エゼキエルが見た豊穣神話
ちなみに、ここで、旧約聖書の預言者エゼキエルが「霊視」したとされる「エルサレム」の状況に触れておきます。エゼキエル8章14~18節には、その頃のエルサレムで行なわれていたと思われる「豊穣崇拝」(14~15節)と太陽崇拝(同16節)の様子が描かれています。
エゼキエルが霊視すると、エルサレムの北の門の近くで、女たちが「タンムーズのために泣いている」姿が見えます(エゼキエル8章14~15節)。バビロニアの暦では、第四の月が「タンムズ」ですから、この頃でしょうか? タンムーズは、古代メソポタミアでは、シュメール神話のドゥムズと同一視されていますから〔小林前掲書180~81頁〕、ドゥムズ(ジ)=タンムーズは、豊穣の女神の庇護を受けた国王のことです。国王は、国の豊穣を司る祭儀的・政治的な権威を帯びているからです。ドゥムジの兄は太陽神ウトゥですから、国王の背後には太陽神も居るのが分かります(国王と太陽との結びつきは、メソポタミアよりも、エジプトのほうがいっそう顕著です)。すでに見たように、ドゥムズ(ジ)=タンムーズは、豊穣の女神の身代わりにされて冥界へ送られますが、そこから再び地上へ戻ります。豊穣の穀物霊を支配するドゥムズ(ジ)=タンムーズは、「死んで復活する」のです。イエス・キリストの死と復活は、古代オリエントの神々のこの死と復活へさかのぼるのではないかという見方があります〔小林前掲書181頁〕。
しかし、エゼキエル書では、女たちのタンムーズ崇拝は、神の目から見て「忌まわしいこと」とされています。イスラエルの民の父祖アブラハムは、シュメールの都市国家ウルから離れて、半農半遊牧という弱い立場で、セム系の民の住む肥沃な三日月地帯を旅し、エジプトへ下ります(前2000年頃?)。アブラハムの神は、メソポタミアの豊穣神を受け継ぎながら、しかも、これを離れるという不思議な「全能の神」(エール・シャダイ)です。この事情は、モーセの場合も同じで、モーセに啓示されたヤハウェ神は、古代エジプトの太陽神を受け継ぎながら、ここから脱出するという不思議な業をイスラエルの民に行ないます(前1200年頃)。半農半遊牧のイスラエルの民は、このように、豊穣神を信じる民の中にありながら、しかも、これを離れるように神によって導かれるのです。
ただし、イスラエルの神は、決して民への豊穣を「否定する」神ではありません。逆に、ヤハウェに仕えることによって初めて、民に豊穣が約束される「契約」が神から授与されるのです。イスラエルの神は、豊穣そのものではありませんが、「豊穣と太陽の運行」それ自体をも支配する創造の神だからです。
けれども、イスラエルの民は、オリエントの豊穣の神々とヤハウェ神との狭間にあって、長い間、迷い続けました。とりわけ、イスラエルがカナンに定着してからは、民は農耕生活に入りますから、カナンの豊穣神話の影響を強く受けます。自然の豊穣と人間の生殖を崇拝することは、アブラハムとモーセの神からは、「淫行の偶像礼拝」と見なされました。こういう批判をイスラエルの民と王に最初に浴びせたのが預言者サムエル(前1040年頃登場)です。それでもカナンの地の豊穣崇拝は、タビデとソロモンの王朝時代まで残り続けます。南王国ユダのヨシヤ王の大胆な改革によって、エルサレム神殿を中心とするヤハウェ信仰への統一が図られますが(前622年)、その後、南王国ユダは新バビロニアに滅ぼされて捕囚に入ります(前586年)。エゼキエルが霊視したヴィジョンは、この捕囚の頃ですから、国と神殿を失ったイスラエルの民は、バビロンでもエルサレムでも、バビロニアの豊穣神話と太陽崇拝に支配されていたことが分かります。
新バビロニアでは、「自然の豊穣と人の生殖を一体化させる宗教的な祭儀」が行なわれていました。「生命と豊穣の神秘」は、人類と共に古い宗教だからです。しかし、イスラエルの神ヤハウェは、この「生命と豊穣の神秘」さえも支配する天地創造の神であり、しかも、この神は、ご自身を礼拝する民には、人類が祈願する国土の保全と豊穣を己の民に約束するのです(申命記28章1~14節)。「契約の神」ヤハウェは、偶像礼拝に陥りがちになるイスラエルの民に向かって、「人が受けるに値しない神の契約を謙虚に受け容れる」よう説き勧めます〔「 」の引用は、Walther Eichrodt. Ezekiel. Translated by Cosslett Quin. Old Testament Library; SCM Press(1965-66)pp. 126--27.〕。捕囚によってヤハウェを見失い、バビロニアに支配されるままに「タンムズ」を崇拝する女たちの姿を見て、エゼキエルが「忌まわしい」と思うのはこのためです。
タンムズ崇拝に続いて、エゼキエルは、イスラエルの祭司(と思われる)25人が、「背中を主の聖所に向け」、東を向いて、昇る太陽を崇拝している姿を目にします(エゼキエル8章16節)。前9世紀頃のバビロンの神殿には、月と太陽と金星に護られた太陽神シャマシュが王座にあって、バビロンの王たちがこれを拝んでいる石碑が遺されています(小林『古代オリエントの神々』43頁図)。バビロンでは主神マルドゥクと並んでシュメール以来の太陽神が崇拝されていたのです。
太陽の運行と豊穣神話は密接に関わっています。エルサレムの神殿は、入り口(東側)と至聖所(西側)が東西に向いて建てられています。だから聖所と至聖所は、本殿の西側に位置していて、この部分はひときわ高い塔になっていましたから、オリーブ山の東から太陽が昇ると、聖所と至聖所の塔が、朝日を浴びて美しく輝きました。だから、イスラエルの祭司たちは、太陽に向いて拝むのではなく、反対に、「昇る太陽を背にして」、神の御臨在する西(至聖所)を向いて礼拝すべきだったのです。ところが、エゼキエル8章16節の25人の祭司(と思われる?)たちは、至聖所に背を向けて、太陽のほうを向いて礼拝していました。彼らは、太陽に向かうのではなく、太陽の運航を支配する神の導きに従って、「太陽が動く方向」(西)へ向いて礼拝するべきです。彼らは、太陽を拝むのではなく、太陽と一緒になって歩むべきなのです。わたしたちは、自然に向いて自然を拝むのではなく、自然と「共に」歩み、自然が向かう方向を目指すのです。これが、大自然を動かしている力ある方(エール神)を信じる者がすることです。イエスに与えられた名前「イマ・ヌー・エール(with/us/God)」=「神我らと共に」が意味するのはこのことです(マタイ1章23節)。イエス様が「光のある内に光の中を歩みなさい」(ヨハネ12章35節)と言われたのもこのことです。
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