29章 クムラン宗団の復活思想
 
■クムラン宗団の終末思想
 クムラン宗団の復活思想については、主としてディーズリー著『クムラン神学の構成』を参照しました〔Alex Deasley. The Shape of Qumran Theology. Paternoster (2000).Chapter 6: The Goal: The End of the Days and Beyond. 255-321.〕。また、クムラン文書からの引用や内容は、以下の三つの訳文によっています〔Florentino García Martínez. The Dead Sea Scrolls Translated. Tran by G.E. Watson. Brill (1992).〕→〔DSS(1)〕/〔Michael Wise, Martin Abegg Jr. , Edward Cook. The Dead Sea Scrolls: A New Translation. Harper SanFrancisco(2005)〕→〔DSS(2)〕/〔『死海文書』日本聖書学研究所編。山本書店(1963年)〕。
 クムラン宗団の終末思想は、礼拝において天使が舞い降りて彼らと共になり、宗団は天の神殿に対応する地上の神殿となり、これを通じて、来るべき世界の前味を知ることができると表わされています。
 
主よ、感謝します。
あなたはわたしの生命を滅びの穴から救い、
陰府(ショエル)とアバドンからわたしを引き上げてくださった
永遠の高みへと。
それゆえわたしは果てしない平地を歩く。
だからわたしは永遠への希望があることを悟る
あなたが土くれから形作った者さえも
永遠の共同体に加わることができるという。
あなたは堕落した霊をもその大きな罪から浄めてくださって
聖なる天使たちと共にいる場所を与えて
天の子らの集まりと共にいる交わりに入れてくださる。
         『感謝の詩編』より〔以下を参照して私訳〕
〔1QHymns(1QHodayoth=1QH). Col. XI(=III.frag25):19-22a.〕〔DSS(1)332.〕
 
 人間の心の内では二つの霊が相争うものの、人間は邪悪の霊が滅ぼされる「訪れ」を待ち望むことができます。あらゆる人の心には、真理の霊と不義の二つの霊が働き、人は世々にわたって、これら二つの霊の相克の狭間に置かれます。真理の霊は不義を厭い、不義の霊は真理を厭います。しかし神は、その神秘な知識と栄光の知恵によって、不義が存在する期間を定めて、神の「訪れの時」に不義を滅ぼし、人の心の奥に潜む混合から、不義の霊を引き裂いて取り除き、聖なる霊へ浄めてくださるのです。神は彼らに聖なる水を振りかけて、汚れた霊から浄めるのです(『宗規要覧』4)〔The Rule of the Community. 1Q(=1QS). Col.IV:15-22a.〕〔DSS(1)7.〕。
 クムラン宗団の終末観は分かりにくく、世の終わりに訪れる救済のことだけではありません。「世の終わり/世界の終末」は、クムラン文書に繰り返しでてきますが、クムラン宗団でいう「終わりの」(アハローン)とは、ヘブライ語/七十人訳の旧約を受け継いでいて、その意味は「その後に続く」「その後に来る」ことです。これは「メシアの日」をも指します。だから詩編37篇11節「だから柔和な者は地を受け継ぎ、平和がもたらすあらゆる豊かさを享受(きょうじゅ)する」〔4Q171,Frags.1-2Col.1〕〔DSS(2)249〕とある箇所の注釈には、「これは、過誤の時代を堪え忍び、ベリアルのあらゆる罠から救い出された貧しい者たちの群れのことである。その後に彼らは、あらゆる・・・・・を受けて、身体(肉)のあらゆる豊かさで飽き足りる」〔DSS(2)249〕とあります。すなわちイスラエルが「浄められて」、その支配がメシアによって確立するその前に、ベリアルの最後の攻撃を受けるという意味です。ここで語られているのは、「世界の終わり」のことではなく、「ベリアルの支配の終わり」のことです。だからクムランの神学では、はっきりと二つの時期が区切られています。一つは、ベリアルに支配されて<限定された期間だけ>続く時代であり、二つ目は、その支配の<後に来る>全世界に及ぶ楽園的な平和の時期です。繰り返すと、ここでは「終わりの時」ではなく、「次に続く時」のことです〔Deasley. The Shape of Qumran Theology. 256〕。だから、とりようによっては、歴史上に繰り返される「圧政/悪政の終焉」を意味するとも受け取れます。
 ただし、クムラン文書は、「終わりの時=次に続く時」だけでは割り切れません。クムランでは、ダビデもモーセも「イスラエルの優れた預言者」ですから、彼らは未来をも預言します。クムラン宗団の解釈は、旧約聖書のある箇所を別の聖書の箇所によって解釈する手法です。それはアラム語のミドラシュ(旧約聖書の注釈)で用いられている手法です。モーセが申命記33章7節でユダに与えた預言が、クムランではどのように解釈されているのかを見ると。まずユダの家に降る試練が語られ、その試練に続く栄光の時が語られます。その結果、ユダの家には新たな神殿が与えられ、ダビデが預言したメシアが降ります。ところが、そこから今度は未来へ転じて、ユダの家と異邦人との闘いが預言されるのです〔DSS(2)254-57〕。
 さらに、4Q174.Col.3.では、先ず詩編2篇1〜2節が採りあげられて、「なにゆえ、国々(諸民)は騒ぎ立ち、人々は空しく声を上げるのか。なにゆえ地上の王は構え、支配者は結束して主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか」が引用されます。この預言は、終わりの日々にイスラエルの民の「選ばれた者たち」に降る迫害で終わります。これに続いて4Q174.Col.4.が来ます。「これはユダの家に迫害が臨む時です。迫害は、邪悪な者どもが火に焼かれ、ベリアルの子たちが滅ぼされる時まで続きます。それから、予め定められていた選ばれた者たちが残されて、彼らは神がモーセを通じて命じられた通りに律法を行ないます。この時こそ、ダニエル書12章10節で預言されている逆らう者はなお逆らって悟らない時であり、義人たちは浄められさらに清くされる時なのです」〔4Q174.Col.4.1-4.〕〔DSS(2)257〕。
 ここにでてくるミドラシュ的終末観では、最後の審判と救済の時にいたるまで敬虔な者たちは苦難に出遭いますが、このような「終わりの時」は、モーセに始まる初めの時から、現在のクムランの時代にいたり、メシアの到来を待ち望む未来の時へいたる過程全体を含んでいます。クムラン宗団が言う「歴史的現在」とは、これらの全過程を包含する「終末」のことです。「終わりの日々」(アハリート・ハヤーミーム)は、モーセの時を土台に始まります。この土台を確認した上で、終末を柔軟に解釈するのです。だから「終わりの日々」は、未来へ引き延ばされて、最終的に危機的な終末を迎えるのです〔Deasley. The Shape of Qumran Theology. 257〕。
 したがって、クムラン宗団で言う「終わりの日々」とは、永遠の時相だけでなく、そこに一時的な歴史の出来事をも含まれてきます。このような「この世」と「来るべき世」の二つの時代の重なりは、厳密に言えば四つに分かれます。(1)今の時に先立つ過去と(2)今の歴史的な現在と(3)来るべき悪との闘いの未来と(4)窮極の平和をもたらす終末と、これら四つの時期です。宗団は、このような時代観と終末観に立って、自らの現在を把握しようとするのです。
 「終末」は次のように記されています。「そしてヤハウェはあなたに告げる。『主はあなた〔ダビデ〕に家を建てる。そこにあなたの後を継ぐ子孫を立てて、その王国の座をとこしえにする。わたしが彼の父となり、彼はわたしの子となる』(サムエル記下7章12〜14節)。これはダビデの枝(子孫)のことであり、彼は、終わりに日々に記されている律法の解釈者と共に立ち上がる」〔4Q174:10-11.〕〔DSS(1)136〕。この「最後の終末」では、ダビデの子孫の到来と、イスラエルのメシアの到来と、律法の解釈者の到来と、終末に顕現する神殿が重ね合わされることになります〔Deasley. The Shape of Qumran Theology. 258〕。
■黙示思想とは何か?
 黙示思想(apocalypticism)は「宗教運動」だと見られがちですが、そこに社会的なレベルの運動を示す証拠は見受けられません。だから「運動」を何らかの社会現象だと理解するのなら、黙示は「運動」と言うよりも「心的な有り様」と言うほうが適切です。
 そもそも「黙示」という用語それ自体は、1世紀末のキリスト教において初めて用いられたものです。ヨハネ黙示録の1章1〜2節に「黙示」のジャンルを定義する核となる概念が明確に述べられています。それらは、神からの「啓示」であり、その啓示は「仲介者」を通じて「幻視する人間」に顕わされます。その内容は「未来の出来事」にかかわります。同時にそこには「警告」が含まれます。「啓示」と「仲介者」と「幻視する人」と「未来の出来事」と「警告」の五つが黙示思想の特徴です。
 コリンズは、前250年〜後250年の500年間にわたる黙示思想を見渡した上で、黙示の特質を次のように定義しています。
「『黙示』とは啓示文学のジャンルに属する物語である。それは、別世界に存在する仲介者を通じて人間の受容者に啓示される。そこには超越的な出来事/リアリティが顕わされるが、その顕われは、終末的であることにおいて時間的であり、現世と異なる世界を含むことにおいて空間的である」〔Deasley. The Shape of Qumran Theology. 260〕〔J.J.Collins. "Semeia 14. Apocalypse: The Morphology of a Genre." The Society of Biblical Literature (1979)9.〕。
 この定義には、様式と内容の両方が含まれています。それは物語様式の形を採り、そこには別世界からの仲介者が登場します。仲介者は、天使あるいは霊的/悪霊的な存在として語りかけ働きかけます。その内容は、何らかの来世的な要素を含みますが、時にはそれが宇宙的な変貌を伴います。時にはまた天界の地理的な状況が詳細に描かれます。
 黙示は、ダニエル書や第四エズラ記(ラテン語エズラ記)のように、「歴史的」に開示する幻視によって啓示される場合があり、また『第一エノク書』のように天界を旅することによって、「宇宙的な神秘/秘義」が啓示される場合もあり、コリンズはこの二つのタイプを区別しています。しかし黙示文学はこれら両方を包含すると見るべきでしょう。仲介者によって啓示されるのは、超自然の天界の知識であり、同時にそれは人類の運命にかかわるものです。そこには最後の審判と邪悪な者たちの滅びが語られますから、「警告」あるいは「忠告」を含むことになります〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 261〕。
■クムラン宗団の黙示思想
〔終末観〕
 クムランの黙示思想には、天使を伴う神の臨在が語られますが、それは「来るべき時代」を予見させるものです。特に、現世の人間の心に働きかけて闘い合う二つの霊の働きがその特徴です。しかしその霊的な闘いは、邪悪な霊の滅びを予見させる「訪れの時」を待ち望むものです。そこには、救済論だけでなく「終わりの日々」(アハーリト・ハィヤーミーム)も繰り返しでてきます。それは完全な浄めが与えられる「メシアの時代」を待ち望むものです。この世の終わりには、ベリアルの霊どもが最終的に滅ぼされるからです。だからクムランの黙示思想は、二つの世界の相克、それもクムラン宗団自身にかかわる歴史的は性格が強いと言えます。この特徴を最もよく表わしているのが『宗規要覧』の3〜4章で、そこには、人を浄めに導く「真理の霊」と堕落に誘う「偽りの霊」の働きによる人間の内面的な闘いが描かれています。人生は光と闇との二つの霊が闘う場であり、終わりの時に、光の子たちのために神が介入して闇を滅ぼし、神の御心に沿う命が復元されるのです〔1QS.Cols.3-4.→DSS(2)119-122.〕〔Rule of the Community(1QS).Cols.3-4.〕〔DSS(1)5-7.〕〔『死海文書』日本聖書学研究所編。「宗規要覧」V〜W。97〜100頁〕。
 したがって、クムラン宗団では、黙示的な終末思想がイデオロギー的なレベルへ高められて、ユダヤの民と異邦の諸民との敵対関係を基調として、選ばれた者たちが、神による最終的な介入によって彼らの義が立証されるという歴史観を形成することになります〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 263〕。 このような黙示世界の描写においては、その言語とイメジャリが、現世から超現実的な霊界へ移行することになりますから、霊界と現実世界との境界において、それらの言語や映像が異様で時には不気味な様相を呈することになります。そこでは光の子たちとベリアルの子たちが闘い、その最終回に光の子たちが神のご加護により勝利します。こうして、歴史的なパースペクティヴに立つ「聖なる暦」が作られ、これに従って浄めの儀礼が行なわれるのです。
 クムラン宗団では、「義の教師」は明らかにメシアの先駆けであり、彼の在世中に新しい時代が始まると期待されていました。彼の死によってその期待が潰(つい)えますが、にもかかわらず、その死は新たに解釈し直されて、より独特の時代の幕開けとなり、その時代は終末の闘いにおいて勝利の結末を迎えることになります。「その<愛する教師>が逝ってから、<偽る者>に逆戻りした戦士たちが死に絶えるまで、40年ほどでしょう」とあり〔The Damascus Document (CD).B Geniza. Col.19.13-15.〕〔DSS(2)61.〕、「<義の教師>の戒めに注意深く聴き従って、正しい律法を棄てなかった者たちは、喜びと幸いに歓喜するであろう。彼ら鉢に住むすべての民に打ち勝つからである」とあります〔The Damascus Document (CD).B Geniza. Col.19.32-34.〕〔DSS(2)62.〕。
 クムラン文書の黙示思想は、その言語とイメジャリにおいて錯綜しており、そこに一貫性を見出すことが難しいと言われますが、それらは聖書にでてくる言語とイメジャリを土台にしています。この場合、大事なのは、聖書の語る過去において起こされた神の出来事が未来の出来事を形成するという考え方です。「神の大いなる力から知恵を得よ。神がエジプトで行なわれた力ある業を思い起こせ」〔4QSapiential Work (4Q185). Col.1.14〕〔DSS(1)380.〕とあるのがこれです。過去を知ることは未来を知ることであり、過去に行われた業を正しく評価することが大事なのです。この結果、イスラエルの黙示思想は、イスラエルの過去への歴史解釈と同じほど多種多様な形を採ることになります。
 クムランの黙示思想でもう一つ注意しなければならないのは、神との契約に基づく悪の敗北と善/義の勝利です。ここでも先に起こった出来事がモデルとなり、これと同じ複製が、出来事として後に生じることになります。ただし、モデルと複製との間に正確な一致は期待されていません。出来事のこのような隠喩的な解釈は、現代のわたしたちになじめないところがあります。わたしたちは、象徴と現実をはっきり区別します。しかしクムラン宗団の人たちには、その区別はわたしたちほど明確ではないのです。だから「神との交わり」「ベリアルとの闘い」という言い方を字義どおり受け取るのか、隠喩的に採るのか、これがはっきりしませんが、彼らには、それらの言辞は「現実的」ですから、それなりの重みを持つのです〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 267〕。
〔闘い〕
 光と闇、神とベリアル(悪魔)の闘いは『戦いの書』(前140年頃)に描かれていて、そこに三つの特徴を読み取ることができます。
(1)闘いは、神のご計画の成就を阻もうとするベリアルの敵対によって進行します。ただし、ベリアルが闘いを先導するのではなく、彼は神の御心が支配するのをある程度阻むことができるだけです。「だがわたしたちは、あなた(神)の民の残りの者です。あなたの御名は誉むべきかな。慈しみ深き神よ。わたしたちの父祖との契約を守りたもう神よ。ベリアルの支配の時代にあっても、あなたの驚くべき憐れみは残りの民をお守りくださった。彼(ベリアル)のあらゆる隠された悪巧みにもかかわらず、彼ら(残りの民)はあなたの契約から迷い出ることがなかった。・・・・・あなたは贖われた者たちの命を保たれた。御力によって倒れた者たちを立ち上がらせてくださった。だが、丈(たけ)高い者ども(巨人/権力者)をあなたは切り崩して低くされた」〔1QM/4Q491-496.Col.14.8-11.〕〔DSS(2)160-61.〕。ベリアルの支配する世は「キッティーム」と呼ばれ、アッシリアの支配からローマの支配にいたる「キッティーム」との闘いは6度に及びますが、7度目に神の介入によってベリアルは征服されます。
(2)闘いは、この地上における現実の戦争となり、同時に霊界でも闘いが行なわれます。しかし、二つの世界は相互に浸透し合っていますから、その言語は歴史的であると共に超越的です。相手は一貫して「キッティーム」(アッシリアやプトレマイオス朝やセレウコス朝やローマなどの表象)との闘いです。敵はベリアルに支えられた「闇の子ら」ですが、これに対するのは永遠の光である天使ミカエルに支えられた「贖われた民」です〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 269〕。
(3)終末の闘いにおいて重要な働きをするのがメシアです。メシアは『戦いの書』においてだけでなく、ダビデ的なメシアとして他のクムランの断片にも表われます。中でも注意すべきはイザヤ書10〜11章に関するもので、そこには次のように書かれています。
 
「今や、万軍の主は斧をもって木々の梢を切り落とす。すべての木より高い木も切り倒され、最も強きものも倒される。森の茂みも鉄の斧で切り倒され、堂々としたレバノンの大木も倒れる」(イザヤ書10章33〜34節)。これは、イスラエルの手によって、へりくだるユダによって倒れるキッティームのことである。ユダは、異邦の諸民族を・・・・・、力ある者どもも打ち砕かれ、彼らの勇気も挫(くじ)ける。「すべての木よりも高い木」とはキッティームの戦士たちのことである・・・・・。「森の茂みも鉄の斧で切り倒される」とは、キッティームとの闘いによって・・・・・「堂々としたレバノンの大木も倒れる」とは、逃げ去ろうとする時に、イスラエルの気高い者たち手にかかる・・・・・〔4Q161.Col.3. Frags. 8-10.〕〔DSS(2)237.〕
 
ここで言う「キッティーム」は、ギリシア人でありローマ人でもあり、おそらくより漠然と終末における敵のことです。ただしここには、民を率いるメシア的な人物像は現われません。しかし、この断片はさらに続きます。
 
   エッサイの株から一つの枝が出て、その根から芽が萌え出る。その上に主の霊が留まる。知恵と洞察の霊、善き計らいと力の霊、真理と知識の霊、主を畏れる霊である。彼は目に見えるところによって裁くことをせず、弱い人たちのために正義の裁きを行なう」(イザヤ書11章1〜4節)。これは終わりの日々に現われるダビデの枝のことである。・・・・・神は彼を力の霊で支え・・・・・神は彼に栄光のみ座を、聖なる冠、優美な衣を与える。その手に王笏を握らせ、異邦の諸民族を支配する。「彼は目に見えるところによって裁くことをせず、耳にするところによって判定しない」とは、彼はツァドク系の祭司たちから助言を受けて、彼らが彼を教えることである。〔4Q161.Col.3. Frags. 8-10.〕〔DSS(2)238.〕
 
 ここに見るように、クムラン宗団で言う終末的な闘いは、会衆の君でありダビデの枝によって導かれ、イスラエルの勝利が祝われ、その結果、キッティームの死体は、その国土から取り除かれます。
(4)終末の闘いにおいて、邪悪が倒れ滅び去ることです。だからその過程は、悪の根絶へ向かう劇的な進行によって構成されます。この滅びによって、ベリアルと彼に伴う諸民族も、キッティームとその指導者たちも、闇の子らも、これらすべてが恒久的に消滅して、永遠の贖いが成就することになります。イスラエルとキッティームとの闘いは、光の子らと闇の子らとの闘いでもあるのです〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 270-72〕。
 
勇者/英雄よ立ち上がれ。栄光ある者よ、あなたの虜(とりこ)を捕らえよ。勇ましく闘うあなたの獲物を(捕らえよ)。あなたの敵の首にその手を置き、あなたの足は刺し殺された者の背中を踏む。あなたに敵する諸民族を挫き、あなたの剣が彼らの肉を食らえ。〔The War Scroll: 1QM. Col.12. 10-12.〕〔DSS (2)159.〕
〔復興と復活〕
 光と闇の闘いと、これの結末として訪れる裁きの終末は、それだけでない側面をも顕わします。先に引用した『感謝の詩編』は、人を滅びの穴から引き上げて人の霊を浄めてくださる神への感謝で始まります。しかし、その感謝は、ベリアルの者どもへの容赦ない断罪へつながります。それは、
 
ベリアルへの怒りの時であり、
近づく死の縄から逃れる術(すべ)はなく、
ベリアルの奔流は高い堤を超えて
すべての水流(?)を食いつくす炎となって
・・・・・・・
逆巻く火炎の炎は
水を飲む者どもすべてを消し去る。
神の炎は土の基(もとい)を焼き尽くし
乾いた陸地の果てに及ぶ
      〔1QHymns.Col.XI:27-31.〕〔DSS(1)333〕
 
 ことになります。ここでは、人間世界の邪悪への断罪と地上世界の絶滅が結びついて描かれていますが、強調は地上の人間に置かれます。ただしこのような破壊を越えてその後がどのようなるのかは示されていません。これに対する答えが、先に引用した『宗規要覧』の3〜4章に表れます。
 
 
なぜなら知恵の人は、人の子らすべての歴史を光の子たちに告げ知らせる。・・・・・今あることも今後成るべきこともすべてが知恵の神から出る。それらが成る/存在する以前から、神はそれらをことごとく計画され実現される。彼の栄光の計画に従って定めた通り何一つ変えずに。
Rule of the Community(1QS).Col.4.13-16.〕〔DSS(1)6〕。
 ここでは、個人の行ないに応じて報酬と罰が与えられるだけでなく、闇の子たちとその世界の消滅に対応して、光の子たちが新たに創造されて、彼らは、神のご計画によって創造される世界を治めるのです。このために、光の子たちに潜むよこしまな霊が照破される事態が世の終わりに生じるのです〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 273-74〕。
■新たな創造
 現存するこの世の秩序が消滅する時、次に何が生起するのでしょうか? これに対する答えが、以下に三つの相互に関連し合う復興/復活の事態として描かれます。ここでは、ヘブライ語の「クゥム」(復興する/復活する)の思想が、この事態を生起させる基として働きます。
〔民の回復と創造〕  
 「今にいたるまで、人の心には、真理の霊と不義の霊が対立し合い、人は皆、知恵と愚かを兼ね具えて歩む。あるいは真理と義を賦与されるままに不義を厭い、あるいは受け継いだ不義のままに邪悪を行ない真理を厭う。神は人にこれらの霊を等しく与え、定められた終わりと新たな創造にいたる」〔The Rule of the Community(1QS).Col.4.24-25.〕〔DSS(1)7〕〔DSS(2)121〕。  
 ここでは、世の終わりが創造へ結びつきますが、そこに描かれるのは、原初の創造へ立ち帰ることではなく、クムラン宗団のレンズを通して見える未来のあるべき創造の姿です。終末の創造は、とりわけ宗教的な価値観が強く、新たに復興された神への礼拝が、神殿とこれを囲む都市で行なわれます。神殿は闘いの終わりに出現する新たな世界に属しており、クムラン宗団で言う「純粋な神殿」です。その神殿で捧げられる礼拝と燔祭を含む献げ物は、1年365日を12で割った1月(30日)の暦(エルサレム神殿の太陰暦ではなくクムランの太陽暦)に従って執り行なわれ、26人の祭司たちが順番にその勤めにあたります〔The War Scroll. 1QM Col. 2. 1-7.〕〔DSS (2) 149.〕。
 ただし、クムランの太陽暦については、まだ分からないところがあります。そこには、新月などを含む太陰暦も加味されていた形跡があるからです。また、正確には1年は364日でしたから、実際の太陽暦との間にズレが生じます。これは、閏週を挿入することで是正されたと思われますが、大事なのは、どの週も初めが水曜日で始まることでした。26人の祭司の組が勤めにあたるとすれば、2年2か月で一巡りすることになりますが、2年2ヶ月が太陽暦の26週ではなく、そこに閏週が1〜2週挿入されているのかもしれません。ちなみにエルサレム神殿では、24組の祭司たちが、暦に従って神殿の勤めにあたりました(ルカ1章8〜9節参照)。
 クムラン宗団で言う「神殿」には、ソロモンの第一神殿と捕囚期以後の第二神殿(これを拡大した後代のヘロデの神殿をも含む)を度外視しています。その上で彼らに啓示された神殿は、以下の特徴を帯びていました。
(1)特徴の一つは、それが霊的で天的な存在でありながら、しかもこの地上において礼拝が可能だということです。『安息日に捧げる犠牲の歌』〔4Q400-407〕で燔祭の祭儀と共に歌われる祈祷歌があります。この歌の韻律的な構成は、これを歌う者たちを天使の祭司との交わりに誘う不思議な響き/言葉を醸し出します。そこに霊現するのは生ける霊的な神殿であり、その神殿の中心に生ける神の車輪/馬車が向かいます。そこに出現する神秘な体験は、「七つの不思議な言葉」〔4Q403.Col.2.21-22.〕〔DSS (2)468.〕でしか歌い顕わすことができません〔DSS (2)463〕。それはまさに「天の神殿」に属するものでありながら、現に今地上において霊的に顕われるのです。クムラン宗団のこの「神殿」は、地上のエルサレム神殿がその力を喪失してから、終末に顕われる神殿が到来するまでの間、中間的に地上に存在すると言えます〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 276-77〕。
 クムラン宗団のこのような霊的な神殿礼拝の様子は、『神殿の書』(The Temple Scroll)から知ることができます。そこには、クムラン宗団が待ち望む神殿が詳細に描き出されていて、それは概(おおむ)ね、当時のエルサレムとその神殿を霊的に再解釈した「天のエルサレム」として描かれます。霊の神殿での礼拝様式は、申命記に基づきながら、「新たな申命記」の創造を祈り求めるもので、神殿は、至聖所を中心にして天的なエルサレムがこれを囲み、さらに周辺に波紋状に広がる構成になっています。このような神殿観は、先に見た申命記12章以下で語られている<聖所の中央化>に対応するものです〔DSS(2)594-95.〕。
(2)この神殿のもう一つの特徴は、それが「新しいエルサレム」と結びつくものの、この神殿は、未だ最終的な神殿、すなわちいまだ「永遠の神殿」ではないことです。地上のこの神殿は、クムラン宗団の暦に基づく祭儀が行なわれる神殿のことです。暦に基づく祭儀での犠牲によって、「神の恵みを与えられた」民とその神殿について次のように記されています。
 
こうして彼らは恵みを得る。彼らはわたしの民となり、わたしは永遠に彼らのものとなる。わたしはいつまで永遠に彼らと共に住まう。わたしの栄光で己の神殿を浄める。そこにわたしの栄光が留まり創造の日にいたるからである。その時は、わたし自身が自らの神殿を創造する。わたしがベテルでヤコブと結んだ契約を成就し、永遠にいたる神殿を自ら建てる。〔The Temple Scroll. 11Q. Col.29. 7-10.〕〔DSS(2)606.〕
 
ここには、神自身がその「創造の日」に、<自ら永遠の神殿を建てる>と語られていますから、永遠の神殿は、終末へ向かう闘いにおいて与えられるクムランの神殿とは区別されています。したがって、クムラン宗団が言う「神殿」は、現存する滅ぼされた神殿と、宗団が天的な礼拝において加わる中間の神殿と、「終わりの日々」に建てられる最終的な神殿と、この三つが区別されているのです〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 278.〕。
 このように見てくると、神の民の「回復」とは、「新たな民」が創造されることであり、しかもそれが「新たな神殿の創造」と分かちがたく結びついているのが分かります。「回復する」(クゥム)は「復活する」ことをも指しますから、「回復」は「新たな創造」となり「復活」をも意味することになります。
〔指導者の復興〕
 クムラン文書のもう一つの要素に民族的な指導者、すなわち「メシア」の問題があります。メシア問題は二つの側面を有しています。一つは「メシア」の数であり、もう一つは「メシアの性格」です。ただし、クムラン文書全体から見れば、メシアは重要ですが最重要の課題とは言えません。なぜならメシアは、クムランの文書では、主として「終わりの日々」との関連で現れるからです。
 ここで「メシア」について述べられていると判定するための基準が必要になります。その一つが「メシア」(ヘブライ語「マーシアハ」=油注がれた者。ギリシア語「クリストス」)という用語が用いられていること。次に、その用語が明確に終末的な意味で用いられていることです。したがって、「彼(神)は彼ら(神の民)に聖なる霊を注がれた者たち、すなわち真理の見者たちを通して教えられた」〔『ダマスコ文書』写本(A)Uの12節〕〔CD. Geniza A. Col.2. 12〕〔CSS (2)53.〕とある場合の「聖なる霊を注がれた者」とは、預言者のことであって「メシア」とは言えません。これに対して、聖書からの引用に基づく場合は、「メシア」がでてこなくても、メシア預言だと判断することができます。それらはイザヤ書11章1〜10節/民数記24章16〜19節/サムエル記下7章12〜16節などです。
(1)クムランのメシアの特徴として、まず「会衆の指導者」のメシア像があります。クムラン文書の「イザヤ書註解」〔4Q161-165. Col.3. 11-16.〕〔CSS (2)237-38.〕の断片にあるイザヤ書11章1〜5節からの引用と、これについて「これは終わりの日々に顕われるダビデの枝(子孫)のことである」がこれにあたります。「その時、ベリアルの全軍勢が裁かれ、キッティームの王は裁きに立たされ、会衆の指導者であるダビデの枝が、彼を処刑する」〔4Q285. Frag.7.3-4.〕とありますが、この「会衆の指導者/王侯」"the Prince of the Congregation / the Leader of the congregation" 〔DSS (1)124.〕〔DSS (2)370〕とはメシアのことです。
(2)「メシア」については、そのほかに「王笏を持つ」メシア像があります。「王笏はユダから離れず、統治の杖は足の間だから離れない。ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う」(創世記49章10節)とありますが、創世記のこの節については、次のような解釈がなされています。「イスラエルが統治する間、<統治/主権>がユダの部族から離れることがなく、ダビデの王座に座る者が切り倒されることがない。義のメシアであるダビデの枝が来るまで、<統治者の杖>は王国への契約となり、幾千ものイスラエルの民がその<足>となるからである」〔4Q252. Col.5.1-3.〕〔DSS (2) 355.〕。ここでは「杖/王笏」(シェーベット)が「統治/主権」(シャーラット)へと置き換えられていて、「王笏」と「主権」という二重の意味を帯びています〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 280-81〕。
(3)クムラン宗団では、ダビデの枝こそが「ヤハド(共同体)の人々」〔4Q252. Col.5.5.〕を導く「義のメシア」です。この「ダビデの枝(子孫)」は、アモス書9章11節で預言されているとおり、イスラエルの家を「復興する/よみがえらせる」のです。ダビデ的なこのメシアは、邪悪な者どもを刺し殺し、キッティームの王を征服するからです〔4Q285.Frag.7.4.〕〔DSS(2)370.〕。
 ところが、この「ダビデの枝」について『戦いの書』の断片には、次のようにあります。
 
 ・・・・・預言者イザヤが告げた通り(イザヤ書10章34節)「森の最も茂った木々も鉄の斧で切り倒され、壮大を誇るレバノンも倒れる。エッサイの株から枝が伸び出て、ダビデの芽が闘いに臨み・・・・・<会衆の王が彼、ダビデの芽を殺す>・・・・・」〔4QWar Scroll(4Q285).Frag.5.1-5.〕〔DSS(1)124.〕
 
これはマルティネズ(Garcia Martinez)の訳です。この人は、〔DSS(1)〕として引用しているクムラン文書の訳者ですが、この訳では、「会衆の王が<彼、ダビデの芽を殺す>」と訳しています。この訳は、先にあげた「キッティームの王は裁きに立たされ、会衆の指導者であるダビデの枝が、彼(キッティームの王)を処刑する」〔4Q285.Frag.7.3-4.〕とちょうど正反対で、殺されるのはメシアである「ダビデの芽」のほうになり、殺すのが「会衆の王」(キッティームの王)になります。もしもこの訳し方が正しいとすれば、ここには「刺し殺されるメシア」像が表わされていることになります〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 285〕。
(4)次にメシア像で重要なのは、「律法の解釈者」としての祭司性です。
 
   「背いた者どもは剣によって倒され、堅持した者たちは、北の地、ダマスコの天幕(仮屋)へ逃れた。わたしは王の幕屋を逃れさせ、あなたの像の基(もとい)をダマスコの天幕へ移す」(アモス5章27節)。「王の天幕」とは律法の書のことであり、「わたしは倒れたダビデの幕屋を復興する」(アモス9章11節)とあるとおりである。「王」とは会衆のことである。「あなたの像の基」とはイスラエルが蔑んだ預言者たちの書のことである。「星」とはダマスコを訪れる律法の解釈者のことで、「星がヤコブから出て、杖(王笏)がイスラエルから立ち上がる(復興する)」(民数記24章17節)とあるとおりである。後者(王笏)は(イスラエルの)民全体の指導者である。〔Damascus Document.Geniza(A).Col.7. 14-21.〕〔DSS(2)58.〕。
 
 ここにでてくる「会衆(民)の指導者(王)」は、アロン的な祭司です。「預言者と、アロンおよびイスラエルのメシア(油注がれた者)たち」〔The Rule of the Community(1QS).Col.9.11.〕〔DSS(2)131.〕とあるとおり、ここには複数(少なくとも二人)のメシアたちが現われます。だから、メシアは必ずしも単数とは限りません。捕囚期以後では、メシアへの期待は途切れることなく続いていたと言われていますが、捕囚期以後では、マカバイ戦争の間でさえメシア像が現われることは比較的少なく、前50年までの間に「ダビデ的メシア」像が出てくることはほとんどありません。クムランの『宗規要覧』は、マカバイ戦争とローマの将軍ポンペイウスのパレスチナ支配(前60年)の間に書かれています。
 したがって、メシア待望の復活は、アロン系の祭司を廃した「非正統な」ハスモン王朝に対する反抗だと見ることができます。この場合に期待される「終末」は、「復興」と「理想」の二重の性格を帯びることになります。イスラエルの復興を求めるのがダビデ系のメシアであり、理想の国の成就を求めるのがアロン系のメシアになります。とは言え、これら二種類のメシア像が、どこまで区別されているかは確かでありません。
(5)クムランのメシア像に「ヤハウェの受難の僕」を読み取ることができるかどうかは問題です。「わたしは背く者どもの罠となり、背きから立ち帰る者たちすべてを癒やす」〔Thanksgiving Hymns. 1QH. Col.10.10-11.〕〔DSS(2)180〕とあるのは、イザヤ書53章4〜5節を反映していると見ることができますが、クムランのメシア像に、メシアの苦難に伴う贖いの意義を見出すことはできないようです。キリスト教以前の段階では、イザヤの苦難の僕に贖いを見出すユダヤ的メシア像を示す証拠は見出せません〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 283-84〕。
(6)次にクムランのメシアには、「神性のメシア」像があります。彼は「神の子」と称されていて,これが表われるのが「神の子テキスト」(4Q246)と呼ばれる断片です。
 
 彼(暴君の息子のこと?)はまた「神の子」と呼ばれ、彼らは彼を「至高者の子」の名前で呼ぶ。だが、あなたたちが幻で流星(複数)を見るように、彼らの王国もそのようになる。彼らはわずか数年の間だけ地を支配し、その間に民は民を踏みにじり、民族/都市は民族/都市を踏みつける。ついに神の民が立ち上がり、あらゆる人を剣/戦から休ませる。彼らの王国は永遠の王国となり、彼らの路は(真理と)正義である。彼らは地を正しく裁き、諸国の民は平和を得る。地からは戦が消え、諸国の民/諸都市は彼らに賞賛を送る。偉大なる神は彼らを助け、神自身が彼らのために闘う。神の支配は永遠の支配であり、地の深みもことごとく彼のものになる。〔4Q246.Col.2.1-10.〕〔DSS(2)347〕
 
 この「神の子テキスト」は、そのまま読むと、イエスの誕生を予告しているように見えます。特に「至高者の子と呼ばれる」とあるのは、ルカ1章32〜33節を想わせます。
 しかし一読しても分かりますが、ここに幾つかの疑問があります。「神の子」が、なぜ「彼ら」に変わるのでしょうか? また、「神の子」と「神の民」とはどのような関係にあるのでしょうか? 「神の民が立ち上がり平和をもたらす」とは、どういう意味でしょうか? このためにこのテキストの解釈については、意見が大幅に分かれています。ある説では「神の子」をイスラエルのメシアだと見なし、別の説では「神の子」をアンティオコス4世のような悪魔的暴君だと解釈します。また、この断片がはたしてクムラン宗団固有のものなのか? あるいはそれ以前から来ているのか? という問題もありますが、マルティネズは、ここで言う「神の民」をクムラン宗団と同一視しています〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 317.NB.147〕。
 しかしながら、このテキストをダニエル書7章の「(神のような)人の子」と関連づけるならば、神の側に立って「神の民」のために闘うメシアだという解釈が成り立つでしょう。もしもこの解釈が正しければ、クムランのメシア像は「半ば神性を帯びた」存在になります〔Deasley.
The Shape of Qumran Theology. 287-88〕。このような「神の子テキスト」の解釈が適切なことは、これを別の「初子の嗣業」の断片と比較することで確認できます。
 
あなた(神)はあなたの御名を確立するために彼の嗣業を定めた。・・・・・あなたは彼をあなたの初子と定めた。全地の王侯や支配者たちの間で彼に匹敵する者はなく・・・・・天の冠と栄光の雲をあなたは彼に授けた・・・・・。
             〔4Q369. Col.2.1-8〕〔DSS(2)418〕
 ここでは、神がその初子に天の冠(王座)とその栄光を授けるとあります。このテキストは詩編89篇を反映しています。「彼はわたしに呼びかけるであろう/あなたはわたしの父/わたしの神、救いの岩、と。/わたしは彼を長子とし/地の諸王の中で最も高い位に就ける。/とこしえの慈しみを彼に約束し/わたしの契約を彼に対して確かに守る」(詩編89篇27〜29節)。
 長子が他の息子の倍の嗣業を授かることはイスラエルの慣習ですが、クムランのこのテキストは、新約聖書ヘブライ人への手紙へ受け継がれていて、ヘブライ人への手紙は、詩編89篇から、神の御子が「長子」であると指摘しています〔DSS(2)416-17〕。
(7)さらに今ひとつ、クムラン文書で注目すべきメシア像があります。
 
彼(主なる神)は敬虔なるこの者に永遠の王国の王座へ(登る)栄誉を与える。この者は、とらわれた人たちを解放し、盲人の目を開き、うなだれた人たちをもたげる(詩編146篇7〜8節)。・・・・・なぜなら彼(この者)は、深い傷を負う者を癒やし、死者をよみがえらせ、苦しむ者によい知らせを遣わす(イザヤ書61章1節)。彼は、貧しい者を飽き足らわせ、追い出された人たちを導き、飢えた者たちを豊にする・・・・・。
                 〔4Q521. Frag.2. Col.2. 7-13〕〔DSS(2)531〕
 この断片は洗礼者ヨハネがイエスのもとへ人を遣わして、「来るべき方はだれか?」と尋ねさせた時に、イエスが答えた返事とみごとに重なります(マタイ11章2〜5節)。「この者」とあるのは、クムランのメシアのことで、メシアについてこのように語られている箇所は旧約聖書のどこにもありません。福音書の記者たちは、この断片を知っていたか、少なくともこの伝承に親しんでいた可能性があります〔DSS(2)530〕。「よい知らせ」(福音)をもたらすこのメシアは、~性を帯びていて、超人間的な存在です。しかも彼は、だた一人のメシアです(断片テキストの欠損のため確かとは言えませんが)〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 289〕。
 以上をまとめるなら、クムラン宗団のメシア像は、二人(以上)から一人まで、そこに一貫した教義を認めることはできません。メシアは祭司の下に属すると見なされるものの、「祭司的なメシア」像には「苦難の僕」像の反映を認めることができません。彼はまた、唯一のメシアで神の子のような~的な像です。メシアはクムラン宗団の終末と関係していて、その基調にあるのは(ダビデの)王権的なメシアです。会衆(民)の指導者(王)」は王笏を持つメシアであり、しかも彼は預言者であり祭司です。この時代、大祭司が最高位にありましたから、ツァドク系の大祭司が終わりの日々に現れるメシアとして最も有力です。「義の教師」は明確にメシア的な人物だとは言えませんが、彼は預言者でもあり教師でもあります。預言者としての彼は「律法の解釈者」です。メシアの到来は長く引き延ばされることはなく、「教師」が先駆けの役目を果たします〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 290-91〕。
〔人間性の回復〕
 次にクムランの神学として重要なのは、「堕落した人間性の回復」です。これは、創造によって授与されていたほんらいの人間性の栄光を取り戻すことです。このような「人間性の回復」は、否定的な消極面と肯定的な積極面の二面性を具えています。
(1)否定的な消極面では、「人間性の浄め」があります。『宗規要覧』4章20〜21節に次のようにあります。
 
 邪(よこしま)な時代に神の真理が裁きとなって降るその時には、神はその真理によって、すべての人の行ないを浄め、ご自分のために人間性(人の成り立ち/身体)を浄め、人の体の奥に潜むあらゆる不義(邪悪)の霊をはぎ取り、聖なる霊によってあらゆる不敬虔な業を浄める。神は人に真理の霊を輝く水のように注ぎ、すべての忌むべき欺きと、汚れた霊による汚染を浄める。
  〔The Rule of the Community(1QS).Col.4.20-22.〕〔DSS(1)7〕〔DSS(2)121-22〕
 ここでは、終わりの日に、神は人に清めの水で象徴される真理の霊を注いで、「霊の割礼」〔4Q177.〕〔DSS(2)266〕によって人の心を浄めるのです。このような真理の霊による浄めに逆らうのが「頑(かたくな)な欲望の心」〔The Rule of the Community(1QS).Col.1.6〕〔DSS(2)117〕です。ただし、このような浄めは「現在すでに」起こって/始まっているようでもあり、「終わりの日々」に起こることでもあるようです〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 292〕。
(2)次に人間性の回復の肯定的な面をあげますと、それは「アダムの栄光の回復」です。荒れ野でイスラエルの民がさまよった後で、次のようにあります。
 
   しかし彼らの中から残されて神の戒めを固く守る者たちとは、神はイスラエルのために永代まで契約を立て、イスラエルのすべてがさまようもととなった隠れたことを彼らにあらわし給うた。すなわち彼(神)の聖なる安息日と栄光ある定めの祭りと彼の義の証言と彼の真理の道、そして人が行なうならばそれによって生きる御心の要求を、彼(神)は彼ら(イスラエルの残りの者たち)の前に披瀝(ひれき)し給うた。それで彼らは豊かな水の井戸を掘ったのである。それを軽んずるものは生きないであろう。しかし彼らは人間の罪に、汚れの道に身を汚した。・・・・・しかし神はその奇しき秘密において彼らの罪を償い、その咎を赦し給うた。そして彼(神)はイスラエルのうちに固き家を建て給うたが、そのようなものは古(いにしえ)より今にいたるまで建ったことがなかった。それを固く守る者は永遠の生命を得、アダムの栄光はすべて彼らのものとなる。
 〔日本聖書学研究所編『死海文書』「ダマスコ文書」3章12〜21節。256頁〕
 
 ここには「アダムの栄光」の回復が語られています。この回復は「永代の契約」に結びついていて、終末的な意味を帯びており、大地が、そこに住む人(アダム)と共に初めに創造された状態へと回復されるのです。しかもこの回復には、人の罪の完全な贖いが伴います。神へ向かう人の心を入れ替えて、天の交わりの礼拝に加わることが地上においても可能になります。これもまた終わりの時に起きることで、「隠れたことを選ばれた者たちにあらわす」とあるとおり、選ばれた者たちは、天の子たち(天使たち?)の知恵へと導かれ、アダムの栄光を授かるのです。
 これが成就するのは、未来のことですが、それは必ずしも終末の時に限られるのではなく、それ以前においてもある一定期間、そのような千年王国が一時的に実現するとあります。そして終末でのメシアの到来と共に邪悪の力が滅び去り、イスラエルの回復が、定められテヒに成就することになります〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 293-94〕。
■永遠の命
 クムラン宗団には終末に達成される超越的な命が信じられていたのでしょうか? 上にでてくる「永代までの」人の生命の延長も、最終的には死を免れることができないとすれば、死の先に何があるのでしょうか? クムランの遺跡には今に残る墓地があって、そこには大勢の男たちだけでなく、女性や子供たちも(場所は違っていますが?)葬られています。これらの逝(い)った者たちはどうなるのでしょうか? ユダヤの終末的な希望は、基本的に現世的です。クムラン宗団の終末も地上的であり、たとえ時代が新たに更新されたとしても、それはやはり地上的ですから、「死をも超えた」宗団の「超越的な命」を臨むことができるのでしょうか?
 
 わたし(霊的に礼拝する者)の目は永遠を見つめる、人の目から隠された知恵を(見つめる)。それは人の子らからは隠された知識と思慮であり、肉の集まりから隠された義の源、力の井戸、栄光の泉である。これらを神は永遠の所有として選ばれた者たちに授けた。神は彼ら(選ばれた者たち)を聖なる方の相続を受け継ぐ者とされた。神は彼らを天の子たち(天使たち)と共に一つの交わりとして集め、「会衆」(ヤハド)とした。彼らは聖なる事、来るべき世世にわたる天の土地/農園のために立てられた集まりである。〔The Rule of the Community(1QS).Col.11.5-10.〕〔DSS(1)18〕〔DSS(2)134〕
 
 ここには明らかに地上を越えた霊界への信仰が語られており、宗団はその交わりに加えられるのです。ここには、クムラン宗団が到達した最も高い宗教的体験が描き出されています〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 296〕。同様のことが次の断片でも言い表わされています。
 
  あなた(神)はそれ(神の創造の業)を彼ら(神が創造された霊の人)の子孫のために子々孫々にいたるまで、永遠の年月にいたるまで分け与えられた。・・・・・そしてあなたの知識ある知恵によって、あなたは彼らの運命を彼らが存在する以前から定められた。あらゆる事はあなたの御心で起こり、あなたを離れては何事も生起しない。
             〔Thanksgiving Hymns.1QH. Col.9. 20-22 〕〔DSS(2)179〕
 永遠の生命に入る者たちと永遠の滅び(消滅)に入る者たちとは、死の直後に裁きによって定まります。しかもそこには、幾つもの継続する歴史的な時期が背景にあります。「愚か婦人」に騙(だま)されて、「彼女の門は死の門、彼女はその家の入り口で待ちかまえる。滅びの穴に落ちるようとらわれた者たちは、皆ハデス(地獄)に落ちで戻らない」〔4Q184.Frag.1.10-11〕〔DSS(2)273〕のです。下記の断片では、愚か者たちと義人たちとが対照されています。  
「愚かな心の者たちよ、・・・・・なしに何の益があろうか? まだ起こらぬ事を前にして何の安息があろうか? ・・・・・彼ら(愚か者たち)は、裁きに出遭って暗闇で喚(わめ)き悲しむ。しかし永遠に存在する者たち、真理を求める者たちは、裁きの時に目覚めて、・・・・・愚かな心の者たちを滅ぼす。」〔4Q418. Frag.69. Col.2. 4-8〕〔DSS(2)489〕
 終末の闘い、メシアの到来、イスラエルの復興など、これらのクムランの終末観はヘロデ大王の時代の前後、すなわち前1世紀末から後1世紀初めにかけて形成されたと見ることができます〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 297〕。クムラン宗団の終末観には、時間的と超越的の二つの側面があります。終末は「訪れ」として語られますが、その終末の時には、
(1)すべての人の子らに、善悪に応じて報いが<訪れる>のです。 
「知恵の教師は光の子たちを教え導く。あらゆる人の子ら(全人類)の由来と運命(歴史)について、(人の子らの)様々なしるし(階級)を帯びた霊性について、人の子らの行ないと彼らのあらゆる世代について、人の子らへの罰が、あるいは人の子らへの平安の報酬が<訪れる>時期について教え導く。」〔〔DSS(1)6〕〔DSS(2)120〕。  
 こうして邪悪の霊は滅ぼされます。「神はこれら善悪の霊を等しく人の子らに分かち与えて、定められた新たな創造の時にいたる」のです〔The Rule of the Community(1QS).Col.4.25〕。その時「アダムの栄光」も回復されるのです。しかし、もしも人への賞罰の<訪れ>が人の死の時に来るのであれば、その<訪れ>は、終末の神の<訪れ>とどのように関係するのでしょうか? この疑問は、すでに逝った真実な者たちが、新たな創造の世において分け前に与るのなら、いっそう切実になります。復活がその分け前の時であるのなら、その「復活」とは、彼らが生きて死んだ時期と、終末の神の訪れとの間にあって、どこか中間の時期になります。この点で、クムランの終末は、ダニエル書12章2〜3節に属していて、「復活」は、永遠の命か、あるいは永遠の断罪か、そのどちらかに定められ裁きに先立って起こるのでしょう。クムラン宗団では、ダニエル書はよく知られていて、親しく用いられていたからです〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 298〕。しかし、ダニエル書の示す「時期」も結局あいまいですから、「復活の時期」について確かな結論を引き出すことができません。 
「彼(主なる神)は敬虔なるこの者に永遠の王国の王座へ(登る)栄誉を与える。この者は、とらわれた人たちを解放し、盲人の目を開き、うなだれた人たちをもたげる(詩編146篇7〜8節)。・・・・・なぜなら彼(この者)は、深い傷を負う者を癒やし、死者をよみがえらせ、苦しむ者によい知らせを遣わす(イザヤ書61章1節)。彼は、貧しい者を飽き足らわせ、追い出された人たちを導き、飢えた者たちを豊にする・・・・・。」〔4Q521. Frag.2. Col.2. 7-13〕〔DSS(2)531〕
 先に引用した「彼(主なる神)は敬虔なるこの者に永遠の王国の王座へ(登る)栄誉を与える。・・・・・なぜなら彼(この方)は、深い傷を負う者を癒やし、死者をよみがえらせる」〔4Q521. Frag.2. Col.2. 7-13〕とある箇所でも、ここで言う「よみがえり」が、逝った人類全体(全人類)の「よみがえり」なのか、それともメシアの到来によってもたらされる「病む者の癒しと貧しい者への助け」のことなのか? 答えははっきりしませんが、おそらく、後者のほうでしょう。 
  「 彼(主)は言われた。『天の四隅からの風に向かって預言して、刺し殺された者たちに向けて吹かせよ。するとそのようになった。すると非常に多くの人たちが生き返った』(エゼキエル書37章4〜10節)。彼らは、自分たちをよみがえらせた万軍の主のみ名をほめたたえた。」〔4Q385. Frag.2.7-9〕〔DSS(2)448〕 
 クムラン宗団においては、主ヤハウェとの契約に忠実であった「残りの者たち」の「再創造」は、エゼキエル書37章のこの記事に準拠しています。エゼキエル書37章の「復興/よみがえり」は、民族的な規模で生じるけれども、クムランでは、それが個人化しているのが分かります。それは、何時、どんなふうにでしょうか? エゼキエル書では「骨が集められ、肉がこれを覆い、霊が吹き込まれるという三段階を経ています。クムランでは、この過程が、それぞれの人のアイデンティティ(自己同一性)と生前の存在が死を超えて継続することを意味しています。ただしクムランでは、このような「復活」は義人のみに限られます。ただし、こういう復活/よみがえりが、はたしてクムラン宗団全体の信仰を代表しているのかは確かでありません。
 クムランのこの復活観は、その遺跡に残る墓地によっても確かめることができます。当時のエルサレムでは、家族葬と一年ほど経過した後にその骨を骨筺(ほねばこ)に納める慣習とがあったことを思えば、クムランのように、頭を南に向けて南北の状態で墓地に埋葬されている状態は、明らかに特殊です。彼らが「復活する/起き上がる」時に、その顔が北を向いていなければならないのは、クムランの北の方角に「新しいエルサレム」「シオンの丘」「黄金の楽園」が待ち望まれていたからでしょう〔Deasley. The Shape of Qumran Theology. 300〕。
 ただし、クムラン宗団では、この地上において天使たちとの交わりの礼拝に加わることが優先されていましたから、死後の問題は、このような天使たちとの礼拝の背後に隠れていたと思われます。同様に、「終末での闘い」が、来るべき世の命の有り様さえ二義的なものにしていたのかもしれません。
 要するにクムラン宗団での「来るべき命」には、地上における命の延長と、来るべき世での超越的な命との間に、ある種の緊張関係があったと見なすことができます。さらに今ひとつ、その永生への入り口が、死の直後なのか? 終末の復活の時なのか?という緊張もあり、またその復活が、個人的なのか民族的なのか、という緊張もあったと思われます。この二種類の復活の有り様は、中間的な千年王国思想によってある程度調和させられていたとも考えられます。民族的な有り様それ自体が、「時間的な」過程に過ぎないと見なすなら、個人か民族かの問題も解消することになりましょう。メシアの王国の到来は、この自然と超自然の二つの領域における生命への祝福を人為的に調和させることができないことを示唆しています。黙示思想全体においては、共同体的な復活が優先していると言えますが、これはクムランの場合でも同様です。なぜなら、共同体の消滅は、クムラン宗団そのものの消滅をも意味するからです〔Deasley.The Shape of Qumran Theology. 301-02〕。
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