2章 太陽系の誕生
                
■太陽の誕生
 138億年前に出来たこの大宇宙。そこには1000億以上の銀河が存在すると言われている。わたしたちの太陽系が存在する巨大な天の川銀河は、その宇宙銀河群の一つでありながら、その内になんと2000億もの星を内蔵しているという。宇宙の誕生から92億年を経て、ようやくその天の川銀河の一画に太陽が誕生した。この太陽と太陽系の誕生をたどるとほぼ以下のようになる〔『地球46億年の旅』創刊号〕。
 星が生まれて死滅する時に起きる超新星爆発によって生じたガスや塵の固まりから(「分子雲」と呼ばれる)、星屑が渦を形成して引き寄せられ円盤を形成すると、そこから太陽が誕生した。今から46億前のことである。太陽の形成には、二つの超新星爆発が関与しているのではないかと言われている〔前掲書14頁〕。太陽を誕生させた力は電磁力と重力の働きによるもので、太陽はほぼ水素とヘリウムによる核融合反応の巨大な球体であり、直径139万キロ(地球の109倍)、表面の温度5500度Cで、重さは地球の33万倍あるという〔前掲書10頁〕。
 太陽の形成は渦巻き状に回転する力によるから、この時に働く求心力と遠心力によって集められると同時に、飛ばされる星屑もあり、その飛ばされた方の星屑が、太陽をめぐる惑星を形成することになる。ちなみにこのようなプロセスが解明され始めたのは、1970〜80年代のことで林忠四郎たち宇宙物理学者の理論によっている。言わば地球は、太陽形成の時の「余った」星屑でつくられたことになる。先に見た宇宙の誕生でも、「余った」素粒子から物質が生まれたことになるから、わたしたちの生命は宇宙と太陽が形成される際に「余った」部分からできたことになる。
■太陽系の誕生
 2015年の現在、地球の成分を様々な方法で分析した結果、現在の地球ができたのは、ほぼ正確に44億7000万年前だと推定されている。しかも、地球は、およそ10個(?)ほどの巨大な隕石が様々な角度で衝突した結果生じた融合体で、最後の巨大惑星との衝突(ジャイアント・インパクト)によって、地球の地軸の傾きが23・5度という四季を生じるのに最適な角度に定まった。驚くべき「偶然」である。巨大惑星の衝突によって、地球とほぼ同じ成分の月が、衛星として地球の周りを回り始めたことから、当初は早かった地球の自転速度が、長い期間を経て現在の24時間へ落ち着いたという。わたしたちは今から45億年前のこのあたりから初めて、「冥王代」と呼ばれる地球の歴史の最初の区分に入ることになる。全宇宙の歴史をおよそ150億年とすれば、「冥王代」は、その55億年後にやっとはじまることになる。太陽系から現在までの歴史は大きく「冥王代」(45億〜40億年前)/「太古代」(40億〜25億年前)/「原生代」(25億〜5億5千万年前)/「顕生代」(5億4100万年前〜現在)の四つに区分される。太陽系と地球と月と海の形成までが「冥王代」に含まれる〔岩波『地球全史スーパー年表』〕。
 太陽の周辺にはケイ素や炭素などを含む元素のガスが渦巻いていた。そのガス渦の中から、塵同士の衝突によって微惑星(直径1〜10キロ)が無数に生じて、それらの微惑星が衝突することで、次第に大きな惑星が太陽のまわりに誕生することになった。これが「原始惑星」で、これの形成は10〜100万年ほどの期間だから、宇宙の単位で、ほんのわずかの間の出来事だったことになる〔前掲書20頁〕。惑星はケイ素、炭素、鉄などで構成されていたが、この中の炭素が後に生命の誕生と深く関わることになる。
 太陽のをめぐる微惑星は、次第に8個の惑星へと収斂して円軌道を描くことになる。水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星で、この外側にはさらに冥王星が回っている。これら八つの惑星は、その大きさと太陽からの距離によって、三つの異なる性質を持つに至る。水、金、地、火の四つは「岩石惑星」で、木と土は「巨大ガス惑星」となり、天王星と海王星は「巨大氷惑星」となった。
 岩石惑星群では、液体の水の存在が生命にとって重要な意味を持つ。水星と金星では、太陽熱のために水が蒸発し、火星は大きさがやや不足して、空気を周囲に引き留めることが出来ず、気圧が低いから液体の水は存在できなくなった(最近では、火星にも水があることが分かった?)。独り地球だけが、その微妙なバランスのおかげで、大気と液体の水の存在を可能にしたことになる。木星と土星はその大きさのためにガスと微惑星を引きつけて巨大化した。宇宙から落ちてくる隕石の多くは、この木星の重力に引き寄せられるから、木星のお陰で地球は多数の隕石の落下から免れているらしい。太陽から遠い天王星と海王星は巨大な氷のかたまりとなった。
■人類と「太陽」
 以上がわたしの理解し得た範囲での太陽系の形成過程である。それにしてもなんと不思議な「絶妙のバランス加減」だろう! 太陽系が「神秘的なプロセスを経て誕生した」〔前掲書22頁〕とあるのは決して誇張ではない。地球が太陽にもう少し近くても遠くても、わたしたち人類は存在しなかったのだ。地球の大きさがもう少し小さくても大きくても生命の水面の源である水も存在しなかった。地球と太陽と他の惑星との重さと距離が作り出した驚くべき絶妙なバランスこそ、創造の神の知恵ではないだろうか。
 できあがった太陽は、後に人類の礼拝の対象にされて、その宗教的な営みの起源となる。また、太陽は水素の原子核四つが核融合してヘリウムの原子核一つに変わる(核融合反応)時に発する核エネルギーで燃えているから、20世紀後半の人類は、核開発によって、言わばこの太陽を人工的に造る手段を手に入れたことになる。現に聞くところによると、アメリカではミニ太陽を造る計画が進んでいるらしい。
 ギリシア神話に太陽を父に持つパエトーンの物語がある。彼は自分の父を尋ねて極東へ向かい、そこで父から、願い事をなんでも叶えてやると言われて、太陽を運ぶ戦車の御者にしてくれと頼んだという。父は危険を知りながら、約束の手前やむをえず彼を戦車の御者にした。ところが彼には天空を走るこの戦車をうまく制御できず、このためゼウス~は、彼の戦車を雷光で打ち落としたので、彼はあえなく死んだとある。太陽を礼拝した人類は、礼拝の相手を思うように動かそうと自ら太陽を作り出したが、その恐ろしい力をうまく制御することが出来ずに、自らに死を招く結果になった。こういう結末を予測しているような神話である。自らの理性を過信して、その力に頼り嬉々として核開発にいそしんだ結果、あえなく死を招く愚か者にならねばよいが。
 どこまでも際限なく力を発揮する人間の理性の営みと、これにまつわる危険性。人類に具わる知力をその威力と危うさの両方において、正しく用い、知るべきを知り、知ろうとしすぎるあまり、その怖さをも知ることを忘れないこと。この絶妙なバランスこそ、宇宙と太陽系を創られた神の知恵に見習う道ではないだろうか。そんなことを想わせてくれる。
■地球から見た宇宙
 太陽系の成り立ちをざっと垣間見たその後で、改めて、宇宙全体を「自分から見た」視野で眺めてみたい。宇宙が風船のように丸い球体なら、その表面のどこをとっても中心を指すことが出来るだけでなく、表面の一点を中心に全体を眺めることができるはずだが、どうやら宇宙の構造はそれほど簡単ではないらしい。それでも、『ナショナル・ジェオグラフィック』(74頁)には、地球を中心にした宇宙の図がでているから面白い。ここはひとつ天動説の時代に戻って宇宙を眺めてみることにしよう。
 わたしたちが見透すことの出来る宇宙の範囲は、宇宙開始から30万光年後の世界までである。宇宙は地球を中心に幾層もの輪を描いて見えるが、地球の中心から半径64億キロの円(光の速さで6時間)の中に太陽系がすっぽり入ることになる。そこからは、層を重ねるごとに距離と光年が大きくなり、天の川銀河の外側が見えるのは10万年前の世界であり、宇宙の一番外側の周辺までは、宇宙の誕生に近い110億〜150億年あり、そこから外側はどちらを向いても、ビッグ・バンの状態に見える。だから、わたしたちから見れば、太陽系の一番外側は6時間前の世界であり、宇宙の限界からは、110億〜150億年前の世界を見ていることになる。遠くなるほど過去にさかのぼる世界が見えるわけである。
■物質界と霊性
 現代の物理学は、人間の身体を含むすべての物質をその極限の素粒子まで行き着いている。とは言え、これが最終の存在ではなく、まだその先に得体の知れない「暗黒(謎)物質」が存在すると言う。そこに働く力も電磁力、重力、原子の核を結びつける「強い力」と逆にそこから離れようとする「弱い力」があり、さらに「謎のエネルギー」も働いているらしい。とにかく現代の物理学は、わたしたちを物質の窮極に近い極微の姿へと連れて行くだけでなく、素粒子という宇宙の「始まりの時」に近い状態へとわたしたちを連れて行ってくれる。
 だからわたしたちは、空間的に物質の根源に迫るだけでなく、時間的に物質の原初にさかのぼることになる。しかし、その原初に立たされても、なお<そこが>わたしという存在の全体の始まりである、と想うことが出来ない。なぜなら、わたしをも含む人類は、「永遠の命」ということを真面目に考える存在だからである。今わたしたちが来ることができる時間の原初に立たされても、そもそもわたしたち人間が、「なぜ」永遠の命なるものを想うのか?その問いの答えは返ってこない。このことの<物理学的な>答えは、「暗黒物質」あるいは「謎の力」の解明の中に含まれるのだろうか?
                   生命の進化へ