ゲラサの悪霊追い出し
   私は、4章で、信仰の対象として一般の人が聖書を読もうとすれば、文献批判の方法とは違った基準を導入しなければならないと指摘しました。それは、このような批判が、当然のことながら、聖書のテキストを生みだした作者の意図それ自体とは異なる原理によって行なわれるからで、それゆえに、福音書記者の本来の意図と文献批判的な方法との間にズレが生じるのは避けられないと思うからです。
   それでは、福音書の記者たちは、何を意図して、どのような方法で福音書を書いたのでしょうか。この問題を読者の方々と一緒に考えてみたいと思うのです。このための手がかりとして、ここで、「マルコによる福音書」5章に出てくる「悪霊につかれたゲラサの人の癒し」の物語を取りあげることにします。私がこの箇所を選んだのは、聖書に現われる奇跡物語の中で、「悪霊追い出しの物語は教会にとって、イエスのメシア性の証明として特に重要であった」(ブルトマン『共観福音書伝承史』)からです。しかし、5章の悪霊追放の物語は、例えば、同じ「マルコによる福音書」の1章21節〜28節に出てくる悪霊追放の物語と比較しても複雑な構成をとっています。しかし、このことが、かえって、福音書解釈の問題点がどこにあるのかを理解していただくのに好都合ではないかと思うのです。なお、この物語の並行記事は、「マタイによる福音書」の8章28節〜34節と「ルカによる福音書」の8章26節〜39節にあります。ここで読者の方にお願いしたいのですが、「マルコによる福音書」5章1節〜20節を自分で読んでいただきたいのです。その上で、これを脇に置きながら、以下の解説をお読みください。
  資料批判の基準
  先ずこの物語が、文献批判の立場から見てどのような構成をとっているのかを見ることにします。その前に、この物語と同じような「マルコによる福音書」1章21節〜28節の物語と読み比べていただきたいのです。1章の物語では、23節から26節までが、マルコ以前の資料であり、これにマルコが、21節と22節をその資料の冒頭に置いて、その前の物語とつなぎ、さらに、27節と28節とをつけ加えて全体をまとめています。資料である23節〜26節は、悪魔払いの典型的な例とされていて、史実を含む古い伝承であると考えていいでしょう。このような古い伝承には、次のような特徴が見られます。

   この基準に照らして5章の物語を見ますと、1と3とは当てはまりますが、2については「いと高き神の子イエス」とあり、5については、20節に「言い広めた(宣べ伝えた)」とあるので当てはまりません。6については、奇跡が詳しく述べられてはいるが、癒やされた人に対する関心も、物語自体も最後まで持続しています。これらの特徴から判断すると、この物語は、古い伝承を含みつつも、これが変形し発展していく過程をよく示しています。

  文献批判による物語の分析
   1節に「(そして)一行は・・・ゲラサ人の地方に着いた」とあります。これはマルコのよく用いるつなぎの句です。しかし、後で述べるように「ゲラサ」という地名には問題があり、この語は原資料にあるままが用いられていると考えられます。2節の「すぐに」もマルコのよく用いる言葉で、1〜2節には、かなりマルコの手が加わっていると見ていいでしょう。ただし、2節では「やって来た(出会った)」とあるのに6節では「遠くから見ると」とあって、ややちぐはぐな感じを与えています。
   「ゲラサ」という地名についてですが、実はこれがガリラヤの湖から50キロほど東南にあって、この物語の地理的な状況としては合わないのです。「マタイによる福音書」では「ガダラ」となっています。ガダラもガリラヤ湖から5キロほど離れていますが、北には河があり絶壁もあって、地理的にはこの方が物語と合っています。そこから湖の沿岸までも「ガダラ地方」と呼ばれていたのかもしれません。ただ、ガダラもゲラサもヨルダン河の東側デカポリス地方にあって、ユダヤから見ればこのどちらも「異教の地」であることに変わりはありません。この物語は本来海辺の出来事ではなく、伝承の過程で、ゲラサでの出来事が、ガリラヤ湖の近くへと移されたのでしょうか。いずれにせよ、マルコは、これを書いている時点では、もはや「現地の地理的な関係を何も知らない」(シュバイツァー『マルコによる福音書』)のです。
   3節から7節までは、悪霊につかれた状態が生き生きと描かれていますから、これは、伝承によるよりもマルコの描写と見るべきでしょう。元々の話は、病人がやってきてイエスに出会い、悪霊が反発し(7節)、イエスがそれに応えられ(8節)、悪霊が出ていき、豚を飼っていた人々が証言したというほどの短いものであったとシュバイツァーは推定しています。しかし、この悪霊つきの描写の部分には、「詩編」68篇7節の七十人訳(七十人訳では67篇)の次の言葉が下敷きにされていると見ることができます。
   神は孤独な人々を家に住まわせ、
  鎖につながれている人々を、力をもって連れだし、
  反逆する者たち、墓に住む人々にも同様にされる。
  さらに「イザヤ書」65章4節の「墓場に座り、隠れたところで夜を過ごし、豚の肉を食べ、汚れた肉の汁を器に入れ」という一節も参考になります。
  8節はいろいろに扱われます。現行のテキストでは、7節と9節とが連結しているように思われますから、その間に8節が挿入してあるのは確かにちぐはぐです。もっとも、8節はもともと6節の代わりに(したがって6節はマルコか、あるいはマルコ以前の過程での挿入)7節の前にきていたという説もあり、あるいは8節を10節の後に置くという提案もあります。8節は「マルコの拙劣な付加だ」と言う学者さえいるのもこの理由からでしょうか。
  9節から13節までは、悪霊がうっかり名前をもらして(ほんとうの名前を知られるとその霊は知られた者に支配される)、このために豚に入れてくれと頼み、豚に入ったところで海に投げこまれたという、悪霊を欺く民間伝説がここに入りこんでいると言われています。たとえそうであっても、それが直ちに、「作り話」が紛れこんだということにはなりません。民話それ自体のうちにも事実に潜む真実が含まれているし、その民話が、全く新しいコンテキストの中に置かれることによって、それまでとは異なる意味に変質するからです。また「2000匹」というのは伝承の過程で起こる「誇張表現」と考えられています。「レギオン」というのはローマ軍団の呼び名です(英語の"legion"の語源)。ここでは、イエスが「(あなたの)名はなんというのか」とお尋ねになると「(私の)名はレギオン。(私たちは)大勢だから」と主語が単数から複数へと移行してくるのが特に注目されています。
  14節以下では、マルコの本来の資料は、15節で終わっていたとする説と、17節で終わっていたという説とがあります。あるいは、16節〜17節を15節と18節以下とをつなぐための挿入部と見る説もあります。いずれにせよ、18節から20節まではマルコの付加部分と見ていいでしょう。
  以上ごくおおまかに、この物語のテキストを文献批判の立場から眺めてみました。今までの説明からだけでも、読者は、文献批判の方法というものが、さまざまな仮説や推定の上に成り立っているのがお分かりいただけたと思います。だから、私がここで述べたことも、自分なりの理解に基づいて「一応こんなところか」というくらいのつもりであって、ここでの分析が正しいなどと主張するつもりはありません。私がこれをとりあげたのは、そのような文献批判の正確さが目的ではないからです。この物語が、マルコの手元に伝承として伝えられるまでに、元の形をも含めて、どのような過程をたどり変更が加えられているかを読者の方々に幾分でもお分かりいただけたら十分です。そこには民話が入りこんでいる形跡さえあります。
  マルコは、自分に伝えられた伝承に、さらに彼なりの編集を加えています。だが、その編集の仕方も、文献批判的に判断すると必ずしもうまくいっていないところがあるようです。「拙劣な」挿入もあるし、地理的な関係も必ずしも正確ではありません。そのほかにもややちぐはぐな点が見られます。冒頭の部分や18節以下の付加がマルコのものだとすると、どういう意図で彼はこのような付加を行なったのだろう、という疑問が生じてきます。福音書の記者として、マルコは、自分に伝えられた伝承を前にして、いったいどんな作業をしたのでしょうか。また、彼は「なぜ」そうしたのでしょうか。言うまでもなく、これらの疑問は、このゲラサの悪霊追い出しの記事だけに限った疑問ではありません。同じ問いは、「マルコによる福音書」のすべての部分にも当てはまります。マルコだけではなく、マタイにもルカにも、それぞれに違った状況で、基本的には同じ問いが向けられることになると思います。
  著者はどこに?
   この福音書では、表題に「マルコによる福音書」とあるだけで、それ以外、ここには「マルコ」という名前はいっさい出てきません。それは、ここに語られている物語が、マルコ個人の考えや意志や心情と直接にかかわりを持たないことを示しています。では、「マルコによる福音書」には、著者であるマルコの痕跡が全くないのかというと、実は1カ所にそれらしいところが見つかるのです。14章の51節と52節に、マルコはちょっとしたエピソード(挿話)を差し挟んでいます。    これは、イエスの逮捕とこれに続く最高法院での裁判の場面の間に挟まれた短いエピソードです。しがって、前後の物語の展開とは直接関係がありません。しかも、亜麻布を裸の上にまとっているのは、寝る時の姿ですから、この若者は、イエスと一緒に終始行動をともにしていた11人の弟子ではありません。この多少ユーモラスな「裸で逃げた若者」とは、マルコ自身のことではないかと言われているのです。決定的な証拠はないのですが、マルコが、この若者のことをこのような重要な場面でわざわざ書き記しているのは、彼自身もイエスの逮捕に直面して、若者同様の無様な姿をさらしたことをここに重ねて見ていると考えてもいいでしょう。実際、この記事の後のペテロの否認に代表されるように、「マルコによる福音書」では、特に、弟子たちの無理解、無知、弱さが強く印象づけられてきます。だから、マルコがこの若者に自分の姿を見ていても少しもおかしくありません。
  復活のイエスに出会う
  そんなマルコが、どうしてこのような力強いイエスの姿を描く福音書を書くことができたのでしょうか。この謎を解く鍵は、16章6節にあります。    この段階では、復活の啓示を受けた婦人たちは、まだ「震え上がって、正気を失った」状態です。しかし、「使徒言行録」2章にあるように、やがてこれらの無知で悟りのなかった弟子たちの上に、復活のイエスのみ霊が聖霊となって注がれるのです。イエスは今も生きて働き、生前と同じ業を行なっておられる。これが教会の出発であり、キリスト教の原点となりました。その間に、イエスの業やイエスの言葉、およびこれに関連する物語が生まれ伝承されて、人々の間に広く伝えられました。これらの伝承を担ったのはイエスの直接の弟子たちを中心とした原始パレスティナ教会であり、その教会を軸に発展していった初代教会です。「マルコによる福音書」はこのような状況の中で書かれました。
   「復活のみ霊のイエス」、これがマルコをとらえ、一人一人のクリスチャンたちをとらえていった力です。この力にうながされて人々は福音を語り、宣べ伝えました。このことが分かると、よみがえり今も生きて働いているイエスこそ、マルコをしてこの物語を書かせたほんとうの原動力なのだということが理解できます。生前のイエスが、今もなお生きて、自分とともに歩み、語り、その業(わざ)を行なっておられる。彼が、自分の書いている福音書から己の姿を完全に消し去ったのは、もはや自分の意志や業(わざ)や思想から出たことではなく、今も生きて働かれるイエスのみ霊の業による以外の何ものでもないことを彼自身がよく知っていたからだと言えます。これこそが、福音書の記者たちが、それぞれの福音書を書きながら絶えず意識していたこと、すなわち福音書のテキストの「送り手自身から見た視点」なのです。だから私たちも「この視点から」、すなわち復活のイエスのみ霊が今もなお語り働いておられるという視点から、この悪霊追い出しの物語を見ていくことにしましょう。
      復活のイエスと一緒にいる視点から     
   「(そして)一行は、湖の向こう側へと、ゲラサ人の地へと着いた」と冒頭にあります。マルコは、この物語の前に、嵐の湖とこれを鎮めるイエスの物語を置いています。ここでは、「かつて」そうであったと伝えられる嵐の湖とこれを渡ったイエスの姿が、「今自分と共にいる」イエスが渡られる湖と重なり合うのです。大事な点は、マルコが書いているのが、「福音書」であって「伝記」ではないことです。だから、ここでは、過去の出来事は、現在のイエスのご臨在を証しするための手段ではあっても、決してその逆ではありません。かつて弟子たちと共に湖を渡った「その同じ」イエスが、今自分と共に湖を渡られるのです。このように過去を現在の時点へと移し変えて見る表現では、言い替えると、過去の出来事を現在の状況を表わす表現手段として用いる仕方では、その過去は、現在の状況を投影するために「比喩的な」性質を帯びることになります。すなわち、過去の出来事は、現在を投影させるための映像として「表象化」されるのです。
   この場合の「比喩」というのは、現実にありもしないことを「たとえ」として用いるという意味ではありません。そうではなく、実際に起こった出来事、実在した人物、地理的な場所などを、「その過去の実在性」をそのまま受け継ぎながら、これを現在の時点へと投影させることなのです。しかも、マルコは、これを単なる文学的な表現上の手法として用いているのではなくて、くどいようですが、文字どおりに生前の同じイエスが自分と共に語り働いておられるという確固とした信仰に基づいて語っているのです。彼の語りたいのはまさにこの信仰であり、彼が伝えたいのはこのイエスの臨在にほかなりません。したがってマルコは、復活の「中から」語っているのであって、復活について語るのではないのです。だから、彼は「今ここで」、イエスと共に伝道のために湖を渡るのです。それは、暗く嵐の吹きすさぶ、波の荒れ狂う不気味な状況です。その不気味な水域の「向こう側」にあるのは、もはや福音もなく神も存在しない「異教の地」です。そこには、湖の「こちら側」では飼われていない「汚れた豚」が群れをなし、人々はこれを食べその汁を飲んでいます(先の「イザヤ書」の引用を参照)。このようにして、嵐の湖は、次に続く悪霊の住む異教の地の前触れとなってきます。
  「ゲラサ」という地名の意味するもの
   1節「湖の向こう側へと、ゲラサの地へと」(直訳)。この物語では方向を現わす助詞が多く用いられていることに気づきます。物語がさまざまな「運動」で構成されているのに注意してください。イエスが来られる。船から出る。悪霊につかれた人が来る。彼は動き回る。彼は走り寄る。イエスが「出て行け」と言われる。悪霊が出る。豚に入る。豚が降る。海の中へと落ちる。マルコの視点は片時もじっとしていません。彼は前へ前へと突き進んで行きます。復活のイエスが共におられて、常に先へ先へと「突き進む」からです。福音は決して休まない。常に新しい境地、まだ伝えられていない地方へと前進します。福音が進む先、そこには、例外なく、神の住まない悪霊の横行する「異教の地」が広がるのです。
  こういう視点から見るなら、「ゲラサ」という地理的な名前も「汚れた豚と悪霊の住む異教の地」を意味する表象に変わってきます。マルコにとって、それは、確かに「かつて」イエスが訪れられた実在の地名でしょう。しかし、「復活のイエスの中から」見ている今のマルコには、そのような地理的な正確さよりも、イエスのみ霊が「今マルコと」訪れようとしている異教の地としての意味のほうがはるかに重要となります。「ゲラサ」は、復活のイエスが「現在働いておられる」、すなわち福音の伝道が行なわれている悪霊の住む地なのです。すなわち、「ゲラサ」は、本来は実在の地名でありながら、それ以上に象徴的な意味を帯びるのです。彼が、厳密に地理的な正確さを必ずしも求めないのはこの理由からです。
   表象化とは、ここでは、過去の出来事を現在に結びつけるための手法であり、さらに重要なのは、そうすることによって、現在が、今度は未来へと(すなわち20世紀の私たちへと)開かれるための手法なのです。このようにしてこの名前は、これと同類のさまざまな土地を代表する名前、すなわち一つの「タイプ」となります。
  まず言(こと)があって事が起こる
  先にこの物語が、多くの運動によって構成されていると指摘しました。しかし、その運動は、場所的な移動を現わすだけではなく、同時に時間的な「運動」をも含んでいるのに注意しなければなりません。イエスが船から上がられる。「すぐに」悪霊につかれた人が来る。この「すぐに」は、速度よりも時間的な緊迫を表わします。イエスが名前をお尋ねになる。悪霊が答える。イエスが出て行けと言われる。悪霊が出て行く。20節での癒やされた人の行動は、19節でのイエスの命令に正確に呼応しています。イエスの振舞いとイエスのお言葉は、ここでは同じレベルの働きをしているように私には思えます。彼が、船から上がるという行動も、「出て行け」という言葉と同じように悪霊の反応あるいは反発を誘うのですから。しかも、先ずイエスが、その言葉なり行動を通して「語られる」。すると、その語られた「事」がこれに引き続いて起こるのです。先にイエスの「ことば」があって出来事がこれに呼応して生じる、というのがここでのパターンです。ここではすべての出来事は、あらかじめ語られる。すなわち「予・言」されるのです。
  このことは、「マルコによる福音書」の基本的な構造を示唆していると考えることができます。運動は空間的であると同時に時間的です。イエスは(空間的に)先へ進まれます。しかも、彼は「前もって」出来事を見ているのです。彼は予見する、すなわち、pro-video(先を見る)します。それは、彼が、神のpro-vidence(摂理・導き)をまっすぐに歩むからです。ここでは、イエスが語られることは神が語られることです。神が語られると事が成る。神の「言(こと)」が神の「事」として成就する。これが「マルコによる福音書」の語りの構造です。
  3節から5節まで。ここでの悪霊つきの描写は、おそらくマルコ自身の手によるものでしょう。しかも、後で述べるように、マルコはこれを現実に彼が見た悪霊追放の体験に基づいて書いていると思われます。しかし、彼は、そのことを自分の言葉や表現で語ろうとはしないのです。そうではなく、この出来事を描写するのに「詩編」67篇の言葉を下敷きにするのです。すなわち、ここでも、旧約で予・言されていたことが、イエスにあって成就するというパターンを用いています。イエスにあっては、すべての事があらかじめ予・言されているからです。「神の子イエス・キリストの福音の始め」。この福音書はこういう書き出しで始まります。そして次に「預言者イザヤの書にこう書いてある」と続くのです。旧約聖書に予・言されていた言(こと)が、イエス・キリストの事として成就した。これがマルコの伝えたいイエス・キリストであり、この福音書の語りの構造それ自体です。
              悪霊がイエスを見分けたこと
  6節と7節については、解説よりも、むしろアメリカの宣教師の語る現在起こっている実例をお伝えする方が何よりも分かりやすいのではないかと思います。    私が引用文の始めに「現在起こっている」と言ったのはわけがあります。この物語を書いているマルコも、まさに自分の周りでイエスのみ名によって起こっている出来事を現実に体験しながらこれを書いている、こう考える方がはるかにテキストが理解できるからです。私は、マルコ自身が、実際に悪霊と対決した体験があるのではないかとさえ思っています。少なくとも、彼の周辺にいる人たちが、このような悪霊の追い出しを行なっているのを見たり聞いたりしながら書いているのは確かです。7節から13節までは、そうでないととても書くことができないほど描写が正確なのです。マルコは、自分の語る一語一語をはっきりと知っています。「マルコによる福音書」は、癒しの伝道の教科書だ、こうオズボンさんが言っていたのを思い出します。
マルコの挿入は「拙劣」か?
   8節は、先に指摘したように、文脈の上ではきわめて「拙劣な」挿入の形をとっているように見えます。確かに、この節は、10節の後に置くほうが通りがいいようです。しかし、一見なめらかに通る文体が、必ずしも優れているとは限りません。例えば、偉大な詩人の文体の場合は、韻律のなめらかさをわざと破壊することで、読者にある効果を与えようとすることがよくあるのです。単に通りがいいだけでは、表現として迫力があるとは言えません。8節が、9節の前に挟まりこむことによって、読者にある種の衝撃を与える働きをしているのは確かです。これが、10節の終わりに置かれていれば、とてもこれほどの緊迫感を与えることはできないでしょう。
   この衝撃は、マルコによるのか、彼以前の伝承の段階で生じたのか、あるいは伝承断片の切れ目によって生じたのか(これはありえないと思うが)私には判断がつきません。しかし、どのような経過を経た結果であれ、マルコが、意図的にその結果をここに保持しているのは、それなりの理由があると思います。
   なぜなら、8節は、この物語全体の中で最も重要な位置と内容を含んでいるからです。位置については後で述べることにして、先ずその内容から見てみましょう。悪霊追放の物語には、それぞれ互いに異なる部分がありますが、一つだけ共通するのは、どの場合にも必ず、「悪霊よ、出て行け」という命令がくることです。この命令は、その物語の最も決定的な瞬間に発せられます。私の知っている標準的な定型は「イエスのみ名によって命じる。・・・・の霊よ、この人から出て行け!」です。言うまでもなく、説教者や伝道者が命じるのは、自分の権威や力によるのではありませんから、必ず「イエスのみ名」によらなければなりません。しかし、ここでは、イエスが直接に命令を下されています。多少のヴァリエーションはあるかもしれませんが、この定型は、悪霊追い出しの物語ではほとんど変わりません。
   しかもそれは、当然のことですが、きわめて緊迫した状況の下で発せられる最小限の「ことば」です。悪霊に有無を言わせずに命じるこのような衝撃は、ここでのマルコの破格のスタイルにはっきりと意識されています。その前後の文脈を無視したスタイルは、まるでマルコが、目の前に悪霊を見ながらこれに命じているのではないかとさえ思わせます。この直後、9節で、「私の名は」と「私たちは大勢」のように悪霊つきの人称が単数から複数へと分裂します。このことは、今までその男と一体になっていた悪霊が、ここでその男の人格から分離して、悪霊それ自体が語り始めたことを示しているのです。8節は、この意味で、前後の文脈を破るような効果で、のっぴきならない状況をつくり出します。このような衝撃的な効果、これがマルコの真の意図です。
   さらに、物語の展開が、8節の置かれた位置を境にして、はっきりと対照的な様相を見せ始めます。前半ではイエスは「船から出られる」。後半ではイエスは「船に乗りこまれる」。前半では男は人里離れた「墓場に住む」。後半では身内の住む「家に帰る」。彼は裸でいたのに、今は服を着る。彼は歩き回っていたのが、今はイエスの前に座る。先に悪霊は人間の中に宿っていたのに、今は「汚れた」豚に入る。悪霊は山、すなわち高いところにいたのに、今は豚とともに海の中へと落ちていく。先には狂っていたのに、今は正気になっている。男はイエスとのかかわりを拒否したのに、今は一緒に行きたいと願う。彼は、死の領域から命の領域へと移されたのです。マルコの構成は的確で、その描写は正確です。
  悪霊の数は誇張か?   
   12節と13節とは、悪霊が移動したり、二千匹という「誇張表現」が用いられたり、民話の影響などが考えられるところです。ここでも、読者の方々に、現在のアメリカで行なわれた出来事を知っていただくことにしましょう。  さらに同じ本の中からもう一か所の引用を許してください。    オーラル・ロバーツは、しかし、この自分の奇跡も、イエスが追い出された2000の悪霊には比べることができないと言うのです。「少なくとも2000」とロバーツは言います。「あるいは5万くらいいたかもしれない。」それくらいイエスの力はすごいのだと言いたいのです。み霊の力の前には、全世界の悪霊が従うのだと。だから、「マルコによる福音書」16章の付加部分に、「全世界に」出て行って福音を宣べ伝えよと命じてから、「信じる者は私の名によって悪霊を追い出す」とあるのは、ここでのマルコの「2000」が意味することを的確に言い当てていることになります。
聖書には神話や民話が入りこんでいる
   9節から13節までには、民間伝説が入りこんでいると言われています。伝承の過程で、福音書の中に、民話や伝説や神話、それに文学的なモティーフなどが入りこむのは十分考えられることです。「マタイによる福音書」の処女降誕伝説などは、その典型的な例です。これらの神話や伝説を正しく解釈するためには、どのような伝説なり神話なりが、なぜ入りこんだのか、それはどのようなかたちに変えられたのかを確定する必要があります。しかし、これがとても難しいのです。この問題は、これからの聖書学の大きな課題となり、同時に最も魅力ある分野になるのではないでしょうか。
   読者の中には、民話や伝説が入りこむのは、聖書の信憑性にかかわると考える方がおられるかもしれません。あるいは、神話・伝説が、ギリシアやエジプトなどの異教世界のものである場合は、ヘブライ・キリスト教的伝統の純粋性が損なわれると思うかもしれません。民話や伝説は「作り話」だから、そういうものが入りこむと、イエスの史的な事実が失われたり歪められたりすると考えるかもしれません。そういう神話的な要素を取り除いて、厳密に歴史的な事実だけを取り出すことによって、福音書のテキストを「非神話化」するのが文献批判の目的の一つであると言っていいでしょう。
  文献批判は神話・伝説をどう扱うのか?
   文献批判がこのように神話的要素を除去しようとするのは、神話や伝説が入りこんだ資料断片が、復活のキリストへの信仰を表明する手段として用いられていても、そこには、史実としての背景が存在していないと考えるからです。しかしながら、ある民話なり神話なりが、なぜ、どのようにして福音書に入りこんだのかを、厳密に再構成することは、文献批判的に見るとなかなか難しい場合があります。したがって、文献批判では、このような民話・伝説・神話などに基づく断片の果たす役割をできるだけ狭く限定し、かつそれが、復活のキリストへの信仰を表現するための教会の手段であるかぎりにおいてのみ、その断片の価値を認めようとする傾向があります。しかも、その際の解釈の視点それ自体も、歴史社会学的な観点から見て合理的なものでなければなリません。
   こういう視点から見ると、「2000」という悪霊の数は、イエスへの信仰を強めるための「誇張表現」だとか、マルコの編集は、当時の教会が(イエスがではなく)、ある特定の論敵を意識して、その敵に対する護教的な観点で付加したものであろうという推定が可能になります。また、福音書の作者は、手元にあるイエスに関する資料を取りこむために、その資料に合うような状況を、イエスの生涯の中に自分で「創作した」と考える場合もあります。こういう視点からする分析や解釈は、確かに合理的で理解しやすいものです。
   しかし、福音書の記者は、必ずしもそのような史実の厳密さを意識したり、自分の編集なり記述なりが、歴史学的・社会学的な観点からどのような解釈を招くのかを配慮して書いているわけではありません。彼らは、あくまで、自分の置かれた状況の中で、「復活のイエスのみ霊」に沿って物事を見、かつその視点から自分に伝えられた資料を解釈しているのです。だから、文献批判が、聖書本文の資料批判によるテキストの分析の段階を越えて、その資料の意味それ自体にまで踏みこみ、これを「解釈」しようとする時には、よほど用心しなければなりません。特に、ここでのように、民話や伝説や神話的要素が入りこんでいる場合にはそうです。史実のみを追求する意図のもとに、資料を除去したり、その資料に対する作者の意図を「社会学的に」解釈するというのであれば、その場合の「史実」とは何か、さらには「歴史」とは何かという、歴史それ自体の意味までも問われてくることになるからです。
   このゲラサの悪霊追放の物語には、名前を知られることによって、知った者にまんまとだまされて、豚に入って溺れ死んだ(ややトンマとも思える)悪霊の話が入りこんでいると言われています。その真偽は確認できません。しかし、ここでは、資料分析の正確さが目的ではありませんから、おそらくそうであろうという推定に立って、ではいったいこのようなテキストをどう解釈すべきかを考えてみることにしましょう。この物語では、この民話は、テキストの「周辺的な」位置を占めているのでないのはすぐに分かります。なるほど、イエスが悪霊を追い出されたという全体の筋からみれば、名前を聞かれるとか、豚に入るとか、崖から落ちるとかは、必ずしも不可欠な要素ではないかもしれません。しかし、イエスと悪霊との対話、さらにこれに続く一連の出来事を除去すれば、この物語の構成それ自体を失わせてしまうことになるのは、読者もお分かりいただけると思います。教会の聖書解釈の長い伝統では、この物語は、イエスの命令で豚に入って海で溺れ死んだ悪霊というまさにこの部分で注目されてきたのです。福音書解釈で問題なのは、ここでの場合のように、資料分析の結果明らかにされた伝説や民話や神話的要素が、福音書の物語の構成上重要な位置を占めている場合です。しかも、このような事例が4つの福音書を通じてかなり多いと私は見ています。当然ながら、代々の教会は、文献批判が除去した「まさにその部分」に解釈の焦点を合わせて、釈義とこれに基づく教義の歴史を形成してきているのです。
  マルコの見る神話・伝説
   ではいったいマルコは、この民話をどう見ているのでしょう。おそらくは、マルコの手元に伝えられた伝承の段階で、すでにこのような形になっていたのでしょう。だから、マルコ自身は、この伝承にそのような民話が入りこんでいることをそれほど意識しなかったかもしれません。しかし、仮にマルコがこのことに気づいたとしても、そのゆえにこの部分を削除はしなかったと思います。なぜなら、マルコは、今自分が編集している仕事の持つ真の意味を、必ずしも資料の史実としての信憑性に置いてはいないからです。ではその断片が、ギリシアやエジプトやペルシアの異教的な伝説や神話を含んでいる場合でも、彼はこれを削除しないのでしょうか。復活のみ霊のイエスの視点から観るならば、そのような異教的な要素はふさわしくないと思わないのでしょうか。
   私たちがこういう疑問を抱くのは、異教的な要素が入りこんでいれば、現在のイエスのみ霊の福音のいわば「経歴に傷がつく」と思うからです。なぜかと言えば、私たちの見方からは、現在とは過去の結果であり、過去に欠陥があれば、その結果として生じた現在にも「傷がつく」と考えるからです。ところがマルコも福音書の記者たちもそうは考えないのです。イエスのみ霊に照らされたマルコの視点からは、これまで「過去にさまざまな経歴を持つ」資料が、新しい光に照らされて見えてくるからです。
   悪霊につかれた人の描写の下敷きになっている旧約聖書の詩編を思い出してください。マルコは、この詩編の箇所をイエスによって行なわれた出来事、そしてマルコの時にもなお行なわれつつある出来事への予・言と観ています。これによって復活のイエスこそ聖書に証しされたメシアであることを示そうとしています。ところが、キリストの福音に反対するユダヤ教徒はこのようには受けとめません。それは、彼らが、「マルコが観ているような見方で」聖書を読まないからです。
   ではマルコとユダヤ教徒とは、旧約聖書の読み方のどこが違うのでしょう。ユダヤ教徒にとって旧約聖書は聖典です。だから彼らは、聖書のテキストそれ自体を真剣に読みます。ここでは、旧約聖書は研究の対象なのです。すなわち、ユダヤ教徒は、ほかの一切の思いこみを捨てて、ひたすら過去に書かれたテキストそれ自体の中から、現在の自分たちへの語りかけを読みとることに努めるのです。ところが、マルコの場合は少し違います。なぜなら、彼は、復活のみ霊のイエスの中から聖書を観ているからです。だから、マルコにとっては、旧約聖書は、それ自体で、無条件に研究の対象とはならないのです。彼には、「現在自分と共にいる」復活のみ霊のイエスの視点から旧約聖書がどう読めるかが重要なのです。ここでは、過去と現在とが入れ替わります。起点はどこまでも現在にあります。だから、マルコにとっては、旧約聖書は、イエスが神の子キリストであることを証しするための補助手段ではあっても、過去に書かれた旧約聖書それ自体の解釈が目的ではないのです。
「過去」をどう見るのか?
    したがって、旧約聖書がキリストを予言していることは、復活のキリストの光に照らして初めて見えてくるのだということが分かります。私たちは、新約聖書に引用されている旧約本文のテキストが、しばしば、その元のコンテキスト(文脈)からはずれた仕方でなされているのを知っています。それは、このような視点から引用されているからです。ここでは、「過去のテキストは現在の視点から作り替えられる」のです。福音を信じるとは、「悔い改める」ことだとマルコは言います。悔い改めるということは、一度「過去に戻る」ことなのです。そして過去をもう一度「改める」ことです。人間は過去を「改める」ことができる。すなわち、過去を「創り替える」ことができるのです。これがどんなにすばらしいことか、読者の方々は想像がつくでしょうか。だから、み霊のキリストにあっては、歴史は、過去から現在へ、そして未来へと一方的に流れているのではありません。また、現在を規定するのは過去の「経歴」ではないのです。過去は、いわば、自分と共にいるイエスのみ霊によって「新しく啓示」されるからです。復活のイエスのみ霊は、このように、あらゆる過去の出来事を、新しい「今の時」から観させてくれます。そうすることで、過去が、実は現在与えられているみ霊の啓示に至るための準備段階であり、過去は、現在が成就するために前もって備えられていた道筋であったことが啓示されるからです。福音書の記者たちにとって、自分たちの手元に伝えられた伝承が、どのような過去を持つのか、そこには、異教的な要素が混入してはいないかということに、それほどこだわらないのは、このような理由によるのです。
   旧約聖書を含めて、聖書の中には、聖書以前の古代からの人類の神話・伝説・歴史・文学など、およそありとあらゆる要素が流れこんでいることが、最近の聖書学の発達によってだんだん明らかになってきました。もはや聖書が、「異教世界」から孤立した純粋な伝統を誇るなどと考えることはできなくなったのです。その間の事情は、かつて、新約聖書のギリシア語が、特別に神聖なギリシア語であると言われていたのが、実は当時最も広く日常で用いられていたコイネーと呼ばれるギリシア語であることが、学問的な研究によって立証されたのと似ています。だからと言って、私たちは、聖書の価値がそれだけ下がったとも、不純になったとも思いません。むしろ、キリストの福音には、「ありとあらゆる知恵が」含まれているのを知るのです。そして、この福音の光に照らし出される時に、人類のあらゆる過去の遺産が、全く新しい意味を帯びて「よみがえって」くるのを発見するのです。
  この伝説の意味するもの
   悪霊の話に戻りましょう。もしも、もとの民話が、まんまと悪霊をだまして豚に入りこませ、溺れさせたというややユーモラスな話であれば、だまされたトンマな悪霊もかわいいところがあります。それは、人間に災いをもたらす一つの力、と言うくらいの意味での「悪霊」です。実は、こういう「霊の働き」(それが吉であれ凶であれ)は、古代のヘブライ、あるいはそれ以前にまで遡ることができます。意外に思われるかも知れませんが、古い時代のヘブライでは「神」と「悪霊」とは、本来同じ「力・霊力」でとらえられていたのです。ヤハウェ信仰の発達にともなって、地元のカナンで信仰されていた神々や、異教世界から入りこんできた神などが、このような悪霊と見なされるようになっていった形跡もあります。民話の中には、神話が解体されて断片的なものとなり、人々の間に流布したものが多いことから見ますと、ここでの悪霊の民話も、このような古い神話がその背景にあるのかもしれません。
   しかし、私は、この物語に関連している民話の悪霊は、こういう一般的な意味ではなく、もっと具体的な名前を持って民間に知られていた悪霊のことではないかと考えています。これは私の推定ですが、その名前は「アザゼル」です。アザゼルは「レビ記」16章26節に現われます。不思議なことに、そこでは、贖罪の二頭の山羊が、一頭は主に捧げられ、もう一頭は荒野に住むアザゼルに捧げられるのです。このアザゼルは悪霊ですから、「荒野に追いやられる」山羊は、生け贄の山羊(スケープゴウト)として、人間の罪を背負って、荒野に住む(荒野は混沌と無秩序の世界)悪霊に捧げられました。したがって、「アザゼル」は、この悪霊のものとされた犠牲の山羊それ自体をも指しています。さらにこの名前は、アザゼルの住む地、すなわち荒野、特に鋭い岩山などのある場所をも意味します(アラビア語で「アザ」は「切り立った場所」のこと)。さらにこの名前は、荒野に住む(特に人間の汚れを背負う)悪霊それ自体となり反逆の天使の名前ともされるようになったのです。
   これらのことから、マルコの資料に含まれる民話は、アザゼル伝説に由来するのではないかと私は推定するのです。もしそうだとしたら、イエスが、わざわざ湖を渡られ、荒野に住む「アザゼルの犠牲者」を救うのは特別の意味を持つことになります。それは、十字架にかかり人間の罪を背負ったイエスが、人の罪を背負い荒野に追いやられた贖罪の犠牲の山羊を救い出されることを意味するからです。「レギオン」という名前が、ローマ軍団を意味していて、これは、イエスを十字架につけたローマの兵士を暗に示唆していると注解書は指摘しています。そうだとすれば、ここでは、贖罪の犠牲とされて悪霊に渡された一匹の山羊とも言うべき一人の男が、同じく贖罪の生け贄となり、しかも復活したキリストの力によって解放されるという図式が浮かび上がってきます。なぜイエスの話とこの民話とが結びつくのか。その理由がこの辺にありそうに思われるのです。荒野。岩山。鋭い崖。恐ろしい力の霊。人間の交わりから追放された者。これらすべてのモチーフが、アザゼルとの結びつきを示唆しているように私には思われます。
  マルコはこの伝説をどう見たか?
   ではマルコ自身は、この資料をどのような視点から扱っているのでしょうか。ゲラサが、異教の地としてイメージされている点については先に述べました。このことは、悪霊が、福音に逆らう力として意識されていることを意味します。ここでは、悪霊につかれた一人の男とイエスとの1対1の出会いに焦点が絞られています。物語の舞台に登場する時には、弟子たちもイエスと共にいたはずですが、彼らの姿は消えてしまいます。マルコの視点は、その地方の人々が登場するまでは、イエスと悪霊つきとの人格的な出会いとその結果生じる男の人格的な変容とに集中しています。ここでは、個人とその人格をめぐっての悪霊とイエスとの対決に焦点が当てられているのです。したがって、悪霊は、何よりも、人格の破壊者として現われます。闇と光の対決とか、この世を支配するサタンの力などは、物語の隠喩として後方に退いて、直接読者に訴えるのは、個人の、しかも人格的な滅びからの救いです。だから、悪霊は、この世に災いをもたらすとか、悪を行なうとか、神に逆らうとか、不気味な存在とかいうよりも、一人の人間の人格的な生命を破壊する者(「石で自分を打ちたたく」のはこの意味)なのです。そしてこのような人格破壊の結果として、共同体から完全に疎外された状態が(「だれも彼を縛れない」「大声でわめく」などが意味すること)描かれます。
   次にマルコが強調するのは、悪霊の決定的な敗北です。悪霊は、イエスが船から上がられるとすぐ己の危険を察知し、敗北が免れえないと知ると、豚に入ることを懇願します。そして、最後に奈落の底(「海・深淵」とはこの意味)へと沈んで行くのです。復活のイエスとこれに対抗する悪霊、そして悪霊すなわちサタンの敗北、これがマルコの視点です。しかし、悪霊が敗北を見たすぐ後には、その地方の人たちの無知と恐れが現われます。したがって、この闘いは、イエスが船に乗って帰られる段階で、救われた者に引き継がれることになります。闘いはこれからも続くのです。アザゼル民話の解釈で示唆したように、贖罪のイエスの登場によって、それまでの贖罪と犠牲の構造が根底から逆転することになります。厭われ、犠牲にされ、神に捨てられていた者こそ、救われ選ばれるという逆転です。新しい時代が始まったからです。悪霊の最終的な敗北は、終末に初めて実現しますが、終末はすでに「始まって」いるのです。それは、かって疎外されていたまさにその人の口を通して「宣べ伝え」(「言い広める」はこの意味)られるのです。こうしてイエスのみ業は、昨日も今日も前進する。これが、マルコがこの資料を扱う視点です。
  福音書の中の神話・伝説
   民話や伝説や神話には「時間」がありません。それは、時間を超えた次元の物語として人々の間に語り継がれていくからです。神話は、物事の起源や「そもそものはじまり」について語っていますが、それは、いつとも分からぬ「昔々」の太古の闇の中から始まり、今もなお繰り返され、これからも繰り返されるという不特定の時の中をめぐります。それは、共同体的ではあっても、特定の個人とかかわることはしません。この意味で、伝説や神話は、超個人的であり超時間的であると言えます。しかし、マルコにおいては、伝説は特定の個人と人格的にかかわってくるのです。そうなるのは、その伝説が、イエスの人格的な存在と密接に結び付けられるからです。さらに、ここでは、神話・伝説は、イエスとともに始まる「新たな時代の到来」というはっきりとした救済史的な見通しの中に位置づけられます。こうして、福音書では、伝説や神話は、いわばその超時間性を奪われて、個人なり共同体なり人類なりのある決定的な出来事と結びつき、人間の特定の「時」を区切る石碑となるのです。マルコにあっては、不特定無時間の伝説や神話が、イエス・キリストという特定の人格に結びつけられ、この方にかかわる出来事として「歴史化」されるのです。これが、福音書の記者たちが神話や伝説を扱う時の視点であり、聖書が、いわゆる「神話」を取りこむ時に起こることです。
   だから、もしもこれを「神話」と呼ぶのであれば、それは通常の意味とかなり違った概念で理解されなければならないと思います。問われてくるのは、聖書は神話を含むのかどうかということではなくて、むしろ、いったい「神話」とは何か? あるいは、何を「神話」と呼び、呼ばないのか? このことが問われてくるのです。なぜなら、この問いは、「歴史」とは何か? さらには、私たちが「史実」すなわち「出来事」と呼ぶもの、いったいそれは何か? という根源の問いとつながってくるからです。
  あなたの家に戻りなさい
   19節から20節までは、マルコがこの物語を締めくくるために加えた付加部分だとされています。「マルコによる福音書」の構成では、人がなんらかの理由で日常から離れて非日常の世界へ入りこみ、そこで大きな啓示なり体験を与えられて、再び日常の世界へと「戻る」場合が多くあります。弟子たちが、大きな啓示に接したその直後に、再び人々の雑踏の中へと導かれるのもその例です。
   ここでもマルコの結びは明確で、今までは、悪霊がその人の「主人」であったのに、代わりにイエスが彼の「主」となられます。この主が彼に、「荒野」から「自分の家」に帰るように言われます。かつては、自分が自分ではなかったのに、本来の自分とその自分が属する人たち(「身内」の意味すること)のもとへ戻ることができるのです。しかし、「戻る」のは昔の状態を「繰り返す」ためではありません。主が自分に行なってくださった出来事を証しするためです。それは主が、引き続き彼とともに働いておられることを意味し、彼の日常がその主のみ業によって支えられていくことを意味しています。戻るのは、新しく始まるためなのです。
  私の聖書解釈の方法について
   以上私は、マルコが、「マルコの福音書」をどのような視点から編集しているかについて、ゲラサの悪霊追放の物語から、幾つかの問題点を取りあげてその解明を試みてみました。これは、あくまでも一つの試みであって、例えばこんなふうに聖書を読んでいったらどうだろうかということを、私なりに述べたにすぎません。これを読まれた方が、この中からなんらかのヒントを得て下さればそれで十分です。この試みの中で、私は、現代の聖書学のさまざまな分野での成果を自分なりの仕方で取り入れました。しかし、その際に、それらの学問的な追求の意図それ自体を無批判に受け入れることはしなかったつもりです。なぜなら文献批判の意図していることは、聖書を信仰の書として読もうとする時の意図とは、必ずしも同じではないからです。特に聖霊体験を重視する者にとってはそうです。
   私の立場は、福音書の記者自身の目から見てどのような視点からテキストを書いているかというところにあります。それは、「復活のイエスのみ霊」という視点です。こういう視点が「学問的に」承認されるのかどうか私は知りません。しかし、学問というものが、哲学を別にすれば、なんらかの前提に立つものであり、前提がなければ、学問そのものがそもそも成り立たないことを考えるなら、私は、自分の聖書解釈の視点が、学問的に見ても、これに矛盾するところはないと考えるのです。
  マルコの行なったこと
   最後に、マルコがどういう姿勢で福音書を書いているかをまとめてみましょう。先ず彼の手元には、イエスに関するさまざまな口伝とおそらく幾つかは文書の形で、資料断片が集められています。その際に彼は、自分の手の届く限りで、できるだけ広い範囲の異なる方面から、異なるスタイルの断片を収集していると見ることができます。その中には、同じ事実から出た資料が、違った方面から異なる形で入ってきている場合さえあります。その際に、彼は、自分の教義に合わないからとか、ここには異教的な要素が混入しているからとか、これは自分の宗派のとは違う傾向の解釈を含んでいるからとかいう理由での取捨選択をできるだけ控えています。文献批判では、しばしば福音書の記者たちが、自分の属する教団の立場から資料を添削した跡があると指摘されています。このことは、逆に言えば、福音書の記者たちが、資料としてあらゆる立場のものを取りこんでいることを意味するのです。
   次に、彼は、これらの断片を「編集」しようと努めています。その際に、彼は、自己の信仰や思想を正当化するために福音書を「著作」しようとは思っていません。彼は、初めから、自分の仕事は、「合成」された複合体になるという認識に立っているからです。福音書は、この意味で、創ったものではなく、出来てきたものです。
   彼によれば、福音書の権威とは、集められた資料が、「権威ある人」たちから出たものかどうか、史実として信頼できる知的な人たちを典拠にしているかどうか、ということに存在するのではありません。そうではなく、これらの伝承が、無名のもの、すなわち、伝承の過程の中で、だれのものかがもはや判断できないほどに、特定の個人や個性が解消されてしまっているからなのです。だから、その権威とは、彼自身をも含めて、いかなる特定の個性や個人の能力や資格に負うものでもありません。彼によれば、権威とは、ある個人やある特定の一つのものに依存するのではなく、それらの伝承を担ってきたすべての人の総体的な営みに基づくものだからです。これが、神の権威であり、イエスのみ霊に基づく「権威」の意味です。
   次に、彼は、伝承を編集していく過程の中で、復活のイエスのみ霊の視点から組み合わされると、それらのさまざまな断片が、全体の構成の中で新しい意味を帯びてくることを「発見」しています。そして、そのようにして現われてくる断片の放つ意味をば、注意深く書き加えたり、書き換えたりすることで、これを表わそうと努めています。いわば彼の筆は、個々の断片が、それぞれの場に置かれて、新しい輝きを発するのを助けるための「接着剤」なのです。
   こうしてできあがった総体は、それ自体で一つの不思議な調和を成しています。しかも、その調和は、いかなる個性や独自性も主張することを許さない性質のものです。したがって、それは、一つの完成された規範ではあっても、その規範は、それ以外のいかなる変更も許さないという意味での「完成」でもなければ「規範」でもありません。伝承が、さまざまな口伝を通して形成されて、自分の手元に届いているように、自分も、同じようにして、受けたものを伝え、その伝えがさらにいろいろな人によって、新しい形態を発達させることをマルコは予期しているのです。だから、場合によっては、自分の書いたものにも変更が加えられることを予知しています。これが、彼の意味での「完成」です。一人の人間が完成させたものならば、それは、限られたその人の存在を超えることができません。人間の完成とは、せいぜいその程度だからです。
    このようにして、マルコは、未だかつて存在しなかった「形式」を期せずして創り出しました。復活のキリストのみ霊が、マルコをしてこのような福音書を書かせたのです。私が試みたいのは、その「み霊の筆跡」をたどることです。そこには、哀しみ、喜び、苦しみ、怒り、悩み、ありとあらゆる人間を取り巻く出来事が、イエスという一人の人格を軸に渦を巻いています。それらの一つ一つが、イエスのみ霊の洗いを受けて、組み合わされ磨かれると、不思議な輝きを帯びて一つの全体が見えてくるのです。これが、マルコと彼に続く福音書の記者たちの成したことです。
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