1章 宇宙の誕生  
 ■宇宙の誕生
 1929年にエドウィン・ハップルは銀河系が膨張し続けていることを発見した。それまで、宇宙は初めから存在していて、永遠に不変だと考えられていた。ところがハップルが、望遠鏡で天の川銀河が今でも膨張を続けていることを発見したことから、宇宙には始まりがあり、しかも、今もなお膨張を続けていることが分かった。
 宇宙の誕生は今から138億年前のことである。それまでは何一つ存在しない「無」の状態であったその中で、突然に極微の砂粒?のような点が生じると、それがものすごい勢いで拡大した。「砂粒」の大きさは10-33 センチで、これが10-43秒の間に(1秒の1兆分の1をさらに1兆分の1にして、それをさらに10億分の1秒)の間に「インフレーション」を起こして、10−36秒後に1030倍(1兆×1兆×100万倍)に膨張した。その時の宇宙の大きさは100メートルほどだったと言う。その宇宙の温度は数兆度と言われ、そのすさまじい光と熱とともに素粒子ができた。これらの素粒子には謎の物質「ダークマター」も23%ほど含まれている。これが「ビッグバン」(大爆発)である。ビッグバンは宇宙の誕生の10−27秒後のことで、大きさは1000キロほどだったと考えられている。ところが宇宙誕生から10−10秒後に、不思議なことが起こった。素粒子は必ず+と−の電荷を持つ2種類のペアで誕生するはずなのに、現在の宇宙には−粒子(反粒子)が見あたらないのである。どうやらペア同士が相互作用で消えてしまって、余りの?+粒子だけが残ったらしい。このことは、1927年にポール・ディラックによって提唱され、1932年にその事実が確認された。どういうわけか分からないが、「余分の」粒子が残ったから、現在の宇宙が形成されたわけで、そうでなければわたしたちを形成している元素は存在しなかったことになる。
 それ以後も宇宙はゆるやかに膨張を続けて、その温度が1兆度まで下がると素粒子が電磁力で集まり陽子や中性子になり(宇宙誕生から10万分の1秒後)、それらが結びついて原子核が生じ(宇宙誕生から3分後)、それから38万年後に、宇宙の温度が摂氏2700度になると水素原子が生まれた。誕生から38万年後に万物の基になる水素やヘリウムなどの原子が生まれたことになる。原子は電気的に中性なので、光は原子の間を直進できるようになった。これを「宇宙の晴れ上がり」と呼ぶらしい。驚くべきことに、「無」の原点から急膨張した宇宙は、ちょうど木の枝のように分かれて次々と違う多元宇宙を生み出していったとも考えられている(『ナショナルジオグラフィック』1999年10月号73頁)。
 以上をまとめると、(1)最初は無のブランクの時代→(2)10−34秒後にインフレーションで宇宙が100メートルになり→(3)10−27秒後にビッグバンが起こり→(4)10−10秒後に粒子が反粒子よりも多くなり反粒子が消えて→(5)1秒後に陽子と中性子と電子と陽電子が存在するようになり→(6)3分後に原子核が形成され→(7)38万年後に水素原子やヘリウム原子が誕生し、さらに数億年後に星星が誕生することになる。
 「大爆発」と言うが、実際は「爆発」ではなく、空間それ自体がちょうど風船のように膨張することらしい。しかも空間の膨張速度は通常では超えられない光の速度を上回ることもあると言う。膨張する速度は「ハップル定数」と呼ばれ、1メガパーセク(ほぼ326万光年)を単位として計測されるのだが、この定数はまだ分かっていないらしい〔『ナショナルジオグイラフィック日本版』62頁〕。宇宙が膨張する形については、現在三つの説があるという。
(1)「閉じた球形」型。物質を結びつける重力のほうが膨張する力よりも強い場合、膨張が止まり、逆に一点に収縮し始める。宇宙は膨張と収縮を繰り返すことになるのだろう。
(2)「開いた宇宙」型。物質が少なくて、膨張する力のほうが重力よりも大きい場合、宇宙はどこまでも膨張を続けることになる。無限小から無限大へ向かうらしい。
(3)「円筒/平坦型」。膨張する力と重力がちょうど釣り合う場合は、宇宙はある程度以上開くことがなく、円筒のようにどこまでも伸びるが、それが止まることはない。
   〔『ナショナルジオグイラフィック日本版』63頁/同73頁図版〕
 上記三つの理論の中で、現在有力なのは(2)らしい。しかも、宇宙の膨張の速度は、現在のほうが過去よりもスピードアップしていると言う(1998年に画期的な発見と認められた)〔前掲書75頁〕。そうだとすれば、銀河も何も存在しないはずの宇宙空間に、重力を超える力となる「何らかの力」が存在しなければならない。逆に(3)の円筒型が成り立つためには、膨張を止める重力が「どこかに」存在することになる。「暗黒物質」(ダークマター)の存在が想定されるのはこの理由によるらしい。なお、プリンストン大学のリチャード・ゴットとリ・シン・リ教授は、宇宙の自己増殖説を提示している。宇宙の起源は円環を成していて、これを根のようにして、「開き型」の新たな宇宙が樹木のように次々と新たに創り出されていくと言う。こうして宇宙は多元宇宙化すると言うのである〔前掲書73頁〕。
■銀河系と天の川銀河
 宇宙の誕生から38万年後に原子が生まれたが、この時点では星も銀河も存在しなかった。2008年に世界に先駆けて、日本で「最初の星」の誕生がシュミレーションされた。それによると「ダークマター」と呼ばれる謎の物質が集積して太陽の100万倍ほどの大きさになり、これが発する重力によって、さらに多くの水素やヘリウムなどの物質が吸い寄せられた。このガス状の物質の集合が凝縮することで、さらに多くの原子を引き寄せ、約3億年後に中心部で核融合反応を起こす「最初の星」が誕生した。真っ暗な宇宙に最初の光が発生したことになる〔『ニュートン』(2010年10月)44頁〕。
 水素やヘリウムは、ガス状で宇宙空間を漂い、その濃淡の中から、濃い部分が集まり球体を形成した。最初の球体はすごい輝きを発したから「ファースト・スター」と呼ばれる。水素とヘリウムの核融合反応で生じた高温の星が次々と誕生して、それらの無数の星々が集まって銀河が形成された。その間に珪素や鉄や炭素などの原子が作り出されて星々形成の原料となった。この広大な銀河群の一角に天の川銀河が誕生し、そこに太陽系が生じることになる。
 このことから分かるのは、宇宙で物質が多すぎれば、重力が強くなりすぎて膨張は早い段階で引き戻されるから、宇宙はつぶれてなくなってしまう。逆に物質が少なすぎれば、膨張する宇宙の力で、物質が希薄になり、星も銀河も生まれてこないことになる。重力と膨張エネルギーと物質の量、この三つの絶妙のバランスだけが、星を造り銀河を産みだしたことになる〔『ナショナルジオグイラフィック日本版』(1999年10月号)67頁〕。いったいこの絶妙のバランスは「なぜ」生じたのか? この「なぜ」は数式で説明できる原因や理論の「なぜ」ではない。それは自然科学の理論ではどこまで行っても答えられない「起源」を問う窮極の「なぜ」だからである。
 現在、宇宙には約1000億以上?の銀河団が存在していると言われている。さて、わたしたちが存在する「天の川銀河」はそのとてつもなく広い宇宙の一角に位置しているが、天の川銀河それ自体も大きい超銀河団を形成している。その超銀河団の中心には、数千の銀河で形成されている「乙女座銀河団」があって、その中心には巨大なブラック・ホールが存在する。わたしたちの太陽系は、この乙女座銀河団の周囲に存在していることになる〔前掲書付属絵図〕。
 天の川銀河は無数の星星が集まって筋状のリングを形成して渦を巻いているが、その渦はおよそ七層から成っていて、周辺には大マゼラン雲や小マゼラン雲が存在する。銀河の中心近くに「いて座銀河」があり、銀河の周辺には「ダークマター」(暗黒物質)の世界が広がっている。『ナショナル・ジェオグラフィック』付録の図版によれば、わたしたちの太陽系は、その中心から四層目にあたる「いて座アーム」に属していて、銀河の中心から2万5千光年ほど離れた場所に位置していると言う。
■「初め」の意味
 「天文学的な数字」と言うが、なるほどこれがそれであって、いろいろな数字を見ても、わたしには一向に実感が湧かない。それらは「数字」と言うよりも、何かを象徴する記号としか思えない。「顕微鏡でしか見えない小さな点が、瞬きするよりもはるかに短い時間の間に、1000億光年以上の大きさの球状まで膨張した」〔『ナショナルジオグイラフィック日本版』(1999年10月号)74頁〕。これを「インフレーション」と呼ぶらしいが、どんなに物理的な理論で説明してもらっても、これが現実に「出来た」ことそれ自体の不思議と不可解な神秘は少しも変わらない。プラスの素粒子だけが「余分に出た」という不思議は、いろいろと合理的な説明が加えられているようだが、そういう合理性とは別個に、それ自体がとても<不思議な合理性>だと思う。窮極にあるのは、業でもなければ物質でもない、やはり<発せられたことば>である。この出来事に対する窮極の「なぜ?」は、理論的に原因を究明する自然科学の「なぜ?」ではない。それは哲学的な「なぜ」であり、強いて言えば、聖書が言う神学的な「なぜ」である。無の中から何かが全く突然に「出来た」のだから、どなたかが言葉を発した。初めに神が「宇宙あれ」と御言葉を発したことで、全く突然に宇宙が発生した。こういう説明のほうが、わたしには納得しやすい。
 とにかく「これ」が起こらなかったら、現在のわたしは今ここに存在していない。これだけは確かである。こんな不思議でものすごいことが、わたしの存在の起源になっていることを知らせてくれた自然科学の力に感謝するが、こんな不思議を起こしてくださった神に、改めて畏敬と感謝の念を抱かずにおれない。
■マクロとミクロ
 ヨーロッパの14〜15世紀のルネサンス期の人たちは、宇宙を「マクロコスモス」(大宇宙)と呼び、人体を「ミクロコスモス」(小宇宙)と呼んだ。人間の体が宇宙全体を象徴している。こう考えたからである。『ナショナルジオグイラフィック日本版』の付録の宇宙絵図を眺めていると、今の「わたし」など、文字通り「無きに等しい」存在としか思えない。それでもこのわたしの人体は、何十億とも何百億とも知れない細胞から成り立っていて、それらが10年周期で完全に新しいものと入れ替わると言うのだから、わたしの体を宇宙だと見れば、その中の一つの細胞が、今見ている絵図の地球であり、その細胞を成り立たせている陽子や素粒子は、地球にいるわたしの存在だという類比が成り立つかもしれない。これほどのマクロの神とこれほどのミクロの神、その両方を具えた方の成す業は、有り難いという以上に不思議であり、不思議だという以上に何とも有り難いと畏敬をこめてそう思う。
 上から芝居を見下ろすよりも、下から芝居を見上げるほうが、芝居のできがよく分かると昔から言われている。シェイクスピア時代のエリザベス朝の庶民は、立ったまま下から芝居を見ていたから、彼らのほうが、桟敷にいる貴族たちよりもシェイクスピアの芝居がよく「分かる(understand)」位置にいたことになる。「アンダー(下に)」「スダンド(立つ)」していたからである。同じように、宇宙や神の業を、神様気取りでマクロの上から見下ろすよりも、人間並みのミクロの下から見るほうが、ほんとうに「分かる」、こういう視点をわたしに教えてくれたが西田幾多郎である。だから18世紀のイギリスの詩人ウィリアム・ブレイクも「一粒の砂に宇宙を見る」と詠んだ。
■永遠の時
 宇宙の発生と成り立ちを知って思うのは、時間と空間の不思議な関係である。インフレーションと言いビッグバンと言い、そこで生じていることは時間と空間が一つになった「時空一如」の出来事である。だからそれは絶えず「動いて止まない」現象であり出来事である。宇宙は、直進するにせよ周期的に消滅と発生を繰り返すにせよ、そこに生じる「永遠」とは、宇宙の中を何時までも動き続ける<時の流れ>としか云いようがない。宇宙が発生するそれ以前の「絶対無」の「永遠」ではなく、時空一如の宇宙を時間と共にどこまでも動き続ける「永遠」こそ、聖書が伝える「永遠」ではないかと思う。「オラム・ルゴラム」"from age to ages" こそが、聖書の「永遠」が表わす意味ではないかと思う。新約聖書はこれを、ギリシア語「アイオーン」(時代/世界)の無限の連続だととらえている。そのとおりだと思う。
 だから、イエス様がこのわたしたちに与えてくださるという「命」も、どこまでも動いて絶えることのない「永遠性」を具えている。こんな風に思えてならない。神はこの宇宙に存在する極微の人間に、宇宙と共になくならない永遠性を帯びた霊的な命を人間であるイエス様を通じてわたしたちに与えてくださった。ヨハネ3章16節が証しする神の愛とはこういうものかと、改めて感謝を込めて確認することが出来たような気になる。
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