■時代尺度
今回から中生代に入る。と言っても、何しろ時間の尺度が余りに大きいので、注意しないと時代感覚が狂ってしまう。ざっと復習してみると、宇宙ができたのが145億年前のことである。ビックバンから100億年後、今から46億年前にようやく太陽系と地球が誕生した。地球の誕生から冥王代→太古代→原生代と40億年が経過した後、今から6億年前に、やっと「顕生代」が訪れた。顕生代とは6億年前から現在までの時代のことで、ここから地球とその生命の本格的な歴史に入ることになる。
顕生代そのものは、古生代→中生代→新生代とあって、わたしたちは現在その「新生代」に居ることになる。古生代はカンブリア紀→オルドビス紀→シルル紀→デボン紀→石炭紀→ペルム紀から成り立つ。これから始まる中生代は、三畳紀→ジュラ紀→白亜紀の三つから成り立っている。なお新生代は、古第三期→新第三期→第四紀から成り立つ。
こういうわけで、宇宙の初めから見れば、まず100億年が経過して地球が誕生し、地球の誕生から40億年経過してやっと生命体らしい多細胞生物が生まれ、そこから6億年が経過して現在にいたっていることになる。わたしたちは、その最期の6億年の経過を追っているわけである。ちなみ人類の先祖が二足歩行を始めるのは、6億年前に原始の生命体が誕生してから、さら5億4000万年経過して、今から600万年前の「ごく最近」のことである。
■ワニの先祖と恐竜の先祖
ワニの先祖と恐竜の先祖は、爬虫類に似た状態から進化したけれども、両者の進化の形態は似て非なるものらしい。大量絶滅で、地上と海中の生物のほとんどの種が絶滅した後で、三畳期を最初に席巻したのは、ペルム紀の単弓類の生き残り組であった。パンゲア大陸は3億年前〜2億年前まで存在したから、その大陸をリストロサウルスという全長1メートルほどの爬虫類?が、乾燥した内陸部に住んでいた。これが現在のワニの先祖である。その他にも、狼に似たような1メートルほどのチニクオドンや30センチほどのプロベレソドン(大きな鼠)などもいた〔『地球46億年の旅』21号11頁〕。
ペルム紀の絶滅から出てきたのは、大別すると、トカゲ類と主竜類(ワニや恐竜や鳥の先祖)とキノドン類(哺乳類)の三つの類である〔『地球46億年の旅』21号12〜13頁〕。ただし、現在のワニは四つ足が横へ出ているから、陸地よりも水辺で生息していた。ところが主竜類は、現在陸上を歩いている動物と同じに、四つ足が真っ直ぐ下に伸びていた。特にサウロスクスは全長5メートルもあって、陸上を歩くこの巨大な「ワニ」は、三畳期初期の王者であった。しかし、これらの先祖は三畳期に絶滅して、これから進化したワニだけが陸地から水辺に追いやられて、背中の鱗の列を二列から六列へ進化させて現在にいたっている。このワニの直接の先祖がなぜ絶滅して、その代わりに多様な恐竜の先祖が小さな体から巨大化したのか? その謎はまだよく分かっていないらしい。
■恐竜時代の始まり
2億5000万年くらい前から6600万年前までの「中生代」(三畳期→ジュラ紀→白亜紀)は「恐竜の時代」と呼ばれているが、三畳期の2億3700万年前から2億130万年前までの3600万年ほどの時期では、恐竜はまだ揺籃期にあった。この時期の恐竜はほとんど全長1メートルくらいで、エオドロマエウス(肉食の獣脚類)やピサノサウルス(植物食の鳥盤類)やエオラプトル(植物食の竜脚類)などと呼ばれている〔『地球46億年の旅』21号20〜21頁〕。しかしこれらは、この頃全盛を極めていた全長5メートルものサウロスクスなどに比べると捕食される側にある脇役であった。これら三つの種類が、ジュラ紀と白亜紀には巨大な恐竜へ進化することになった〔前掲書22頁〕。
三畳紀に巨大化したクルロタルシ類のワニの先祖とこれら恐竜の先祖とは、姿形が似ているので同じ仲間だと思われがちだが、実は違うらしい。三畳期の終わり頃にはクルロタルシ類はほぼ絶滅するが、どういうわけか、恐竜類は生き延びた。その理由は未だよく分かっていない。たまたま「運良く」生き延びたのかもしれない。恐竜は、後にトリケラトプスのような現在の犀(さい)に似た恐竜と、ティラノサウルスから鳥へと進化する二つの系統に分岐するのだが、その共通の先祖はまだ見つかっていない〔前掲書25頁〕。恐竜の特徴は、眼と鼻孔の間に孔があること、後ろ肢(あし)が真下に向かっていること、骨盤の真ん中にも穴がありまた骨盤近くに三つ以上の仙骨があることなどである。
■海に戻った爬虫類
今から2億2500万年前から2億130万年前にかけての三畳紀半ばから終わりの間に、興味深い進化あるいは変容の出来事が三つ起こっていた。その一つは、陸上の爬虫類の中から水中へ逆戻りする魚竜類や鰓竜類のグループが現われたことである。とは言え、陸地で肺呼吸をしていたのだから、息継ぎのために時々水面に顔を出したり、水際に上陸したりしていたようだ。海へ戻った理由はよく分からないが、陸上での捕食者から逃れるためか、あるいは、水中に獲物を求めたからだろうと思われる。
ウタツサウルスは鰭肢(ひれあし)も短く、尾ひれも細長いから、魚と言うより爬虫類に近いが、ジュラ紀のオフタルモサウルスになると、魚のような尾ひれがあり、背ひれもつき、ひれ肢も発達して魚に近くなり、全長で4メートルもあった。しかし、これら海生爬虫類の繁栄した期間は比較的短く、2億130万年前頃には、大量絶滅によって、そのほとんどが姿を消した〔『地球46億年の旅』22号14〜15頁〕。
■哺乳類の出現
二つ目は哺乳類の出現である。これは今から2億850万年前の三畳紀後期のことである。単弓類→獣弓類→キノドン類から進化したと考えられている。それはモルガヌコドン類という鼠に似た小動物であった。哺乳類の特徴は、熱を体内でつくる「内温性」を獲得したことで、これは外気の熱に左右される「外温性」の爬虫類とは大きく異なる。また鼻と口が分離することで呼吸がしやすくなり横隔膜を具えるようになった。内温性のために、敵から逃れる夜行性が可能であった。最古の哺乳類はモルガヌコドンで全長8〜9センチほどの小ネズミである。メガゾストロドンは15センチほどの鼠のような姿であるが、トリナクソドンは長さ50センチほどで、どう猛な猫のようだ〔『地球46億年の旅』22号16〜19頁〕。
■飛ぶ翼竜
三つ目に、脊椎動物から空中を飛ぶ「翼を持つ竜」が現われた。しかしこれは、恐竜の先祖の主竜類でもなければ、鳥の先祖でもない。三畳紀の中頃出現し、ジュラ紀には繁栄したが、白亜紀の終わり頃(6600万年)に絶滅した。「飛ぶ」とは言っても、鳥のように本格的に空を飛ぶのではなく、木から木へと飛びながら移動して敵から逃れたり、木の上のトカゲや昆虫などを食べたり、貝類を食べていたらしい。翼を広げると50センチほどのプレオンダクティルスと60センチほどのペテイノサウルスなどに代表される。前足が伸びて翼になる場合が多かったが、シャロビプテリクスのように後ろ肢が伸びて翼のように膜が張っているのもある(15センチほど)。どういう進化の過程でこのようになったのか、その元祖となる化石が見つからないので、まだよく分かっていないらしい。爬虫類が飛ぶという発想は、18世紀後半、フランスの博物学者ジョルジュ・キュビエによって唱えられ、1801年の論文で「プテロ・ダクティル」(空飛ぶ指)と名づけられた〔『地球46億年の旅』22号20〜23頁〕。
■恐竜の進化
中生代(2億5200万年前〜6600万年前)はほぼ2億年近くも続くが、この中生代の前半期、すなわち三畳期の中頃(2億130万年前)からジュラ紀の終わり頃(1億4500万年前)までが、恐竜の出現とその全盛期に当たる。恐竜は植物食の竜脚類と、肉食の獣脚類と、植物食でありながら後に鳥などに進化する鳥盤類の三つの種類に分類されている〔『地球46億年の旅』23号13頁〕。その中で最も巨大化したのは竜脚類である。
竜脚類の初期に属するのは全長1メートルほどのエオラプトルで、今から2億3000万年前のことである。2億年ほど前の恐竜は、タイで発掘されたイサノサウルスと呼ばれるもので、全長12〜15メートルほどある。ところがこれがジュラ紀の後期には全長25〜30メートルに達する巨大なアパトサウルスへと進化し、現在までで最も巨大な陸上動物と言われている。アパトサウルスは生まれた時は30センチほどだが、3歳〜10歳の間にものすごい早さで巨大化し、20歳で子供を作る年齢になる〔前掲書〕。巨大化の原因の一つは、肉食の獣脚類から身を守るためであり、群れをなして行動することが多かったらしい。ジュラ紀の二酸化酸素の濃度は現在よりも7〜8倍もあったから、地球は温室効果で植物が繁殖した時期になる。また酸素濃度もジュラ紀に上昇しているから、このことも巨大化を促す原因になったと考えられる。
■獣脚類の進化
肉食の獣脚類のほうは、三畳期の後期に出現して、2億130万年前から1億4500万年前まで、三畳期の中頃から白亜紀の終わりにかけて全盛時代を迎えた。ジュラ紀の恐竜の化石では、中国の北西部のジュガル盆地が有名で、ここからは様々な恐竜の化石が発掘されている。ジュラ紀後期のジュガル盆地では、30メートルを超える竜脚類の巨大なメマンチサウルスが群れをなして歩き、その脇をまだ小型のグァンロンやインロンなどの獣脚類が走り回っていたようである〔前掲書16〜17頁〕。獣脚類は竜脚類に比べると小型なために動きが素早く、臭覚が発達していて、群れで巨大な獲物を捕食していたようだ。これらが白亜紀にはアロサウルス(全長12メートル)のような無敵な肉食恐竜へと進化した〔前掲書26〜27頁〕。
■首長竜と魚竜
中生代前半期の三畳紀の後期からジュラ紀の終わり頃(2億130万年前〜1億4500万年前)は、地上で恐竜が栄えていた時代であるが、海には魚竜や首長竜が、空には翼竜が飛んでいた。この時期、超大陸パンゲアは、北に長く延びる大陸と南に広がるゴンドワナ大陸と、両者の西あって北と南の大陸をつなぐように位置するローラシア大陸に分かれていて、これら三つの大陸の間には、広大なテチス海が広がっていた。温暖な気候に恵まれたこの海には、長い首とオールの様な4枚のひれがある首長竜や、現在のイルカに似た魚竜と呼ばれる爬虫類の仲間がいて、サメ類や貝類やイカ類などを食料としていた。首長類も魚竜も魚の先祖ではない。これらは先に述べた爬虫類の中から海へ戻った「海生爬虫類」である。海生爬虫類は、三畳期末の大量絶滅でほとんど絶えるが、首長類と魚竜は、その中から生き延びたものたちである〔『地球46億年の旅』24号8頁〕。
したがって、三畳期からジュラ紀を経て白亜紀にいたる中生代の間では、主竜類から進化したワニ類と恐竜とが、陸上と水辺におり、鱗竜類から進化した魚竜と首長竜と蛇・とかげ類が、それぞれ海と陸に生息していたことになる。ただしこれらの動物たちが、どの爬虫類から進化したのかはまだよく分かっていないようだ〔『地球46億年の旅』24号10頁〕。
首長竜の実態はまだよく分かっていない。プレシオサウルスやクリプトクリドゥスなどは首が長く卵生ではなく胎生であった。首は長いがそれほど自由ではなく、小魚などを食べるのに有利だったと思われるが、逆に敵に襲われる危険も大きかったはずである。長い首の利点もまだよくわかっていない。
首が長いものだけでなく比較的首が短い首長類もいた。リオプレウロドンがそれで、全長7〜12メートルほどであり、中には20メートルを超えるものもいて、当時の海の王者だった。巨大な鋭い歯を持つ肉食性もいる〔前掲書12〜13頁〕。プレシオサウルスの骨格の化石は、イギリス南西海岸に住んでいたメアリー・アニングによって1823年に発見された。彼女は13歳の時にイクチオサウルスの化石を発見したが、これはドイツ以外で初めての翼竜の全身化石の発見である〔前掲書11頁〕。
■真の哺乳類の誕生
海に首長竜や魚竜が栄えていた頃、陸では恐竜が闊歩(かっぽ)していたが、三畳期の後期には、爬虫類と哺乳類の特徴を併せ持つキノドン類とう単弓類から「哺乳形類」と呼ばれる動物が出現した〔22号参照〕。そこから、中生代前半期の首長竜のこの時期に、陸地で真の哺乳類が誕生した。それは陸上を歩く夜行性のネズミに似た姿であったが、中には手足を広げると膜が張られ長い尾を操って空中を滑空するボラティコテリウムもいた〔前掲書15頁〕。
哺乳類は温体性で、爬虫類に比べると顎の骨が異なっていて、顎の骨から耳の小骨が発達し、このために鋭い聴覚を有していた。これは恐竜などから身を守るためで、夜行性の動物にとっては重要な機能である。ジュラ紀の哺乳類には、木に登って虫を食べるヘンケロテリウムや、地中に潜って昆虫や腐肉を食べるシノコドンや、雑食で陸を素早く走るモルガヌコドンや、ビーバーのような半水性のカストロカウダなどがいた〔『地球46億年の旅』24号16〜17頁〕。ただし、後期の進化した哺乳類と異なり、これらはまだ卵生で、乳で子を育てていた。
■翼竜
陸では哺乳類が耳を進化させ、海では首長竜たちが泳ぎ回っていた頃、三畳期の後半からジュラ紀を経て白亜紀の終わり頃まで(2億130万年前〜6600万年前)の長い間、空では翼竜が飛び回っていた。翼竜は三畳期に登場する60センチほどのランフォリンクス類に始まり〔『地球46億年の旅』24号4頁〕、ランフォリンクス類から分岐した70〜90センチのダーヴィノプテルスのような中間期を経て〔前掲書24〜25頁〕、ジュラ紀後期には翼開長10メートル以上に及ぶ巨大なプロテダクティルス類へ進化した。プテノカスマ〔前掲書4〜5頁〕やケェツァルコアトルスなどがこれである。
ランフォリンクス科はジュラ紀に進化し、プロテダクティルスはジュラ紀の後期に出現し、クテノカスマ科は白亜紀に進化し、ケェツァルコアトルスは白亜紀後期に出現した。巨大化しても細身で骨は空洞であったから、7メートルもありながら40キロほどの体重だったという。ただし、ケェツァルコアトルスは現在のキリンほども体長があったから、実際どれほど飛ぶことができたかは疑問である〔前掲書22頁〕。これらの翼竜は、白亜紀末の大量絶滅(6600万年前)によって、恐竜と共に姿を消した。
■白亜紀の陸地変動
わたしたちは中生代の第3紀(最終紀)の白亜紀(1億4500万年前〜6600万年前)の頃までに生じた陸地の変動と気候変動に入ることになる。三畳紀の初め2億5000万年前に形成された超大陸パンゲアは、ジュラ紀の初め約2億年前頃から地中の溶岩の熱によって分裂を始めた。1億7000万年前には、現在のオーストラリアとインドと南アメリカとアフリカと北アメリカがつながりながら南北に広がり、これが北で現在のヨーロッパとシベリアとアジア大陸のつながりと出合い、地球の大陸全体が、連なりながら巨大な半円を形成していた。この巨大な大陸群に囲まれるようにテチス海があった。
ところが1億2000万年の白亜紀前期には、現在のアフリカ大陸と南アメリカ大陸が分裂を初め、このため北アメリカ、アフリカ、南アメリカ、オーストラリアと南極の4つに分かれる兆しが見え始めたのである。54000万年後の白亜紀の終わり(6600万年前)には、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、北アメリカ、南アメリカ、インド、オーストラリア、南極のそれぞれの大陸が形成され、ほぼ現在の地球上の大陸の配置に近くなった〔『地球46億年の旅』25号10〜11頁〕。
■白亜紀の地球温暖化
約1億万年ほど前の白亜紀の中頃、大陸の移動に伴う噴火活動によって、大量の二酸化炭素(CO2)が大気中に放出されて、その濃度は、現在の4〜10倍にも達した。このために地球に温暖化が生じて、寒流は存在せず、暖流だけの海になったために、この頃の地球には北極にも南極にも氷が存在しなかった。地球全体が現在の亜熱帯地域のように森林で覆われたから、これが恐竜の巨大化と多様化を、また様々な生物の繁栄をもたらした。花を咲かせる最古の被子植物もこの頃出現した。
二酸化炭素の濃度が大気中に増えると、風化作用によって、二酸化炭素は雨に溶けて地上のカルシウムと結合し、二酸化カルシウムになって海中に沈殿して溜まる。結果として大気の二酸化炭素の濃度は再び減少し始める。これが「炭素循環システム」の作用である〔『地球46億年の旅』25号24〜25頁〕。
■恐竜の全盛
三畳紀に出現したエオラブトルやピサノサウルス(どちらも全長1メートル)は、ジュラ紀にはさらに枝分かれして、これらが白亜紀には剣竜、鎧竜、堅頭竜、角竜、鳥脚などの各種の「類」となる。しかし、これらは、6600万年前の大絶滅で滅び、獣脚類から枝分かれした鳥類だけが、現在に生き残っている。
白亜紀の大陸の変動に伴って、恐竜は、地域ごとにも多様化し巨大化した。独特の頭を持つプシッタコサウルス、ブラウンキオサウルス(全長25メートル)、肉食のユタラプトル(3メートル)、鎧を着たミンミ(2メートル)、アマルガサウルス(9メートル)など多種多様である〔『地球46億年の旅』25号16〜17頁〕。
■羽毛恐竜から鳥類へ
恐竜が現在の鳥類と同じ先祖を持つことは、アメリカの古生物学者ジョン・オストロム(1928〜2005年)によって初めて唱えられ、この説は、1990年代に中国の遼寧省(熱河)で発掘された多くの羽毛恐竜の化石によって確実視されるようになった。鳥類と恐竜の共通の先祖に当たる恐竜が存在し、そこから進化(分岐)して、片やステゴサウルスからトリケラトプスにいたる巨大恐竜が出てきて6600万年前に絶滅し、片やアルゼンチノサウルスのような超長の恐竜から羽毛恐竜へと進化して、ジュラ紀後期の始祖鳥となり、そこから現在の鳥類がでてきた〔前掲書11頁〕。言い換えると、絶滅した巨大恐竜トリケラトプスと、鳥類の始祖とされる始祖鳥とは、共通する祖先からそれぞれに分岐(進化)したことになる。鳥類は、恐竜との共通の先祖から大きく二股に分岐(進化)して、以後も分岐を繰り返すことで、7回目の分岐のあたりからオビラプトルが現われ、9回目の分岐(進化)によって鳥類が誕生したと考えられる〔前掲書15頁〕。驚くべきことに、巨大で長い首を持つアルゼンチノサウルスや獰猛(どうもう)なティラノサウルスも、恐竜との分岐以後に出て来た鳥類で、それらも始祖鳥の出現以前の段階の鳥類に属する。ただし、恐竜の一部が、ジュラ紀の始め頃(2億年ほど前)から小型化し始めて、ジュラ紀の終わり頃に始祖鳥へ進化したという新説もある。
比較的初期の段階の羽毛恐竜にガウディプテリクス(約1メートル/白亜紀前期)がいる。両手の先に小さな羽根があり、尾の先にもかなりの大きさの羽根がある。これらは飛ぶためのものではなく、求愛行動に使われたと思われる〔前掲書10頁〕。シノサウロプテリクス(約1メートル/白亜紀前期)も長い尾を具えていて、まだ地上を歩いていた〔前掲書4頁/26〜27頁〕。
オルニトミスム(全長3.5メートル)は現在のダチョウに似た羽毛恐竜で、爪のある二つの前肢に美しい色彩の羽根を具えていたが、それは飛ぶためではなく生殖のため雌に見せるものであり、同時に卵を抱いて暖めるためでもあった。羽根は成長してから生えるので、子供には無い〔前掲書8〜9頁〕。ミクロラプトル・グイ(白亜紀前期)は前の肢(あし)と後ろの肢を羽毛で飾った四翼の羽毛恐竜で、飛ぶことはできないが、木から木へ滑空したと考えられる〔『地球46億年の旅』26号4〜5頁〕。またオビラプトル(白亜紀後期)は両手の先に少しだけ羽根があるが、全身毛で覆われていて抱卵したと考えられる〔前掲書11頁〕。
始祖鳥は、ジュラ紀後期(1億5000万年前)に出現した。これをもって恐竜から鳥類へ移行したと見なされている。始祖鳥は、前肢に大きな翼を持ち、後ろ肢にも羽根があり、大きな尾羽根を持ち、五つの翼を具えた美しい鳥である。翼は飛ぶためではなく、求愛と空中を滑走するためのものだった〔前掲書20〜21頁〕。この始祖鳥をもって、これ以後を鳥類と見なし、以前を羽毛恐竜と見なしている。始祖鳥以後の鳥類でよく知られているのは中国で発見された孔子鳥である。孔子鳥やプロトプテリクスは両翼で水面上を飛んでいた〔前掲書19頁〕。
このように、ジュラ紀から白亜紀にかけて、陸地では恐竜が巨大化して闊歩していたが、その間も哺乳類は小型で生息を続け、一方亀類は水中に入り水陸両生で命をつないでいた。白亜紀終わりの6600万年前、絶滅したのは巨大化した恐竜で、小型の哺乳類と水に入った亀類と小型化して空を飛んだ恐竜の子孫は、絶滅を免れて現在にいたっていることになる〔前掲書24〜25頁〕。
■被子植物の出現
デボン紀の終わり頃に(約3億6000万年前)、むき出しの種から繁殖する裸子植物が出現して、続くペルム紀を通じて裸子植物の樹木や灌木が地上に広がった。しかし、ジュラ紀の終わり頃(1億4000万年前頃)、始祖鳥が現われ、地上では恐竜が巨大化していた頃に、被子植物が出現した。被子植物とは、胚珠によって生じる種が、むき出しではなく、子房によって覆われる構造になった植物のことである。後に、この外側の子房が発達して、種を厚く包む果物が出現するようになる。
どのような過程で被子植物が生まれたのか、その謎はまだ解けていない。裸子植物は風を利用して風媒と呼ばれる方法で受粉をおこなったから、陸上での受粉に限られている。ところが、水辺や水中の植物は、裸子植物の方法で受粉することができにくいから、子房で種を包むのは、ほんらい水対策ではなかったかと考えられている。イスラエルで最古の被子植物の花粉化石が見つかった(1億4000万年前)。さらに1億3000〜1億2500万年前の被子植物アルカエフルクトゥスの化石が発見された。水生の植物で、いくつもの細長い茎の先に、豆のさやのよう雄しべが幾つも葉のようについていて、その同じ茎の下のほうに小さくいくつもの雌しべがついている〔『地球46億年の旅』27号10頁〕。
この原始的な被子植物は、やがて昆虫と共生するようになる。花粉を餌にする昆虫を利用して花粉を雌しべのもとへ運ばせて受粉する仕組みである。受粉から受精までの期間も1日であるから、裸子植物の風媒よりもはるかに早く受精することができる。この仕組みはやがて、目立たなかった花が、昆虫を惹きつけるために、次第に色彩豊かな花へと進化して地上を彩ることになった。現在地球上の植物の90%が被子植物である。
アルカエフルクトゥス目は1億1000万年前頃にスイレン類とその他に分岐(進化)し、1億年ほど前の白亜紀の半ば頃には、バラや菊類、百合や木蓮類などに分岐(進化)することになった〔前掲書11頁〕。
被子植物は雄しべと雌しべの両性であるが、やがて子房が肉厚の果実となることで、これを食べる動物たちを利用して、その分布範囲を広げることができるようになった。こうして白亜紀前期頃から中頃にかけて、赤道に近い低緯度の地域から、被子植物の分布範囲が北上と南下を続けて世界中に広がった〔前掲書12頁〕。
■多様化する昆虫
昆虫は、古生代末の絶滅の危機を乗り越えて、中生代の三畳紀(2億5000万年前)まで生き残り、ジュラ紀(2億年前)には現在に残る種類がそろっていた。しかし、白亜紀(1億4500万年前)に被子植物が出現してからは、植物と昆虫の共生関係が加速して、コウチュウ目、チョウ目、ハエ目、ハチ目が花々と適合して多様化した。植物の繁殖は、風媒、水媒、虫媒、動物媒などの方法がある。虫媒は石炭紀のシダ類までさかのぼるから、白亜紀以前でも植物と昆虫の共生は進行していた。しかし、白亜紀の中頃(1億700万年前)から、蜜を分泌する花が出現し始めると、ストローのような口で蜜を集めるスズメバチやチョウやガが現われた。古第三紀(5600万年前)からは、花々の進化に呼応して、ハチ類、蝶類、蝿類などが多様化し、新第三紀(2300万年前)以降に、ほぼ現在の昆虫類が出そろうことになった〔『地球46億年の旅』27号18頁〕。中でもハチ類のミツバチは、女王蜂、雄蜂、雌蜂のように役割を分担して、集団で蜜を集める習性を持つようになった。敵に対して毒を持つ昆虫、社会性を持つ昆虫、環境に合わせて姿を変える(擬態)昆虫などが、このようにして出現した〔前掲書19頁〕。
■哺乳類と胎盤
哺乳類が出現したのは三畳紀の中頃(2億1000万年前)のことであるが、その哺乳類が、卵を産む卵生ではなく、胎盤内で子供を育てるようになったのは、白亜紀の半ば近くの頃(1億2500万年前)のことである。2002年にシカゴ大学の古生物学者羅哲西(ローツェシー)が中国遼寧省の白亜紀の地層で「エオマイア」と呼ばれる全長10センチほどのネズミに似た動物の完全な化石を発見した。教授はこの動物の臼歯が現在の有胎盤類の臼歯と同じ噛み合わせになっていることから、エオマイアが胎盤を持つ胎生であったことを突き止めた。
有胎盤類はジュラ紀の哺乳類ヘンケロテリウムなどから分岐して進化し、白亜紀の前半期にエオマイアなどの有胎盤類とシノデルフィスなどの有袋類(カンガルーの先祖)とに分岐した。白亜紀の終わりの絶滅を免れたのは、臼歯を具えた動物が多かったようである〔『地球46億年の旅』27号22〜23頁〕。
■白亜紀の海の生物
白亜紀(1億4500万年前〜6600万年前)の海では、軟骨類の魚の最大のモササウルス(全長12〜15メートル)が、巨大な体と大きな口と鋭い歯で、硬骨類の魚ポリコティルスなどを追い回していた。マグロ、鯛、鰺、スズキ、鮭、鰊などのほとんどは真骨類の魚で、これらの先祖は、はるか4億年以上も前のシルル紀にさかのぼる。その頃から、河や湖などの淡水の流域に移動し始めるにつれて、ミネラルやカルシウムが希薄な淡水でも生きられるように、骨にカルシウムを蓄える硬骨化が始まり、現在の真骨類へと進化した。真骨類で最大の魚はシファクティヌスで、全長6メートルもあった〔『地球46億年の旅』28号6〜7頁/10〜13頁/14〜15頁〕。
ジュラ紀の海では、魚竜が繁栄したが9300万年前に絶滅し、これに代わってモササウルス〔前掲書22〜23頁〕のような海生爬虫類が白亜紀の海を支配していた。しかしこれも白亜紀の終わりに絶滅する。海生爬虫類は蛇やトカゲと同じ仲間であるが、完全に鰭と化した4肢をもち、尾びれはサメのように三日月型である〔前掲書18〜19頁〕。日本の海域には、フタバスズキリュウと呼ばれる首の細長い海生爬虫類が生息していた〔前掲書21頁〕。
一方白亜紀の海には、三畳期に絶滅したアンモナイト類の生き残りが進化して、螺旋や細長いものや渦巻きなど、様々に変化したアンモナイト類が生息していた。しかし、これらも白亜紀末に姿を消した。日本の東北大の地質学者矢部長克(1878〜1969年)は、アンモナイトの中で最も複雑な巻き方をするニッポニテスを発見した〔前掲書24〜27頁〕。
■海洋無酸素事変
白亜紀の地球の大気の温度は現在よりも摂氏6〜14度も高く、両極の温度も摂氏20度ほどで、氷はなく、地球全体の温度差が現在よりもはるかに小さかった。だから、海流も停滞し、しかも海面が現在より200メートルも高かった。この温暖化のために地上では巨大が恐竜を始め様々な動物や植物が繁栄を極めていた。このような温暖化の原因は、地表の二酸化炭素の濃度が高かったからである。ところが、この二酸化炭素は海中から噴出したものだから、地表とは裏腹に、海中では、無酸素あるいは貧酸素のために大量の生物が死滅する事態が起こった。
その原因は地球内部の熱いマントルの対流が狂って巨大な上昇流(ホットプルーム)が発生したために生じたことによる。このマントルの上昇流はすぐ上の地殻に多数のひび割れを生じさせ、その割れ目を伝って上昇した熱い溶岩が、深海の水と接触して海底火山を生じさせた〔『地球46億年の旅』29号12〜13頁〕。これら海底火山によって形成されたのが「海台」である。最大の巨大海台は、オントジャワ海台(1億2000万年前)と呼ばれ、太平洋のソロモン諸島の海底にある。そのほか、インド洋にはブローグン海嶺(9000万年前)があり、南インド洋にはケルゲレン海台(1億2000万年前)がある。この火山活動は100〜200万年間続いたと考えられている〔前掲書8頁〕。火山の原因は隕石の衝突という説もあるが、2012年の段階で、その証拠はまだない。この大規模な海底火山の噴火で二酸化炭素などの温室効果ガスが大気中に大量に放出された。
酸素を含む冷たい海水が深海に達することができなくなったから、海中の酸素の量が少なくなり「海洋無酸素事変」と呼ばれる事態になり、これによって海底の生物の40%は絶滅したと考えられる。このような「海洋無酸素事変」は白亜紀の中頃を中心に10回ほど起こっている。ところがこの時期に死滅した生物のお陰で現在の石油ができたのだから〔前掲書18頁〕、今の人類には悪いことばかりではない。さらに、地下200キロ以上も深いところから高速で噴出する溶岩が、地球の地殻の底深くで形成されていたダイヤモンドを地表に噴出させることになった。これも、白亜紀の海底火山のお陰である〔前掲書20頁以下〕。
■肉食恐竜の王者
〔その系譜〕ティラノサウルスの先祖は三畳期の後期(約2億年前)にアジアで生息したグァンロン・ウカイに始まる。グァンロンは全長3メートルほどで、すでに後ろ足の2足歩行で、短い前足があり、頭骨の形もティラノサウルスに類似していて肉食である。だから、後に出てくるティラノサウルスの特徴を具えていた(ただし赤いとさかが付いていた)。恐竜時代は、三畳期の後期に始まり、白亜紀末まで1億6000万年もの間続いたから、ティラノサウルスは、その長い年月の最初の先祖から白亜紀の最後(7000万年前)まで登場することになる。
ジュラ紀のグァンロンから、白亜紀中期(1億1300万年前)にはユウティラノスという全長9メートルほど肉食恐竜に進化した(全身が羽毛で覆われていた)。同じ頃ディロングやラプトレックスなどの肉食恐竜も出現している。そこから進化して、白亜紀の後期8000万年前頃にティラノサウルスが出現した。
〔ティラノサウルス〕ティラノサウルスの化石が最初に発見されたのは1892年で、古生物学者エドワード・コープによってである。その後アメリカの化石ハンターであるバーナム・ブラウンによってアメリカ北部に広がるヘル・クリーク層と呼ばれる地層地帯から1900年〜1902年に多数の化石が発見された。
最強の肉食恐竜と言われる「ティラノサウルス・レックス」は、全長12メートル、体重6トン、頭骨の大きさが奥行き1・5メートルあり、幅60センチ、高さ1メートルという巨大な頭で、30センチもある鋭い歯が60本も顎の骨に埋まっていたから、二本の角を持つ恐竜トリケラトプスなどを襲ってその首を引きちぎり、首を切り離すほどの力があった〔『地球46億年の旅』30号16頁/20〜21頁/26〜27頁〕。これはまさに獰猛な肉食恐竜の王者で、長い首をして木の葉を食べる草食系の巨大恐竜とは対照的である。これほど獰猛で恐ろしい肉食動物は地球上に存在しなかったと言われる。その成長期には、1日に2キロも体重が増加する急成長ぶりであったが、寿命は30年足らずであるから野生のアフリカ象の70年に比べるとはるかに短い〔前掲書17頁〕。
■恐竜の絶頂期
約2億2700万年前に最初期の恐竜が出現してから白亜紀後期(1億50万年前〜6500万年前)の3500万年の期間は、恐竜の絶頂期にあたる〔『地球46億年の旅』31号8頁〕。最大のアルゼンチノサウルスは体長36メートルで、重さ70トン。最強のギガノトサウルスは全長14メートルながら超肉食恐竜で、アルゼンチノサウルスさえも追い詰めて倒した。最速はオルニトミムスで、3.5メートルの体で、時速60キロで走ることができた〔前掲書8〜9頁〕。
それだけに恐竜同士の争いもすさまじく、その闘いぶりは、水辺でも各大陸でもそれぞれに異なっていた〔『地球46億年の旅』31号18〜19頁〕。当然、襲われる側の防御態勢も進化して、長い角や、大きなハンマーのような瘤(こぶ)をつけた尾や、強固な頭蓋骨や、全身を鎧で固めた姿など様々である〔前掲書24〜25頁〕。
■恐竜時代と白亜紀の終焉
ところが、この恐竜の絶頂期は、突然に断ち切られてしまう。6600万年前に、空から直径10キロメートルほどの巨大隕石が、地表に対して30度の傾きで、南南東から現在のメキシコのユカタン半島の北部の海中に突入したのである。衝突速度は秒速20キロメートル。浅瀬の海は裂けて、摂氏1万度の熱流の柱が噴出し、時速1000キロメートルを超える爆風が吹きまくった。これは広島型原爆の10億倍というものすごい「爆弾」である〔『地球46億年の旅』32号10頁〕。これの衝突の跡は、現在のユカタン半島北部の海中に点在する「セノーテ」と呼ばれる洞窟として遺っている〔前掲書見開き頁〕。ユカタンプラットフォームと呼ばれるこの地帯は、炭酸塩と硫酸の塩岩地帯だったために、衝突だけでなく、それに伴う影響が地上の生物に致命的な打撃を与える結果になった。衝突によって溶けた岩が、大量の二酸化炭素や硫黄となって大気中に撒き散らされたからである。二酸化炭素は温室効果を伴い、硫黄は大気中で硫酸エアロゾルとなり、太陽光を遮る有害な酸性雨となる。衝突の熱風と、最高で摂氏260度というものすごい高温で、恐竜たちを始め地上の生物は壊滅的な打撃を受けたであろう。
さらに、衝突の結果、巻き上げられた土砂や岩石は、高熱で気化して、あるいはイジェエクタと呼ばれる粉塵や礫(れき)となって宇宙空間に達するまで吹き上げられ、これが大気圏に再突入する際には、摩擦熱によって地上の温度は数時間にわたり灼熱となって、陸上の動物は2分とは生きられなかったと思われる。
その後今度は、大気中の微粒子が層をなして空を覆ったので、太陽光が遮られ、「衝突の冬」と呼ばれる現象が10年程度の間続いたと考えられる〔前掲書16〜17頁〕。また酸性雨のために、海面が最大で水深10メートルまで酸性に変じた。また、オゾン層の破壊は数万年〜数十万年続いたと言われる〔前掲書18頁/20〜21頁〕。
この大異変の影響で、恐竜類はほぼ100%、翼竜類も100%、哺乳類23%、両生類0%、鳥類75%、魚類15%が絶滅した〔前掲書25頁/26〜27頁参照〕。地上の植物もまた80%〜98%に及ぶ絶滅に見舞われた〔前掲書24頁〕。これがKーPg境界(Kはドイツ語の白亜紀の頭文字。Pgは英語の古第三紀の略字)の絶滅と呼ばれるものである。
こうして絶頂期にあった恐竜たちの世界は消滅して、白亜紀が終わりを告げた。これは文字通り「天から降ってきた」大災害であるが、わたしたち人類も、天からではなくても、自分たちの作りだしたエネルギーやテクノロジーのために、温暖化と「核の冬」を再出現させないという保証はどこにもないのではないか。こんな危惧を抱かせる異変である。
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