コロナ危機の中で見えるもの(3)
コロナ以後の時代へ
横浜聖霊キリスト教(2020年6月21日)
  今、BC(before corona)(コロナ前)とAC(after corona)(コロナ後)という時代区分が話題になっています。同じようなことが、かつてヨーロッパの中世でも起こりました。モンゴル帝国による東西世界の統一は、シルクロードを経由して、人と物との交流を深めました。続く12世紀の十字軍は、西方キリスト教世界とオリエントのイスラム世界とを不幸な戦争によって結びつけます。ところが、1347年に、東方からコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に侵入してきたペストは,地中海貿易路をそのままたどり,1348年には、イタリアとフランスに上陸し、ついにヨーロッパ全体に波及しました。「黒死病」と恐れられたペストによって、ヨーロッパでは3500万人が死に、全世界で6千万〜7千万もの死者が出たといわれています。
 ペストの大流行で人口が激減し、「神の権威」を失った中世ヨーロッパでは、従来通りのキリスト教会の権威が弱まり、ルネサンスの時代を迎えることになります。イングランドでは、チョーサーの『カンタベリ物語』(1391年頃)が、人々に「自然への回帰」を呼びかけ、ルネサンスのイタリアは、ラファエロ(1483〜1520年)とダ・ヴィンチ(1452〜1519年)、それにミケランジェロ(1475〜1564年)の時代を迎えます。それまで異教と見なされてきたギリシア思想とキリスト教の統合の哲学(フィチーノのネオプラトニズム)も生まれました。人間理性の自由化と個人の自由化は、ドイツに始まる宗教改革(1517年)によって、キリスト教会に大きな変動をもたらしました。こうして「近代」(モダン)が始まったのです。
 アフター・コロナ(コロナ以後)の世界では、経済の打撃が大きな影響を社会全体に及ぼすでしょう。そうなれば、ハイテクを駆使して国同士が助け合う時代が来るでしょうか。それとも、「国は国に、民は民に逆らう」時代になるのでしょうか。アメリカと中国との今の関係を見ていると、コロナ対策も、国家の「安全保障」と経済的な利害関係に阻まれて、国同士が助け合うこともままならぬ様子です。国連のWHOによれば、今からは、コロナとバッタによるアフリカの食糧危機と、ブラジルの危機とが予想されています〔これを書いた後で目に留まりました。『朝日新聞』(2020年5月20日)「新型コロナ:人類団結はSFだけ?」中国の作家:劉慈欣(リュウツーシン)〕。
 では、宗教の分野では何が起こるのでしょうか。かつてのペスト以後の世界では、それまでの宗教の価値観が弱まりました。同じように、現代でも、アングロ・サクソン主導のキリスト教的な価値観が、世界的な視野から見れば、その権威と存在感を失いつつあります。中世のヨーロッパでは、従来型のキリスト教の世界観が崩れるのに伴って、人間理性の自由化と、自然回帰への機運が高まりました。いかなる宗教でも、それが人間の営みである以上は、自然と歴史がもたらす時代の変動と、文化的に異なる地域への拡大に伴って、変容を免れることができません。コロナ以後の時代のキリスト教は、今後どういう姿を採るのでしょうか?世界の終末を叫ぶキリスト教会が現われるのは間違いありませんが、「見よ、ここにメシアが、かしこにキリストが再臨する」という声に騙されてはなりません。16世紀以後のヨーロッパでは、ルネサンスに引き続いて、ドイツを中心に北欧とイギリスと北米に宗教改革が起こりました。ただし、それは、「温故知新」(古きを温めて新しきを知る)と言われるように、中世カトリックの基本的な信仰を継承することによって初めて可能になりました。宗教改革の結果、カトリックが衰え消滅することはなく、それ以後も力をつけて現在にいたっています。この事情は、東方正教会でも同じで、西方のカトリック教会と共に現在にいたっています。ただし、あってはならないことですが、16世紀には、当時のカトリックとプロテスタントとの間に血なまぐさい争いが生じました。こういう宗教的な歴史を踏まえるなら、今後はおそらく、
(1)
これからの宗教世界では、キリスト教がこれまで軽蔑してきた仏教や儒教やその他の「異教」とキリスト教との協和と習合が求められるようになるでしょう。しかし、この場合に、ナザレのイエス様を神の御子と信じる三位一体の信仰をただひたすら貫くことが、とても重要です。あえて異なる宗教を受け容れる信仰、そこに働くのは「受容と拒否」の論理です(『知恵の御霊』の「受容と拒否」の章を参照してください)。
(2)宗教同士の真の習合関係が成立するために、避けて通れないのが、 キリスト教の救済史と自然科学に基づく人類の宗教史とが、相互に密接に関連し合って理解されることです。従来の自然科学は、神話や宗教それ自体を「否定する」傾向が強かったのですが(聖書解釈や日本の神話解釈など)、ここで私が言いたいのは、まさにその逆の「自然科学」です。自然科学の視野に立つ人類史は、「ホモ・レリギオースゥス」(宗教する人)としての人間の宗教的な霊性に潜む本質を深く洞察し解明することです。それを通じて、ホモ・レリギオースゥスに潜む「欠陥」をも的確に指摘することができます。これが、「宗教する人」が抱える人の原罪を克服する道です。
(3)これに伴って、従来、特に我が国において、対立的に捉えられてきた「個人」と「国家/政府」との調和も可能になるでしょう。
(4)言うまでもなく、東方正教会、カトリック教会、プロテスタント諸派の教会は、これからも続きます。しかし、イエス・キリストの福音は、歴史と共に、「地域的に」拡大します。これから私が申し上げることは、日本と朝鮮半島と中国の現状を見れば、にわかには信じ難いことかもしれません。しかし、私はあえて予想しています。人類の宗教史とキリスト教の救済史の視野に立つならば、これからの21〜22世紀には、日本と朝鮮半島と台湾と中国から、姿も形も従来とは異なる新たなキリスト教の時代が始まることが期待できます。「東アジア・キリスト教圏」の成立こそ、これからの日本人に与えられた主様からの使命なのです。文字通り、「日の本」となる国から「アジアの夜明け」が始まろうとしているのです。
             コロナ危機の中で見えるものへ