コロナ危機の日本(1)
          
コロナウイルスの危機の中から
          東京集会 (2020年3月14日)
〔五大恐怖と豊穣神話〕  
 今回も、前回同様に、キリスト教もイエス様も知らない「普通の日本人」を視野に入れてお話しします。今、コロナ・ウイルスのせいで、世界中が大騒ぎになっています。日本では、小・中学校が休校になり、高校野球までも中止になりました。こんな事態は、おそらく皆さんは初めてで、想像もできなかっただろうと思います。けれども、私には、これに似た状況が、かつて戦中にありました。野球もオリンピックもない。それでも学校の卒業式と入学式はありました。ある程度恵まれた今の若い人たちが言う「平和でけっこう楽しい日本」も、何か起これば、一晩でこんな風に変わるのです。どうぞ皆さん、この事態をしっかり見ておいてください。
 「何か起これば」と言いましたが、その「何か」とは、大昔から、言われてきたことで、聖書では、「天災と飢えと剣と病い」として繰り返し出てきます(エレミヤ14章12節その他多数「剣と飢饉と疫病」/エゼキエル6章11節「剣と飢饉と疫病」/ルカ21章11節「天災と飢饉と疫病」/ヨハネ黙示録6章8節「死と剣と飢饉」)。自然の「災害」と「戦争」と「飢饉」と「疫病」と権力者の「悪政」の罪、この五つは、すべて「死」と結びついています。「飢饉」に対しては「豊穣」が、「剣」に対しては「平和」が、「疫病」に対しては「健(すこ)やか」が、「悪政」に対しては「公正と正義」が、それぞれ対応します。これらは、人類の太古から「豊穣神話」として伝えられています。
 「豊穣神話」では、太陽がその力を失い始める冬至から春分までの時期が、生命にとって死の季節となり、その太陽を取り戻す神話です。この神話の最古のものが、今から5000年ほど前のシュメールの神話として記録されています。アブラハムが居たというウルの地域です。オリエントのこの神話は、ギリシアとローマに伝わり、イエス様の受難物語もこの神話と関連します(マルコ福音書に、イエス様の十字架の時に太陽が暗くなったとあります)。そこから、冬至のクリスマスと春分の復活祭が生まれました。豊穣神話で新しいものは、7世紀の日本で、稗田阿礼(ひえだのあれ)によって『古事記』に記録されています。アマテラスが天の岩屋戸に隠れたという神話です。だから、人類は、今も昔もこれからも、五大恐怖と、これを生き延びる豊穣神話をくり返していくことになります。今回の事態で、このことを心に留めておいてください(「豊穣神話」の詳細は、ホームページ→聖書講話→共観福音書講話補遺編→「豊穣神話について」を参照)。これから二つのことをお話しします。
〔三位一体の神〕
 まずイエス様の神です。イエス様の十字架と復活は、この五大恐怖を克服する神のお働きとして新約聖書を通じて伝えられています。そこで、今回の事態を受けて、皆さんに体でしっかり覚えておいて欲しいことをお話しします。その第一は、皆さんは、テレビや新聞やSNSで、ウイルスにかからないためにどうすればいいのかを熱心に聞いたり学んだりしています。けれども、どんなに熱心に学んでも、一番、肝心なことが分からないのです。テレビや新聞は、「みんなに宛てて」語ります。あたり前です。どこを向いても、誰が話しても、今の私も同じで、「皆さん」に向けて話します。けれども、今一番大事なのことは、「あなた」がどうすればいいのか?ということではありませんか。ウイルスが「この自分に」うつるかどうか、これが一番知りたいことではないですか。しかし、その一番知りたいことは「誰も教えてくれない」のです。教える人が語るのは「皆さん論」であって「あなた論」ではありません。聞こえるのは「一般論」だけです。病院へ行けと言う。行かないほうがいいと言う。外を出歩くなと言う。若い人は出歩いても平気だと言う。一般論を聞けば聞くほど、「この自分」はいったいどうすればいいのか?これが逆に分からなくなるのです。一般論はどれも正しいです。宗教的に言えば、「一般論」は神のお告げに近い。では、その神は、「この私に」どうせよと語るのか?これが一番大事で知りたいことなのです。
 ナザレのイエス様は「一人の」人間です。その一人の人間を通じて人類に神が啓示された。これが新約聖書の教えです。このイエス様が復活して、そのイエス様の御霊が、イエス様を信じる一人一人に働いてくださる。これが、三位一体の神のお働きです。そうなんです。「今」「この自分」がどうすればいいのか?これに答えてくださるのが、あなたが今信じている「イエス様の御霊」のお働きです。だから、その御霊の導きに従うこと、これが祈りの歩みです。
〔医学と信仰〕
 ここから第二になります。皆さんには、イエス様の御霊の導きが与えられています。けれども、「一般論」しか聞けない一般の日本人はどうすればいいのでしょうか? 神社のお札をもらう。神社にお参りする。仏壇を拝む。日本人のだれもが、「困ったときの神頼み」でやっていることがこれらのことです。けれども、今の日本人の中で、お札が「ほんとうに」自分を護ってくれると、心から信じている人はほとんどいません。私に言わせれば、それらはどれも「気休め信心」の域をでない程度です。では、何をほんとうに信じているのでしょうか? それは現代医学です。病院と医者と薬。これが、今の日本人が、心から信じている処方箋です。
 言うまでなく、現代医学も薬も大事です。そこから、たくさんの知識と方法を学ぶことができます。ところが、今の事態を見てお分かりと思いますが。では、いったいその医学と医療は、「今のこの私に」どうすればほんとうに役立つのか? これを教えてくれる人が見つからないのです。病院へ行くのがいいのか?行かないほうが安全なのか? どの薬をどのように飲めばいいのか?飲むと危ないのか?一般論からは、いざというときの自分への答えは出てこないのです。おかしな医者にかかって、逆になお悪くなった人も居れば、名医と言われる人に絶対の信頼を置く人も居ます。何時、何をどうするのか? これを実践するためには、結局自分の判断を信じるよりほかに道がないことが分かります。医学か、信仰か、などという問題は終わっています。終わらないのは、その医学を含む自然科学も、結局は、「ただ信じる」信仰だけが、最後のより所になるということです。この一事をここで確認して欲しいのです。人間は、「宗教する人」(ホモ・レリギオースゥス)ですから、自分の生存をかけた最後には、何かを「ただ信じる」以外に道がないのです。人一人一人を、「その時その場で、教え導く」働きをしてくださるナザレのイエス様の御霊のお働きだけが、これに「ほんとうに」答えてくださるのです。

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