5章「光と闇」と悪の起源
■明るさと暗さ
単純な言い方をすれば、バビロニアで重んじられたのは星座であり、カナンでは月であり、エジプトでは太陽でした。バビロニアの都市は、それぞれ異なる星座の形に基づいて創られていました〔エリアーデ (1) 67〕。エジプトでは、第18王朝の時代に(前1540〜1070年頃)、太陽神アメン=ラーが唯一の至高神として、また宇宙の創造者として賛美されていました〔エリアーデ (1) 115〕。例えばカイロの博物館で、わたしたちは5000年前に建造された王の遺骸を運ぶための「太陽の船」を見ることができます。これに対してカナンでは、太陽は「天を照らす」ものであり、月は「地に豊穣をもたらす」ものとされていました〔TDOT(1)149〕。
イスラエルは、これら周辺の民に影響されながらも、太陽に対しては、かなり特殊な見方をしていました。「オール」(光/明るさ)というヘブライ語は、カナンのウガリット語から出た言葉で、「明るさ」を表わしますが、イスラエルでは、太陽それ自体が重視されることはありませんでした。雨の少ないイスラエルでは、太陽は暑さと日照りをもたらすことから、月よりも「劣った」存在だと見なされたようです。太陽については、むしろ「照らす」という動詞の形で、その働きを言い表わすことが多かったのです。これに対して月のほうは太陰暦の基として豊穣をもたらすとされました。実際農耕には、太陽暦よりも太陰暦のほうが具体的な季節を知る上で便利だったようです(日本の農村でも今なお太陰暦による祭りが行なわれています)。したがって季節は太陽の運行ではなく、月の満ち欠けによって判断されていたのです。
イスラエルの特徴は、なによりも、「明るさ」と「暗さ」を太陽と区別して見ていたことにあります。「明るさ」と「暗さ」とを天体から区別するというこの発想は、わたしたちには分かりにくいのですが、太陽が姿を見せる前から「明るさ」が訪れ、太陽が雲に隠れて見えなくても「明るい」という素朴な発想がその基にあったとも考えられます〔TDOT(1)152〕。したがって、太陽は、昼の明るさと夜の暗さとを分かつ「しるし」と見なされていたのです(創世記1章14節)。だから「光あれ」(創世記1章1節)という最初の神の言葉は、直訳すれば「明るさが生じよ」、すなわち「明るくなれ」と訳すことができます。この場合の「明るくなれ」は、暗さが去って明るくなることで、「暗さが明けよ」という意味です〔TDOT(1)156〕。例えば、コヘレトの言葉12章2節に「太陽が闇に変わらないうちに・・・・・」〔新共同訳〕とありますが、これを直訳すれば「太陽と光と月と星々とが暗くならないうちに」となります。ここでは「太陽」と「光」とが区別されているのに注意してください(英訳では“before the sun and the light and the moon … ”〔NRSV〕)。ここでいう「光」は、太陽とは区別された「昼の明るさ」を指しています(“the light of day”〔REB〕)〔TDOT(1)155〕。
太陽と月から切り離された「明るさ」と「暗さ」は、このような「明暗」が、比喩的、あるいは隠喩的な意味を帯びる傾向があることを意味します。だから「夜/暗さが明ける」とは、「暗い」状態が去って物事が「明るくなる」ことを指すのです。こういう比喩的な「暗さ」と「明るさ」は、特に支配者たちの圧政に苦しむ人たちにとって、圧政の「闇」が去って、神による救いの「光明」が訪れることを意味したのです。だから神は、「光/明るさ」だけを「よい」としたのでしょう(創世記1章4節)。わたしたちは、明暗のこのような隠喩的な発想をイスラエルの出エジプト体験にも見ることができます。エジプト全土を暗闇が襲った時に、「イスラエルの民には明るさがあった」とあるのも、このような「明暗」の見方から出ています(出エジプト10章21〜23節)。古代イスラエルでは、水も風も宇宙のどこかの「倉」に蓄えられていて、それが時に応じて「放出される」と考えられていましたが、同様に、「明るさ」と「暗さ」も、太陽とは別に、宇宙のどこかの「倉」に入っていると考えたのでしょう〔TDOT(1)156〕。「太陽が七日分の(昼の)明るさを集めたように照らす」(イザヤ30章26節)とあるのもこの考え方から出ています。『第一エノク』91章16節に「先の天は姿を消して過ぎ去り、新しい天が現われ、天の全ての(輝きの)力は世界を七倍の明るさで照らすであろう」とあるのも、イザヤのこの言葉を踏まえています。神の救いは「み顔の明るさ」で表わされます(詩編4篇7節)。これは、神の顔が、ちょうど太陽と同じように「発光する」ことではありません(箴言16章15節/ヨブ29章24節を参照)。太陽の存在を必ずしも意識することがなくても、救いの光明が暗さを追い払うのです。
具体的な「光」それ自体が「救い」と見なされるのは「灯火」のほうです。御言葉が発する啓示の輝きが、「導きの灯火」となるのです〔TDOT(1)160〕。だから灯火は、幸いと繁栄を象徴するものでした。イスラエルの祭儀には欠かせない燭台(メノラー)の灯火が、これにあたります(詩編18篇29節/箴言13章9節/ヨブ18章5〜6節)。
このような「明暗」の有り様について、ここで確認しておきたいのは、「光」と「闇」とが、比喩的な意味を帯びる場合には、それが「善い」「悪い」という価値観を伴うことです。さらに言えば、「光の子」「闇の子」とあるように、明暗が人間存在の倫理的な有り様をも含んでいることです。「明暗」が「昼と夜」を意味する場合は、空間的だけでなく、そこには時間的な発想をも伴いますから、「光と闇」は、空間と時間との両方を併せ持つ時空一如の世界を表わすことに注意してほしいのです。このような隠喩的な明暗に伴う価値観あるいは倫理性は、「暗い時代」「明るい世界」のように、「時代」あるいは「世の中」とも結びつくことができます。新約聖書にもしばしば表われる「闇の世/時代」あるいは「光の世界/時」という言い方は、イスラエルのこのような明暗の意識と深く結びついていることをここで確認したいと思います。
■律法と知恵の光
わたしたちはここで、人間の倫理的、宗教的な生き方として「光に歩む」という言い方に注目したいと思います。この言い方は、光が律法(トーラー)と同一視されるようになったこととも関連します〔TDOT(1)162〕。逆に言えば、律法の光なしには、人は暗闇の中をさまようことになります。
律法と並んで光と結びつくもう一つの言葉が「知恵」です。知恵思想は、古代エジプトの影響を受けて、ダビデ王朝の時代に、特にソロモンの宮廷において重要視されました。しかし、知恵思想がほんとうの意味でイスラエルの宗教に大きく関わるのは、捕囚以後になってからです。「知恵」(ヘブライ語「ホクマー」/ギリシア語「ソフィア」)が、人びとを教え導く「啓示の光」と見なされるようになったからです。「知恵」と「律法」とは必ずしも同じではありません。「知恵」は時には「律法」と対立する場合さえあります。しかし「知恵」が、神の御心を知るために「律法を解釈する」重要な働きをすると考えられるようになって、知恵は律法と切り離すことができなくなりました。
わたしたちは、律法が灯火あるいは光となる例を箴言6章23節に見ることができます。ここでは律法を「正しく解釈する」ことが、人の理解と知識とを教え導く「知恵の光」なのです。律法と光とが一つになっているよい例が詩編119篇です。ここでは、御言葉は「わたしの足の光、わたしの歩みを照らす灯火」(119篇105節)です。ここでの光は、先の「明るさ」よりもいっそう倫理性を帯びた人の歩み方を指していて、灯火の持つ具体性が、光そのものへと抽象化されていく過程をここに見ることができます。英訳では、“a lamp to my feet, a light on/to my path”〔REB〕〔NRSV〕となっていて「灯火」と「光」の両方の意味が込められています。119篇130節では御言葉が光を発する啓示です(“Your word is revealed, and all is light. ”〔REB〕)。ここでは御言葉の灯火/光は、人間を「照らして」正しく導く「知恵と知識の光」であり、これに対して、暗闇は「愚かさ」となるのです〔TDOT(1)162〕。「光/灯火」はこのように、「律法の光」として「知恵の光」と並行して用いられていますが、言うまでもなく、「律法の光」も「知恵の光」も、先に述べたように、人間存在の宗教的、倫理的な状態を全体として表わす「明るさ」と「暗さ」と関連しています。ここでわたしたちは、神の律法を「正しく」解釈するためには、「知恵の光」が不可欠であることを確認しておきたいと思います。
■知恵から黙示へ
先に、光は太陽と直接には結びつかないと言いましたが、このような太陽と光に対する見方に変化が生じるのはエゼキエル書(エゼキエル1章15〜21節)からです。そこにでてくる輝く車輪は、バビロニアの太陽神がその背景にあると言われています〔TDOT(1)165〕。しかし、この場合でも、神の顕現は、太陽や光それ自体を指すと言うよりも、「明るさ/輝き」が、移動することによって「来る」こと、すなわち「顕現」と「明るさ」とが、「来る/動く」という動詞を伴っていることに注意しなければなりません。この場合の「来る」あるいは「動く」という移行は、これを直ちに「太陽が昇る」ことと結びつける必要はないでしょう。そうではなく、「主の栄光」(エゼキエル1章28節)が、車輪のように顕現することによって、「暗さが明ける」ことを指すのです(イザヤ58章8節)。これを逆に言えば、罪人たちは、その明るさに背を向けて、むしろ暗さの中に「留まろう」とするのです。
ただしこの段階では、「暗さ」から「明るさ」への移行によって、「人間の存在それ自体が根源的に変容する」という発想はまだありません。「明るさ」は「知恵/知識」に、とりわけ「新しい」知識や知恵に照らされること、すなわち「啓示」を意味します。ところがこの「啓示の光」が、同時に、この啓示を取り囲む「暗さ/闇」をも映し出す働きをするのです。政治的な比喩で言うならば、救いと解放の「啓示の光」が、逆に世の権力者たちによる圧政と抑圧を暴き出す結果を生じるのです。その結果、知恵の働きによる新たな啓示が、闇の力による新たな抑圧をもたらすという、明暗二つの逆説的な関係が浮かび上がることにもなります。啓示がこのような段階にいたる時に、「知恵」は「黙示」へと変容します。しかもその中から、闇を克服する新たな知恵が再び生まれ出るのです。このようにして、明るさと暗さ、光と闇との絶えることのない相克の過程が形成され、このような相克が織りなす時空の移り行きを通じて、霊的な啓示の歴史が進行していくのをわたしたちは観るのです。
■ペルシアの影響
ここで、イスラエルに与えたペルシア思想の影響を一瞥しましょう。イスラエルを捕囚から解放したペルシア帝国の思想は、捕囚以後のイスラエルにも影響を及ぼしました。ペルシアの宗教には、「(宇宙的、倫理的、宗教的な)二元論体系の区分、救世主の神話、高度な『楽天的』終末論、善の究極的勝利と宇宙の救済の宣言、死者の復活の教義」〔エリアーデ (1) 350〕などを見ることができます。ペルシア帝国を含むイラン系の宗教は一般に「ゾロアスター教」と呼ばれますが、これは、主神アフラ・マズダを崇拝するところから「マズダ教」とも言われ、また神殿の火を崇めることから中国では「拝火教」とも呼ばれました。聖典は『ガーサー』で、開祖のゾロアスター(ザラスシュトラ/ザルドシュト)によって書かれたとされていますが、確かではありません。
ゾロアスターは前1000年から前600年の間の人と言われますが、さらに前628〜551年に限定する説もあります。彼は、それまでのイランの宗教、特に祭司による犠牲獣の献げ物を批判することによって宗教改革を行なったと言われています〔エリアーデ (1) 353〕。ゾロアスターは、宇宙の創造に関心を寄せて、まず「だれが太陽と星々の道を定めたのか?」と問うことから始めて、人の魂がいかにして善を全うできるのかを知ろうとしたのです〔エリアーデ (1) 354〕。彼はアフラ・マズダと一体になる神秘体験を与えられますが、その信仰は、神秘的な方向を目指すのではなく、「この世でのあり方」を更新するのがその主たる目的であったと思われます〔エリアーデ (1) 355〕。だから彼の終末観もこの視点から観なければならないでしょう。終末には、救済主が到来し、火と溶けた金属による審判が行なわれ、義人は益を与えられ、不義な者は滅びます。イランでは、世界の更新をもたらすとされる祭儀が年ごとに行なわれていましたが、ゾロアスターは、終末における一度だけの「更新」を説いたようです。
ゾロアスターの神秘体験は、中央アジアのシャーマンの特徴を帯びていると言われています〔エリアーデ (1) 357〕。人間は、聖なる霊(スタンプ・マンユ)と悪霊(アンラ・マンユ/アングラ・マイニュ)とのふた種類の霊の間で選択を迫られますが、実はそのどちらも主神アフラ・マズダの支配の下にあって、終末には善なる霊が勝利し、悪は消滅します。その時には、死者が復活し裁きを受けて、ある者は天国へ、ある者は地獄へ送られることになりますが、一方で、人の魂は、火によって浄化されることで不死を獲得することもできます。この宗教では、人間存在をめぐる善と悪との二つの霊の間で対立が生じることになります。しかし主神アフラ・マズダは、善霊とひとつではあっても、悪霊をも支配していますから、この宗教は必ずしも透徹した「二元論」とは言えません。
イランの宗教はインドのそれとも関わっていますが、犠牲の献げ物を伴う火の祭壇が、祭儀の中心となります。マズダ教の「知恵」の働きによる祭儀的で終末的なこの宗教は、インドのバラモン教よりも個人主義的な傾向が強かったようです〔エリアーデ (1) 364〕。ペルシア帝国のマズダ教は、新年の更新、終末と裁き、身体のよみがえりなどを含んでいて、終末的で宇宙的な次元をも含む宗教です。しかし、光と闇の二元性が、必ずしも絶対的な区分だとは考えられていなかったようです。
このペルシアの宗教が、捕囚以後のイスラエルの宗教にどの程度まで影響を及ぼしたのかを見極めるのは難しいのですが、その影響は、従来考えられていたよりも限定的なものと見るべきでしょう〔TDNT(9)317〕。黙示思想に観られる本格的な光と闇の二元性は、むしろ捕囚以後のユダヤ思想の中で芽生えてきたと見ることもできるからです〔TDNT(9)325〜26〕。イスラエルの伝統的な律法に基づく倫理的な啓示、知恵の普遍性がもたらす明るい啓示、宇宙論的な黙示がもたらす暗い啓示、律法と知恵と黙示というこれらの三つが、捕囚以後のユダヤ教で出合い、ここから、新たなイスラエルへの啓示が創り出されていくことになるのです。
■「ノア書」の概要
先にわたしたちは、エノク・グループが、バビロニアからペルシアにいたる太陽暦を採り入れることによって、イスラエルの宗教と文化を革新しようとしたことを見ました。そこでわたしたちは、ペルシア時代の後期からギリシア系の君主たちのユダヤ支配の期間に、ペルシアとヘレニズム思想との影響を受けて成立したイスラエルの黙示思想についても考察しなければなりません。このためにはまず、黙示思想の発端となる「悪の起源」、特に天使たちの堕罪と、そこから結果する悪霊どもについて知る必要があります。
わたしたちはここで『第一エノク書』の「天使たちの堕罪」に入るのですが、これの聖書的な言及は、創世記6章1〜6節にあります。ただし聖書のこの箇所は、ほんらい天使たちの堕罪を記した記事ではありません。むしろ、「大昔の名高い英雄たち」(6章4節)に言及していると考えられます。しかし、この部分が「天使の堕罪」と関連づけられるようになったのは、ここがノアの洪水の直前に置かれていることと深く関係しています。
『第一エノク書』で、ノアに関係する部分は一般に「ノア書」と呼ばれていますが、この呼び方は、『第一エノク書』の6〜11章/65〜67章/83〜84章/106〜107章にあるノア伝承の部分を総称した言い方です。『第一エノク書』で特に天使たちの堕罪と彼らへの裁きを中心に扱っているのは「見張りの天使たちの書」(6〜36章)です。その中でも、とりわけ天使たちの堕罪に直接関わるのは6〜8章でしょう。
ここで煩をいとわず、ノアの洪水と天使たちの堕罪に関わる記事をまとめてみます。見張りの天使たちは、ほんらい人間の見張り役であったのに、人間の女たちと通じて巨人たちを生むことによって堕罪したことが語られます。これら堕天使たちの筆頭にはシェミハザとアサエル(「アザゼル」〔村岡訳〕という読みもあります。第6章参照)がいて、200名の天使たちが彼らに続きます。彼らは、ほんらい人間を教え監督する「見張り役」だったのですが、女たちに魅せられて、肉である人間と通じて、その結果、人間に伝えてはならないと禁じられていた知識、すなわち金属(武器など)、染料、医術(薬草)、装飾品、天体のしるしを観る占星術や天文の知識を人間に教えたのです。彼らと女たちの間に生まれたネフィリム(巨人)たちは、お互いの血をすすり、人間たちを食らい、ネフィリムによる暴虐が地に満ちます。ガブリエルとミカエルとラファエルたちがこの有様を主なる神に報告すると、神は、大洪水が起こって地に終わりが来ると告げるのです。
堕天使アサエルは、神から遣わされた天使たちによって縛られ、終末の審判の時まで暗闇に閉じ込められます。また、シェミハザたちは、永遠の審判が終わるまで「丘の下へ」つながれます。堕罪した人間たちは大洪水によって滅ぼされ、堕天使たちの子らは火の拷問にかけられます。ここでエノクは、地上に人間の一部を生き残らせてもらうよう神に懇願します。こうして裁きが行なわれる終末の時には、正義と道理の木が生えて、地は豊に実を結び、人びとは老年まで安らかに暮らす時が訪れるのです。その時、人の子らは全て正しくなり、全ての民が主を崇め、天は祝福の倉を開け、平和と道理がひとつになるのです(6〜11章)。
ここでノアが登場します。彼は父祖エノクから、堕罪したみ使いたちの全ての秘密、サタンどもの全ての不法、魔術を行なう者の全ての力、悪魔払いの全ての力、鋳物で偶像を作る者の全ての力を知らされます。堕天使たちには悔い改める可能性がありません。ただノアとその末裔だけが、義をもって栄光の地位に定められるのです。エノクはノアに、懲罰のみ使いたちが地下水の力で裁きを行なうのを見せます。み使いたちが、堕天使たちを金と銀、鉄と錫などの山に閉じ込めると、山に水が泡立ち、火の川が流れ、硫黄の臭いがたちこめます。硫黄が水と混合して燃え出すのです。水の温度が変わると水が転じて火となり、堕天使たちが裁かれ、「肉体の情欲に信頼をおき、主の霊を拒んだゆえに」大地の住民たちと支配者たちが裁かれます(65〜67章)。
エノクの父祖であるマラルエル(マハラルエル)は、孫のエノクに、地はやがて亀裂の中に沈み、完全に滅びる夢と幻を見たことを語り、「地上に一部を生き残らせてもらう」ために神に懇願するように告げます。そこでエノクは、「太陽の運行を定めた」裁きの主を崇めて祈ります(83章)。さらにエノクは、「天が崩れ、ばらばらにちぎれて地上に落ちてくる」のを見て、自分が見た幻をメトシェラに語ります。エノクの子メトシェラは、その子レメクに嫁をとります。男子が生まれると、その子はバラのように赤く、髪の毛は羊毛のように白く、目を開けるとその眼が太陽のように照らします。そこで天にいるエノクに尋ねると、エノクはメトシェラに「地上に滅びが臨み、大洪水が起こる。しかしその子は、彼の3人の子とともに助かる。その子をノアと名付けよ」と告げます(106章)。
以上が、『第一エノク書』の中の「ノア書」の概要ですが、ここには天使の堕罪と悪の起源、これに伴う彼らへの裁きが語られています。わたしたちは創世記で、罪と悪の起源が、楽園に忍び込んだ蛇がエヴァを誘惑したことに始まるのを知っていますが、この蛇とはいったいなんなのか? その正体は聖書では明らかされていません。おそらくこの曖昧さのために、創世記6章1〜6節にでてくる天使と人間の女との結婚とネフィリム伝承が結びついて、悪の起源が天使の堕罪に始まるという解釈が生まれたと考えられます。『第一エノク書』(エチオピア語エノク書)には、楽園を脅かす蛇はでてきませんが、その代わりに堕天使の頭目アサエルとシェミハザが登場し、彼らを初め、200名の天使を率いる20名の首長たちの名があげられています。
■「見張りの天使たちの書」
「ノア書」の概要について述べましたので、これから「見張りの天使たちの書」(『第一エノク書』1〜36章)に入ることにします。天使たち、すなわち見張りの天使たちの反逆は、「見張りの天使たちの書」の中核をなすテーマです。「見張りの天使たちの書」は、罪の起源と邪悪の原因について語るものですが、この書は、罪の起源を天(の神の宮廷)におけるある種の反乱/動乱にあると見ているようです。天において動乱が生じたという見方は、ヘレニズム思想、特にギリシア神話の影響が背後にあるのではないかと思われます。ここでは、「罪」が、天の見張りの天使たちによる「神の至高権/王権への反逆」という形で表われます。彼らの罪は邪悪を生み、暴力/暴虐と殺人/流血、性的淫行、知的な堕罪、宗教的な誤謬がこれに伴います。暴力は戦乱を惹起し、性的淫行は近親相姦と偶像礼拝を伴い、知的な堕罪は魔術をもたらし、宗教的な誤謬は、被造物に頼って物事の前兆を予知する占いとなって現われます。これらすべての結果として生じるのが「大地の汚染」です。こうして、天使たちの反逆が神の創造する宇宙の秩序を汚し/歪めるのです。
■創世記との関係
「見張りの天使たちの書」の中でも、特に6〜11章には、創世記6〜9章と、その用語と内容で共通するところが多々あります。主なところだけを指摘しますと、まず見張りの天使たちの反逆行為を語る『第一エノク書』6章1〜2節/7章1節前半と創世記6章1〜2節との内容が一致します。『第一エノク書』7章2〜5節も創世記6章4節と明らかに共通しています。また堕罪の暴力を訴える『第一エノク書』7章6節/8章4節と創世記4章10〜12節も内容的に共通します。神が堕罪の結果を知って天使たちを遣わす『第一エノク書』9章が、創世記6章11〜12節の記事に基づいているのは明らかです。ノアについては、『第一エノク書』10章1〜3節が、創世記6章9節/同17節/同7章1節から出ているのが分かります。
用語と内容のこれらの共通点から、創世記6章の記事は、『第一エノク書』(6〜7章)を要約したものだと見る説もあります。しかし、逆に『第一エノク書』のほうが、創世記の物語を拡張したというのがおおかたの見方です〔Nickelsburg(4)166〕。ただし、両者が共有する伝承/物語が先に存在していた可能性があります(これにはギリシア神話の影響が考えられます〔関根(注)165〕)。創世記6章1〜4節は、ノアの洪水を引き起こす原因として洪水の前に置かれていると思われますが、内容的に見るとこの部分はその前後から孤立していて、これだけが独立した資料から出ている印象を受けます。これに比べると、『第一エノク書』では、天の見張りの天使たちが人間の女たちと交わる行為とその結果が、「見張りの天使たちの書」全体の中心的な位置を占めています。
また、『第一エノク書』7章14節では、義人たちは滅びを免れて長寿を全うするとありますが、創世記11章10〜25節の系図では、寿命が子孫にいたるにつれてだんだん短くなっています。特に、『第一エノク書』の10章16節〜11章2節には、一切の禍と苦難が過ぎ去って、永遠の平和が訪れるとあります。創世記9章でも、新たな地の創造と新しい契約が語られていますが、それが終末的な平和の到来とは見なされていません。この違いは、後で述べるように、「見張りの天使たちの書」を理解する上で大事な点です。特にこの書は、巨人たちの誕生と彼らの暴虐を強調しています。創世記に比べてこの書の特徴を以下にあげると、
(1)巨人たちは、半~半人の性格を帯びていて、野獣のような暴虐を行ない、人間とは区別された悪霊的な存在の元凶とされています。人類を苦しめる悪霊どもによって、人間は罪の違反者と言うよりは、罪を作り出すための手段と見なされています(15章7〜10節)。
(2)堕落天使たちと彼らの子孫である巨人たちは、肉欲的な淫行と神への反逆を人間をも含む子孫へ伝え、これを通じて自然と大地そのものを汚染します。
(3)堕落した天使たちのもたらした罪とその結果は、人間が制御することのできない領域での出来事であり、人間は罪と暴虐に対しては全く無力であることが示されます。ただし、「見張りの天使たちの書」全体としては、最終局面で、天での反逆よりも人間の責任を重く観るようになり、エノクは天の旅において、義人と悪人に対する報いを目撃することになります(22〜27章)。
(4)シェミハザ伝承では、天の存在であるはずの天使シェミハザが、人間と性的な交わりをもつことで天と地との境界を侵すことで暴虐を惹起させます(15章3〜7節)。彼はまた天に属する秘密を明かすことで、武器製造のための金属と鉱石、性的誘惑のための化粧品と宝石類などを人間に教えます。さらに、魔術によって未来を変えようとする力を人間に吹き込むのです。
(5)アサエルは、見張りの天使たちによる謀反と反逆の首謀者の一人ですが、彼はシェミハザをも凌ぐ存在として、反逆への事実上の指導者とされています(8章1節/9章6節/10章4〜8節)。
■創世記の「神の子たち」
「ノア書」と「見張りの天使たちの書」について述べましたから、ここで、創世記と「見張りの天使たちの書」にでてくる幾つかの用語を説明したいと思います。
ノアの箱船と洪水に先立つ聖書の箇所で、天使の堕罪との関係で特に問題にされるのは創世記6章2節です。2節には、「神の子たち」が「人間の娘/女たち」を見て美しいと思い、それぞれ自分の妻とした、とあるように、「神の子たち」と「人間の女たち」との結婚が語られています。では、ここで言う「神の子たち」とは、どのような者たちのことでしょうか?
創世記6章2節に「神の子らは、人の娘が美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした」とあります。ここで「神」とあるヘブライ語の「エロヒーム」は、「エール」(力/権威)の複数形ですが、一神教の聖書では、この複数は権威と力を表わすための強勢的な複数形として理解され、「エロヒーム」を単数扱いで「神」と訳しています。しかし古くは、この複数形は、単なる強勢ではなく、「神々」の意味で用いられていました。日本神話の出雲の神々でも同じですが、神々は集まって「神の会議」あるいは「神々の会議」を開きます。この会議を構成する神々を古くは「ベネ・ハエロヒーム」(神々の子たち)と呼んだのです。この原意にさかのぼって訳すなら、創世記の「神の子たち」は、「神の」子たちではなく、「神の子」たちとなりましょう。これは、カナン宗教の多神教的な「神の子」たちにあたるもので、ヤハウェも、その昔はギリシア神話の最高神ゼウスのように、神々に囲まれていたことを示唆するものです〔ラッセル(1)187〕。
詩編29篇1節にも「ベネ・エリーム」とありますが、ここは「神の子ら」〔新共同訳〕という意味でしょう。しかし、ここでも“the sons of God”の意味だけでなく「神々の子たち」“the sons of the gods”の名残を読み取ることができます。詩編29篇の「主」は、ほんらい「ヤハウェ」ではなく「バアル」であったという説もあります〔TDOT (2)157〜59〕。全く同じ言い方が詩編89篇7節でも使われていますが、こちらは「神々の子ら」〔新共同訳〕と複数に訳されています。これが原意に近いでしょう。また「べネ・ハエロヒーム」は、ヨブ記1章6節/同2章1節では、「神の使いたち」〔新共同訳〕と訳されていますが、ここでの「神の子たち」は、主なる神に完全に服従する「神のみ使いたち」のことです。
ダニエル書3章25節の「神の子」〔新共同訳〕とある原語は「バル・エラヒン」で、これは「神が遣わす御使い」を指すと言い換えられています(同28節)。しかし、これはネブカドネツァルから見た言い方であって、ここにも「神/神々の子」という原意が含まれています。英訳では“ the appearance of a god”〔NRSV〕〔REB〕「神の姿をしている」とあり、欄外の読みに「アラム語で“a son of the gods”」と注してあります。この語は、ヘブライ語で「ベネ・ハエロヒーム」(神々の子たち)に属する者のひとりで、神の宮廷に所属するメンバーのことですから、神の代理として派遣された者を指すというのが正しい意味でしょう〔Porteous 61〕。英訳はさらに踏み込んで、ここに神自身の臨在を含めているのかもしれません。新共同訳の「神の子」という訳は七十人訳の読みに従ったのでしょう。ただし「ベン」(子たち)が「ヤハウェ」と結んで「ヤハウェの子」あるいは「ヤハウェの子たち」となることは決してありません〔TDOT (2)157〜59〕。このように、「ベネ・ハエロヒーム」は、一神教のヤハウェの周辺に影のように付きそう「神々」「諸霊力」「天使たち」を構成しているのが見えてきます。このことは、黙示思想を見ていく上でとても重要な意味を持つので注意してください。
以上で分かるとおり、創世記6章の「神の子たち」の用法は、カナン系の「神々のグループ」から来ている多数の神々を伝承として含んでいるのは間違いないでしょう〔TDOT (2)157〜59〕。ウガリット語系の伝承では、「神の子」たちは、人間の英雄たちを指します。創世記6章でも同様なのは、「大昔の名高い英雄たちであった」(6章4節)とあることから分かります。だとすれば、人間の英雄である「神の子」たちが、人間の娘たちと結ばれてもなんら不思議はないことになりましょう。「神の子たち」と「人間の娘たち」との間に区別がないと考えられるからです〔Wenham 6:1〕。したがって、彼らの間に生まれたネフィリム(巨人)たちも同様に勇者や英雄を意味していたことになります。
ただし、「神の子たち」を敬虔な民の意味にとって、これを創世記5章3節の「セト」の子孫と関連づける説もあります〔TDOT (2)157〜59〕。こういうわけで、「神の子たち」は、(1)英雄や王者たち。(2)敬虔な人たち。(3)神々、天使、霊力。これら3通りに解釈されています〔Wenham 6:1〕。しかし、それらのどれも、「ノア書」に見られる天使の堕罪説を生じる直接の根拠にはならないと考えられます。
聖書では、ここのネフィリム(巨人)伝承が、洪水物語のすぐ前におかれていること、またギリシア語七十人訳が、ヨブ記の「ベネ・ハエロヒーム」を他の箇所では「神のみ使いたち」と訳しているのに、創世記6章2節だけは「神の子たち」としていること、このような事情から、創世記6章2節の「神の子たち」を異教の神々と解釈して、これらを悪霊と結びつけることで天使の悪霊化伝承が生じたと見ることができましょう。ただしこれとても付帯的な理由であって、堕天使伝承を生み出す直接の原因あるいは動機は、やはりエノク・グループの世界観が、このような聖書解釈を促したからだと見るのが正しいと思われます。では、『第一エノク書』の天使たちの堕罪の直接の原因とは、いったいなんでしょうか?
■「見張りの天使たち」について
「見張りの天使たち/見張りの者たち」"The Watchers" という言い方は、「寝ずの天使と聖なる者」あるいは「聖なる見張りの天使(たち)」という言い方から出ています(第一エノク1章2節/22章6節/93章2節)。この言い方はさらに「見張りの天使、そして聖なる者」ともなります(12章2節)。英訳では"the watcher and holy one"〔Nickelsburg(3)〕です。「そして」とあるのは、別の天使たちのことではなく、「見張りの天使たち」と「聖なる者たち」とが同一であることを指します。ダニエル書の「聖なる見張りの天使」(ダニエル4章10節/同20節)という呼び方もこれと同じです。通常、天の者たちは「天使たち」(ギリシア語「アンゲロイ」/エチオピア語「マラエクト」)と呼ばれますが、時には「天のみ使いたち」「天の見張りの天使たち」となり、また「見張りの天使たち、天の子ら」(第一エノク6章2節/14章3節)にもなります。
彼らは「聖なる」とあるように神に仕える天使たちのことです。ところが、『第一エノク書』では、特に6〜16章において、ギリシア語「エグレーゴロイ」(天使たち)が「反逆の天使たち」を指す場合が多いのです。例えば12章4節には「地上で堕落しきった生活をしている天の見張りの天使」〔村岡訳〕とあります("the watchers of heaven---who forsook the highest heaven, the sanctuary of their eternal station, and defiled themselves with women "〔Nickelsburg(3)〕)。『第一エノク書』の原語とされるクムランのアラム語では「イリーン」は「天の者たち」のことであり、同時に「見張りの天使たち」をも指しています。エチオピア語で「天使」とあるのは、クムランのアラム語で言う「見張りの天使」のことです。だから、クムラン文書で「見張りの天使たちで聖なる者たち」とあるのは、特に堕罪しないほうの天使たちを指しているのでしょう。したがって、「天の見張りの天使たち」は、「聖なる見張りの天使たち」と「堕罪した見張りの天使たち」との両方にまたがる中立的な用法だと考えられます〔Nickelsburg(4)Excursus:The Watchers and Holy Ones.140〜41 〕。
このように、「見張りの天使と聖なる者」「見張りの天使たちと天の子ら」は、「見張りの天使たち」を限定する言い方であって、彼らは天の宮廷のメンバーたちだと見ることができます。天の宮廷の者たちは、一般に「天の子たち」とも「聖なる方の見張りの天使たち」とも呼ばれますが、後のほうの呼び方は、特殊な役目の天使たちであったと考えられます〔Nickelsburg(4)140 〕。先に述べたように、創世記6章2節の「神の子ら」も天の者たちを指しています。ただし、黙示思想では「神の子」は、堕罪の天使をも含みますから、必ずしもよい意味だけではありません。ペルシア時代以後にパレスチナの支配者となったヘレニズムの王たちも自分を指して「神の子」と自称していましたから、「神の子」は、こういう暴君への批判を込めて用いられることもあったのです(この場合の「神の子」は「人の子」と対照されます)。ただし、神に従う人間のことを「神の子」と呼ぶ場合があり(知恵の書5章5節)、この言い方は新約聖書へと受け継がれます。以上見てきたように、黙示思想では「神の子」も「(天の)見張りの天使」も多様な意味で用いられますので注意してください。
■天の宮廷の天使たち
上に述べたように、アラム語の「イール」(単数)(ギリシア語「エグレーゴロス」)が天の存在を表わすのであれば、いったいそのほんらいの意味は何だったのでしょうか? この原語の正確な意味は「眠らない者」「夜を通して見張る者」のことです。したがって、この者たちはおそらく、天にあって神を賛美する天使たちか、あるいは神の王座の周りを24時間警護する天使たちのことを指すと考えられます。
『第一エノク書』20章1節には「見張りの天使をつとめるみ使いたち」"holy angels who watch"〔Nickelsburg(3)〕とありますが、彼らは、宇宙全体を監視する7名の「聖なる見張りの天使たち」のことです。天上にあって宇宙の「季節」(太陽、月、星星の運行のこと)を司る天の見張りの天使たちは、天使の指導者たちです(82章10節)。また、9章にでてくるミカエル、ガブリエル、ウリエル、ラファエルの四天使は、特に義人たちの守護天使です。主天使であるミカエルは、終末的な大祭司で、汚れた地をきよめる役目を負っています。ウリエル(「神の光」の意味)は、星星の動きを監督し無数の天の存在をエノクに教えます。
これらの聖なる天使たちには、天と地とを結ぶ/仲介する役割が与えられていますから、聖なる四天使たちは、地上で圧政の下にあって苦しむ民のために、彼らの訴えを神に伝えるのです。なお、20章6節には、これらの天使たちと並んでサラカエル〔村岡訳〕/サリエル"Sariel"がでてきます。彼は、「霊魂を罪に誘う人の子らの霊魂を見守る」〔村岡訳〕"Sariel, one of the holy angels, who is in charge of the spirits who sin against the spirit"〔Nickelsburg(4)294〕役目をします。この「霊魂を罪に誘う霊魂」"the spirits who sin against the spirit"とあるのは、新約にでてくる「聖霊に対して罪を犯す/聖霊を冒涜する罪」(マルコ3章29節他)へつながると考えられます〔Nickelsburg(4)296〕。なおノアに洪水を告知したのはウリエルとなっていますが(10章1節)、これはサリエルの読み違いだと思われます〔Nickelsburg(4)216c〕。ラファエルとガブリエルとミカエルは、軍勢を率いて堕罪した見張りの天使どもを縛り牢に閉じこめられます。彼らの役目は、天の神の世界を地上から超越させるのではなく、人間に宇宙の広大さを知らしめると同時に、常に変化する世界像を人間に告知し、これを通じて人間が神へ近づくことを可能にすることなのです。天使たちのこのような働きの背後には、ヘレニズムのギリシア哲学や科学の影響が考えられています。
■「見張りの天使たちの書」の形成過程
創世記6章の「神の子たち」と巨人の物語は、ヤハウェ資料に基づくものの、続くノアの洪水伝承よりもさらに古く、ギリシアからパレスチナを含む東地中海圏の神話/伝承から出ていると考えられます〔関根165〕。しかし、『第一エノク書』の「天文の書」もその伝承の起源が古く、「天文の書」と創世記6章とでは、どちらがより古いか判断するのは困難です。同様に、「見張りの天使たちの書」にでてくるシェミハザの堕罪物語も、天使による人間の誘惑という古い伝承から来ていると考えられます。「天文の書」が文書として成立するのはペルシア時代以後のことで、おそらくヘレニズム時代の初期(前300〜250?)でしょうか。これに対して、「見張りの天使たちの書」のほうは、「天文の書」より早いと見る説と〔Boccaccini(2)xxi〕、逆に遅いと見る説とがあります〔村岡164〕。「見張りの天使たちの書」をその内容から見ると、アレクサンドロス大王没後にその帝国を分割し支配したヘレニズムの君主たち、すなわちギリシア系の将軍たちの領土分割争いの頃(前323〜302)に対応していると考えられます。したがって、この書の成立を4世紀と見るのは〔Boccaccini(2)xxi〕早すぎるでしょう。この書の最古の写本(前200〜150)がクムラン文書に含まれていますから、この書の成立は前3世紀(早ければ4世紀末〔Nickelsburg(4)168〕)と見るのが妥当だと思います。ただしそこに含まれているシェミハザ伝承は、前4世紀よりも以前からのものと考えられます。
12〜16章は、エノク・グループがセミハザ伝承に加えたもので、エノクが天に昇り堕天使たちに断罪を宣告するように神からの命令を受ける部分です。17〜19章は、エノクへの啓示の旅で、彼は宇宙を旅して王座に到達します。この王座は、イスラエルの北西の山(ガリラヤ湖の北方)にあたります。20〜36章は、17〜19章の旅と重複しますが、今度は行程が逆になります。ここでは堕天使たちへの断罪だけでなく、人類全般の終末的な裁きが啓示されますが、人類の終末は1〜5章の宣託をまとめたものです。だから1〜5章はエノクの「第二の帰還の旅」の入門になります。ここは申命記33章を反映していますから、おそらくエノク・グループは、この部分をモーセがその旅の終わりにイスラエルの民に与えた言葉と並行する遺訓としているのでしょう。エノク・グループによるこれらの拡大部分は、前175〜150年頃のものでしょうか。
さらに「見張りの天使たちの書」の中核となる6〜11章は、その伝承の源流が、パレスチナのガリラヤ北方にあたるヘルモン山周辺のセム系の神話にあると見ることができます。この書の原文はアラム語ですから、クムラン文書でこれを見ることができます。クムラン文書の4QEnocha(4Q201)には、『第一エノク書』1章1〜6節/2章1節〜5章6節/6章4節〜8章1節/8章3節〜9章3節/10章3〜4節/同21〜22節が含まれており、また4QEnochb(4Q202)には、『第一エノク書』5章9節〜6章4節/6章7節〜8章1節/8章2節〜9章4節/10章8〜12節などが含まれています。これらの写本は、前200〜150年頃のものと見ることができます。したがって、「見張りの天使たちの書」のシェミハザ伝承は、前160年頃には成立していたことになりましょう。おそらく、この伝承の最初期の部分は、ユダヤのヘレニズム時代(前300頃〜前60頃)の初期か、あるいはそれ以前のものと思われます。
シェミハザ伝承の最古の部分は7章1節と9章8節に見ることができます。これに天使たちから人間への占いや魔術や薬草/医術などの伝授が加えられたのです。これによって原話の性格がかなり違ったものになります。堕天使たちは、暴力や流血をもたらすだけでなく、ヘレニズム文化に影響された擬似科学的な知識の分野をも伝授します。さらに、8章3節に見るように、伝授した天使たちの名前とその知識が加えられますが、ここには、先の知識に占星術や天文、星座の観察などが加わります。これらは、天界の啓示によってエノクに与えられる「真の科学的、天文的な知識」に対抗するものでしょう。その上で、最後に、アサエル伝承が付加されることになります。この伝承は、ギリシアのプロメーテウス神話と深くつながっていますので、後の章で扱うことにします。
以上で分かるように、資料的に見るならば、シェミハザ伝承がアサエル伝承に先立つことになりますが、本文の実際の「内容から」判断するならば、アサエル伝承のほうが、シェミハザ伝承に先立つ出来事として語られています。アサエルは、後にサタンと結びつくことになります。おそらく創世記6章と最初に結びついたのはシェミハザ伝承のほうでしょう。これが、さらにアサエル伝承と結びつくことになり、この際に、プロメーテウス神話がアサエル伝承に影響を与えたと考えられます。ただし、火を用いる冶金のモチーフは、プロメーテウス神話から取り込まれたのか、それとも創世記2章のトバル・カイン伝承から出ているのか? あるいはこれら二つに共通する原神話的伝承が存在していたのか、この点は不明です。
■エノク・グループの聖書解釈
以上で分かるように、「見張りの天使たちの書」は、創世記6章以下の物語をエノク・グループが解釈し直したものです。この際に導入されたシェミハザ伝承は、堕天使伝承による聖書解釈の最古の例で、以後の聖書解釈に大きな影響を及ぼしました。エノク・グループは、聖書の物語をアラム語に移し替えていますが、その際に、聖書の用語だけでなく、それ以外の用語も補助的に導入していますから、内容的には、聖書の原話とかなり異なる方向へ発展しています。このような聖書の再解釈の方法は、『第一エノク書』だけでなく、『ヨベル書』でも全く同じ方法が採られています。たとえば、終末の情景を描く場合に(ヨベル10章16〜17節)、エノク・グループは、第三イザヤを踏まえていますが、『ヨベル書』(23章)でもダニエル書(12章2節)でも同じことが行なわれています。
しかもエノク・グループは、伝えられた伝承を「自分たちの時代に照らして」再解釈するのです。シェミハザ伝承は、世界の最初期における悪の起源を語るために導入されたものですが、エノク・グループは、「悪の起源」という人類の原初の出来事をその最後の終末と重ね合わせるのです。第三イザヤからの引用は、まさにそのためのものでしょう。その上で彼らは、この原初と終末とを結ぶ出来事をさらに自分たちが現在置かれている歴史的な状況、すなわちエノク・グループが体験する「現在」の事実に基づいて描き出すのです。巨人たちの暴虐と流血、「人間の血をすする」行為として表わされる彼らの貪欲と情欲、これらは、ヘレニズム時代のユダヤを支配した王たちや権力者たち、またその手先となった者たちの姿にほかなりません。彼らに向けられる呪いとも言える告発は、『第一エノク書』94〜102章にあますところなく語られています。わたしたちはここに、以後の聖書解釈、例えば聖書の注釈に基づくユダヤ教の教典ミドラシュに見る解釈の原型を見ることができます。
エノク・グループのこのような聖書解釈の手法は、ユダヤ教から新約聖書の福音書の記者たちへも受け継がれました。まず伝えられた聖なる伝承を基にして、アラム語あるいはギリシア語に書き換えます。その際に原伝承の言語をそのまま用いながら、さらにそれ以外からの用語をも採り入れることをためらわないのです。さらに、その内容を聖書が伝える原初の出来事へとさかのぼらせながら、同時にこれを終末と重ね合わせます。その上で、自分たちが置かれている歴史的な状況に即して、すなわち「現在の事実」を直視しつつ、その全体を再解釈するのです。その際に、伝統的なイスラエルの世界以外からの神話や伝承をもあえて採り入れ、それらを自分たちが「現在」置かれている現実へと「歴史化する」ことでこれを変容させるのです。聖書を自分たちの現実に即して再解釈するエノク・グループのこのような方法は、ユダヤの聖書解釈の本質を示すものとして、以後の聖書解釈に大きな示唆を与えています。
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