3章 『第一エノク書』とその概要
■成立過程について
 『エチオピア語エノク書』は『第一エノク書』(1 Enoch)とも呼ばれています。現在全体としてまとまって残っているのは、エチオピア語のものだけですが、これのほかに、クムランの洞窟から発見されたヘブライ語の断片やアラム語の断片、またギリシア語やラテン語の断片があり、さらに、エチオピア語訳よりも短くまとまったスラブ語訳のものもあります。現在では、『第一エノク書』(『エチオピア語エノク書』)は、その大部分がアラム語で書かれ、これがギリシア語訳を通してエチオピア語へと訳されたと考えられています〔村岡崇光訳『エチオピア語エノク書』〕。
〔注記〕引用した『第一エノク書』の訳文は、この岡村氏の版からのものと、Nickelsburg(3)に基づく私訳とを併せ用いています。また、岡村訳で用いられている「寝ずの番人」という訳語は、わたしなりに「見張りの天使」と訳し変えてあります。この点ご了承ください。
 この書の内容からその成立過程をたどると、その起源は古く、古代バビロニア語の賢人の文書やバビロニアの神話『アトラ・ハシース』、それにバビロニアの天文学へさかのぼると見られています(紀元前1800〜600年)。なお『第一エノク書』を構成する諸文書は、独立して区別されているのではなく、内容的に互いに重複します。上記の古代バビロニアの伝承から、ヘブライ語の創世記6〜9章が書かれました(前10世紀か)。創世記6章4〜5節にでてくる神々と人間との結婚話は、エジプトにも、またバビロニアのギルガメシュ神話にも見られます〔Wenham Genesis.6:4〜5〕。ただし、創世記のネフィリム(巨人)に関する記事は、バビロニア型ではなく、ウガリットやギリシアなど、地中海系の神話につながるもので、このことはヤハウェ資料が地中海系の伝承ともつながりを持っていたことを意味します〔関根訳(注)165〕。
 創世記のこの部分とバビロニアの天文学から、『第一エノク書』の「ノア書」にあたる部分(6〜11章/同65〜67章/同83〜84章/同106〜7章)が成立し(前4世紀)、さらにこれらバビロニア語とヘブライ語の諸文書から、「エノクの旅」(同17〜36章)と「エノクの幻」(同6〜16章)と「エノクの天文の書」(同2〜5章/同72〜82章)がアラム語で書かれました(紀元前3世紀)。エノク伝承のこれら三つの書から、「見張りの天使たちの書」(同1〜36章)がアラム語で書かれ(前4世紀末?〜前3世紀)、「見張りの天使たちの書」を始め上記の諸書から「巨人の書」が書かれ、また「エノク書簡」(同91〜105章/108章)と「エノクの夢」(同83〜90章)と「エノクのたとえ」(同37〜71章)が、やはりアラム語で書かれました(前2世紀)。これら三つのエノク文書をもとにして、ギリシア語で「エノク諸書」が書かれます(紀元1世紀頃)。ただし、「巨人の書」だけは、上にあげた三つのエノク文書とは別個に伝えられて、この「巨人の書」と「エノク諸書」とから、マニ教の聖典となったペルシア語の「巨人の書」(紀元250年頃)が成立したと考えられます。「エノク諸書」と先の「見張りの天使たちの書」から、ヘブライ語かギリシア語?で「エノクの奥義」が書かれました(紀元1〜2世紀)。エチオピア語版のエノク書は、「エノク諸書」のギリシア語版から訳されたと推定されます(紀元4世紀〜5世紀)。これに遅れて、その後スラブ語の「エノクの奥義の書」が書かれています(紀元9〜16世紀)〔フォーサイス220〜21〕。
 以上で分かるとおり、『第一エノク書』は、長期間にわたって複雑な過程を経て成立した文書です。この文書は「ギリシア・ローマ時代を生き延びた最も重要なユダヤ教の文書」〔Nicklesburg (3) vii〕と言われるほど多様で豊かな内容を含む書です。特にイスラエルの黙示思想を探る上では、重要な文書と見なされています。以下にその内容をできるだけ分かりやすくまとめてみたいと思います。まとめは、村岡崇光訳とその解説『第一エノク書』『聖書外典偽典』(4)に基づきながら、さらにこれを Nicklesburg: 1 Enoch. A New Translation. Fortress Press (2004).と照合してあります。
■(1)序の書:1〜5章(ペルシア時代からヘレニズムの初期)
ここは1〜36章(前250〜前200年)までの導入部分です。神から啓示を受けた義人エノクは、終末の苦難の時に選ばれる義人と追放される不敬虔な者たちについて、天使たちから見聞します。最初に、主なる神が、シナイより天の軍勢を従えて顕現し(申命記33章1〜2節)、その栄光によって、山々はふるえもろもろの丘は低くされます(第三イザヤ56〜66章)。次に来るべき遠い時代のことが語られます。神が創造された宇宙では、星の運行も四季の巡りも樹木の葉が落ちるのも落ちないのも、すべて神の定めの通りに行なわれています。ところが人間は神の定めに従わず、傲慢に陥り平和を失ったのです。
このため、人間たちに終末の裁きが臨み、義人と選ばれた者たちは知恵と命を授かり、地を受け継いで長寿を全うし、老いてしあわせな年月が与えられます。しかし不敬虔な罪人らは不義を告発され、堕落天使たちは恐れおののくのです。ここでは、終末の裁きはこの地上において行なわれます。その結果、選ばれた幸いな義人は祝福を与えられ、不敬虔な者や堕落天使たちは呪われるのです。
■(2)見張りの天使たちの書:6〜36章(前300〜200年)
創世記6章の記事に基づいて、見張りの天使たちが(シェミハザやアサエルなど200名)、結束して誓いを立てますが、この時にアサエルはすでに反逆の兆しを口にします(村岡訳『エチオピア語エノク書』では、「アサエル」ではなく「アザゼル」と読んでいますが、この点は第6章で説明します)。彼らは、ほんらい人間を教え監督する「見張り役」であったのに、神に反逆して堕落して、人間の女たちと通じて巨人たちを生みます。その結果生まれた巨人たちは、人間たちを食らい、互いの血をすすり合い、結果として暴虐が地に満ちることになります(巨人たちは作者の時代のヘレニズムの王たちを反映)。アサエルたちは、金属(武器など)、染料、魔術(薬草類)、天体のしるしや占星術など文明の技能を人間に教えますが、この結果、人々は道を踏み外して堕落します(禁じられた秘義の啓示という神話的なテーマで、アサエルはギリシア神話プロメーテウスを反映)。
ガブリエルとミカエルとラファエルとサリエル(ウリエル)の四天使は、地上の暴虐を見て、この有様を主なる神に報告し、暴虐の犠牲となった死者の魂の叫びが天の門に届いていると告げます。彼らは、諸時代の主である神に裁きを祈り求めます(9章)。聖なる至高者は、アルスヤラルユル(天使ウリエルのこと?)をノアに遣わし、大洪水が起こってこの地に終わりが来ることを彼に告げるように命じます。また主は、ラファエルに、アサエルを縛って、終末の審判の時まで暗闇に投げ込むように命じ、ミカエルに告げて、シェミハザたちを永遠の審判が終わるまで「丘の下へ」つないでおくように命じます。堕落した人間たちは、やがて大洪水によって滅ぼされ、堕落天使たちの子らは火の拷問にかけられるのです。裁きが行なわれるその時には、新しい時代が始まり、正義と道理の木が生え、地は豊かな実を結び、人々とが老年まで安らかに暮らす時が来るのです。その時、人の子らはすべて正しくなり、すべての民は主を崇めるようになり、天は祝福の藏を明け、平和と道理が一つになります(6〜11章)。
 天にいる見張りの天使たちは、天にいるエノクに向かって、地上で堕落した天使たちに断罪が臨むことを告げます。エノクが降って、アサエルたちに裁きを告げると、彼らは恐れおののいて、赦しの嘆願書を書いてくれるようエノクに懇願します。しかし、「聖にして大いなるお方」は、彼らには赦しがないことを文書に書いて堕落天使たちに渡すようエノクに命じるのです。彼らの裁きはすでに終わっているからです。彼らは二度と天に戻ることができません。天上の霊と地上の肉とを区別する神の掟を破ったために、地上の堕落天使たちは、地上で悪霊に変じることになります(6〜11章で彼らが滅びるとあるのとは少し異なる)。エノクは、彼らが燃えさかる火の海に投げ込まれる幻を見ます。地上では、巨人たちが死ぬと、その死体から悪霊どもがでてきます。だから、巨人たちの肉の存在は、死ぬまで裁かれることがなく、人々は大いなる裁きの日まで、堕落した生活を続けるのです。この部分には、おそらく当時のエルサレムの祭司たちへの非難がこめられているのでしょう(12〜16章)。
 エノクは、天使たちに連れられて地の果てにある火の川を見、深淵の水が注ぎ込む場所を見、また太陽とすべての星の回転を西の空に没せしめる風を見ます。そこは神に背いた天の軍勢(堕落した星々たちのこと)が閉じ込められる場所です。この部分は、ギリシア神話にでてくる黄泉にある処罰の場所巡りと共通することが指摘されています(「火の川」とは、ギリシア神話で黄泉の国へ渡る時に通るスキュテス河か)。また堕落天使たちと通じた女たちも魔女にされます(17〜19章)。
 第二の旅が始まり、エノクが見ると、ウリエル(タルタロスを見張る)とラファエル(人間の魂を見守る)とラグエル(世界と天体に復しゅうする)とミカエル(選民たちを護る)とサラカエル(罪に誘う人間の魂を見張る)とガブリエル(蛇とエデンの園を見張る)の6人の天使たちがいます。またエノクは、混沌の荒れ野を見ます。そこでは、「天の七つの星たち」が、彼らの「罪の日数が満ちるまで」神によって縛られています。次に燃えさかる炎と大きな火の柱を見ます。そこは堕落天使たちが永遠に留め置かれる場所です。さらに行くと、高い山とその回りに四つの窪地があります。そこは、死者の魂が、定められた時に裁きを受けるまで留まる場所です。また「死んだ人の子たちの霊魂の叫び」を聞きます。それはカインによって殺されたアベルの(すなわち殉教者たちの)叫びです。
 四つに区切られた場所では、死者の霊魂が、選り分けられてそれぞれの場所に住んでいます。悪人は、「裁きの日に殺されることもなく、ここから連れ出してもらえない」のです。ここで「復活」がでてきますが、ここで言う復活とは、再び地上に戻ることを意味しています。彼はさらに、駆けめぐる火と、火の山を見、美しい七つの山を見ます。真ん中の山は、主のみ座にも似た高い山で、薫り高い木に囲まれています。「すべてのことについて知りたい」エノクは、その場所に、裁きと復しゅうの時に選ばれた者に与えられる命の木の実を見ます。それらの実は、艱難がなく先祖たちのように長生できるようにと永遠の王が創られた木なのです。祝福の土地があり、そのまわりに呪いの谷が見えます。そこには裁きの木があり、またサリラとかカルバネンとか呼ばれる水があります(ギリシア神話の神々の飲み物ネクタルに似ている)。また義人の園と知恵の木を見ます(これはかつてアダムとエヴァが食らい、知恵を知り、目が開いて裸であることを知った木)。エノクはそこから、天の門が開いて、星の運行や霜や霞や雪や雨の降るのを見、全地の果てにいたるまでを見るのです。エノクの天体への旅(33〜36章)は、後の72〜82章の描写と重なり、これのまとめと見ることができます(20〜36章)。
■(3)たとえの書:37〜71章(前40年?〜後50年?)
 エノクの系図がでますが、アダム→セツ→エノス→カイナン→マハラレル→ヤレド→エノクとあります。ヤハウィストのこの系図は、創世記5章21節のイエレド→エノク→メトシェラ→レメクから来ています。ところが創世記4章17〜18節には、カイン→エノク→イラド→メフヤエル→メトシャエルとあります。エノクには、このようにセツ系とカイン系との二つの系図があります。なお、エノクの名前の語源は「賢く訓練された」あるいは「捧げられ聖別された」のふたとおりに解釈されています。
 創世記5章で、エノクは「神と共に歩んだ」とあり、神によって天へと引き上げられたとあることから、知恵の人エノクの伝承が生まれました(彼が365年生きたとあるのは、捕囚期のバビロニアの天文学がエノク伝承に関わっていることを示唆)。エノクが神の領域へと引き上げられたとあるのも、ジウスドラ→ウト・ナピシュティム→アトラ・ハシースというバビロニアの知恵の人の系譜につながるのでしょう〔フォーサイト219〕。この知恵の人エノクの伝承が、エノクの幻による天界の旅へもつながることになります。以後の幻が「知恵の幻」と呼ばれ、「もろもろの霊魂の主」(天使と人間の両方の霊の主という意味で「神」のこと)から授かる「知恵のことば」を語り、これが「知恵のはじめ」であると言われるのです(37章)。
 「たとえの書」は、選ばれた義人たちと暴虐な王や権力者たちの両方への神の裁きを語るもので、いくつかの別個の文書がまとめられていると考えられています。これの成立年代については、紀元270年頃〔村岡164〕という説もありますが、56章5節などから判断すると、世紀の変わり目である前40〜後50年頃と見ることができます〔Nicklesburg (3)6〕〔Stegemann93〜94〕。したがってこの部分はキリスト教成立前後にあたることになります。ユダヤ教においては、この「たとえの書」で初めて、「人の子」が神の権威を帯びた個人像として現われることになります。これはイエス直前のユダヤ教の歴史的宗教的背景から生まれたものでしょうか? それとも原初キリスト教会から影響された後のものでしょうか? この点が目下議論されています。
〔第一のたとえ〕もろもろの霊魂の主(ヘブライ語の「天の軍勢の主」からでた言葉で、「神」を意味します)に従う義人・聖者たちが顕れる時には、罪人たちは追い払われ、権力者の命運が尽きます。その時には、主は、天使と人とが結ばれて生まれた種を憐れむことをしません。天の果てには聖者たちの住処があり、「義と信仰の選民」が住んでいます(ここで、彼らの住む「場」と「時代」とが重ねられている点に注意)。主の御前には終わりがなく、世界が創造される以前から、それがどのように変わるかも主によって知られているのです。エノクには、主の御前に立つ四天使が見えますが、「選ばれた者」(単数)であるメシアも現われます。それから「天のすべての秘密」、すなわち選民の住処と罪人への稲妻による刑罰(ギリシア神話でゼウスが巨人ティタンたちを退治する雷光を想わせる)、霧や霞、太陽と月の運行が見えます。ここでは、「光と闇との間の隔て」が、人間の霊的な「光と闇」に対応されています(41章)。「知恵」は、人間の間に住もうと降りますが、自分の住居を見いだせないまま、再びみ使いたちのところへ戻ります(シラ書24章3〜10節)。するとエノクは、別の空に、稲妻と空の星を見ます。それらの星は、主を信じる義人たちの名前で、それらは、ちょうど天体の運行のように、その場と時とを定めて姿を現わすのです(43章)。
〔第二のたとえ〕「選ばれた者」メシアが、栄光の座に座り主を否定する罪人たちを裁き、選民を住まわせ、平安を与えます。次に「高齢の頭」(ダニエル書7章9節の「日の老いたる者」)と人の子が現われます。人の子には義が宿り、彼はすべての秘密の藏を開き、王と権力者たちの高ぶりと横暴を砕くのです。彼らは、富と権力を頼んで暴虐をあらわにしたために、暗闇とウジ虫の中に住まわせられます(46章)。義人たちの祈りと血とが主の前に届き、天に住む聖者たちは義人たちの血と祈りのゆえに、彼らのために裁きを行なうよう主に懇願します。「高齢の頭」(「神」を指すと思われる)が栄光の座について、「生ける者の書」がその前に開かれます。「義の数」(正しい者のための裁きの時のこと)がめぐってくると義人たちの祈りが聴かれて、彼らの心は喜びます。それから義の泉といくつもの知恵の泉が見えてきます。渇く者はこれを飲んで知恵にみたされ、彼らは、聖者と選ばれた者たちと義人たちと共に住みます。人の子の名前が、高齢の頭の前にあります。この人の子の名前は、「太陽としるし」が創られる以前から存在していたのです。世界が創造される以前から、彼は選ばれ、主の御前に隠され、永遠に主の御前にいるのです(イザヤ49章3節)。主の知恵が、聖者や義人たちに人の子の姿を顕わし、彼らは救われ、彼らの命を奪った者たちはその報復を受け、主とその油注がれた者(メシア)を否定した者たちは、義人たちの前で、火に投げ込まれます(48章)。メシアの前では、知恵が水のように注ぎ出され、暴虐は影のように過ぎ去り、知恵の霊、悟りに導く霊、教えと力の霊が彼に宿ります(イザヤ書11章2〜3節を参照)(49章)。その(メシアの)時に、罪人たちは主の御前に悔い改めて憐れみを受けますが、悔い改めない者に憐れみはありません。その時、黄泉は与っていた死者を主に返し、地獄も借りていた者を返し(ここには人類全体の復活が予測されている)、メシアは知恵の奥義を口から語り、人々の中から義人と聖人を選び出します(51章)。
 エノクは、地上に起ころうとするすべてを見ます。鉄、銅、金、軟金属(鉛や錫)の山々が見えます。これらは地上の権力を象徴するもので、メシアが姿を顕わす時に、地の面からことごとく消滅するのです。そこには深い谷があり、大地に住む民がメシアに贈り物を持って来ますが、谷は埋まりません。正直者が稼ぎ出したものを不法な者が食い荒らすのが見えると、サタンが責め具を用意しているのが見えてきます。責め具は地上の王たちと権力者たちを滅ぼすためのものです。別の方には、火の燃えさかる深い谷があり、王たちや権力者たちが投げ込まれます。ミカエルとガブリエルとペヌエルが、アサエルの軍勢を地獄の深みへ投げ込み、サタンの手下となって地に住まう者たちに刑罰が降されます。
 上にある天の水と地下にある水の泉が開かれます(水はバビロニアの宇宙論では原初のもの)。高齢の頭はこれを見て、二度と水で滅ぼすことをしないと言います(ノアに与えられた主の約束と同じ)。主は、「程なく選ばれたメシアを見るだろう。彼は、わたしの栄光の座に坐り、アサエルとその手下たちを裁く」と告げます(54〜55章)。懲罰のみ使い団が、青銅の鎖を持って歩いてきます。彼らは、それぞれが選んだ者たちのところへ行くと、王たちを王座から揺さぶり落とします。すると王たちは、狼のように、み使いが選んだ土地/国を踏みにじるのです。56章5節には、「パルティア、メディアのほうへ王が向かう」とありますが、これはヘロデ大王を指すと考えられています。前40年にハスモン家のアンティゴノスがパルティアと組んでパレスチナを占拠した時、ヘロデはローマへ逃れてそこで「ユダヤの王」に任ぜられました。その後、前39〜37年に、彼はローマの援助を得てパレスチナに戻り、パルティアを追い出して東へ侵攻し、パレスチナの実権を握ることになります。王たちによる蹂躙の結果、人々は父母も子も見分けがつかなくなり、黄泉は口を開けて、人々を貪り食うのです。すると別な車の一隊がやってきます。その音が轟くと、全ての者が倒れ伏します。ここで第二のたとえが終わります(57章)。
〔第三のたとえ〕このたとえは、「幸いなるかな、あなたがた義人たち、選民たちよ」で始まります。義人たちと選民たちは太陽の光にあって永遠の命を与えられ、霊魂の主の前に暗闇は過ぎ去り光が確立されます(光と闇という時間的でかつ空間的な区別が、義人のためであることに注意)。ここでエノクに「稲妻の秘密」が教えられます。「稲妻の秘密」の法則とは、稲妻が、主のみ旨次第で祝福ともなり呪いともなることです(ヨブ36章32〜33節)。同様に雷鳴の響きは、主の御言葉次第で、祝福ともなり呪いともなります。
高齢の頭が現われると、憐れみ深かった主が、裁きを重んじない者のゆえに怒りの裁きを行なうとミカエルが告げます。すると海の怪獣レヴィヤタンと陸の怪獣ベヘモトが現われます。ここで「黙示」という言葉が「隠されたこと」を意味することが知らされます。黙示とは、「はじめのことと終わりのこと、天上にあることと地上の深みにあること、天の果てにあることと天の基にあること、風の藏にあること」なのです。そこで雷鳴と稲妻とがそれぞれ区分され、海の霊、霜の霊、雹の霊、雪の霊、霧の霊、露の霊、雨の霊が、それぞれ季節によって区分され、それぞれの藏から出されるのです(60章)。
 天使たちが紐と綱を持って飛んで行き、「地の深みに隠されたこと」(ゼカリア2章5〜6節)を測り、これを露わにします。これは人々が、選ばれた者メシア(単数)により頼むためです。メシアは栄光の座にあって、聖人たちの行ないを裁きます。聖人たちは声を一つにして、信仰の霊、知恵の霊、憐れみの霊、裁きと平安の霊、善の霊によって主を崇めます(61章)。栄光の座にメシアが座り、王と権力者と貴人たちを裁きます。彼らは栄光の座に人の子が坐るのを見るのです。義人たちは人の子と共に住み、主の剣が王や権力者たちの血で酔いしれます(62章)。王と権力者たちは、主の御前にひれ伏して懲罰のみ使いに嘆願し、メシアである人の子を崇めて「陰府の激しい炎に落ち込むのを防いでください」と嘆願します。すると別の顔、「人の子らを惑わして罪を犯させた」堕落天使の顔が隠れているのが見えてきます(63章)。
 ここでは、エノクではなく、ノアがでてきます。ノアは父祖エノクから、大地に住む者たちの最期を知らされるのです。エノクはみ使いたちの全ての秘密、サタンどもの全ての不法、魔術を行なう者の全ての力、悪魔払いの全ての力、鋳物の偶像を作る者たちの全ての力を知ったのです。これらの者たちは裁かれ、悔い改める可能性はありません。ただノアとその末裔だけは義をもって栄光の地位に定められます。エノクはノアに、懲罰のみ使いたちが地下水の力で裁きを行なうのを見せます。主のみ使いたちは、堕落天使たちを金と銀、鉄と錫などの山に閉じ込めます。すると山に水が波立ち、火の川が流れ、硫黄の臭いがします。硫黄が水と混合して燃え出すのです。堕落天使たちが裁かれます。水の泉の温度が変わると水が変じて火となり、大地の住民たちと支配者たちも「肉体の情欲に信頼をおき、主の霊を拒んだゆえに」裁かれます。エノクはここで、「すべての奥義の解釈」の本をノアに見せて、エノクに授かったたとえをノアに語ります。ミカエルとラファエルは、堕落天使にくだされる裁きの厳しさを語り合い嘆きます(65〜68章)。
 ここで、堕落天使たちの名前が列挙されます。彼らは、人の娘たちを惑わした者、エヴァを誘惑した者、人の子らに殺戮の武器を見せた者、また墨と紙で書くことを教えた者などです。なぜなら「人間は墨と筆で信仰を全うするように生まれたのではない」からであり、「知識のゆえに彼らは滅び、この知識の力のゆえに死はわたしを食い尽くす」からです。世界は創造の時から永久にその位置からずれることなく、日と月はその運行を完了し、星はその運行を完了するのです。大地の人々は霊魂の主を賛美し、人の子が啓示されたことをほめたたえ、人の子に裁きの権限が与えられ、悪が彼の前から消え去ったことを賛美します。ここで第三のたとえが終わります(ここは福音書にあるイエスの「人の子」像へつながる)。
 この後に、人の子メシアは、生きながら主のもとに上げられ(エノクと同じ)、エリヤのように「霊の馬車で」(列王記下2章11節)引き上げられます(70章)。エノクは霊的に(現実の肉体ではない)天に引き上げられます。すると衣装は白く顔は水晶のようなみ使いたち(の子ら)が歩いていて、二つの火の川が見えます。光の間に水晶で建てられたものがあり、セラフィームやケルビームたち、ミカエルやラファエルやガブリエルたち、そして、彼らと共に「高齢の頭」が現われます。「その頭は羊毛のように白く、その衣は形容を絶する」とあります。エノクがその前にひれ伏すと、高齢の頭は、エノクに向かって「あなたは義のために生まれた人の子である。義はあなたの上に宿り、高齢の頭の義はあなたを離れることがない」と告げます。こうして人の子は長寿を給わり、義人は平和を給わるのです(71章)。
■(4)天文の書:72章〜82章(紀元前3世紀?)
 この天文の書の原文はアラム語で、クムラン文書に含まれています。これの初期の原稿は前200〜150年頃と考えられるので、文書それ自体は前3世紀にさかのぼり、その内容はさらに前3世紀以前からのものと推定されます。したがって、「天文の書」は、『第一エノク書』全体で、最も古い部分になります。ただし、原文のアラム語版は、長大であり、エチオピア語訳は、これを縮小していると考えられます。これは、「種類、主従の関係、季節、名称、起源」について述べる書であり、天使ウリエル(名前の意味は「神はわたしの光」)がエノクに、「この世の全ての歳と、永遠に続く新しい創造ができあがる時までが、どのようにかかわるかを」示しています。
 1年は、30日からなる12か月ですが、第三、第六、第九、第十二の月は31日となります。太陽は東の六つの門から昇り、西の六つの門へと沈みます。太陽の運行は、12の窓に区切られて、昼と夜の長さと昼・夜の区分の変化について述べられます。昼が10区分、夜が8区分になる時、昼が最も長くなり、これが逆に、昼が8区分、夜が10区分へと変化します。1年はちょうど364日になります(創世記5章23節のエノクの年齢365と関連)(72章)。次に月の区分が、光を14区分に分けて、太陽の運行と比較して語られます(73章)。月の運行は七つに区切られ、太陽の運行と比較されます(この当時、ユダヤでは、太陰暦と太陽暦との関係が大きな問題になっていた)。「月の順に従って太陽が昇りまた没するのを見る」のです。5年間を合計すると、陽は月に対して30日分だけ超過が生じるから、5年の総計では、太陽が1年間に得る日は、最後には合計364日となる。だから月齢だと、5年間では50日不足することになります(ここで著者は太陰暦の視点から、29日の月が6か月あり、30日の月が6か月あり、1年で354日の月の暦を念頭に置いている。したがって、太陽暦に比べると、1年で10日ずつ、5年間で50日不足することになる)(74章)。
 さらに1年を360日とした場合に、4日を加える必要があると述べます。太陽と月と星の運行を「12の門」に分けて見ています(75章)。次に12の門から出る風を東、西、南、北に区分し、それぞれの方角をさらに三つに区分しています。それらの区分の四つから祝福と繁栄の風が吹きますが、八つからは、禍の風が吹き、それらは、滅亡、干ばつ、繁栄と雨と露、寒冷と干ばつなどの風となります(76章)。次ぎに東西南北、12の方角について述べます。西は光が減じるから「減少」と呼ばれ、北は人間の住居、海、森、雲を入れるところ、さらに「義の園」のある方角です(ここはテキストの読み方に問題がある)。また七つの大河について語られ、さらに「七つの大きな島を海と陸に見た。二つは陸に、五つは大海に」とあります(78章)。エノクは、これらを「わが子メトシェラに」見せていたことがここで語られます。天使ウリエルがエノクに見せてくれた「全ての発光体」がここで終わります。
 ウリエルはエノクに「罪人の時代」について啓示します。罪の時代では、一年は短く、地上で生起することは変化し、雨は遅れ、地は実らず、月もその秩序を変えて姿を見せず、星の頭どもは迷い、「彼らは天罰によって滅びる」のです(80章)。ウリエルは、エノクに「天の板」を示して、「そこに書き付けてあるのを読んで、一つ一つよく悟る」よう言います。エノクは、そこに書いてあることを全部読んで、書いてある一切のこと、人間と地上に住む全ての肉の子の行為を知り、未来永劫までも読み取ります。そして、善人は善人に義を告げ、罪人は罪人とともに死に、「義を行なう者は人間の行為のゆえに死に、悪人の行為のゆえに(この世から)断たれる」ことを悟ります(81章)。ここでエノクは、その子メトシェラに、自分の知識一切を啓示して、子孫に「彼らの思いも及ばないこの知恵」を伝えるよう伝授します。それは一か月を30日として、4日の日をこれに加えて、一年を364日と計算することです。著者にとって、これは神から啓示された大事な定めなのです。それから太陽、月、星などの天体の運行とその区切りを司る12の指導的な星とその名前があげられます(82章)。以上で分かるように、この書にはユダヤ教の祭日は一切語られず、安息日もでてきません。
■(5)夢幻の書:83〜90章(前164年)
〔滅びの幻〕83〜84章
 エノクは、自分の見た二つの幻をメトシェラへ語ります。その一つが、ここで語られる洪水による滅びの幻です(83章は61章と106〜09章に並行し、84章は9章に並行します)。エノクは、「天が崩れ、ばらばらにちぎれて地上に落ちてくる」のを見ます。すると口から「地が滅びた」という叫びがでます。エノクの祖父であるマラルエル(マハラルエル)は、孫のエノクに、その夢と幻は「地の全ての秘密にかかわることだ。地はやがて亀裂の中に沈み、完全に滅びる」と言い、「地上に一部を生き残らせてもらうよう」神に懇願するよう告げます。そこでエノクは、太陽の運行を定めた「裁きの主」を崇めて祈ります(83章)。エノクの祈り。「全地は永久にあなたの足代。知恵であなたの目につかぬものはありません。あなたは全てを知り、見通される方です。あなたの天使たちは過ちを犯しました。あなたの怒りは裁きの日まで、人の肉(ヨブ12章10節参照)に臨むでしょう。人の肉をすっかり抹殺せず、義と公正の肉は、永遠の種の木としてたててください。」(84章)。
 
〔牛と獣の幻〕85〜90章
 次の幻は動物の寓喩によるこの世の歴史です。先の幻を受けて、ノアの洪水が寓意として語られますが、これもエノクがメトシェラに語ることになっています。白い(罪がないこと)雄牛(アダムのこと)と牝牛(エヴァ)がでてきます。続いて黒い(罪人でカインのこと)雄牛と赤い(アベルの血)雄牛が来て、黒牛が赤牛を殺します。先の牝牛は、別に白い雄牛(セツ)を産み、多くの雄牛と黒い牝牛を産みます。白い雄牛(セツ)も多数の白牛を産みます(85章)。すると天から星が一つ(堕落天使アサエル)落ちてきて、牛たちの間に混じります。大きな黒牛が見えます。すると多くの星が天から落ちてきて、先の第一の星のところへ集まった。彼らの陰部は馬のようで、牝牛(人間の女たち)と交わり、象やらくだやろば(巨人たちを獣にたとえる)を産みました。彼らは互いに角で突いたり、かみつき合ったりしました。大地はこの争いで叫び始めました。すると天から白い人が3人に伴われて現われました。3人はわたし(エノク)を地上から引き上げて(創世記5章24節参照)、そびえたつ高い塔を見せて、象やらくだやろばや星や牛たちを見終わるまで、そこにいるように告げました。すると4人の一人が、天から落ちた最初の星を縛って恐ろしい谷に投げ込みました。象とらくだは互いに斬り合いを始めて、大地全体が大きく揺れます。先の4人の一人が、性器をぶらさげた巨星を集めて大地の裂け目に放り込みました(大洪水による人類の滅亡)(88章)。
 4人の一人が先の白い雄牛に告げると、その雄牛は人間になって箱船を造り、他の雄牛も一緒にそこに住みます。天の七つの水門が開いて、水が囲いにあふれると、囲いの牛は全部水で溺れました。すると別の幻で、水門が取り払われて、箱船は地上に止まり、闇は退き光が現われました。人間と他の雄牛たちは箱船をでましたが、1匹は白く(セム)、1匹は赤く(ハム)、1匹は黒(ヤフェト)でした(皮膚の色で人類を三種に分けること)。彼らから、獅子、虎、犬、狼、ハイエナ、猪、狐、ウサギ、豚、禿鷹(異邦の諸民族のたとえ)などが産まれました。しかしその中に、白い牛(アブラハム)がいて、それが野ろば(イシュマエル)を生み、ほかに白い牛(イサク)を生みました。この白い牛から、黒い猪(エサウ)と白い羊(ヤコブ)が生まれ、猪は多数の子を生み、羊は12匹の羊(イスラエルの12部族)を生みました。12匹の中の1匹(ヨセフ)は、野ろば(エジプト人)へ渡されました。
 狼(エジプト王)は、羊たちを恐れ始めて、河にその子らを投げ込んだので、主は狼の手を逃れたあの羊(モーセ)を呼び出して、狼と語らせますが、狼はいよいよ辛く羊を扱ったので、主は狼どもを殴り、羊たちは狼から逃れました(出エジプト)。狼は羊たちを追跡しましたが、海が割れて、羊たちの後を追った狼たちは溺れ死んだのです。主は羊たちを養い、水と草を与えて、あの羊が彼らを導きました。しかし、あの羊が岩山の頂きに登った時に、羊たちが道を踏み外したので、主はその羊に怒られたのです。羊たちはその羊を見て恐れ、もとの囲いに戻りたいと願いました(出エジプト24章12節)。
指導してきた羊が死ぬと、2匹の小さい羊(ヨシュアとカレブ)が代わりに立ちました。やがて別の羊たち(士師たち)がやってきましたが、犬や狐や猪(異邦の諸民族)が、羊たちを食い始めたので、別の1匹の羊(サウル)が立てられました。この雄羊は、犬や狐や猪を突きまくりましたが、別の雄羊(ダビデ)を見ると、その羊をも突き始めたのです。主は、この別の雄羊を指導者としました。その家(エルサレム)は大きくなり、高い塔(神殿)が建てられました。ところが羊たちは再び迷いだしたので、主は羊の中から何匹かを召して(預言者たち)、羊たちのところへ遣わしました。そのうちの1匹(エリヤ)は、殺されませんでしたが、主は彼をわたし(エノク)のところへ引き上げたのです。
ついに羊たちは、自らに殺される運命を招いて、獅子、虎、ハイエナなど、あらゆる獣たちに、餌食として投げ与えられました。主は70人の牧者たちを召して(世界の諸民族を司る天使たちのこと。エレミヤ25章11〜12節参照)、羊たちを管理させたのです。しかし主は、別の牧者に命じて、牧者たちのすることをきちんと書き留めるように命じました。獅子(アッシリア)と虎(バビロニア)と猪(エドム)は、羊たちを食い荒らしました。羊たちは決まった数だけ殺されていったのです(イスラエルが犠牲の民とされたこと)。牧者たちのしたことは、すべて主の書に書き留められて、その書が、主の御前で読み上げられました。それから12時間経って(捕囚の期間が終わること?)、3匹の羊(エズラ、ネヘミヤ、ツァドク)が戻ってきました。彼らは倒れた塔を建て直したのです(エルサレムの神殿が再興されたこと)(89章)。
 ここからは、ギリシアの時代に入ります。このようにして35人の牧者たちが羊を牧しました(先にでてきた70を12+23=35として、前半の35と後半の35に分けて、ここからは後半のギリシアの時代、すなわちアレクサンドロス大王の時代に入る)。すると鷲(マケドニア)と禿鷹(エジプトのプトレマイオス朝)と鳶(パルティア王国?)と烏(シリアのセレウコス朝)などの空の鳥たちが来て、羊たちの肉を食らったのです。羊たちは骨だけにされたけれども、それから23人の牧者たちが58期間を牧しました。さて白い羊たちから仔羊が生まれると(ハシディーム派のユダヤ教か?)、烏がその中の1匹を引き裂いて食べました。するとこれらの仔羊たちに角が生えて(マカベア派の戦士たち)、その中の1匹の角が大きくなり(ユダ・マカバイのこと)、羊たちに呼びかけます。すると雄羊たちがそのもとに集まりました。エノクが見ていると、牧者や禿鷹や鳶がやってきて、雄羊の角を砕くようわめきます。先の記録する者は、最後の12人の牧者たちが殺した人たちを記録した文書を開きました。すると主の怒りが燃え上がって、主が怒りの杖を手にして大地をたたくと、地が裂けて、獣たちと鳥たちとは大地に飲み込まれた。
 王座が麗しい地に設けられ(ダニエル11章16節)、羊たちの主がこれに坐り、封印された書が開かれました。7人の白い色の者が呼ばれて(トビト記12章15節参照)、堕落した星たちが連れ出され、その星たちは、裁かれて火の柱の中へ投げ込まれました。次に70人の牧者たちも「預けられた羊を勝手に殺した」ために火の谷へ投げ込まれ、また同時に、目のくらんでいた羊たち(背教のユダヤ人)も火の谷へ投げ込まれました。
 生き残った全ての羊たちと動物たちと空の鳥たちは、ひれ伏して羊たちに従いました。先にわたしを引き上げた白い衣の3人が、わたしを白い羊たちの中に坐らせました。彼らの毛は豊かで、清潔で、目の見えない者はいませんでした。すると1匹の白い雄牛(メシア)がうまれました。その角は巨大で、野の獣も空の鳥も恐れます。すると彼らの全ての種が変化して、いずれも白い家畜になるのを見ます(創造の初めに戻り、ユダヤ人と異邦人との区別が消える)。その最初のものは指導者になり、大きな獣になり、真っ黒な巨大な角が生えました(90章)。
■(6)エノク書簡:91〜105章(前100年頃)
 ここからは知恵文学の形式に従うエノクによる教訓と諭しの書になります。91章11〜17節は、93章の後につながるほうが内容的に適切です。したがって、93章が、91章の10節と18節との間に挟まりこむ形になります。また、ギリシア語版では、104章は106章に続いています。105章がどうなったか不明ですが、クムランの文書では、104章に105章が続いています。以下この順序でまとめます。
 エノクは「わたしの口の言葉に耳を傾けよ」という知恵文学の諭しのスタイルで始めます。教えの内容は「公正を愛する」ことと「義の中を歩む」ことです。暴虐、罪、涜神、不法がはびこっても、必ず天罰が下るからです。その時に不法は根絶やしにされ、異教徒は火の裁きに投げ込まれるのです。エノクはこれから「義の道と不法の道」について、また「将来起こるべきこと」について語るのです。
 エノクは書物に基づいて、「義の子ら」、「この世から選ばれた者たち」、「義と公正の木」のことを語ります。それから世界の歴史を10週に分かち、各週を七つの時期に分けます。
1週目は、裁きと義がまだ行なわれていた時代で、エノクはその七日目に生まれます。
2週目は、欺瞞が生じて、最初の滅亡が訪れ、罪人に対して法が定められます。
3週目は、その終わり頃に、正義の裁きの木となる人(アブラハム)が現われます。
4週目は、その終わり頃、聖人と義人の幻が顕れ、法の囲い(モーセの律法)が定められます。
5週目は、その終わり頃に、栄光の家と王国が建てられます(イスラエル王国)。
6週目は、この時代の人たちが、皆、盲人になる時に、一人の人(エリヤ)が顕れて、王国の家は焼け、全ての者は散らされます(イスラエルの分裂と捕囚)。
7週目は、背教が起こり、義の選民は、永遠の義のひこばえ(イザヤ11章1〜5節参照)から報いを受け、彼の創造について教えを受けます。
 ここでエノクは、「およそ人の子の中で、聖なるお方の声をおののかずに聞ける人があろうか?」と問いかけ、霊あるいは息を見ることができるか? それについて語ることができるか? と問います。ここからが未来に関することになります。
8週目は、この週に剣が渡され、不法を行なう者たちに正義の裁きが下り、義人は永久に残ります。
9週目は、正義の裁きが全世界に啓示されます。悪人はいなくなり、世界は滅亡すべく記録されます。
10週目に、その7期目に永遠の裁きが行なわれ、天使たちが裁かれ、先の天は姿を消して過ぎ去り、新しい天が現われます。天の力は世界を7倍明るくします(イザヤ30章26節)(91章と93章)。
 学者エノクは言い残します。時勢に心を悩ませないがよい、聖なる方は、すべてのことに日を定められた。義人は眠りから覚めて義の道を歩むであろう。罪は永久に暗闇に葬られ、この日から永遠に現われることはない(92章)。
 エノクは、わたしの子よ(智恵文学の言い方)と呼びかけ、平和の道を歩んで繁栄の日を送るように言います。知恵をあしざまに言い、知恵の場が見あたらないようにする者たちがいなくなることはない。わざわいなるかな暴虐と不法を築き、欺瞞を土台として家を建てる者、わざわいなるかな、富める者、あなたたちはその富を失う。あなたたちは涜神と暴虐を行ない、暗闇の日、裁きの日にふさわしい。あなたたちの創造者があなたたちを覆す。あなたたちの創造者はあなたたちの滅亡を喜ばれる(94章)。義人たちよ、罪人を恐れるな。わざわいなるかな、隣人に悪をもって報いるあなたたち。わざわいなるかな、偽りの証人となるあなたたち。わざわいなるかな、義人を迫害するあなたたち。あなたたちは滅ぼされ、迫害される(95章)。義人たちよ、希望を持つがよい。罪人の艱難の日に、あなたたちの子らは鷲のように高く登る。あなたたちは、暴虐が来ると兎のように大地の裂け目や岩の割れ目に入り込む。癒しはあなたたちのもの。光があなたたちを照らす。あなたたちは、天の安らぎの声を聞く。わざわいなるかな、富のゆえに義人のように見える者、あなたたちの良心が、あなたたちを告発する。わざわいなるかな、良質の麦を食い、下層の者を踏みつける者。わざわいなるかな、暴虐と欺瞞を行なうあなたたち。あなたたちの滅亡が来る。あなたたちの裁きの日に、義人たちには幸いな日が続く(96章)。義人たちよ、信ぜよ。罪人は恥をかかされ、暴虐の日にあなたたちは滅びる。義人たちの祈りが聞かれる裁きの日に、あなたたちはどうするつもりか。聖なる方の前で、あなたたちの暴虐の記録が読み上げられる。わざわいなるかな、銀と金を不正に手に入れて、富む者たち。「銀は集めたし、藏は満ち、家には宝がどっさり」と言うが、あなたたちは騙された。富はあなたたちの手には残らない(97章)。
 わたしは賢者と愚者に誓う。あなたたちは男なのに女のように化粧し、若い娘のように長袖をまとい、豪華、絢爛、権勢、金銀、威厳に浸り、ごちそうを食べる。彼らは、その財産と栄華と共に滅びる。彼らの魂は殺戮と赤貧のうちに火に投げ込まれる。罪は地上に送られたものではなく、人間が自分で生み出したもの。全てが天の至高者の前に記録されている。わざわいなるかな、あなたたち愚者は、その愚かさのゆえに滅びる。罪人に助かる見込みはない。贖いもなく、この世を去り、死に赴く。わざわいなるかな、心のかたくなな者、あなたたちに平安はない。わざわいなるかな、暴虐を行なう者。あなたたちは義人の手にわたされ、首を切られ、殺される。わざわいなるかな、義人たちの艱難を喜ぶ者、あなたたちの墓は掘られない。わざわいなるかな、義人の言葉をないがしろする者、あなたたちに救いはない(98章)。
 わざわいなるかな、偽りの言葉を褒めそやすあなたたち、あなたたちは滅び、救いも幸せも来ない。わざわいなるかな、真理の言葉を曲げるあなたたち、あなたたちは永遠の掟にもとり、自分は無罪だと思うが、あなたたちは地上で踏みにじられる。義人たちよ、その祈りを通して、天使たちの前に、彼らの罪を提出して、至高者に訴えてもらうがよい。その時もろもろの民は動揺し、その時、親は乳飲み子を放り出し、憐れみをかけない。罪は、流血の日に向けて備えられている。石を拝む者、木石粘土の像を拝む者、汚れた霊、悪霊、偶像を知識によらず拝む者、彼らは理性の愚かさのゆえに不敬虔になり、恐怖の夢と幻のゆえに目がかすむ。その時、知恵のことばを受け容れ、これを悟り、至高者の道を行ない、不敬虔な者と交わらない者は、さいわいである。わざわいなるかな、悪を隣人に広めるあなたたち、あなたたちは黄泉で殺される。わざわいなるかな、他人の労苦で家を建てる者、それは罪の煉瓦と石ではないか。義人と聖者たちは、あなたたちの罪を思い起こす(99章)。
 その時、父は子と共に殺され、兄弟は隣人と共に倒れる。血は河となり、人はわが子わが孫を殺す。罪人は自分の兄弟を殺し、明け方から日暮れまで殺し合う。馬は胸まで罪人らの血に浸って歩む。その日、至高者は、全ての罪人に大なる裁きを行なう。また聖なるみ使いによって、全ての義人を護る。その時、賢者たちは見て、この書の全ての言葉を悟る。わざわいなるかな、義人たちを苦しめ、彼らを火で焼く罪人たち、あなたたちはその行ないに対して報復を受ける。み使いは、天上で、太陽から、月から、また星から、あなたたちの行状と罪を調べ上げる(100章)。あなたたち天の子らよ(堕落天使たちへの呼びかけか)、天と至高者の業を観察せよ。彼があなたたちに怒りを発したらどうするつもりか。あなたたちは、彼の義について不遜なことをまくしたてたから、あなたたちに平和はない。海と水とその運動は、至高者の業である。彼がいさめると海は畏れるが、地上のあなたたち罪人は彼を畏れない(101章)。彼があなたたちに火の苦しみを投げつける時、あなたたちはどこへ逃れるつもりか。全ての光は大いなる恐れのゆえに揺らぎ、全地は振動して大混乱になる。み使いたちは命ぜられたことを成し遂げ、大いなる方から身を隠そうとする。地の子らはふるえおののき、罪人は永遠に呪われ、彼らに平安はない。義人よ、義のうちに死ぬその日を望むがよい。あなたたちの魂が黄泉に下っても嘆くことはない。あなたたちの肉体は、この世でふさわしい報いを受けなかった。罪人は「見よ、義人たちも俺たちと同じに悲嘆と暗黒のうちに死んだ」と言う。人の衣類をはぎ取り、略奪し、罪を犯し、人生を楽しむ者、義人たちの安らかな最後を見たか。だがあなたたちは言う。「彼らは滅び、この世にいなかったようだ。その魂は苦しみのうちに黄泉に下った」と(102章)。
 さて義人たちよ、わたしは奥義を知っている。わたしは天の書板を見、聖者たちの書(「聖なる書」という読み方もある)を見た。義のうちに死んだ義人たちは、その霊魂が救われて喜ぶ。彼らの霊魂は滅びることなく、大いなるお方によって、世々代々まで覚えられる。わざわいなるかな、あなたたち罪人よ、あなたたちの同類はこう言う。「幸いなるかな、罪人は、彼らは天寿を全うし、幸福と富のうちに死に、悲惨や殺戮に逢わなかった。栄誉のうちに死に、罰を被ることもなかった。」彼らの魂は黄泉に引き下ろされ、悲惨な目に遭う。あなたたちの霊は、燃えさかる炎の中に入り、永遠の裁きが続く。
 生きている義人たちと善人たちに向かってこう言え。「われわれはあらゆる難儀を体験した。精根尽き果て、気力も衰えた。われわれは滅びた。言葉と行ないをもってわれわれを助けてくれる者はいなかった。救われる望みもなく、頭になるつもりがしっぽになり、難儀して働いても苦労は報われず、罪人の食い物にされ、乱暴者はわれわれの軛を重くした。われわれは、自分を憎む者に頭を下げたが、彼らは情けをかけてくれなかった。彼らから逃れたいと思っても、逃れる先がなかった。悲惨の中から訴えても、訴えは無視され、われわれの声を聞いてくれる者はいなかった」(104章)。
義人たちよ、わたしはあなたがたに誓う。あなたたちの名は、大いなる方の前で、覚えられている。あなたたちの名は、栄光のまえに書きとめられている。あなたたちは空の光のように輝き、みんなの前に姿を顕わし、天の門は、あなたたちのために開く。あなたたちの叫びを、裁きを求め続けよ。それはきっと実現する。希望を持て。希望を捨てるな。あなたたちはみ使いたちのような大きな喜びに浸る。義人たちよ、罪人が威勢をよくしても恐れるな。彼らの不法から遠ざかれ。天の軍勢にくみせよ。罪人たちの罪はすべて毎日記録されている。心の中で不義を犯すな。嘘をつくな。真理の言葉を変えるな。聖なる大いなるお方の言葉を虚偽だと言うな。義人たちと賢者たちには、書が与えられ、喜びと真理と豊かな知恵のもととなるであろう(104章)。
その時、地の子らを呼び寄せて、知恵について教え聞かせてやるがよい。あなたたちは彼らの道案内ではないか。わたしとわたしの子らは、真理の道において、永久に彼らと一体となる。あなたたちには平安がある。喜べ、真理の子らよ。アーメン(105章)。
■(7)ノアの誕生:106〜107章
 エノクの子メトセラは、その子ラメクに嫁をとってやった。男子が生まれたが、体は雪のように白く、またバラのように赤く、髪の毛は羊毛のように白く、眼は美しく、目を開けるとそれらは太陽のように照らした。そこで天にいる先祖エノクに、この子はどんな子かを尋ねると、エノクはこう答えた。「主は地上に新しいことをなさろうとしている。天使の中のある者たちは主の言葉に背いた。彼らは女たちと交わり、霊のものではない肉の巨人を産むだろう。地上に滅亡が臨み、大洪水が起こる。しかしその子は、彼の3人の子と共に助かる。その子をノアと名付けよ」(106章)(107章もほぼ同じ内容)。
■(8)エピローグ:108章
 エノクが、終わりの時に掟を守る者たちのために著わした別の書。悪をなす者どもが消される日を待ち望むあなたがたに告げる。悪をなす者の名前は、聖者たちの書から削られる。彼らの霊魂は、赤々と燃える炎の中で叫び、泣き、激しく苦悩する。しかし、天にその名前が記されている者たちは、悪人に辱められた霊魂で、彼らは神を愛して、この世のよいものを愛さず、その体を拷問に委ね、自分を過ぎ去る風と見なした。主は彼らを様々な試練に逢わせたが、その霊魂の浄さは証明された。現世での命よりも天を愛する者であることが分かった。主は彼らを輝く光の中へ導き出し、一人一人を栄誉の座に坐らせる。彼らはいつまでも燦然と輝くであろう。義人たちが輝く一方で、闇の中に生まれた者が闇の中に投げ込まれるのを見るであろう。彼らは、その処罰の日と時とが書き記されている場所へ立ち去る(108章)。

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