4章 超自然と大自然
■神のことばの光
創世記1章1~2節では、「神が天と地とを創造した原初の時、地表はいまだ混沌で、神の息風が闇の深淵の面(おもて)を吹きつけていた」とあります。「混沌と深い闇」のこの状態において、(生命が宿るために)整(ととの)った状態を産み出した最初の出来事、それは、何であったかを同3節は次のように語ります。
そこで神は言葉を発した。
「光が差すよう!」(イヒ・オール)。
すると、光が発した(ヴァイヒ・オール)。
そこで、神は、その光を観た(ヴァィヤル・オール)。
「これで善い」(キー・トーヴ)。
祭司資料編集者たちは、「神」(エロヒーム)とは、捕囚の民がかつて居住したエルサレムとユダヤの神のことだけでなく、現に今、彼らが捕らわれているバビロン、その北のアッカド、さらに北のマリ、東のリビア、西のカナン、そのまた西のペルガモン、西の海に浮かぶ「島々」(ギリシア諸島)、バビロン南西のパレスチナ、さらに南のエジプトなど、あらゆる地域と諸民族に「普遍する」超越的な存在者のことです。人に「見えず、聞こえない神」のことです。ところが、この超在の「神」(エロヒーム)から、天蓋(ラーキーア)を破って、下界の人間に達する「言葉」が「発せられる」いう事態が生じました。エロヒームから発せられ働きかける「声とことば」は、「一神同体」で、「善い」(トーヴ)光でした。
祭司資料編集者たちの証言に続いて、創世記2章4節に、「ヤハウェ神(ヤハウェ・エロヒーム)が、地と天を作った(アーシャー)その日に」とあります。ここで初めて、天から地へ向かって「ことば」を発っした神が、イスラエルの先祖の神の「ヤハウェ」その方であると明(あ)かされます(これは編集による意図的な結果です)。ヤハウェは、天蓋を突き抜けて、生命を育む地表に「ことばの光」となって「差した/降った」のです。遍在する普遍の「見えず聞こえない」神(エロヒーム)が発した「ことば」は、神とひとつであるヤハウェその方であった。このことを証ししていると思われます。
■創造の三日目
天地創造の記事で注目すべきは、創造の第3日目です(創世記1章9~13節)。三日目の前半では、陸と海とが分けられますが、「陸」は、ヘブライの伝統的な解釈では「秩序」を具えた場所として、人間の生存に適しています。ところが、海のほうは、まだ「混沌」の深淵を宿していますから、そこには、人の生存を脅かすレビヤタンが住んでいます(創世記1章21節)。後になると、ダニエル書(7章2~3節)やヨハネ黙示録(12章18節/13章1節)で、諸国の民を苦しめ、神の民を迫害する獣(怪獣)どもが(地上の圧政者の象徴)、海から這い上がって人間を恐怖へ陥れることになります。
ところが、三日目の後半(11~12節)では、草木と果樹が生育する場が整えられて、生命の誕生が始まります。天からの超越の光が、天空(ラーキア)を「破って」差し込むと、地上には、「生命を育(はぐく)む大自然」が整うのです。自然を超越した天から差す地上への光(神の言葉)が、自然をして生命の育成に最適な環境を整えるという「超自然」のなせる「大自然」の創造がこのようにして生じます。超自然の働きによって、「あるがままの自然」が、そのまま「あるべき自然」なのです。こういう事態を成就するのは、天の玉座に居ます方からの働きかけです。三日目は不思議な日です。神の恩寵の不思議な働きを想わせます。
■玉座と小羊
乾いた大地に静かに降る春雨は、まだまだと思ううちに、いつのまにか地を潤し、その地からもろもろの命が芽生え出ます。そのように、大自然に働く赦しの力は、その絶大な働きを絶え間なく注ぎ続けます。 先の世界大戦が1945年に終わってから、77年を経た今になって、コロナのパンデミックと大国ロシアによるウクライナ侵攻という誰も予想もしなかった災害が世界を襲っています。美しく平和で調和のとれた自然には、まがまがしい闇の力が潜んでいることを悟らされます。このような「七つの災害」をもたらす闇を克服して、ほんらいの美しい「大自然」を取り戻し、その平和を維持してくださるのが、玉座から降り大自然に働きかける「小羊の恩恵」です(ヨハネ黙示録)。自然が、麗しい天然であるためには、自然を超える超自然の働きがなければならないというこの神秘こそ、小羊の臨在がもたらす不思議です。終末には、小羊の御臨在と共に、全宇宙が、静かな輝きを取り戻すのです。
観よ!私はすぐに来る。
私が共に携えてくる報酬を
人それぞれの業に応じて授ける。
私は、アルファでありオメガ、
最初であり、最後、
初めにして終末である。
(ヨハネ黙示録22章12~13節)
2022年6月10日 私市元宏 京都、嵯峨野にて。
十字架の愛光へ