32章 ダニエル書の黙示(前編
 
■知恵と黙示の時代
 知恵と黙示を考える上で、紀元前500年頃から紀元100年頃までの600年間はとても重要な時期です。この時期を一言で定義づけることは難しく、幾つかの「定義」を重ねなければなりません。第一にこの時期は、エルサレムの第二神殿が建てられてから(前515年)、それが破壊されるまで(紀元70年)の時期と重なりますから、これを「第二神殿時代」と呼ぶことができます。第二にこの時期は、ペルシア帝国の後期からアレクサンドロス大王の帝国支配(前331年ペルシアの滅亡)、ギリシアのセレウコス朝の支配とこれに対抗するマカバイ戦争(前166から)、その結果によるユダヤの独立(前142年)、続くユダヤのハスモン朝の時代、これにローマ帝国による再支配が続き(紀元前63年、ユダヤがローマの属州となる)、それからイエスの伝道の時が来ます(紀元28年?から30年?まで)。そしてイエスの十字架と復活の後、イエス・メシア運動が起こり、ユダヤ教徒の中から興ったキリスト教が異邦人世界へ広まります。その間にローマ帝国に反抗するユダヤ戦争と、その結果としてユダヤの最終的な滅亡(紀元135年)が来ます。このように多事多難な時期ですが、これをユダヤ教から見れば、ギリシア支配の時代のユダヤ教からローマ支配の時代に及ぶ「初期ユダヤ教の時代」と呼ぶことができます。第三にこの時期に、イエスの宣教と十字架と復活を境にしてキリスト教が誕生しますから、「旧約から新約へ転換する時代」と呼ぶことができます。第四にこの時期は、キリスト教がユダヤ教の内部で生まれてから、制度的にも信仰的にもユダヤ教とは異なる宗教として成立する(紀元2世紀以降)までの時期と重なりますから、これを「ユダヤ教からキリスト教への中間時代」と呼ぶことができます。
 このように、四つの定義を重ねなければならないほど、この時期は複雑で、しかも重要な時期です。前回あげた旧約時代の知恵文学のほとんどが、内容はそれ以前からのものであっても、紀元前のギリシア時代のユダヤ教の時期に成立したものです。同様に、黙示文学も捕囚以後(紀元前538年)から紀元100年代までの時期に集中しています。
■黙示の特徴とダニエル書
 わたしは、ダニエル書は、「最初の黙示文学」と言いましたが、上に述べた時期全体から見ますと、この呼び方は必ずしも的確でありません。わたしたちは「黙示」“apocalypse”と「黙示文学」“apocalyptic literature”と「黙示思想」“apocalypticism”とを区別する必要があるからです。「黙示」とは、天界の秘義を開示する「アポカリュプス」(啓示/黙示)のことで、一応次のように定義することができましょう。
(1)天使や原始の神話的表象、例えば竜や雷光、天の門や水晶やラピス・ラズリなどの宝石、命の樹木や光りの川、獣や半人半獣の動物などの寓喩的な表象を伴う。
(2)終末において、悪人たちや堕落天使や竜や悪霊などへの裁き(罰)を伴う。
(3)終末の時に、義人の救済と復活を伴う。
(4)王国や権力者たちを意味する寓喩や表象と、これらによって描かれる霊的な歴史像を伴う。
ただし、これらの全てを含まなくても、その一つあるいは二つを含むものでも「黙示」と呼ぶことがあります。また「黙示文学」と呼ばれるものでも、これらの要素をすべて具えているとは限りません。作品によって、四つの要素の比重にかなりのばらつきがあります。またこれら四つの要素が表面に現われていなくても、これらの要素を背景とする思想や信仰を「黙示思想」と呼ぶことができましょう。
この基準に照らしてみると、例えばイザヤ書24章や27章、ゼカリヤ書4〜6章、ヨブ記40章15〜32節など、ダニエル書以前のものにも「黙示的な」描写を見ることができます。しかし、ダニエル書以前の文書で、黙示的要素を最も多く具えているのは、エゼキエル書です。四つの生き物と車輪(1章)、サファイア(ラピス・ラズリとも読めます)のような王座(1章)、主の霊による飛翔と都の幻(11章)、エジプトの王ファラオの権勢と原始の海や陰府(31章)、見張りの務めとしての預言者(33章)、枯れた骨の復活(37章)、イスラエルを襲うマゴグのゴグ(38〜39章)、新しいエルサレム神殿の幻(40章以下)などがこれにあたります。わたしは特に、イスラエルの民への「見張りの務め」としての預言者の役割に注目しています。なぜなら「人の子」と呼ばれるエゼキエルは、黙示文学で重要な役割を占める「堕落した見張りの天使たち」に対応していると思われるからです。
しかし、ダニエル書はエゼキエル書に比べるとかなり違った特徴を持っています。なぜならダニエル書の2章〜6章のアラム語の部分は、黙示と言うよりは知恵の人への試練の物語だからです。この知恵の人は、創世記のヨセフ物語の系譜に属しますが、ダニエル書では、厳しい試練に耐えて生き残る「義の賢者」として、後の黙示文学に現われる「義の教師」へつながります。またダニエル書には、エゼキエル書に見られるほどにツァドク系の祭司と祭儀を重視する特徴は表われません。その代わり、より普遍性を帯びた知恵の霊性によって、「いと高き神こそが人間の王国を支配する」ことが啓示されるのです。ダニエル書の黙示性は、7章以下に表われるのですが、これは後で述べることにします。一つ注意したいのは、ダニエル書は、先にあげた黙示文学の要素の(4)にあたる霊的な歴史像をはっきりと伝えていることです。おそらくこの点が、ダニエル書をして「最初の」黙示文学と見なす理由ではないかと思われます。ただし、ダニエル書2章〜6章の幾つかの宮廷物語は、ほんらい、それぞれ別個に独立して(アラム語で)伝えられたもので、 これらの物語を一つにまとめて、ダニエル書の前半部分として「編集した」ものだという見方があります。そうだとすれば、物語相互の時代的な矛盾や、登場人物の齟齬(そご)は、寄せ集めの結果生じたに過ぎないことになります。こういういささか「お粗末な」編集でも、その編集の裏には、これらの物語が編集された時代(マカバイ期)の厳しい迫害体験が、何らかの形で「反映している」と見ることができましょう。だとすれば、これらの物語にも、ダニエル書の7章以下の後半部に通じる「黙示性」を読み取ることも可能ではないかと思われます。
■出来事の表象化
 ダニエル書は、内容としてみると、「ユダの王ヨヤキムが即位して3年目」(前606年)から語り始めて、「ペルシア王キュロスの治世第3年」(前536年)までですから、ほぼバビロンの捕囚が始まってから(第一回の捕囚は、実際にはヨヤキン王の前597年)、ユダ部族を中心とするイスラエルがエルサレムへ帰還するまでのことになります。しかし、ここに語られている物語は、作者が念頭に置いている実際の出来事とは大きく違っています。作者は、自分が実際に体験している歴史的な事実をそれよりも以前に起こったバビロン捕囚の出来事へと「移し換えて」語っているからです。言い換えると、自分が現在体験し伝えようとしている歴史的な事実を、そのままではなく、過去の人物や出来事へ投影させて語る手法です。だから物語の表層に潜んでいるほんとうの意味は、書かれている表層の裏に隠されているのです。この場合、語られる表面の意味は、歴史的な事実の「映し」であり、現在の出来事が「表象化」されて過去の姿で語られます。このため語りの表層とこれが映し出す事実とを対応させて読む必要が生じてくるのです。
例えば話の中に出てくるネブカドネツァル王(在位は前605〜562年)は、実はバビロンの最期の王であるナボニドス王(在位は前556〜539年)のことであろうと考えられます。この王は、5章の後半にあるように、晩年に正気を失ったと言われています。また5章にでてくるベルシャツァルは、実際に存在した人物で、ナボニドス王の息子です。しかし彼は王ではありません。物語のベルシャツァル王は、実際はセレウコス朝のアンティオコス4世エピファネス(在位は前175〜164年)を反映していると見られています。9章の始めに「ダレイオス王はメディアの出身で、クセルクセスの子である」とありますが、ダレイオスはメディアの王ではなく、ペルシアの王で、しかもダレイオス1世から3世まで三人います。またクセルクセス1世はダレイオス1世の息子ですから、物語とは逆になります。もしも、これらの「齟齬(そご)」が、単なる誤りではなく、物語の裏に潜む実際の人物や出来事のことを違った人物や出来事で表象化しているのだとすれば、ここで、語られている人物や出来事は、裏に潜む人物や出来事を「隠しながら寓喩的に指し示している」ことになります。
 このような手の込んだ手法で、語りの表層によって、それが実際に指し示している人物や出来事を「隠す」やり方は、権力者をおもんばかって出来事を表立って批判することができない場合、あるいはそれが許されない場合によく用いられます。ダニエル書の物語は、この手法で、その裏に現実の歴史に対する厳しい批判を秘めています。この手法は人物を貶めたり、逆に理想化したり神話化したりする場合にも用いられます。スペンサーというイギリスの詩人は、『妖精の女王』という長大な叙事詩で、16世紀のイギリスの宮廷と政治を「妖精の国」というおとぎ話の騎士物語として描き出しました。日本で言えば、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』がこれに近いと言えましょうか。けれども、これは大事なことですが、そこで語られている物語が、現実の出来事や人物のことではない「作り話」だと受け取ってはならないのです。なぜならそこには、言い表わすことが出来ないほどの深いあるいは恐ろしい現実が「隠されて指し示されて」いるからです。わたしがこのように言うのは、ダニエル書が、それまでの旧約聖書のどの文書とも違って、「黙示的な」性格を帯びていることと関係しています。
 ではダニエル書が指し示す実際の出来事はいつのことでしょうか? これを知る手がかりは、7章25節に「聖者らは彼の手にわたされ1時期、2時期、半時期がたつ」とありますが、この「彼」とは、セレウコス朝の暴虐の王アンティオコス4世を指しています。8章13〜14節には、「罪が荒廃をもたらし、聖所と万軍が踏みにじられる出来事」が「日が暮れ、夜が明けること2300回」続くとありますが、これを日数にすれば1150日になり、太陰暦(月齢の暦)で1年を360日で計算すると3年と70日になります。これのほかに12章11〜12節に「憎むべき荒廃をもたらすもの」の期間は1290日(3年7か月)と定められていて、1335日(3年8か月と15日)まで待ち望む者たちは幸いだとあります。このことは、アンティオコス4世がユダヤ教を迫害し始めた時から3年8か月あまりを経てエルサレムの神殿が回復されたことを指しています(ユダヤ教の神殿奉献祭はこれを祝う祭りです)。これらの記述から、ダニエル書は、迫害が始まってから、3年目に入って書き始められ、3年半ほどで書かれたと推定されています(その後加筆されていますが)。
これを実際の歴史の出来事に当てはめてみますと、アンティオコス4世が最初にエルサレムを襲ったのが紀元前169年で、彼は約2年後に再度エルサレムを襲い(前167年)、ユダヤ教の全面的な迫害を開始しました。この期間が約3年半あまり続いた後で、エルサレムが解放されて、神殿が浄化されました(前164)。したがって、ダニエル書が語る出来事の背景となっている現実の歴史の期間は、アンティオコス4世の2度目のエルサレム侵攻から神殿が再び回復されるまでの期間(前167年〜前164年)であることになります〔木田26〜27〕。
■寓意について
 ここで寓喩(アレゴリー)“allegory”について少し説明します。寓喩は、ダニエル書だけでなくフィロンの聖書解釈にもアウグスティヌスの聖書解釈にも用いられている解釈の手法です。聖書だけでなく、イギリスで言えば16世紀から17世紀にかけてスペンサーが、ダニエル書と同様な寓喩的な手法を用いて、イングランドの歴史を描きました。寓喩の最も代表的な例がイソップ物語です。しかし、イソップ物語とダニエル書の寓喩とは基本的な点で異なっています。ダニエル書の寓喩は、(1)寓喩が作者の作り話ではなく、現実の歴史的現実に根ざしていることです。こういう寓喩は、権力者に表立って逆らうことができない場合によく用いられます。しかし、寓喩の果たす役割はそれだけではありません。(2)寓喩は、現実を比喩的な表象や象徴で言い表わしますから、それは特定の出来事や人物の歴史的な状況を超えて、独立したイメージとして一人歩きを始めるからです。実はこれこそが寓喩を用いる作者のほんとうの意図なのです。ここで注意しなければならないのは、わたしたちはよく寓喩の「ほんらいの」意味だとか、それが成立した社会的状況を取り上げて、あたかもそれこそが寓喩の「ほんらいの」意味であるかのように思いこみがちです。ところが,作者の意図はちょうどそれとは反対であって、そういう特定の状況を超えた比喩的なイメージをつくりだすために寓喩を用いるのです。(3)なぜ彼がそのように意図するのかと言えば、寓喩は、過去あるいは現在だけでなく、未来に向かって語りかける力を秘めているからです。言い換えると、寓喩あるいはより広く比喩は、常に新しい状況の中で新しい解釈を呼び求めるように読者に誘いかける働きをするのです。イエスの語った比喩がこれです。(4)ダニエル書では、この寓喩が「歴史観」に対して用いられていること、これこそがこれまでのイスラエルの伝統になかった手法です。この意味で、ダニエル書の歴史の寓喩化は、以後の聖書作者に大きな影響を及ぼすことになりました。
■ダニエル書の構成
 ダニエル書は、書かれている原語(アラム語とヘブライ語)、その内容(物語と啓示のヴィジョン)、その構成(特に1章、7章、9章の位置づけ)、その成立過程(ペルシア時代からマカバイ時代まで)、その作者たち(アラム語とヘブライ語の両方に通じていた)など、いろいろな点で複雑です。ダニエル書は1章〜6章までと7章〜12章とに大別することができます。前半は、ダニエルの知恵とダニエルたちの受ける試練物語で、知恵の人と悪の力に屈しない信仰の人たちの物語です。後半は、ダニエルの見た幻で、ここから黙示に入ります。なおダニエル書の言語について述べると、ダニエル書の2章4節後半から7章の終わりまではアラム語で書かれています。ペルシア帝国のアラム語は「帝国アラム語」と呼ばれて、旧約聖書の時代のオリエントでは国際的に用いられていました。例えば、ダニエルに与えられる「ベルテシャツァル」はペルシア名です。また3章にでてくる官職名では、「総督」「執政官」などはアッカド語を語源とするペルシア語から借りたアラム語です。「財務官」「司法官」などもペルシア語から借りた言葉です。しかし「六絃琴」「竪琴」「風琴」(3章7節/同10節)などの楽器名はギリシア語を借りたものです。このように、捕囚時代の物語に合わせた言語が遣われています。また、ダニエル書の1章1節〜2章4節前半と8章〜12章はヘブライ語です。しかしこのヘブライ語の部分にもペルシア語やアラム語風の言い方が入っています。だからこの部分は、アラム語からヘブライ語に訳されたのではないかとも言われていますが、確かではありません。少なくとも、帝国アラム語に通じた人が書いたと思われます。このように、ヘブライ語からアラム語へ、再びヘブライ語へと、物語に合わせた言語の用い方がなされています。ここで、2021年の現在、ダニエル書の成立で最も有力だと思われる説を紹介します〔John J. Collins. Daniel. Hermeneia. Fortress Press (1993) Introduction 29.〕。
(1)2章〜6章の幾つかの宮廷物語は、捕囚期以後のアケメネス朝ペルシア時代に、それぞれ独立して伝えられていたものが、集められて編集されたと考えられます。したがって、時間的順序やその他の点で、不自然なところがあります。7章はアラム語ですが、その内容は、ダニエル自身のヴィジョンにかかわるものですから、この章は、8章以下のヘブライ語の部分と共通すると見なされています。
(2)内容で見れば、宮廷物語は、捕囚期の出来事を指しますが、歴史的に不自然な点が見受けられます。7章〜12章には、4世紀以降のギリシア時代の出来事、とりわけ、2世紀のマカバイ時代のユダヤへの迫害の出来事への反映を見ることができますから、この時期に編集されたと考えられます。2章〜6章の編集は、確かなことは分かりませんが、後半よりも少し早い時期に編集されたのでしょう。

【四つの王国】最初の試練では、ダニエルの夢解きの知恵が語られます。ここには、アンティオコス4世(金の頭で表象される)に続いて、後半の黙示へとつながる四つの王国が現われます。第一の王国はメディア(銀)。第二の王国はペルシア(青銅)。第三の王国はアレクサンドロス大王の帝国(鉄)。第四が、シリアのセレウコス朝とエジプトのプトレマイオス朝(鉄と陶器)です。続いて、永遠の御国の到来が予言されます(2章44節)
【四つの試練】(1)燃える炉の試練、(2)大きな樹の夢、(3)壁に書く指、(4)ライオンの洞窟の試練です。(1)と(4)は、異教の世界にありながらなお主の律法に忠実に従おうとする者たちが体験する試練を描いています。ダニエル書が書かれたのは、マカバイの抵抗運動の最中であったことも、これらの物語の背景になっていると思われます。(2)は、「人間の王国を支配するのは、いと高き神であり」(4章14節)、神は、御旨のままに権力を誰にでも与えることを表わしています。(3)は、「王の命と行動の一切を手中に握っておられる神を畏れ敬うことをしなかった」権力者に章9〜14節は、歴史の経過を表象化して表わしていますから、これらは、必ずしも特定の出来事だけを指し示しているのではありません。4匹の獣の像は、特定の帝国を意味していますが、同時に、それらが表象化されることによって、どの時代のいかなる支配権力に対する指標ともなることができるのです。
(2)の幻では、雄羊の角の1本はメディア王国で、後ろのもう一本は、メディアを滅ぼしたアレクサンドロス大王の帝国です。雄羊を倒す雄山羊の4本の角は、アレクサンドロス大王の死後に四つに分裂したマケドニアとリュシマコス朝とセレウコス朝とエジプトのプトレマイオス朝で、その中の1本から生えてくる「強大な」小さな角とは、セレウコス朝のアンティオコス4世のことです。彼は「尊大なことを語り」天の軍勢と真理に逆らって罪をはびこらせます(8章9〜11節)。 70週とは、1日を1年とし、1週を7年として、490年のことです。70年はバビロニア捕囚の実際の期間を表わしますが、490年は表象化された終末までの期間でしょう。
(4)の「人の子」については後で述べます。
【北の王と南の王】11章では、北の王と南の王との間で行なわれる戦いが語られます。北の王とは、アレクサンドロス大王の死後、パレスチナの北部一帯を支配したセレウコス朝のことであり、南の王とは、パレスチナの南部エジプトを支配したプトレマイオス朝のことで、パレスチナは、南北の帝国の狭間にあって、両者の支配をめぐる争いに巻き込まれることになります。「キティムの船隊」(11章30節)とあるのはローマの艦隊のことで、アンティオコス4世は、エジプトを支配しようとしてローマの艦隊に撃退されました。
 11章40節からは、過去から未来へ、そして終末へと視点が移ります。12章では、大天使ミカエル(戦いの天使)が立ち、苦難の民の救いと「地の塵の中に眠る多くの者たちの目覚め」、すなわち復活が語られ、終末の到来が予言されます。ここでは、作者の描く出来事が、過去ではなく、未来へと投影されています。先に、黙示は現在の出来事を表象化すると述べました。しかし、「表象化」は、現在を過去の出来事と結びつけるだけでなく、同時に現在を未来へ、そして終末へと結びつけることもできるのです。
■知恵から黙示へ
 ダニエル書の知恵は、まず2章のネブカドネツァルの巨大な像の夢解きで始まります。この夢解きの知恵は、4章での大きな樹の夢につながり、7章では四頭の獣の幻という壮大な歴史のヴィジョンへ発展します。さらに8章での雄羊と雄山羊の幻、9章での70週の予言へとつながり、「終わりの時」に顕われる人の子と終末の幻が来ます。これで見ると、ダニエル書では、夢あるいは幻の判断、すなわち「夢の解釈(ペシェル)」が大事な働きをしているのが分かります。
 このような夢の解釈はどこからでているかについては、諸説があります。先に述べたように、ラートは黙示をイスラエルの知恵と結びつけて見ていました。しかし、ダニエル書のこのような夢解釈は、知恵だけではなく予言の伝統、それも遠く古代メソポタミアの夢判断の伝統から来ていると見ることもできます。「夢の中であることが起こる。それはしかじかのことを意味する」という形での夢判断は、アッカドからシュメールにいたる膨大な粘土板の文書にも見られるからです。エゼキエル28章3節の『ダニエル』は、ティルスの王の知恵と比較されていますから、これはツロ・フェニキアの魔術師であり夢占い師であった「ドニル」のことではないかとも言われています〔Mastin 165〜66〕。
 しかし、知恵と予言の融合したダニエル書の夢判断は、これらとは質的に異なった性格を帯びていることも指摘されています。特にダニエル書の夢判断が、創世記41章に始まるヨセフ物語をモデルにしていることが、早くから指摘されていました。ヨセフ物語は、捕囚期に入る前の時期に書かれましたが、この物語は捕囚期の間も語られていたのです。捕囚期間には申命記史家たちや第二イザヤも活動していました。彼らは「異教的な」夢占いの伝統には否定的であったと思われますので、バビロニアの夢占いと並行して、ヨセフの夢解きの物語が、ダニエル書のモデルになったと考えられます。
 だから、バビロニアやカナンの影響を受けてはいても、ダニエルの知恵は本質的にヤハウェの言葉とその霊によって与えられる賜だと言えましょう。ただし、ヨセフの知恵とダニエルの知恵とでは、一つ大きな違いがあります。それは、ヨセフが、エジプトの王から告げられた夢を解いたのに対して、ダニエルは、王の見た夢そのものを言い当てるように求められていることです。ダニエルは、出された問題を解いたのではなく、出される問題それ自体が何であるかを言い当てたのです。だからダニエルの知恵は、最も高度な知恵の働きとして、天からの啓示を読み解く知恵なのです。知恵はこの段階から黙示へと移行しますが、このことから、黙示は、知恵の最高度の啓示と見なされています。
 ダニエルは、宮廷で知者となる教育を受けました(ダニエル1章3節以下)。彼は何よりもまず、かつてのヨセフと同じように、異邦のあらゆる知者に優る「知恵の人」です(2章48節)。彼はイスラエルの知恵とバビロニアの知識を兼ねそなえることで、それまでイスラエルが出来なかったこと、すなわち歴史を秩序づけること、しかも、それまでのように、イスラエルの民族的な視野からではなく、宇宙的な拡がりにおいて、世界の歴史と宇宙とを時間的空間的に秩序づけること、この謎を解く仕事に手を染めたのです。これこそが、イスラエルの知恵の働き、すなわち歴史を「解釈する」霊知です。
 
存在するものについての正しい知識を、
神はわたしに授けられた。
宇宙の秩序、元素の働きをわたしは知り、
時の始めと終わりと中間と、
天体の動きと季節の移り変わり、
年の周期と星の位置、
生き物の本性と野獣の本能、
もろもろの霊の力と人間の思考、
植物の種類と根の効用、
隠れたことも、あらわなこともわたしは知った。
万物の制作者、知恵に教えられたからである。
(知恵の書7章17〜22節)
 
 このような知恵は、イスラエルにほんらい具わる知恵であり、捕囚という厳しい苦難を経て到達した知恵であって、これをヘレニズム的なあるいはアレクサンドリア的な知恵からの派生だと見ることはできません。イスラエルの知恵の源泉はソロモン時代にさかのぼるのです。黙示文学は、この知恵の到達した「究極の世界の秘密のカーテンを開く」〔フォン・ラート『旧約聖書神学』U414〕のです。だからダニエルの知恵は、バビロニアやエジプトの知者に影響されながらも、ヤハウェの御霊によって啓示された結果であり、黙示はこの意味で、御霊の賜なのです。ここから黙示文学が、天上や陰府の世界へと旅をする図式や表象へいたるのは、もう一歩です。
「要するに、ダニエル書1章〜2章と4章〜5章は、イスラエルほんらいの伝承に負うところが大きい。これら三つの物語は、創世記41章をモデルにしている。物語はすべて、ユダヤ的な遺産の主題の一部を発展させて伝えるものである。また『ダニエル』という名前も、すでにイスラエルに根付いていたカナンの夢占いの名称にちなんで付けられたものであろう。しかし同時に、物語の細部では、非イスラエル的な夢占いの習わしに影響されている箇所があり、著者(たち)は、占いの正当性を受け容れ、またその特徴に影響されてもいるのである。」〔Mastin 167〕
 ここでダニエル書の知恵文学としての性格と黙示文学としての特徴について一言触れておきます。ダニエル書の背後には、これを生み出した何らかの社会的サークルが想定されますが、このサークルの性格を特定するまでにはいたっていません。この問題を扱った論文にPatrick Tiller;“Dream Visions and Apocalyptic Milieus.”があります。ティラーは、エジプトのプトレマイオス朝が、パレスチナの財政的な実権を支配するまでにはいたっていなかったと見ています。これに対して、ギリシアのアンティオコス4世の支配下にあっては、イスラエルの伝統的なゲルーシア(長老会議)の権限が弱められて、大祭司へとその権限が移行されていく傾向を読み取っています。この結果、パレスチナの支配階級の間でも、また社会層の間でも、利害が必ずしも一致しなくなり、神殿制を容認する者たち、ユダヤ的な敬虔主義に走る武装勢力、これらのどちらにも属さない人たちのように、社会的な分裂が生じたと考えられます。その中で、伝統的なゲルーシアを祭司制度よりも優位におこうとする人たちの運動が起こり、ダニエル書を生み出したグループもその中の一つではなかったかというのが、ティラーの説です。
 このようなダニエル書のグループは、社会的な視点から観ると、社会全体の調和を重んじるシラ書の著者とは異なる立場に立っていたと思われます。しかし、そのどちらの場合にも、「啓示された知恵」に基づく「知恵の教師」たちが、指導的な役割を担っていたことに変わりありません。ダニエル書、『第一エノク書』、シラ書は、それぞれに性格がかなり異なっています。しかし幻想的な文書も黙示的な文書も格言的な文書も、「啓示された知恵」として、それぞれに役割が与えられていて、このために「知恵の教師」の諸グループを特定することが困難な社会的状況にあったと見るのです。このような思想的状況に中で、ティラーは、ダニエル書の教師グループを「黙示的知恵」のグループと呼んでいます。
 しかしコリンズは、John J. Collins;“Response: The Apocalyptic Worldview of Daniel.”において、ティラーの論に反論しています。彼は、ダニエル書の背後にユダヤ教の特徴的なグループが存在することは認めていますが、その上でコリンズは、シラ書が知恵文学であるのならば、ダニエル書は知恵文学と呼ぶことができないと批判するのです。ただし彼は、ダニエル書の夢解釈には、「黙示的知恵」を認めているようです。
 シラ書もダニエル書も『第一エノク書』も、「賢者」が重要な役割を持つ点では共通しています。しかし、コリンズの見解に立つならば、シラ書が知恵文学であるのなら、ダニエル書は知恵文学ではなくなります。もしも、ダニエル書を知恵文学と呼ぶのであれば、シラ書は知恵文学ではないことになります。私の見るところ、問題は、ある文書が「知恵」と「黙示」のどちらに属するかという点にあるのではなく、「知恵」あるいは「黙示」の定義の仕方それ自体のほうに問題がある、こう思われます。この時代の知恵思想も黙示思想も、多様で流動的であり、時代の動きによって、変容していると見るべきです。知恵思想も黙示思想も、両者の相互関係も、かなりの流動性と変容性を帯びていたというのが私の見方です。
■ダニエル書の「時」
 ダニエル書の著者は、ペルシア帝国からメディア帝国、アレクサンドロス大王の帝国からアンティオコス4世のセレウコス朝へいたるまでの帝国の移りかわりを観ています。これらはすでに起こった出来事ですから、それを描くのは難しいことではありません。権力の移ろいやすさは、「天の下の出来事にはすべて定められた時があり」(コヘレト3章1節)とあり、「それらはすべて空しい」とあるように、コヘレトの知恵によってすでに語られています。けれどもここダニエル書では、知恵の言う「神の定めた時」が、歴史的な視野と拡がりを帯びて、「王国の時代区分」として認識されているところにその特徴があります。すなわち、著者は、帝国の興亡を「神の定めた時」として観ているのですが、その歴史が、神の定めによって、時代と時代とを区分されて動いているという思想に貫かれているのです。
ここには、それまでのイスラエルの知恵思想にはなかった観点、すなわち黙示思想につながる新たな歴史観が表わされています。人類の歴史は、神の定めたご計画に従って狂いなく動いていきます。言い換えると、歴史のプログラムは始めから決まっているのです。いかに強大とは言え、人間の支配者はこれに立ち向かうことが許されないのです。歴史は神が支配する場であり、人はただ「神の定めた時」の支配の下にあって、その定めを受け容れていくことができるだけです。こういう時代区分に基づく歴史観は、今までのイスラエルにはなかった歴史感覚です。
 ところで、ダニエル書11章40節からは、現在と過去の歴史を表象化して語っていた作者のそれまでの視点が、そこから先の未来へ、終末を望むヴィジョンへと移行します。語り手は明らかに現在に自分の観点を定めています。現在を基点としながらも、過去から未来へと神の定めた区分に秩序づけられつつ動いていく。こういう歴史観による「時」の思想がここにはあります。
 このような「時」の見方は、捕囚以前の預言者たちの「時」とは、ずいぶん異なっています。捕囚以前の預言者たちは、その時々に啓示されるヤハウェの言葉や出来事によってヤハウェの意志を読み取り、ヤハウェを信じ、「その時々に」示される啓示に従って歩みました。そこには常に新たな啓示があり、これに従う信仰の従順が試されました。しかし、ダニエル書に表われる歴史の時は、その時々に啓示される神の時ではありません。そうではなく、すでに定められた神のプログラムに従って、神が創造した宇宙の運行のように、整然と動いていく歴史観なのです。ここでは、人間の視点は、現在を基点として、過去を顧み未来を望みます。その結果現在は、表象化されて過去へ投影され、同時にその過去を未来へと繋げるのです。
 こういう歴史の終末に著者が望み見るのは、暴虐や圧政の滅びであり、この世を支配する悪しき力からの解放です。この信仰を支えるのは、人の子が「天から雲に乗って到来する」ことで成就される解放への希望です。メシアの到来、しかもイスラエルを含みつつも全人類に等しく臨むメシアの到来、これによるすべての人びとへの裁き、こういう歴史観をここに読み取ることができます。終末においては、すべての人は、「地の塵の中の眠りから目覚める」のです(12章2節)。死者の復活は、すべての人間を永遠の生命へ、あるいは永遠の憎悪の的へと運命づけます。
 このような死からの復活信仰は、マカバイ戦争による殉教者たちへの追慕から生じたと見ることもできましょう(第二マカバイ12章43〜45節)。主の律法のために殉教した者は、けっして死にわたされることがないからです。こうして、ダニエル書の黙示思想は、それまでのイスラエルの知恵思想には見られなかった新しい様相を帯びるようになりました。イスラエルの知恵は、ここまで来て初めて、「知恵こそ過去を知り、未来を推測し、言葉の理解や、謎の解釈に秀でており、しるしや不思議、季節や時の移り変わりを予見する」(知恵の書8章8節)という高さへ到達したと言えましょう。ダニエル書に表わされたこのような「神の時」は、それ以後のイスラエルの知恵と預言と黙示に大きな影響を及ぼすことになります。
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