3章 冥王代
                      (46億年前〜40億年前)
■月の誕生
 太陽と地球が出来てから(46億年前)海が出来るまで(約40億年前)の時期を地球史では「冥王代」と呼ぶ〔『地球46億年の旅』2号8頁〕。月が誕生する以前に地球はほぼ9割方現在の形になっていた。ただし、微惑星同士の衝突の熱で、どろどろに溶けた灼熱のマグマに覆われていたから、この状態を「マグマオーシャン」と呼ぶ。このマグマオーシャンは多量の水蒸気(酸素ではない)と二酸化炭素のガスを排出したから、地球のまわりを「原始大気」が包むことになった。
 月の誕生のきっかけとなったのは、大きな微惑星との衝突である。その微惑星も小さな無数の微惑星の衝突によって生まれたものだが、それは「原始惑星」と呼ばれる火星ほどの大きさではなかったかと言われる。まだ現在の姿を採らない「原始地球」と「原始惑星」の衝突が、地球の一部を砂塵のように吹き上げて、その砂塵は地球の引力によって周囲を渦状に回り始め、相互に次々と衝突することで次第に大きな固まりになり、それら無数の固まりがさらに衝突を繰り返して現在の月が生まれることになった。大衝突から月の誕生までわずか1年間だったと言うから驚きである。この大衝突説は、1980年代に、東京大学のスーパーコンピューターによってシュミレートされた〔前掲書21頁〕。もっとも、これには異説があって、最初は大小ふたつの月が存在していて、それが衝突した結果現在の月になったという説もあるらしい。
 このように見ると事は簡単なようであるが、実はそれほど単純ではない。相手の原始惑星の大きさが、地球の直径の3分の1の場合と、半分の場合と、7割もの大きさの場合とでは、結果がまるで違ったものになる。その上、衝突が二つの球体の中心が真正面からぶつかった場合と、わずかに中心をはずれて斜めに衝突した場合とでも、砂塵の起こり方がまるで違う。 衝突が僅かに中心を逸れて斜めにぶつかったために、吹き上げられた砂塵の渦が現在の月の形へと落ち着く結果になったことになる。
■月と地球
 原始惑星との大衝突の結果、地球はほぼ現在の姿に落ち着いた。その上、他の太陽系の惑星に見られない大きな衛星が地球のまわりを回り出したのである。だから月を構成する物質は地球の表面の物質とほぼ同じである。こういう大きな「伴侶」を得たお陰で、地球が自転する地軸の傾きが太陽に対して23度半にほぼ固定され、例えば火星のように傾きが10度から60度まで大きく変化することがなくなった。この大きさの月が、地球と合体もせず、離れもせず、現在の距離を保ちながら回っているために、地球に季節が生じたことになるから、四季の移りは月のお陰である。
 この大衝突は、地球の内部にも影響を及ぼして、現在地球の表面から6400キロの所には、主に鉄とニッケルから成る「内核」があり、これは364万気圧もの圧力で、固体の状態で存在する。内核の周囲には地表から2900キロほどの所まで、液状に溶けた「外核」がある。その上にマグネシウム珪酸塩と呼ばれる鉱物を主にした「下部マントル」があり(地表から660キロの深さまで)、その上に「上部マントル」と呼ばれる比較的流動性の高い鉱石の層がある(地表から40キロの深さまで)。だから、わたしたちの住む大地は、地球の表面を包む薄皮ほどの厚さしかない。
■海の誕生
 原始惑星同士の巨大な衝突によって生まれた原始の地球は、衝突の熱によって「溶岩の海」(マグマオーシャン)の様相を呈していた。熱によって溶けた溶岩からは、塩酸、硫酸、炭酸などを含む多様の水蒸気がガスとなって発生し、それが巨大な雲となって地球を覆った(この理論は「衝突脱ガスモデル」と呼ばれる)。この雲は100キロもの高さになり(現在はおよそ10キロまで)、冷やされたガスが地上に降り注いだが、地表の熱のためにすぐに蒸発し、ガスは雲と地表との間で降雨と蒸発を繰り返した。
 この高温の状態を緩和したのは二酸化炭素の力に負うところが大きいらしい。二酸化炭素は地表の海に溶けやすいから、これがマグマの海に溶けることで、大気中の気圧が下がり、地表が冷えるにつれて厚い雲から雨が降り注ぎ始めた。この雨は年間4000〜7000ミリ(4〜5メートル)に達して、なんと1000年以上もの間降り続いたというのだ。これが「大降雨時代」である。これによって地表は初めて海に覆われて「ウォーターワールド」に変容し、ここに太陽系で唯一液体の水に覆われた惑星が誕生したことになる。
 生命が誕生するために必要な条件を「生命可能地帯」(仮訳)"habitable zone" と呼ぶらしい。太陽系では、奇しくも、地球と火星だけが、この「生命地帯」に含まれる「海惑星」になった。言うまでも無くこれは太陽からの適切が距離によるもので、これよりも太陽に近ければ水分は蒸発してしまい、遠ければ凍結して液体が地表に存在することがないから「凍結惑星」になってしまう。ところが、火星は地球よりも小さいために、二酸化炭素を含む雲を引き寄せる力が弱く、大気の気圧も地球よりはるかに低い。このため、二酸化炭素を大気中に蓄えることが出来なかった。二酸化炭素は、大気中の熱を外へ逃がさない温室効果があるから、唯一地球だけが、凍結しない液体の水の海を地表に残すことが出来た。この「奇跡の積み重なり」が液体の水をたたえた「奇跡の星」〔『地球46億年の旅』3号14頁〕の誕生を可能にしたことになる。
■陸地の誕生
 わたしは今まで、陸地は海の水が引いたために、自然に出てきたのだろうくらいに思っていた。ところがそうではないらしい。地球内部では、今も熱いマグマの対流が続いている。その対流が、海の水とマグマの間の薄い地殻のプレートに亀裂を生じさせて、一方のプレートが反対側のプレートの内部へ潜り込むことになる。すると、潜り込む側のプレートの表面が削られて(これを「付加体」と言う)、その部分が熱によって、溶岩(玄武岩)からより軽い花崗岩へ変容する。この過程が進む内に、付加体から成る花崗岩が海面から顔を出して陸地へと成長することになった(この理論を「プレートテクトニクス理論」と言う)〔『地球46億年の旅』3号26〜27頁〕。ざっとこんな具合である。地球の表面に海と陸地が出来てきたことで、生命の誕生の条件が整った。こう考えるのはまだ早いらしい。
■偶然か摂理か
 わたしたちは地球に海が出来たことで、「冥王代」(46億年前〜40億年前)の終わりに来ることになる。ここまで振り返って、つくづく思うのは、「もしも、もうちょっと〜だったら」今のわたしは存在しないことの連続だということである。驚くべき不思議というか「偶然」とも思える出来事の積み重なりが、海のある地球の存在をもたらしたからだ。だから『地球46億年の旅』3号の記者は、これまで一連の過程を「奇跡の積み重ね」と言い、この地球を「奇跡の星」と呼んでいる〔『地球46億年の旅』3号14頁〕。
 しかし、おそらく読者の中には、そうは思わない人が居るのではないか? 何事にも原因と結果があり、原因から結果を生じさせる論理とこれに基づく理論があるから、どんなに不思議な現象や出来事も、その論理と理論が解明されるなら「別に驚くに当たらない」。こう思う人たちがいる。
 しかし、宇宙物理の理論がこれらの不思議な偶然の原因となる理論とそのような理論を成り立たせる論理(数式)を発見できたとしても、その発見をどこまで繰り返しても、私の驚きと不思議は決してなくならないと思う。私の驚きと不思議は、論理とそこから導き出される数式の欠如から来ているものでは<ない>からである。
 ここでわたしは、人間が、ある出来事や現象を「解釈する」根源に関わる問題に出合うことになる。全く同じ出来事、同じ現象を見ても、それに感動も不思議も感じないで、それは、それなりの原因となる論理が働いた結果にすぎないと「割り切る」人たちがいるその一方で、こんなことが起こるのは何か不思議な力が働いた結果だと直観する人もいる。一方は科学的で、他方は非科学的だなどと「割り切る」ことができるほど問題は単純でない。
 優れた科学者でも、例えばアインシュタインのように、宇宙の神秘と不思議に打たれる。「科学する」とは「サイエンスする」ことであり、「サイエンスする」とは、最も奥深い意味で「知ることを知ること」である。言い換えると「何が分からないかがほんとうに分かる」ことである。
 おそらく物理学の専門家であろう記者が「奇跡の積み重ね」という言い方をしたのは、論理が形成する理論をどこまで積み上げても、それでもなお分からない何かそういう世界があることを感じとっているに違いない。だから「奇跡」などという自然科学の記者らしからぬ言葉を遣うのだと想う。
 ギリシアの人はこういう「偶然の積み重なり」を「運命」と呼び、ヘブライ人はこの「偶然の積み重なり」を「摂理」、言い換えると「神の導き」と呼んだ。同じ体験をしても、ある人はこれを偶然がもたらした運命だと解釈し、ある人はこれを神の導きがもたらす摂理だと考える。同じ出来事をもたらす理論とそれ自体に、「偶然」を見て驚きもしない人、「運命」を見て諦める人、「摂理」を見て驚き感謝する人がいる。いったい、偶然派と摂理派とは、どこが違うのだろうか? 
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