編集史とは何か?
   前の章では、ルカの視点から彼の福音書を見ました。ところで、私たちは、今見てきたような「ルカの視点」をどうして探ることができたのでしょうか? この章では、この点を考えることにしましょう。私は、ルカの視点を説明するに当たって、コンツェルマンの『時の中心・ルカ神学の研究』を参考にしました。これの原書の初版は1954年です。それまでは、ルカは、イエス・キリストとその弟子たちにかかわる出来事を「順序正しく」記述した著者として、どちらかと言えば「歴史家」に近い人であると考えられていました。しかしコンツェルマンは、文献批判を土台として、その上に立って独自な方法でルカの視点を分析したのです。
   文献批判は、福音書の本文を伝承断片に分割し、それらの断片をその最も原初の形にまでさかのぼって復元することで、これを理解しようとする方法です。このために、文献批判は、ある伝承断片を、それがはめこまれている福音書本文の物語の枠からはずして、これを分析するというやり方をとってきました。この作業は、結果として、本文の物語を構成する枠そのものとそこに置かれている伝承断片とを区別することを意味します。言い換えれば、文献批判は、ルカが、自分に伝えられた伝承断片をどのように自分なりの仕方で「編集」したのかを結果として明らかにしたのです。コンツェルマンは、ルカのつくった編集のこの枠組みのほうに関心を持ったのです。これを探ることで、ルカがどのような視点からそれらの伝承断片を編集したのかを知ることができると考えたからです。このように様式史に基づく文献批判の成果から福音書の著者の編集の仕方を探る方法は、「編集史」と呼ばれています。コンツェルマンが、明らかにしたのは、ルカの編集史のほうなのです。
   コンツェルマンが、編集史の対象として「ルカによる福音書」を選んだのは、それなりの理由があります。それは、「ルカによる福音書」が、共観福音書の中で最も後に書かれたものであり、しかも、ルカはその際に、「マルコによる福音書」を資料として用いています。その上に、ルカは、マタイとある程度共通するQ資料をも用いています。したがって、「ルカによる福音書」を「マルコによる福音書」あるいは「マタイによる福音書」と注意深く比較すれば、ルカが自分の資料をどのように編集したのかを比較的容易に探ることができるからです。この場合、ルカの資料が史実としてどこまで信憑性があるかということは問題になりません。むしろ、ルカが「どのような意図で」これらの伝承断片を扱っているのかが、大切な問題となります。その結果明かになったのは、ルカが、歴史家として史実に忠実であろうとするよりも、明確に神学的な意図をもって彼の福音書を編集しているということでした。すなわち、私たちが前の章で見た「救済史」という独特の神学的な意図が「ルカによる福音書」を貫いていることです。
著者の実像を探る
   では、この編集史には、聖書解釈の立場から見て、どのような問題が含まれているのでしょうか。読者の中には、例えば、NTDの注解シリーズで福音書を読んだ方がおられると思います。そこでは、福音書の本文が、それぞれの伝承断片ごとに分けられて、それに資料としてのなにがしかの注解が加えられていて、その上に福音書の著者が、伝えられた断片をどのように受け継ぎ、あるいはこれに添削を加えてそれぞれの神学的な意図の下にそれらを編集したのかが述べられています。こうして「ルカの神学」とか「マタイの神学」が論じられてくるようになりました。この作業は、この福音書を書いた著者、すなわち「ルカの実像」に迫り、彼の思想を解明することを可能にしました。
   ルカにせよマルコにせよイエスご自身にせよ、これらの人物が、どのような歴史的状況の中で生きたかを跡づけることは、限られた時間に存在した一人の人間の実像を追求することです。だから、その追求の対象となるのは、ルカという限定された一個人の存在であり神学です。ルカは、自分の信仰や神学を彼が所属する宗団にも大きく依存しています。だから、ルカを理解しようと思えば、このようにルカを取り巻く状況にも目を向けなければなりません。しかし、くどいようですが、その真のねらいは、あくまでも「ルカを解釈する」ことであって、これに関係する範囲で、教会の伝承や彼を取り巻く状況が問題にされるのです。
  聖書を読むのに信仰は要らない?
   なぜこのように福音書の著書を追求するのかと言えば、それは、このような一人の人間存在を理解することによって、現在の歴史的状況にいる私たち自身の生き方を探ろうとするからです。これは、先に見た「史的イエス」の探求とも重なる問題意識です。聖書を文献学的に批判して、著者たちの実像に迫り、これとの対話を通じて現在の自分の実存の意味を探ろうとするのです。「史的イエスはわれわれを、ちょうどケリュグマがそうさせるように、実存的決断の前に立たせるのである」(マックナイト『様式史とは何か』)というジェイムズ・ロビンソンの言葉は、文献批判の学問的な方法に秘められた意図を的確に言い表わしています。個人としての自己が、その意志と知性と信仰による決断によってどのように現在という時を生きるべきかという問いが、文献批判の研究方法の根底に流れていると思います。
  文献批判は、伝承断片を解釈する場合に、できるだけ過去へと、すなわち、その原初へとさかのぼっていく方法です。しかし、ここで注意しなければならないのは、そもそも「過去」とは、どのような過去であろうとも、「現在」を離れては存在しえないことです。だから、「過去」にさかのぼるための普遍的で客観的な基準があるわけではありません。現在の自分に、なんらかの主体的な価値基準があって、初めて過去が自分に意味を持つからです。そのような自己の主体的な立場がなければ、そもそも過去さえも存在しない、すなわち意味を持たないのです。
  したがって、文献批判では、伝承断片の「史的な意味」を解釈する場合に、その批判の価値基準は、「現在の自己」のあり方が基本とならざるをえません。だから、こういう視点から聖書を読む場合には、反キリスト教的な視点からでも、仏教的な見方からでも、それぞれの立場からする聖書の読み方が可能になります。極端に言えば、聖書を読むのに信仰はかえって邪魔になる場合さえありえます。言い換えれば、文献批判による聖書解釈は、現代に即した言葉と概念とを用いさえすれば、どのような視点からでも可能なのです。聖書を史料として用いながら自己の実存を語ることができる。これが、文献批判による聖書解釈の方法論の本質的な性格です。なるほど史料分析の範囲では歴史学的な客観性を維持できるかもしれません。しかしこれの「解釈」はそうではありません。厳密な文献批判を踏まえた聖書解釈が、実にさまざまで、場合によっては全く相反する立場をとるのはこの理由によります。  
  聖書の「著者」と読む「自分」
   ところで、古代においては、「著者」という概念が、現代とはかなり違っていました。現代の私たちが普通にやっているように、書物を読むなどということは、ほとんどの人には不可能でした。ひとりで本を読むなどということは、ごく限られた人にしか許されなかったのです。だから聖書の「著者」について考える場合に、これを現代的な「実存」という個人に限定された意味で理解するのは無理があります。新約聖書の時代の人たちにとって、「自分」は、例えば家族や部族や民族や教会共同体や王国、あるいはもっと大きな存在の一部として考えられていたのです。
  「古代において」と言いましたが、実は、現在でも事情はそれほど変わらないのではないか? こういうことが最近言われるようになりました。なるほど現代では、私たちは、「自分の意志」や「自分の決断」によって、個人として行動していると思いこんでいます。しかし、実際は、「自分」は過去から受け継いだ諸々な要素から成り立っていて、他人と切り離された個人(孤人?)としてではなく、周囲から絶えず影響されている存在ではないのか? 「自分」とは、いわば一つの虚構であって、私たちが「自分」と呼んでいるものは、実際には、自分の属するグループなり階級なり社会なりが、「自分」の置かれている場の中で与えてくれる呼び名にすぎないのでないか? また「個人」についても、それは、人間関係の中でお互いが「個人」だと「認め合う」ところに生まれる一つの「状況」にすぎないのではないか? こういうことが、最近の「個人」についても言われ始めています。
         聖書解釈の学問的な広さ
   このような認識に立つならば、著者の「実存」を解釈する場合にも、もう少し違った角度から見ることができそうです。聖書の著者たちの置かれた「自分」のあり方を、その全体像においてとらえようとするなら、しかもこれを学問的な立場から行なおうとするなら、そのような著者の「個人」は、文献批判の枠を踏み越えて、さまざまな分野と関連してくるからです。こうなると、聖書解釈には、文献批判や編集史だけでなく、宗教学、社会学、文学、哲学、心理学、神話学、言語学、文化人類学など、さまざまの分野の学問がネットワークのように結びあう必要が生じてきます。最近では地質学や生態学などの自然科学までもが無関係でなくなってきました。それはほとんど「人間学」と呼んでもいいでしょう。
   ヨーロッパの中世では、神学は、それ以外のすべての学問を侍女のように従えた女王でした。現代では、聖書学は、それとは違った意味ですが、再びあらゆる学問との結びつきを求め始めているようです。このように、狭い意味の「個人」を超えた概念で語らないと、歴史上のある時点で語られたひとりの人間の言葉が、時には数百年以上も隔たった別の人間が語った言葉と結びつくなどということ、しかも、その結びつきが、語る本人が想像もしなかったような状況と内容において成り立つということが説明できないからです。近代の学問は、主として自然科学の台頭によって発達してきました。けれども、二一世紀の学問では、広い意味での「神学」が、再び諸学問の中心的な地位を持つようになるのかもしれません。
           霊的な視座から
   文献批判では、このような問題は、「生活の座」という概念によって、すでに取りこまれていると主張する人がいるかもしれません。そうであれば、その「生活の座」をめぐって、なぜこのようにいろいろな見解が入り乱れるのでしょうか? このことは、そのような社会学的な概念だけではとらえきれない「視座」が、聖書解釈には必要であることを示唆していると思います。もっとはっきり言うならば、欠けているのは、聖書本来に内在している視座、福音書の著者たちが、その中から観て書いている宗教的な人間存在、すなわち、「生活」ではなく「霊的な」視座が欠けているからです。それが欠けているのは、文献批判が、人間を宗教的・霊的な存在としてとらえる視座をまだ正しく取りこんでいないからです。
  ただし、いわゆる聖霊に導かれた「霊解」と言われるものは、これまでずいぶん誤解されてきました。責任の一端は霊解の著者にもあります。霊解は、しばしば、非常にインスピレイションに富んではいるものの、きわめて独自性の強いもので、信仰というよりは、自己中心の信念を吐露(とろ)したものに近い場合があったからです。私が、聖書解釈をさまざまな学問の分野と結びつけているのは、一つには、このような弊害に陥らないためです。ここで「学問的」と言うのは、知識のことよりもむしろ開かれた心と視野のほうを意味しています。聖書を通して語りかける「真理のみ霊」の声を聞き取るためには、祈りと広い開かれた心の両方が大切です。
     著者を読むのか、聖書を読むのか?
   今お話ししたことを、今度は少し違った角度から考えてみましょう。例えばパウロの「ローマの信徒への手紙」を読む場合に、パウロという人物を理解することを目的にして読むならば、彼本来の用語ではない表現、例えば教会一般で伝統的に用いられていた定型句や旧約聖書の引用は、パウロの独自性を知る上であまり重要ではなくなります。直接パウロの思想や生涯に触れる箇所に比べると、それらはどうしても軽視される傾向があります。したがって、このやり方では、「ローマの信徒への手紙」それ自体をあるがままで「全体として」解釈することにはつながらないのです。あるテキストを解釈するというのは、そのテキストが、それの著者からも独立した存在として、それ自体で価値があると考えなければならないからです。
   聖書は、さまざまの種類の人たちが、さまざまな時代に、それぞれの状況の中で書かれたものが一つに編集された書物です。もしもこれらの異なる文書を、その著者の実存を探るという視点だけで解釈するならば、聖書の中のある文書に現われる言葉なり表象なりが、聖書のほかの文書の言葉や表象とどのように結び合っているのかが、見落とされてしまいます。これは、聖書を読む方法としては重大な欠陥です。なぜなら、聖書は、その全体にわたって、互いにさまざまな言葉や表象が、みごとなネットワークをなして連関し合っているという特長を持つからです。聖書の始めにある「創世記」のエデンの園が、数百年隔たって書かれた最後の「ヨハネ黙示録」とイメージや用語においてひびき合い対応していること、これが、聖書の最も重要な特質です。ほかのどのような書物も、この点で聖書の真似ができません。
              表象の鎖
   例を一つあげましょう。イエスと共にいた弟子たちは、イエスがメシアであるとは思っていましたが、それがどのような意味なのかを十分理解していませんでした。イエスが、「神の子キリスト」であると弟子たちが信じたのは、十字架と復活以後のことです。ところが、福音書には、ペトロが、イエスは「キリスト」(ギリシア語原語)であると告白した話が出ています。こういう場合に、ペトロがこの告白を行なったその歴史的時点から判断すれば(ペトロはギリシア語ではなくアラム語を用いています)、彼はまだ復活した「キリスト」をその全体像として把握してはいません。したがって、新共同訳では、福音書中の「キリスト」は「メシア」と訳されているのです。
  文献批判の視点から見て歴史的・史料的に「解釈」するのなら、この訳し方は正確かもしれません。しかし、同時に大切なのは、福音書の記者が、この「キリスト」という言葉を用いたその時点で、彼らは「復活のキリスト」を信じているということです。原語が「キリスト」だから「キリスト」と訳せと言えるほど問題が簡単でないのは十分承知しています。しかしこれでは、福音書の中の「キリスト」という言葉が、新共同訳では、新約聖書のほかの文書とつながってこないのです。マルコの場合はまだいいでしょう。しかし、「マタイによる福音書」では、ペトロはイエスに、「あなたはメシア、生ける神の子です」(16の16)と答えることになってしまいます。するとイエスは、「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現わしたのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ」と言われてペトロをほめるのです。この場合、復活したイエス・キリストを信じるマタイが、ペトロの告白する「キリスト」に、復活後の「神の子キリスト」の意味を重ねているのは明らかだと思います。新約聖書の中で最も重要な「キリスト」という言葉の鎖が、このようにして断ち切られてしまうのです。
   学問的な立場からは、この「キリスト」は「メシア」と訳さなければならない。こう主張する人がいるとすれば、その人は私が今提出している問題を正しく把握していません。問われてくるのは、どのような価値基準に立つ学問的「解釈」なのか、ということだからです。いったいここでの「キリスト」は、ほんとうに「メシア」の意味で「のみ」用いられているのですか? もしもそうでなかったら、これは誤訳に近い意訳になります。聖書のテキストを文献批判の史料性から「解釈する」場合と、聖書をその全体のつながりの中で解釈する場合との違い、あるいは食い違いが、いかに大切な問題をはらんでいるかお分かりいただけたでしょうか。
  コンツェルマンの『時の中心』は、その透徹した一貫性によって、ルカの「時」に対する視点をみごとに描き出しています。けれども、それは「ルカ」の視点ではあっても「ルカによる福音書」のそれとは必ずしも一致しないのです。例えば、イエスの誕生を物語る1章と2章(これをルカの「前物語」と呼んでいます)は、コンツェルマンの視点では解明できていません。彼はルカの編集意図を追求するあまり、個々の伝承断片に内包されている固有の主張を過小に評価するきらいがあります。彼の著書を読み、それから再び「ルカによる福音書」を読んでみると、なるほど彼の指摘したルカの視点が見えてきます。けれども、同時に「もっといろいろなこと」も福音書のテキストから見えてくるのです。伝承は、たとえ個人の著者によって編集され改変されていても、それが伝えられてきた過去に秘められた独自性を失わないからです。しかも、福音書の記者たちは、自分たちに伝えられた伝承のこのような性格を十分に認識しながら編集の作業を進めているのです。
              現代の歴史観は聖書の歴史観より正しいか?
   文献批判の問題点は、聖書本文の資料分析を終えた段階で、作者が「なぜ」そのような資料の用い方をしたのかと問う場合に、すなわち、作者の資料編集の意図を問う時に、歴史学・社会学的な観点からこれを行なおうすることにあります。この観点に立つ限り、論敵に対応するために福音書の記者がある状況を付加した、あるいは、ある資料をイエスの生涯の文脈に挿入するために一つの状況を「作り上げた」、というような見方が出てくることになります。言うまでもなく、福音書の記者は、自分たちのしていることが、歴史学的にどのように解釈されるかなどということを考慮してはいません。福音書の記者は、み霊のイエスの視点から、過去の伝承や出来事を救済史的に解釈し直すのです。そこには、歴史的な出来事もあれば、伝説も民話も神話もあります。
  救済史は、聖書の歴史観にとって重要な意味を持ちます。福音書の記者たちは、この史観に立って、自分に伝えられたイエスの言葉を理解していると言えます。その際彼らは、自分たちが置かれている史的な状況を聖書的な史観の中でとらえ、かつ「この視点から」伝承を編集しています。したがって、例えばマルコが、自分の救済史的な視点からイエスの言葉を自分なりに編集しても、彼の観ている「史的な立場」からすれば、イエスの言葉を歪めたとか「神話化した」などという意識は少しもないのです。問題は、マルコのこういう歴史観が、現代の文献学的な史料としての立場から、そのまま受け入れられないことです。なぜなら、土台となる歴史観それ自体が、マルコと現代とでは違うからです。
  重要なのは、現在の史観から見てマルコの歴史観がどこまで正しいかなどということではありません。マルコの史料処理の仕方と現代のそれとを比較した場合に、現代の方がより優れているなどと主張できる根拠はどこにもないからです。聖書を読むことは、まさにこういう最も根源的な歴史認識それ自体を学ぶためです。現在の私たちの価値を古典に押しつけるのではなく、古典から現在の私たちが学ぶ、これが、聖書に限らずおよそ古典と呼ばれるものに対する「正しい」態度ではないでしょうか。
  聖書は、本来それが書かれた目的に沿って読まれるべきです。そうでなければ「聖書」を読んだことにはなりません。先に述べたように、聖書は、それが書かれた本来の意図を離れて、いくらでも違った読み方をすることができます。しかし、そういう読み方が「できる」ことと、聖書が本来意図している読まれ方とは違うのだということを、読者の方々ははっきりと区別しておく必要があります。この場合に、「学問的」な観点は、直接にどちらの味方もしません。だから、もしも、聖書本来の意図と注釈者の読み方とが違う場合には、自分の意図ないしは価値観がどのように聖書の意図と異なるのかを説明するのが、より「学問的」ではないでしょうか。現代の歴史観のほうが、聖書のそれよりも優れているという前提は、「学問的に」見ても正しくないと思うのです。
  聖書注解と価値観
   ただし、聖書解釈の場合には、学問的な客観性と価値観との間に、ほかの場合とは異なる緊張があります。なぜなら、聖書を読むのは、ほとんどの場合、私たちが生きる上での最も根元的な価値観を求めるためだからです。学問的な客観性が最も警戒する「価値観」こそ、まさに聖書を読む意味そのものであるという緊張がここにはあります。はっきり言って、聖書学では、聖書本文のテキスト批評をも含めて、純粋に「客観的」な視点はほとんど不可能だと言えます。だから、聖書の注解者に対しては、聖書がそのために書かれた宗教的な価値観と自分の解釈の基となる価値観との間に、ある種の緊張と決断が要求されます。例えば「ここはマルコの編集である」というような注は、確かに「客観的」かもしれません。しかしそれだけでは、聖書を自分の生き方への使信として読もうとする一般の読者を困惑させる恐れがあります。そのような編集を通じて、マルコが伝えようとしている宗教的な意図は、いったいなんなのか? これをはっきりと伝えることが、価値観それ自体を問う聖書のような文書の注解には欠かせないと思うからです。
  「学問的」とは、この場合、そういう区別を明確にすることであって、自分の読み方がより「客観的」である、すなわち、価値観を「含まない」、ということではないと思うのです。こういう場合には、自分の解釈の提起する価値観と聖書が本来内蔵している宗教的価値観との間のズレを、あえてその両者の違いにまで踏みこんで分析することが要求されてきます。これが容易でないことは私にも想像がつきます。ただ、そういう大事なところを、「それはマルコの想像力による」と説明するだけでは、こういう疑問を抱いて読んでいる読者にとって、あまりにも不十分だと思うのです。必要とあれば、哲学、文学、言語学、宗教学、神話学、心理学、文化人類学などの概念を導入してもかまわないと思います。最終的には読者の判断に委ねるしかないとしても、せめて、こういうことを考える手がかりくらいは読者に与える努力が、注釈者に望まれると思います。
          聖霊体験と聖書学
    「熱狂主義者」であろうと冷静な神学者であろうと、聖霊運動の立場でも文献批判的な聖書学の立場でも、聖書のこういう根本的な視座を共通の視点として、そこから、自分の立場を見定める努力が必要ではないでしょうか。そうすることで、互いの相違点が明らかになるだけでなく、必ず共通点も見いだせると思うのです。そうでないと、いつまでたってもさまざまな解釈が入り乱れるばかりで、お互いが対話できる共通の基盤も生まれず、いったいどこに問題点があるのかさえも明らかにならないと思います。聖霊のバプテスマを与えられた人たちが、現代の聖書学の成果に与ることができないのは、一つには、こういう疑問に対する答えが与えられていないからです。霊に燃えた人たちが、学問的な知性に基づく聖書解釈に対してほとんど「拒否反応」に近い態度を示すのは、とても残念だと思います。私は、聖霊体験を持つ人たちが、進んで聖書学に接してほしいと心から願わずにおれません。
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