5章 相性と陰陽五行
■相性と相克
 五行思想の特徴の一つは「相生」と「相剋」で、それぞれの要素同士がお互いに影響を与え合うという考え方である。相手の要素を補い、強めるものを「相生」と言い、相手の要素を抑え弱めるものを「相剋」と言う。注意しておきたいのは、「相生」は相手を強めるので常によい、「相剋」は相手を弱めるので常に悪いという意味ではないことである。
「木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず」という関係を『五行相生』という。木は燃えて火になり、火が燃えたあとには灰(=土)が生じ、土が集まって山となった場所からは鉱物(金)が産出し、金は腐食して水に帰り、水は木を生長させるから、木→火→土→金→水→木の順に相手を強める影響をもたらすというのが「五行相生」である。これに対して、「水は火に勝(剋)ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つ」という関係を「五行相剋」という。水は火を消し、火は金を溶かし、金でできた刃物は木を切り倒し、木は土を押しのけて生長し、土は水の流れをせき止めるから、水は火に、火は金に、金は木に、木は土に、土は水に影響を与え、弱めるのである〔Wikipedia(ネット版)「五行思想」より〕。
■陰陽五行
 鄒衍(すうえん)たち陰陽家の影響によって、「五行」はまた「四時」のめぐりを表わす「陰陽」の二気と結びつくことによって「時令」の思想が生み出された。『呂氏春秋』十二紀篇では、まず「春・夏・秋・冬」は、それぞれ「木・火・金・水」(五行相生)に割りあてられる。「土」は余るので一年の真ん中の「土用」の日とする。「五行」には、それぞれに色や音や味が割り当てられていて、為政者が各季節に合致した政治を行わないと(春に夏令を行ったりすると)、自然と人間の調和が狂って災害が生じる。この天人相関にもとづく「時令」(一年の時節に応じて執り行なうべき祭儀的な行事)思想は、漢代に災異思想へと発展した。
 董仲舒(とうちゅうじよ)(前179年~前104年)は、前漢の儒者で、河北省の人である。景帝の時に「春秋博士」となり、武帝は、彼の勧めによって儒学を国教化したと言われている。彼は、天子が天意に合わない政治を行うと天はそれに感応して災異を下すと主張した。陰陽と五行を直結させたのも董仲舒(とうちゅうじょ)だと言われる。「天地/陰陽/木火土金水」の九つと「人」を加えると十になり、十で天の数は終わる(『春秋繁露』の「天地陰陽篇」)と彼は述べている。陰陽五行説は、その後、宋学において哲学的に深められ、民間の種々の占法と呪術に影響を与えた。日本にも伝わり「陰陽道」(おんみょうどう)を成立させたが、その大筋は漢代に完成されたと言える〔ネット版平凡社『世界百科大事典』〕。
 陰陽五行説の基本は、木、火、土、金、水の五行に、それぞれ陰陽二つずつ配することで構成され、甲(こう)、乙(おつ)、丙(へい)、丁(てい)、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、壬(じん)、癸(き)となる。音読みでは陰陽と五行の対応が分かりにくいが、訓読みにすると、<きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、つちのえ、つちのと、かのえ、かのと、みずのえ、みずのと>となる。「陰陽」では、語尾の「え」が「陽」、「と」が「陰」であるから、「きのえ」は「木の陽」という意味である。「え」の語源は「兄」であり、「と」の語原は「弟」で、「えと」の呼び名はここに由来する。
 五行説と陰陽説が統合されて陰陽五行説が成立した段階で、五行が、混沌から太極を経て生み出されたという考え方が成立し、五行の生成とその順序が確立する。
1.太極が陰陽に分離し、陰の中で特に冷たい部分が北に移動して水行を生じ、
2.次いで陽の中で特に熱い部分が南へ移動して火行を生じ、
3.さらに残った陽気は東に移動し風となって散って木行を生じ、
4.残った陰気が西に移動して金行を生じ、
5.そして四方の各行から余った気が中央に集まって土行が生じた。
 日本でも行なわれている「十二支」にも五行が配されている。その前提として、季節に対応する五行(五時または五季)は、春が木、夏が火、秋が金、冬は水である。土は四季それぞれの最後の約18日(土用)である。有名な「土用の丑の日」は夏の最後の時期(土用)の丑の日(丑は土の五行)になる。「十二支」とは以下の通りである。
「子(ね)」鼠のこと。方角は北で時刻は午後11時から1時まで。
「丑(ちゅ)」牛(うし)のこと。北から東へ30度。時刻は午後1時から3時の間。
「寅(いん)」虎(とら)のこと。東から北へ30度。時刻は午前4時前後2時間。
「卯(う)」兎のこと。方角は東。時刻は午前5時から7時の間。
「辰(しん)」竜(たつ)。方角は東から南へ30度。時刻は午前7時から9時の間。
「巳(み)」蛇のこと。方角は南から東へ30度。時刻は午前9時から11時までの間。
「午(ご)」馬のこと。方角は南。時刻は真昼の12時。
「未(び)」羊のこと。南から西へ30度。時刻は午後1時から2時まで。
「申(しん)」猿(さる)のこと。西から南へ30度。時刻は午後3時から5時の間。
「酉」(ゆう」鶏(とり)のこと。方角は西。午後6時の前後2時間。
「戌(しゅ)」犬のこと。西から北へ30度。時刻は午後7時から9時の間。
「亥(い)」猪のこと。北から西へ30度。時刻は午後9時から11時の間。
 ちなみに、十二支はほんらい動物とは無関係で、例えば「申(しん)」は稲光を模(かたど)ったもので、「神(しん)」「伸(しん)」を意味していた。十二支が動物と関連づけられたのは秦の時代で(前3世紀後半)、これは古代バビロニアの天文学で、地球の黄道に沿う十二の星座宮を「黄道十二宮」として、これらの星座に「牡羊座」「牡牛座」「蟹座」「獅子座」「蠍座」など動物の名前をつけたことに由来すると言われる。黄道十二宮を「獣帯」"the zodiac" と呼ぶのはこのためである〔『朝日新聞』2016年1月13日号「十二支の申はなぜ猿?」を参照〕。
 各季節に十二支を配すると、春は、一月寅、二月卯、三月辰(五行は木、木、土)/夏は、四月巳、五月午、六月未(五行は火、火、土)/秋は、七月申、八月酉、九月戌(五行は金、金、土)/冬は、十月亥、十一月子、十二月丑(五行は水、水、土)となる(月は旧暦の暦月または節月)。十二支の陰陽は、子から数えていき、奇数番目は陽、偶数番目は陰となる〔以上はネット版Wikipediaの「陰陽五行思想」を参照にした〕。
 陰陽五行説に基づく暦と、これに基づく占いは、立春を一年の始まりとしている。また月の始まりも1日ではなく、二十四節気のうち月の前半に来る十二の節(年によって違うがおおむね5~8日)が月の始めとなる。このように節から次の節の前日までの間を一か月とする月の区切り方を節切り、その月を節月という。また月の節入り(せついり)と言う。
立春(正月節)、新暦2月4日頃
啓蟄(二月節)、新暦3月6日頃
清明(三月節)、新暦4月5日頃
立夏(四月節)、新暦5月5日頃
芒種(五月節)、新暦6月6日頃
小暑(六月節)、新暦7月7日頃
立秋(七月節)、新暦8月7日頃
白露(八月節)、新暦9月8日頃
寒露(九月節)、新暦10月8日頃
立冬(十月節)、新暦11月7日頃
大雪(十一月節)、新暦12月7日頃
小寒(十二月節)、新暦1月5日頃
〔以上はネット版Wikipediaの「陰陽五行思想」による〕。

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