ルカについて
  「ルカによる福音書」と言えば、私は、善いサマリア人の話や放蕩息子の話、バプテスマのヨハネの母エリザベトとイエスの母マリアのこと、クリスマスの天使の合唱、マルタとマリアの二人の姉妹のこと、富んだ人とラザロの話、イエスと同時に十字架にかけられた人が最後に救われたこと、そしてエマオの復活などを思い出します。どれもが、人間的な温かみや優しさを感じさせてくれて、それが「ルカによる福音書」と結びついてくるのです。長年聖書に親しんできた多くの人たちも、きっと同じような印象を抱いておられると思います。同じ共観福音書と呼ばれていても、「ルカによる福音書」は、このような意味で他の二つとは異なっています。ここでは、この福音書がどのような視点から書かれたのかを見ることにしましょう。言うまでもなく、これは「ルカによる福音書」それ自体の解釈ではありません。
  この福音書を書いたと言われるルカは、パウロから「愛する医者ルカ」(コロサイ・4・14)と呼ばれていた教養あるギリシア人であるというのが、長い間の定説でした。しかし、この伝承は現在では確証できません。著者のルカが「教養ある人」であったのは確かですが、ギリシア人であったという確証はありません。おそらくそうであろうということです。彼はユダヤ人キリスト教徒の伝承にも通じていますから、ユダヤ人でなかったと断定はできないようです。この福音書が書かれたのは、早くとも紀元80年ぐらいと推定されています。おそらく、これよりもっと後ではないかと思われます。このルカは「使徒言行録」の著者でもあります。「使徒言行録」20章以下では、「わたしたち」という言い方が用いられていて、従来これは、ルカがパウロたちに同行して旅をした証拠だと考えられてきました。しかし、ルカが、パウロと彼の伝道活動についての伝承をよく知っている割には、パウロの手紙について言及がないことなどから、「使徒言行録」の「わたしたち」という表現は、ルカの文学的な手法ではないかというのが、現在のおおかたの見方のようです。ただし、ルカは、パウロによって指導された宗団あるいは教会に属していたと見ることができます。
 この福音書がどこで書かれたのかは分かりません。「使徒言行録」によく出てくるアンティオキアだという説もありますが、小アジア地方の都市、たとえばエフェソの近くにあるミレトスだと考える人もいます。いずれにせよ、ユダヤからガリラヤにかけてのパレスティナではないと見ることができます。
 以上のことを念頭において、「ルカによる福音書」の1章1節と2節をお読みください。まず気がつくのは「最初から目撃した人がわたしたちに伝えたとおり」とあるように、ルカ自身が目撃者ではないこと、したがって直接イエスに接したことがないのをはっきり認めていることです。だから、彼の得ている知識はすべて間接に「伝えられた」ものです。ルカは、こういう認識に立って、自分の立場をしっかりと貫こうとしています。「しっかりと」と言ったのは、その後に「順序正しく」とあり、彼は今まで伝えられてきたさまざまな知識や伝承をもう一度自分の置かれた立場から整理し直して、自分自身の視点を明確にしようと意図しているからです。直接にパレスティナに足を踏み入れたこともなく、生前のイエスに会ったこともなく、イエスの直弟子やパウロのように復活のイエスから直に啓示を受けた経験もない。こういうルカの視点は、だから、現在の私たちのそれと重なり合う部分が多いことが分かります。この意味でルカは、イエス様体験の立場から見るなら、地理的にも時間的にも隔たった「最初の私たち」であったと言えるかもしれません。この点で、この福音書は「マルコによる福音書」とはっきり異なっています。ちなみに、マルコによる福音書が書かれたのは紀元70年頃だとされています。
              ルカの資料
 ルカはその資料の多くをマルコに負っています。ルカの福音書の枠それ自体がマルコを下敷きにしていると言っていいほどです。もっともルカの手にあった「マルコによる福音書」が、現在のものと同じかどうかという点では疑問があります。マルコを下敷きにしている点では、マタイも同じです。ここで「ルカによる福音書」16章14節〜18節をお読みください。お読みになった箇所の16節と17節は、その並行部分が、「マタイによる福音書」11章12節〜13節にもあります。ところが、この部分が「マルコによる福音書」にはないのです。このことは、ルカとマタイとが、マルコにはない資料を共通に持っていたことを示しています。ルカとマタイにあってマルコにはないこの資料は、「説話資料」あるいは「Q資料」と呼ばれています。ところが、ルカのほうの16章15節は、マルコにもマタイにもないのです。このことは、ルカが、彼独自の資料を別に持っていたことを示しています。これがルカの「特殊資料」と呼ばれるものです。だから、「ルカによる福音書」は、大ざっぱに分けると、「マルコによる福音書」とQ資料と特殊資料の三つによってできていると考えられます(ルカが「マタイによる福音書」を知っていたかどうかは明らかでありません。おそらく知っていたでしょう)。
ルカの時代区分
 ところでルカの16章16節をマタイの11章12節と比べてみますと、同じQ資料によっているとは言え、マタイの方は「天の国」とあり、ルカでは「神の国」となっています。マタイには「それ以来、福音が告げ知らされる」という句はありません。だからこの部分はルカの編集であることが分かります。さらに「律法と預言者」が、マタイとは順序が逆になっていて、「それ以来」によって、時間の前後関係が明確にされています。ルカはどうしてこのような編集をしたのでしょう。先ず「律法と預言者は、ヨハネの時までである」から説明しましょう。
 旧約聖書は、ユダヤ教では、伝統的に、律法、詩編、預言書に分けられていました。律法と言うのは、モーセが与えたと伝えられる全部の書を指しています。したがって、「律法と預言者」で旧約聖書全体を指しています。復活したイエスが、エマオで弟子たちに顕れた時に「モーセとすべての預言者から始めて聖書全体にわたり」(24の27)と語っているのもこの意味です。ただし、ここでの「律法と預言者」は、旧約聖書そのものを指していると同時に、イエスが来臨される(再臨ではありません)以前の時代、すなわち旧約聖書の時代全体をも意味しているのです。ヨハネは、「バプテスマのヨハネ」と呼ばれていて、イエスが伝道を開始される前に、いわばイエスの先駆者として、ヨルダン川の流域を中心に活動していた預言者です。
 ルカは、ここで、イエスの来臨によって、それ以前のユダヤ教の時代が、このバプテスマのヨハネを最後に完全に終わりを告げて、全く新しい時代がイエスの来臨と共に始まったことを告げています。言い替えれば、「旧」約聖書の時代が終わり「新」約の時代がスタートした、こう宣言しているのです。それまでは、イスラエルの神ヤハウェが、その霊を送ってさまざまな預言者を立て、彼らの口を通してイスラエルの民に語ってきました。そして、モーセの律法を通じて、神の民が守るべき規範を与えてきました。最後に現われたのが、バプテスマのヨハネです。彼が、ヨルダン川でイエスに洗礼を授けた時に、聖霊が鳩のようにイエスの上に降り、これによって、このイエスこそ預言者たちが待ち望み、したがって彼自身も待ち望んでいた「メシア」であることが啓示された。このメシアが顕れた以上、もはや預言者は要らない。なぜなら、預言者とは、メシアの待望を告げ、メシアの王国が来臨するのを預言し、メシアの来臨する「終末の時」のためにイスラエルの民に心の備えをさせるのがその目的だったのですから。これが、ここで「律法と預言者とはヨハネの時まで」が意味していることです。
 先に述べたように、この部分はQ資料を含んでいます。だから、この伝承自体は、ルカやマタイよりも古く、教会のごく初期にさかのぼると見ることができます。しかし、旧約と新約との時代区分を今までのだれよりも鋭く読みとって、イエスの来臨によって、人類の歴史が二つに分けられることを明確に意識したのは、ルカだったのです。彼こそ、歴史を紀元前と紀元後に分けた最初の人であったと言っていいでしょう(実際にこの区分が提唱されたのは525年で、その後ADは7世紀頃から広まり、BCは17世紀になって用いられました)。この視点は、ルカの編集句「それ以来」にはっきりと表わされています。マタイでは、バプテスマのヨハネは、まだイエスと結びついて語られます。しかしルカでは、「ヨハネまで」と「それ以来」とが明確に区別されるのです。洗礼者ヨハネは、偉大な預言者です。しかし彼は、「預言者」ではあるが「メシア」ではありません。だからヨハネは「旧約」に属する人なのです。旧約の時代では、モーセの律法と預言者によって、イスラエル民族が選ばれた民として、異邦人をさげすみ異教徒を軽蔑してきました。しかし、このように「自分の正しさを見せびらかす」民は「神に忌み嫌われる」、こういう独善的で偽善的な「金に執着するファリサイ派」に代表される古い時代と古い宗教は過ぎ去った。これに代わって、「神の国」が人々の心に臨み、ユダヤ人にも異邦人にも、すべての民に等しくイエス・キリストの「福音が宣べ伝えられ」ている、メシアの到来と共に一つの時代が確実に終わった、こうルカは言いたいのです。
ルカの見たパレスチナ
 ルカは、ヘレニズム文化の中で育った人ですから、ペトロやユダヤ人キリスト教徒が抱いたような疑問、イエスの福音によって、はたして律法の時代がほんとうに終わったのだろうかという疑問を抱くことはありませんでした。そもそも彼の目には、ユダヤもガリラヤもそれほど違いがなかったと言えます。私がこの「ルカの視点」を書くに当たって参考にしたコンツェルマンの『時の中心・ルカ神学の研究』によれば、ルカは、サマリアが、ユダヤとガリラヤの間にあったことを知らなかったのではないか、したがって、ユダヤとガリラヤとは隣接していて、その西側にサマリアが両方の地域に接していると見ていたのではないかと言うのです。こういう見方は、この福音書が、小アジア、たとえばエフェソ辺りで書かれたことを前提にすると納得できます。地中海沿岸のギリシア世界から見れば、パレスティナは一つに見えます。そこは福音の発祥地ですが、ルカにとっては、その中心はエルサレムでした。この都市で主は十字架にかかり、三日目によみがえったからです。メシアが、エルサレム以外の地で旧約を成就することはありえないからです。しかしそれは「発祥の地]ではあっても成就の地ではない。福音は、そこからルカたちのところまで「伝えられて」きました。この主イエスの到来によって、ユダヤ民族は、その世界史的な使命を全うし、「それ以来」イエスの福音が全世界に宣べ伝えられている。これがルカの目に映ったユダヤでした。
ルカとマルコの視点の違い
 「ルカによる福音書」4章18節〜22節をお読みください。この箇所(21節まで)もルカの特殊資料で、マタイにもマルコにもありません。しかし、この資料はユダヤの会堂の様子を正確に伝えていて、古い伝承であることをうかがわせます。「油を注ぐ」というのは、神のみ霊を注ぐことを意味しますが、同時に旧約では、王に即位すること、あるいは大祭司に任命されることの表象でもあったのです。しかし、ルカは、ここで、特に油注がれたメシアのことを考えていると思われます。この動詞は、ギリシア語で「クリセオー」すなわち「キリスト」の語源です。「主の恵みの年」は、とらわれの民が解放される「終末の年」を意味しています。
 この箇所は、イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けられ、聖霊を注がれた後に、荒野でサタンの誘惑に遭い、その試練に勝たれたすぐ後に続いています。「悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時がくるまでイエスを離れた」とあるのは、メシアの試練がひとまず終わったことを意味しています。「今日、あなたがたが耳にした時、実現した!」。これは、イエスの油注ぎによって、メシアが到来したことをはっきりと告げています。ルカのこの句に対応するマルコのほうでは、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1の15)となっています。マルコでは神の国は「近づいて」います。だが、まだ完全な姿で到来してはいないのです。ところが、ルカでは「今日実現している」となっています。ルカとマルコとのこの違いはどこから来るのでしょう。
 マルコの場合は、裁きをともなう終末が迫っている中での「時は満ちた」です。マルコは、ルカよりもイエスをずっと身近に感じています。私たちは、ここで、彼が福音書を著わしたのが紀元70年頃で、エルサレムもろともユダヤが滅亡する危機にあったことを思い出さなければなりません。ほかの弟子たちがそうであったように、マルコも、メシアの王国が実現するのを期待していたのかもしれません。マルコは、いわばイエスが語られた「今日」の中で、彼の福音書を書いていると言えます。
 ところが、ルカの場合はそうではありません。彼にとって、イエスの「今日」は、パレスティナの一隅で生じた「過去の今日」なのです。それは、「イエスがこの地上におられた時の今日」です。しかし、それは、ただの過去ではありません。なぜなら、イエスがこの地上におられた時期とは、ルカの視点からは「特別の時」だからです。それは、油注がれたメシアが、この地上で「現実に人々と一緒におられた」特別の時期だったのです。イエスは、「あらゆる誘惑に」勝利されたので、イエスが地上を歩まれている間は、サタンも「イエスを離れた」のでした。それは、人類の歴史を二つに分けるほどの大きな意味を持つ一回限りの「啓示の時」だったのです。人類は、それ以来この啓示の光芒の中に生きていると言えます。だから、ルカの目からは、イエスの歩まれたパレスティナの地で、メシアの王国が、歴史のその時期には、文字どおり「実現した」のです。そして、この王国は、イエスの受難とこれに続く復活によって、確固として動かないものになりました。もはや何者もこれに打ち勝つことはできません。だから、ルカは、イエスの生前を、自分が今生きている現在とはっきり区別して、これを「啓示の時」と見ているのです。
ルカの「メシアの時」
 では、そのイエスの「今日」とは、ルカにとっていつからいつまでなのでしょう。イエスが荒野で、悪魔の誘惑に打ち勝たれた後で、悪魔は「時が来るまでイエスを離れた」(ルカ4の13)とあります。「時が来るまで」は、ルカの編集句です。だから、メシア到来の開始時期は、悪魔の去った「その時から」です。では、悪魔の「時が来るまで」とはいつまででしょう。答えは、「イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った」(ルカ22の3)とある時までです。
 「時が来るまでイエスを離れていた」サタンが、ここで再び戻ってきました。メシアの王国に再び蛇の影が広がるのです。あのアダムとエヴァの住む楽園にサタンが入りこんできたように、メシアの来臨によって実現した「啓示の時」が終わりを告げようとしているのです。弟子たちは、しかしながら、まだこのことに気づいてはいません。いぜんとして、地上にメシア王国が現実するのを期待しているのです。22章24節以下の記事が、彼らのこの無知を示しています。メシアの受難、これが弟子たちにとっての(そしておそらくルカ自身にとっての)最大の謎であり秘義なのです。
 「ルカによる福音書」22章35節〜38節をお読みください。ここでは、晩餐がすみ、ペトロの離反が予告されます。これに続く部分もルカの特殊資料によっていて、しかもルカの編集の手が加わっています(37節はルカが36節と38節の間に挿入したもの)。しかし、37節は、「イザヤ書」53章12節を踏まえていて、この節自体はイエスが語られた言葉を保存していると考えられます。メシアは人類の罪を担って「犯罪人」とされなければならないことを、この節は告げています。言うまでもなく、ここで、弟子たちはイエスの「剣」の意味を取り違えています。もしも私たちが、この箇所を、不正に対しては武力で闘うのが正しいというふうに解釈するならば、ここでの弟子たちと同じ誤りを犯すことになるでしょう。ただここで注意してほしいのは、この36節は、「マタイによる福音書」の「剣をとる者は皆、剣で滅びる」(26の52)というイエスの言葉と比較してみると、明らかに内容が後退していることです(「マタイによる福音書」のこの句に相当するのは「ルカによる福音書」22章51節〜52節です)。すなわち、イエスがここで弟子たちにお語りになりたいのは、メシアの時代が終わろうとしていることなのです。「わたしがこの地上にいた時には、財布も袋も履き物も必要ではなかった。あなたがたはわたしの直接の保護によって『何一つ不足することがなかった』からである。」「しかし今は」とイエスは警告されます。メシアの啓示の時は過ぎ去ろうとしている。サタンは戻ってきている。そこには誘惑もあり闘いもある。「今からは」財布も靴も必要になる。いや、「剣」を帯びる覚悟がいるのだ。これからは、弟子たちの時代、すなわち「教会の時代」が始まるのだ。こうルカは見ているのです。
教会の時代
 私たちは、ここに、実際の伝道活動に従事しているルカたちの教会の現状が反映しているのを見る思いがします。イエスの言われる「しかし今は」には、メシアの来臨「以後」の時代が示唆されているのです。旧約の時代があり、次にメシアの啓示の時がありました。そして今は教会の時代なのです。ルカの視点は、「そこから」離れません。もはや後戻りはできないからです。自分が置かれている「時」にしっかりと立つこと、これこそルカから私たちへのメッセージです。それでは、「今のこの時」、私たちは、いったい何によって生きるべきでしょう。
ルカの聖餐
 「ルカによる福音書」22章15節〜21節をお読みください。これの並行部分は、「マタイによる福音書」26章19節〜29節と「マルコによる福音書」14章18節〜25節です。ここは最後の晩餐の場面です。ルカのこの部分は、マタイやマルコとずいぶん違っているのに気づきます。マタイとマルコでは、過越の食事と契約の晩餐とがはっきりと分けられていて、ユダの裏切りは過越の食事の折りに告げられます。したがって、晩餐の時にはユダはいません。ところがルカでは、過越と晩餐とが一つに結びついているのです。このために、杯を飲むところが2回出てきますし、ユダは晩餐の最後までいることになります。ルカのこの部分があまりに違うので、ルカの手元にあった「マルコによる福音書」には14章以下がなかったのではないかと言われているほどです。こういうわけで、ルカの15節から17節までは、ほかの二人の福音書にはありません。
 食事はルカでは大切な意味を持っていて、親しい交わりを象徴します。15節では、受難を間近にしたイエスが、弟子たちと最後の交わりを望まれる気持ちがはっきりと述べられていて、十字架は、イエスが自ら進んで選び取られる道であることを感じさせます。そして、神の国が来るまで2度とこれが行なわれないことが、食事と杯と両方で繰り返されます。15節で語られる別れの哀しみを受けて、同時にいつか再び会えるという希望を与えるためでしょう。ここには、マルコの場合のように、イエスがすぐに戻ってこられるという、再臨と終末への期待感は感じられません。むしろ、永い別れと、その後に来る再会の喜びとを予期させる描き方になっています。先に述べたように、ルカでは、生前のイエスと共にいるその時が、神の国にほかならないからです。地上での神の国の時期が、今終わろうとしています。再び天の神の国でイエスと会うことができるまで。だから、ここでは、地上での神の国と未来に成就する天での神の国とが重なりあっていて、ルカ独特の晩餐になっています。
 「互いに回して飲みなさい」は、ルカの編集句です。杯はイエスが直接に手渡されるのではありません。もうイエスはおられないからです! イエスは確かにおられるのですが、それは、もはや見える姿ではありません。「実に、神の国はあなたがたの間にある」(17章21節)からです。だから、各々が、自分の隣人に主の杯を手渡していくことになります。イエスが地上におられる時とおられなくなった時とが重なるルカの「最後の晩餐」です。ここには、教会が、啓示の時のイエスに代わって、地上で「神の国」となることが示唆されているのです。しかし、その神の国は決して美しい楽園ではありません。それは誘惑と闘いのまっただ中にある神の国です。そこには、ユダもいるし、ペトロさえも離反しかねないのです。しかし、「記念としてこれを行ないなさい」(これもルカの挿入句)という主の言葉を、教会が繰り返し繰り返し「心に呼び覚ます」(「記念」の意味すること)時に、主は、この聖餐を通じて、常に教会と共にいて、これを守り導かれるのです。この句を含む19節の後半は、パウロとルカの教会で実際に唱えられていた聖餐の言葉であったとされています。このように、ルカでは、過越の晩餐の杯と、教会が成立した後で行なわれていた聖餐とが一つになっています。
 では、いったい教会は、どのようにして「イエスを思い出す」ことができるのでしょう。19節には、これから起こる受難が、「あなたがたのため」だということが強調されています。それは、イエスの受難が、イエスの復活につながり、それが、聖霊すなわちイエスのみ霊が弟子たちに降る前提となっているからです。教会とサタンとの間に戦いの始まる時代が来ようとしています、しかし、主はみ霊となって教会と共に戦われる。主が教会と再び栄光のうちに出会われる時まで、み霊は教会と共にいてくださる。別れと再臨、この間に「教会の時」が存在しているのです。そして、この教会を守り導くために、主は受難と復活とみ霊の降臨を成し遂げようとされている。これらすべてをルカの聖餐は示しています。
ルカの見た復活
 「ルカによる福音書」24章13節〜27節をお読みください。24章の13節から35節までが、エマオの途上で二人の弟子に顕現した物語であり、36節から48節までは、エルサレムでイエスが弟子たちに顕現された話で、50節以下は「昇天」(イエスが、神によってキリストとされて、復活の後に天へ挙げられたこと)の記事となっています。エマオの物語は大部分がルカだけのもので、特殊資料からきていると思われます。もっとも、マルコにもこれの並行部分がありますが(マルコ16の12〜13)。エマオの記事は、復活物語の中でも最も初期のものを含んでいると言えるでしょう。ペトロ(シモンのこと)への顕現に触れているのも福音書中ではここだけです。36節以下で言えば、この部分は内容的に「ヨハネによる福音書」(20章19節〜23節)と重なるところが多いようです。エマオは、エルサレムの北西25キロほどのところにありました。二人の弟子というのは、使徒のことではなく、ユダヤ出身のイエスの弟子たちのことです。イエスが十字架にかけられた後で、エマオにある自分たちの家に帰ろうとしていたのでしょう。
 復活の記事は、エマオでのように個人的に顕れる場合と、弟子全体に顕れる場合(24の36)とがあります。個人的な顕現では、このほかにマグダラのマリアのがあり(ヨハネに20の11以下)、これにパウロの場合を加えてもいいでしょう(使徒9の1以下)。ルカとマルコとの著しい違いは、マルコでは、復活したイエスは先ずガリラヤで顕れたことになっている(マルコ14の28)のに対して、ルカでは、エルサレムがイエスの復活顕現の場となっている点です。ルカにとっては、神の神殿があり、主イエスが受難されたこの都こそ、福音にふさわしい発祥の地なのです。福音は「エルサレムから始まる」(24の47)からです。しかし、エルサレムは、もはや「聖都」ではありません。ルカの目からは、それはすでに滅んだ「旧約の都」になっているのです。
 ルカの復活記事は、24章の始めに先ず「空の墓」と天使のお告げとがあり、これに二人の弟子への個人的な顕現が続き、次に弟子全体への顕現がくるという構成をとっています。この顕現は福音の宣教命令と結びついていて、最後に昇天がきます。この配列は他の福音書に比べると最も順序だっていて、ここにはルカの理念が明確に表現されています。特にこの章の終わりの48節と49節とは、「使徒言行録」1章8節〜9節へとつながっていて、は、この二つの書を初めから一連のものと考えていたことが分かります。
 では、個人的なイエスの復活顕現が、弟子たちの集まりである教会全体への体験とつながり、それが伝道の使命へと発展します。すなわち、個人への顕現体験が集まり教会全体の体験へと広がり、そこから伝道が始まる、という構成をとっているのです。キリストの復活の命は、教会全体に働くと同時に、その中の一人一人に働きます。復活は「正しい者」だけにでなく、すべての人間に及ぶからです(使徒24の15)。は、近代的な意味での「個人」をまだ知りません。しかし、このように見てくると、ルカは決して個人を教会という集団の中に埋没させていないことが分かります。人間に根源の命を注ぐ復活のイエスのみ霊は、イエスの受難によって初めてもたらされたものです。受難とこれに続く復活が、教会に注がれるイエスのみ霊を約束するのです。こうして、24章の結尾の昇天が、「使徒言行録」の始めと直結することになります。
聖霊の時代
 イエスはこう言い遺されました。「父がご自分の権威を持ってお定めになった時や場所は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1の7〜8)。
 このイエスの約束は、「使徒言行録」2章で成就しました。そこからは、「使徒言行録」というより「聖霊言行録」が始まります。聖霊こそ、洗礼を基礎づけ聖餐に内実を与えて教会を支える力だからです。教会に働くキリストのみ霊こそ、教会が福音を宣べ伝える原動力です。ルカによれば、「教会」とはほとんど聖霊の臨在それ自体と言っていいほどです(使徒20の28)。イエスのみ霊が臨在するところ、そこに神の国が存在します。これ以外に神の国はなく、教会の存在理由もないというのが、ルカの信仰であり理念なのです。
 マルコが福音書を書いたのは、エルサレムが崩壊しユダヤ人が国を失う直前のことでした。イエスは、「神の国の到来」を人々に説かれました。イエスの十字架と復活を通じて働く聖霊は、マルコの場合に終末的な性質を帯びていました。ある意味で、終末は、み霊の本質をなしていると言えます。このイエスのみ霊が、今ルカたちの教会に注がれています。かつてのイエスの差し迫った「今日」が、このようにしてみ霊を媒介にしてルカたちの「現在」に訪れるのです。マルコにあっては、終末は現実性を帯びて具体的に迫るものでした。ところがルカではそうではないのです。彼は、「あの啓示の時」と今自分が置かれている時とをはっきり区別するからです。み霊は同じイエスのみ霊です。しかし、み霊の「時」は同じではない。終末の「時と場所は、あなたがたの知るところではない」からです。
 み霊は終末のみ霊です。しかし終末は、いつかは来るが、はるか未来に遠のいたのです。だから、惑わされないように注意しなければなりません。「世の終わりはすぐには来ない」(21の9)からです。神の国は、具体的な姿で「『ここにある』『あそこにある』と言えるものではない」(17の21)のです。終末は、現実の歴史的状況と切り離されました。それはいわば、主を信じる者の日常の歩みの中で働く「終末」となります。日々これ終末です。これが、ルカの視点から見たみ霊による「終末」でした。「聖霊の時代」がこうして始まったのです。
救済史とは何か?
 ここでルカの視点を整理してみましょう。先ず旧約の時代があります。これはイエスの来臨までです。ちょうど幾層かの壇のように、旧約の時代が底辺にあります。イエスの来臨によってその上に「啓示の時」が重なります。そして、イエスの昇天を境にして「聖霊の時代」がさらにその上に重なります。最後に、イエスの再臨と終末が訪れます。教会を形成する一人一人は、復活のイエスのみ霊を宿して、復活以後に、地上に存在するイエスの「からだ」の「手足」(メンバー)となります。彼らは、聖餐とみ霊に守られて「啓示の時」から「再臨の時」にいたるまでの「中間の時」を歩むことになります。だからルカは、自分たちの「時」を「中間の時」ととらえるのです。ルカが見ているのは、イエスの来臨と再臨に挟まれながら、キリストの教会とそのメンバーたちが、はるかに人類の歴史の終末に訪れる「救いの時」を待ち望みつつこの地上を歩む姿です。人類と歴史は、この神の救いを目指して終末へと歩んでいます。それは、いつ訪れるかは分かりませんが、いつか必ず訪れます。これが、ルカたちの視点から見た人類の「救済史」の姿です。それは、具体的な歴史の奥に隠された「神の歴史」の相です。同時にそれは、ルカの時代の延長を歩む私たち一人一人にかかわる「時」の真相です。
 以上見てきたことでお分かりと思いますが、ルカでは、「救済史」は、客観性を持つ歴史としては描かれていません。同時に、これとは反対の個人的で主観的な体験としての「救い」が強調されているわけでもありません。ルカは、この両方を媒介する「み霊の教会」の視点から見ているからです。ただし、その教会とは、いわゆる「原始教会へ戻れ」という過去回帰的な志向を持つ教会ではありません。ルカの立場からは、「イエスの来臨時代」は、理想の神の国ではあっても、教会がそこを規範として、常に回帰しなければならない目標ではないのです。むしろ、その代わりに「み霊に励まされて歩む教会」の姿があります。それは、決して理想の神の国ではありません。誘惑と試練の中を歩む教会です。しかし、ペトロがそうであったように、試練の中にあっても決して信仰を失わない教会です。個人は、このみ霊の教会を通して神の救済史にあずかります。教会は、個人と客観的な世界史との両方を内包しながら個人の主観的な救いと人類の救いとの両方を媒介する「聖なる歴史」を歩み続ける。これが個人と人類全体とを包含するルカの救済史の構造です。
          ルカの聖書解釈
 もう一度エマオの体験へ戻りましょう。弟子たちは復活のキリストに出会います。というよりも苦しみ悩み、惑いのうちに歩む弟子のところへ、イエスの方から近づいてこられます。彼らは「だれかが側にいてくれる」ことは分かるのですが、まさかそれがイエスだとは気がつきません。「二人の目が遮られていて、イエスだと分からなかった」(24の16)からです。にもかかわらず、復活のイエスは彼らと共に歩み語りかけてくださる。そして、聖書を「今彼らと共に歩んでいる」イエスと結びつけて解釈してくださるのです。イエスの説明を聞いていると「わたしたちの心が燃える」(24の32)のです。そして、二人の「目が開かれて」(24の31)、初めてそれがイエスだと分かったのです。
 ルカはここで、聖書解釈の基本的な原理についても語っています。「復活のキリスト」、これがルカの聖書解釈の鍵です。「復活のキリスト」は「み霊のキリスト」にほかなりません。キリストのみ霊なしには、あの「メシアの時」と現在の私たちとを結ぶものは、何ひとつ存在しないのです。キリストのみ霊に導かれて、私たちは、初めて隠された神の救済史を知ることができます。聖書が書かれたのは、まさにこのような「救いの歴史」を私たちに伝えるためだったのです。逆に言うと、私たちをあの啓示の時と結びつける唯一の道は、「聖書とみ霊」の二つです。これらによって復活のキリストが一人一人に証しされてくるからです。このシリーズの始めの方で、私は、イエスがあなたと共にいてくださるのを知ること、これが聖書が書かれた目的であり、あなたが聖書を読む理由であると述べたのはこの意味です。
中間の時
 ルカは、過去を振り返って現在を嘆くことをしません。未来を知ろうと焦ることもしません。彼は「自分に与えられた時」をしっかりと見つめます。神の聖なる歴史の中で、自分がどのような「時」を生き、これを歩まなければならないかをみ霊によって悟ります。救済史の中にあっては、み霊は常に前進します。それは未来へと向かいますが、決して過去に戻ることはしません。「今はあの時とは異なる」からです。だから彼は、徹底的に「今この視点」から「イエスの時代」を読むのです。それによって「自分の時」を知るためです。彼はこの「中間の時」を「しばらくの間」歩むのです。私たちは、どこからともなく来て、「しばらくの間」この世に留まり、どこへともなく去って行きます。個人としてもそうであり、人類全体としてもそうです。人類はどこからともなくこの地球に命を与えられ、何億年か何十億年かは知らないけれども、永遠ではなく、いつかはこの地球そのものと共に消え失せます。人類も個人と同じく「しばしの間」をこの地球で生きる存在です。この "in the mean time" (中間の時・しばらくの間)を私たちは生きるのです。
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