望を与え、そのような「約束の国」を再び取得する時が、神によって約束されているという希望を抱かせようとしていることになります。だから、イスラエルによる「カナンの征服」も「ソロモンの栄華」もこのような「虚構」に彩られたものであって、史実に基づくものではないというのが、現在の批評的な旧約学による結論です。
 しかしながら、このような客観性に基づく学問的な批評は、ヤハウェの言葉(約束)によって生じる霊性がもたらす「主体的な働きかけ」と、この「働きかけ」に伴って生じる能動的な意義を過小に評価する危険を伴います。神の言葉は、霊的に働くものですから、その限りにおいてある種の虚構を伴います。しかし、その虚構性は、人間の霊性に働く言葉となる時に、単なる主観を超えて客観的な事実を生み出す力として創造的に働くことを忘れてはならないのです。イスラエルの人たちは、このような神の言葉によって生じる霊的な働きかけが、自分たちの主体的な行為となって結実することを通して「ヤハウェの栄光」を見ることができたのです。そのような「栄光」あるいは「輝き」は、これを外部から客観的に、言い換えると学問的に正しく評価することはほとんど不可能です。なぜなら、学問的な意味で言う「虚構」とは、神の言葉が働く「現実」のことであり、逆に客観的な「事実」とは、栄光が失われた時に露呈されるむき出しの「現実」のことだからです。
 このような「土地が帯びる輝き」は、例えば、イギリスのウエールズにあった炭坑の人たちの生活を描いた映画「我が谷は緑なりき」(アメリカ映画"How Green was my Valley."。1941年アカデミー賞受賞)にも見ることができます。そこでは、信心深いけれども決して豊かとは言えない炭鉱の労働者たちが、美しいけれども緑豊かな田園とまでは言えない炭坑の土地で働く姿が描かれています。彼らは、日曜には教会に集い、人々は互いに助け合って「神の祝福」の中に暮らしています。ところが、炭坑が不況に陥り、失業の危機にさらされ、炭坑爆発が起こると、人々の心が荒み始めて、寒々とした炭鉱労働者の「現実」が露わにされるのです。そのような現実の中から、主人公は、かつて幸せだった自分たちの家族と彼らが住んだ「土地の緑の輝き」を想い出すのです。
■イスラエルの「敵」
 ヨシュア記(1〜12章)によれば、イスラエルの民はヨシュアに率いられてカナンの土地に侵入し、諸民族の領地を次々に征服していったとあります。その後、ヨシュアがその領土をイスラエルの各部族に配分しました(同13章以下)。ただし、実際には、半遊牧民であったイスラエルの各部族が、現地民の集落の比較的まばらな土地へ徐々に平和的に浸透していったと見る説もあります。この場合、領地の取得はかなり長期間にわたって、幾つかの段階を経て、部族ごとに行なわれたことになります〔ノート『イスラエル史』97〜102頁〕。
 しかし、このように段階的で平和な定着説に対して、当時のカナンには、階層化された人たちによって構成された都市国家群が存在していて、そこへ、まだ階層化されていない平等主義の「ヤハウェの民」が砂漠から侵入してきて、短期間の間にこの地域を征服したと見る説も提起されています。その場合には、特定の幾つかの部族が核となって、諸部族を統率していたと考えられます。「ヤハウェの民」は、先ず比較的原住民の少ない過疎地に各部族の土地が割り当てられ、そこから勢力を拡大していったと考えられますから、彼らは、敵対する周囲の原住民から常に脅かされる状態にあったでしょう(士師記1章19〜35節/同3章1〜6節)。危機は彼らの周囲だけでなく、ヤハウェに対する彼ら自身の忠誠心の欠如からも生じました。その度に士師が現われて民を鼓舞して悔い改めに導き、周辺の敵との聖戦に臨むことになります(同3章7〜11節)。特にペリシテの民との闘いにおいては、イスラエルは不利な条件の下でしばしば混乱状態に陥ったことがサムソンの物語からうかがわれます(同13章以下)。
 主なる神が、ほんらいイスラエルの民の土地では<なかった>領土を彼らに与えるのは、彼らがそこに「安らぎ」を見出すためです(申命記25章19節)。主なる神が、「あなたを安らかにさせてくれる」のです。この「安らぐ」(ヌーアハ)は、「留まる」「定住する」「定着する」ことで、このことは、神が民を「そのあらゆる敵から守ってくれる」ことを意味します(イザヤ書14章24節/ヨエル書2章18〜19節)〔TDOT(1)402〕。申命記25章19節によれば、神が、先住の「アマレク人の記憶を消し去る」ことによって、この安らぎが達成されるのですから、民はこのことを「忘れてはならない」のです。
 こうしてイスラエルの民は、先住の諸民族の「記憶」に悩まされることなく、これらの「記憶から守られる」ことになります。言い換えると、イスラエルの民が「安らぐ」ためには、常にその「敵の記憶を消し去る」ことを「忘れてはならない」のです。イスラエルの民が、カナンの先住の諸民族が信仰する偶像礼拝を最大の「敵」としてこれを排除しようとするのは、このような理由からです。「敵」は民の「安らぎを奪う」からです。
 このようにして獲得された領土においては、神との契約に基づく諸律法が守られなければなりません。契約に伴う諸律法は、ほんらい約束の国伝承とは別個の伝承から出ていると思われますが、領土と主からの契約と主からの律法とが総合されることになります。領土に関する律法として注目されるのが「安息年」(出エジプト記23章10〜11節)と「ヨベルの年」(レビ記25章1〜7節)であり、また「初物の献げ物」(出エジプト記23章16節など)でしょう。
 特に申命記では、「ヤハウェが先祖に与えると語った/誓った領土」(申命記1章8節/19章8節など)においては、「主の戒め/律法」を守り行なうことが、その領土保全の絶対条件になります。ヤハウェが、カナンの住民の領土をイスラエルに与えたのは、イスラエルが「正しい」からではなく、以前の民が「神に逆らい」悪を行なったからにほかならないからです(申命記9章4〜6節)〔TDOT(1)404〕。だから主は、「主の与える領土において」は、主の律法を守るように繰り返し告げるのです(申命記4章5〜8節)。もしもイスラエルが「主の言葉をすべて忠実に守り行なわなかった」場合には、祝福は呪いに変じて、民はその領土を失う結果になるからです(申命記28章58〜63節)。
 特に申命記1〜4章では、神がイスラエルの民を導いて約束の領土を与えてくれたことが語られますが(同1〜3章)、その国土は、古(いにしえ)のエデンの園のように、神を愛し、神に忠実に仕えることによって、契約を守り注意深く「治める」必要があります(同6章4〜15節)。特に警戒しなければならないのが原住民の遺した偶像礼拝です(同4章15〜24節)。一見すると、契約とこれに伴う律法は、約束の国を受けるための前提であるかのように見えますが、実はこれは、約束の国土を取得した<後で>、これを保全するための条件なのです。
■輝きの領土の喪失
 北王国イスラエルと南王国ユダは、共に神から与えられた領土とその輝きを喪失する結果になります。この事態を最初に体験したのが、北王国イスラエルの預言者アモスとホセアです。ここでは、ホセアを通じて、イスラエルの「栄光の喪失」を観ることにします。
〔ホセアの時代背景〕ホセアは、780年頃に(以下、年数はすべて紀元前です)、北王国イスラエルで生まれました。その頃の北王国イスラエルは、サマリアを首都としていました。中心部にはイズレエル(現在も同じ地名)があり、これの西には、地中海へ注ぐキション川流域に広がる肥沃なイズレエルの平野があり、また、反対の東には、ヨルダン川にいたる平野が続いていました。だから、山地の多い南王国ユダに比べると、北王国は、はるかに肥沃な平野に恵まれていたのです。
 北王国イスラエルの歴史は、ヤロブアムに導かれて、ソロモン王の南王国ユダから分かれた時(922年)に始まります(列王記上12章)。その後、北王国は王朝が変わり(842年)、イエフ王朝の時代になり(列王記下9章)、ヤロブアム2世はその4代目にあたります。イエフ王朝はヤロブアム2世で終わりますが、この王朝は、北王国では最も長く続き、王国の隆盛期にあたります。彼の治世は、列王記下14章23節から計算して、786〜746年頃とされていますが〔『新共同訳旧約聖書注解』(1)860頁〕〔Anchor(3)745〕、実際は父王ヨアシュと共同で王位にあったと思われますので、ヤロブアム2世単独の治世は781〜754年の37年間ほどだったと考えられます〔Gray, I&II Kings.72-73.〕。列王記下14章23節は、ヤロブアム2世について、「イスラエルに罪を犯させたネバトのヤロブアム(列王記上11章26〜31節参照)の罪を全く離れることなく、彼(ヤロブアム2世)は主の目に悪とされることを行なった」と断じています。しかし、実際はこの王の時代に、北王国は軍事的にも政治的にも成功して、繁栄の絶頂にありました〔Anchor(3)745〕。
 イエフ王朝以後、北王国の王位は、ほぼ35年間の間に、6代にわたって謀反による王権の簒奪(さんだつ)が続き、このために国力が衰えました。その頃アッシリアが勢力をシリアへ拡大していましたから、北王国はアッシリアに莫大な貢ぎ物をして服従しました(列王記下15章19〜20節)。ところが、アッシリアにティグラト・ピレセル3世が即位すると(745年)、彼はシリアからパレスチナにいたる支配を拡大します。ついに北王国の王ペカがシリアと結んでアッシリアに反抗しますが、この時にペカは、周辺諸国と同盟を結び、その同盟を南王国ユダにも押しつけてきたのです。ところが南王国は同盟には加わらず、このためにイスラエルとユダとが戦闘状態に入ることになりました。これがシリア・エフライム戦争です(733年)。南王国のアハズ王は、逆にアッシリアに助けを求めたために(列王記下16章5〜16節)、北王国はティグラト・ピレセル3世の侵略を受けて、イスラエル王国はわずかに首都のサマリアとその周辺だけを残す結果になりました(列王記下15章29節)。その後北王国のホシェア王がアッシリアに再び反抗したために、721年に北王国イスラエルは滅亡しました(列王記下17章1〜6節)。
〔ホセアの家族〕
 ホセアの自伝的な叙述は、ホセア書1章と3章とに集中しています。これらの叙述から、例えば次のような推定がなされています。彼は、ディブライムの娘ゴメルと結婚し、長男イズレエルと長女ロ・ルハマと次男ロ・アンミの3人の子供をもうけました(ホセア書1章3〜8節)。しかしゴメルは、結婚する前からバアルの聖所に仕える神殿娼婦でした。彼女は、結婚後も夫ホセアを捨てて神殿娼婦の生活に戻り、このために、ホセアは彼女と離婚することになります(同2章4節)。ところが、その後で、再度主からの命令があって、ホセアは彼女を高価な値を払って買い戻したのです(同3章1〜2節)〔『新共同訳旧約聖書注解』(3)53頁〕。
 しかしながら、これらの推定は、必ずしもすべてが適切とは言えません。ゴメルははたして結婚以前には神殿娼婦だったのか? それとも彼女は、結婚した<後で>不実を働いたために、ホセアは、自分が<娼婦>と結婚したと思うようになったではないか? 子供たちは3人とも嫡子ではなく庶子だったのか? ホセアは、はたして法的に正式な「離婚手続き」を採ったのか? 3章1節にでてくる女性は、はたしてゴメルのことなのか? それとも別の女性なのか? これらについて、何一つ決め手となる根拠がないのです〔Stuart, Hosea-Jona. Introduction: "Hosea the Prophet and his Family."〕。ホセアが最初に結婚したディブライムの娘ゴメルは、おそらくバアル神殿の娼婦だったのでしょう。彼女との間に3人の子供ができたのでしょう。しかし、第二の物語(3章1〜5節)にでてくる女性は、別人で誰かの「そばめ」として暮らす姦淫の女であったのかもしれません〔Mays, Hosea, 3.〕。
〔御言葉の体現者〕
 わたしたちは通常、ホセアを「神の預言者」だと見ています。その上で、ホセア書を理解するためには、彼の置かれている歴史的状況や人間ホセアの実体験をできれば確認したいと思います。ホセアは、彼なりの人生体験を通じて御言葉が与えられたのだから、ホセア書を理解するためには、まず彼の実人生の体験から始めなければならないと考えるからです。イスラエルの預言者たちは、それぞれの人生体験の中から預言したのだから、預言は彼らの体験から生じる言葉であり、ホセアの場合もそうであろうと考えるのです。
 ところが、この観点からホセア書を読んでも、ホセア書の預言が、まるで靄(かすみ)の中のように一向に見えてこないのです。彼の自伝的な部分とされる箇所でさえ、いったいどこまでが彼自身の体験から出ているのか、その具体像が浮かび上がってこないのです。彼はなんらかの客観的に確実な歴史的状況にあって、現実の体験をしているはずですから、文献的に、あるいは学問的にそれらの<事実>を確定するまでは、彼の預言を解き明かすことはできない。通常わたしたちはこのように考えて聖書研究に励みます。あるいは、もう少し宗教的な観点から見れば、ホセアを通して神の霊が働いているのだから、彼の<霊的な>体験を通じて、彼に与えられた神の言葉を聴き取ることができるに違いない。このように考える場合もあります。
 ところがホセアの場合は、と言うよりも旧約の預言者たちの場合は、このような方法や観点が、必ずしも適切ではないのです。彼/彼らが霊に感じて御言葉を語るというのはその通りです。しかし、そのような霊感のすばらしさや気高さが、必ずしもホセアという預言者の真骨頂だとは言えないのです。むしろ、あるがままのホセアの有り様が、そのまま全体として、神の働きによって「出来ている/生じている」のです。それはホセアという人間存在それ自体が、神によって「現象し」「起こる」出来事だからです。だから、神は、人間ホセアの霊的な精神性を通じてお言葉を語るのではありません。なぜなら、ホセアという人間存在それ自体が、<そのままで>神の言葉現象であり、神の働きかけによる<出来事>である、というところまで行かなければ、預言者ホセアを理解したことにはならないからです。だから、ホセアが「発する」言葉自体は、彼を通して語られるヤハウェの「言(げん)」のほんの一部にすぎないのです。
 神の言葉は深く、時には謎めいています。だからホセアの言葉だけでなく、彼自身の存在自体も謎めいているのです。ヘブライ語の「マーシャール」(謎/比喩/譬え)が表わすように、おそらくホセアにとっても、自分自身が説き難い謎だったのでしょう。言い換えると、彼の言動は、何か解き難い比喩性を帯びているのです。
 彼は、姦淫の女と結婚するという途方もない出来事を通して、神の働きかけによって生じる神の言葉を「体現」する者とされます。このようにして彼は、神からのメッセージを「演じる」役目を負わされるのです。このように、神の言葉を「具体化」して演じることが、ホセアに起こったことであり、同様に、エルサレムをほとんど裸体で歩き回ったイザヤのしたことでもあり、エレミヤにもエゼキエルにも起こったことなのです。神の御言葉が働く時には、これにとらえられた人は、神の<霊言>と化します。こうして、彼が発する言葉だけではなく、彼の全存在が、神の言葉が地上に具体化する姿になるのです。言わば、彼の具体的な言動のすべてが、神の霊言を現わす隠喩(メタファー)なのです。わたしたちは、イエスが「預言者」であるという場合には、イスラエルの預言者たちのこのような伝統に立脚していることを知る必要があります。
〔ホセアの結婚と預言活動〕
 以上のことが分かって初めて、わたしたちはホセアの結婚に関するメッセージを聴き取ることができます。「ホセア書がわたしたちに提供する預言者の自伝的な片鱗は、ヤハウェのメッセージと分かちがたく結びついていますから、これらの片鱗それ自体から、何らかの興味ある自伝的な事実を引き出そうとしても、その試みはことごとく失敗に終わるのです」〔Stuart, Hosea-Jona. Introduction〕。なぜなら、「ホセア書の始めの章(1章と3章)が指し示すのは、ホセアとその家族のことではなく、神とイスラエルとの関係だからです」〔前掲書〕。
 おそらくホセアは、神の言葉に従って、二度結婚しているのでしょう。最初の結婚では、生まれた子供たちに、神の言葉に従って、それぞれ「イズレエル」(1章3節)、「憐れまれぬ者」(同6節)、「我が民でない」(同8節)と名づけます。名前のそれぞれには隠喩性を帯びた預言的な意味がこめられています(ホセア書2章25節を参照)。後の結婚では、ホセアは、他の神々を愛して淫行を重ねた民(女)を高価な値を払って妻として贖い(買い取り)、ヤハウェに節操を尽くす(淫行を離れる)よう諭すのです(同3章1〜2節)。
 ホセアが生まれたのが780年頃とすれば、彼がゴメルを娶(めと)ったのは、おそらく760年頃でしょう。二十歳(はたち)のホセアが預言活動を始めた頃で、ヤロブアム2世(治世786〜746年)の隆盛期にあたります。イエフ王朝はヤロブアム2世で終わり、その後、北王国は衰退に向かいますから、生まれた子供たちの名前には王国衰退の兆しが表わされています。ホセアの二度目の結婚は、その30年後の730年頃でしょうか。確かなことは分かりませんが、その間にゴメルは他界したのかもしれません〔前掲書〕。ちょうどシリア・エフライム戦争の頃で(733年)、北王国イスラエルの滅亡が間近に迫っていました。だからホセアは、北王国のアッシリア捕囚を予期していたでしょう(同3章4〜5節)。場合によっては、北王国の滅亡そのものを目撃したかもしれません〔『新共同訳旧約聖書注解』(3)51頁〕。
〔ホセア預言と申命記〕
 ホセアのメッセージは、申命記にでてくる「祝福と呪い」伝承と深くかかわっています。しかし、申命記から列王記下までは、申命記史家(たち)の編集を経ています。おそらく申命記史家(たち)は、ホセアの影響を受けた人たちだったのでしょう。彼らの編集による士師記2章17節に、イスラエルの民は「他の神々を恋い慕って姦淫し、これにひれ伏した」とあるのも、ホセアの影響を思わせます。後の章で述べるように、申命記それ自体も申命記史家(たち)の編集を経ていますから、ホセアが申命記の影響を受けていると言えば、時代的な順序が逆のように思われるかもしれません。しかし申命記には、申命記史家(たち)よりもはるか以前からの伝承が含まれていますから、ホセアが申命記の影響を受けていると言っても少しも矛盾しないのです。申命記には、前2000年頃のオリエントの契約締結と共通する部分があるとも言われていますから〔Stuart, Hosea-Jona. "Introduction."〕。
 ホセア預言は、申命記4章20〜30節に全部含まれています。この部分には、
(1)モーセに率いられたイスラエルの荒れ野の旅(申命記4章20節=ホセア書2章16〜17節/同11章1節)。
(2)ヤハウェとイスラエルとの契約(申命記2章23節/同33節=ホセア12章10節→この節は北王国イスラエルのことです)。
(3)ヤハウェからの祝福の時代(申命記4章38節=ホセア2章9〜10節)。
(4)イスラエルの背信と呪いの時期(申命記4章25〜27節=ホセア4章1〜14節など)。ホセア預言は、そのほとんどが、この時期の主からの「呪い」に関係しています。
(5)イスラエルの回復への終末的展望(申命記4章29〜31節=ホセア2章1〜2節など)。イスラエルのアッシリアによる捕囚とそこからの回復が預言されます。
〔輝きの喪失〕
 これで見ると分かるように、ホセア預言は、ヤハウェとイスラエルとの契約に基づく「祝福と呪い」というごく基本的な信仰から湧き出ています。預言者は、この比較的単純な信仰にあって、様々な比喩を交えながら北王国の現状を繰り返し弾劾し、その罪を訴えるのです。豊で繁栄しているかに見える王国のいったいどこがそんなに悪いのでしょうか? 王国の宮廷も祭司たちも、大部分の民も現状に満足しているように見えるのに。
 ヤハウェの霊言にとらえられたホセアの目から観ると、目の前に広がる北王国イスラエルの姿は、かつて荒れ野で与えられた主との契約に伴う輝かしい約束の「イスラエルの領土」ではないからです。かつてのイスラエルの民がヤハウェの旗の下で勝利した「栄光の輝き」を帯びた「イスラエルの領土」が、今や完全に失われているからです。
 なぜホセアの目には、王国がそのように腐敗堕落していると映るのでしょうか? この状態を「客観的に」裏付けようとして、偶像礼拝的なヤハウェとバアルとの二重構造だとか、カナンの神々との混淆宗教などが、「腐敗堕落」の原因としてあげられます。しかし、よく調べて見ると、当時の北王国の宗教は、ヤハウェとバアルとの二重構造だとは必ずしも言えないのです。「バアル」をイスラエル以前のカナンの民の「バアル~」と同一視して、偶像礼拝だと言い切ることは必ずしも出来ないのです。イスラエルは「妻」であり、ヤハウェは彼女の「主人(バアル)」、すなわち「夫」であると言うのは必ずしも<二重>とは言えないからです。
 「ただし<バアル>は、カナンの豊穣宗教の最高神の呼び名でもありますから、ホセア預言では、この(バアルという)言葉には、(カナン宗教に含まれる)信仰告白的な意味がこめられているのは確かです。この言い方には<ヤハウェはバアル(主)である>ことが前提されています。前8世紀の後期では、(北王国)イスラエルで、この呼び名が一般に用いられていたことは、バアルとヤハウェの両方の神の名を帯びた陶片がサマリアで発見されていることでも証明されています。(しかし)<バアル>が、<ご主人>であるヤハウェの意味なのか、カナン神話の神を指すのかは、確かではありません。おそらく両方の場合があったのでしょう」〔Mays, Hosea.48〕。
 だから北王国イスラエルの宗教的な状況を細かく分析して、ホセア預言の「ヤロブアムの罪」(列王記下14章24節)を客観的に立証するのは困難であり、その必要もないでしょう。なぜなら、ホセアが言いたいことは、そのような細かな宗教信条の問題ではなく、かつてイスラエルの民が現実に「観ていた」実際の姿、ヤハウェとの契約に伴う「栄光の輝き」が、今完全に失われているという厳然たる「出来事」を指すからです。これは、本質的に「霊的な」出来事ですから、これを客観的、歴史学的に立証することは不可能です。
 ホセアが「観ている」イスラエル王国の現状は、ホセア書4章と7章にはっきりと描かれています。この国には誠実さも慈しみもありません。神を「知る」ことがないからです(ホセア4章1節)。「知る」(ヤーダァ)は、ホセア書ではヤハウェと「共にいる」ことを指す大事な鍵語で18回でてきます〔Stuart, Hosea-Jona. "Introduction."〕。そこには、ホセアが想い描く「イスラエルの領土」、かつて民がヤハウェと共に歩んだ頃に帯びていた人と自然の輝きが失われているのです。だから、大地は「嘆き」、そこに住む人は「無気力」で、獣も鳥も魚も「死滅する」状態です(同4章3節)。物質的な豊かさが欠けているからではありません。人々は「勢いが増すにつれてますます、わたし(ヤハウェ)に罪を犯す」からです。「呪いと欺きと殺人と盗みと姦淫」が横行しているにもかかわらず、人々は「心地よい快楽」にふけっているからです。王たちは陰謀を働き、人々は穀物と新しい酒を求め、高官たちは諸外国との交流に忙しく、「ヤハウェの助けを求めることをしない」のです(7章)。だから、この北王国の状態は、当時のオリエントのごく普通の国々と変わりません。しかし、預言者の目には、人と自然が帯びる「ヤハウェの輝き」を失っていて、もはやかつての「イスラエルの領土」ではないのです。
 事情は南王国ユダでもそれほど変わりません。ホセア書の中の南王国に関する部分は、後の南王国の人たちによる挿入だと見るのは正しくありません。北の預言者が、南の状態に注目するのはごく自然ですから、南王国に関する預言もホセア預言と分かちがたく結びついています〔Stuart, Hosea-Jona. "Introduction."〕。
〔滅亡と回復〕
 ホセア書のもう一つの鍵語は「戻る/立ち帰る」(シューヴ)で、23回でてきます〔Stuart, Hosea-Jona. "Introduction."〕。この語は、ホセア書では特に申命記30章(4節/8節/10節)と結びついていますが、ホセア預言では、祝福よりも呪いのほうが強調されています。「もしもあなたたちが心変わりして、惑わされて他の神々にひれ伏すなら、あなたたちは必ず滅びる。ヨルダン川を渡り、入って所得する土地で、長く生きることが出来ない」(申命記30章18節)のです。この警告は、北王国の滅亡となって(721年)、ホセアの目の前で現実に起こったかもしれません。
 ここでホセアは、王や祭司たちに向かって、昔のヤハウェ信仰を「祭儀的に」取り戻すよう警告しているのではありません(ホセア6章6節)。あるいは、かつての士師の時代のように、敵対する異民族を彼らの異教もろともに武力によって「聖絶」するよう勧めているのでもありません(ホセア7章15節/8章14節)。ホセアが言う「戻る」とは、思いを新たにして主ヤハウェとの契約に「立ち帰る」ことなのです。それは過去の再現を指すのではなく、ヤハウェとの関係を「新たにする」こと、失われた夫と妻との関係を再び取り戻すように、その関係を<新しく創造する>ことなのです。なぜなら、これこそが、ホセアを通して顕われる神の言葉の働きだからです。それは、姦淫の妻を愛する夫のように、背く者、「神のもとを離れて淫行にふける者」(4章12節)でさえ、なお愛して止まないヤハウェの愛から出てくる「御言葉の働き」にほかならないのです。
 だから、ホセア預言は、過去を取り戻すよりも、むしろ未来への創造の働きかけを秘めています。呪いと弾劾が繰り返される中で、未来への新たな光が、それらの呪いの間から差してくるのです(2章1〜3節/同18〜25節/同14章5〜8節)。「その日が来れば」再びヤハウェとイスラエルとの愛が回復されるのです。
 ホセアのこの確信はどこから来るのでしょうか? それは、ヤハウェの約束の言葉が、彼には<すでに>成就しているのが見えるからにほかなりません。彼の結婚生活の隠喩において、その確信がどのような具体的な姿で「実現」したのかを預言者は語ってくれません。しかし、たとえ呪いの雲に閉ざされていても、ヤハウェの約束の言葉は、現実に彼を通して働きかけているのを「知る/悟る」ことができたのです。この意味でホセア預言は終末的です。しかし終末は、何時とも分からない遠い未来のことではなく、現に今臨んでいるヤハウェの言葉となってホセアに現臨するのです。だから、終末は近いのです。
 
さあ、我々は主のもとに立ち帰ろう。
主は我々を引き裂かれたが、いやし
我々を打たれたが、傷を包んでくださる。
<二日の後>、主は我々を生かし
<三日目に>、立ち上がらせてくださる。
我々は御前に生きる。
我々は主を知ろう。」
        (ホセア6章1〜3節)
 新共同訳では、この預言が「偽りの悔い改め」の見出しの中に置かれています。しかしここは、直前の「彼らは罪を認めてわたしを尋ね求め、/苦しみの中でわたしを捜し求めるまで」(5章15節)を受けていますから、これを民の「悔い改め」への呼びかけと見るほうが正しいでしょう。この預言は、民がその苦難の中にあっても、ヤハウェの愛に応えるように呼びかけているのです〔Mays, Hosea, 93-94.〕。ヤハウェの言葉から発する「輝き」こそ、終末の希望であり、それがホセアの現在を支えているのです。だから、わたしたちは、「三日目に立ち上がる」とあるのに復活の兆しを読み取ることができるのです〔Stuart, Hosea-Jona. Hosea 6: 2-3.〕。
■イスラエルの領土の歴史
 わたしたちは、ホセアを通じて、イスラエルの民とヤハウェとの契約に伴う、「栄光」の領土と、その栄光を失うことで、領土そのものをも失う裁きを見ました。栄光の喪失は、契約と律法に背いたためですが、その背きは、王や祭司たちによる民への不正な搾取となって現われました。これらは、土地とその収穫の分配の不平等と不正から生じるヤハウェに対する契約違反の罪なのです。だから、イスラエルの民の最初期からの平等主義は、預言者たちの時代まで続きます。神から約束された領土を不正に独占する大土地所有者たちに対する激しい非難が、エリヤによるアハブへの批判に始まり(列王記上21章)、アモス(6章3〜7節)、ホセア、イザヤ(3章11〜15節/5章8〜14節)、ミカ(3章1〜4節)へと続きます。
 南王国ユダでは、特にエレミヤ書で「イスラエルの悪」が厳しく糾弾されています(エレミヤ書2章1〜8節など)。主が「祝福と輝きに満ちた」領土(エレミヤ3章19節)をイスラエルの民に与えたにもかかわらず、彼らはその領土から追放されるのです。民は悪を行なって「異教の神々に仕えた」からです(同5章18〜19節)〔TDOT(1)404〕。
 エゼキエル書では、アブラハムへの約束と(エゼキエル書33章23〜24節)、イスラエルの起源が想起されます(同16章3節)。主はイスラエルを「乳と蜜の流れる」領土、「祝福と輝きに満ちた」領地へ導き入れました(同20章6節)。それなのに、この預言者がカナンの土地取得と征服に触れることはありません。イスラエルの悪と流血がはなはだしいために、ヤハウェはその領土を捨てたのです(同9章9節)。ヤハウェの栄光は、イスラエルの偶像礼拝のゆえに民から去ったのです(同8〜11章)。それにもかかわらず、主は再びイスラエルの民を集めて、「顔と顔とを合わせて」その民を導くと約束するのです(同20章33〜37節)。エゼキエル書には、新たに世界の中心となる神殿の姿が描き出されていますが(同43章以下)、その神殿を中心にして、新たな領土配分が行なわれるのです(同47章13節〜48章29節)。このようにエゼキエル書では、「散らされた民が再び集められる」約束がなされます(同12章15節/20章41節/34章13節/36章24節)〔TDOT(1)405〕。
  捕囚期の第二イザヤによる預言(イザヤ書45〜55章)では、天地創造からカナンの領土獲得までが、新たなイスラエルの救済史へ向かうためのタイポロジーとして理解されています(イザヤ書2章2〜4節)。モーセ五書からヨシュア記までが、エルサレム=シオン神学を支えるのです。イスラエルは贖われてバビロンから解放され、新しい神の民となることが約束されます(同48章20〜21節)。こうして、新たに浄められ高められたエルサレムがエデンの園として待望されるのです(同51章3節)。ただし、そこにはもう「領土拡張」は存在しません。捕囚以後のユダヤでは、国家の主権それ自体が自由な統治権を失いましたから、至高の神の支配領域が、「国土/領土」とは異なる意義を帯びた「霊的な領域」へ移行することになるからです。この変容は、エステル記やヨナ書やダニエル書にはっきりと見ることができます。
 ペルシア帝国の支配時代に入ると、キュロス王の勅令によるユダヤへの帰還と第二神殿の建設が成就しますから、これは、第二イザヤの預言の成就と見なされます(第二イザヤ以後については、後の部で扱います)。だからこの時代は、復興された国土と安息の喜びが支配的でした(歴代誌下36章21〜23節)。しかし、セレウコス朝による支配に入ってからは、黙示思想が台頭して、捕囚期以後のユダヤの民の罪が、再びその領土を脅かすようになります。また「イスラエルの領土」観も、離散のユダヤ人たちを含む広い範囲に及ぶことになり、この結果、「領土」は、イスラエルの「民の領域」と見なされるようになり、国土/領土観そのものが変容することになります。
 例えばダニエル書で、イスラエルの領土が「麗しい」(ツヴィ)とあるのは、「神の祝福と輝きに満ちた」"glorious splendour"という意味ですが(ダニエル書8章9節/11章16節/同41節)、「エレツ」(領土)は、ここでは、地上の空間的な領地を指すだけでなく、同時にそこに住む「人たち」のこと、すなわち「神の民」それ自体を意味するという隠喩性を帯びてくるのです。したがって、「エレツ」は、「領土」と言うよりも、神の民が存在する「領域」の意味に近くなります。
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