古代オリエントの豊穣神話
■シュメールとアッカド
 まず、オリエントのチグリスとユーフラテス川両域の歴史を概観しておきます。この二つの川の流域の南部にあたる河口付近に人類が住み着いたのは、紀元前5000年頃からです。この時期(前5000年~前3500年頃)を「ウバイド期」と言います。次いで、前3500年頃に、この河口の流域に移住してきた(?)のは、シュメール人です。両河川の河口近くに、ウルクやウルなどの都市国家を形成したのは、このシュメール人ですが、彼ら以前に流域に住んでいた土着の人との関係はまだよく分かっていません。これが「ウルク期」(前3500年~前3100年)です。シュメールの文化は、それ以後、メソポタミアを含むオリエント一帯に受け継がれていきます。
 チグリスとユーフラテス両河川の流域の北部のほうは、南部のシュメールに対して「アッカド」と呼ばれました。北部のこの地帯に移住したのがセム系の民族で、後のヘブライ人やアラム人やアラブ人の先祖です。セム系の人は、両河川の流域からパレスチナに及ぶいわゆる「肥沃な三日月地帯」に定住しました。アッカドに定住したセム系の人たちは、南部のシュメール文化を受け容れていきます。
 一方、シュメールの都市国家群の時期は「初期王朝期」(前3000年~2335年)と呼ばれ、この時期にウルクの王ギルガメシュを主人公とする『ギルガメシュ叙事詩』が書かれます。やがて、北部アッカドのサルゴン王は、チグリスとユーフラテス両河川の流域の南北全体を統一する「アッカド王国」を建設します。これが「アッカド王国期」(前2334年~前2154年)です。アッカド王国が滅びると、再びシュメールの都市国家群が栄え、ウルクのウルナンムによって、今度は、シュメール人によるシュメールとアッカドの統一国家が生まれます。これが「ウル第三王朝期」(前2112~前2004年)です。その後、ユーフラテス川南部の都市国家バビロニアが力を得て、「バビロニア」の時代(前2000年~前1595年)に入り、バビロニアのハンムラビ王が、両河川の南半分を統一し、ここに「バビロン第一王朝」(前1894年~前1595年)が成立します〔小林登志子『古代オリエントの神々』(中公新書:2019年)冒頭の年表を参照〕。
 一方で、両河川流域の北部には、旧石器時代からネアンデルタール人が住んでいた形跡があり、そこに移住してきたセム系の民族によって、アッシュールやニネベなどの都市国家が成立します。ここから「古アッシリア期」(前2000年~前1600年頃)の時代に入ります。時代が下って、アッシュールダン2世(在位前934年~前912年)が、アラム人や山岳民族を征服します。次いで、アッシュール・ナーシル・アプリ2世 (在位前895年~前883年)は、歩兵・戦車隊のほかに騎兵隊を導入し、都市攻撃用の破城器を初めて用いることで、シリア・フェニキアの諸都市を征服しました。その際に、串刺しや皮はぎなどで反乱住民を弾圧し、住民を大量に強制移住させたので、この国は「アッシリアの狼」の名で恐れられました。このアッシリアによって、両河川の流域からパレスチナにいたる肥沃な三日月地帯全体が統一されます。これが「新アッシリア帝国」の時代(前1000年~前609年)です〔小林前掲書の年表を参照〕。
■洪水伝説
 人類に古くから伝わる「受苦難の神話」で、代表的なものの一つは、古代メソポタミアに伝わる洪水伝説です。この伝説は、紀元前3000年~2500年頃に、チグリスとユーフラテスの両河川の河口近くの都市国家王国シュメールの物語として記録されています。天の男神アンと、天と地の間の天空(大気)を司(つかさど)る男神エンリルと、水と智慧の男神エンキ(次の地母神の夫)と、地母神の太母(たいぼ)ニンフルサグたちが人類を造ります。大地は、灌漑によって穀物が実り、人々は安楽に暮らすことができるようになります〔「シュメールの洪水伝説」46~47行。『古代オリエント集』筑摩世界文学大系Ⅰ(1990年)〕。ところが、人類が増えすぎたためでしょうか?神々は、洪水で人類を滅ぼす相談をして、七日七晩、洪水が国中で暴れます。しかし、王であり神官でもあるジウスドゥラは、大きな船を作って、洪水の海を漂い、ついに太陽神ウトゥが光を放つと、ジウスドゥラは巨船の窓を開いた、とあります(前掲書「洪水伝説」202~209行)。
 この洪水伝説は、より詳しい形で「ギルガメシュ叙事詩」の後半で語られています。この叙事詩は、古代アッカド王朝時代(前2334~前2154年)のアッカド語で語られていて、発見されたのは、アッシリア王朝のアッシュル・バニバル王(在位は前668~前627年)の書庫からです。この叙事詩は、シュメールの洪水伝説を受け継いでいますが、『ギルガメシュ叙事詩』では、太陽は男神ウトゥではなく、太陽神シャマシュは女神です。主人公のギルガメシュは、永遠の命を探して賢者ウト・ナピシュティームを訪れ、この賢者から洪水伝説を聞きます。この賢者は、旧約聖書の洪水伝説にでてくるノアの前身ですが、旧約聖書では、洪水が「人間の暴虐」に対する神からの裁きとして語られます(創世記6章~8章)。
 ちなみに、大和朝廷による『古事記』では、人間から穀物を奪い、土砂崩れなどで人の命を奪う風雨と洪水は、八岐大蛇(やまたのおろち)と称されて、海と水を司る須佐之男命(すさのをのみこと)によって退治されます。稲田を司る女神の櫛名田比売(くしなだひめ)は、大蛇(おろち)から救われて、須佐之男命の妻になります〔『古事記/上代歌謡』日本古典文学全集。小学館(1990年)86~88頁〕。
■イナンナと豊穣神話
 
現在知られている最も古い豊穣神話の記録は、古代オリエントのシュメールの都市王国ウルク(前3500年~前3200年)からアッカド王朝(前2334年~前2154年)へと伝えられた神話で、「イナンナの冥府(めいふ)降り」です(前2300年~前2000年頃)〔五味享訳「イナンナの冥府降り」『古代オリエント集』筑摩世界文学大系(Ⅰ)(1990年)23~36頁。以下の訳文と物語はこれによる〕。
 古代シュメールの主な神々は、天神アン、天と地の間の大気神エンリル、水と知恵の神エンキ、月神ナンナ、太陽神ウトゥ、金星の女神イナンナ、豊穣の女神ニンフルサグ(エンキの妻)の七神です。これに死と冥府(めいふ)の女神エレシュキガル(イナンナの姉)が加わります。金星の女神イナンナは、月神ナンナの娘で、イナンナの兄は太陽神ウトゥです〔小林登志子『古代オリエントの神々』中公新書(2019年)50頁を参照〕。さらにイナンナ女神の夫はドゥムジで、彼はおそらくウルクの国王でしょう。古来、国の命運と豊穣を司る女神は、その国の王を夫に選び(これを「聖婚」と言います)、時に応じてその「夫」(国王)を取り換えました。国の豊穣を失った王は棄てられたのです。
 月と太陽と金星(明星)は、古代の暦を支配する三神です。シュメール最古の暦は、月の運行による太陰暦(したがって月のほうが太陽の上位に来る)ですが、農耕のためには、太陽の運航が欠かせないので、実際は太陰太陽暦によっていました。なお、金星は、生殖と豊穣を司るものであり、イナンナは、アッシリアではイシュタルとなり、ペルシアではミトラとなり、パレスチナではアシタロテと呼ばれ、ギリシアでは、性愛の女神アプロディテー、古代ローマではウェヌス(英語のヴィーナス)になりました。
〔イナンナの冥府降り〕
 物語の始めに、イナンナは、父のいる最高の天から、姉のエレシュキガルの居る冥府に心を向けて、「天と地を投げ捨てて」冥府へ向かいます。その際に、侍女のニンシュブルに、自分が冥府についた時には、そのことをアンやエンリルやエンキの神々に告げるよう言い残します。
 イナンナは、冥界の門番に「私は太陽が昇っていく所の天の女王です」と告げます。ここで彼女が、自分を兄の太陽と同一化している点に注意してください。イナンナは、冥府の女王エレシュキガルの居るところへ導かれますが、そこに着くまでに、身につけていたすべての装身具を取り除かれます。エレシュキガルの王座に仕えている七人の裁判官たちは、イナンナに判決を下して、「怒りと罪の言葉を叫ぶ」とイナンナは死体に変わり、彼女の死体は釘にかけられます(「イナンナの冥府降り」165~68行目)。
 三日三晩経つと、侍女のニンシュブルは、「乙女イナンナを冥界で殺させないよう」エンリルや父エンキに嘆願します。そこで、父エンキは、クルガルラとガラトゥル(祭儀を司る人間の神官たちのことか)に「命の食物と命の水」を与えて、彼らを冥府にいる死体となったイナンナのもとに遣わします。エンキは、神官たちに命じて「釘にかかっているあの死体をわたしたちにください」と言わせ、「命の食物と命の水を彼女の上にかけなさい」と告げます(前掲書245~47行目)。二人が命じられたとおりにすると、エレシュキガルは、彼らに「その死体はお前たちの女主人だ」と告げて、イナンナの死体を彼らに与えます。そこで命の食物を彼女に与え、命の水をかけると、イナンナは「立ち上がりました」(前掲書272行目)。
 しかし、イナンナが冥界を去ろうとすると、エレシュキガルの裁判人たちは、「冥界を出たいのなら必ず身代わりを与えなければならない」と告げます。ところが、彼女が神々の家に行って頼んでも、身代わりは見つかりません。ついに神官たちを自分の夫ドゥムジに向かわせます。そして「彼女(イナンナ)は彼(ドゥムジ)を死の眼で凝視し、怒りと罪の言葉を彼に叫びます」(前掲書338~39行目)。ドゥムジは、涙を流し、蒼白になり、イナンナの兄ウトゥに向かって嘆きを訴えて言います。「ああ、ウトゥ(太陽神)よ、あなたは私の義兄で、私はあなたの義弟です。彼女が冥界に下ったりしたものだから、私をその身代わりに、彼女は(私を)冥界に与えてしまった」(以下は別の断片Aから)。するとドゥムジは、その姿を変えて、彼の魂は、鷹のようになって、ドゥムジの姉妹ゲシュティアンナ(「葡萄酒」の意味)のもとへ運ばれました。しかしながら、結局「その若者」(ドゥムジ)は、エンキの遣わすガルラ(神官たち)の手で殺されて冥界に連れ去られます。そこでイナンナは、ドゥムジと彼の姉(ゲシュティアンナ)とが、1年の半分ずつ(夏と冬)をそれぞれ冥界で「倒れ伏す」よう定めるのです。
 
 この神話の祭儀的・宗教的な意義を説き明かすのは容易でありません。イナンナが国土に豊穣ををもたらす女神であるのは確かですから、そのイナンナが、冥界に赴くのは、豊穣が途絶える「死の時期」を意味します。死体となったイナンナが、再び地上に戻るためには、その代理人(身代わりの犠牲)が必要です。彼女の夫ドゥムジがその身代わりにされますが、冥界に連れ去れた弟ドゥムジを探して姉のゲシュティアンナが冥界に下ることで、弟ドゥムジと姉のゲシュティアンナの二人が、半年ごとに交代で、イナンナの身代わりになります。だからここでは、二重の「身代わりの犠牲」が主題になっています。
 エンキがイナンナに与える「命の食べ物と飲み物」は、冬から春になると河川の水が溢れ、砂漠が緑になり、シュメールの地域では、この時期が穀物の実りの時期になります。同時にこの時期は、殖えた家畜が屠(ほふ)られる時期ですから、今度は家畜が豊穣の身代わりにされます。豊穣の女神イナンナと死の冥界の女神エレシュキガルとの宿命の対立は、豊穣をめぐる冬季と春夏の交代を指すものでしょう〔五味享前掲書23~24頁〕。ちなみに、ここでエンキが与える命の食べ物と飲み物は、ギリシア神話では、神々の食べ物(アンブロシア)と飲み物(ネクトール)になります〔日本では「鏡餅」(かがみもち)と「御神酒」(おみき)〕。
 さらにこの神話で注意したいことが二つあります。一つは金星を象徴するイナンナと太陽の表象である兄のウトゥとの結びつきです。もう一つは、イナンナとその夫ドゥムジとの関係です。
 月の満ち欠けによる太陰暦では、豊穣の女神は、その国の「王」を配偶者として選びます。したがって、国王は、女神が豊穣を国にもたらす「聖なる王」になります。聖王と女神との夫婦の交合は「聖婚」と称されて、国土の繁栄と豊穣を保証するのです。しかし、王の統治期間は、冬至から夏の盛りの夏至へ向かう時期だけで、夏の盛りが来ると王はその職務を終えます。職務を終えた王は、生け贄として女神から「死を賜わる」ことになります。太陽が盛りを過ぎて衰えるその期間、月の女神は、その夫である太陽を死の冥界に送るのです〔アト・ド・フリース『イメージシンボル事典』大修館(1984年)"King"「聖王」374頁〕。この神話では、月と太陽との結びつきが語られていますが、太陽の運行は、まだそれほど重視されていませんが、古代の神話では、冬至から春分までの豊穣が途絶える期間は、「死と復活」の時期と見なされて、この時期が、「月と太陽の受難」の期間と見なされているのです。
■イシュタルと豊穣神話
 「イシュタルの冥界降り」は、アッカド語で粘土板に書かれたものが二つ知られています〔以下の物語は次による。五味享訳「イシュタルの冥界降り」『古代オリエント集』191~95頁〕。
 
 シン(この名前はアッカド語でシュメールの「ナンナ」にあたる)の娘イシュタル(シュメールの「イナンナ」)は、心を定めて「暗黒の家」に向かいます(この部分の描写は『ギルガメシュ叙事詩』の描写とほぼ同じ)。イシュタルは、冥界の番人に「お前が門をひらかず、私が入(はい)れないならば、私は戸を打ち破り、かんぬきを打ちこわす・・・・・私は、死者を立ち上がらせ、生者を食べよう。生者より死者が増えるようにしよう」(14~20行)と告げます。冥界の女王エレシュキガルは、(門番から)この知らせを聞くと、その顔が青ざめます(29行)。そこで、エレシュキガルの侍女たち(「アヌンナキ」と呼ばれる)に「古き掟にしたがって彼女(イシュタル)をもてなす」ように命じます。
 イシュタルは、身の飾りをはぎ取られた状態で女王の前に出ます。エレシュキガルは「その姿に怒りを発して、わが宮殿に閉じ込めよ」と命じます(64~68行)。エレシュキガルは、「六〇の邪気を(イシュタルに向けて)放つ」ように命じます。イシュタルが冥界に下りてからは、「牡牛は牝牛にいどみかからず、牡ロバは牝ロバをはらませず、街では男が女子をはらますこともなくなります」(86~88行)。
 そこで、深淵(しんえん)の水の神エアは、アスシュナミル(祭儀を司る神官のことか?)に向かって、「お前の顔を冥界の門に向けよ。冥界の七つの門は、お前の前で開くであろう」と告げます。その上で、彼にこう言います。「エレシュキガルはお前を見て喜ぶであろう。大いなる神々の名において、彼女に呪文をかけよ」と。ところが、エレシュキガルは、「腰をたたき、指を噛んで」彼に言います。「さあ、アスシュナミルよ、お前に大いなる呪いを呪いかけてやる」(91~103行)。これは、神官アスシュナミルがイシュタルの身代わりにされて、冥界に止まることを意味するのでしょう。すると、エレシュキガルは、侍女ナムタルに命じて、「イシュタルに命の水をふりかけ、私の前から連れ去れ」と命じます。こうしてイシュタルは、再び身の飾りを取り戻して、大王冠を得ることができました。
 
 この神話は、植物の年ごとの再生を祈願するための「豊穣の女神」について語っています。ここで言う「冥界の番人」とは、シュメール神話の「ドゥムズ」にあたり、番人はイシュタルの配偶者だと解釈されています。イシュタルの配偶者は、後のアッシリアとバビロニアでは、「タンムーズ」と呼ばれて、生命を育(はぐく)む者です。タンムーズが半年の間地上に居る時は、地上の植物が繁栄し動物が成長しますが、彼が地下に姿を消すと人間に悲しみが及び、女たちは髪振り乱し胸をたたいてタンムーズのために祈り求めます。
 この神話でイシュタルは、再び七つの門を通り抜けることによって、冥界の番人である自分の夫をも冥界から取り戻すことをも語っているのかもしれません〔五味享前掲書191頁の解説参照〕。
                          
豊穣神話へ