システィナの礼拝堂
私たちが聖書を「一冊の書物」として読む場合に、聖書に含まれているさまざまな文書が、どのような意味で「一つになる」と言えるのでしょうか。この問題を考えるために、私はここで、読者のみなさんを聖書物語の描かれている「表象の殿堂」とでも言うべき所へお招きしようと思います。それは、すでに多くの方々がご存知の場所、ローマのヴァティカンにあるシスティナの礼拝堂です。ここは、ルネサンスの巨匠ミケランジェロの天井画で有名な所です。私は、手元にあるこの礼拝堂の図版と解説を参考にしながら、これから皆さんと一緒にここに入ってみようと思います。この礼拝堂は、教皇クシスト四世の命令によってそれまでの礼拝堂を改築したもので、現在の形に完成したのは1483年だとあります。案内には、全体が外陣と奥の内陣とに分けられているとあります。
この礼拝堂は、当時の画家たちによる壁画で有名です。ボッティチェルリのようなすぐれた画家のものもあれば、それほどでもない(?)画家のものもあります。教皇ユリオ二世は、ミケランジェロに命じてここの天井画と壁画を描かせようとしました。しかし、彫刻家であって画家ではなかったミケランジェロは、教皇の申し出を断ったのです。しかし教皇が強引に命令したので、ミケランジェロはしぶしぶ従いました。1508年のことで、この天井画は、1512年に公開されました。ちなみにこの壁画は、今では日本の援助によって洗われて、美しい色彩を取り戻しています。
入り口を入ると、いちばん奥の壁一面に描かれたミケランジェロの最後の審判が目に入ってきます。真ん中に右手を少しあげたキリストが立ち、これを中心にして天国に召される者たちと地獄に落とされる者たちが、複雑な構成を描いて配置されています。キリストの上方には、受難の象徴である十字架と茨の冠、また大きい柱(これはキリストが縛られたものか)を天使たちが天国へ運ぼうとしています。私たちは、まず最初に、歴史の最後に来る終末に出合うわけです。礼拝堂の左右の壁は、大きく四段に区切られています。下から二段目には、左右それぞれに六つずつ、12の場面が描かれています。
右の方に目を向けると、最後の審判に続いて、奥の方からペルジーノのキリストの洗礼があり、次にキリストの誘惑が来ます。3番目には、ペトロやヨハネなどの弟子たちの召命があり、ギルランダヨの作とあります。4番目はロッセーリの作で、キリストの山上の説教があります。5番目には、キリストがペトロに天国と地獄の鍵を手渡す場面が前景にあり、背景にはキリストを石で打ち殺すところとカイザルに税金を納める論議の場面が描かれています。これはペルジーノとシニョレーリの作です。6番目には最後の晩餐があり、その晩餐の行なわれている部屋の正面に、ちょうどイエスたちの上の部分に、ゲツセマネの園でのキリストの祈りやキリストの逮捕の場面があります。これはロッセーリの傑作です。
左に目を向けると、奥の方から、1番目に、エジプトへ向かおうとするモーセがいて、遠景には、彼がミディアンの祭司エテロに別れを告げている場面があり、前景では天使が彼の前をはばんでいます。そこへ、モーセの妻ティポラが、子供に割礼を授けようと連れてきています。これは割礼を受けなければ、神の召しにあずかってエジプトへ出ていくことができないという意味でしょう。この絵はペルジーノとピントリッキオの作だとあります。2番目は、ボッティチェルリの作で、モーセがエトロの娘たちを助ける水汲みの場面が前景にあり、遠景には、モーセがエジプト人を殺す場面と神がモーセに山で顕現する姿が描かれています。だから、1番目の物語と2番目のとは、エジプトから逃れる場面とエジプトへ戻る場面とが、時間的に言えば逆になっています。3番目には、紅海を渡ったイスラエルの民と海で溺れるエジプトの軍勢がいます。これはコジモ・ロッセーリとピエロ・ディ・コジモの作です。4番目には、上の方に、十戒を神から受けるモーセがいて、下の方では、金の子牛を拝むイスラエルの民とこれを怒って十戒を砕くモーセがいます。5番目には、モーセに逆らって、神に罰せられた三人の反逆者たちが描かれています。これはボッティチェルリのものです。6番目には、モーセが民に律法を読んで聴かせているところと、その後ろには彼がネボ山へ登って約束の土地を眺めるところと、その左には彼の死ぬ姿があります。シニョレーリの作です。
目をさらに上にあげてみると、今見た六つの場面の上の段には、窓が六つあって、窓と窓との間には、12人のローマ教皇が描かれています。左右合わせて24人で、これは「ヨハネ黙示録」(19章)に出てくる24人の長老です。教皇たちの上は、半円形になっていて、半円は左右合わせて12あります。半円の中には、キリストの先祖たちが双組ずついて、「マタイによる福音書」のキリストの系図に出てくる人たちの名前が書いてあります。
その上の段は天井とのつなぎの部分です。ここには、湾曲した三角形が並んでいて、その中に描かれているのは、ソロモン王とその母やヒゼキヤ王とその母など旧約の王たちとその母でしょう。それらの三角形と三角形との間には、ヨナ、エレミヤ、イザヤなど預言者がいます。面白いのは、これらの預言者に混じって、リビアやペルシアやデルフォイの女予言者たちがいることです。キリストの到来を招いたのは、イスラエルの先祖たちだけではなく、異教の予言者たちも含まれるとミケランジェロは考えたのでしょうか(この辺でそろそろ首が痛くなってきました)。
首を曲げて天井を仰ぐと、最後の審判の描かれている壁のすぐ上は、預言者ヨナが大きな魚の口から出てきた絵です。キリストの復活を表しているのでしょう。そこから、天井を縦に九つに区切って、ミケランジェロの傑作、「創世記」の物語が並んでいます。ヨナに続いていちばん奥の方から、光と闇を分ける神がいます。次は神が二人描かれていて、太陽と月を創られる神が運動しながら働いているのが分かります。3番目は水と陸とを分ける神の姿です。
4番目が有名なアダムの創造です。ぐったりしたアダムが弱々しく手を伸ばしています。その指先にまさに触れようとして神の指が近づいています。神は別の手で、エヴァを抱えているように見えます。5番目、すなわち九つの真ん中に来るのが、アダムからエヴァが生まれ出る場面です。6番目は、真ん中に太い知恵の樹があり(リンクでは天井を下から上へと見てください)、サタンが実をエヴァに手渡しています。サタンの足は蛇の姿に変わり、それが樹の幹にぐるぐると巻きついています。エヴァは身を横たえて知恵の実を受け取っているのに、アダムの方は体を起こして、片手で樹をしっかりとつかみ、もう一方の手で知恵の実をもぎとっています。ミケランジェロは、エヴァよりもアダムの方が積極的に罪を犯していると考えていたのでしょうか。知恵の樹のもう一方の側には、今度は二人が天使ミカエルに追われている姿がきます。下から見るだけでは、二人の表情は分かりませんが、図版を見ると、二人の顔は悲しく恨めしそうに歪んでいます。
7番目は、ノアの家族が、洪水の後で箱船から出て神に感謝の生け贄を捧げている場面です。8番目は洪水の場面で、中央には、今にも沈みそうな小さい船に乗った人たちがいます。陸には絶望した人たちが見えます。背後には遠ざかっていく箱船が浮かんでいて、その周りにも人々がしがみついています。だから7番目と8番目は、物語の順序が逆になっています。最後の9番目は、葡萄園を耕すノアが遠景にいて、真ん中には裸で酔いつぶれるノアと、これを笑う息子ハムとノアに衣をかぶせるセムとヤフェトの息子たちが描かれています。後でこのことを知ったノアは、ハムには呪いをセムとヤフェトには祝福を与えたと聖書にあります。
最後の審判の真上にあるヨナの絵と向き合って正反対のところに、天井画をはさんで預言者ゼカリヤがいます。また天井の四隅には、最後の審判の壁画の右上が「エステル記」に出てくる話で、ユダヤ人を陥れようとしたハマンが逆に処刑される場面です。壁画の左上は、モーセが荒野で青銅の蛇をあげてイスラエルの民を罰から贖った場面です。反対側の隅には、ハマンの処刑と向かい合ってダビデがゴリアトを倒す場面があり、青銅の蛇の場面と向き合って「ユディト記」(これは偽典です)の話がきます。ユディトがアッシリア軍の総指揮官ホロフェルネスの首をとった場面です。四つともイスラエルの民が奇跡的に救われた出来事です(この辺りでついに体力の限界が来ました)。
「組み合わせる」ということ
私たちが、この圧倒されるような宗教画の殿堂に立って思うのは、さまざまな物語の「組み合わせ」です。それらはまるで壮麗な建築のように構成されています。一つ一つの絵は、それぞれに聖書の一つあるいは幾つかの場面を含んでいますから、それ自体でまとまった意味を持っています。しかしここでは、それらの絵は、相互に組み合わされることによって、単独では表せない意味を帯びてきます。このように「単独では表われない」意味が生じるのは、それらが組み合わされていることから生じる「全体の構成」と関係しているからです。最も簡単な組み合わせ方、「並べる」ということを考えてみましょう。神が光と闇を分け、太陽と月を創り、水と陸を分ける。お気づきと思いますが、これらの絵は聖書の物語の順序にしたがって並んではいません。
ミケランジェロはこの天井画に比較的自由に自分の思想を描きこんだと言われています。聖書にある「創世記」の順序それ自体にも、もちろん深い意味がこめられています。ところがミケランジェロは、わざと2番目と3番目の場面を入れ替えました。ミケランジェロは、これを見る人たちが聖書の順序をすでに熟知していることを前提にしてこれを行なったと考えることができます。教皇を始め礼拝堂へ来るほどの人たちは、「創世記」の物語を見間違えるはずがありません。こういう「工夫」はルネサンスではごく普通に行なわれたことで、ミケランジェロに限ったことではありません。
まず考えられるのは、太陽と月の創造を真ん中に置くことで、三つの場面が対称形に一つのまとまりを成す、ということを見る人に暗示する効果です。そのことに気がついた者は、次になぜ太陽と月の創造が中心になるのか、と考えるでしょう。太陽と月、この二つの表象に彼は、昼と夜、秩序と混沌、男と女、キリストと聖母、正義と純潔(アポロとアルテミス)を読みこんだのでしょうか。これを中心にして、その両側に、光と闇、陸と水(秩序と混沌)の分離を配置したと見ることもできそうです。ノアの三つの場面でも、並べ替えによって、洪水の場面とノアの家族が犠牲を捧げる場面との関係が、その構成の変化にともなって、それぞれの場面だけでは表わすことのできない意味が、構成それ自体から生じているのです。このように見る時、システィナ礼拝堂に描かれた数々の絵の場面が、終末と世界の初め、旧約の時代と新約の時代を表象する一つ空間を形成しているのが分かります。それらの絵は、全体の複雑な構成の中で互いに交錯し合って、ほとんど無限とも思われる意味のひびき合いを私たちに伝えてくれるのです。
タイポロジーということ
もう一度奥の壁画に向かって立って、左右の壁を見比べてみます。するとエジプトへ向かうモーセとキリストの洗礼とが向かい合うのが分かります。さらに、割礼を受けてエジプトへ民の救済に向かうモーセと、洗礼を受けてユダヤとガリラヤへ出ていくキリストとが対応しているのが分かります。モーセとキリストとの関係は、「ヨハネによる福音書」(1章17節)に「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」とあって、これがここでの組み合わせの意味を最も的確に説明してくれます。ここではモーセの律法はイエス・キリストの恵みと対比されているのです。両者の関係は単純な連続ではありません。しかし、断絶でもありません。なるほどイエス・キリストの福音は、それまでのモーセの律法を克服しています。しかし、新約聖書にあるとおり、律法はキリストの福音を証ししてもいるのです。この意味で、律法の授与者モーセは、福音をもたらしたイエス・キリストを予告する予型(タイプ)であり、キリストはその律法をみ霊によって人間の内面に成就する対型(アンティタイプ)なのです。こういう予型と対型との関係を「タイポロジー」と言います。ここでの絵の対応は、モーセとキリストとが、予型・対型のタイポロジーによって結ばれていることを示しています。
ほんとうの構成者はだれか?
これが分かると、続く絵の左右の対応も見えてきます。実は、この構成は教皇クシストの発案だったようで、彼は、旧約と新約の二つの国、律法の国と恵みの国、モーセの支配する国とキリストの支配する国、ユダヤ民族の国と全世界に広がる国(すなわち教会)、予型の国とこれの成就としての対型の国、このタイポロジー的な関係を見る者に悟らせようとしたのです。
このような関係は、一つ一つの絵それ自体からは見えてきません。そのような関連を示す個々の絵に対する「意味づけ」は、互いの組み合わせの中から生じているからです。もしもキリストの洗礼の場面とモーセの割礼の場面とがこのように配置されていなかったとしたら、見る者はこれらの絵に、そういう対応関係を読みとることはなかったでしょう。個々の表象、あるいは個々の場面、あるいは幾つかの場面で構成される一枚の絵物語は、それ自体でもいろいろな解釈を提供します。しかし、それらが組み合わされると、そこに新しい意味を、おそらくはこれを描いた作者自身さえ思いもよらなかった意味を帯びてくるのがお分かりいただけたと思います。しかもそれらが、ある統一された意図のもとに組み合わされる時には、ここに見るような「教義的な権威」を帯びてくるのです。
ミケランジェロは、かなり自由に自己の思想を描きこみましたが、ボッティチェルリやその他の画家たちがどうであったのか私には判断できません。ある者は伝統に忠実であったかもしれないし、ある者はかなり自由に自分なりの解釈を織りこんだかもしれません。いずれにせよ、それぞれの画家が、自分の作品が全体としてどのような構成の中でどのような意味を与えられるのかを必ずしも明確に意識していたわけではないようです。ひょっとすると、全体の構想を立てたその教皇さえも、どんな最終的な結果が生じるのかを初めから予測できなかったのではないかと思われます。この礼拝堂の壁画は、かなりの程度まで、一人の教皇の意図によって統一的に構成されています。それでも、ミケランジェロをはじめ、それぞれの画家たちは、自分の題材を自分なりの解釈と構成で、それぞれの絵に描きこんでいます。その結果、だれもが予測しなかったさまざまな解釈を可能にする聖書物語の殿堂ができあがったのです。
一枚一枚の絵は、それなりに独立して見る者に語りかけます。言うまでもなく題材は画家が考えたものではありません。それらは聖書によって伝承された物語です。彼以前にも多くの画家たちが描き、彼以後も描かれていくであろう「永遠のテーマ」です。しかし、画家は、その物語に自分なりの解釈や意図や構成を織りこんで、自己のすべてを投入して、一枚の絵を仕上げたのです。ミケランジェロのように、しぶしぶその仕事を引き受けさせられて、その結果思いがけない傑作が生まれることもあります。ところが、それらの絵が一堂に会して組み合わされると、だれもが予想しなかった壮大な「意味」がそこに創り出されるのです。それは、これを計画した教皇の教義を「権威づける」意図から行なわれたのかもしれません。しかし、現在では、そのような人間的な意図をも超える内容と迫力をもって私たちを圧倒します。それぞれの聖書物語に含まれた「表象の鎖」が、お互いの組み合わせの中で、一枚一枚の絵を、自ずから発する意味の輝きで包みます。しかもそれらの個々の作品の意味は、全体の構成の中にあって、これを見る一人一人との出合いを通じて無限に複雑な反応を生み出しているのです。
聖書全体の意味
読者の方は、私がなんのためにこのような礼拝堂へご案内したか、その意図にもう気づいておられると思います。私たちはたった今、いわば「小さな聖書」を「その全体において」体験したのです。聖書の世界は、システィナの礼拝堂よりもはるかに大きく、書かれた時代においても、これの制作に加わった人材においても、全体の規模においても比較にならないほど多様です。しかし、聖書がその全体として発する輝きの意味も、礼拝堂のそれと本質的に変わらないのです。礼拝堂の場合は、一人の教皇の教義的な意図がかなり明確に出ています。これに対して、聖書全体がつくり出す構成の意味は、はるかに難解です。旧約と新約という大きな組み合わせを別にしても、モーセの五書や四福音書の順序にも、それなりの編集の意図が潜んでいると思われます。さまざまな編集意図や歴史的な過程を経て、一冊の聖書ができました。それぞれの文書は、これを画家が精魂を傾けた一枚の絵にたとえることができます。それらの絵には、描いた者の血によって署名されたものもあります。それらの文書に共通するもの、それは、「無限なもの」「聖なるもの」を、有限な人間が、有限な言葉で言い表そうとしていることです。表現できないものを表現しようとする時、人の言葉は表象や「たとえ」となるからです。ノースロップ・フライの言葉を借りるなら、それはまさに「偉大な表象体系」と呼ぶのにふさわしいと言えましょう。
読み取りと読みこみ
今までは、聖書が、どのようにしてその全体の構成を私たちに顕すかを見てきましたので、今度は、私たちのほうが、このような聖書にたいしてどのように接するのかを考えてみましょう。神学者が聖書を解釈することを「釈義」(exegesis)と言います。ゴギンとハウルデン編『聖書解釈辞典』の"exegesis"の項によると、この言葉は、語源的に「解釈する」あるいは「読み取る」を意味します。本来のギリシア語では「神々の宣託などを解釈する」という意味ですが、聖書解釈では「注釈」「釈義」の意味に用いられます。だから、「読み取り」というのは、まず聖書の各節を、その原典に照らして、一つ一つの言葉がどういう意味かを説明すること(テキスト内の意味)、次に、それがどのような歴史的、地理的、社会的な背景を帯びているかを解説すること(テキスト外の意味)、さらにその節を聖書のほかの節と関連づけること(テキスト相互の引照)などを指しています。
このような「釈義」の仕方は、聖書の各節を客観的な基準によって解釈することを目指すものですが、学問的な作業とは言え、実際にはさまざまな意見や解釈が対立する場合が多いのです。そういう場合は、結局は読者の判断に委ねられることになります。現在日本では、聖書に関するすぐれた注解書や事典が著わされたり、翻訳されたりしていますから、読者の方は、日本語だけも十分聖書の研究をすることができます。少なくとも、自分の信仰を正しい方向に向けるために必要なだけの参考書は備わっています。こうして今では、聖書を読む人なら、だれもが自分の必要とする知識を得ることができるし、そうすることでテキストの意味を「読み取る」ことができるようになりました。
ところが、このような学問的な知識から、聖書が自分個人に向かっていったい何を語りかけてくれるかを聞き取ることになると、ことはそれほど客観的でも学問的でもなくなるのです。「読み取り」(exegesis)と対照される言葉としては「読みこみ」(eisegesis)があります。言葉どおりに取れば、これは、テキストから意味を「引き出す」のではなくて、テキストの「中へと」入りこんでいくことを指します。いわば、あるがままの自分を聖書の言葉へと沈めていくことであり、これを日本語で、テキストに「沈潜する」と言います。このような読み方は、「信仰的な読み」あるいは「霊的な読み」と言われて、厳密な学問的な読み方とは区別されてきました。しかし、聖書の言葉が自分に語りかける意味を「読み取ろう」とするなら、自分自身を聖書の言葉の中へと入りこませなければなりません。こうなると、「読み取り」と「読みこみ」の違いはそれほど判然とはしなくなってきます。先の章でも述べたように、聖書の言語は本質的に比喩的な性格を帯びています。
ところが、聖書の「読みこみ」という言葉には、「信心深い敬虔な」読み方という意味とともに「無批判的な・思いこみにすぎない」読みという意味もあるからやっかいです。聖書は信仰の書物です。この聖書を「批判しながら信心深く」読み、元来比喩的な言語を「客観的に思いこみを避けて」読むことなど、とうていできることではありません。それは「詩を読んで詩を読むな」、「聖書を読んで聖書を読むな」と言うのと同じです。どうして、このようなおかしなことになるのでしょう。それは、学問的な「読み取り」の方をあまりに重視しすぎて、比喩的な言語を読む場合には避けて通れない自分なりの「読みこみ」を正当に評価してこなかったからです。私たちは、この両方の読みが深いところでつながっているのを見落としてきたのです。
『聖書解釈辞典』によれば、"exegesis"(読み取り・釈義)という言葉は、語源的には、テキストをいかに取り扱うかを意味する言葉ではなく、そのテキストをこれを「読む人」といかに関連づけるかを指しています。さらに、この語のもともとの意味は、「観光のガイドをする」こと、特に寺院などの聖地を案内することを意味するとあります。すなわち、「釈義する」ことは、語源的には、読者に向かって、聖書のテキストがどういう意味や時代背景を担っているかを、ちょうど観光案内のガイドが、観光客に寺院や聖堂の解説をするように説明することなのです。だから私たちも、観光客になったつもりで、一つどこかの聖堂の「釈義」をしてもらうことにしましょう。
聖堂観光
ガイドは、まず、その聖堂がいつ頃建てられたのかということから始めて、例えば次のように説明するでしょう。
この聖堂の基礎が最初に置かれたのは10世紀頃です。しかし、それ以前にすでにここには教会堂が存在していました。しかも、その最古の会堂も、キリスト教が伝わる以前にあったローマの神々の神殿の上に建てられました。だから、現在でもこの聖堂の土台の下には、当時のローマ時代の神殿の遺跡が残っています。10世紀まで存在していた元の会堂は、この聖堂建築の時に取り壊されましたが、その時の祭壇の位置や入り口の方角などは、現在の聖堂にも継承されています。ところで、聖堂自体も完成するまで150年かかっていて、これの完成は11世紀の中頃になります。完成当時の聖堂の規模は、現在のよりはるかに小さく、内陣と外陣だけの矩形でした。左右の壁の上方部の窓は、その当時の様式をそのまま伝えています。しかし、それ以来、壁のかなりの部分が修理されたり、戦争で被害を受けたりしたために、取り替えられたりして、建設当時の壁は、現在では、内陣の奥の下方と、横壁の一部にしか残っていません。使われている石材が時代によって違うために、注意すればここからでも見分けることができます。12世紀には、こちらに見える礼拝堂が増築され、14世紀には、反対側に見えるもう一つの礼拝堂が加えられました。二つの礼拝堂の様式が異なるのは、このようにつくられた年代が違うからです。
窓のステンドグラスは、もとのものは、内陣の奥にある三つの窓だけで、色が薄く黄色がかっているから見分けることができます。そこにも破損のために後で修理したり復元したりした跡があるから、全部がもとのものとは言えません。当時の窓枠は、あのように単純なつくりで、枠の飾りはいっさいありません。ところが、回廊のステンドグラスは、鮮やかな色彩で、これは14世紀頃のものと思われます。入り口の両側にある窓はさらに後で、16世紀頃で、窓枠や窓の縁に装飾が多いのでそれと分かります。あの礼拝堂にあるモダンなステンドグラスは、19世紀の著名な芸術家のものです。
この聖堂の名は、ある聖人にちなんでつけられましたが、その人の彫像は現在では失われています。彫像で最も古いのは、あちらにある第3代主教のもので、左手の礼拝堂は、その主教の名にちなんでつけられました。回廊の中ほどにある、二つの石棺は、かってのこの地方の領主の兄弟のものです。彼らは、生前互いに憎み合い、政権をめぐって弟が兄を殺そうとしましたが、現在では仲良く眠っています。入り口の上方に並ぶ旗は、19世紀の戦争に参加したこの地方の部隊のものです。また旗の下にある床石には、第2次大戦で戦死したこの地方の出身者たちの名が刻んであります。
こんなふうにガイドの説明はまだまだ続きます。優秀なガイドであれば、客のいろいろな質問に応えて、いくらでも細かな解説を加えてくれるでしょう。それは、ちょうど、聖書のテキストが、いつ頃どんなふうにしてでき、その後どんな編集過程を経て現在にいたっているかを、それぞれの様式に分類して、解説してくれるのと似ています。しかし、どんなに優秀なガイドでも、あまり長々とやられてはこちらがうんざりしてしまうものです。しかも、もしもそのガイドが、自分の説明さえ聞かせれば、この聖堂の観光は済んだと思いこんで、客をせきたててバスに乗りこませ、さっさと次の名所へ向かったとしたらどうでしょうか。きっと皆さんは、何か味気ない思いがするでしょうし、中には、せっかくここまで来たのにと腹を立てる人もいるに違いありません。私なら、そんなガイドは、どんなに優秀でも、金輪際ごめんです。それくらいなら、たとえ不確かな知識でも、聖堂の入り口でもらえる簡単なパンフレットだけで、自分の足でゆっくりと見て回る方がまだましです。
だから、聖堂観光の意味を心得ているガイドなら、決してそのようなことはしません。彼あるいは彼女は、自分の解説を聞かせた後で、必ず客が自由に散策できる時間をたっぷりとってくれるはずです。客の中には、聖堂の前で写真を撮ったり、売店で記念品を買ったりする人もいるでしょう。ある人は、聖堂の建築に引かれて、これの写真を撮るのに余念がないでしょう。ステンドグラスの好きな人は、窓を飽かずに眺めるでしょう。少数の人は、聖堂の席にすわって、静かに祈りの時を持つかもしれません。ガイドの説明を聞いた後で、それぞれが、思い思いに、その聖堂をめぐって自分の時を持つ。これが、聖堂観光の最も大切な要素なのです。こうして、一人一人が「自分の想いをこめて」その聖堂に接し、そこから何かを得るのです。これが、「読み取り」に続く「読みこみ」の意味です。自分なりの「読みこみ」のない「読み取り」とは、自由時間のない聖堂観光と同じです。
ところで、もしもそこに、長年聖堂の近くに住んでいるお婆さんが入ってきて、聖堂の席にすわり、ひとりで静かに祈っていたら、皆さんはどう思うでしょうか。そのお婆さんは、聖堂の建物がどのような歴史的な経過を経ているかについては、あまり知識がないかもしれません。彼女は、ひょっとすると、堂内の古い彫像は、聖堂の名がそこからつけられた聖人の像だと思っているかもしれません。要するに、彼女は、観光ガイドの与えてくれるような知識はほとんど持っていないのです。けれども、彼女は聖堂のそばで生まれ育ち、聖堂の礼拝に親しんできました。聖堂はお婆さんの生まれる前からそこにあり、彼女が地上を去ってもそこにあります。聖堂はその複雑な過去を秘めて、あるがままの姿で、そこに建っています。お婆さんは、そういう聖堂を、そのあるがままの姿で、学問的には「無批判的に」受け入れているのです。彼女は聖堂を「観光」に来たのではないのです。祈るために来たのです。聖堂はそのためにあるのであって、彼女には、それ以外のことはどうでもいいのです。いろいろな知識は、知っていても悪くないけれども、知らなくても一向に差し支えないのです。彼女はいわばその聖堂の一部なのですから。彼女自身が、いわば、小さな生きた聖堂なのです。そんなお婆さんを、あなたは、聖堂の建物の成立過程を知らないと言って、その無知を笑うでしょうか。
聖堂は観光のためにあるのではありません。そこで祈り礼拝する人のためにあるのです。それが、聖堂がそこに存在している意味そのものであり、それ以外のことは、聖堂にとって副次的な事柄にすぎません。聖堂は、さまざまな歴史的な過程が組み合わさって成立し、それぞれの時代の刻印を帯びてはいるけれども、そこにあるのは、まぎれもなく一つのまとまった全体です。それはそれ自体で、みごとな調和をなしてそこに厳然と建っています。聖堂は、それの成立過程の詳細な知識を訪れる者に求めません。お婆さんのように、その中で礼拝し祈る人を求めているのです。だから、「聖堂観光」の知識がないと言ってお婆さんを笑う人は、聖堂に向かって聖堂を知らないと笑うのと同じです。
聖書のテキストは、聖堂のように長い年月を経て編集され成立しました。そのテキストに関する釈義的な知識は、私たちにさまざまなことを教えてくれます。このような知識は、疑いもなく、私たちの「読み取り」の幅を広げてくれるでしょう。しかし、それは、私たちが聖書をじかに読みこむことに取って代わることはできないのです。自分自身の「読みこみ」がいかに大切かがお分かりいただけたでしょうか。
聖書の伝える「真理」とは何か?
聖書の真理とは、私たちが普段に言う科学的な意味での「真理」と必ずしも同じではありません。それは、一般に自然科学で言うような万人に分かる客観的な真理、今まで隠されていたものが、理性に基づく推論と実験を通じてすべての人の目に明らかになるという意味での真理ではないからです。聖書でいう「真理」は、その本来の意味からは、むしろ「真実」、すなわち、うそ偽りがない、信頼できる、頼りがいがある、裏切らない、という意味に近いと言えます。だから、日本語の「まこと」のほうが、この意味に近いかもしれません。「神のまこと」、これに従うことがすなわち「真理を知る」ことです。したがって、このような「真理・真実」は、知的な営みによって得られるよりも、相互の信頼関係によって成り立つのです。それは、相手を信頼し、信頼することによってその人を理解するという仕方で「知る」ことです。このような知り方は、知識を積み重ねたり、理論を組み立てたりするよりも、その人と「共に歩む」ことによって初めて体得できます。自分の実際の歩みの中で聖書の言葉を生きる心構えこそ、聖書の真理を知る上で大切なのです。
しかし、こういう真理のあり方は、いわば、その人の主体的な歩みの中で実証され、「証し」されていくものですから、それぞれの歩みの中で、しかも、その人の内面においてしか検証されません。「信仰の歩み」とは、神のみ前にするものであって、人に見せるためでないというのは、このことを指しています。「詩編」に歌われているように、「あなたのみ前に完全に歩む」ことが、必ずしも人々の前に完全に見える、あるいは完全に理解されるとは限りません。むしろそうでない場合の方が多いのです。少なくとも、パウロのように、「悪評を受けても好評を博しても」ただ主のみ前に歩むという心構えがなければ、信仰によって歩む「真理」の生き方はできません。
信仰の自由と聖書解釈
自分が正しいと信じるところに従う良心とは、本来自然のままの人間に備わったものであり、その限りにおいて万人に共通するものです。ただし、聖書においては、この良心にみ霊の働きが加わることによって、良心が、人間同士の価値基準からさらに深められて、終末的な視点、すなわち、その良心が究極のところでは、神の隠れた裁きにゆだねられるという洞察が加わります。そのような良心は、今現在の人間の共同体にのみ通用する「正義」の概念とは必ずしも一致しないことになります。彼の良心は、そのような目先の「正しさ」よりもはるか未来を見通す神の「先見・導き」(英語の"providence")に支えられているからです。だから、このような良心は、現在自分が所属する限られた共同体の視野をはるかに超えたところに、より広い普遍性を見いだすことになります。こう考えると、ある共同体の中にあって、自己の良心に従って歩む人は、その共同体の中で、かえってほかの人よりも大きくて広い視野を持つことが分かります。このように、聖書的な良心に支えられる時に、その人の個性は、人間同士の普遍性を無視するのとは逆に、より高次な普遍性を獲得します。自由で創造的な人間の可能性は、こうして、人間の良心に支えられて発揮されるのです。
福音とは、この意味において「良心の自由」を基礎づけるものです。この福音と神なしには、「良心」は、人間同士の取引の材料にされてしまい、その場限りの特定の共同体の利害を代弁するものにすぎなくなります。このような状況では、良心はその「自由」を真の意味で発揮することができません。良心の自由が発揮できないところでは、先に述べた理性に基づく科学的な真理も育ちません。理性は、それ自体では必ずしも真理を生み出さないからです。それを生み出すのは、理性を真理に向かわせる人間の良心だからです。しかも福音と神なしには、こういう究極の意味での「良心の自由」は成り立たないのですから、聖書解釈において、「み霊にある自己」が持つ意味は、良心の自由を支える力としていかに重要かが分かります。聖書をどう読むのか。この聖書解釈に対する私たちの姿勢が、聖書以外のあらゆる「テキスト」の読み方の土台となります。しかも、初めに指摘したように、「テキスト」とは、単に活字となったものだけではなく、私たちの目の前にあるさまざまな現象をも「読む」ことを意味するのです。
ある事がほんとうに真理であるかどうかは、その人個人の霊的な良心によって認知されなければなりません。ここで「霊的な」というのは、自分の内面でほんとうに納得しているという意味です。宗教的な意味で「真理を知る」場合には、何を知ったかと同じくらいに大切なのは、どのようにしてそれが真理であるかを知ったかということです。
人は、たとえ真理を(信じて)いても異端者となることがありうる。単に牧師がそう言うからとか、(教会の)会議でそう決まったからという理由だけで、それ以外の理由を知らずにあることを信じるなら、たとえその信じていることが真理でも、その人の信じる真理それ自体が異端に転じる。自分たちの宗教に対する責任と関心という負担ほど、ある人たちが進んで他人に委ねたがるものはないのである。(ミルトン『言論の自由』)
これは、17世紀のイギリスのピューリタン詩人ジョン・ミルトンの言葉です。彼は、「信仰の自由」のために闘った人です。ミルトンは、またこうも言っています。「あらゆる信仰者は、聖霊に導かれ、その心にキリストを宿す限り、自分自身で聖書を解釈する権利を有する」(『キリスト教教義論』第1巻30章)。
み霊に導かれた一人一人の良心に基づく聖書解釈が否定されるところでは、必ず、ある特定の人、あるいは一団の人たちが、聖書解釈の実権を握るようになります。そうなれば、彼あるいは彼らは、意識的にせよ無意識的にせよ、「聖書の権威」を利用して、ある特定の信条のみを他の人々に押しつける危険が生じてきます。そういう人たちは、自分たちの権威を基準にして、ある事柄なり人間の行為なりが「正しい」かどうかを判断するようになります。こうして、人間に自由と命をもたらすはずの神の言葉としての聖書が、人間を抑圧しその良心を殺す道具に逆転するのです。教会の歴史、さらには人類の宗教の歴史を見る時に、このような事例は枚挙にいとまがありません。だから、大切なのは聖書がある特定の人の権威の根拠とはならないで、一人一人が、神のみ霊に導かれて、直接に神との交わりに入る道を確立することです。特定の人、あるいは人たちの権威づけのために聖書解釈が利用されることを拒否すること、これが私の言う「み霊による聖書解釈」の根本的な姿勢です。
こう言うと、それは、テキストを自己流の勝手な解釈に委ねることになるのではないか、という批判を招くかもしれません。私は、そのような「自分勝手な」解釈が出てくることを否定はしません。しかし、ここで問われてくるのは、何が自分勝手であり、何が正しいかということではありません。少なくともそれと同程度に、だれが、どういう過程を経てそれを決めるのか、ということなのです。信仰とは、そしてこれに支えられる宗教とは、人間の営みの根底にかかわる問題です。そのことは、逆に宗教は、人間が避けて通れない危険の中でも最も危険なものであることを示しています。それだけに一人一人の良心が神のみ前に問われることになるのです。
結び
この本の始めに、私は、現在の日本には、教会にも行かずにひとりで聖書を読んでいる人たちが結構いるのではないかと言いました。そういう人たちに、聖書を読むに当たって、どんな注意が必要かを、私なりに感じたままを書き連ねてみよう。そんな思いでこれを書き始めたのです。ところがいざ始めてみると、これはとても簡単にはいかないことに気がつきました。その結果、当初思っていたよりも難しいものになってしまったような気がします。特に文献批判のところでは、聖書の引用を省いたり、叙述が簡単すぎて分かりにくい点が多かったのをお詫びしなければなりません。
読者の中には、クリスチャンの方もおられるし、牧師の方や聖書学の専門の方さえおられるかもしれません。また文献批判に批判的な方もおられるし、逆に字義どおりの聖書解釈に批判的な方もおられると思います。キリスト教をめぐる状況が、これだけ多様化してくると、聖書学の専門の方々も、牧会の仕事に携わる方々も、その苦労は大変だろうと思います。しかし、この本が想定しているのは、何よりも「普通の読者」です。普通の読者が、一人一人の読みを大切にすること、これが、これからの福音にとって特に大切な意味を持つことを理解していただければ、私の目的は達せられたことになります。また、イエスのみ霊によって聖書を読むことを真剣に求めておられる方々が、進んで聖書学に接して自分なりの読み方を確かなものにするために、この本がいくらかでも役に立ってくれれば私の願いはかなえられたことになります。