マタイとメシア預言
   先の章で、私たちは、マルコとルカについて見てきました。ここでは、マタイの場合を見ることにしましょう。「マタイによる福音書」1章18節から24節までをお読みください。ここに、「神は我々と共におられる」(1の23)というのが、イエスの名前の由来として語られる「インマヌエル」の意味だとあります。マタイが、この言葉で彼の福音書を語り始めるのはとても重要です。この福音書の最後の締めくくりには、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(28の20)とあって、始めと終わりの言葉が、「マタイによる福音書」全体の枠をつくっているからです。
  しかし、ここの「インマヌエル」では、このほかにも三点ほど注意しなければならないことがあります。
   一つは、マタイはこの「インマヌエル」を「イザヤ書」の7章14節(七十人訳)から引用していることです。それは、イエスの誕生が、旧約で預言されたメシアの到来と結びつけられていることを意味しています。だから、この節は、これに先立つイエスの系図と共に、新約を旧約と結ぶ要(かなめ)となっているのです。しかし、現代の聖書学では、イザヤからの引用が指す「男の子」(1章23節)というのは、彼と同時代の子、例えばアハズ王の子であるヒゼキヤのことであろうと言われています。『EKK新約聖書註解マタイによる福音書』によれば、「メシア・イエスを指すという伝統的なキリスト教的解釈は、イザヤ7章14節の釈義としては支持されがたく、せいぜい霊的釈義として議論できるだけである」ことになり、「(マタイのこの箇所においても)神による旧約予言の成就について語ることはできず、この成就を信ずる原始キリスト教的信仰について語ることができるだけである」ということになります。ここでも、聖書の語る言葉を「史実」から判断するならば、イザヤとマタイとを結びつけることができなくなり、こうして、イエスについてのイザヤのメシア預言は消えることになります。
   しかし、イザヤは自分の「インマヌエル」をはっきりと「しるし」として主がお与えになると語っています(8の10)。この「しるし」は、同時代の人、アハズに対する「しるし」という意味ですが、しかし、先に述べたとおり、このような「表象化」は、表象されるものの意味を時間的な制約を超える次元へと転移させます。ここでのイザヤの「しるし」は、それだから、単なる同時代的な意味だけに限定されるべきではありません。この「しるし」は、彼がすでに抱いていた終末のヴィジョン、メシアの到来と共に来るであろう絶対平和の世界とも結びつけられてきます。こうして、この「しるし」は、すぐ後の「イザヤ書」(九・五)の預言、「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた」へとつながることになります。マタイがイエスの誕生について「インマヌエル」を引用したのは、まさに「この意味」です。
           処女降誕
   第2の問題点は、ここでのイエスの命名が、処女降誕と結びついている点です。この問題は、イザヤの本文にある「乙女が」の解釈とも絡んできます。というのは、この語は、単に「若い女性が」の意味にもとれるからです。処女降誕は、古代世界では広く信じられていて、イエスの時代の人々にとってもそれほど不思議なことではなかったようです。しかし、現代の聖書注解書では、処女降誕はあまり重要視されません。『NTD新約聖書註解マタイによる福音書』には、「この表象(処女降誕)はそれゆえ、ある特定の人物が神によって世界に与えられた、ということ以上に多くのことを述べるものではなかった」とあります。もっとも、『EKK新約聖書註解マタイによる福音書』は、この伝承がヘレニズム・ユダヤ人キリスト教的教会から出たものであろうと見ていて、これについての古代教会の解釈を聖霊論との関連で解説しています。しかし、結論として、「マタイにとって、処女降誕は彼の信仰の中心的内容ではなく、それはむしろ、彼がイエスはインマヌエルであるということを理解するのを助ける、表象的な基礎なのである」と結んでいます。この注解は、ここでの表象の持つ意味をある程度認めていますが、処女降誕それ自体には、現代的な意味を見いだしていないようです。このように、新約が旧約の成就であるというのは、「学問的には」成り立たないことになり、処女降誕は、当時の人にとって意味があっても、今では、聖書の中で「きわめて小さな役割」(『NTD新約聖書註解マタイによる福音書』)しかはたさないと見られています。
  しかし、私はむしろ、この「せいぜい霊的解釈にすぎない」ところに注目したいのです。「特定の人物が神によって与えられたことを示す表象」のほうが、私の関心を引くのです。処女降誕の表象は、注解が指摘するとおり、広く古代世界で信じられていた伝説であって、しかもその歴史ははるか古代エジプトにまでさかのぼることができます。マタイがこの表象を用いた背後には、このように長い年月を経た人類の精神史、すなわち霊的な表象の歴史が潜んでいるのです。EKKシリーズの注解が指摘するとおり、「マタイにとっては」、処女降誕は、イエスがインマヌエルであることを理解する基礎となる表象です。だから、処女降誕は、ここでは「単に副次的な表象でない」とこの注解書が指摘するのは正しい。学問的に見れば「きわめて小さい役割」でも、マタイにとっては「きわめて大きい」のです。
  いったいこの処女降誕伝説は、どのような意味を担ってここに登場するのでしょうか。そして、この背後にはどのような人類の精神史が潜んでいるのでしょうか。これが今後問われなければならない「学問的な」課題ではないかと思います。なぜなら、これこそ、マタイがここで用いている表象の意味それ自体を「解釈する」ことにつながるからです。マタイは、ここで、処女降誕の表象が、自然現象として可能かどうかを念頭においているのではありません。彼にとってはこの「事実」は自明のことなのです。そうであれば、私たちも、ひとまず「史実」との結びつきを離れて、マタイの目から見て、この表象がどのような意味を帯びているのかを探るべきです。この伝承は、マタイ以前の原始教会からのものであるらしく、それならばなおいっそう、これがイエスの降誕と結びついたわけを知りたくなります。一般に、表象というものが、長期間にわたって驚くほど正確にその内容を伝えることを、図像を多少とも研究した人なら知っているはずです。
   マタイはここで、処女降誕を私たちの「罪からの救い」と結びつけています。なぜそうなるのだろう? これがこの表象を解く重要な鍵です。例えば、「処女マリア」という人格的表象は、神の「知恵」(ソフィア)の宿りを現わしていると解釈することもできます(ユング『心理学と宗教』)。このことは、イエスが神の「知恵」の受肉であり、「神の子イエス」とは、まさにこの意味であるという解釈へと道を開くことになります。こうして、処女降誕は、受肉思想とも結合し、さらに三位一体論へもつながるのです。すでにこの物語の資料に関しては、ヘレニズム的あるいはエジプト的な起源にまでさかのぼることが指摘されています。しかし、処女降誕に関するこれ以上の疑問は未解決です。このような表象に真剣に目を向ける聖書注解はまだまだ少ないようですが、こういう視点は、これからの聖書解釈の重要な分野になっていくのではないでしょうか。
   第3に注意しなければならないのは、これらのことが、「主が言われた」から、あるいは「主の天使が命じた」から生じたとマタイが語っている点です。マタイは18節から25節までの中で、このことを三度繰り返しています。このことは、彼がこの話を「人づてに聞いたから」書いたのではなく、伝えられた伝承を「資料」としてそのまま載せているのでもないことを意味するのです。「主が預言者を通して語られた事が実現する」(1の22)というのが、マタイの一貫した語り方であり、「わたしたち(マタイたち)と共にいますイエス」の誕生の次第を、マタイはこうして「主が言われたとおりに」書き記しているのです。ここでの「主」が、イエスのことではなくて「主なる神」であるという区別は、復活の主を信じるマタイにとって、それほど大きな違いではないでしょう。少なくとも、天使がヨセフに語った言葉と、これを書き記すように自分に語られる言葉とを、マタイがだぶらせていてもおかしくありません。
      復活のイエスが語る言葉
   ちなみに、「ヨハネによる福音書」の記者は謎に包まれています。現在では、おそらくは使徒ヨハネに起源をもつ宗団の一人が、この福音書を編集・著述したのであろうとされています。この福音書は、全体が主イエスの「語り」に包まれています。奇跡の場面でも対話でも論争でも、いつのまにか相手の姿が消えて、イエスが語り、イエスの言葉だけが読む者にひびいてきます。しかも、どこまでが筆者の言葉で、どこからがイエスの言葉かさえ判然としません。この福音書の筆者は、イエスと「共に」語っているのをうかがわせます。
   マタイもヨハネも「主が語るとおりに書き記そう」としている点で共通しています。「ヨハネによる福音書」の流れを汲む「ソロモンの頌歌」と呼ばれる文書があります。時期的には「ヨハネによる福音書」より少し遅く、紀元2世紀の初頭頃のものであろうと推定されています。この「ソロモンの頌歌」に、次のような句があります。

  ここで「私」とあるのは、復活のキリストのことです。「彼らと共にいる」キリストが「彼らを通して語る」のです。この句は、復活したキリストが、彼らに語られ、彼らを通じて「キリストの言葉」が語られることを意味しています。ここでは、生前のイエス・キリストとよみがえったキリストとの間に、その語る言葉において区別はありません。彼らと共におられる「生前の」キリストが、彼らの口を通して「キリストの言葉」を語られる、ということがこうして起こります。「ソロモンの頌歌」のこの句は、新約聖書でも、復活のキリストが生前のキリストの言葉を語り、イエスのみ霊に示された教会が「イエスの言葉」を語ることができることを示しています。
  ブルトマンは、例えば安息日にイエスが手のなえた人を癒す物語(マタイ12の9以下)について、これは、実際にあった出来事に基づくものではなく、11節のイエスの言葉だけがイエスの言葉として伝わり、このイエスの言葉を説明するために、教会が、こういう物語を「創出した」のだと結論しました。ブルトマンの説に従うなら、こういう物語は、イエスの発言を中心に簡潔にまとめられていて、状況表示がなく、時間的にも固定されていない、つまりその出来事が、いつどこで起こったのかが語られていないという特徴を持っています。だからこれらは史実ではなく、理念をあてはめるために、イエスの言葉を中心に、福音書記者や教会が情景を作り上げたと考えるのです。彼自身の言葉を借りるなら、「一般に(イエスの)言葉が状況を生んだのであって、その逆ではない」ことになります。

       イエスの出来事かイエスの言葉か
   けれども、確かなことは、イエスが、安息日制度を厳しく批判し、これがイエスの十字架につながる大きな原因になったことです。このことは、どの福音書も繰り返し語っています。だからイエスは、ことさらに安息日を選んで、自分の業を行なっていたとさえ考えることができます。このことを重視するなら、ブルトマンがイエスの「言葉」を重視しているのに対して、イエスの「行為」、実際にイエスが行なった「出来事」の方を重視するほうが正しいという見方ができます。
  この違いは重要です。ブルトマンが、イエスの言葉を重視したのは、聖書に語られている「出来事」と実際の「史実」との間には、大きな開きがあると彼が考えたからです。彼の考え方によれば、イエスの「言葉」は、実際にイエスが行なった「行為」とは完全に切り離されています。聖書の語る出来事は、いわば架空の「創出」となり、そこでのイエスの言葉は、いわば聖書物語の上に飾られた一輪の切り花みたいに根拠を持たないことになります。いったいマタイの教会は、イエスの言葉だけを頼りに自分たちで物語を「創出した」のでしょうか。どうもそうではないようです。マタイは、その言葉の奥には、これを生み出すもととなった「行為」あるいは「出来事」が潜んでいるのを知っていた。彼はその行為が、これにともなうイエスの言葉と共に伝えられているのを認識していた。こう考えるほうが正しいようです。伝えられているイエスの言葉の奥には、なんらかの「出来事」が存在しているのをマタイは知っていたと見るべきです。
   マタイはイエスの「伝記」を書こうとしているのではありません。客観的な「史実」を「過去の」出来事として確定しようとしているのでもありません。彼は伝えられた言葉の奥に潜む出来事を「自分たちの現在」と対応させているのです。彼がそうするのは、現在の自分たちの切実な問題に対する解決を復活のイエスに祈り求め、そうすることで、伝えられた言葉とその奥に潜む出来事を「現在自分たちが置かれている」状況なり出来事なりと結びつけ、この視点から解釈しようとしているからです。彼らを導いているキリストのみ霊は、さまざまな行為を行なった生前のイエスのうちに働いていたみ霊と同じお方だという信仰が、そこにはあります。
   出来事が、単なる一回限りの事件ではなく、後の時代の人たちに繰り返し想い起こされて、その人たちへの指針となるためには、その出来事が一つの表象的な「タイプ」とならなければなりません。この「タイプ」は、架空の比喩や空想的なつくりごとではありません。「実際に起こった出来事」あるいは「実在の人物」に基づいていなければならないからです。こういうタイプ化の段階では、特定の場所や時は削られます。このようにタイプ化されることで、その出来事に含まれる「真実」が、初めて「神の出来事」「神のこと(事・言)」として伝わるようになります。
  ブルトマンの誤りは、彼が「言葉」を重視するあまり、「出来事」が先に存在していて、これが表象化することで、初めて、その出来事に含まれる霊的な真実なり理念なりが伝えられることを見落としている点にあります。「出来事」は、表象化されることによって、さまざまな解釈を呼びこむ可能性を獲得します。こうして、後の時代の人々が、それぞれの置かれた状況からその出来事を追想し、それを現在の自分たちの現実に対応させることができるようになるのです。
  私たちは、先ほどのマルコで見たのと同じ姿勢をマタイにも見ることができます。それは、伝えられた出来事を、過去の出来事として確認するだけでなく、その出来事とイエスの言葉が、「現在の自分たち」を支える根拠となり、今の自分たちに対する「しるし」としてこれを受け入れることです。ある出来事が起こる。それを通じて神が語られる。出来事は表象化され隠喩性を帯びて「神のみ言葉」として伝えられる。伝えられた人たちは、その言葉の奥にある出来事を現在の自分たちの状況に対応させる。するとその出来事は、自分たちに与えられた神の言葉として働く。このような対応関係の中から自分たちに対する神の導きを聞き取る。これが、福音書記者たちの「語り方」の基本的な姿勢です。
       ペトロの否認
   今度は、福音書の中のペトロの否認の記事をお読みください。この記事は、四つの福音書のどれにもありますから、そのうちのどれを読んでいただいてもかまいません。ただ、マルコ(14章)とマタイ(26章)、ルカ(22章)、そしてヨハネ(18章)の三つでは、この記事の置き方が違っています。マルコとマタイでは、ペテロの否認は、最高法院でのイエスの裁判の時に起こります。つまり夜明け前の大祭司の尋問と最高法院での裁判とピラトの裁判との三段階があって、最高法院での尋問とピラトの裁判の間にこの記事が挿入されているのです。ところが、ルカでは、先ず大祭司(アンナスと思われる)の家での短い尋問があり、次に最高法院での裁判がきます。それからピラトの尋問があって、そこからイエスはヘロデの所へ連れて行かれます。それから再びピラトの所へ送り返されますから、いわば五つの段階を経ていることになります。ルカでは、ペテロの否認は大祭司の家で起こっています。ヨハネでは、イエスの裁判は、大祭司アンナスの家で短い尋問があり、それから最高法院での裁判に移り、ピラトの裁判へとつながるから三段階を経ています。そしてペテロの否認は大祭司の家で起こり、さらに最高法院の庭でも起こります。いわば、否認は二つに分けて語られているのです。
   以上のことを含んでおいて、どれかの福音書の記事を読んでください。福音書によって、多少内容に違いがありますが、この記事は、実際に起こった出来事と考えて間違いありません。私はここで、福音書の間の異同や編集の問題に触れるつもりはありません。また、この物語の解釈をするつもりもありません。ただ福音書の「語り方」を知っていただきたいと思うだけです。
  読者は、一読して、ペトロについてどのようなイメージを抱かれたでしょうか? ここに描かれているのは、一人の弱い人間の姿です。けれども、彼は「普通の」弱い人間ではない。なぜならペトロは、イエスの第1の弟子であり、読む人もそのことをよく知っているからです。ペトロは、福音書の中では、イエスに次いでしばしば描かれます。彼の人となりもそれなりに読者に伝えられているはずです。イエスが福音書で、神の子として主筋を構成するとすれば、ペトロは、人間の側の代表としていわば副筋を描いています。
           叙事詩の描き方
   一般的な叙事詩であれば、このような人物は、もっと生き生きした姿で登場します。例えば『イーリアス』の2巻で、ギリシアの大軍を率いる王アガメムノーンの勇ましい姿を、ホメーロスは生き生きと描いています。軍勢の槍、盾、軍馬、磨かれた戦車、髪の毛をなびかせたギリシア軍、黄金の装備をきらめかせた将軍たち、これらを大声で激励する王アガメムノーン。読者は、さながら絵巻物を見るようにはっきりとこれらの姿や情景を思い浮かべることができます。『平家物語』でも同じです。宇治川の先陣争いの場面では、琵琶湖の山から吹く風、逆巻く水の流れ、その水をくぐる駿馬、敵陣を目指す二人の勇士、これらが眼前に描き出されます。有名な将軍の場合なら、その兜、鎧、弓矢、馬のきらびやかな装備などが語られます。
  そこに描かれるのは、叙事詩の「英雄」の姿です。私たちは、その絵巻物に見とれ、その人物に拍手喝采を送ります。彼は、聞く者や読む者の賞賛と賛美の対象となるからです。しかし、ひとたびその英雄が死に臨むか、あるいは不運にして戦いに破れると、その描写には悲壮感が漂い、人々は彼の姿に涙するのです。私たちはそこに「悲劇の英雄」の姿を見るからです。彼は、常の人間とは異なる、あるいは普通の人の到達し難い英雄の姿、賛美の対象とはなるけれども、私たちとは別格の人物として、格調高い文体で描かれます。彼の姿が、「具体的に詳細に」語られるほどに聞く者の賞賛を呼び起こし、その悲劇はいっそう私たちの哀れを誘うのです。
          ペトロの描かれ方
   けれども、私たちがペトロの記事を読む時には、彼の姿を何一つ「具体的に」思い描くことができません。私たちは、もちろん彼を「知っています」。しかし、ペトロは、まるでぼんやりとした影のように、その色も輪郭も服装も浮かび上がっては来ません。私たちの関心は、ペトロがイエスを拒むその一点に向けられます。しかも、それが伝わるのは、最小限の状況と彼を取り巻く人たちの、その人たちの姿さえ浮かんでは来ない人たちの最小限の言葉の中から、ペトロの「言葉」だけがはっきりと読む者に印象づけられることによって生じるのです。彼の言葉には、ペトロ独特の感情も形容も示されていません。しかも、言葉数は最小限に切り詰められています。
  繰り返しますが、ペトロは、クリスチャンならだれでも知っている「身近な」人物です。しかも、起こった出来事は、だれでもが知っている事実です。こういう人物がこういう出来事と結びつく時には、叙事詩では通常このような語り方はしません。例えば大石内蔵助の場合と比べるとずいぶん違うことが分かります。その代わり私たちは、ペトロが自分とは違う人物であるという違和感を感じません。ペトロの言葉が自分の言葉としてひびき、イエスがペトロを見つめると、まるで自分が見つめられたような気がするのです。私たちはここに聖書独特の「語り方」を見ることができます。それは、読者をその人物の内側へと引きこむ手法です。読む者は、知らず知らずのうちに、ペトロと自分とを比較し、共感し、「自分自身がペトロとなるように」仕向けられるのです。しかも、だれでもがペトロのうちに入りこみ、その状況に自分の状況を重ね、ペトロの言葉を語り、ペトロの告白を自分の告白とすることができるのです。
  この意味で、ペトロは「英雄」ではありません。少なくとも通常の叙事詩の英雄ではありません。けれども、私たちは彼を「普通の人」だとは思っていません。「聖ペトロ」という称号は、やはり彼にふさわしいのです。彼があらゆる人々の人間性と一体になることができること、それでいて私たちから尊敬を受ける人物であること、互いに矛盾するこの不思議な二重性が聖書の語りの特徴なのです。
  叙事詩で言うならば、この否認の場面は、英雄の悲劇に当たるところです。しかし、ここでのペトロの姿は、そのような「悲壮感」や「哀れみ」のような「英雄の末路」の悲哀を感じさせません。むしろ私たちは、やや違った種類の「悲しさ」、人間としてだれでも覚えのある、人間であるがゆえの「悲しさ」を感じさせられるのです。もしも「英雄」という言葉を使うのなら、ここに描かれる「英雄」は、ほかのどれとも異なる英雄です。それは、「キリスト教的」英雄、あるいは「聖書的」英雄とでも呼ぶべき姿です。旧約のサムソンの物語でもそうです。なるほど彼が力を奮ってペリシテの民を打ち負かすくだりは、私たちに「英雄」を感じさせます。しかし、彼がほんとうに英雄となるのは、むしろ、盲目の囚われの状態にあって、苦しみながら神に従い抜くことによって、神の栄光を顕す時です。この時に、聖書のサムソンの英雄像が確立します。
  私たちは、ペトロのこの場面を読む時に、不思議に絶望感や喪失感に襲われません。私などは、ある種の慰めさえ覚えます。ペトロも自分と同じ人間なのだ、このことを確認して「安心する」という一面もなくはないのです。しかし、ここで私が覚える「慰め」は、それだけでは言い尽くせないものを含んでいます。私たちは彼がガリラヤの湖でイエスに出会ったのを思い出す。イエスに向かって「あなたこそ神の子です」と最初に告白したのも彼です。イエスが彼に「あなたを岩と呼ぶ」と言われたことを思い出す。イエスが最後の晩餐の後で彼が三度裏切るであろうと予告されたことも知っています。さらに、この場面の後でペトロに何が起こるかも同時に思い出されてきます。ペンテコステの日に聖霊が降り、先ず彼が立ち上がって、み言を「大胆に」語ることです。注意深い読者なら、「マルコによる福音書」(16の7)で、よみがえったイエスがこのことを「ペトロに」告げなさいと名指しで言われるのを思い出すでしょう。
      ペトロの出来事
   こうしてこの場面に至るまでにペトロの身に生じた出来事が、この場面の後に起こるであろう出来事と一つながりになって、今読んでいるペトロの姿に重なり、読む者の心に迫るのです。彼の過去の出来事と彼の未来の出来事とが、ペトロの現在を支えるのです。私たちは、そこに慰めと希望と、同時に悲しみを見いだします。彼の過去と未来とが、ここの現在に凝縮されてペトロの姿と重なる時に、出来事が出来事と反応し合い、かって彼に語られた主の言葉が、これから語られるであろう主の言葉とひびき合うのです。こうして、否認の場面の一つ一つの言葉や出来事が、過去と未来とを同時に「現在に」含ませることによって、その意味を波紋のようにひろげていくのです。
  聖書は読むほどに味わいが深まり、長く親しむほどに、奥深い語りかけを聞き取ることができます。それは、聖書の語る人物や出来事が、聖書の他の所で語られた出来事や人物と重なり合い呼応し合ってひびいてくるからです。ここでは、過去と現在と未来とが一つになって読む者の心に語りかけます。そこに描かれる人物像は、私たちから遠く離れた「英雄」ではなく、ごく普通の人です。しかもこの普通の人たちが、「神の」壮大な人類史の中では、「その他大勢」の群衆としてではなく、ここに描かれているペトロのように、その失敗のさなかにあっても、はっきりとした「個人」としてその立場を与えられています。こうして人は、自分の日常生活の中にありながら、「神の歴史」を生きるように仕向けられる。これが聖書の「語り方」です。
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