20章 イスラエルの領土(新約時代)
 
■旧約の「領土」から新約へ
 「土地/領土/国土」を意味するヘブライ語「エレツ」と「アダーマー」にあたるギリシア語は、七十人訳では「ゲー」です。「ゲー」は「天」(ウーラノス)に対する「地上」「大地」などをも意味します。旧約聖書と共通する意味では、「海/水に対する陸地」(マタイ14章24節その他)があり、「地上」の意味では「全地が暗くなった」(マタイ27章45節=マルコ15章33節=ルカ23章44節)などがあります。新約聖書では、約束の国としての「イスラエルの領土」に新たな解釈が加わりますが、まず、新約聖書の領土観をごく簡単に概観することから始めたいと思います〔Anchor(4)150-51〕。
(1)新約聖書での「イスラエルの領土」は、神がイエスの父ヨセフに「幼子とその母を連れてイスラエルの地/国へ向かえ」(マタイ2章20節)と命じるところから始まります。ここでは、「イスラエルの地/領土」が2度繰り返されていて(同20〜21節)、イスラエルを救うメシア(キリスト)が、かつて約束の国を目指したモーセのように、出エジプトの旅を再びたどっているのが分かります。だから、出エジプトのモーセとメシアであるイエスとのタイポロジー(予型と成就)をここに読み取ることができます。
(2)使徒言行録(7章1〜43節)では、殉教するステファノが、最高法院において、アブラハムに始まりバビロンの捕囚にいたるまで、すなわちイスラエルの国土取得からその喪失にいたる歴史全体を振り返って証ししています。ここには、「土地/領土」(ゲー)が6回繰り返されていますが(同7章3節/4節に2度/6節/29節/40節)、彼が言う「イスラエルの領土」とは、神がアブラハムに約束した領土のことで(同3節)、その約束の成就が近づくと、エジプトでイスラエルの民が著しく増えたことを強調しています(同17節)。ステファノは、ユダヤの民がヘレニズム世界に広がったことを念頭に置いて、イエスによって約束のメシアの到来が成就したことを言おうとしたのでしょう。
 エジプトから約束の国へ向かう途中の荒れ野の旅では、民はモーセに示されたとおりに幕屋を作り、この幕屋と共に、ヨシュアに率いられて「異邦の諸民族の領土」に侵入し、そこに住む諸民族を「追い出し」て、ダビデの時代にいたります(同44〜45節)。ここまでステファノは、イスラエルの約束の国伝承に従って語っています。しかし、アブラハムもモーセも、約束の国の成就を見ることができませんでした。
 彼は、荒れ野の旅の40年間、イスラエルは偶像礼拝に陥っていたと告げます(同42〜43節)。ソロモン王が建てた「家/神殿」も、神がそこに「安らかに宿る」場とはなりませんでした。神は人間が建てた「家」に「閉じこめられる」方ではないからです(49〜50節)。このためにイスラエルは、ついにその領土を失い、バビロンでの捕囚を体験することになります。ルカが彼の口を通してこれを語らせているとも考えられますから、はたしてステファノは、終末の到来がユダヤの滅亡をもたらすことを予知していたのかどうかは分かりません。
 ステファノは、イエスを信じた人の中で、最初の殉教者になります。彼が、誕生したばかりのエルサレムの教会においても突出した霊的な人物だったからでしょう。したがって彼は、復活のイエスの「聖霊の視点」から旧約時代を回顧しているのが分かります。彼によれば、「イスラエルの領土」は、イスラエルの民にとって必ずしも「善い領土」だとは言えなかったことになります。それまでのイスラエルの歴史の全過程が、神の聖霊に導かれながらも、民が神に逆らってきたと証言しているからです。このことが、主イエスの十字架とこれに続くステファノの殉教につながります。このように、旧約聖書の「領土/国土」が新約において改めて回顧されますが、それは、神の聖霊による導きと、新しい天からの都を待ち望む信仰へと方向づけられることになります。
(3)アブラハムへの「約束の領土」については、「アブラハムは他国の人のように約束の領土/土地に住んだ」(ヘブライ11章9節)とあります。その領土は「自分(アブラハム)が嗣業として受け継ぐ領土」(同8節)ですが、アブラハムだけでなく、彼の子孫たちさえ「約束されたもの(領土)を手に入れることができなかった」と言うのです。これは旧約聖書の「イスラエルの領土」観から見ると驚くべき発言です。アブラハムもその子孫たちも「自分の祖国/故郷を求めて」(同14節)いて、この地上において「よそ者」であり、彼らは「天の故郷を熱望していた」(16節)からなのです。ここでは、新約時代の「領土」だけでなく、旧約のアブラハムとその子孫にさかのぼって、「イスラエルの領土/国土」が根本的に再解釈されているのが分かります。旧約聖書の「領土/国土」神学は完全に解消されて、新しい「領土」解釈が、旧約時代にさかのぼって適応されているのです。
 これら三つの例は、「約束とこれの成就」という視点で、領土神学のタイポロジー関係を表わすだけでなく、旧新の領土観の間には、根本的に異なるところがあると言えそうです。これに匹敵する領土観の大きな変容は、かつての捕囚期にも起こりました。ヘブライ人への手紙は80〜90年の作と見なされていますが、この時期は、マタイ福音書やルカ福音書やヨハネ福音書が書かれた頃と共通します。特にヘブライ人への手紙では、「神殿」の代わりに「幕屋」が用いられていることが注目されます(ヘブライ9章1〜10節)。これは、初期ユダヤ教時代の「イスラエルの領土」観の中核であったエルサレム神殿が、すでに喪失していた(70年)ことと深くかかわっていましょう(この点は後の「神/主の家伝承」で扱います)。
 旧新約中間期におけるユダヤ教は、「ギリシア人」と「バルバロイ(未開人)」というギリシア的な二分法に対するために、「ユーダイスモス」(ユダヤ的な人)と「ヘレーニスモス」(ヘレニズム的な人)という二分法をもって対抗しようとしました。そこでは、「イスラエルの領土」が失われた後でも、なおイスラエルの神の主権が「人間の領域」として確保されるよう求められていたのです〔ヘンゲル『ユダヤ人・ギリシア人・バルバロイ』128〜130頁〕。このような「人間が創り出す領域」は、イエスとそれ以後のキリスト教の領土観にも受け継がれますが、新約では、「ユダヤ的な人」と「ヘレニズム的な人」との隔てが、パウロの言う「もはやユダヤ人もギリシア人もない」(ガラテヤ3章28節)領域へと発展的に解消することになります。
■イエスと「イスラエルの領土」
 福音書は、イエスが、ユダヤ人の家系に属するだけではなく(マタイ1章1〜17節)、彼が地理的にもイスラエルの領土に属していることを証ししています(マタイ2章1〜6節/ルカ2章4節)。したがって、「イスラエルの領土」は、イエスにとって自己の福音の場であり、自分が「イスラエルの家」に遣わされていることを自覚させる場であったと言えます(マタイ10章5〜6節)。加えて、イエスの家系がダビデ王へとつながることから(マタイ9章27節/ローマ1章3節)、エルサレムはイエスにとって特別な意味を帯びていました。マタイ23章37〜38節からは、エルサレムを中心とする「イスラエルの領土」に対するイエスの熱い想いを洞察することができます。「幸いだ柔和な人たちは、その人たちは<地を受け継ぐ>」(マタイ5章5節)とあるのも、その「領土」が霊的な意味に解釈されているとは言え、旧約以来の「領土」思想が、イエスの言葉に地上における現実性を与えているのを見逃すことができません。このことから、イエスはゼロータイ的な熱烈な愛国者であり、ローマの支配からイスラエルの領土を解放しようと志す革命家であったという見方も生じることになります〔Anchor(4)151〕〔Tabor, The Jesus Dynasty. 103-104.〕。
 イエスは、ユダヤ人として律法を重んじ(マタイ5章17〜18節)、神殿と会堂を尊ぶことを知っていました(ルカ2章49節/同4章16節)。「安息日に病人を癒やすことが、善なのか、悪なのか」と怒りをこめて問いかける時(マルコ3章4節)、ラビたちやファリサイ派とは異なる解釈であったとは言え、律法に寄せるイエスの想いが伝わります。
 イエスのこのような志は最初期のキリスト教会にも受け継がれましたから、イスラエル以外の異邦人への宣教は、イスラエルと異邦人との間を隔てる壁を破ろうとする<聖霊の導き>を必要としたのです(使徒10章15節)。イエスの「イスラエルの領土」への想いは、とりわけユダヤ人キリスト教徒に受け継がれました。だから、使徒言行録10章のような異邦人への宣教においても、旧約の「領土神学」の本質は破棄されることがなく、異邦人キリスト教徒の領域が、旧約的な領土観との類比において、新たな「霊的な領土神学」として受け継がれることになります。この「霊的な領土神学」を通じて、異邦世界への宣教は、異邦人キリスト教徒の領域をアブラハムを通じて賦与される諸民族への祝福と見て、かつこれを旧約の領土神学の<成就>だと見なすことができたのです。
 新約における霊的な領土神学の根源は、イエス自身の霊性にすでに秘められていたものです。しかしこの信仰は、すでに旧約の預言者たちによって、神から告知されていたものです。それは、「異邦世界への審判」(アモス1章3節〜2章3節)となって告知されており、同時に「異邦世界への祝福」(ヨナ書)として、特に終末的な意義を帯びる用語で全世界の諸民族に告げられていたのです(イザヤ2章2〜4節/ミカ4章1〜3節)。
 このような視野は、イエス自身の宣教活動にすでに表われています。イエスは、郷里のナザレの人たちから拒絶された後で、ガリラヤ湖の北の畔にあるカファルナウムを活動の拠点としました。そこは、エルサレムの「聖なる都」とは対照的に「異邦人のガリラヤ」と呼ばれていた場所です。だから、マルコ福音書やマタイ福音書では、イエスの神の国宣教は、主としてガリラヤを中心に行なわれていて、どちらかと言えばエルサレムは、イエスが最期にたどり着く受難の場として描かれています。イエスの宣教活動が、すでにイエスの伝える神の国が異邦世界にも広まることを予告していたのです。
 にもかかわらずイエスは、自分の使命が「イスラエルの領土」の中心であるエルサレムを目指すことにあるのを知っていました。この点を明確にしているのがルカ福音書です。ルカ福音書でイエスは、十二弟子と「ガリラヤから奉仕を続けて来た」女性たちと共に、エルサレムを目指します。弟子たちは、イエスがエルサレムを目指すのは、旧約以来の領土神学の成就を願うからであり、これこそが、預言されたイスラエルのメシアの使命であると考えていたようです。
 しかし、弟子たちのこの期待を裏切るように、そこはイエスの受難の地になります。預言者がエルサレム以外の地で死ぬことがありえないことをイエスは自覚していたからです。だから、かつてイスラエルの国土が失われて、民がバビロンの捕囚を体験したように、弟子たちもまた、自分たちが信じていた領土観、すなわち「イエスの神の国」が、エルサレムで<喪失する>という挫折を味わうことになります。
 しかし、このような「彼らの受難」もまた、これもかつてのユダヤの民が体験したように、新たな聖地への帰還の喜びへと転じることになります。エルサレムは、聖霊によるエクレシア誕生の地となるからです。かつて第三イザヤやダニエル書は、イスラエルの民のエルサレムへの帰還が、新たなメシアの到来を待ち望む出発になると預言しました。この希望と軌を一にするように、イエスにあって始まった「神の国」は、イエス・キリストの再臨を待ち望む場になったのです。聖霊によるエクレシアの誕生から、終末でのメシアの到来と神の国の完成を待ち望むという、以後の神の国拡大の歩みは、使徒言行録に記録されているとおりです〔Anchor(4)153〕。
■人の子と「イスラエルの町々」
 ではイスラエルの領土神学は、イエスにあってどのように受け継がれ、同時にどのような変容を遂げたのでしょうか。これを考える上で重要なのがイエスの「人の子」言葉です。定冠詞つきの「人の子」言葉がイエスにさかのぼることは、これを否定する説があるにもかかわらず、語法的にも指摘されています〔Daniel Wallace, Greek Grammar: Beyond the Basic. Zondervan(1996). 240. Note.61.〕。
イエスは「一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃れなさい。アーメン、あなたがた(弟子たち)に言うが、イスラエルの町々を回り終えないうちに人の子は来る」(マタイ10章23節)と告げました。この節はマタイ福音書だけに出てきますが、ここにはイエスの母語であるセム的な語法が指摘されています。また、この節とマルコ9章1節とは、「アーメン、わたしは言う」や「あなたたちが〜するまでは〜することがない」という言い回しなどが共通していて、このような語り方はイエスにさかのぼると考えられます〔Davies, Matthew 8-18. 189-190.〕。
 「人の子」は、ダニエル書7章13節に由来する言葉で、イエスの時代には、ユダヤの人たちの間でいろいろな意味で用いられていました。「人の子」は、とりわけ黙示思想において終末的な意味を帯びて用いられましたから、ここでも「イスラエルの町々を回り終えないうちに」という言い方は、いかにも切迫した終末的な内容を思わせます。この「人の子」は、自己が属する共同体との関係において間接的に「自分」を指す場合にも用いられましたから(マタイ8章20節/同9章6節参照)、イエスはここでも「人の子」をこの意味で用いたと思われます。
 ただし、「人の子」が指示する内容は、復活以後のキリスト教会では、昇天して神の右に座し世界を裁くために再臨するキリストを指すようになります。マタイの言う「人の子」にも、原初教会が用いたこの意味が含まれることがありますが(マタイ26章64節)、原初教会のこの「人の子」が、どの程度イエス自身の言葉内容を継承しているのかを見極めるのは難しいようです。したがって、マタイ10章23節はイエスにさかのぼるとは言え、それは二次的な編集を受けており、これの意味する内容も、イエスにさかのぼる人の子言葉から変容していると考えられます。
 マタイ10章23節を<字義どおりに>とれば、イエスの時代のガリラヤとユダヤの町々全部を十二弟子が巡回し終わらないうちに「人の子が来臨する」という意味になりましょう。ただし「人の子」がイエス自身を指すのであれば、「来臨する」は、イエスがこの世を去って、再び来ることを意味します。ここで問題になるのは「イスラエルの町々(全部)を回り終えないうちに」です。これを字義どおりに解釈すれば、イエスの当時のユダヤとガリラヤの全地域を弟子たちが巡り終わらないうちに、イエスが「人の子」として再び来臨する、すなわち終末での神の国が成就し完成するという意味になります。この預言が実現しなかったことはマタイにもわたしたちにも明かです。むしろ、弟子たちがイスラエルの全土を回り終わらないうちにイエスは十字架刑に処せられました。その結果イエスは復活し、イエスの復活以後に到来したのは、人の子の到来による終末の神の国の実現ではなく、終末を待ち望む教会の実現だったのです。だから、もしも字義どおりの意味でイエスがマタイ10章23節を語ったとすれば、その預言は成就しなかったことになります。
 このように、預言の字義どおりの成就が果たされなかったことを説明し弁護するために、「イスラエルの町々」というのは、字義どおりではなく、パレスチナの外に広がる離散のイスラエルの民が住んでいる地上の諸民族の全地域を指す、という拡大解釈がなされるようになります。この解釈では、「イスラエル」は、異邦の諸民族を含む全世界の「神に選ばれた霊的な意味でのイスラエルの民」になりますから、「イスラエル」が拡大解釈されてその内容に変容が生じてきます。この解釈だとマタイ10章23節のイエスの預言は、まだ実現していない終末を指すことになり、教会は終末の神の国を目指して、全世界の民に福音を伝えることで、「イスラエルの全部の町々を回り終える」ように努めることが要請されることになりましょう。現在では、ここのイエスの預言は、このように受け取られる場合が多いようです。
 学問的な立場からは、この節の預言が成就<しなかった>ことを説明するために、この節は、イエスに直接さかのぼるものではなく、後の教会によって創出されたという説が生じました。しかし、成就しなかったことをわざわざイエスの口から言わせるという「教会による創出」説には無理があります。わたしたちはここで、<偽預言>か<教会の創作>かのどちらかを選ばなければならないのでしょうか? 
 このような二者択一の前に、「イスラエルの町々」という言い方それ自体がいったい何を意味する/しないのかを根本的に探る必要があります。そもそもこの言い方は、「領土」を表わすのでしょうか? それとも何かほかのことを意味するのでしょうか?「イスラエルの町々(全部)」が、現在の観光ツアー用の案内の文句であれば、これは文字通り、イスラエル全域を指す地理的な意味でなければなりません。しかし、イエスの目に実際に見えていた「イスラエルの町々(の全域)」は、観光案内のパンフレットを作った人が見ているようなものではありません。イエスの「見る/観る」には、終末的な視野と霊性による洞察がこめられているからです。イエスの霊的な「観る」とは、その土地に住む<人の霊性>それ自体のことなのです。
 例えばヨハネ福音書では、「わたし(イエス)は、あなた(ナタナエル)がフィリポから話しかけられる前に、(すでにあなたが)いちじくの木の下にいるのを<見た>」(ヨハネ1章48節)と記されています。この「見る/観る」は、ナタナエルについて「<見なさい>。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」(同47節)とイエスが言う時の「見る/観る」です。イエスはナタナエルの中に「まことのイスラエル人」の姿を霊視したのです。このことは、イエスが、現実の人間とは別個の存在を「見て」いたことではありません。そうではなく、イエスは、<ナタナエルの内に>、ナタナエル自身さえも、また周囲の誰にも見えなかった<ナタナエルの霊性>を「観て」いたことを意味するのです。
 だから、真の「イスラエルの領土」というのは、「真のイスラエル人たち」がこの地上に顕現するその存在領域のことにほかなりません。これが分かれば、イエスが、ほんらいの霊的な「イスラエルの町々」を指していたことと、その言葉が、教会によって変容拡大することとはなんら矛盾することではなく、ごく自然に理解できるのです。
■人の子の即位
 マタイ福音書の終末観はマルコ福音書のそれと関連しますから、上に述べたマタイ10章23節の「人の子」も、マルコ6章11〜12節とのつながりから見て、「神の国」と深く結びついています。直前のマタイ10章22節に「最後まで(堪え忍ぶ)」とあるのも、「終末まで」すなわち神の国が「完成する/成就するまで」の意味でしょう。だから、マタイ10章23節も、マルコ福音書にでてくる終末の「人の子」との関連において考察することができましょう。
 
それらの日には、このような苦難の後、
太陽は暗くなり、
月は光を放たず、
星は空から落ち、
天体は揺り動かされる。
その時、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。その時人の子は、天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から集める。
 (マルコ13章24〜26節)
 
 マルコ福音書の人の子再臨のこの部分は、神殿崩壊への預言に伴う地上での終末のしるし預言(マルコ13章1〜23節)と、人の子の終末での再臨/来臨預言(同28〜37節)と、この二つの間に挟まれてでてきます、この二つの出来事の間に宇宙的とも思える「人の子の栄光」(24〜27節)が顕われるのです。従来この部分は、これの後に続くいちじくのたとえと、人の子イエスの再臨とに結びつけて解釈されてきました。終末に顕われる人の子とイエスとを同一視することができないという見方もありますが、ここではこの問題に触れることを控えます(この問題は、後の「人の子伝承」の部で扱います)。マルコ13章24〜27節については、主として二つの点が問われることになります。
(1)ここで語られる宇宙規模とも思われる描写は、はたして、天体をも含む宇宙規模の崩壊のことで、「歴史を含みつつも歴史それ自体をも超える」内容を指すものなのか〔Edwards, Mark. 402.n.42〕? それとも、神殿の崩壊とエルサレムの滅亡に見られるような政治的、国家的、宗教的な激変を表わす表象なのか〔France, Mark. 500〜501〕?
(2)ここで語られているのは、終末と人の子の来臨/再臨の出来事なのか? それとも、ダニエル書13章にあるように、人の子が、神の王座の右に座ることによって、至高の権威を授与されること、特に受難と復活を経たイエスの高挙とメシア王国への即位を指すものなのか? そうであれば、この部分は、将来に起きるべき終末での来臨/再臨とは直接関係がないことになります。
 (1)と(2)の問題は絡み合っています。あえてこれを総合すれば、ほぼ次のようになりましょう。マルコ福音書のここの大苦難が、神殿崩壊とエルサレムの滅亡を指すと見るならば、これに続く人の子顕現は、エルサレム神殿とこれを中心とする「イスラエルの領土」に代わる新しい神殿と「神の王国」が出現することを預言するもので、これこそイエス自身が告知した「神の国」であり、「イスラエルの町々を巡り終えないうちに」実現する出来事であったことになります。
 したがって、イエスが預言したのは、将来的な意味での終末の人の子の来臨/再臨のことではなく、大祭司たちにも「見える」姿で、すなわち彼らの「この世代に」、神の王国への人の子の即位が起こることです(マルコ14章62節)。この場合、宇宙的な表象は、辞義どおりに天体を指すよりも、むしろ地上の宗教的政治的な変動を言い表わすための旧約以来の伝統的な表現法だと見ることができます。
 したがって、マルコ13章24〜25節には、地上のエルサレムを襲う否定的な側面が予告されていますが、同時に、この否定は、続く同26〜27節で、ダニエル書7章13〜14節の「人の子の高挙と即位」という肯定的な出来事へ移行します。地上の神殿と王国が失墜するのと表裏をなして、天における神の王座において新たな王権が確立されるのです。「神によって立てられる」このような王権こそ、ナザレのイエスが「全能の神の右に座る」と宣言した「至高者の聖徒たち」(ダニエル7章22節)の姿にほかなりません。ここでは、「イスラエルの勝利」は、地上のエルサレムの滅亡と裏腹に、神の民を代表する「人の子」の即位へと転位されるのです。
 旧約聖書の言語を正しく理解するならば、マルコのこの人の子は、イエス自身による人の子言葉を教会が受け継いで、イエスが予告した「至高権」が、神の民の「新しいエルサレム」へと、すなわち「真のイスラエルの領土」へとつながることを予告するものです。おそらくマタイ10章23節の「イスラエルの町々を巡り終わらないうちに人の子は来る」は、ほんらいマルコ福音書13章の前段階の伝承に含まれていたもので、「人の子は来る」は、受難を間近に予期していたイエスの言葉を遺しているのでしょう。
■領土から領域へ
 以上をまとめると、イエスの「領土神学」においては、聖霊の働きを受けた人間の「霊性」が領域化されて、「領土」"land" が「領域」 "realm" へと変容するだけでなく、イエスを通して告知される「人の子の王国」を象徴することになります。人の子はイエス自身をも指しますから、ここでは「領土」の「人格化」が生じています。イエスによるこの変容は、さらにその弟子たちによって、とりわけパウロによって押し進められることになり、「領域の拡大化」が図られます。だから、イエスの弟子たちと、これに続くエクレシアは、「非領土的な」神学に根ざすと言うよりも、むしろ霊的な領域の拡大を目指すと言うほうが適切でしょう。
 イエスによる霊的な領域神学は、その原点を聖地エルサレムではなく「聖地ガリラヤ」に求めることができます〔Anchor(4)153〕。「わたしは復活した後ガリラヤへ行く」(マルコ14章28節)や「異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大いなる光を見た」(マタイ4章15〜16節)とあるとおり、ガリラヤはイエスの伝道の拠点であり、おそらくその復活信仰の最初の発祥地であったと考えられます。もっとも、このような「ガリラヤ起源」は、すでに旧約聖書で預言されていた(イザヤ書8章23節)と弟子たちは証言しています。しかしそこには、旧約的な意味での「選ばれた土地」はもはや存在しません。
■申命記主義
 イスラエルの領土神学と分かちがなく結びついているのが律法です。特に両者の結びつきは申命記に明記されています。狭義の「律法」は、出エジプト記にもレビ記にも詳しく述べられていますが、ここで「律法」(トーラー)というのは、ヘブライの伝承に基づくモーセ五書全体のことです。特にここでは、モーセ五書の申命記に注目したいのです。この書は、モーセ五書に続くヨシュア記以降のイスラエルの歴史とつながり、いわゆる申命記史家(たち)によって編集されています。申命記の律法は出エジプト記の律法を受け継いでいますが、申命記は、律法そのものよりも、律法に対するイスラエルの心構え、言い換えるとイスラエル的な「律法主義」を明確に表明しています。言うまでもなく、イエスと申命記とのつながりを考える場合には、現代の文献批評的な考察は直接関係しません。なお、ここで申命記の内容の紹介やその編集過程などに立ち入ることは控え、それらは申命記史家(たち)と申命記の編集の章に譲ることにします。
 申命記の精神を最もよく表わす言葉は、6章4節の「聞け、イスラエルよ。われらの神主は唯一の神である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神主を愛しなさい」です。しかしながら、申命記では、この「主なる神を愛する」ことと並んで、言わばこれの裏側に一つの警告が響いています。「あなたは、他の神々、周辺諸国民の神々の後に従ってはならない。あなたのただ中におられるあなたの神、主は熱情の神である。あなたの神、主の怒りがあなたに向かって燃え上がり、地の面から滅ぼされないようにしなさい」(同14〜15節)。
 申命記全体は、これら二つの命題をめぐって展開されていると言っても言い過ぎではありません。前の命令を守るならば豊かな祝福が伴い、後の命令を破るならば恐ろしい呪いが伴います(申命記11章26〜32節/28章1〜46節)。申命記では、どちらかと言えば、祝福よりも呪いのほうが事細かに語られていますが、これらは、北王国と南王国とが、それぞれアッシリアと新バビロニアによって滅ぼされて、民族絶滅の危機に陥った体験を基に書き直されているからです。イスラエルの民は、字義どおりに「地の面から滅ぼし尽くされる」ほどの苦難を味わいました。「主があなたに与えた約束の土地が奪われる」こと、これが、申命記がイスラエルの民に発している最大の警告です。だから、申命記の律法主義と「イスラエルの領土」とのつながりは、申命記から列王記(上下)にいたる申命記史家たちの編集にさかのぼるものです。
 申命記では、モーセ律法、とりわけ十戒を核とする諸律法を厳格に守るよう繰り返し説かれていますが、強調点は、個々の律法よりも、むしろ主の律法そのものに対する心構えのほうで、これが「申命記主義」あるいは申命記的な「律法主義」を呼ばれるものです。この申命記的な律法主義は、イスラエル周辺の諸民族の「他の神々」、すなわち彼らの偶像礼拝に厳しい目を向けていますが、ここで採りあげなければならないのは、イスラエルの領土の<内側に>住んでいたカナンの諸民族のほうです。
 イスラエルの民がカナンへ侵入した際に、そこに住むカナンの原住民に対して行なったことは、申命記2章26節〜3章7節に語られています。ここには、ヨルダン川の東岸地域で、イスラエルの民の進路を阻(はば)んだ二つの王国、シホンが統治するヘシュボン王国と、オグが支配するバシャン王国とが、イスラエルによって占領され、「神は彼らの領土をイスラエルに与えた」とあります。その際に、イスラエルの民は、「町全体、男も女も子供も滅ぼし尽くして一人も残さなかった」のです(2章34節/3章6節)。これがいわゆる「聖絶」(ヘーレム)と呼ばれる出来事です。
 「聖絶」については、未だ分からないことがあり議論が続いています。もしもこれが字義どおりに行なわれたとすれば、古代国家間の闘いの中でも最も残酷な部類に属する行為になりましょう。苛酷と言われたアッシリアでさえも、占領下の民に対しては、最下層の農民たちはそのまま土地に残し、捕らわれた人たちも他国へ奴隷として連行されました。だから、申命記で語られる聖絶も、敵の民を主ヤハウェに「献げる」という祭儀的な隠喩の意味であって、字義どおりの「皆殺し」ではなかったという解釈があります〔『新共同訳旧約聖書注解』(1)301〜302頁〕〔岩波訳『民数記:申命記』巻末用語解説9〜10頁〕。
 しかし、申命記のテキストを字義どおりに読む限りでは、このような隠喩的な解釈は不可能です。「男も女も、子供らもすべて<聖絶>し尽くして、誰も残さなかった」〔岩波訳〕とありますが、これは「完全に絶滅させて、一人たりとも生き残らせない」"...we utterly destroyed men, women, and children. We left not a single survivor. "〔NRSV〕、"the inhabitants slain" 〔Driver, Deuteronomy. 45.〕ことです。捕囚期に近い申命記史家(たち)の時代には、「聖絶」は字義どおりではなく、祭儀的な隠喩性を帯びているから、必ずしも「皆殺し」を意味しないという解釈は、それなりに理解できます。しかし、申命記が伝えているのは、イスラエルのカナン侵入の初期段階では、敵対する民族同士の闘いが、字義どおりに殺すか殺されるかの凄絶な闘いであって、この現実の前には、隠喩的な解釈による「憐れみの情」は介入する余地がなく(申命記7章2節後半)、現実に「皆殺し」が実行されたと見るべきでしょう。「聖絶」が隠喩性を帯びるのは、この現実が伝承された後の段階でのことです。
 ここで大事なのは、イスラエルの民の「酷(むご)さ」という軍事的・社会的なレベルの見解ではなく、彼らが主ヤハウェの命令を実行しなければならなかったその宗教的な動機のほうです。主ヤハウェが彼らに与える約束の領土の内側では、異民族の神々に基づく偶像礼拝的な要因は、宗教的にも文化的にも社会的にも、いっさい遺すことを許さず、これを根絶することが求められたからです。だから彼らは、敵対する異民族と協定を結ぶことをせず、おそらく異民族がヤハウェ信仰に改宗することさえ拒否したと考えられます。それは、領土内の異民族の宗教と文化を含むいっさいの価値観を、言い換えると彼らのアイデンティティそれ自体を抹殺することが目的だったからです。だから「聖絶する」とは土地や物と同様に人間を主ヤハウェに「献げもの」として献げるだけでなく、本質的には、そこに住む「人間」に向けられていて、この場合は「献げ物」という名詞形ではなく、動詞「ハーラム」の能動使役態(ヒフィル)が用いられ、敵の領土を「占領し」、「そこに住む人たちを殺戮する」ことを指しています〔TDOT(5)186-87〕。だから異民族を「聖別する」とは「絶滅し殺す」ことで〔TDOT(5)188〕、少なくともこれが「聖絶」(ヘーレム)のほんらい意味することです。
 「聖絶」(ヘーレム)には、「呪い」「絶滅」「殺されるべく献げられた人」などの意味がありますが、これに含まれる宗教的な意図は、字義どおりにせよ隠喩的にせよ、申命記的な律法主義として、以後のユダヤ=キリスト教に大きな影響を及ぼすことになります。
■イエスと申命記的「呪い」
 ではここで、「イスラエルの領土」とのつながりにおいて、申命記的な律法主義とイエスとの関係を考察してみたいと思います。申命記では、「主を愛する」命令と「他の神々を拒否する」命令とが表裏を成していますが、後のほうの拒否命令とイエスとの関係を見ると、そこに興味深い事実が浮かび上がってきます。それは、律法主義に基づく聖絶の思想が、それまでの異民族や異教徒へではなく、サタンと彼を頭とする悪霊共に向けられていることです。
 イエスの伝道を特徴づける「悪霊追放」は、かつてイスラエルの民が、約束の国の領域から敵対する異邦人たちを「追放する」行為と並行するところがあります。しかも、御国の領域から「追放する」だけでなく、イスラエルのカナン侵入の最初期の頃に、敵対する異教の小王国を滅ぼし尽くしたように、サタンの王国を「絶滅させる」ことを意図している点でも「聖絶」の思想につながるものです。
 イエスの場合、悪霊共を「追い出す」行為は、悪霊を神の国の領域から追放するだけでなく、これらを「滅ぼす」ことをも意味します(マルコ5章1〜13節)。ただし、マルコ福音書5章のゲラサの悪霊追放の場合、悪霊が水の中で「おぼれ死んだ」とありますが、これはまだ完全な絶滅を意味するとは言えず、最終的な絶滅は、終末に訪れる神の裁きによって、悪霊共も、これに支配された人間たちも「火の地獄に投げこまれる」(マタイ5章22節)まで待たなければならないのでしょう。
 イエスとサタン(悪魔)との対決は、悪魔によるイエスへの荒れ野での誘惑の場に描かれています(マタイ4章1〜11節/ルカ4章1〜12節)。イエスは荒れ野で40日間断食して、この間に悪魔の誘惑を受けたとありますが、これは、イスラエルの民が荒れ野で40年間さまよい、その間に様々な試練を受けると同時に、モーセを通して契約と律法とを授けられた期間に対応するのでしょう。マタイ福音書とルカ福音書では、誘惑の順序が異なりますが、どちらの場合も悪魔の誘いに対するイエスの答えは同じです。これをマタイ福音書で言えば「人はパンだけで生きるものではない」(マタイ4章4節=申命記8章3節)、「あなたの神である主を試してはならない」(マタイ4章7節=申命記6章16節)、「あなたの神である主を拝み、ただ主にのみ仕えよ」(マタイ4章10節=申命記6章13節)で、どれも申命記からの引用になっています。
 共観福音書では、イエスと悪魔との対決は、イエスが「サタンが天から稲妻のように墜ちるのを見た」と告げる場面で一つの頂点に達します(ルカ10章18〜19節)。ルカ10章17節はルカ自身による編集と考えられますが、同18〜19節はルカだけの特殊資料から出ていると見ることができます。ルカはこの箇所を72人の弟子たちによる伝道の成果と結びつけて、そこにサタンの王国が神の国の伝道によって敗北したことを読み取っているようです。しかし、ルカ福音書にサタンが固有名詞で出てくるのはこの箇所が最初です(この伝承がアラム語にさかのぼることを意味するのか?)。
 すでに第1部「堕天使たちとノアの洪水伝承」で見たとおり、固有名詞の「サタン」が登場するのは、旧新約中間期の比較的後期のことで、サタンはそれまでの悪霊共の頭に取って代わって「悪霊の頭」になります。ルカ福音書のこのサタンもこの意味で、彼は悪霊王国の頭です。堕天使たちが地上に落ちて悪霊に変じたという創世記6章1〜4節に基づく後期の伝承を、ルカ福音書のこの箇所と直接に結びつけることはできませんが、イザヤ書14章12〜15節の「明の明星」の墜落が、この箇所に反映していると見られています〔Marshall, The Gospel of Luke. 428-29.〕。
 しかし、ここでサタンが、天から「稲妻のように墜ちた」とあるのは、ルシフェルの墜落の反映だけではなく、それ以上に、サタンの「滅び」が完了していることをイエスがすでに予見していることを指しています(ヨハネ12章31節/ローマ16章20節を参照)。なお、ルカ福音書ではサタンの「墜落」が予見されていますが、ヨハネ福音書ではサタンの「追放」であり、ローマ人への手紙ではサタンの完全な「敗北」です。「追放」「敗北」「滅び」などが「絶滅」へと結びつく用法は、申命記の「聖絶」思想へさかのぼることで説明できましょう。なお、マタイ24章とルカ17章で、イエスが「ノアの洪水」に言及しているのも、洪水と堕天使たちの悪霊伝承が、その背景にあるのかもしれません。以上見てきたように、イエスと申命記の「呪い」との関わりは、主としてサタンとその手下どもの悪霊追放、およびサタン王国の敗北と滅亡につながるところがあると思われます。
■イエスと申命記の離縁規定
 申命記的な「呪い」が、イエスによってどのように扱われているのかを見たので、今度は、申命記に記されている「祝福」について考察したいと思います。申命記の祝福の根本になるのが「心を尽くし、魂/身を尽くして、あなたの主を尋ね求めるなら、あなたは神に出会う」(申命記4章29節)です。これが「聞け、イスラエルよ。我らの神主は、唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂/身を尽くし、力を尽くして、あなたの神主を愛しなさい」(同6章4〜5節)という教えになり、イエスは、これが律法のうちで最も大事な掟だと教えています(マルコ12章29〜30節)。ここで申命記史家(たち)は、超越的だといわれるイスラエルの神を(特にP資料において)、また、「人間的だ」と言われるヤハウィストの主なる神よりも、さらに近く臨在する「情熱の神」として、神とイスラエルの民との類い希な「親密さ」を語っています。ではイエスは、申命記のこの「祝福の律法」をどのようにとらえているのでしょうか?
 この点を探るために、先ず、イエスとファリサイ派との間に交わされた離婚問答をマルコ福音書から考察します(マルコ10章2〜12節)。ここには、夫と妻との離縁/離婚が採りあげられています。ファリサイ派の人たちがイエスをテストしようとして、「夫が妻を離縁するのは律法に適っているでしょうか?」と尋ねます。夫が妻を離縁することはユダヤ教で認められていましたから、問題は、離縁がどのような条件の下でなら「許される」のか?ということでした。だから、ファリサイ派の人たちが、イエスに向かって、離縁それ自体が「律法によって正しいのか?」(原語の意味)と詰問したことは、すでに彼らが、イエスの離縁/離婚に対する姿勢が彼らとは違うことを知っていたからだと思われます。
 イエスは彼らに「モーセは離縁についてなんと命じたか?」と問い返します。イエスが「モーセ」というのは「モーセ律法」のことで、これはモーセ五書全体を指します。するとファリサイ派は、申命記24章1〜4節に基づいて、「モーセは(夫が)離縁状を渡して(妻を)離縁することを許している」と答えます。実は彼らが引用した申命記24章1〜4節は、夫に離縁された妻が「その後再婚した」場合について定めたもので、直接離縁について規定したものではありません(原文は「離縁状を書いて彼女を去らせた場合に・・・」と条件文になっています)。しかし、モーセ五書には、これ以外に離縁に関する規定が述べられていないために、ここが離縁に関する「神の掟」だと伝統的に解釈されてきたのです。だから、ファリサイ派もイエスもこの聖書解釈に準じて論じています。
 ファリサイ派の人たちはここで「モーセは離縁を<許している/認めている>」と述べていますが、おそらく彼らは、これも神の律法の一つとして、場合によっては夫が妻を離縁し「なければならない」場合があると考えていたようです。だから、離縁/離婚は、場合によっては、神の律法に基づく「命令」だと解釈していたと思われます。マルコ福音書のこの箇所と並行するマタイ19章7節では、「離縁するように<命じた>」とありますが、これはファリサイ派のこのような解釈を念頭に置いているのでしょう。
 ところがイエスは、申命記のこの箇所をイスラエルの民の心が神に反逆する頑(かたくな)な心のために、やむをえず「譲歩」したのであって、離縁は、神ほんらいの意志ではないとはっきり告げた上で、「天地創造の初めから神は人を男と女に創られたのであるから」(創世記1章27節)、神にあって結ばれた夫婦には離縁/離婚が「ありえない」と、きっぱりと離縁を否定したのです。神が合わせたものを(同2章24節)人が引き離してはならないからです。ちょうど結婚の結果生まれた子供を「生まれなかった」ことにはできないと同様に、神が新たに創造された夫婦の結びつきは、「なかった」ことにはできないと言うのです。
 言うまでもなく、創世記からのイエスの引用は、直接離婚に関わる言葉ではありません。しかしイエスはここで、申命記の離縁の規定を創世記の神の言葉へとさかのぼらせて、天地創造の視点から、律法の根源的な意義を読み取っています。こうすることによって、ユダヤ教の申命記の解釈それ自体を否定したのです。言い換えると、ファリサイ派が持ち出したモーセ律法(モーセ五書)の申命記をイエスは同じモーセ律法の創世記へさかのぼらせて解釈し、たとえモーセが離縁を「許した」としても、それはイスラエルの民が、神の律法に「反逆する」(原語の「頑な」の意味)からであって、離縁はこの意味で神の「譲歩」であり、やむをえない「お目こぼし」にすぎないと見ているのです。
 ここでイエスは、同じモーセ律法(モーセ五書)の中で、創世記の神の言葉のほうが、「後からの」申命記の離縁規定よりも、より根源的であると見て、初めの言葉から後の言葉を解釈し直すことによって、申命記の離縁規定を「部分的に相対化」しています。このような解釈法は、モーセ五書全体としてのモーセ律法を軽んずることでもなければ、無視することでもなく、まして、律法を「無効にする」ことではありません。
 おそらくファリサイ派の正統ユダヤ教では、このように、モーセ五書それ自体の中で、一方(創世記)から他方(申命記)を解釈し直すことによる「部分的な相対化」は認められていなかったのでしょう。モーセ律法(モーセ五書)は、それ自体が完結しており、その「全体において」誤りのない神の言葉である、というのが彼らの聖書解釈の根本原理だったからです。ファリサイ派とイエス(とこれに続くキリスト教会)とのこの食い違いは、マルコ福音書の並行箇所のマタイ福音書(19章3〜9節)において、よりはっきりと認めることができます〔ルツ『マタイ福音書』(3)122頁〕。
 この離縁問題にさらに続けて、イエスは、弟子たちにイエスの本意をさらに説明しています(マルコ10章10〜12節)。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、(元の)妻に対して姦通の罪を犯すことになる」(同11節)と言うのです。ユダヤ教の規定では、正式に離縁状を渡されて離婚した女性には、再婚する道が開かれていました。ところがイエスは、離縁した元の妻が再婚することは「姦通」にあたり、また、夫が再婚した場合も、同様に元の妻に対して姦通に当たると言うのですから、これは結婚と離婚についての厳しい解釈です。このように、神の律法を「相対化」することは、律法を無効にするどころか、学者やファリサイ派の律法よりも「さらに優って」律法を徹底させることで、これが、マタイ福音書のイエスの言葉の真意です(マタイ5章17〜20節参照)。
 ユダヤ教においても、モーセ律法の部分的な相対化がすでに試みられてはいました。しかし、マタイ19章3〜9節に見るようなモーセ律法の相対化は、後の教会、とりわけマタイの教会に伝えられたイエスの言葉伝承に基づくものです。正統ユダヤ教は、モーセ五書(トーラー)全体を「神の言葉」として絶対的な権威において見ていましたから、この点で、マタイの部分的な律法の相対化とユダヤ教、特にファリサイ派の聖書解釈との間には開きがあったと考えられます。このために、マタイの教会のこのような律法解釈は、モーセ五書全体が「そのままで完全な神の言葉」だとするファリサイ派との間に対立を招くことになったのでしょう。
 おそらく、このような「部分的な相対化」を伴う律法解釈は、マタイの解釈であって、これをそのままイエス自身にさかのぼらせることはできないでしょう。イエスの律法解釈は、マタイ福音書よりもさらにラディカル(根源的・急進的)であって、イエスは離縁問題をも、創造の根源に立ち帰って、その律法を根本的に再解釈していたと見るべきです。「安息日は人のために定められたもので、人が安息日のためではない」(マルコ2章27節)も、同様に創世記(2章3節)にさかのぼるもので、これはマルコ福音書だけに記されています。マタイ(ルカも?)はこの節を省いていますが、これはユダヤ教の律法全体を揺るがしかねないほどの衝撃的な発言であったからで、マタイの省筆はこの間の消息を伝えているのでしょう。ただし、この発言も安息日の規定を「破棄する」ことにねらいがあるのではなく、逆に、安息日の「根源的な意義」を活かすためのイエスの言葉だと理解するべきです(マルコ3章4節参照)〔フランス『マルコ福音書』146〜47頁〕。
 このように、イエス自身においては、創造の「根源の命」そのものから律法解釈がなされたと思われます。ちなみにマルコ10章12節では、女性の側から男性に離縁を申し出る場合が述べられていますが、これはローマの法律であって、ユダヤ教では認められていませんでした(このことから、マルコ福音書はローマで書かれたのではないか、という説があります)。
■ルカ福音書の「離縁規定」
 離縁問題の最後にルカ16章18節(=マルコ10章11〜12節/マタイ5章32節)を採りあげます。「妻を離縁して他の女を妻にする者はだれでも、姦通の罪を犯すことになる。離縁された女を妻にする者も姦通の罪を犯すことになる。」すでに引用したものを改めてルカ福音書から引用したのは、わけがあります。ルカ福音書では<だれでも>というルカの挿入句がありますが、それ以外はイエスにさかのぼる言葉を最も忠実に再現していると考えられるからです〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1120頁〕。
 マルコ福音書では、ここにローマの慣習が付加されていました。マタイ福音書では「不法な結婚でもないのに」が挿入されていて、離縁を禁じるイエスの言葉がマタイの教会の実状に合わせて幾分和らげられています。ところがパウロは、ルカ福音書と同様に、イエスの教えを忠実に反映して離婚を禁じているのです(第一コリント7章10〜11節)。パウロの教えは最も早い例ですが、パウロもルカもイエスの教えをそのまま伝えています。だからイエスは、ユダヤ教の一夫多妻制を事実上禁止していて、ここでは一夫一婦制への移行が行なわれています。
 それでは、イエス自身はこの離縁禁止をどこから採り入れたのでしょうか? 創世記の創造にさかのぼることはすでに指摘したとおりです。しかし同時に、イエスは、イスラエルの伝統的な祭司制度(レビ記21章7節)を一般の人の離縁にも適用したのではないかと指摘されています〔フィッツマイヤ前掲書1121頁〕。ほんらいは祭司にだけ適用されていたこの規定をイエスは神の国のすべての男性が守るべきだとして、御国の民が旧約に優る民であることを教えているのでしょう。
 ルカ福音書では、この離縁問題が、その前後とは内容的に全く切り離されて、突然に表われます。いったいルカは、なぜこの項目だけを別個に扱って、しかもこの箇所に挿入したのでしょうか? ルカ16章14節以下では、離縁問題に先だって、律法と神の国との関係が語られていて、そこでは、洗礼者ヨハネの時代から福音の時代へ移行すること、併せて「律法の文字の一画がなくなるより、天地が消え失せるほうが易しい」とあり、これに続いて離縁問題が出て来ます。
 実は、律法の問題と離縁とのこの組み合わせは、語録集によるもので、ルカはここでも、語録集の組み合わせを忠実に採り入れています。このことは、語録集の人たちが、イエスと律法との関係を論じる際に、この離縁問題を引き合いに出していたことを示唆するものです。イエスの律法に対する姿勢が、イエスの説く離縁禁止に先鋭に言い表わされていたからでしょう〔ツェラー『Q資料注解』130頁〕。
 しかし、離婚を禁じる結婚観は、イエス以前にすでにエッセネ派、特にクムラン宗団においても実行されていました(クムランとエッセネ派との関係について触れるのは控えます)。クムラン文書の一つ「神殿の書」に、妻は必ず(ユダヤ人の)父の家の民からでなければならず、「彼女以外に別の女を加えてはならない」(The Dead Sea Scrolls:The Temple Scroll. Column57.17-18.)〔DSS(2)624.〕とあります。ただし彼女が死んだならば、再婚が許されます。クムランの「神殿の書」は、モーセの権威を帯びた義の教師によって、明らかに申命記を意識しながら、しかも、申命記を超える解釈や規定を定めていますから、これは「新たな申命記を創り出す」ことを意図したものです〔DSS(2)594-95.〕。だから、伝統的なモーセ五書の律法解釈は、すでにクムラン宗団においても部分的に相対化されていたのです。
 では、クムラン宗団の「新たな」申命記とは、どのような特徴を帯びていたのでしょうか? 第一に、クムランの結婚観は、申命記に出てくる離縁と一夫多妻制に関する規定をすべて排除していることです。したがって、この点では、クムランの結婚観は、イエスのそれと軌を一にしています。ところが第二に、クムランの結婚観は、申命記に出てくる外国人や寄留の他国人に関する規定をすべて排除しています。このためにクムランの結婚観は、申命記よりもはるかに異邦世界に対して排他的で、イスラエル民族主義に徹する性格を帯びています〔DSS(2)595〕。 
 ではイエスの結婚観は、クムラン宗団の結婚観のように、異邦世界に対する排他的な民族主義に基づいているのでしょうか? ここでルカ福音書は、語録集にはない一語「だれでも」を加えていることが重要な意味を持ちます。ルカは明らかに、イエスが語る結婚観が、ユダヤ人だけではなく、異邦人にも適用されるものとしているからです。ルカのこの理解は、パウロのそれと軌を一にするものであり(第一コリント7章10〜11節)、すでにパウロは、すべての人に共通するものとして、イエスから受け継いだ結婚観を的確に伝えています。イエスの結婚観が、クムラン宗団のそれと結婚重視の点で共通しながらも、決定的に異なるのはまさに<この点>です。
 イエスの結婚観は、上に述べたクムラン宗団のそれとは、律法解釈において大きく異なっています。ルカ福音書(16章18節)の離縁禁止は、マタイ福音書(19章9節/5章32節)のそれよりも、マルコ福音書(10章11〜12節)のそれよりも徹底していて、より語録集に忠実です。しかも語録集では、この離縁禁止の言葉が、先に指摘したように、律法についてのイエスの言葉と組み合わされていて、ルカ福音書もまたこれに従っています。ルカはおそらく、律法問題から離縁問題への移行を語録集のこの配置において根拠づけています。このように理解することで初めて、律法から離縁への移行が、突然でもなく不自然でもなく、また<別個の問題>でもないことが見えてきます〔Marshall, The Gospel of Luke. 631.〕。
■イエスと律法
 「律法の文字の一画がなくなるよりは、天地の消え失せる方が易しい」(ルカ16章17節=マタイ5章18節)とあるように、イエスは律法が決しておろそかにされてはならないことを言明しています。先に見たように、ここでイエスが言う「律法」とは、モーセ五書/モーセ律法のことです。
 イエスのこの言明と並んで、もう一つ「御国の律法」に関係する大事な発言が遺されています。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」(マルコ13章31節=マタイ24章35節=ルカ21章33節)です。ここで大事なのは「イエスの言葉」です。この「イエスの言葉」は、天地が失せても消えることがない点で「律法」と並行しています〔『四福音書対観表』198頁〕。だから、「律法」も、神の言葉のそもそもの根源にさかのぼるところから発するもので、これが同時に「イエスの言葉」です。したがって、ここでは「イエスの言葉」は創造主の言葉に等しく、これによって、伝統的なユダヤ教の解釈に基づく「律法」が相対化されるのです。ただし、このような創造の神の言葉も、すでにイスラエルの預言者によって預言されていたことです(イザヤ書40章8節/詩編119篇89節)。ここでイエスは、たとえ天地がなくなることがあっても、旧約聖書で預言され、神の国として成就した御国の「律法=イエスの言葉」は、永遠に失われないと言明しているのです〔フィッツマイヤ『ルカ福音書』(2)1116頁〕〔Marshall, The Gospel of Luke. 630.〕。
 この「言葉律法」は、天地創造の初めにさかのぼるものであり、それゆえに、創造主である神御自身の権威を帯びています。だからこそイエスは、その言葉を太陽の運行や天からの雨のように、宇宙の法則そのものに譬えることができたのです。このようなイエスの律法解釈は、根源の命そのものから来る神の法による再解釈によって、モーセ律法の解釈をより厳密に定義づけたクムランの律法解釈とは相容れないところまでかけ離れています。
 ここで注意してほしいのは、太陽や雨に象徴される天地創造へさかのぼることが、申命記が心に刻むよう繰り返し教えている主なる神の民への「熱愛」とその律法の「身近さ」を薄めるものではないことです。申命記から創世記へさかのぼる律法解釈は、一見すると律法から創造への「移行」だと見えるかもしれませんが、そのことは、申命記に創造論が欠けていることを意味しません。また、創造が主の律法の「身近さ」を弱めることでもありません。天地創造の神の「超越」とその神の「近さ」こそ、イスラエルを愛する主なる神の特長であることをはっきりと告げているのは、ほかならぬ申命記です。「天とその天の天と、地のすべてを創造された神こそ、イスラエルを愛して、これを選んだ神」だからです(申命記10章14〜15節)。申命記では、天地創造の神が、その人格的な愛の身近さを啓示するのです〔Duane L. Christensen, Deuteronomy: 1:1-21:9. Word Biblical Commentary. Word Books (2001). Electronic edition. 204.〕。
 イエスの言葉律法は、太陽に譬えられて、善悪さえも超越した父なる神の慈愛となって、宇宙と神の愛とが一つになって働くものです(ルカ6章27〜36節=マタイ5章43〜48節)。太陽の譬えに見るように、イエスの律法解釈は、最終的には、宇宙・自然に働く律法/法則との類比関係に基づいて、神による天地創造の法と一つになります。申命記で証しされている「情熱の神」は、イスラエルの民と神との「親密さ」を証しするものでした。その身近さから発する「主を愛する」戒めは、イエスにあって、このように神の創造とひとつになり、これによって再解釈されることになります。
 以上見てきたように、申命記の「呪い」と「祝福」とは、イエスにあっては、一方では御国に敵対する悪霊に向けられる「呪い」となり、他方では、父なる神の創造から発する慈愛となって注がれる「祝福」となり、「呪い」と「祝福」とが二つの異なる方向で受け継がれていると言えましょう。
■パウロと申命記
〔パウロと「キリストのからだ」〕申命記の「祝福」と「呪い」が、そのまま対(つい)になって受け継がれているのは、イエスよりもむしろパウロのほうです。わたしたちは、すでに新約における領土から領域への変容を見ましたが、パウロの伝道活動においても、エルサレムはいぜんとして彼の出発点であり、ある意味でその中心地と見なされています(使徒9章26〜28節/ガラテヤ1章18〜19節)。ただし彼にとっては、エルサレム神殿は、「イスラエルの領土」の中心と言うよりも、「天のエルサレム」と並行する「地上のエルサレム」(ガラテヤ4章25〜26節)の中心として、終末的な象徴性を帯びていました(使徒21章17〜20節/第二テサロニケ2章4節)。
 パウロ神学の特徴は、その律法観にあり(ローマ7章10〜11節の「罪の律法」)、その十字架観にあります(ローマ6章8〜9節の「キリストとともに死に、キリストとともによみがえる」)。しかし、この二つと並んで重要なのは、パウロにあっては、「救い」のいっさいの諸条件が、イエス・キリストにあって人格(ペルソナ)化されていること、言い換えると徹底的に「キリスト論」化されていることです(ローマ1章2〜4節)。このようなパウロのキリスト論的な霊域は、コロサイ人への手紙を経て、エフェソ人への手紙において、「キリストの体」としてのエクレシア思想へ道を開くものです(エフェソ1章22〜23節)。
 だから、パウロにとっては、イエス・キリストの御霊にある人たちが創り出す「霊的な領域」こそが、神の神殿が存在する「聖域」になります(第一コリント3章16〜17節)。パウロが、アブラハムへの約束の成就として異邦人もまた「相続/嗣業」に与ることができると言う時に(ガラテヤ3章29節)、彼は、イスラエルの領土がイエスの「御国の領域」へ変容した事態を受けて、この領域を「キリストのからだ」として異邦世界へと拡大することを目指しているのです。
〔パウロと申命記の「呪い」〕
 パウロも申命記の「祝福と呪い」の思想を受け継いでいます。彼は、ガラテヤ人への手紙3章9〜10節で、信仰によって生きる人たちは、信仰の人アブラハムと共に「祝福」に与(あずか)り、律法の諸行により頼む人たちは「呪われる」と告げています。「祝福」と「呪い」とを分ける分岐点は、申命記27章26節の言葉「この律法(単数)の言葉(複数)を確立し/成就しない者(単)は呪われる(受動分詞)」(原文直訳)です。ここの七十人訳は「この律法の<すべての>言葉を守り行なわない者は<すべて>呪われる」となっていますから、パウロもこれに従っています。
 パウロはここで、アブラハムの信仰に従う者こそ、主の律法を「全う」する者として祝福を受けるが、一方で、人間的な力により頼んで律法を守ろうとしても、<すべての律法>を完全に成就することは不可能だから、その者は「呪われる」と言うのです。パウロのこの「呪い」の言葉は、律法主義に陥りかけているガラテヤの集会の人たちに宛てられていますが、それ以上に、彼は、ガラテヤ人を「騙そうとしている」律法主義的なユダヤ人キリスト教徒たちを念頭に置いています。だから、ヘブライ語「アーラル」(呪い/排除)は、何よりもパウロの論敵に向けられているのです。パウロがここで言う「呪い/排除」にあたるギリシア語は「カタラ」で、これは敵対する者への「呪い」と同時に「呪われる者」をも意味します。
 新約聖書では、「呪い」にあたるギリシア語では「アナセマ」が通常用いられていて、これは、ほんらい「神に献げられた物」のことですが、七十人訳で「アナセマ」は、特にヘブライ語の「ヘーレム」(聖絶)にあたるギリシア語として「神に引き渡されて滅ぼし尽くされるもの」を指し、そのことから「呪い」の意味になります〔TDNT(1)354.〕。ただし「アナセマ」はヘブライ語の「アーラル」に対応する意味でも用いられています。
 パウロの場合でも「アナセマ」は、「アーラル」の意味でも(ローマ9章3節)「ヘーレム」の意味でも用いられています(第一コリント12章3節)。注意したいのは第一コリント人への手紙12章3節の用法で、これは「神の霊に導かれる者が、『キリストは呪われよ!』とは言わない」という修辞的な表現ですが、ここで言う「呪われる」は、神によって「呪い/滅び/聖絶」に引き渡されることです。おそらくガラテヤ人への手紙1章8節で、パウロの福音に敵対する者たちに向けられる「呪い」もこれと同様の意味でしょう。ガラテヤ1章8節で彼が引用した申命記の律法による「呪い」(原語は「カタラ」)も「聖絶」を意味する「アナセマ」の意味で用いられていると考えられます。
〔キリストの十字架の「呪い」〕このようにパウロでは、「アナセマ」も「カタラ」も、申命記の「ヘーレム」(呪い/聖絶)へ通じるものですが、特に注意したいのは、パウロでは、この「呪い」が、イエスが十字架されて「律法の<呪い>とされた」こと(ガラテヤ3章13〜14節=申命記21章23節)と結びついていることです。イエスは、律法の呪いを受けて十字架され、このみ業によって、人類を律法の呪いから贖い出してくださったというのがここでのパウロの福音の本質的な意義です。
 だからこそ、イエスの十字架の死が、人間の罪性を告発し、かつ罪性を消滅させる聖霊の働きとなることが可能なのでしょう。パウロにあっては、このように、律法と罪とが相互に関連し合って、人の罪深さを確認させる働きをしますから、これは<律法主義的な罪>、すなわち神の義に逆らって人間の義を立てようとする罪性を告発する力になります。ここでの「聖絶」は、キリストの十字架に出会う人間一人一人において、個人の罪性を「消滅させる」働きを生じる力となるのです。大事なのは、このような「罪性の聖絶」が、パウロにあっては、人と人、民と民、宗教と宗教との間の「隔ての中垣」を取り除く「キリストの平和」へ道を開くことです(エフェソ4章2〜8節)。
 以上をまとめると、パウロは、律法違反と律法主義という相反する二つの「罪」として、律法と罪とを関係づけています。共観福音書では、先に見たように、モーセ五書の先の(創世記の)神の言葉によって、後の(申命記の)規定が部分的に相対化されました。「先のもの」で「後のもの」を解釈し直すこの聖書解釈は、パウロにも受け継がれて、律法それ自体が契約より遅れて授けられたという理由で、律法が相対化され、これに付随的な役目しか与えられていません(ガラテヤ3章15〜19節)。だから、この点では、パウロと共観福音書とは、律法の相対化について共通するところがあります。
 しかし、律法主義がもたらす「罪」はパウロ特有の思想です。律法は、罪を告発し暴露します。暴露された罪は、十字架上で律法の「呪い」とされたイエス・キリストの贖いによって、神からの聖霊の恵みにあって赦しを受けます。御霊は、キリストを信じる者の罪を消滅するように働くからです。すなわち、律法は、人をして「罪性の聖絶」へ向かわせる働きをするのです。この結果パウロにあっては、申命記的な律法の「呪い」が福音の真理に敵対する者たちに向けられ、対する律法の「祝福」は、十字架で「呪い」を引き受けたイエス・キリストの贖いから来る聖霊の「祝福」となって注がれ、律法違反と律法主義の罪を「聖絶」することになります。「己の宗教的な義」を立てようとする律法主義はパウロ独特の律法観に根ざす思想であり、これの克服が、パウロをして異邦人伝道へ向かわせる根源の力となっているのです。
■ヘブライ人への手紙の領土神学
 旧約聖書の領土神学は、ヘブライ人への手紙において完全に破棄されます。とは言え、出発点はやはり「アブラハムが受け継ぐことになる領土/土地」から始まり、それが信仰によって「さらにまさった天の故郷」へとつながります(ヘブライ11章8〜16節)。ここでは、聖徒たちは「よそ者であり仮住まいの者たち」(同13節)にすぎません。イスラエルの契約も律法も祭司制度も、天に存在するそれらの原型の「影」であり「写し」にすぎません。永遠の大祭司イエス・キリストと聖霊こそが、これらの「影」の本体だからです(同10章1〜18節)。キリストこそ、アブラハムに祝福を与えた「正義の領土の王」を象徴するメルキゼデク(正義の王)にも優る契約を保証する永遠の大祭司なのです(同7章11〜28節)〔Anchor(4)152〕。
■ヨハネ福音書の「領土」と「人」
 わたしたちはここでヨハネ福音書の描くイエスに目を留める必要があります。ヨハネ福音書では、「ガリラヤ」と「ユダヤ」という地名が対照されて用いられています。しかしそれは、地理的な意味での「地域」を指すのではなく、そこに住む人々が「イエスに対してどのような態度を取るのか」を指し示す象徴的な地名なのです。この意味で、「ガリラヤ」はイエスを受け容れる人たちの領域であり(例えばヨハネ2章のカナの婚宴の奇跡)、「ユダヤ」はイエスに敵対する人たちの領域を意味します(ヨハネ11章7〜8節)。言い換えると地名はそこに住む人間たちの「霊的な領域」を表わす用語なのです。
 イエスは、イスラエルのメシアが終末に現われるにはおよそほど遠い場所とされる「ガリラヤ」から出ています(ヨハネ7章41〜42節)。イエスは、ガリラヤの人たちから「イスラエルの王」(1章49節)と呼ばれ、サマリアの人たちから「救い主」(4章42節)と呼ばれますが、このイエスは、従来「イスラエルの領土」と呼ばれてきた領域から出たのではなく、「上から降った者」(3章13節)です。だから、イエスがユダヤからガリラヤへ向かう旅は、救いと贖いが、地理的なイスラエルの領土以外の人たちにも与えられることを象徴しています(ヨハネ4章21〜24節)。
 ヨハネ福音書では、その人が「どこから」出ているのかと、しばしばその人の起源が問われます(ヨハネ1章6節/2章9節/3章2節/同6節など)。その人が「地上から」出ているのか、それとも「天的な領域から」出ているのかを問うのです。地上を支配するこのような天の領域は、すでに旧約のダニエル書で見たように、天で即位した「人の子」が地上に降ってその権能を顕わす「聖なる領土/領域」を受け継いでいますが、ヨハネ福音書では、これが新たな「キリスト観」へと変容しているのです。
 こうして、ヨハネ福音書に限らず共観福音書でも、歴史的、地理的に存在した「イエス」は、新しい神学的な霊性を帯びることになります。受肉したイエス・キリストは、一人の人間存在として、その現実性を体現するものです。しかし、このイエスの体こそ、新たな「イスラエルの領土」の中心となる「新たな神殿」なのです(ヨハネ2章19節。)
 このような変容が、イエスの霊性、すなわちヨハネ福音書が「パラクレートス」と呼ぶ聖霊によって成就しているのは使徒言行録が証しするとおりです(使徒1章8節)。これによって、地上のあらゆる場所が、潜在的に「聖なる領域」となる可能性が生じることになります(使徒13章1〜3節)。こうして、かつての「イスラエルの聖なる領土」が、神によって地上のあらゆる場所へと移行しつつ、新たな「聖なる領域」を創り出していく可能性を獲得することになります。「神は霊である。だから、礼拝する者は、御霊の真理にあって礼拝しなさい」(ヨハネ4章24節)とあるヨハネ福音書の言葉は、こういう御霊の働きを証しするものです。ここには、「イスラエルの領土」がナザレのイエスの人格的な霊性へと変容しています。しかしその霊性は、どこまでも聖地に実在した「人間」の霊性であり、このイエスの人格的実在性こそ、旧約から受け継いだ「領土神学」を受け継ぐものです。
■現代における「領土神学」
 以上「イスラエルの領土」について見てきましたが、その間、わたしの脳裏から離れることがなかった領土神学があります。それは、アメリカ建国の祖と言われる「ピルグリム・ファザーズ」に始まるアメリカ大陸の「国土取得」とこれを支えてきたアメリカの「領土神学」です。アメリカ大陸を征服したこの神学理念は、さらに象徴化され拡大されて、アジアへ向かって来ています。かつて、日本を占領したアメリカ軍の総司令官ダグラス・マッカーサーは、「日本の占領は神学問題である」と言ったのはまさにこの理念を指していると言えましょう。ただしこれをもって、直ちにアメリカの領土的な野心を云々するつもりはありませんが。
 しかし、これよりももっと切実なのは、現在のイスラエルの右翼の人たちを支えている「イスラエルの領土」神学です。これはまさに旧約聖書のイスラエルの領土神学をそのまま現在のパレスチナに適用しようとするもので、これがアラブ世界と、なかんずくパレスチナ難民との間に激しい軋轢を生じているのは周知のとおりです。
 これら二つの領土神学の理念は、どちらも今のままでは、新たな地球規模の人類の未来を照らす理念とはなりえないことは明らかでしょう。わたしたちは現在、これらの領土神学を超える新しい神学理念を必要としているのです。それは、人類の存在を地球規模でとらえ、この「人間の領土」をいかに安全に保持し続けるかという新たな領土神学です。わたしたちは、神から授かったこの地球を安息の地とするために取り組まなければならないのです。「平和とエコロジーの敵」との闘いこそ、現在わたしたちが、全世界の人たちと共に取り組まなければならない使命であり課題であると考えます。
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