36章 ヨハネ福音書の人の子
■受難と栄光の人の子
 ヨハネ福音書の「人の子」の特徴を最もよく表わす箇所の一つに、ヨハネ13章31〜32節があります。
  今や人の子は栄光を受けた。
神も彼にあって栄光を受けた。
神が彼にあって栄光を受けたのなら
神もご自身にあって彼に栄光をお与えになる
すぐにでも彼に栄光をお与えになる。
 これは、ユダの裏切りがはっきりした直後に語られるイエスの言葉です。ここで語られる「人の子」は、イエス自身を指していますが、ここでは「栄光を受ける/与える」が5回も繰り返されます。ヨハネ福音書の「栄光」とは、人の子の復活と天での即位の事だけではなく、これに先立つ「受難」をも含んでいます。この言葉が、ユダの裏切りが現実のこととなった直後に、しかもペトロによる裏切りが予告される直前に語られるのはこのためです。
 ヨハネ福音書のこのような「受難の人の子」は、ヨハネ福音書だけでなく、マルコ福音書にもすでに「人の子は必ず苦しみを受け、三日目によみがえる」(マルコ8章31節)と予告されています。先に指摘したように、おそらくここは、生前にイエス自身が「わたし」のこととして受難を予告していたのが、後の教会によって「わたし」を「人の子」と入れ替えたのかもしれません。ただし、イエス自身が自分と人の子との関係をどのように同定していたのかが、マルコ福音書では明らでありません。マタイ福音書では、受難の人の子がイエス自身であることがはっきりしています(マタイ17章12節)〔TDNT(8)461〕。しかしこれもマタイ以前の語録からでていると思われます。この事情はルカ福音書でも同じです(ルカ17章24〜25節)。
 本来ダニエル書の「人の子」は、個人としての「人」ではなく、イスラエルの民、選ばれた共同体など、集合的な人たちを代表する象徴として用いられています。しかし、共観福音書では、この「人の子」が、イエス自身のことでもあり、イエスを信じる共同体をも含む場合があり、個人と宗団との見分けが曖昧なままで用いられています。
 ところが、ヨハネ福音書の「人の子」は、このように共観福音書の「人の子」伝承と並行していますが、ヨハネ福音書では人の子がイエス個人を指していることが明白で、この点が、共観福音書の「人の子」と決定的に異なるところです。しかも、これが「受難」だけでなく「栄光化」に結びつけられているのです。
 ヨハネ福音書の「人の子」は、さらにイザヤ書と関係することが注目されています。ヤハウェはイスラエルに向かって言います。「あなたはわたしの僕/あなたにあってわたしは栄光を受ける」(イザヤ49章3節)。この「栄光」が、先にあげたヨハネ13章31〜32節へ受け継がれるのです。イザヤ書のここの「わたしの僕」すなわち「主の僕」は、イスラエルと同一視されているだけでなく、イスラエルへ遣わされる神の僕とも同一視されています。イザヤ書では、「主の僕」がイスラエルの民であると同時に、「わたしの僕」とあるように個人をも指していることに注意してください。同様に「人の子」も、集合的な意味を有すると同時に、個人をも指しているのです。言い換えると、ヨハネ福音書の人の子は、「個人」でありながら、その個人において集合体を体現するのです。なおイザヤ49章5節には「イスラエルは集められるであろう。わたしは主の御前で栄光を受け、わたしの神はわたしの力となる」とあって、これはイエスがイスラエルの民のためだけでなく、散らされている神の子たちを集めるとあるヨハネ11章52節と比較することができますから、ここでもイザヤ書とヨハネ福音書のイエスとのつながりを見ることができます。このように見てくると、イザヤ49章6節の「諸国民(異邦人)への光」は、ヨハネ福音書の「世の光」(8章12節/12章46節)へつながるのが見えてきます。なお、共観福音書とイザヤ書とのつながりは、マタイ4章15節がイザヤ9章2節(七十人訳)からの引用であり、マルコ1章2〜3節が、イザヤ40章3節その他を反映していることからも分かります。
 また、イザヤ52章13節に、「見よ、わたしの僕は栄える。はるかに高く<上げられ>、あがめられる」とあります。ここの七十人訳は「見よ、わたしの僕は悟る。彼は著しく高くされ、<栄光を受ける>」となっています。ヨハネ福音書に、「人の子は必ず上げられる/高くされる」(3章14節/12章34節)とあるのは、七十人訳イザヤ書のこの箇所と対応するのでしょう。「高く上げられる」は、原初キリスト教では、イエスが神の右に「上げられる」ことを指しました。使徒言行録でも、「上げられる」がイエスについて言われていますが(使徒2章33節/5章31節)、この「上げられる」には、人間イエスが受難を通じて「上げられる」ことを指すヨハネ福音書の受難と栄光と高挙との結びつき(ヨハネ12章28〜34節)が受け継がれているのでしょうか。あるいは同じ伝承から出ているのでしょうか。なお、イザヤ52章13節の「上げられる」も同53章7〜8節の受難の僕と結びつけて読むべきです。このように見ると、ヨハネ福音書の「人の子」が、受難と栄光と高挙を経ることによって、離散している神の子たちを「集める」とあることも容易に理解できます(ヨハネ12章32節)。人の子が高挙されることは、彼にあって集められた神の子たちも父の下へ「あげられる」ことであり、このことは、人の子の受難を通じて初めて成し遂げられるからです。
ヨハネ福音書の「ロゴス」と人の子
 ヨハネ福音書の「ロゴス」にも、上に述べたような「苦難」を背負うイザヤ書の主の僕像が潜んでいます。このことは、ヨハネ福音書の「ロゴス」が、ギリシア的な伝統に立つ「理性」や「知性」の系譜に属するものではなく、ルネ・ジラールが洞察したように、そこにはヘブライ特有の「受難のロゴス」像が刻まれていることを意味します〔ジラール『世の初めから隠されていること』第4章「ヘラクレイトスの『ロゴス』とヨハネの『ロゴス』」〕。さらに今ひとつ、ヨハネ福音書の「ロゴス」は、箴言や知恵の書の伝統に立つイスラエルの「知恵」(ソフィア)とも表裏を成しています。この知恵は、世界が創造される初めから神と共に存在し(箴言8章22〜26節)、この世の知恵とは異なる「真理の知恵」としてイスラエルに宿り(シラ書24章7〜12節)、イスラエル特有の「受難の知恵」とされる「十字架の知恵」です(知恵の書2章10〜20節/第一コリント2章22〜25節)。このように、ヨハネ福音書のロゴスには、イザヤ書の霊統に立つ預言者的なロゴスと、イスラエルの知恵の系譜に属するロゴスとが重ねられているのです。
 この点を踏まえた上で、さらにヨハネ福音書のロゴスは、ダニエル書の系統に属する「人の子」像として、すなわち黙示的な意味合いにおいて理解することもできます。なぜなら、ヨハネは、「ロゴス」という言葉それ自体に、アラム語でいう「人の子/人」の意味をも込めていると考えられるからです。そうだとすれば、「ロゴス(言葉)が肉体/肉となった」(1章14節)とあるのは、これを単に「言葉は人となった」という意味に解釈するだけでは必ずしも適切でないことになりましょう。ヨハネはここで、ダニエル書以来伝承された「人の子」像、すなわち、超人間的でありながら、しかも「ひと」でもあるという不思議なペルソナ性を具えた存在が、ひとりの実在の個人としてこの世へ降下したと告げているのです。こうして、ヨハネ福音書は、ダニエル書(7章13〜14節)に現われる天上の「人の子」を地上において個人化した「人の子」ナザレのイエスと結びつけるのです。
 ただし、ほんらい超人間的な「ロゴス」に具わる理性/知性が、そのままの姿で地上に「降った」と言うのであれば、人間イエスの知性や霊性は、具体的で歴史的な個人像とは結びつかなくなります。この場合、具体的な個人としての人間像ではなく、地上に「仮の姿」しか見せなかった仮現説的な「人の子」像と理解される危険性があるからです。ヨハネ福音書は、「ロゴス」と「人の子」であるナザレのイエスとを結びつけることによって、仮現説的な事態ではなく、どこまでも史的な存在であり具体化した「人」である「ナザレのイエス」として、キリスト教以外には前例がない独特の「人の子」像を歴史的な出来事として表わそうとしているのです〔TDNT(8)470〕。
 したがって、ヨハネ福音書で言う「人の子」は、歴史的に実在した一人の人物、ヨセフの子である「ナザレのイエス」を指しています。彼は、疲れたり、喜んだり、悲しんだり、嘆くだけではなく、受難をも体験する「人の子」です。このような「人の子」が現実に実在するためには、「愛する」こと、「信じる」こと、「従う」ことなど、彼と他の人たちとの関係が成り立つ領域が存在しなければなりません。人と人との関係において初めて、イエスの「栄光」は、自己犠牲によって変貌を遂げた最高の「人」の姿となりえるからです。だから、この「人の子」は、大勢の中のただの一人では「ない」人の子です。彼は、人類全体の「真の自己」として、神と交わり、他の人たちをその交わりへと導き入れるよう働きかける「人の子」です(ヨハネ14章6節)。集合的であって同時に個人でもあるという「人の子」のこの二重性こそ、ヨハネ福音書がダニエル書の黙示的な人の子像から受け継いだ性格なのです。
 ヨハネ福音書の「ロゴス」は、このように、預言者的でありながら、知恵の系譜に属し、しかも黙示性を帯びたロゴスであることが分かります。このような「ロゴス」像の形成を通じて、ギリシア的な知恵の「ロゴス」でもなく、黙示性を帯びながら黙示的でなく、イスラエルの預言者の伝統に沿いながらこれにも属することがない、不思議な多面性を帯びたヨハネ福音書の人の子イエス像が成立するにいたったのです。
 人は、「このナザレのイエス」との交わりにおいて初めて、真の命を生きることができるようになるのです(ヨハネ6章57節)。この人の子は、その個人性と普遍性の二重性において、人の「人格性」を啓示し、かつそのように働きかけるものです。だからヨハネ福音書のイエス・キリストにあっては、素朴な「個人性」、あるいは素朴な人間の「神性」は、その意味を失うのです。「ヨハネ福音書の人の子イエスは、古代のもろもろの『人』の諸概念が陥った迷路から抜け出ることで、神とわたしたちの人格性を基礎づけるよう働くものなのです」〔Dodd241〜46〕。
■パラクレートスと人の子
 先の「共観福音書のまとめ」の項目の終わりに、イエスと「人の子」との関係について、幾つかの結論を述べました。これらの結論を改めて整理し直すと次のようになります。
(1)イエスは、神殿の崩壊と終末の人の子の来臨/再臨との両方について預言していましたが、イエス自身が、この二つの出来事を時期的にどこまで区別していたかについては明らかでありません。
(2)ユダヤ戦争の時に、イエスの信奉者たちが、エルサレムとユダヤからヨルダン川の東方ペレアへと逃れ、彼らによって、イエスの語った終末預言を核にして、キリスト教会の黙示伝承が形成され、これがパウロへ、共観福音書へ、ヨハネ福音書へと伝えられました。
(3)イエスが告知した神の国は、それが「すでに」到来していることと、それが「まだ」未完成の状態にあって成就へ向けて神の働きが継続することと、この二つの「時」を焦点とするものです。このような「神の国」はイエス独自の視点に立つもので、イエス以前には存在しなかった全く新しい救いの時間構成です。これこそイエスの福音の中核であり、キリスト教の本質的な「時の成就」観を形成するものです。
(4)イエス以前の「人の子」伝承は、イスラエルの民全体を代表する「人の子」と、人格性を帯びた個人としての「人の子」との二つの側面を具えていました。イエス自身の「人の子」像においても、この二つの側面は明確に分離されていなかったと言えます。
(5)伝承された「人の子」像においては、天上で神の右に即位することと、人格を具えた個人のメシアとして地上に来臨することとの関係は、必ずしも明確ではありませんでした。ただしイエス自身は、人格を具えた個人としてのメシア・人の子が、地上に来臨すること、同時にそのメシアが、「人の子」として天上で即位すること、そして再臨すること、という信仰を抱いていました。
(5)「人の子」とイエス自身との関係については、人の子は自分自身の霊性と深く関わるもので、この意味でイエスは自分を「人の子」と同一視しました。しかし同時に、「人の子」が、地上でのイエスの正しさを立証してくれる者として終末に訪れることをも信じていました。しかも、その「人の子」が終末に訪れる時には、その「人の子」は、自分自身なのか? あるいは自分とは異なる別の人格的な個人なのか? この点について明確な区別を付けていたとは言えません。「人の子」は、イエスにあっては、「自分であって自分ではない」という不思議な存在だったことになります。
 (5)の項目から見ると、イエスは、自身が「人の子」であることを知りつつ、しかもなお、「人の子」を自分のための擁護者として待ち望んでいたという不思議な「人の子」像が見えてきます。イエスは、現在の自分を規定するだけでなく、将来必ず自分の正しさを立証する者として「人の子」が顕われることを信じていたと考えられるからです。自分が探求している者が、実は自分自身であった/あることを発見するというこの構造は、イエスに始まるものではありません。天からの啓示によって人の子の臨在を知り、かつその人の子を求めるエノクが、探求の旅の過程において、エノク自身がその「人の子」へと変貌するという構成が、『第一エノク書』にも見られます。イエスの「人の子」像には、以上のような謎あるいは不思議な変容が秘められていることをわたしたちは知るのです。
 ここでわたしたちは、イエス自身のこの「人の子」像とヨハネ福音書の「人の子」像とを改めて比較して、そこからヨハネ福音書の「人の子」像を検討することができます。ヨハネ福音書には、「人の子」が、以下にあげるように全部で15回でています。ヨハネ1章51節/3章13節/同14節/同15節/5章27節/同28節/6章27節/同53節/同62節/8章28節/9章35節/12章23節/同34節/13章31節/同32節。しかも、これらはすべて1〜13章までです。ところがこれに対して、「パラクレートス」(弁護者/助け主)のほうがでてくるのは、ヨハネ14章16節/同26節/15章26節/16章7節の4回で、これらは14〜16章に限られています。すなわち、ヨハネ福音書においては、イエスが自分を「人の子」と同一視して語るのは13章までであって、14章以後には、イエスと同一視される「人の子」は1度も表われません。しかも、あたかもこれに代わるように、14章〜16章では、それまで全く語られなかった「パラクレートス」が表われるのです。
 14〜16章は、いわゆる「別れの説話」と呼ばれる部分で、これの編集過程については諸説がありますが、ここではこの問題に触れません。「別れの説話」とこれに続くイエスの祈り(17章)は、ヨハネ福音書全体の構成から見るならば、人の子イエスが地上にいる時と、これから受難を通して復活し父のもとへ「あげられる」時と、この二つの「時」の狭間に位置しています(「別れの説話」のこの位置づけは四福音書を総合して観た場合でも同じです)。「パラクレートス」は、まさにこの箇所に表われて、それ/彼は、イエスが地上を離れた後に「少し経つと」地上の弟子たちのところへ戻るべく降下することを弟子たちに約束するのです。
 わたしたちはここに、地上でイエスと同一視されていた「人の子」が、今度はイエスとは「別に」、しかも人の子イエスの「義」を証しすると同時に、彼を裁いた「世」を逆に裁く者として降臨する終末的な「人の子」像とこの「パラクレートス」とを結びつけることができます。「パラクレートス」は、地上のイエスとは別です。しかも彼は、「もう一人のイエス」として地上に降るのです。ヨハネ福音書の「人の子」と「パラクレートス」とのこのような時間的、内容的なつながり方は、そのまま、ナザレのイエスが抱いていて「人の子」の謎のような二重性と対応していると観ることができます。
 ヨハネ福音書の人の子をもう少し考察するなら、6章27節に「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、<永遠の命に至る>食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である」とあって、受難の人の子を通して与えられるのは「永遠の命」であることが啓示されます。ここでは「与える」は未来形ですが、この未来形は、地上の人の子にあって<すでに現在の>出来事であることが、ヨハネ6章53節の「アーメン、アーメン。あなたたちにはっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちは自分の内に命を<持っていない>」とあることから分かります。
 しかも8章28節には、「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、『わたしはある』こと、また、わたしが、自分からは何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう」(私訳)とあって、彼が「あげられて=十字架されて」復活した後に初めて、人の子イエスに宿るこの霊性が命を与える御霊である/あったことが啓示されるのです。この命は、今この地上にあって与えられるものですが、これが成就/完成されるのは終末においてです。「驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、善を行なったものは復活して命を受けるために、悪を行なった者は復活して裁きを受けるために出てくる」からです(5章28節)。「すでに」と「まだ」との二つのこのような時間構造は、ヨハネ福音書の「人の子」が、ナザレのイエスそのものから受け継いでおり、共観福音書と一貫していることを証ししています。
 さらに、ヨハネ福音書の「霊」(「悪霊」を除く)あるいは「聖霊」について観ると、「霊/聖霊」は以下の15箇所にでてきます。ヨハネ1章32節/同33節/3章5節/同6節/同8節/同34節/4章23節/同24節/6章53節/7章39節/14章17節/同26節/15章26節/16章13節/20章22節です。このうちで「聖霊」は14章26節と20章22節です。
 これで見ると、イエスに働く「霊」は、人の子が地上にいる間と、受難を経て栄光を受けた後との両方にわたって、一貫して働いていることが分かります。しかもその「霊」は、地上にいる人の子イエスにおいて<すでに>働いておりながら、イエスを信じる者たちにその霊が啓示されるのは、人の子イエスが十字架と復活によって「栄光を受けた」後のことなのです。7章39節に「イエスは自分を信じる者たちが受けようとしている霊について」「イエスがまだ栄光を受けておられなかったので、霊は(信じる者たちに)まだ降っていなかった」とあるとおりです。
 この「霊」が、父から御子を通して授与される「聖霊」であり、しかも、これ/彼が「パラクレートス」と同一であることは、「弁護者(パラクレートス)、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」(14章26節)とあるとおりです。「聖霊」は、ここと20章22節の2箇所にでてきますが、ここ14章26節は、地上にあって働いていたイエスの霊性と、彼の復活以後の「パラクレートス」とを結びつつ、これ/彼が、父からの「聖霊」であることを確認させています。この聖霊は、イエスの復活直後に弟子たちに顕われたイエスによって「聖霊を受けなさい」(20章22節)という言葉と共に弟子たちに授与されます。ナザレのイエスは、人の子として自分に働く霊性が、十字架以後に顕われる「人の子」とどのような時間関係にあるのかを必ずしも明確に示してはいませんでした。ルカの使徒言行録は、地上のイエスと復活後の聖霊降臨とを時期的に区別しているとも解釈できますから、ヨハネ福音書のこの聖霊授与は、ルカの描く聖霊降臨よりも「イエス自身の視点」により近いと言えましょう。
 さらに、ヨハネ福音書の「人の子」と「パラクレートス」との同一性について見ると、注意したいのは、「地上の人の子」がイエス個人に限定されていることです。このことは、「人の子」が特定の人格的な存在であることを明確に証ししています。ところが、その「人の子」が、「パラクレートス」として顕われる時には、「わたし(イエス)が行けば、パラクレートスをあなたがたのところに遣わす」(16章7節)とあり、これに続けて、「あなたがたも初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをする」とあって、パラクレートスは、弟子たちと<共にいて>、全世界の人々に向けて「イエスを証しする」ように働くのです。これこそ、「人の子が栄光を受ける時が来たら」(12章23〜24節)、「一粒の麦が多くの実を結び」「すべての人をイエスの下へ引き寄せる」(12章32節)とイエスが預言したことにほかなりません。ここで個人(一粒の麦)が、やがて全世界の人たちを「自分の下に引き寄せる」ことで、人をイエス自身と共におらせるという「交わり」(コイノニア)を創り出します。わたしたちは、「人の子」が、人格的な個性を持つ存在でありながら、同時にその個人性が、全人類をも包摂する内容をも具えているという不思議な二重性をここに見るのです。
 これこそ、わたしたちが、ダニエル書の「人の子」に始まりイエスの到来までに見てきた「人の子」像に具わる二重性です。同時にこれこそが、ナザレのイエスの霊性においても見ることができた人の子の神秘であることをわたしたちに思い起こさせます。
 わたしは先に、地上の「人の子」であって、地上の「人の子」でなく、個人としての「人の子」であって、しかも集合的な内容を秘めており、歴史のある時に啓示されながら、いまだその完成を見ていないという「人の子」の謎を指摘しました。
  これらの諸要件すべてを満たしているのが、ほかならぬヨハネ福音書の「人の子=パラクレートス」です。パラクレートスはイエス自身でありながら、イエスの立場を擁護してこれを啓示する者であり、イエスの十字架以後に人々に降り、イエスに「代わって」人々に啓示を与えるからです。これこそが、ヨハネ福音書が伝える「人の子」像の最大の特徴です。
 では、ヨハネ福音書が証しするパラクレートスは、ユダヤの黙示思想的と同じ「人の子」なのでしょうか? そうとも言えません。ヨハネ福音書でしばしば用いられている二つの動詞、「あげる」(ヒュプソー)と「栄光化する」(ドクサゾー)は、どちらも「人の子」と結びついて用いられています。共観福音書とこれにいたる伝承においては、「あげる」と「栄光化する」は、どちらも未来の終末時に来臨する「人の子」と結びついています。この二つの動詞は、第二イザヤの七十人訳にでてくるもので、「イスラエルよ、あなたはわたしの僕、あなたにあってわたしは<栄光化される>であろう」(七十人訳イザヤ49章3節)とあり、「見よ、わたしの僕/子は悟るであろう。彼は<あげられ>、大いに<栄光化される>」(七十人訳52章13節)とあるのから出ています。だから、このふたつの動詞は、イザヤ預言の「主の僕」と結びついています。このことから、ヨハネ福音書では、ユダヤ黙示思想の伝統的な「人の子」が、第二イザヤの「主の僕」と結合していることが分かります。この点でヨハネ福音書と共観福音書とは通底していると見ていいでしょう〔Nickelsburg(4)85〕。
 ヨハネ福音書の「人の子」は、ダニエル書7章の「人の子」や『第一エノク書』の「たとえの書」(46章)の「人の子」の系統を受け継いでいますが、この「人の子はまた、ヨハネ福音書とほぼ同じ頃に書かれた『第四エズラ記』(=ラテン語エズラ記)の「人の子」とも並行しています(第四エズラ13章1〜11節/同51〜56節)。『第四エズラ記』は、正確にはラテン語エズラ記の3章〜14章を指しますが、これには若干のキリスト教的な加筆があります。これが書かれたのは70年のエルサレム滅亡以後で、95〜100年頃と見られており、この書は1世紀末のユダヤ教黙示文学を代表する文書です。ところが、この文書は、ユダヤ教ではなく、むしろキリスト教の側によって準正典として認められているのです。ダニエル書以来の「人の子」の伝承は、こうして1世紀末のユダヤ教文書(『第四エズラ記』)とキリスト教文書(ヨハネ福音書)の両方に並行して受け継がれているのが分かります。
 しかし、『第四エズラ記』もヨハネ福音書も、ダニエル書の「人の子」と、これと並行する『第一エノク書』の「人の子」とを継承しています。しかし、『第四エズラ記』とヨハネ福音書とでは、「人の子」の継承において大事な違いがあります。『第一エノク書』では、黙示思想の「人の子」と並んで、その46章と49章と51章には、「知恵の霊」が人格化されて現われます。「知恵」(ソフィア)と「人の子」のこのような並行関係は、ヨハネ福音書においても見ることができます。ヨハネ福音書では、『第一エノク書』の「人の子」が、知恵の書2章の「迫害される知恵」と重ねられているからです〔Nickelsburg(4)85〕。このように、ヨハネ福音書では、「知恵」と「人の子」とが、重ね合わされて、「あげられた者」として、同時に「迫害された者」として、一つになっています。知恵文学の特徴はマタイ福音書にも顕著ですから、この点でも、ヨハネ福音書の人の子は、共観福音書の人の子と通底しています。
 わたしたちは、このような継承過程を通じて、ユダヤ黙示思想における「人の子」の諸問題が、ヨハネ福音書に表われる「パラクレートス」によって、一つの解決あるいは成就に達していることを見出すのです。ダニエル書と『第一エノク書』からナザレのイエスへ、ナザレのイエスから共観福音書へ、共観福音書からヨハネ福音書の「パラクレートス」へと、「人の子」は、徐々により霊的な性格を帯びて変容しているのが見えてきます。だからヨハネ福音書の「人の子」について、これが黙示的で「ある」とか「ない」とかという言い方で、その変容の動態を言い表わすことは、理解よりもむしろ誤解を生じさせる恐れがあります。
 ここで確認しておきたいこと、それは、ヨハネ福音書がそれまでの黙示思想を「変容させ」て「人の子」に含まれる謎/矛盾を克服している、という意味では<ない>ことです。そうではなく、ナザレのイエス自身が、その生と死と復活とを通じて、「人の子」の謎と矛盾をすでに克服していたこと、このことをここで確認したいのです。先にイエス自身が行なっていたその出来事をヨハネ福音書が想起して、その「パラクレートス」によって、「このこと」をわたしたちに確認させてくれるのです。ユダヤの黙示信仰はキリスト教を産み出し、そのキリスト教は、ユダヤ的な黙示思想の基本的な性格を保ちながらも、これをパラクレートスによって克服し、新たな霊的な段階へと移行させたと言えます。2世紀以後のキリスト教が、四福音書の解釈を通じて、黙示思想から哲学的な神学へと移行する土台のひとつが、このようにしてヨハネ福音書を通じて形成されたのです。
 黙示思想は、ほんらいアンティオコス4世による強硬なヘレニズム化に耐えきれずユダヤ教の伝統を守り抜こうとした人たちの間から生まれた思想です。したがって、そもそもの初めから、反ヘレニズム的な性格を強く持っています。この伝統は、イエスとイエスを取り囲む人たちにも受け継がれ、イエス以後のキリスト教にも継承されて、ヨハネ福音書にいたっています。しかも知恵思想と黙示思想とは、ヘレニズム化を軸として見るならば、互いに相反する傾向を持つと言えましょう。
 現在もなお、イエスとその「人の子」像は、黙示思想的な人の子イエス像と知恵思想的なイエス像のように、互いに対立し合っていて、史的イエス像を分断しているように見えます。しかし、わたしの見るところでは、これら二つのイエス像は、対立するものではなく、ふたつながらイエスの霊性に組み込まれていたことが洞察できると思います。イエスの中では、黙示思想を抑制し、これを乗り越える力として知恵思想が働いていたと言えましょう。イエスの霊性の背後には、どちらの霊的な伝統をも見いだすことができるからです。「知恵」と「黙示」のこの点については、終わりの項目で述べたいと思います。
  このように見てくると、第二イザヤの「受難の僕」像と黙示思想の「人の子」像と知恵思想の「知恵の霊」とは、共観福音書とヨハネ福音書を一貫する重要な構成要素であると言えましょう。近年、学問的な成果に基づく史的イエス像が、さまざまに試みられていますが、これらの諸説を大別しますと、預言者的なイエスと知恵の賢者イエスと黙示的革命家のイエス像とに大きく分類できるかと思います。ヨハネ福音書のイエス像には、これら三つの要素が統合されているというのが、わたしの見方です。 
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