日本の聖書解釈の現状
  現代の聖書学による学問的な聖書解釈の方法は、いろいろな意味で、先に述べたファンダメンタリズムとはちょうど正反対の立場をとっていると言えます。少なくとも現在の日本では、この二つの流れ、すなわち、ペンテコステ的な聖霊運動とこれを支えているファンダメンタリズム的な聖書解釈、これと、聖書の文献学的な批判に基づく聖書解釈、この二つの間を橋渡しする方法論はまだ存在していないと言えます。これは、日本だけでなく、世界的に見てもそういう聖書解釈の方法論を私は聞いたことがありません。もっとも、アメリカのハーヴァード大学の神学部では、この両者の立場を総合しようとする試みが始まっているという話を耳にしたことがあります。しかし、それが具体的にどういうものなのか私はまだ知りません。現在の日本に限ってみれば、聖霊運動と現代の聖書学、この二つは、分離したまま、両者の間には対話さえ成り立たないのが現状です。当然ながら、出版されているのは、学問的な立場のものが圧倒的に多いようです。しかし、実際に伝道活動によってその影響力を強めているのは、聖霊運動のほうなのです。だから、何も知らない日本の一般の人たちは、キリスト教についてかなり混乱した見方をすることになります。 
  対話と言えば、カトリック教会と今私たちが考えようとするプロテスタント諸派(いわゆる「新教」)との間でもようやく対話が始まったばかりです。その上に、霊感商法や原理運動とかかわりがあると言われる統一教会だとか、さらにエホバの証人、その上モルモン教(これらをキリスト教だと思っている人がいます)も加わって、いったいキリスト教とは何なのか、普通の人には見分けがつかないのが現状です。私のように聖書やキリスト教にいくばくかの知識を持つ者でも困るのですから、これから聖書を学び始めようとする人たちの混乱ぶりは察しがつこうというものです。私が、聖書学と聖霊運動との間の対話を考えてみようと思ったのは、このような理由からでもあります。
バルトについて
   現在の日本では、聖書学の分野に限ると、その主流はドイツで発達した一連の研究方法に基づいていると言えます。しかし、ドイツと言っても、その方法論は必ずしも一様ではありません。そこで、戦後日本のキリスト教界に大きな影響を与え、今もなお影響を与え続けているカール・バルト(1886年〜1968年)について触れることにしましょう。この人は、聖書学者と言うよりも、広く教会生活全般にわたる膨大な著作を遺していますから、神学者と言うほうがいいでしょう。
  バルトは、聖書の文献批判を一応念頭におきながらも、あくまでも聖書を「神の言葉」と見る立場をとっています。したがって、彼は、現代の聖書学がもたらした文献批判による価値基準、すなわち、聖書のテキストのある部分は「史的資料」としてより信憑(しんぴょう)性が高いとか、ある部分は後の加筆であるから歴史的な信憑性がないというような価値基準を、自分の聖書解釈に持ちこまなかったのです。文献批判の価値基準に従うなら、例えばマリアの処女懐胎などは、単なる物語であって、史料としては無価値なものになります。彼は、史料としての価値にかかわらず、聖書のテキストのどの部分からも神のみ言葉を聞き取ろうとしたのです。この点で、彼は、ファンダメンタリズムと相通じるところがあります。
バルトとファンダメンタリズムとの違い
   もっとも、バルトは、ファンダメンタリズムとは違って、聖書のテキストが、そのまま人間の言葉ではなく神の言葉であるという見方はしませんでした。聖書はあくまで「人間の言葉」ですから、学問的な批判の対象とされるのは正当なことです。ただ彼は、聖書本文の分析を踏まえながらも、そのような学問的な成果を聖書解釈の「予備段階」と位置づけて、聖書解釈それ自体と区別したのです。バルト神学の最初の出発となったのが、有名な『ローマの信徒への手紙』(1919年)という釈義です。この初版の序文で、バルトは、聖書解釈の基本的な姿勢を例えば次のように示しています。 トは、「ローマの信徒への手紙」を解釈するに当たって、歴史的・批判的な聖書研究法によるパウロ理解よりも、むしろその背後に、すなわち、そのように歴史的な制約を持つ人間としてのパウロの言葉の奥から、人間を超えた「キリストのみ霊」の声を聞きとろうとしました。序文の言葉を借りれば「歴史的なものの裏に永遠なる聖書の精神を『洞察』しようと心がけた」のです。聖書は確かに歴史的な状況の中から生み出された人間の言葉です。しかし、聖書では、その人間の言葉の背後から、神の言葉が、キリストのみ霊となって語っている、こう彼は考えたのです。だから、バルトは、聖書を書いた人たちをも含めて、人間と神とを厳しく区別しました。
  先に述べたように、バルトの聖書解釈は、聖書が歴史的な制約を受けた「人間の言葉」であることを認める点で、ファンダメンタリズムとはっきり異なります。しかし、同時に、その人間の言葉(時間の中の言葉)の背後から、神が(永遠のみ言葉が)現代に向かって語っていると見るのです。大事なことは、この場合、聖書のある特定の部分からではなく、聖書全体から例外なくみ言葉を聞き取ることができると彼が考えている点です。だから、バルトは、処女降誕も奇跡も、「時代遅れの神話」として聖書解釈から除去することをしませんでした。
  このようにしてバルトは、「古風な霊感説」にも「歴史批評」にもよらない方法で、ただ聖書だけを「神のみ言葉」が啓示された唯一の場として提示したのです。彼の立場と後で述べる歴史批評との違いは、歴史批評を代表するブルトマンからのバルトへの批判とこれに対するバルトの回答として、彼の『ローマの信徒への手紙』第三版の序言(1923年)に詳しく出ています。
バルトの聖書解釈の特徴
  ではここで、「ローマの信徒への手紙」2章17節、「ところで、あなたはユダヤ人と名乗り、律法に頼り、神を誇りとする」をバルトがどのように解釈しているのか、これを同じくドイツのNTDシリーズのアルトハウスの注解と比較してみましょう。   これに続けて、著者は、この節以下では、パウロがキリスト教徒となる以前の時期に、ユダヤ教の異邦人伝道を行なっていた際の立場を述べていると推測しています。
  では次に、同じ箇所をバルトがどのように解釈しているかを見ましょう。   独特のスタイルですが、わずかこれだけの引用からも、両者の違いを読みとることができます。NTDシリーズは、高い学問的な水準を保ちながら、一般の読者にも分かるすぐれた註解で知られています。すぐに分かることは、NTDでは、聖書の言葉の背景、とりわけパウロがだれに向かって、どのような自分の体験に基づいて、この節を書いているかが説明されていることです。ここに紹介しませんが、このほかに、用語の解説、文章構文の分析、さらにパウロが、すでに存在している伝承をどのように用いているかまでも指摘してあります。これが福音書の場合だと、さらに、記者以外の者の手による後代の添削・編集、すなわち、聖書の本文批判も行なわれているのです。
  ところが、バルトの解釈では、このような「解説」はほとんど現われてきません。それらは、聖書解釈の「予備知識」として、背後に退いてしまうのです。代わりに、聖書が、バルト自身に向けられた言葉として「何を語りかけるのか」を聴き取ろうとする姿勢がはっきりと読みとれます。これは「解説」ではなく、ほとんど「告白」と言ってもいいほどです。文中に繰り返される「お前」は、パウロであると同時に、バルト自身であり、同時にこの解釈を読む読者自身とも重なることが分かります。バルトの言葉を借りれば、彼は「パウロについて」ではなく「パウロと共に」語るのです。
テキストの送り手と受け手
  NTDでは、読者の目は、聖書の言葉とこれを語るパウロの歴史的な状況との関係に向けられています。ここでは、聖書のテキストは、そのテキストを書いた人、すなわち、テキストの「送り手」と関連づけられているのです。ところが、バルトでは、聖書のテキストは、これを読むバルト自身、および彼と同じ時代に生きる私たちへの語りかけとなってひびいてきます。すなわち、ここでは、テキストとこれを読む人、すなわちテキストの「受け手」とが関連づけられているのです。
  先に述べたように、バルトは、聖書学者と言うよりは神学者です。しかも、今世紀最大の神学者とさえ言われる人です。このような彼の神学が、こういうところから出発したことを私たちは覚えておくべきです。聖書を「自分自身との関係」において徹底的に読みこむ。これが、彼の神学の出発点であり、すべて「神学」(テオロギア・神の言葉)する者の出発点だからです。私たちは、決して聖書学の専門家ではありません。しかし、シェイクスピア学者でなくても、シェイクスピアの作品を読み、彼の芝居を楽しみ、自分なりにシェイクスピアを解釈することができます。医学の専門家でなくても健康に関する本を読み、自分の健康を管理します。同じように、聖書学の専門家でなくても、だれでも、信仰を持ち、言葉のほんとうの意味で「神学する」ことができるのです。
バルトの聖書解釈と聖霊
  私は先に、聖霊運動を支える聖書解釈と現代の日本の聖書学との間には、互いに共通する信仰の基盤がまだないと指摘しました。しかし、もしも両者の橋渡しをする神学なり聖書解釈があるとすれば、このバルトの立場が一番近いのではないかと思うのです。ところが、私の見るところでは、聖霊運動に対して、ある意味で最も厳しい見方をするのが、ほかならぬこのバルト神学の立場を採る人たちなのです。なぜそうなるのかをこれから考えてみましょう。
  バルトの立場は、聖書が人間の言葉であり、その意味で歴史的な文書であることを認めながらも、同時にそれが、イエス・キリストにある神の啓示を聴き取ることのできる「唯一の」場であって、それ以外には、神のみ言葉を聴く場はどこにも存在しないと考えるのです。聖霊とはイエス・キリストのみ霊のことですから、そのイエス・キリストが、聖書に啓示された歴史上の一点に立つイエス・キリストであるとするのであれば、イエスのみ霊は、歴史上の一点でのイエスとこれを指し示す聖書の言葉を通す以外には、他のどこにも出口を持たないことになります。しかも、そのイエスのみ霊は、聖書記者たちの人間としての限界を超越した、と言うよりもほとんど彼らの人間存在を「脅かし」これを超克する、バルト流に言うならば「寵克」するところからひびく神の言葉なのです。時間的な人間存在と永遠の神とを厳しく区別することによって、歴史の一点に啓示されていながら、なお人間的な歴史的な状況に左右されない神の言葉が、このようにして確保されるのです。
  したがって、ここでは、聖霊は、もっとも厳密な意味で、聖書を通じて啓示される神の「言葉・ロゴス」として働くことになります。くどいようですが、この神の言葉は、パウロやマルコの人間的な言葉の背後から、これを「脅かし」これとほとんど「対立」する形で働くのです。だから、ここでのイエスのみ霊は、人間の感覚や経験、知覚や思考と厳しく区別されなければなりません。それはいかなる意味でも、人間の側からとらえたり把握したりすることはできないことになります。それだけではなく、聖書以後の時代では、いかなる時代のいかなる人も、聖書を通じてのみ聖霊にあずかるのであって、それ以外の場所で、神の言葉と聖霊とが働く道は閉ざされてしまうことになります。どこまでも、歴史のあの一点と、それの証言としての聖書だけが、すべてなのです。バルトにとって「信じる」とは、いかなる人間的な営みも感知し得ない純粋に「神の奇跡」なのです。
  このような聖霊観からは、病気の癒しや異言や預言など人間の知覚に訴えるみ霊の働きは、きわめて厳しい制限を受けることにならざるをえません。ただし、この制限は、そういうことが、科学的な見地からありえないという意味での制限ではありません。そうではなくて、み霊は聖書を通じてのみ語られる神の言葉であり、それゆえに人間の経験的な受容を超えたものであって、いかなる人間の経験も感覚も厳密にこれと区別されなければならないという意味なのです。このようなバルトの聖霊観は、次に示す彼の『使徒信条』の釈義、「われは聖霊を信ず」の箇所の釈義によく現われています。
アッシジのフランチェスコと聖霊
  私は、このバルトの言葉を訳しながら、中世を通じて、というよりは全キリスト教史を通じて、最も傑出した人物と言ってもいいアッシジの聖フランチェスコ(1181年〜1226年)の話を思い出しています。彼の弟子が、ほかの修道院でもしているように、祈祷書の中の「詩編」を学ばせてくださいと願い出た時に(聖書を学ぶことは、この頃はごく限られた人たちにしか認められていませんでしたから、祈祷書が信仰のための知識の源であったのです)、フランチェスコは、その弟子の頭に灰をかけながら、「私が祈祷書だよ」と幾度も繰り返したと言い伝えられています。清貧に徹し、神とイエス・キリストとの霊的な交わりに徹することが祈祷書を学ぶよりもはるかに大切だということを彼は教えたかったのです。
  ここでは、聖霊は、学習すべき「言葉」ではなく、目に見える「生きた姿」となって、聖フランシスその人の具体的な生活を通じて働くのです。鳥と語り、人を愛し、太陽を賛美し、ひたすら祈りのうちにイエス・キリストとの霊的な交わりに生きる「肉体となった」イエス・キリスト、これが、アッシジの聖フランチェスコに向けられた賛辞です。ひたすら祈りのうちにキリストと交わることこそが、神のみ言が聖霊となって人間に宿り、生きた姿となって働くことを彼は弟子に教えたかったのです。これ以外に何を必要とするのか、暁を見るのに灯火が要るだろうか、こう彼は弟子に言いたかったのです。
バルトの聖書解釈の限界
  バルトの聖書解釈と聖霊観とは一体となっています。そこには、二つの特徴を見ることができます。一つは聖霊の通路が、聖書のみに厳密に限られていること、もう一つは、その聖書の啓示が、「歴史上の一点」を指すイエス・キリストに焦点を持つことです。しかも、その「歴史」は、人間の歴史を根底から脅かす神の言葉に基礎づけられています。「脅かす」というのは、裁き脅すという意味ではなく、人間的な体験や知識の感知し得ない領域からくるという意味です。極端な言い方をすれば、彼にあっては、聖書の啓示以後の一切のみ霊の「啓示」は、「ローマ・カトリックもこの流れに沿うプロテスタンティズムも」含めて、一切が誤りだということになります。このような聖書解釈と聖霊観に照らしてみるならば、現在のペンテコステ運動にみられる「自由で生き生きした」み霊の働きは、たとえどのように意義深いものであっても「人間的な熱狂」と映るのは避けられません。冷静で慎み深い「神の言葉」に根ざす神学が、大胆で力強い「イエスのみ霊」の働きを「熱狂」ときめつけるのは不幸なことだと思います。
  私たちは、ここに、聖霊の「言葉化」(ロゴス化)と聖霊の「肉体化」という、キリスト教の根本にかかわる問題が浮き彫りにされているのを見ることができます。聖書の証言するイエス・キリストは、「肉体となった神の言葉(ロゴス)」です。「肉体」と「ロゴス」、この互いに相反する二つの性質の間に、現代の聖霊観が引き裂かれているのです。聖霊はキリストの霊であり、同時にそれは神の言葉そのものでもあります。その意味でバルトの神学は全く正しいと言えましょう。しかし、同時にその「霊言」は、「肉体」となって、生きた人間存在そのものとなったことを忘れてはならないのです。聖書の証しする聖霊がこのようなものであるのなら、それは、地上の具体的な生活の中で、人間の肉体を通じて生きて働くのは当然です。それは、感覚も知能も体力も含めて、私たちの人間存在全体に働きかける「力」(ヘブライ語の「神」の語源)なのです。これこそが、聖書が証しする聖霊、例えば「使徒言行録」の聖霊の働きではないでしょうか。しかも、その聖書が、「イエス・キリストは昨日も今日も永遠に変わらない」と証言し、そのイエスが「私を信じる者は私の業(わざ)をなす」と言われているのであれば、過度に厳密な聖霊のロゴス化は、かえってみ霊の働きを著しくせばめる危険があります。
  バルト神学が、ある意味で正しいのは、過度に「自由な」聖霊の働きが、人間の欲望の発散に置き換えられて、このために放縦に堕してしまう危険があるからです。しかし同時に、み霊の働きは、過度に「ロゴス化」するとその生き生きした働きをせばめられ、その結果、日常生活の中での具体的な「肉体化」を失わせる危険があるのです。聖フランチェスコは、「バルトが危惧したのと同じほど」、この点を恐れたのです。言うまでもなく、バルトは、あまりに人間的な聖霊観が、神と人間との区別を見失わせる危険があると考えました。バルトが、その聖書解釈で、「幸いにも二者択一をせずに済む」と言ったのは、きわめて象徴的です。私たちは、現代の二つに引き裂かれた聖霊観の間にあっても、二者択一をせずに済むからです。
  聖霊運動を「熱狂」と決めつける人たちは、聖霊の「グノーシス」化を極度に警戒しているように見受けられます。けれども、これは見当違いと言うべきではないでしょうか。私の見方によれば、グノーシスとは、何よりも肉体と霊とを分離させる傾向を持ち、かつ、「知識・グノーシス」をして神的な位置まで高めることを意味しています。そうであれば、イエス・キリストの人格的なみ霊が肉体化することが、どうしてグノーシスなのでしょうか。どうか、み霊の肉体化を熱狂と取り違えないでいただきたい。聖霊体験を受けた者が、第一に感じることは、自分が何か外からの不思議な力に導かれていること、それが今までそう思っていた「熱狂状態」とはほど遠いこと、それは、まさに「力と愛と思慮分別の霊」(2テモテ1・7)であると体験することなのです。
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