35章 イエスと「人の子」
■キリスト教と黙示思想
 現在のキリスト教諸教派で、『第一エノク書』を正典としているのはエチオピア・キリスト教会と末日イエス・キリスト聖徒教会だけです。しかし、原初キリスト教会は、黙示的なユダヤ教から生まれたものですから、エノク系の文書は、1世紀のキリスト教の終末観(eschatology)とキリスト観(christology)に大きな影響を与えています。新約聖書中で、『第一エノク書』の影響を最も強く反映しているのはユダ書です、特にその14〜15節は、『第一エノク書』(1章9節)からの引用です(なお第一エノク5章4節も参照)。ユダ書は、伝統的にイエスの弟であるユダ(マルコ6章3節)の作とされていますが、もしもそうだとすれば70〜80年の作になりましょう。しかし、イエスの実の弟が書いたとすれば不自然なところがあります。例えば17節では、「使徒たち」に作者自身が入っておらず、しかも、使徒たちが自分よりも先の世代の人たちと見なされています。このことから、ユダ書の作者は、イエスの弟ユダの属していた教会(北シリア地方の教会か?)の者で、彼の後継者の一人ではないかとも考えられます(この場合は1世紀末〜2世紀初頭の作)。なお第二ペトロの手紙(特に2章1〜10節)は、ユダ書(4〜18節)と共通する部分が多いと指摘されています。これは、おそらく第二ペトロの手紙のほうが、ユダ書から影響を受けているのでしょう。
 ユダ書は、テルトゥリアヌス(160頃〜220年以後)やアレクサンドリアのクレメンス(150〜215年頃)によって「聖書」の中に含められており、また2世紀後半の「ムラトリ正典目録」でも、本書が正典とされています。この書は、ローマ、アフリカ、エジプトなどで読まれていたのでしょう。ところが、オリゲネス(185?〜254年?)やエウセビオス(260頃〜339年)やヒエロニュムス(340頃〜419/20年)は、本書の正典性に疑問を抱きました。397年のカルタゴ教会会議では、ユダ書が正典と認められるまでに、かなりの異論があったようです。ちなみに、ルターは、ユダ書をヤコブ書やヨハネ黙示録などと共に、正典から続編に移しています。
 これらの経過は、ユダ書に含まれる黙示思想の影響が、キリスト教会においてどのように扱われてきたのかをよく表わしています。テルトゥリアヌスやオリゲネスたちの教父の頃からは、福音の源泉を旧約の預言者たちに求めるようになったために、黙示思想から次第に距離を置くようになり、アウグスティヌスの頃に、キリスト教は、エノク的な黙示思想から哲学的な神学思想へと変容しました。
 『第一エノク書』と最初期のキリスト教との関係で、特に重要なのが、『第一エノク書』の「たとえの書」を中心に表われる「人の子」です。しかし、上に述べたようなキリスト教会の「非」黙示化の傾向、あるいは「脱」黙示思想の伝統は、現代の神学にも受け継がれていて、それは例えば、次のような見方に表わされています〔TDNT(8)429〕。
(1)ダニエル書の人の子が、新約聖書に反映しているとすれば、それは、後の教会による二次的な編集である。
(2)共観福音書には『第一エノク書』の影響をほとんど見ることができない。新約の「人の子」は、ごく一部の特殊なグループの人たちの見方に属する。
(3)新約の「人の子」は、ラテン語エズラ記の政治的メシア思想の線に沿って発達した。
(4)前50年〜後50年のユダヤ黙示思想の「人の子」は、新約の「人の子」概念とは関わりがない。
 これらの四つの前提は相互に矛盾していますが、このことが、逆に、新約聖書の「人の子」思想が、現在どのように混乱して受け取られているかを示すものです。おそらく、新約聖書の人の子の謎は、この混乱それ自体の中に潜んでいるのでしょう。最近の黙示思想の研究で明らかになってきたのは、イエスの時期を挟む前後100年の間のユダヤ教の黙示思想が、多様で流動的な様相を呈していたことです。ユダヤ教は、これまで考えられていたよりも多様で、しかも相互の交流と排斥とが同時に行なわれていました。事情は最初期のキリスト教の場合も同じで、統一された「キリスト教」という概念がもはや適用できないほどに、多様で流動的な変容過程を経ています。このために、従来考えられていた「黙示思想/文学」の訂正を迫られているのです。
 これらの流動性の軸となったのは、ユダヤ教の中では、契約と律法の解釈に準拠するユダヤ教と、黙示的な終末信仰に立つ「預言的」なユダヤ教でした。エノク的な黙示思想に基づく終末観は、ユダヤ教の中では比較的に少数派でしたが、エノク系のユダヤ教では、律法よりも預言的啓示が重視され、選ばれた聖徒たちに新しい「アイオーン」(時代)が訪れるという終末信仰に立っていました。
 ユダヤ教徒とキリスト教との問題点の軸となるのは、主としてモーセ律法に関するものでした。キリスト教が異邦人キリスト教徒へと移行するにつれて、律法にとらわれないパウロ的なキリスト教が主流を占めるようになっていったのです。しかし、キリスト教がユダヤ教の中から誕生したときには、その母体となったのは黙示的で終末的なユダヤ教だったのことを忘れてはならないのです。
 ただし実際には、こういう座標軸による分類では処理できないほどに、複雑なセクト関係が、相反すると思われる傾向を持ちつつ共存していたと考えられます。事態はきわめて流動的だったのです。「誠実で精妙な新約聖書の釈義家や歴史家たちでさえも、ユダヤ教を、一方では(終末的で)預言的な(ユダヤ教)と対照させ、他方では新約聖書のキリスト教と対照させ続けてきた。この事情はこの50年の間に大きく変わったが、新約学とキリスト教神学とその教説を(新たに)改訂するためには、まだしなければならないことが多々ある」〔Nickelsburg(5)196〕というのが現状です。
 大まかな言い方をすれば、キリスト教以前のイスラエルの宗教は、父祖アブラハムの契約思想、モーセ以来の律法思想、ダビデ王朝以後の知恵思想、捕囚以後の黙示思想などが累積されて形成されてきました。黙示思想は、それ以前のイスラエルの伝統を背景にしながらも、それまでなかった次のような特徴を具えています。
(1)悪の起源について:見張りの天使たちの堕罪に始まるこの世の悪の起源を明らかにしようとしたこと。
(2)終末と裁きについて:この世の不正と邪悪に対して、全人類に裁きが降される終末の到来を明確に告げていること。
(3)人類全体の死者の復活:選ばれた義人たちだけでなく、堕天使たちと邪悪な人間たちをも含む全人類が、終末に際してよみがえり、神の裁きに服すること。
(4)メシアの到来について:「人の子」と呼ばれる天の存在が、神の権能を帯びて地上に降り、メシアの王国を支配すること。
(5)アイオーン(時代/世)について:現在のアイオーンが滅びて、神によって定められた来るべきアイオーンがこれに代わって訪れること。
(6)神の摂理による救済史について:地上の諸王国の時代が、神の摂理によって整然と区分されて、全能の神の権能によって世界が一つにされて終末にいたること。
(7)太陽暦について:太陰暦よりも太陽暦を優先させるべきこと。
 これらの諸項目の中には、それまで預言書などで示唆されたり、ある程度、預言されたりしてきたものもありますが、はっきりと具体的な姿で描かれるようになったのは黙示思想においてです。これで分かるとおり、ここにあげた諸特徴は、太陽暦と悪の起源を除いて、新約聖書のキリスト教に大きな影響を与えています。
■イエスの自己認識と「人の子」
 わたしたちはこれから、イエス自身の自己認識にかかわる問題に入ろうとしています。ここで問われるのは、イエスとはだれか? とか、イエスは当時の人たちに、あるいはイエス以後の人たちに、どのように信仰されたのか? とか、イエスの十字架と復活は何を意味するのか? とか、総じて、イエスに「関して」あるいはイエスに「ついて」問われるもろもろの問題のことではありません。そうではなく、イエス自身が、はたして自分のことをどのように自己認識していたのか? というイエスの内面的な霊性を問うための考察です。だからこれは、イエス自身しか知りえないことであり、したがってそもそもの初めから、このような問いの立て方それ自体が意味をなさないと言えます。意味をなさない危険を覚悟の上で、あえてイエスの内面的な自己認識を問うのは、この問いなしには、イエスの伝えようとした福音そのものの本質が見えてこない、こう思うからです。
■「人の子」言葉の真正性
 そこで先ずこの問題を探る手がかりとして、マルコ福音書2章1〜12節で語られている中風患者の癒しの記事から、イエスの言葉を採りだすところから考えてみることにします。
 
この中風の人に向かって言うのは、どちらが容易か? 「あなたには、その罪が赦されている」と言うことか、それとも「その床を取り上げて歩け」と言うことか? ただし、人の子が権威を持つことをあなたたちが知るために」(2章9〜10節)。
 
 このイエスの言葉を、その前後の文脈から考えるなら、ここで言う「人の子」は、イエスが自分のことを指しているのは確かです。ではイエスがここで言う「人の子」とは、どのような意味でしょうか? 律法学者たちが、「この人は、なぜこんなことを口にするのか? 神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるのか」と内心で考えているところから見ると、ここでイエスが言う「人の子」は「人間」を指していると解釈することもできます。だとすれば、イエスはここで、「人間にも罪を赦す権威がある」と答えていることになります。ただしこの解釈は、「人間が罪を赦すことができるのか?」というイエスに向けられた批判の内容をそのままイエスの答えの「人の子」の意味だと判断した場合です。
 ところがイエスの答えは、「人間に罪を赦す権威がある」という意味ではなく、「わたしには罪を赦す権威がある」と解釈することもできるのです。「人の子」とは、当時のアラム語の用法を考え合わせると、間接的に「自分」を指すともとれるからです。だとすればここでは、「神だけでなく、わたしイエスもまた罪を赦す権威を持つ」という意味になりましょう。この場合「人の子」は、終末に現われる救い主として「メシア」の権威を帯びていて、しかもそれがイエスを指していることになります〔TDNT(8)430〜31〕。イエスが「間接的に」自分を言い表す用語として「人の子」を用いたこと、そこに、ダニエル書7章13節の「人の子」が反映していることは、間違いないでしょう〔Adela Yarbro Collins. "The Influence of Daniel on the New Testament." In John J. Collins. Daniel. Hermeneia. Fortress Press(1993)pp. 90--96.〕。
 ただし、「人の子」が「メシア」であるとは言っても、その「メシア」の意味自体が、必ずしも明確ではありません。「人の子」言葉は、ダニエル書や『第一エノク書』(『エチオピア語エノク書』)など、旧約からイエスの時代にいたるまでの伝承が、その背後にあるために、多様な意味を帯びているからです。さらに、イエス以後の教会による伝承がもたらす意味も、これに重なります。たとえ「人の子」が、間接的に自分を指しているとしても、それがイエス個人のことなのか、それとも、イエスを含む特定のグループのことなのか、あるいはさらに広い意味で、特定の階層の人たちや民全体を指しているのか? 要するに、1世紀のアラム語の「人の子」の用法は、その意味が必ずしも解明されてはいないのです〔Davies(2)44/46〕。
 その上に、はたしてここで語られているイエスの言葉は、イエスほんらいの言葉にさかのぼるのか? という問題があります。例えばコルペは、ここマルコ2章1〜12節以外にも、次の用例を「主から出たもの」"dominical" としてあげています。マタイ8章20節/同11章18〜19節/ルカ17章24節/同26節/同30節/同18章8節/同21章36節/同22章69節〔TDNT(8)430〜32/457〕。
 コルペのこの選択は、おおむね妥当だと認められていますが、ルカ22章69節などは、ルカの視点から編集による削除が加えられていると見ることができます〔Marshall 850〕〔Ehrman 131〕。また、ここにあげた例ほど厳密な意味ではなくても、「内容的に見て」イエスの真正の言葉を含んでいると考えられている例は、これら9箇所よりもかなり増えることになります。例えば、ルカ17章24〜30節の場合は、イエスと人の子との同一性を紛れもなく示すものであり、イエスが人の子の到来を告げたのは確かであると思われます。しかし、これらの節全体がイエスにさかのぼるとは言えません。だから、イエスの真正の言葉と見なされていても、そこに編集の手が全く加えられていないことにはならないのです〔Ratzinger 329〜30〕〔Nolland(2)17:24ff.〕。これらの場合は、イエスの「人の子」言葉が、たとえその辞義通りではなくても、そこに含まれる意味の核心部分は真正であると見なすのです〔TDNT(8)438〕。特にイエスの「人の子」言葉の真正性が、「黙示的な人の子」にかかわる場合は、議論が多く、それだけに、「イエスは自分を黙示的な人の子と見なしていたか?」という問いは、イエスの自己アイデンティティそれ自体にかかわってくることになりましょう。このような問いには、「イエス」とも「ノー」とも、どちらかに答えを出すことはほとんど不可能です〔TDNT(8)39〕。
 先のマルコ2章9〜10節に戻りますと、ここに含まれる問題点を整理すると次のようになりましょう。
(1)律法学者たちは、罪を赦す権威は神にのみ帰するべきであり、したがって、人間には罪を赦す権限が与えられていないと考えています。「あなたの罪は赦された」というイエスの言葉が真正であるとすれば、彼らのイエスに対する批判は、イエスがこの言葉を「人間でありながら」、あえて罪の赦しを宣言したことに向けられていることになります。
(2)しかしながら、イエスが「あなたの罪は赦された」と言う時に、そこには肝心の主語が含まれていません。だから、たとえ律法学者たちの言うように、人間には罪を赦す権威がないという批判それ自体は正しくても、そのことが、ここでのイエスの行為への批判の根拠には必ずしもならないのです。なぜならイエスはここで、「神が」罪を赦したと言っているとも受け取ることができるからです。
(3)しかし、律法学者がこのような批判をイエスに向けたとすれば、少なくとも彼らの目には、イエスの言う「人の子」が、自分と神の権威とを重ねているように映ったことを証ししています。
(4)このように見てくると、イエスが、自分を指して「人の子」と言ったのは、「人間」を意味していたのか? あるいは、神の権威を帯びた黙示的な「人の子」を意味していたのか? ということが、改めて問われることになります。
(5)これへの答えはおそらく後者のほうでしょうが、大事なのは、「人の子」とは人間のことなのか、あるいは神の権威を帯びた「人の子」なのか、という問いかけが、イエス自身の自己認識に、言い換えると<イエスの霊性それ自体の有り方>にかかわってくることです。
(6)ここから、イエスの「人の子」を「人間」と解する見方と「神性を帯びた人の子」とする見方との二つの解釈が生じることになります。イエスが自分を「人の子」と呼ぶ時、その「人の子」は、はたして「人間」を意味するのでしょうか? それとも、神の権威を帯びて天から降る存在なのでしょうか? さらに、その「人の子」は、イエス自身を指すのでしょうか? それとも自分以外のだれかを指すのでしょうか? これらの点が明らかではないのです。
(7)しかもこれらの問題は、今度は、ここでイエスが語る言葉が、はたして真正なのかどうかという点に再び跳ね返ってくることになります。ここで語られている「神の権威を帯びた」人の子は、黙示的であると見ることもできます。もしこの言葉が真正であるのなら、イエスは自分を黙示的な人の子と見なしていたことになります。
 ここまで来ると、イエスがここで語る「人の子」の真正性をめぐって、次の二つの見方が可能になります。
〔T〕イエスが人の子の権威を帯びて罪の赦しを口にしたのであれば、共観福音書のイエスが、神の権威を帯びて「罪の赦し」を語るのは当然であって、人の子言葉が、教会によって「創出」されたことにはなりません。しかし、もしも、イエスが「罪の赦し」を自分以外の権威に頼って、自分とその権威とを同一視<していなかった>とすれば、共観福音書のイエスが罪の赦しを告げているのは、イエス以後の教会による創出説の根拠になりえます。
〔U〕イエスが主語を曖昧にすることで、自分と神の働きとを区別して、癒しの業を行なっていたのであれば、そのことを後の教会が「イエス自身による」業と誤解して伝え、このために「人間であるイエス」が罪の赦しを宣言したとファリサイ派に誤解/理解されたことになります。このことが、後にユダヤ教ファリサイ派からの批判を招く結果となり、キリスト教徒とファリサイ派との間に論争が生じたことになりましょう。この場合は、イエスにおける「人の子」の意味を教会自身でさえ理解していなかったことになります。
 以上をまとめると、たとえイエスの言葉の真正性が、あるいはその言葉の核心部分の内容の真正性が同定できたとしても、このことが、イエスの霊性それ自体の解明にはつながらないことが分かります。たとえ「人の子」言葉がイエスにさかのぼることが、ある程度の確かさで認められたとしても、この場合、はたしてイエスが自分をその「人の子」と完全に同一視していたのか? それとも、自分と人の子との間に区別を付けていたのか? これが必ずしも明らかではないからです。さらに、イエスが用いたその「人の子」には、いったいどのような意味がこめられていたのか? これも明らかではないからです。だから、「人の子」言葉の真正性を確認しようとするまさにそのことが、むしろ逆に、イエスの霊性の解明をいっそう複雑にする結果につながるのが分かります。
■イエスと「人の子」
 そこで、「人の子」言葉の複雑さを解明する手がかりとして、先ず、イエス自身が、自分のことを「人の子」だと認識した場合に、その「人の子」が、イエス自身とどのようにかかわってくるのかを見ることにしましょう。最初に、マルコ2章23〜28節の安息日論争の末尾に来る「だから、人の子は安息日の主でもある」に注目したいと思います。ここはマタイ12章8節とルカ6章5節とに並行していて、イエスにさかのぼると見られています。
 マルコ福音書のこの節は、直前の27節「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」とつながっていて、「(安息日が)人のため〜人が(安息日のため)〜人の子は(安息日でも主)」のように、一連の「人」言葉で構成されています。「人」すなわち人間一般が安息日のためでないことは、ラビの教えとも一致していますから、安息日が人のためにあるという帰結は問題なく成り立ちます。しかし、これに続いて、28節を「人」が安息日の「主」であると読むならば、問題が生じます。なぜなら旧約では、安息日は「人」ではなく「主が定めた」ことが明記されているからです。そもそも安息日は、人間一般ではなく、ヤハウェによってイスラエルの民に限って定められものです(出エジプト20章8節)。だから、安息日は「ヤハウェ(主)の安息日」と呼ばれるのです(出エジプト16章25節他)。だとすれば、ここでの「人の子」は、「人間」のことではなく、神の権威を帯びた者としてのイエス自身を指すことになりましょう。
 ただし、マルコが手にしている伝承では、27節とのつながりにおいて、ここの「人の子」にも、ほんらい「人間」の意味が含まれていた可能性があります〔France147〕。ここの「人の子」は「わたし=イエス」の意味に取ることもできますが、ほんらいの言い方は、むしろ「人間」の意味が先行していて、人間こそ安息日の主であるという意味であったと見ることも可能だからです〔Sanders246〕。だから、ここでも、先の2章10節(中風患者の癒やし)のように、「人の子=人間」の意味が背後に潜むのかもしれません。
 しかし、マルコ2章28節の安息日問題は、その文脈から見れば、マルコが「人の子」を「人間」の意味で用いているのでないことは明らかです。とすれば、ここでは、マルコの本文が示唆する「人」→「人の子」の連結が成り立たなくなっているのが分かります。マルコ以前の伝承では、ほんらいつながっていたとも思われる「人間」→「人の子」というつながりが、マルコでは切れているのです。アラム語では「人の子」は「人」を意味しますから、「人」と「人の子」との掛け詞は、ごく自然に理解されます。しかし、ギリシア語では、マルコの場合のように、「人」と「人の子」の掛け詞が、語法としてうまくつながらなくなったのです。その結果、内容的にも語法的にも無理が生じて、マタイとルカでは、マルコの27節が省略されたのでしょう。
 マルコ2章28節の「人の子」は、これの並行箇所であるマタイ12章8節になると、その意味がいっそう明らかになります。マタイ福音書では、12章8節「人の子は、安息日の主である」が、同6節とつながります(同7節はおそらく後の挿入)。6節には「わたしはあなたたちに言う『神殿よりも偉大なものがここにいる/ある』」とあって、神殿よりもさらに偉大なものが存在することが告げられていて、そのことが、「人の子は安息日の主である」につながります。「神殿よりも」偉大なものとは、ユダヤ教の考え方から見れば主からの「律法」以外には考えられません。ここで言う「偉大な<もの>」とは、これを告げるイエス自身を間接的に指しているとも、イエスを超えた主の権威/律法を指すとも解釈できますが、はっきりしません。しかしここでは、イエスが「人の子は安息日の主である」と言う意味がはっきり見えてきます。「人の子」は、安息日を定めた主の律法よりもさらに偉大であることが、ここで示唆されるからです。そのような権威を持つ「人の子」が、イエス自身のことなのか、あるいはイエス以外の存在なのかは、明らかでありませんが、この「人の子」は、イエス自身を指している可能性が強いと言えましょう。とすれば、マルコ2章10節(中風患者の癒やし)の「人の子」と同様に、ここでも「人の子」が、神の権威を帯びたイエス自身を指していることになります〔France 148〕〔TDNT(8)452〕。用法としては、ここの「人の子」は、後の教会がイエスに与えた「人の子」称号に一歩近づいていると言えます。
 以上をまとめると、マルコ福音書2章28節(およびその並行箇所)は、ほんらいマルコ福音書成立以前からの独立した言葉であった可能性があります。アラム語では「人間」を指す「人の子」が、ここではそのような意味ではありえないことが分かります。「人/人類」の意味を背後に帯びながらも、この「人の子」には、イエスが自分を指す「わたし」の意味と重なり、しかもそれが、神の権威を帯びた「ある存在」を示唆していることになります。人間→イエス自身→神の権威を帯びた者、という一連の「人の子」の系譜をここに読み取ることができます。
■「わたし」言葉と「人の子」言葉
 では次に、マルコ14章21節「人の子は聖書に書いてあるとおり去っていく、しかし人の子を裏切る者はわざわいである」を採りあげてみます。これの並行箇所はルカ22章22節ですが、ルカ22章21〜22節は次の通りです。「しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおりに去って行く。だが、人の子を裏切るその者はわざわいだ。」
 マルコでもルカでも、「わたしと共に」とありますから、ここの「人の子」がイエス自身を指しているのは確かです。ここでは、「わたし」と「人の子」と、どちらがほんらいのイエスの言葉であったのかが問題になります。マルコ14章21節の原典では、「実に人の子は」"indeed the Son of man" とあって、「人の子」がつながって成句を形成していますが、ルカ22章22節では、そうではなく、"the Son, indeed, of man"となっていて、「人の子」句が挿入語で断ち切られています。おそらくこれは、イエスが語ったアラム語の「人の子」が、ギリシア語に訳された際に生じた不自然な言い方でしょう(このような「人の子」言葉はルカのここだけです)。したがって、ここはルカ以前にさかのぼる言い方だと考えられます。マルコの「人の子」は、ルカのこの伝承以後の言い方で、まとまった成句として「人の子」称号を形成しています。したがって、ルカのほうがマルコよりも古い伝承を保持していると見ることができます〔TDNT(8)446 n326〕。
 ルカのここは、「人の子」成句だけではなく、「わたし」と「人の子」とのつながりにおいても大事な示唆を与えてくれます。「わたしと一緒に手を食卓に〜」に続く「人の子は、定められたとおりに〜」は、イエスのアラム語では、ほんらい「わたしは定められたとおりに〜」ではなかったかと推定されます。また、ルカのこの箇所は、内容的に見ても、やや不自然な点があります。なぜなら、イエスの「わたしを裏切る者が〜」に続くのは、「人の子を裏切るその者は不幸だ」であって、これに「人の子は、定められたとおりに〜」が続くほうが自然だと思われるからです。どちらの構成にせよ、ここでの「人の子」は、ほんらい「わたし」ではなかったかと推定されています〔TDNT(8)446〕。すなわちここには、「わたし」が「人の子」へと替えられた可能性を読み取ることができます。ただし、この推論は決定的ではなく、ここでのルカの「人の子」伝承全体が、そのままでほんらいのものである可能性も残されます〔Marshall 809〕。 
 だから、結論は次のようになります。マルコの記事よりもルカの記事のほうが、より古い伝承を含んでいること、ここにでてくる「人の子」が、イエスの「わたし」と同じ意味であること、このふたつを確認できたとしても、そのことから、ここにでてくる二つの「人の子」言葉のどちらかが、あるいはどちらともが、ほんらい「わたし」であったと推論できるかどうかは確かでありません。さらに付け加えると、ここに後の教会による「わたし」→「人の子」への移行を読み取ったとしても、そのことが、イエスが自分を「わたし」の意味で「人の子」を用いたた可能性を否定することには<ならない>ことにも留意する必要があります。全体として、ここでは、イエスが、「わたし」の代わりに間接的に「人の子」をも用いたこと、おそらくこのことから、「わたし」→「人の子」への言い換えが後に生じたこと、結果として、教会によって「人の子」の称号化が行なわれるにいたったこと、これらの可能性を確認するに留めたいと思います。
■イエスと「神の子」
 以上で、イエスの「わたし」言葉とイエスの「人の子」言葉とは、はたして同一視できるかどうかを問い、問いながら「わたし」→「人の子」への移行の可能性をも見てきました。イエス自身と「人の子」とを同一視できるかどうかというこの問題は、さらに、
イエスの「人の子」とは「神の子」のことか?ということにもかかわりってくることを次に見たいと思います。
 マルコ14章61〜62節では、大祭司がイエスに向かって「お前はほむべき方の子、メシアなのか」と尋ねると、「イエスは言われた。『わたしはそうである。あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見るだろう。』」〔私訳〕とあります。マルコ14章62節の並行箇所は以下の通りです〔私訳〕。
「イエスは彼に言われた。『あなたが言ったことである。しかし、わたしはあなたたちに言っておく。あなたたちは、やがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見るだろう。』」(マタイ26章64節)
「イエスは彼らに言われた。『わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。わたしが尋ねても、決して答えないだろう。しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る。』」(ルカ22章67〜69節)
 大祭司の尋問に含まれている二つの言葉「ほむべき方の子」と「メシア」は、大祭司がこれから尋問しようとする「イエス自身の権威」の性格を表わしています。「ほむべき方の子」とはユダヤ教においては「神の子」に等しい意味を持っています。このような権威は、すでにぶどう園と農夫たちのたとえに中で、イエスが「跡取り息子」(マルコ12章7節)として、自分のことを指している権威と同じです。「メシア」(原語は「キリスト」)は、イエスが自分に関して1度だけ用いていますが(マルコ9章41節)、それ以外は「人の子」を自分に当てています。「神の子」は、神自身によって(マルコ1章11節/9章7節)、また悪霊によって(マルコ3章11節/5章7節)、イエスを指して用いられていますが、イエス自身は自分のことに「子」として言及するだけです(マルコ13章32節)。したがって、大祭司の尋問に出てくる二つの言葉は、それまで暗黙のうちに含みとして理解されていた内容を公式の場で引き出していることになります。
 従来、ユダヤ教では、「メシア」と「神の子」という結びつきは不可能だと見なされてきたのですが、クムラン文書には、ダビデの子孫として「イスラエルを救う者」(メシアのこと)が、主ヤハウェによって「わたしの子」と呼ばれています(4Q174. Col.3.11--12.)〔DSS(2)257〕。もうひとつ、小さな断片があって(4Q246. Col.1&2.)〔DSS(2)347〕、そこには「偉大なる者」(メシアを指すか?)と「神の子」とが同一人物としてできます。もっとも、この小断片の「神の子」については、これがはたして辞義どおりの意味なのか、それとも神に逆らう暴君を指しているのかをめぐって議論があります〔DSS(2)346〕。ただし、言い方それ自体としては、イエスの当時においても、この二つの言葉が同一人物を指すことがありえることの証左にはなりましょう。たとえ「メシア」と「神の子」とが、イエス以前には結びついていなかったとしても、大祭司のここでの二つの用語は、イエスが帯びていた「権威」が、イエスの同時代の人々によって、どのような意味で受け取られていたのかを示していると考えていいでしょう〔France 609〕。大祭司自身は、「神」という言葉を意識的に避けて「ほむべき方」という言い回しをしていますが、彼の尋問は、この二つの言葉が、イエス自身の自己認識を表わすのかどうかを問いただしている点で注目されます。ここマルコ14章61節では、「神の子」が「メシア」の内容を限定していて、「神の子であるメシア」の意味ではないかという説があります。おそらく、大祭司が、イエスを断罪する根拠としたのもこの意味においてでしょう。
 以上の点を含んだ上で、マルコ14章62節を見ますと、大祭司の尋問に、イエスは「わたしはそうである」"I am."と肯定的に答えています(イエスの「わたしは〜である」には、ヤハウェ自身を示唆するという解釈もありますが、ここでは単純に「わたしは神の子である」の意味に理解しておきます)。マタイ福音書では「(それは)あなたが言ったことである」"You said so."とありますが、これも肯定的な答えだと見なすことができます〔Davies(3)528〕。マルコのもとの言い方が、「わたしがそうであるとあなたが言った」"You said that I am."であったという説もありますが、どちらにせよ肯定であることに変わりありません。ルカ福音書では、イエスの答えが二つに分かれていて、ルカ22章69節の前半では、「雲に乗って」が省かれていて、「右に座る」が未来を意味する婉曲的な言い方に変えられています。また「力」の意味が「神の御力」と分かりやすくなっています。また、成就しなかった(とも思われる)預言、「あなたがたは見るであろう」が省かれていて、イエスの高挙のみが強調されています。また、後のほうの「お前は神の子か?」という大祭司の尋問に「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている」と答えています。これも婉曲な言い方ですが、決して否定ではありません〔Marshall 851〕。以上で分かるとおり、共観福音書では、イエスが、大祭司の質問に「自分が神の子である」ことを肯定的に答えていると見ていいでしょう。ここは、イエスの真正な言葉だと判断されていますから〔Evans 16:62〕〔Marshall 851〕〔Davies(3) 532〕、イエスは自分が「メシア」であるという自己認識を間接的な言い方で言い表わしていると考えられます。このためにイエスは「神を冒涜した」罪に問われたのです。
■イエスは「人の子」か?
 イエスは、大祭司に答えたその後では、自分を「人の子」と呼んでいますが、これは、大祭司の言う「神の子」に対して、これを意図的に退けて「人の子」を用いていると見ることができます。問題は、ここで、人の子が「雲に乗って来る」とあることです。この言い方はダニエル書7章13節に表われる「人の子」を反映しています。ダニエル書では、人の子を見るのは預言者自身ですが、マルコのここでは、「雲に乗って来る人の子」を見るのはイエスを裁いている者たちです。ここの「見る」は、マルコ9章1節で、弟子たちの中で、神の国が「力をもって到来したこと」〔岩波訳〕を「見る」者がいるというイエスの預言とも関係します。イエス存命中の大祭司が、「人の子」が来るのを「見る」というのは、マルコ福音書が書かれた当時では(69/70年)、もはや実現しなかったことが明らかですから、この箇所は、後の教会による創出ではなく、イエスの真正な言い方にさかのぼると考えられます(辞義どおりかどうかは問題ですが)〔Evans 16:62〕〔Davies(3)532〕。
 ただし、ここでは、人の子がいつ来るのかは明言されていません。並行箇所のマタイでは、「今にも/今から/間もなく(来る)」(マタイ26章64節)とあり、ルカでは、「今から後/今後」とあるだけです(22章69節)。イエスが目前の人たちに向かって言う以上、おそらくマルコでも、差し迫った「時」の意味がこめられていると見ていいでしょう。問題は、ダニエル書の人の子が「地上に降りて来る」のではないことです。この点を踏まえて、ここマルコの場合でも、イエスが意味するのは、終末における「来臨/再臨」のことではないという見方がありますが、この「非再臨解釈」"the non-parousia interpretation"が、はたして適切かどうかをめぐって今なお議論が続いています〔France 612〕。この事情はマルコ13章26節についても同様です。この問題は、共観福音書のここでのイエスの発言それ自体が、はたしてどこまでダニエル書の「人の子」と正確に対応しているのか、という問題と密接に関わっています。しかし筆者の見るところ、イエスの人の子は、ダニエル書の人の子像をその背後に持つとは言え、ダニエル書の人の子像とここでイエスが証言している人の子像とをあまり直接に結びつけるのは必ずしも適切でないと思われます。
 人の子が「いつ」来るのか? またそれが地上への降下を意味する再臨/来臨を指すのか? という問題は、「人の子」とイエス自身の自己認識の問題に改めて目を向けさせます。イエスのここでの大祭司に対する答えは、イエスの行為が帯びている権威の正しさを「神自身が立証する」という意図を帯びているのは間違いありません。「全能の神の右に座る」ことが、詩編110篇1節の預言に基づくもので、これがイエスの復活と昇天によるイエス・キリストの至高権の成就であるというキリスト教の伝承が、これによって確立されました。この伝承はキリスト教会によって受け継がれていますが、歴史的に見て、イエスが、辞義通りではないまでも、自分をこのような者だと「同定した」と見ていいでしょう〔Evans 16:62〕。ここから、次のような推定がなされることになります。「福音書の諸伝承における多様な現われ方と、詩編110篇の場合と、以後のキリスト教の伝承とに照らして見るならば、それぞれがそれなりに、特に(「神の右に座る」と「雲に乗って来る」という)ここでの二つの結びつきは、イエス自身が、自分の使命の向かうところを理解するための本質的な基盤となっている結論づけることができる」〔France 613〕。
■来臨か再臨か?
 このように結論づけた上で、さらに、イエスのこのような自己認識が、「人の子」の来臨/再臨とどのように関係するのか? これが改めて問われてきます。すでに見たように、もしも「雲に乗って来る」人の子が、イエス自身だとすれば、これはイエスの「再臨」を意味します。しかし、もしも天から降る人の子が、イエス自身と区別される存在であるとすれば、それはイエスの「再臨」ではなく、人の子の「来臨」になります。
 この点について、現在のカトリック教会の法王ベネディクト16世(Joseph Ratzinger)は、次のように述べています。「大祭司を始め最高議会は、イエスの答えを正しく理解した(それゆえにイエスを断罪した)。イエスは大祭司に、『あなたたちはわたしの言うことを誤解している。来るべき人の子とは別の者のことだ』などとは言っていない。イエスのケノシス的生涯(フィリピ2章5〜11節)とその彼が栄光のうちに来ることとは内面的に一つであって、イエスの言動は一貫している。そこにこそイエスの言う『人の子』の新しさがあって、後の教会による創出などではなく、逆に、これらの言葉こそ、イエスの姿と言葉の真相を顕わす縮図なのである。ルカ17章24節以下も、まごうことなく二人の人物を同一視している」〔Ratzinger 330〕。
 だたし、法王のこの見解ほどには、二人の同一性を確認できないという次のような見方もあります。「マルコはここで二つの称号を組み合わせている。イエスは、『メシア』と『神の子』の名称を受け入れた。その上で彼は、人の子が雲に乗って来ると付け加える。ここで言う『人の子』言葉をイエスがどのような意味で用いたのかは明らかでない。だが彼は確かにこの言い方をした。イエスは、時には人の子を自分と同一視し、また人の子が天から降るとことを期待もする。しかし、彼がこの未来の人の子と自分とを同一視しているかどうかは定かでない」〔Sanders247〜48〕。
 この問題をさらに考察するために、マタイ10章32〜33節を採りあげてみます。
「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」これの並行箇所はルカ12章8〜9節です。「言っておくが、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の天使たちの前で知らないと言われる。
 ここでイエスは、自分をイエスの仲間だと告白する者たちを天の父の前でイエスもその人について告白すると語っています。内容的に見るなら、マタイとルカのこの並行箇所は、真正のイエスの言葉に基づくものでしょう〔Davies(2)214〕。おそらくこれらの背景にもダニエル書7章の「人の子」があります。したがって、ここでのイエスの言葉は、最後の審判において中心的な意味を持つと考えられています〔Davies(2)214〕。
 注意すべきなのは、このイエスの言葉が、マタイでは「わたし」言葉で語られているのに対して、ルカでは、それが「自分を<わたしの>仲間であると言い表す者は、<人の子も>神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い表す」となっていて、「わたし」と「人の子」とが併用されていることです。だから、マタイの版だけではなく、ルカの場合も、地上のイエスが来たるべき裁き主であることがはっきりと示されていて、イエスと人の子との両者の同一性は明白です〔Ratzinger329〕。これらとは別個に伝承されたと思われるマルコ8章38節でも「神に背いたこの罪深い時代に、<わたし>とわたしの言葉を恥じる者は、<人の子>もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる」とあって、イエスは自分と人の子とを同一視しています。
 ただし、人の子が「来る時」については、内容的に問題があります。伝統的には、ここのイエスの言葉は、最後の審判に際して「来る」イエス・キリストの再臨を指すとされています。この解釈は、ほとんど自明だと思われるかもしれませんが、必ずしもそうとは言い切れません。なぜなら、ここでは、ダニエル書7章13〜14節がその背後にあると考えられるからです。ダニエル書の「人の子」は、地上に降下するのではなく、神の王座の前に「進み出て」、全世界の民に対して永遠の至高の権威を授けられます。だとすれば、ここで言う「来る」は、必ずしも再臨を指すとは言えなくなります。「来る」とは、地上への王権を含むものの、それは、第一義的には、天の王座に「就く」ことを指すと考えられるからです〔France 342〜43〕。弟子たちの信仰を問われるのは、このような至高の座に就いた人の子の前に出る時のことであって、必ずしも終末での裁きを指すとは断定できません。
 だとすれば、ここでイエスは、自分と人の子とを同一視しながらも、「人の子」の再臨のことを意味するのではなく、人の子として「神の王座の右に座る」ことを意味していると考えられます。このイエスの言葉が、内容的に真正であるだけではなく、そこにはダニエル書の内容がこめられていますから、おそらく教会によって、「わたし」言葉が「人の子」へと変えたのかもしれません。教会は、イエスの「わたし」言葉をこのように「人の子」へと変更することによって、これを再臨と結びつけ、再臨するのはイエス自身であることをはっきりさせようとしたとも考えられます。この場合の「人の子」は、称号として用いられていることになります。ただしこのことは、先に指摘したように、「人の子」が、後の教会の創出ではなく、イエス自身から出ていることと矛盾するものではありません。
 以上を総合すると、イエスが自分を人の子と同一視していたのは間違いないと考えられます。同時に、その「人の子」が、イエスの後から「来る」者であることもまたイエスの人の子言葉に含まれています。このために、イエス自身が自分を人の子と同定していたのか、それとも、自分と人の子とを区別していたのかが、確かには「分からない」というのが、学問的に見た場合の結論になりそうです。
 ただし、たとえ学問的に「分からない」と結論づけたとしても、この「分からない」は、これを<イエスの霊性>という視点から観るならば、違った視野が見えてくるのではないか? というのが筆者の見方です。イエスが、自分を人の子だと同定したか、しなかったかは、どちらかに限定すべき問題ではなく、むしろその両義性そのものに、イエスの霊性の特徴を探る手がかりが潜んでいると見ることができるからです。このような視野から見るならば、イエスは、自分と人の子とを同一視し、しかも同時に、人の子が将来何らかの姿で「来る」ことを予想していたこと、さらにイエスは、その「人の子」を自分でありながらも、同時に自分とは区別された者と見ていた、という不思議な人の子像がここに浮かび上がってきます。
 このような人の子像とともに、人の子の降下あるいは再臨の問題もまた謎に包まれています。上に述べたことから、イエス自身は、人の子が、イエスの霊性の正しさを立証するために、差し迫った将来に、顕現すると見ていたと思われます。しかし、そのような顕現は、必ずしも「再臨」と結びつくものではなく、イエス自身は、彼の「人の子」が、「神の右に座る」こと、すなわち、至高の権威を帯びるために高挙されると考えていたと思われます。そのことが、直ちに再臨と結びつくかどうかは分かりません。
 このような、曖昧とも不思議とも言える人の子像を受け継いで、そこから、イエスと人の子とをはっきりと同定して、その人の子が、昇天によって高挙され、将来キリストとして「再臨」するという伝承を形成したのは、教会によると考えられます。ただし、これは教会による創出ではなく、ほんらいイエスの人の子像に内包されている矛盾した霊性をこのような形で図式化したのは、ある意味で当然の流れでしょう。これに伴って、人の子が、イエスの称号として用いられるようになったと考えることができます。
■イエスの「人の子」と黙示
 では次に、イエス自身が用いた「人の子」には、いったいどのような意味がこめられていたのか、次にこの問題に入ることにします。イエスの「人の子」の内容を探る手がかりとして、「人の子」を(1)イエス以前の「人の子」の内容と(2)地上のイエスが意味したと思われる内容と(3)イエスが、これから来ると考えたであろう「人の子」と(4)イエス以後の教会が新たにイエスの伝えた「人の子」に加えたと思われる「人の子」と、四つに分けて見ることができます。(1)については、すでに述べました。(4)については、第3部「その後の『人の子』と黙示思想」で見ていくことにします。したがって、ここからは、(2)と(3)の「人の子」について考察することにします。ここでは、次のようなことが問われてくるでしょう。
 共観福音書にでてくる「人の子」言葉をいろいろ引用して説明するのはあまりにも煩雑です(例えばCarsten Colpe、TDNT(8)400〜77.を参照)。そこで主として、マルコ福音書13章21〜37節=マタイ24章26〜39節から見ていきたいと思います。これの並行箇所は、ルカ福音書21章20〜36節にもありますが、ルカは、マルコへの伝承(もしくはマルコ福音書のもとになる原マルコ福音書?)に準拠していると考えられます。ルカの記事は、そこで語られている出来事の内容から観れば、マルコとマタイの記事にほぼ含まれています。ルカはこれを言い換えたり拡大したりしていますから、ルカの視点の違いが注目されます。したがってここでは、マルコとマタイの記事によってこの出来事を観ていきます。この箇所には、人の子に関する様々な問題が集中して表われていると思うからです。ルカの視点は、その都度、必要に応じて加えることにします。
■マルコ13章のイエスの預言
21「そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『見よ、あそこだ』と言う者がいても、信じてはならない。22偽メシアや偽預言者が現れて、しるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちを惑わそうとするからである。23だから、あなたがたは気をつけていなさい。一切の事を前もって言っておく。」(13章21〜23節)
24「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、25星は空から落ち、天体は揺り動かされる。26そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。27そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
                       (13章24〜27節)
28「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。29それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。30はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。31天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」32「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。33気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。34それは、ちょうど、家を後に旅に出る人が、僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目を覚ましているようにと、言いつけておくようなものだ。35だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。36主人が突然帰って来て、あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。37あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」
                  (マルコ13章32〜37節)
 
 マルコ福音書13章で語られるこれらのイエスの言葉を理解するためには、イエスの一連の説話の出だしとなる13章1〜2節へ戻らなければなりません。そこではイエスが、ひとりの弟子の言葉に答えて、神殿の建物の「一つの石もここで崩されることなく他の石の上に残ることがない」と預言しています(並行箇所はマタイ24章1〜2節/ルカ21章5〜6節)。イエスのこの預言は、イエスの告知する「神の国」が、それまで考えられてきたユダヤ教的なメシア信仰が想い描く「ヤハウェの支配する国」とは全く異なる段階に到達したことを告げています。イエスの神殿崩壊の預言は、共観福音書ではここだけですが(ヨハネ2章19節を参照)、この言葉が真正であることは、マルコ14章58節で、これがイエスの有罪の証拠としてあげられていることでも分かります。マルコは、この証言を「偽り」だとしていますが、それはイエスが、神殿を崩壊させるのがイエス自身だとは言っていないからでしょう。しかしながら、この記事は、イエスが、あたかも自分自身が神殿を崩壊させると「思わせる」ような、何かそのような行為を行なったと解することができます〔Sanders 258〕。「おそらくイエスは、新しい時代において、イスラエルの十二部族が再び集められた時には、新しく完全な神殿が神によって建てられると思ったのです」〔Sanders 261〕。ここでのイエスの真意は「神殿よりも大いなるもの」(マタイ12章6節)が存在することを告げることにあったと思われます。
 イエスのこの預言とこれに基づく「神殿否定の言動」が、イエスが処刑される直接の要因になったと考えられます(マルコ11章15〜18節)。だから、大祭司が、裁判の席でイエスの称号について尋問したのも(マルコ14章61節)、称号そのものを問うのが真のねらいではなく、イエスが神殿に対してとった態度が、大祭司をして「なにがなんでも」イエスを処刑しなければならないという思いに駆り立てたためでしょう〔Sanders271〕。このような神殿崩壊予告とこれに基づくイエスの行為が、エルサレムに入ってから、イエスを取り巻く人々の間でその言動をめぐって彼らの意見を分かれさせ、イエスに敵対する指導層だけでなく、それまでイエスに従ってきていた民衆の間でも、イエスに対する離反を引き起こしていったと見ることができましょう。
 イエスのこのような言動の背後には、捕囚期以前の旧約聖書の預言があります(ミカ3章12節/エレミヤ7章12〜15節/同26章6節など)。また捕囚期のエゼキエル書にも、主の栄光が車輪に乗って神殿を離れ、東のオリーブ山に留まったとあります(エゼキエル10章18〜19節/同11章22〜23節)。イエスの時代により近い『第一エノク書』(『エチオピア語エノク書』)では、イスラエルの民を象徴する羊の群が入れられている建物が、その柱ごと取り払われて、主の手によって、より大きくて高い建物が新たに同じ場所に建てられるヴィジョンが語られます(第一エノク90章28節)。このような預言やヴィジョンに支えられて、イエスもまた、おそらく神殿内の異邦人の庭で神殿崩壊を予告して、そのまま神殿の東の門から出て、そこから急勾配の道をキドロンの谷へ降り、オリーブ山へ向かったのでしょう〔France 495〕。
 イエス以後においても、ユダヤ戦争が始まる(65年以降)以前に、アナニアスの子イエスースという男が、62年頃から「エルサレムと聖所を罵倒する声」を耳に感じて「エルサレムに呪いを」と叫び続けたことが記されています〔ヨセフス『ユダヤ戦記』6巻300〜309節〕。そのほかにも、過越祭の真夜中に突然明るい光が祭壇と聖所の周辺を照らしたり、神殿の内庭の東の重い扉がひとりでに開いたり、天空に戦車が現われて兵士が町々を包囲している姿が見えるなどの「しるし」や前兆があったことが記されています〔同書6巻288〜300節〕。
 共観福音書の「一つの石も崩されずに他の石の上に残ることはない」は、神殿崩壊だけではなく、エルサレム全体の滅びを指すと思われますから、イエスの預言も同様に、エルサレム全体の滅びをも含んでいたと考えられます(マタイ23章37〜39節)。だから、マルコ福音書が書かれる以前から、エルサレムに滅亡の時が訪れることは、ある程度言い伝えられていたのでしょう。したがって、共観福音書に記されているイエスのこの預言は、イエスにさかのぼるもので、これがイエスとエルサレム体制との対立を深めて、イエスの処刑にいたったと考えられます。このように見ると、マルコ13章1〜2節のイエスの言葉は、イエスの伝えた「神の王国」が、当時のイスラエルの指導層にどのように強い衝撃を与えたかを思わせます。イエスは、イスラエルを含む歴史上のいかなる国のいかなる民も予想することができなかった霊的な世界、すなわち、「神の支配する霊の王国」をユダヤを含むあらゆる民族のあらゆる国々と対抗する形で告知したからです。
■イエスの預言の黙示性
 以上のことを念頭に置いた上で、マルコ13章3〜20節へ移りますと、そこには、イエスには見られない特徴が表われてきます。その特徴は、新旧約の中間期に起こった黙示思想から来るものです。「黙示思想」は様々な解釈を可能にしますので、マルコ13章3節以下は、マルコ福音書全体で最も論議の多い箇所と言われています。一般的に、マルコ13章5〜27節は、ダニエル書や他の旧約預言、さらにそれ以後の黙示思想の影響を受けていて、イエスの頃のユダヤ教の聖書解釈(ミドラシュ)によるダニエル書の解釈に基づいていると見られています。したがって、その内容の核となる部分はイエスにさかのぼるものの、これに、イエス以後の教会による編集が加えられて、全体として、終末的で黙示的な色彩を帯びた預言が形成されたと思われます〔France499.n.16〕。ただし、イエスの復活からエルサレム神殿の崩壊までの間の期間に、はたして、ここで描かれている事態が現実に生じたのかどうか、という問題も残ります。
 最近の研究では、マルコ13章3〜20節(=マタイ24章3〜22節/ルカ21章7〜24節)は、これをイエス以前の旧新約中間期の黙示思想と同一視することができないと考えられるようになりました。なぜなら、前1世紀のユダヤ黙示思想の顕著な特徴をマルコ福音書のこの部分に見いだすことができないからです。例えば、義人エノクに代表される旧約時代の偉人や預言者を登場させたり、天から降る天使たちが啓示を伝えたり、動物の表象を用いたり、過去・現在・未来にわたる世界の歴史を図式化したりする、このような特徴をマルコ13章に見ることはできません。それまでの黙示思想と共通するところがあるとすれば、来るべき出来事として神の裁きが迫っていること、この世界の崩壊の危機に備えて信仰的に目覚めていることなどです。この意味でなら、マルコ13章は、旧約以後のユダヤ的黙示思想を受け継いでいると言うことができましょう。確かに、マルコ13章14〜23節までは、エルサレムの崩壊だけでなく、終末をも語っていると言えます〔Evans 13: 24〜25〕。ただし、これをユダヤ教の黙示思想と見なすのは適切ではありません。なぜなら、ここでは、終末に起こるであろう出来事を強調するよりも、むしろそのような終末的状況に左右されることなく、落ち着いて心備えをせよというのが、説話全体の基調になっているからです〔France 498〕。
■神殿崩壊と人の子の即位
 マルコのこの説話全体は、共観福音書以前の伝承/資料から出ているもので、すでに指摘したように、この説話全体の核心となる部分、すなわち、神殿崩壊への預言、苦難の到来、人の子イエスの再臨/来臨などは、イエスにさかのぼりえるものです〔France500.n.17〕。ただし、特に24〜27節は、旧約以来のユダヤ的黙示思想に基づくもので、イエス以後に形成された教会による伝承がマルコに受け継がれたと見ていいでしょう。
 マルコ13章全体は、神殿崩壊の預言に始まり、終末のしるしとなる出来事と人の子の再臨/来臨とを語っています。この「人の子」が、イエス自身を指すのか、それともだれかほかの者を指すのかについてはすでに述べました。イエスは、自分自身でありながら、しかも自分とは違う「だれか」が来るという、不思議な「人の子」預言をしています。ただしマルコ13章32〜36節から判断するならば、ここで語られる人の子はイエス自身のことであって、彼は、自分が「再び帰ってくる」時に備えておくように弟子たちに忠告しています。この点では、並行箇所のマタイのタラントのたとえも(マタイ25章14節以下)、ルカのムナのたとえも(ルカ19章11節以下)同様です。
 しかし、マルコのこの再臨の部分は、13章32節を境にして、それまでの神殿崩壊とこれに伴う終末預言と区別されています。ここで問題になるのが、説話の始めにでてくるイエスの神殿崩壊預言と終わりに出てくるイエスの再臨と、この二つの出来事に挟まれている宇宙的規模の「人の子の栄光」の部分(24〜27節)です。従来この部分は終末の出来事を表わすもので、これが、続くいちじくのたとえと、イエスの再臨とに結びつけられて解釈されてきました。この部分(24〜27節)については、主として次に二つの点が問われることになります。
(1)ここで語られる宇宙規模とも思われる描写は、はたして、天体をも含む宇宙規模の崩壊のことで、「歴史を含みつつも歴史それ自体をも超える」宇宙的な内容を指すものなのか〔Edwards402.n.42〕? それとも、神殿の崩壊とエルサレムの滅亡に見られるような政治的、国家的、宗教的な激変を表わす表象なのか〔France500〜501〕?
(2)ここで語られているのは、終末と人の子の来臨/再臨の出来事なのか? それとも、ダニエル書13章にあるように、人の子が、神の王座の右に座ることによって、至高の権威を授与されること、特に受難と復活を経た「イエスの高挙」とメシアの王国の王権への即位を指すものであって、したがって、終末とも来臨/再臨とも直接関係がないのか?
 (1)と(2)の問題は絡み合っています。あえてこれを整理すれば、ほぼ次のようになりましょう。ここが神殿崩壊とエルサレムの滅亡を指すと見るならば、そのことは、これに代わる新しい神殿と王権が出現することを預言するもので、これこそイエス自身が告知した「神の国」が意図していたことになります。したがって、イエスが預言したのは、終末における人の子の来臨/再臨のことではなく、大祭司たちにも見える姿で、「この世代に」、そのような御国の王権への人の子の即位が起こることです。この場合、宇宙的な表象は、辞義どおりに天体を指すよりも、むしろ地上の宗教的政治的な変動を言い表わすための旧約以来の伝統的な表現法だと見ることができます。
■天体の表象
 したがって、マルコ13章24〜25節には、地上のエルサレムを襲う否定的な側面がイエスによって予告されていますが、同時に、この否定は、続く26〜27節で、ダニエル書7章13〜14節の「人の子の高挙と即位」という肯定的な出来事へ移行するのです。地上の神殿と王国が失墜するのと表裏をなして、天における神の王座において新たな王権が確立されるのです。「神によって立てられる」このような王権こそ、ナザレのイエスが「全能の神の右に座る」と宣言した「至高者の聖徒たち」(ダニエル7章22節)の姿にほかなりません。ここでは、「イスラエルの勝利」は、地上のエルサレムの滅亡と裏腹に、神の民を代表する「人の子」の即位へと転位されるのです。旧約聖書の言語を正しく理解するならば、ここは、イエス自身による人の子言葉に始まり、これを教会が受け継いで、イエスが予告した「至高権」を世界的な神の民による「新しいエルサレム」と「真のイスラエル」という展望へつながるものです。イエスが語ったダニエル書の預言の言葉は、パウロ書簡や第一ペトロの手紙やヘブライ人への手紙で見るように、以後の新約聖書へ受け継がれていくことになります〔France 534〜35〕。「その時人々は見る」(13章26節)とあるイエスの預言は、神殿の崩壊と人の子の即位によって証しされ、諸国の神の民が集められる出来事となって実現していると見るのです。これはまた、イエスが、大祭司たちに向かって「(この世代の)あなたたちは見る」と告げた言葉の意味でもあります。
 この見方が、イエスが告知した「神の支配/国」と一致するものであって、イエスは、イスラエルの神殿宗教を含む地上の一切の権威と権力を根底から変動させる神の支配が、現実にすでに開始されたことを伝えたのであり、この神の国が「すでに実現しつつある」出来事に基づいて、エルサレム神殿の崩壊を予告したのだと考えることができます。この場合、イエスをして神殿の崩壊を予告せしめたものは、崩壊が人の子の即位へとつながるからではなく、むしろその逆に、ダニエル書7章13〜14節で預言されている人の子の即位こそ、地上に存在したイエスの義を立証するものであり、それゆえにイエスは、これらの預言を「これらのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない」(マルコ13章30節)と確言することができたのでしょう〔France531〕。このように見ると、マルコ14章62節の「人の子」言葉は、来臨よりも即位を表わすと見るべきです。だから、「『神殿』という言葉こそ表われませんが、旧約聖書の預言に親しんだ人たちには、ここに描かれる表象(イメジャリ)は、根本的な『政変』を強く訴えかけるもので、今や権威を失墜したエルサレムの建物とこれに伴うすべての滅亡を象徴している」〔France 531〕ということになります。
 問題とされる論点の一つに、「太陽や星や月」の表象が、神殿の崩壊やエルサレム滅亡の表象となりえるのかどうかがあります。この点では、例えばイザヤ13章10節や同34章4節は、直接天体の事象を指すのではなく、そこではバビロンへの裁きとその滅亡、あるいはエドムへの審判と滅びが語られていることが指摘されています。天体や大地が「震える」、山々が「溶ける」などとあるのも、宇宙の事象よりも、神顕現(とこれに伴う裁き)それ自体を表わす言い方です(ミカ1章4節/ハバクク3章6節/詩編18篇8節/特にヨエル2章10節を参照)。このように、ここを「人の子の即位」と解釈すれば、イエス自身が、すぐにでも神の右に座ると大祭司の前で預言したこととも一致します〔Evans13: 24〜25〕。「人の子が<来る>」(マルコ14章62節)とあるのも、ダニエル書7章13節に「人の子が日の老いたる者の前に<来る>」とあり「進み出る」とあるのを思えば、この解釈と矛盾しません。
 この解釈は、聖書に親しんでいたイエスと同時代のユダヤ人たちが、イエスの口から聞いた言葉で想起したであろうことに基づいています。したがって、人の子の来臨/再臨を信じていたイエス以後のキリスト教会の人たちは、イエスのこれらの言葉伝承を違う意味に理解したのは自然なことです。ここで語られていることは、辞義どおりに、諸天体を含む宇宙規模での時間的、空間的な事象のことではなくて、宗教・政治的な地上の「時代の大変動」と、これを引き起こす神の支配する「領域」に関わる出来事だと考えることができます。マルコは、神殿の崩壊こそが、人の子としてのイエスの即位のしるしであると考えたのかもしれません。ただし、このような人間界の変動は、当時のプトレマイオスの天動説から見れば、天体の運行や地球環境と無関係ではありえませんから、人間の「世」と連動する「世界」の変動が語られるのは自然な成り行きだと思われます。
■神殿崩壊から終末へ
 ただし、以上の見解に対しては、マルコ13章全体が終末の出来事を預言しているのであって、イエス自身が、人の子/神の子として再臨することを告知しているという解釈もあります。この見方は従来からの説ですが、この場合でも、預言の内容それ自体は、イエス自身へさかのぼりえるという見方に変わりありません。
 即位説と終末説は、そのどちらかの選択を迫るものではなく、即位から終末の再臨/来臨へという移行を見いだすことができます。マルコ13章32節は、「しかし、その日(単数)とその時について言えば」と訳すこともできますから、この節から、今まで語られてきた「これらすべてのこと」(30節)とは、違った時期設定に入っていると見ることができます。それまでの「これらすべて」は、人の子イエスの目にはっきりと啓かれています。しかし、32節以降では、「その日」(単数はここだけ)は、イエスをも含めて「だれも知らない」のです〔France 501〕。この点はマタイ福音書になるといっそう明確になります。マタイも24章36節では、「だがその日とその時は」とあって、ここに時期的な区別を付けています。しかもマタイは、「人の子の来臨/再臨」(パルーシア)を3度繰り返しています(マタイ24章27節/同37節/同39節)。ここでは明らかに、エルサレムの神殿崩壊ではなく、地上全般に及ぶであろう終末的な裁きの到来が語られています。したがってダニエル書7章13節の預言は、地上でのイエスによる神殿の崩壊と即位の預言、これを受けた復活直後の教会による立証の根拠(マタイ28章18節)、さらにそれ以後の教会による終末の裁きへと(マタイ25章31〜34節)、それぞれの時期に応じて適用されたと見ることができましょう〔France503〕。
 マルコ13章30節では、「これらのこと」が起こるまでは、「この世代は決して過ぎ行くことがない」とあって、その時期が明確に限定されます。イエスが語っているのを聞いている人たちが「まだ生きている間に」、それは必ず起こるからです。イエスの言葉を額面通りに神殿の崩壊予告と受けとめるならば、ここでの解釈に戸惑う必要はなくなります。この予告は続いて、「天地が過ぎゆく。しかしわたしたちの言葉は決して無効にならない」いうイザヤ書40章7〜8節の預言によって裏打ちされます。
 このように読むならば、マルコ13章32節以下からは、新しい主題が導入されていることが分かります。「その日には」とは、マタイ24章3節で弟子たちがイエスに尋ねた「何時?」に関わるものです。マタイ福音書では、これに続いて、「神殿の崩壊」と「イエスの再臨」とが、重ね合わされて預言されます。したがって、マタイの「その日」は、イエスの再臨を指すことになります。ところがマルコ福音書では、ここを境にして、神殿の崩壊から人の子の来臨/再臨へと「時の視点」が移行するのです。続く門番のたとえは、はっきりとイエスの再臨を指しています。しかしマルコはここで、このように「時の視点」が移行することを明示してはいません。内容的にはマタイ福音書24章36節以下と同じであるにもかかわらず、マルコはこの移行をあたかも自明のことのように続けているのは、共観福音書の時期の読者たちの間で、「その日」は、イエスの終末時における再臨を指すことが確立していたことを思わせます。
 それにしても、なぜマルコは、ここでわざわざイエスの口から「再臨」の預言を語らせているのでしょう(再臨ついて触れている箇所はマルコ福音書ではここだけです)。神殿の崩壊という時間的に限定された歴史的な出来事と終末での再臨という未知の将来への預言が続くのはなぜでしょうか? しかも、前半では偽預言者に惑わされないように警告されているのに対して(13章21〜22節)、後半では、注意して見逃すなと警告されるのです(同32/35節)。31節までは「人の子」が天使よりも高く神に次ぐ地位にまで高められます。後半では、来臨/再臨が予告されます。イエスは、それまでは時期と出来事について明言しているのに、31節以下では、「子」もその時期を知らないのです。このような連結は、おそらく、マルコとマルコの読者たちにおいてすでに確立されていたからでしょう。ただし、マルコ福音書では、「人の子」がイエス自身のことを指すとは明言されていません。ただし、「子」とあるのは、神を「アバ父」と呼ぶイエスを指す言葉として適切でしょう。だから、「愛する息子」(マルコ12章6節)が、イエス自身を指すと同定することができます。このことは、イエス自身においては、「人の子」と自分自身とが、まだ完全には同一視されていなかったことを示唆するものであり、同時に、人の子の即位と来臨/再臨とは、イエス自身に内で必ずしも連結されはいなかったことをうかがわせます。
■マタイ24章の場合
 ではここで、マルコ福音書の並行箇所にあたるマタイ福音書の24章に移ることにします。実は、マルコよりもマタイのほうが、神殿の崩壊と人の子の再臨とをより明確に区別していると言えます。ここでも伝統的な終末論的解釈によるのではなく、イエス自身を含む1世紀のユダヤ人の理解に基づいて解釈することが求められます。最も中心となる部分は以下の通りです。
 
「26だから、人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。27稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。28死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ。29その苦難の日々の後、たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。30そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。31人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。
 32いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。33それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。34はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。35天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。
36その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。37人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。38洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。39そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。」(マタイ24章26〜39節)
 
  内容的に見ると、マタイは、ほぼマルコを踏襲していて、これに補充したり(24章30節)多少の変更を加えています。ただし、マタイ24章27〜28節は、ルカ福音書には並行箇所がありますが、マルコ福音書では抜けています。ルカも内容的にマタイとほぼ同じですが、ルカ21章15節が加えられています。
 マタイ福音書では、弟子たちが「あなたが再臨されて、この時代が終わる/成就するどのようなしるしがありますか?」と尋ねます。ここで「来臨/再臨」(パルーシア)という言葉がでてきますが、これは、マタイだけです。マルコでは「それらのことがすべて終わる/実現する時には」となっており、ルカでは「そのことが起こる時には」です。マタイでは、「再臨」が24章27節と同37節と同39節にもでてきます。ただし、弟子たちの問いに対するイエスの答えでは、「人の子の再臨」の時期をイエスの言葉以上に規定するのは偽りだとされます。これに続いて、これから起こる出来事とこれらに伴う大きな迫害と苦難が予告されます。
 マタイ24章26節にはマタイ11章7節の洗礼者ヨハネの記事が反映していますが、24章では、人々は、洗礼者ではなく、メシアである「人の子」を見るために出て行くことになります。続いて「人の子」が、全く突然に、しかしだれの目にもはっきりとした姿で顕われることが預言されます。これは、偽りのメシアが、不思議やしるしを伴って出てきたり、「密かに来る」(「奥の部屋にいる」参照)のとは対照的です。これが、「いつ終末が来るのか?」あるいは「あなた(イエス)が来臨/再臨する時にはどんなしるしがあるのか?」(24章3節)という弟子たちの問いに対するイエスの答えです。
 それから引用箇所(27節以下)に入り、稲妻のたとえがでてきますが、このたとえはルカにその並行箇所がありますが、マルコでは抜けています。旧約では稲妻が、吉凶いずれかの「しるし」にもされていますが、吉兆では特に神自身の顕現を意味します。続くはげ鷹のたとえでは、再臨がキリスト者たちの目には明らかにされるから、彼らは決して見誤ることがないのです。続いて、マタイでは、「その苦難の日日の後、<たちまち>太陽が暗くなる」(29節)とありますが、マルコでは「それらの日には太陽が」(13章24節)で、ルカでは「それから太陽が」(21章25節)です。マタイでは続いて「そのとき、人の子のしるしが天に現われる」とありますが、これはマルコにもルカにも欠けています。
 続いていちじくの木のたとえが語られてから、「その日その時はだれも知らない」(24章36節)で、新たな時期設定が始まると見ることができます。ここの「その日」(単数)は「人の子の日」という意味でしょう。しかし、旧約との関連から見るならば、「人の子の日」は、同時に「ヤハウェの日」でもあることになります(イザヤ40章10〜11節/同59章19節/ゼカリヤ14章4〜5節)〔TDNT(8)459.n403〕。「ヤハウェの日」とは神が顕現して救い/裁きを行なう日のことです。「人の子」の顕現と神自身との関係については、『第一エノク書』(45章3節)に、「その日」には、主に「選ばれた方」が栄光の王座に就き、地上にいる「聖なる者たち」の業を試し、彼らは安息の住まいに移されて、選ばれた方が彼らの間に住み、「彼らの霊が強くされる」とあります。マタイ=ルカのここでの人の子顕現には、メシア的な政治色が全く見られないことから、これをイエスの真正な言葉と見ることができましょう。また、ここで語られていることが<そのまま>イエスにさかのぼるのでもありません。しかし、これがイエスの言葉であるとしても、イエスが自分と人の子とを同一視していると見ることもできる半面で、同時に、イエス自身が「人の子である」と断定されてはいない点に注意しなければなりません。
 以上が、マタイ福音書24章の概要ですが、ここで、先のマルコ福音書で検討したことをマタイ福音書でも見ていくことにします。マルコの場合と同様に、マタイ福音書でも、弟子たちはイエスに、「いつ、そのこと」が起こるのか?と問い、また、終末でのイエスの「再臨にはどんなしるし」があるのか? と二つの質問をしています。先の問いは、24章の前半で、後のほうは後半で答えが与えられることになりますが、「そのこと」すなわち神殿の崩壊とイエスの「再臨のしるし」とが、どこで区別されるのかで意見が分かれます。24章4〜25節は、神殿の崩壊に関わる「いつ」への答えであると見ることができましょう。これに対して、第二の質問である「再臨」は、24章36節から導入されると見ることができます〔France(2)890〕。ただ、24章27節でも「再臨」が語られますが、これはエルサレムの混乱状態とは対照的に、イエスの再臨が、だれの目にも明らかになることを言うためです(問題は特に24章27節と30節と36節にあります)。
 このような区分の仕方は、24章28節までと同32節以下との二つの区分の間にあたる部分、24章29〜31節(=マルコ13章24〜27節)の扱いをめぐって議論を呼ぶことになります。従来この部分は、終末と関連づけられて解釈されてきたのですが、しかし、この解釈は、1世紀のユダヤ人の思想から見れば、適切とは言えません〔France(2)891〕。この部分は、マルコとマタイとでは、ほぼ同じであり、すでにマルコ福音書のところで述べた通り、ここでも物理的な宇宙の溶解ではなく、歴史的な政治的大変動を預言していると見ることができます。24章30節は、ダニエル書7章13〜14節を反映するもので、人の子が「来る」とは、地上へ降下する「再臨」のことではなく、神の御前に「出る」ことで天上における「即位」を指すものです。これによって与えられた至高権は、人の子の義を立証すると共に、地上における旧体制が終わりを告げることを意味しています。
 マタイ福音書で、マタイは「パルーシア」を4回用いています(24章3節/27節/37節/39節)。マタイ福音書では、弟子たちの質問が(24章3節)、「そのことが何時起こるのか?」と「あなたが来る世の終わりにはどんなしるしがあるのか?」となっていて、ここでは二重の出来事が尋ねられています。この質問は、マルコ福音書での質問「そのことが起こるのはいつか? またそのことが成就するのはどんなしるしか?」よりも、エルサレムの滅亡(神殿の崩壊)と人の子の再臨とをより明確に区別する問いかけになっていると言えましょう。二つの出来事を区切るのは、マタイ24章36節で、ここから再臨の主題に移り、それが25章の終わりまでつづくことになります。これは、マルコ13章32〜37節の比較的短い記述とは対照的です〔France(2)892〕。
 以上述べて見解に対しては反論があります。しかし、その反論は、マタイ福音書でのイエスの説話が、24〜25章全体にわたることを見逃していることから来るもので、このために、マタイの構成全体の区分を見落としているからです。説話全体が終末の出来事を指すという従来の主張は、旧約聖書では、「来臨」の預言が「神の」来臨を指すもので、それが「人の子の来臨」よって成就すると見るからです。この主張は、ダニエル書7章13節の「来る」をゼカリヤ書14章5節の「わが神なる主は、聖なるみ使いたちと共にあなたのもとへ来る」とある「来る」で置き換えることを意味します。しかし、このような「来る」の解釈は、イエスは「人の子が神の右に座り、天の雲に乗って来る」(マルコ13章62節=マタイ26章64節)という出来事が、目の前にいる「大祭司たちの世代で」起こると預言していることと矛盾します。なぜなら、従来のこの解釈だと、イエスの預言は成就「しなかった」ことになるからです。これに対して、エルサレムの滅亡と人の子イエスの再臨とを切り離して見る解釈のほうが、イエスの預言の正しさを立証すると同時に、イエス以後のエルサレムの滅亡の出来事と、さらにそれ以後に生じるであろう世界の終末という見方と合致することが分かります〔France(2)893.n.7〕。
■二重預言説への反論
 このような神殿の崩壊と人の子の来臨の「二重預言説」に対する反論をさらに続けることにします。この問題を執拗に問い詰めることによって、どちらの説がどの程度正しいのかを結論づけたいと願うからではなく、両論を比較検討するその過程を通じて、最も大切なこと、ナザレのイエスの霊性そのものに宿る奥義あるいは神秘に少しでも近づきたい、そう願うからです。このための問いかけとして、問題点をさしあたり次のように整理することができます。
(1)イエスは、神殿の崩壊を予測してこれを告知したのか、それとも明言しなかったのか?
(2)イエスは、神殿の崩壊を予告したが、そのことと人の子の来臨/再臨とを結びつけたのか? そうはしなかったのか?
(3)イエスは、人の子としてのメシアが神の右に座ること、すなわち人の子メシアの即位を予告し、かつこの予告を前提にして神殿の崩壊を預言したのか?
 問題の焦点には、マタイ福音書24章3〜35節が、はたしては34節にある「この(イエスの)世代/時代に」現実に起こったエルサレムの滅亡を預言するものなのか? があります。24章3〜31節までを神殿の崩壊とエルサレムの滅亡に対する預言であると見る解釈には、さしずめ次のような反論が向けられることになりましょう。
 マタイ24章6〜13節/21〜22節/27〜31節では、終末的な言及がなされていると見るほうが適切である。これらの節が終末を指すことは、(i)ユダヤ教とキリスト教の文献に終末に関する並行箇所が存在している。(ii)「しるし」「これらのこと」「偽預言者」「それらの日に」など終末を示す言い方が繰り返されていて、それらが終末とは別の出来事を指すとは考えられない。(iii)終末では「ない」ことを示す言い方が見られない。特に「安息日に起こらないように祈る」(20節)とあるのは、すでにエルサレムの滅亡が起こった「後で」言うマタイ福音書の記者の視点から見るならばおかしい。(iv)29節に「苦難の日日の後、<ただちに>」とあるが、この「苦難」が神殿の崩壊とエルサレムの滅亡を指すとすれば、70年以後に書かれたマタイ福音書の記者の言葉とは考えられない〔Davies(3)329〕。このような反論が可能になります。
 ただし、もしも6〜35節が終末に関することだとすれば、2節の神殿の崩壊についての弟子たちの問いに答えがなされていないことになります。もっとも、この省筆は、崩壊と滅亡が起こったことは、すでに知れ渡っていたから、わざわざ答えるまでもないと見ることもできましょう。マタイはほかでも、明確な答えを出さずに語り終える場合があります。また「一つの石も他の石の上に」を辞義通りに採るならば、70年の段階では、神殿の崩壊はまだ完全ではなく、ユダヤ教の礼拝も135年頃までは行なわれていたことも反論としてあげられます。
 次に、神殿の崩壊説と終末説とのどちらかに限定することをせずにマタイ24章3〜35節を見ようとする解釈を紹介します〔Hagnar(2) Excursus: Imminence, Delay, and Matthew's "Immediately"〕。この見解によれば、24章15〜22節は、2節のイエスの預言と3節の弟子たちの質問とに関連して、明らかにエルサレムの滅亡と神殿の崩壊について述べています。しかし、23〜28節では、終末の出来事が預言されていると見ることができます。さらに29節の「その苦難の日日の後に<たちまち>」で言う「苦難」とは、将来起こりえる終末での苦難ではなく、エルサレムの滅亡時の「苦難」を指すと見なすのです。このような見方によれば、マタイはここで、エルサレム滅亡の「切迫」と再臨の「遅延」と、このふたつの狭間にあって書いていることになりますから、「これらのことが起こるまではこの時代/世代は滅びない」(34節)は、マタイ16章28節と併せると、イエスの時からほぼ40年後のエルサレムの滅亡にまつわる出来事を指していると推論されることになります。
(1)ただし、終末での来臨の遅延は、24章6節/同8節、同32〜35節のたとえ、あるいは同45節以下の僕のたとえ、さらに25章のたとえなどにこれを読み取ることができます。これらはイエスの死と再臨との間の不特定の期間を指していて、このことが24章36節に明言されています。これらは、内容的に見て、イエス自身にさかのぼるのもので、イエス以後の教会による創出とは考えられません。
(2)ところが、イエスの預言を受けた弟子たちは、神殿の崩壊と終末時の来臨とを切り離して受け取ることができなかったのでしょう。24章3節の弟子たちの質問では、神殿の崩壊とイエスの再臨の出来事が、ひとつになって尋ねられているからです。
 この見解に立つならば、イエスは、エルサレムの滅亡が差し迫っていることを告げていますが、再臨が「迫っている」とは言わなかったことになります。後者は「だれもその時を知ることができない」未来のことだとイエスは考えたのでしょう。ところがこれを聞いたで弟子たちのほうは、差し迫る神殿の崩壊預言を聞いて、再臨と終末もこれと同時に起こると思いこんだのではないか、このように推論するのです。イエスが神殿崩壊の近いことを知っているからには、当然、終末と再臨も近いに違いない。こう弟子たちは考えたのでしょう。結果として、神殿の崩壊預言の緊急性が再臨預言にも当てはめられて、どちらも間近であると見なされたことになります。
 したがって、この解釈では、マタイ24章29節は、神殿の崩壊のことではなく、終末を指すことになります。マタイは、神殿崩壊の苦難の後に「たちまち」再臨が訪れると信じたことになります。だとすれば、この部分は、神殿の崩壊が起こる70年以前に書かれたことを意味します。したがって、来臨が不特定の期間にわたることを示す資料には、この29節部分が組み込まれていなかったことになりましょう。
 以上述べたことから分かるのは、神殿の崩壊と終末での人の子イエスの再臨、この二つの出来事が意味する「切迫」と「遅延」の狭間に潜む矛盾は解決不可能だということになります。この矛盾は、イエスの言葉そのものにさかのぼる矛盾であって、マタイは、この矛盾をそのままここに取り込んだことになりましょう。したがって、この二つの出来事の時間的な矛盾は、イエスの言葉そのものにさかのぼると考えられます。もっとも、24章15〜22節がユダヤ戦争の体験を踏まえているとしても、マタイはこの「苦難」を同時に終末での苦難と重ね合わせているという見方もありえますが〔McKenzie, John L. The Gospel According to Matthew. Chap.24. Word Biblical Commentary.〕。
 マタイ福音書24章について、さらに今ひとつの区分を紹介すると〔ルツ(3)488〜91〕、
(1)24章3〜4節においては、イエスに向けての弟子たちの質問とこれに対するイエスの全体的な答えが語られます。しかし、弟子たちの問いに最終的な答えは明確には与えられません。
(2)6〜14節では、終末についての予告が未来形でなされます。この部分はマルコ13章9〜13節を踏まえています。
(3)15〜28節でも、語られているのは未来のことですが、ここは終末についてではありません。だから、6〜14節と15〜28節は、イエス以後に起きる同一の出来事(ユダヤ戦争とエルサレムの滅亡)を並行して二つの面から見ていることになります。ここでは部分的に語録集の影響が見られます。24章27節はマタイによるものでしょう。
(4)29〜31節においては終末が語られますが、30節ではマタイによる拡大が行なわれています。この部分では、「歴史と超歴史」、すなわち「世界と神」とが、解きほぐすことができない仕方で結合されています。
■ルカ21章
 マルコ13章とマタイ24章に相当する箇所は、ルカ福音書では21章20〜36節です。ルカは、マルコに準じていますが、偽預言者に関するイエスの言葉を省いて、エルサレム滅亡の預言を語り(21章19〜24節)、継いで人の子の到来のしるしを終末のこととして預言しています(21章25〜28節)。ただしルカは、その終末時の諸民族の恐怖を拡大して語っています。資料的には直接マルコに準拠するのか、マルコと共通する資料に基づくのかがはっきりしません。しかし、ルカ福音書の場合でも、その内容の基本的なところは、ダニエル書13章13節を反映するイエスの言葉へさかのぼると見ることができます〔Marshall 774〕。
 21章29〜33節のいちじくのたとえでも、ルカはマルコに準じていますが、そのたとえが、神の国の到来を意味することを読者に分かるように説明しています。彼は、マルコにある「その日その時はだれにも分からない」を省いています。ルカのこの省筆は、キリスト再臨の遅延を意識していたためかもしれません。これも内容的に観れば、イエスにさかのぼりますが、ルカは、黙示的なしるしとして語るよりも、イエスの再臨による救いのほうに視点を移していると言えましょう〔Marshall 778〕。
 21章34〜38節で、人の子の到来が突然の出来事であることについて、ルカは、マルコ福音書の元の原マルコ福音書によっているのかもしれません。ルカはマルコの言葉をヘレニズム的に言い換えたり、再臨までの期間が長引くことをにおわせて、マルコの記事をルカ風に修正しています〔Marshall 781〕。
■共観福音書のまとめ
 以上見てきたことをまとめることにします。共観福音書のイエスの黙示的な預言を資料的に見るならば、ほぼ次のようになりましょう。マルコ13章/マタイ24章が、ミドラシュ的なダニエル書の解釈に基づくというのは少し言い過ぎかもしれないが、マルコとマタイのテキストがダニエル書を反映しているのは明白です。だから、福音書の記者たちが、終末においてダニエル書とイエスの言葉とが同時に成就すると見ていたのは間違いありません。マルコ8章11〜13節を根拠にしてイエスはしるしについて語るのを拒否したという見方もありますが、第一テサロニケ(5章1〜11節)や第二テサロニケ(2章1〜12節:この書簡は真正と認められる)などと共観福音書から判断すると、これらの黙示的なしるしがイエスにさかのぼると観るのは不自然ではないことになります。
 しかし、マルコ13章は、一回限りの説話から出たものではなく、ヘブライの預言書と同様に、種々の資料の集積から形成されたと考えられます。だから、神殿崩壊をも含む終末預言の説話全体については、その起源と形成に問題があり、したがって、マルコ13章の文言と内容を直ちにイエスにさかのぼると見ることはできません。だが、これらの預言がイエスに起源することを否定することもできません。イエスはおそらく、神殿崩壊を預言し、同時に、彼に従う者への迫害を終末的な言語で語り、ダニエル書13章を引いて、神によるイエスの義の立証を告げたのでしょう。真正の「主の言葉」としては、マルコ13章2節/同12節/同26節/同28〜9節/32節などが考えられます」〔Davies(3)332〜33〕
 この黙示的な伝承の最初の過程としては、ユダヤ人キリスト教徒がペレアへ逃れる少し前に告げられたと言われる「小黙示」が、エウセビオスによって伝えられています(エウセビオス『教会史』3巻5節→秦剛平訳『教会史』(T)139頁)。黙示的な説話伝承の最初期において、イエスの言葉と旧約預言とから、「小黙示説話」が形成されたと思われます。この説話はパウロも知っており、マルコ福音書の中にも、13章5〜8節/14〜27節となって組み込まれました。これにさらにユダヤ戦争の体験が加えられることになります(マルコ13章9〜13節:70年少し前に)。こうして、この伝承全体が、パウロの初期の書簡、マルコ福音書、ヨハネ福音書(15章18節〜16章33節)、さらにヨハネ黙示録とに取り込まれる結果になりました。
 以上マルコ福音書13章とマタイ福音書24章で見てきたことを総合しながら、わたしたちの探り求めてきたナザレのイエスの霊性について洞察を加えることにします。
 (1)イエスは、神殿の崩壊と終末の人の子の来臨/再臨との両方について預言していました。ただし、イエス自身が、この二つの出来事を時期的にどこまで区別していたかについては明らかでありません。おそらくイエスの目には、この二つの出来事が二重に映っていたのではないかと考えられます。
(2)このイエスの預言がもとになって、ヨセフスの記録にあるように、ユダヤ戦争の時に、イエスの信奉者たちが、エルサレムとユダヤからヨルダン川の東方ペレアへと逃れたと思われます。このことから、イエスの語った預言を核にして、キリスト教会の黙示伝承が形成され、これがパウロへ、共観福音書へ、ヨハネ福音書へと伝えられた見ることができます。
(3)イエスの神殿の崩壊預言は、彼が告知した神の国の到来と密接に関係していると考えられます。この場合、神の国が「すでに」到来していることと、それが「まだ」未完成の状態にあって、これからも御国の成就へ向けて神の働きが継続するというイエス独自の視点があったと見ることができます。これは、イエス以前には存在しなかった、全く新しい救いの時間構成であり、イエスの霊性に宿るこのような独特の「時の場」によって構成される「神の国」こそ、イエスの福音の中核でありキリスト教の本質的な性格を形成するものであったと考えられます。
(4)イエスの預言は、ダニエル書を反映していましたが、ダニエル書が預言する人の子の至高の権威への「即位」と、メシアとしての人の子の「来臨」という、この二つは、イエスの霊性における黙示的な性格を見極める上できわめて重要です。しかし、イスラエルの民全体を代表する「人の子」と、人格性を帯びた個人としての「人の子」と、この二つの側面はイエスにあっては明確に分離されていなかったと言えましょう。また、人の子の天上での即位と、人格を具えた個人としてのメシアが地上に降臨することとの関係も必ずしも明確ではなかったようです。ただし、イエス自身は、人格を具えた個人としてのメシアの降下と、同時にそのメシアが「人の子」として即位するという信仰に基づいていたと見てもいいでしょう。
(5)また、人の子とイエス自身との関係については、イエス自身の霊性においては、人の子は自分自身と深く関わるもので、地上でのイエスの言動の正しさを立証してくれる者こそ人の子であった。しかも同時に、その人の子が終末に訪れる時には、その「人の子」は、自分自身なのか? あるいは自分とは異なる別の人格的な個人なのか? この点について明確な区別を付けていたとは言えないように思われます。だからこそ、マタイは「人の子」を「わたし」としてイエス自身と同一視できたのであり、同時に、マルコのように「人の子」をイエスとは別の人格であるかのように扱うこともできたのです。人の子は、イエスにあっては、「自分であって自分ではない」という不思議な霊性を有していたことになります。
イエスの知恵と黙示
 ここで、イスラエルの知恵思想と黙示思想が、イエスの「語り方」にどのように働いているのかを見ることにします。イエス以前の新旧約中間期にさかのぼれば、『エチオピア語エノク書』に律法(トーラー)はほとんど表われません。そこでは霊による「心の割礼」が重んじられています。このことは、捕囚以後のイスラエルの民が、偏狭な民族主義に閉じこもっていては問題が解決しないことを知ったからです。ここから、ヨブ記や箴言やコヘレトの言葉や知恵の書など、一連の知恵文学が生まれたのです(前3世紀〜前2世紀前半にかけて)。これらの文書においては、「知恵」(ソフィア)は神に属するもので、神こそが知恵の源と見なされました。しかも、この知恵は、ユダヤ民族にすでに「トーラーとして」与えられていたと考えられたのです。神はすでに、アブラハムと契約を結ぶ以前に「知恵の人」ノアをその代表として、人類と契約を結んでいます。
 一方の黙示文学では、啓示/黙示は象徴的な言語や様々な表象で語られていますが、そこでは、天体を中心とする宇宙あるいは自然にたいする正確な知識もまた重んじられています。このような知恵と黙示を理解する人が「義人」と呼ばれ、『エチオピア語エノク書』でも、義人はしばしば「知者」「賢者」とも呼ばれており、その知識は「知恵」として尊ばれています。こういう彼らの「知恵と黙示」は、メソポタミアの天文学にさかのぼるものの、同時に預言者以来の信仰的な伝統にも根ざしており、このようにして、「知恵と黙示」は、イスラエルの伝統的な信仰だけでなく、自然科学的な知識とも結びついてくるのです。そこから、堕落天使に起因する歴史観が生まれてきたのは、わたしたちがすでに見てきたとおりです。だから黙示文学は、これを孤立的に扱うことができません。それは知恵文学と並行して考えなければならないのです。なぜなら、両者は、ほんらい同じ根から出ているからです。このように見てくると、トーラー(モーセ五書)と知恵思想と黙示思想とは、相互に密接に関連し合っているのが分かります〔土岐139〜43〕。
 イスラエルにおいては、黙示思想と知恵思想との間には本質的な区別がなく、その違いは、箴言に見るような日常の卑近な事柄に及ぶ「啓示」から、ダニエル7章13〜14節のように、神秘的あるいは秘義的な「啓示」へとその次元が高められていき、ついには『第一エノク書』14章に見るような天界の神のみ座に及ぶことになります。イスラエルの「啓示」は、この意味で、預言者への啓示と知恵の啓示と黙示的な啓示とが、主なる神からの「アポカリュプシス」(予言/啓示/黙示)として階層的に構成されてつながっているのです。
 したがって、知恵文学と黙示文学で用いられる様々な表象も、このような階層的な構成に対応することになります。ただしこの場合、表象の次元が「低い」ことが、より高次な表象に比べて、~性を帯びる程度が「低い」ことを必ずしも意味しませんから注意してください。例えば、ヨハネ黙示録では、天使ミカエルに闘いを挑む霊的な力を持つ竜が表われます(ヨハネ黙示録12章7〜9節)。この竜に比較すると、「12の星の冠をかぶる女」(同1〜2節)は、表象の階層から見ると、より「低い」層に属しています。それゆえに、彼女だけでは、より高次な表象性を帯びる竜に太刀打ちすることができないのです。この点では、地上の「義人」たちも、その人間性のゆえに、堕落天使やサタンと対等に争うことができません。しかも聖書の諸表象とこれが織りなす世界は、ギリシア・ローマの古典神話のように宇宙的な構造を形成するだけではなく、その独特のタイポロジー(予型論)によって、人類の歴史を「時間的」にも構成しているのです。だから、聖書においては、人間像を含む様々な諸表象が、それらが構成する諸階層の中を、より低次な層からより高い層へ、あるいはその逆へと、「昇り降り」しながら歴史の時間の中を動いていくのです。このように、 知恵から黙示へと啓示の次元に応じて、イメジャリもその諸階層の中を上下に「転位」するのです。聖書に表われるこのような「啓示」のタイポロジーとイメジャリの構成とを解明しようとしたのが、ノースロップ・フライです〔Northrop Frye, The Great Code: The Bible and Literature. Harcourt Brace Jovanovich Press (1982).Part II "The Order of Types."〕。
 このようなイメジャリの構造に基づいて、わたしたちは、イエスの譬えに表われる様々な表象を改めて考察することができます。イエスが用いる譬えの特徴は、どれも日常の身じかな生活から着想を得ていることです。それらは、穀物の種、塩、灯火、パン種、ぶどう酒の革袋、掃除、種まき、耕作、借金の返済、商売の元金、野の花、空の鳥など、どれも日常の卑近なものばかりです。このことは、イエスの世界が知恵文学で用いられる表象に近いことを示しています。
 ところが、イエスのたとえに表われる諸表象は、単に身近な日常性を表わすだけではないのです。それらの表象や比喩が、日常の世界では予期していなかったような驚くべき意外性を帯びて表われるのです。イエスによると、からし種が世界を覆う大樹になり、1匹の羊が99匹よりも大切な存在になり、労働の賃金が時間の長短に関わりなく支払われ、長年共に暮らした兄よりも、放蕩で身を持ち崩して舞い戻った弟のほうに父親の関心が向けられるのです。イエスのたとえ話の特徴は、そこで用いられる比喩や表象が、受け手がそれを予期していなかったという、まさにその点にかかっているのです。そこで用いられる比喩は、日常的でありながら、思いがけない仕方で、非日常性を帯びるからです。これは、日常の比喩が、これを聴く者が今まで知らなかった異質なほうへ向けられるからです。このようにして、イエスの比喩を聞いている者は、その日常性から、突然に非日常的な次元の世界と対面させられるのです。イエスの比喩は、それを用いなくても済むような語りの飾りや綾ではなく、それ以外の仕方で「別様には表現できない、何か新しいことを言わんとしている」のです〔ヴォルフガング・ハルニッシュ『イエスのたとえ物語:隠喩的たとえ解釈の試み』廣石望訳、日本キリスト教団出版局(1985年)166頁〕。
 イエスはこのようにして、話の聞き手が理解できる日常性まで降りていって、その聞き手が、いつの間にか思いも及ばなかった世界へと達するように、聞き手と共に同行するのです〔ハルニッシュ同掲書169頁〕。このことは、イエスが用いる比喩とそこに現われる表象が、イメジャリの階層の中で、日常的な最も「低い」層から、いつの間にかより高次な霊的世界へと転位していることを意味します。こうして、「狼の中に入り込んだ羊」が、無防備のままで権力者たちの暴力に身をさらしても、そこにはなお神の見守りが期待できることが顕わされ、「蛇のように賢く鳩のように素直」になることが、単なる利口な処世術のことではなく、驚くべき神の知恵とこれへの絶対的な信頼を意味するようになるのです。「駱駝と針の穴」は、これの最もよい例で、人には絶対にできないことが、神にはできることを身じかな表象で言い表わしているのです。
 表象が帯びる「低次」と「高次」のこのような二重性は、奇跡物語においていっそうはっきりと見えてきます。5千人の供食で用いられるパンは、「日ごとのパン」でありながら、イエスの手にとられると超自然的な次元へと転位するのです。そこにほのかに見えるのは、被造物世界の日常性が、これを超越した世界の創造主の世界と出合う時にのみ顕現するイメジャリの二重性です。
 イエスの比喩のこのような特徴は、福音書で語られる人物像において、いっそう興味深い様相を帯びてきます。ユダヤ人なら誰でも知っている「サマリア人」が、人々の日常感覚とは全く異なる正反対の意味を帯びて、聴く人たちに迫ってくるのです。裸足(はだし)で杖さえも持たずに、埃にまみれて旅するイエスが、山の上で、突然に超自然の雲に包まれて変貌し、エリヤとモーセと共に語り合うのです。このことは、聖書の語り方が、単にその表現方法において巧みであるとか、神話的であるなどと言うこと以上の意味を持っています。なぜなら、福音書の記者たちは、引喩や比喩や表象をこのような驚くべき仕方で駆使できるほど、文学的に高度な技術や手法を身につけていたとはとうてい考えられないからです。このことは、イエスが、高次の超自然的な霊性(黙示性)を帯びた世界を卑近な日常の現実性(知恵の世界)と一つにして、そうすることで、全く新らしい神の支配を日常の生活において「現実させていた」こと、このことを除いては、決して説明のつかない独特の「聖書的表現」なのです。イエスの比喩は、イエスの霊性が、このような高次の超自然性と、同時に日常の卑近性とを兼ね具えていたことを証ししています。黙示的な高次性と知恵思想の卑近性とが、このように表裏を成してイエスの神の国を言い表わす表現となっているのです。わたしたちは、ここに、イエスの霊性における、黙示と知恵の一体化を観ることができます。
  ここでさらに、知恵思想と黙示思想とを「時間的な相互関係」において観ておく必要があります。シラ書(前190年頃)は、旧新約中間期の知恵思想を代表する文書ですが、その著者は「多くの人々は夢に惑わされ、これに望みをかけて身を滅ぼした。律法はそのような偽りによっては全うされず、知恵の誠実な人の口から出てこそ全うされる」(シラ書34章7〜8節)と述べています。このように、知恵思想は、ほんらい夢や幻によって与えられる啓示(黙示)に対して用心深く、したがって、黙示思想が描く未来への展望には否定的でした。
 しかしながら、アンティオコス4世によるイスラエルに対する強引なヘレニズム化政策(前175年頃から)と、これに対するユダヤ人の反抗は、ユダヤ黙示思想を台頭させることになります。この黙示思想の最大の特徴の一つと言えるものが「復活信仰」です。これには、マカバイ戦争で多くの犠牲者が出たことが、その背景にあったと考えられます。このような事情から、旧新約中間期において、様々な形態の知恵思想と黙示思想との融合が生まれることになりました。こうして、自然界についての「知恵」と、より高次な啓示(黙示)による「知恵」とが、黙示思想の中で併用されることになったのです〔Collins 173〕。
 黙示思想は、知恵思想を源とすると言われますが、それは現実的で実際的な知恵の在り方とは対照的される高次な霊的な知恵によるものであって、ここに「黙示的な知恵」"an apocalyptic wisdom" の世界が形成されることになったのです。わたしたちは、イエスの霊性が、まさにこのような知恵思想に基づいていることを洞察することができます〔Richard Horsley, "Wisdom and Apocalypticism in Mark." In Search of Wisdom. 228.〕。
 先に見たとおり、知恵思想とは、ほんらい現在志向的であって、神の支配が、現在のこの世界において、見る者すべてに明らかに認識できる「善」や「正義」や「徳」として表われることでした。未来への希望よりも現在の生き方にかかわるのが知恵思想の本質なのです。ところが、イエスにあっては、このような知恵思想が、現在すでに現われている神の国でありながら、「同時に黙示的な」神の国として終末的な様相を帯びる、というこれまでに類を見ない形態となって啓示されたのです。これは、同時代の倫理性や社会道徳に根底から挑戦する「知恵」であり、イエスの知恵は、この意味で、逆説的な意味で「知恵」に基づく「神の国」を支えるものです。したがって、知恵思想が、黙示思想よりも現世否定の力が弱いと考えてはならないのです〔クロッサン101ー102〕。
 このように見ると、イエスの霊性を成り立たせているのが、「すでに」と「いまだ」の時間的二重性であることが分かります。この二重性は、イエスが想い描いていた未来にもかかわってきます。神殿の崩壊と人の子の来臨/再臨とを時期的に離れた出来事として観ていたのか、それとも、両方が言わば重なり合っていたのか、これを見定めるのは困難ですが、筆者はむしろ、後者のほうが実際のイエスの霊性により適切であろうと考えます。そうであればこそ、後の教会は、イエスの霊的なヴィジョンを受け継いで、神殿崩壊と、イスラエルの艱難と連動する宇宙的な終末像と、このふたつを一体化することができたのです。賢者のイエス像に終末的な裁きを見る黙示的な預言者のイエス像が重ねられることになったはこの理由によります。この二つが融合したところに生まれたのが、「人の子イエス」像です。このイエス像は、「神の子キリスト」へと変貌を遂げることになります。
 イエス以前の洗礼者ヨハネ宗団は、クムラン宗団の黙示思想を受け継いで、終末的な裁きを伝えるものでした。しかし、黙示的と思われるクムラン宗団も、実はユダヤ教の知恵の伝統を受け継いでいたのです。このことが洞察できる時に初めて、クムラン=洗礼者ヨハネ宗団とQ文書(イエスの語録)とのつながりが見えてきます。律法の霊的解釈。きよめの洗礼。終末と民のへの平等な裁き。権力者への非難。これらは、洗礼者ヨハネ宗団がQの人たちにもたらしたものです。この結果、原初教会の「知恵」は流動的な発展を遂げてることになりました〔In Search of Wisdom:187-221〕。
 『トマス福音書』には「人の子」がでてきません。このことから、原初教会の「知恵」伝承は、『トマス福音書』でグノーシス的な傾向をだどり、Q文書では黙示的な傾向をとったと見ることができましょう。『トマス福音書』とQ文書とを比較すると、同じ伝承が、グノーシス的な傾向と黙示的な傾向との双方向に変容しく過程を読み取ることができます。しかも、Q文書と『トマス福音書』との共通の伝承それ自体には、ほんらいグノーシス性も黙示性も存在しないのです〔In Search of Wisdom:195〜96〕。
 イエス自身の運動は口伝でしたから、文書は存在しませんでした。それは知恵思想を基調とするものでした〔In Search of Wisdom:198〕。しかしその知恵は、人間の日常生活に向けられると同時に、「この世」と「この時代(アイオーン)」の価値基準を転倒させるほとんど反社会的、反宇宙的と言ってもよい知恵でした。このような「知恵」は、宇宙の創造主を「デミウールゴス」として、これに対抗して、人間の内に宿る絶対的な「知」を究極の存在と考えるグノーシス的な傾向へ移行する傾向を秘めています。しかし、グノーシスへ向かうのと同じ確率で、黙示的傾向へも向かう可能性を有するのです。前者の方向をたどったのが『トマス福音書』であり、これを発展させた2世紀のグノーシス文書です。後者の方向をたどったのがQ文書(イエスの語録)であり、これを受け継いだ共観福音書です。しかも、イエスの霊性に宿る「知恵の霊」には、さらに違った可能性も秘められていたのです。エルサレムの滅亡以後に台頭したファリサイ派の律法主義と同じ頃に、マタイ福音書が書かれています。ここでは、「知恵」が、新たなユダヤ律法主義に影響されて、黙示的でもグノーシス的でもなく、歴史において勝利するユダヤ・キリスト教の世界が開けていったと推定することができます。
 わたしたちがすでに見たように、イエス自身が用いた「人の子」言葉には、「すでに」と「いまだ」という時期的な経過だけでなく、「個人」と「人間の集合体」という内容それ自体にも、二重性がこめられています。しかもわたしたちが「人の子」で見てきたとおり、イエスの「人の子」像も、それ以後の教会の「人の子」像も、時間的に、あるいは内容的に、これを限定したり、特定することが困難です。これを強いてある特定の過程や内容に限定することは、イエスの霊性に潜む深さとその真相をかえって見誤らせる結果に陥る危険性があります。黙示的なイエス像か? 知恵の人イエス像か? 預言者的なイエス像か? これに答えるのは容易ではありませんが、これの最終的な姿として、次の章で扱うように、ヨハネ福音書の「人の子」が、「人の子」の最終的な像として、ひとつの答えとなってくれるというのが、わたしの結論です。
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