28章 第二マカバイ記の復活
 
■第二マカバイ記について
〔物語の概要〕
 アレクサンドリアのクレメンスは、2世末に、第一マカバイ記と第二マカバイ記を初めてキリスト教界に紹介しました。しかしこれらの写本は、5世紀のアレクサンドリア写本が最古のもので、ギリシア語で書かれています。先ず第二マカバイ記の内容(3章〜15章)とその年代をまとめて紹介することにします〔年代はすべて紀元前です〕。  
 紀元前2世紀のユダヤは、ギリシア系のセレウコス朝の支配下に置かれていました。当時のユダヤには王権が存在せず、大祭司がユダヤの最高位にありました。ユダヤの大祭司オニア3世(在位198〜170年)は敬虔で優れた人物でした。ところが神殿総務庁シモンは、エルサレムの市場の経営について大祭司と衝突し、セレウコス朝のギリシアの総督アポロニオスに、エルサレム神殿に莫大な財宝があると密告したのです。これを知ったセレウコス4世(在位187〜175年)は、ヘリオドロスをエルサレムへ派遣して、神の民のために蓄えられた神殿の宝物を没収しようとします。しかし天から顕われた騎士によってヘリオドロスは打ち倒されてしまいます。
 セレウコス4世の後を継いでアンティオコス4世エピファネス(在位175〜164年)が即位した年に、オニアの弟ヤソンが大祭司になります(175年)。彼は新王に取り入ってエルサレムを中心に急激なヘレニズム化を推し進めました。ところが今度は、ユダヤのメネラオスが、王にうまく取り入って、ヤソンから大祭司職を奪い取りました(172年)。その上でメネラオスは、謀(はかりごと)をめぐらして先の大祭司オニアを殺害させたのです。ところが大祭司になったメネラオスの弟リシマコスは、兄の権勢を盾に神殿を荒らしたために、民衆の憤激をかう結果になり、彼は、民衆に殺害されます。さらにエルサレムの市民たちは、大祭司メネラオスの非を王に訴え出ようとしました。窮地に陥ったメネラオスは、自分も手を回して王に取り入ることに成功したので、逆に訴え出た市民たちのほうが反乱の罪で処刑されました。
 アンティオコス4世が亡くなったという偽りの情報が流れると、さっそくエルサレムで、ヤソンが反乱を起こします。これを知ったアンティオコス4世エピファネスは、ユダヤが反乱を起こしたと判断して、エルサレムへ攻め入って大量の虐殺と神殿の略奪を行ないました。これが167年〜164年の大迫害の始まりです。この間に王は、ユダヤの成人男性を斬り殺し、女性や子供を奴隷として売り飛ばし、安息日に兵による殺害を行なわせ、神殿を「ゼウス・オリンポスの宮」と呼ばせ、ディオニューソスの祭りを強制するなど、数々の蛮行を重ねたのです。この王は主の律法に背く行為をユダヤ人に強制したために、ユダヤ人の中らか多くの殉教者が出ました。
 ついにマカバイ(鉄槌)と呼ばれたユダとその兄弟たちが中心になり、抵抗運動を組織して、ユダ・マカバイの反乱が起こります。主の律法のために命を惜しまないユダヤの兵士たちは、勇敢に戦い、ついにアンティオコス4世の軍隊を撃退します。王自身も激痛を伴う病に倒れて、ユダヤ教を認めることでユダヤ人と和解しました。そこでユダたちは、神殿を浄めて、勝利を祝い、このキスレウの月の25日(164年12月25日)を神殿奉献祭の日(ハヌカの祭り)の起源と決めたのです。
 さらにこの後、アンティオコス5世エウパトルが即位(在位164〜161年)すると、再びユダヤとの間に戦が起こりました。その結果、王は再び敗北してユダヤと再度の和睦にいたります(10章〜13章)。その後セレウコス朝のデメトリオス1世ソーテールが即位すると、かつて大祭司であったアルキモスが、再び大祭司職を得ようと王に近づき、ユダヤに反乱の疑いがあると告げます。王は指揮官ニカノルをユダヤの総督に任じ、アルキモスを大祭司職につけようとします。そこでユダは、ニカノルと和解しようとしますが、アルキモスに妨げられました(この間、ニカノルによってラジスが殉教します)。しかしユダはニカノルを破り、この日を記念してアダルの月の13日を祝日としました(160年3月17日)。 
 以上が第二マカバイ記の概要です。これで分かる通り、第二マカバイ記には、198年頃から160年までのほぼ40年間にわたる出来事が語られています。ちなみに第一マカバイ記のほうは、アンティオコス4世の登場から物語が始まるので、内容的に見れば第二マカバイ記のほうが先の出来事から始まることになります。
〔著者と摘要編集者〕
 第二マカバイ記には、二つの書簡と、著者による序文が置かれています(1章〜3章)。これらによると、第二マカバイ記は、「キレネ人ヤソンがこれを5巻の著作にして記した」とあります(2章19節)。このヤソンは、おそらくキレネ生まれのユダヤ人で、アレクサンドリアで修辞学を学び、自らもマカバイ戦争に参加したか、あるいは参加した人たちの証言を集め、さらにセレウコス朝側の資料をも集めて、5巻の歴史書としてアレクサンドリアでこれを著わしたと考えられます。彼の執筆の年代は160〜124年の間だと推定されます〔『聖書外典偽典』(T)旧約外典(1)「第二マカバイ記概説」(土岐健治)151頁〕。
 ただし、現在残されている第二マカバイ記は、著者ヤソンによるものではなく、ヤソンが記した歴史書を縮めて要約した人物で「摘要編集者/要約者」と呼ばれる人によるものです(2章23〜24節/15章38節)。現行の第二マカバイ記の内容的な切れ目から判断するなら、もとの前5巻の内容は1巻(3章)、2巻(4章〜7章)、3巻(8章〜10章9節)、4巻(10章10節〜13章26節)、5巻(14章〜15章37節)ではなかったかと推定できます〔前掲書151頁〕。この摘要編集者による第二マカバイ記の執筆時期は、最初の書簡の日付に「第188年」(1章10節)とあることから、124年であると考えられます〔新共同訳『旧約聖書注解』(V)「第二マカバイ記」(小河陽)264頁〕。
〔編集過程と書簡〕
 第二マカバイ記の冒頭の二つ書簡と序文について、これらはおそらくアラム語あるいはヘブライ語で書かれたものをギリシア語に訳したものかもしれません〔『聖書外典偽典』(T)152頁〕。最初の書簡は、ユダヤからアレクサンドリアのユダヤ人に宛てて、神殿奉献祭を共に祝うよう書き送ったものです。ユダヤ教の祭日を正しい日付でパレスチナ以外の離散のユダヤ人たちと共に祝うために、エルサレムのユダヤ人から毎年各地にこのような書簡が送られていたのです。これに対して、第二の書簡(1章10節〜2章18節)は、後代になって加筆された偽書であると考えられます。語彙や文体が第二マカバイ記のものとは異なっており、内容的に見ても第二マカバイ記の時代と矛盾する所があるからです〔前掲書151頁〕。しかし、この第二の書簡から判断すると、現行の第二マカバイ記は、要約者による編集からさらに後代になって、編集されたことになります。したがって、第二マカバイ記は、原著者→摘要編集者→編集者の三つの段階を経ていると見ることができます。なお三つ目の「序文」は、摘要編集者/要約者によるものです。
■第二マカバイ記の復活思想  
 第二マカバイ記の復活思想は、主として7章で語られています。ここでは、7名の兄弟が母親と共に捕らえられて、律法で禁じられている豚肉を口にするよう強制されます。これを拒んだ兄弟たちが、一人ずつ拷問を受けて殉教しますが、母親は、これに最期まで耐えて自らも死にます。以下、主として次の書を参考に第二マカバイ記の復活思想を観ていくことにします 〔George W. E. Nickelsburg. Resurrection, Immortality, and Eternal Life in Intertestamental Judaism and Early Christianity. 119-38.〕。
 ここで語られている殉教物語は、ダニエル書3章にある燃える炉に投げ込まれた3人の若者の話と同6章のライオンの洞窟に投げ込まれるダニエルの物語がその背景にあると考えられます。しかし、ダニエル書では、受難の若者たちは、主の奇跡的な助けによって救助されますが、第二マカバイ記では、若者たちは全員死と復活を待望しつつ殉教します(ここに語られている律法違反への強制は実際に行なわれました)。第二マカバイ記には、これのほかに、14章でエルサレムの長老ラジスの殉教が語られます。ラジスの殉教では、民族の受難とこれを引き起こしたアンティオコス4世とその手下ニカノルの悲惨な死が語られています。これら殉教者の死とこれを引き起こした悪人どもへの罰、さらに殉教者の復活と栄光への期待は、知恵の書に通じるところがあります(知恵の書2章16〜20節/3章4〜8節/4章16〜18節)
 邪悪な王よ、あなたはこの世から我々の命を消し去ろうとするが、
 世界の王は、永遠の新しい命へとよみがえらせてくださる。
 我々が彼の律法のために死ぬのだから。
               (第二マカバイ記7章9節)
 たとえ人の手で死にわたされようとも
 神が再び立ち上がらせてくださるという
   希望をこそ選ぶべきである。
 だが、あなたはよみがえって再び命を得る
   ことはない。
                     (同14節)
 ここでは、復活がすなわち「救い」になります。同時に復活は「身の証(あか)し」ともなります。王は人であり、地域の君主にすぎないが、神は「世界の王」であるから、王の法律を破ることこそ、神の律法に従うことを意味するのです。したがって復活は、「我々」が正しく無実であることの「身の証し」です。ダニエル書3章と6章の奇跡的な救助/救いもまた同様の「身の証し」でした。しかし第二マカバイ記では、身の証しが、死ぬにもかかわらず<その後で>起こるところがダニエル書とは異なっていて、この点では、第二マカバイ記の身の証しは知恵の書5章4〜5節/15〜16節に近いと言えます。
 さらに注意してほしいのは、第二マカバイ記では、「(たとえ拷問で手や舌を失っても)天からこの舌や手を再びいただけると確信する」(7章11節)とあるように、復活が「身体的な」姿で生じることです。これはおそらく彼らに加えられた身体的な拷問に対応する信仰だと思われるが、創造主である神は、その創造の業を滅ぼそうとする王たちの企てにもかかわらず、<再創造>するという信仰をここに見ることができます。
 このように見ると、第二マカバイ記7章は、ダニエル書12章1節の宗教的な迫害と同じ状況を指していますから、復活と身の証しは、第二イザヤ的な意味で迫害に向けられた神の終末的な裁きと結びつくことになります。ただし、第二マカバイ記7章の復活と身の証しも、同9章のアンティオコス4世への裁きと死も、個人的な出来事であって、人類全体に及ぶ復活と裁きではありません。民族的な危機と宗教的な迫害というこの状況は、イザヤ書26章で語られる「屍のよみがえり」の場合と共通しています〔Nickelsburg. Resurrection, Immortality, and Eternal Life. 121-22.〕。
 ダニエル書3章と6章の物語は、アンティオコス4世の時代の迫害に雄々しく耐えるよう励ましていますが、第二マカバイ記7章の迫害も同類の意図を持って語られます。ただし、第二マカバイ記がダニエル書と異なるのは、5番目と6番目と7番目の息子の死に際して言われている次のことです。
 
 あなたは人々の上に君臨して、好き勝手なことをしでかしている。
 しかし、我が民族が神に見捨てられたなどとゆめゆめ思うな。
                (第二マカバイ記7章16節)
 思い違いもはなはだしい。
 われわれは我々の神に対して罪を犯したために、
 このような目に遭っているのだ。
                 (同18節)
あなたは神を敵にしたのだから、罰を免れない。
                 (同19節)
 ここには、(1)イスラエルはその罪のために苦しみに遭っていること、(2)しかし神はイスラエルを見捨ててはいないこと、(3)アンティオコス4世はその罪のために罰を免れないこと、などが語られています。暴君の成功は、神がユダヤ民族を見捨てたからであるから、迫害者である暴君はその迫害のゆえに神に罰せられることがないという偽りの見解が、ここでは、はっきりと否定されています。このことは、ユダヤ教がかかわる範囲がユダヤ人のみであるという限定を超えて、ヘレニズムの読者全体に向けて、すなわちユダヤ人以外の読者にも向けて語られていることを意味します。この主張はまた、時の権力者たちに向けて、ユダヤ人から手を引くように訴え警告しているのです。このような普遍性を帯びた警告は、知恵の書1〜6章に表われるのと同類で、そこには、ギリシアの宗教観が影響しているのでしょう。
 これを整理すると、「我々は律法に従うことで殉教する」と、まず自分たちの身の証しを立てていること、しかもなお、「我々は自分たちの罪のために罰を受けている」とあって、無罪の「身の証し」と有罪の「罰」という相互に矛盾した陳述が見られます。その上で、ユダヤ人への神から罰は、たとえその罰が「正当に」下されたものでも、必ず終わるという「神の怒りの終焉」を告げています〔Nickelsburg. Resurrection, Immortality, and Eternal Life. 122-23.〕。このような視点からする「神の慈悲/憐れみ」は、知恵の書をも含めても、それまでに見られなかった思想です。
■『モーセの遺訓』9章
 『モーセの遺訓』と『モーセの昇天』は、ラテン語の写本で、ミラノのアムブロシウス図書館で発見されました(紀元1861年刊行)。これらの写本は後5世紀頃にギリシア語から訳されたものですが(写本は6世紀末のもの)、原本はヘブライ語かアラム語だと推定されています。「異訓」と「昇天」との関係は、同じ文書の前半と後半とにそれぞれ与えられた名前だとする説と、全く異なる文書であるとする説と、「遺訓」あるいは「昇天」のどちらかがほんらいの名称だとする説とがあるようです。著作年代は、紀元7〜30年の間だと推定されます。その内容は、マカバイ戦争直前(5章)こと、アンティオコス4世の迫害時代(8〜9章)、ハスモン王朝以後の時代(6章)など見方が分かれます。8〜9章はアンティオコス4世時代のことだと見るよりも、むしろ歴史的終末を一般的に描いているという見方があります〔『聖書外典偽典』(補遺T)土岐健治/小林稔訳註159〜60頁〕。
 『モーセの遺訓』には四福音書と同じような表現が多くでてきます(7章4節「大食漢で酒飲み」/8章1節「世の初めからなかったほどの困難」/10章の終末など)。これの9章には、「タクソ」という人物が登場し、彼の時代に第一のバビロン捕囚の苦難にも匹敵する第二の苦難(アンティオコス4世の迫害)が訪れます。タクソの7人の息子たちは、「父祖たちの神の戒めを踏み外すよりも、むしろ死のう」(9章6節)と告白しますが、ここにも、「わたしたちの血が主(神)の御前で報いを求める」(9章7節)とあって、無実な者の死が神の裁きをもたらすという思想を見ることができます。「報いを求める」は、カインに殺された弟アベルの血が神に叫ぶ(創世記4章10節)と同じ意味で、これは第二マカバイ記7章17節/同19節と同じ意味です〔『聖書外典偽典』(補遺T)537頁注13〕。
 再び第二マカバイ記に戻ると、7番目の息子は、その殉教に際して次のように告げます。
 
  わたしも、兄たちにならって、この肉体と命を
  父祖伝来の律法のために献げる。
  神が一刻も早く、我が民族に憐れみを回復し
  また、あなたに苦しみと鞭を与えて、
  この方こそ神であるとあなたが認めるよう願う。
          (第二マカバイ記7章37節)
 ここでも、「自らの民族の罪を贖うために、神の憐れみを乞う」とあり、また、「不敬虔な者どもに踏みにじられた神殿を憐れみ、あなた(神)に訴える血の叫びに耳を傾ける」(同8章2〜3節)とありますが、このように、第二マカバイ記では、6章18節以下のエレアザルの殉教、7章の7人兄弟の殉教に続いて、8章以下で、ユダ・マカバイたちの抵抗によって、ついにアンティオコス4世とユダヤとの和解に達することになります。
 ここで注意したいのは、第二マカバイ記と『モーセの遺訓』との類似だけでなく、両者の違いです。第二マカバイ記の殉教は武力による抵抗を導き出していますが、『モーセの遺訓』では、最後まで無抵抗な非暴力に徹している点です。このことはその非暴力が終末の裁きに身を委ねていることを意味します〔『聖書外典偽典』(補遺T)概説163頁〕。ここでの非暴力が、例えば現代のガンジーやキング牧師の唱える<積極的な>非暴力思想と同じかどうかは確かでありません。また、ここにでてくるタクソは「メシア」ではありません。殉教者たちは敵の手から取り去られて「諸星の天」に住まい(10章9節)、地上では終末の時に罪人らが滅びるのですが、殉教者の復活は語られていません。しかし、『モーセの遺訓』には、非暴力の殉教と、死後の救済と、迫害された義人の身の証しが語られており、しかも、世界を創造された神は、「すべてのことを世々にわたって予見しておられる」(12章13節)のです。
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