8章 新生代
■新生代の始まり
 わたしたちは冥王代 →太古代→原生代→顕生代へ来て(ここまでは億単位)、この顕生代がさらに細分化されて、古生代→中生代→新生代へたどりつくことになる(ここまでは何億何千万年単位)。この新生代がさらに細分されて、古第三紀(6600万年前〜2303万年前)→新第三紀(2303万年〜258万年前)→第四紀(258万年前〜現在)となる(ここは1000万年単位から100万年単位まで)。さらにこれら三つの年代紀は、それぞれ三つあるいは二つに細分されている。したがって、新生代はK-PG境界の生命絶滅を境に始まったことになる。
■曉新世と哺乳類
  新生代の古第三紀の最初は「曉新世」(6600万年〜5600万年)である。曉新世の期間は約1000万年で、K-Pg界境の絶滅から温暖化の極大時期までにあたる。恐竜の大量絶滅によって生じた生命の隙間を埋めたのが、それまで言わば夜行性で日陰者であった哺乳類である。哺乳類はネズミのように小さかったことが幸いして、少しの食物で切り株や穴の中に隠れることで大量の絶滅を免れることができた。この時期に哺乳類の多様化が始まるが、これを「第1次適応放散」と呼ぶ。
 哺乳類は虫などを食べる虫食性と植物食性と肉食性に分けられ、それぞれに適応した歯の型を有していた〔『地球46億年の旅』33号10〜11頁〕。なおこの時期、インドはまだ大陸から分かれてインド洋にあり、アフリカ大陸とヨーロッパとアジア大陸もそれぞれ狭い海峡によって隔てられており、北米大陸と南米大陸も海で隔てられていた〔前掲書12頁〕。これらの大陸によって哺乳類の種類も進化の過程も異なるが、第1次放散期の哺乳類の多くの種類が古第三世紀の終わりに絶滅することになる。
 したがって、わたしたち人類も含めて、現在の諸動物、すなわち鯨、牛、馬、猫、イタチ、猿、ネズミ、兎、象、狸、カンガルーなどにつながる種類(正しくは分類「目」)は、遠く白亜紀にその先祖を持つものの、古第三紀を生き延びて、さらに新第三紀に進化を遂げてきた〔前掲書14〜15頁の図〕。哺乳類の分類と進化の過程を明かすことに寄与したのはアメリカの古生物学者ジョージ・G・シンプソン(1902〜84年)である〔前掲書15頁〕。
■哺乳類の敵
 ところがこれら哺乳類にも思わぬ?敵がいた。巨大恐鳥類である。高さ2メートル、体重200キロ、頭の高さ30センチで奥行き40センチあり、しかも翼は20センチほどしかない巨大なディアトリマが、肩幅40〜50センチほどの小さな馬に似た哺乳類ヒラコテリウムをしばしば襲うことがあっただろう。ディアトリマは頭の大きいダチョウに似ていて、飛ぶことができないが足が速く、小さな哺乳類を捕らえるのに適した体格であった〔前掲書16〜17頁〕。その他、フォルスラコス(高さ3メートル/南アフリカ)やガストルニス(高さ2メートル/西ヨーロッパ)などの「巨大な鳥」が恐竜なき後の食物連鎖の頂点にいたらしい〔『地球46億年の旅』33号18頁〕。
■霊長類の進化
 「霊長類」と言えば猿や人間などを連想しがちだが、そもそもの始まりは樹木の枝先を伝うリスやネズミに似たプレシアダピスなどの哺乳類である。プレシアダピスは、樹木に群がる昆虫などを餌にしていて、このために枝先の先端近くまで届くように前と後ろの足の指が枝を掴むように発達した。もう一つ霊長類の進化で大事なのは側面の目が鼻の左右の前方に移行し、これによって昆虫を的確に捕らえる遠近を獲得したことである。プレシアダピスは曉新世期の中頃に登場し、そこから始新世紀→漸新世紀→中新世紀→鮮新世紀→更新世紀へとキツネザルやメガネザル、テナガザルやヒトへ進化した〔前掲書22〜23頁〕。立体視できる眼と掴む手足の指と次第に大きくなる脳、これらが霊長類の進化の主な特徴である〔前掲書24〜25頁図〕。
■噴火とプレートの沈下移動
 古第三紀(曉新世→始新世→漸新世)の中期の始新世(5600万年前〜3390万年前)に、地球の内部と外部で大きな変動が生じた。先ず地球内部の出来事から始めよう。この時期に、地球内部で、熱せられたマントルの上昇流が発生し、コアマントルの境界を破るという異変が生じた。上昇した溶岩のマントルは、地表のプレートを破り火山として噴火する(「ホットスポット」の発生)。マントルが地表に噴出するホットスポットの場所は変化しないが、地表のプレートは地殻運動によって移動し続けるから、プレートには次々と噴出の跡が残ることになる。ホットスポットの跡がハワイから太平洋の北のアリューシャンにかけてL字型に続いている。地殻が西に移動した後に、北へ向かって移動したことがこれで分かる。この軌道を「天皇海山」と言う。
 プレートは西へ移動を続けて、日本列島の東側の海底で、列島の地殻の下方へ沈み込んでいく。どこまでも沈み込んで、660キロほど深く沈むとそこで沈み込みを止めるから、その地殻の深部には、沈み込んだプレートが溜まることになる。これが「スタグナントスラブ」(停滞した地殻)である。ところが、この停滞プレートが大量になると、さらに地下深く、コアマントルの境界まで落下する。この落下運動がプレートの運動や移動速度や海溝の形成に影響するらしい。落下した大量のプレートは、コアマントルに熱せられて膨張し、今度は浮力を得て上昇し始める。これがスーパーブルームと呼ばれる上昇流の現象である〔『地球46億年の旅』34号22〜25頁〕。
■地球の超温暖化
 地下深くで溜まりすぎたマグマが上昇を始めると、メタンハイドレートを含む地層にぶつかり、これに沿って海洋の底に広がり、このため海底の広い範囲が熱せられることになる。加熱されたメタンハイドレートが溶け出すと、溶けたメタンが海水中に噴出する。こうして、大量のメタンが大気中に噴出して二酸化炭素(Co2)に変じて、これが大気に温室効果を生じさせる。6000万年前から4500万年前までの1500万年の間、大気の温度は摂氏8度から摂氏12度まで上がり、再び摂氏8度へ戻るという山型の温度変化が生じた。これが地球の超温暖化である。このために現在の北極圏も南極大陸も、巨大な樹木の森林に覆われることになった。温暖化と冷却化のこの変動に対応するために、冬季には葉を落とす落葉樹が生まれ、裸子植物から被子植物へ変化が生じた。大陸の移動によって生じた海流の変化も地球の温暖化に影響したと考えられる〔『地球46億年の旅』34号8〜12頁〕。
■哺乳類の多様化
 このような温暖化は、哺乳類の繁栄をもたらすことになった。哺乳類は、足の指が1〜3本の奇蹄類(馬や犀)と2本か4本の偶蹄類(らくだ/キリン/鹿/牛)とに大別される。始新世に登場した奇蹄類と偶蹄類は、第1次放散期の古いタイプの哺乳類を駆逐して、奇蹄類は短期間に多様化して始新世の中期には中心的な存在になる。しかし、偶蹄類はやや遅れて漸新世以降に多様化し、中新世中期以降に奇蹄類が衰退し始めると、取って代わって第四紀以降も繁栄した。また、始新世には、鯨が海へ進出した〔『地球46億年の旅』34号20〜21頁〕。
■インド亜大陸とアジア大陸の衝突
 2億5000万年前、地球には超大陸パンゲアだけが存在していた。それが2億年前にローラシア大陸(現在のアジア大陸)とゴンドワナ大陸(現在のインドとオーストラリア大陸)に分裂し始めた。1億3000万年前には、インド亜大陸がゴンドワナ大陸から分離して北上を始め、6600万年前には、インド亜大陸は赤道付近に到着した。したがって、この頃(白亜紀末期)は、北に現在のアジア大陸、そしてテチス海を挟んで、南にインド亜大陸とアフリカ大陸があり、その西には、大西洋を挟んで北アメリカ大陸と南アメリカ大陸があった。地球の南の方では、インド洋を挟んでオーストラリア大陸と南極大陸が細長く陸続きになって横たわっていたことになる。だからテチス海はアジア大陸とアフリカ大陸の間の細長い海であって、これが太平洋と大西洋を結んでいたのである〔『地球46億年の旅』35号10頁〕。5000万年〜4000万年の間に、インド亜大陸はアジア大陸と衝突し、これによって、テチス海は姿を消した。そして、長い期間テチス海に堆積した堆積物の層が押し上げられて、やがてヒマラヤの上層部の一部となった。
■ヒマラヤ山脈の出現
 ヒマラヤ山脈の形成は単純ではないが、およその過程は次のようである〔『地球46億年の旅』35号18〜19頁図〕。
(1)4000万年前。インド亜大陸が上昇して、その地殻のプレートが、アジア大陸の下に沈み込み始めた。これによって、テチス海の堆積物がアジア大陸と、沈下するインド亜大陸のプレートに挟まれて上昇する結果になった。
(2)2400万年前。ところが北へ向かって沈下する亜大陸の地殻の上層部だけが剥される格好になり、これが「変成帶」となって、沈下する地殻とは逆方向にアジア大陸と共に南下し始めたのである。
(3)2200万年前。変成帶の南下に伴い、上層の堆積物はさらに上へ押し上げられた。
(4)2000〜1500万年前。やがて、変成帶の上を滑り落ちるように北の現在のチベット側に移動した。
(5)1500〜1000万年前。北へ移動を続けるプレートの上の変成帶は「変成岩スナップ」となって南下して、現在のヒマラヤ山脈の南側の山脈となった。
(6)1000万年前。変成帶とテチス堆積物は、風雨の浸食を受けて現在のようなヒマラヤ山脈になった。
■南極大陸の孤立
 南極大陸は古第三紀の漸新世(3390万年前〜2303万年前)に孤立した。超大陸の一部であった南極大陸は、大陸のこの分裂に伴って、隣接するオーストラリア大陸と南アメリカ大陸とつながりながら共に南へ移動した(6600万年前〜5600万年前)。ところが、3390万年前に、南極大陸とオーストラリア大陸が北へ移動を始め、このために南アメリカ大陸との間にドレーク海峡が生まれた。その結果、南極大陸の北と南に寒流の循環が生じることになった(5600万年前〜3390万年前)。さらに、今度はオーストラリア大陸と南極大陸との間も切れて、南極大陸が孤立したのである。その結果、南極の北と南の寒流がつながり、南極大陸の周りに大きな寒流の循環(南極周極流)が生じることになった。このため、南極大陸は暖流から完全に切り離されたのである(3390万年前〜1700万年前)。海から熱が供給されなくなった大陸は急激に雪や氷で白く覆われ、これが太陽光をも跳ね返すから、急速に寒冷化した〔『地球46億年の旅』36号16〜17頁〕。
■地球の寒冷化
 南極大陸の寒冷化は地球の海流に大きな影響を及ぼし始めた。塩分の濃い冷却した寒流は重いために深層海流となり地球をめぐり始めたのである。深層海流は、しばしば表層の暖流と逆の方向に向かうことになる〔『地球46億年の旅』36号20〜21頁〕。海流の変化は、かつてなかったほどに急激な地球の冷却化をもたらすことになった。4700万年前には、現在のヨーロッパの冬の平均気温は摂氏20度近くであった。ところが3000万年前には摂氏5度を下回った。1500万年間に平均気温が15度も低下することはかつてなかったことである。地球がものすごいスピードで冷却化し、かつての南極をも森林で覆っていた温室から、氷室へ転じたことになる〔『地球46億年の旅』36号14頁〕。
■哺乳類の進化に変化
 大陸の移動と地球規模の冷却は、それまで温暖な気候の下で繁栄していた哺乳類にも影響を及ぼし、漸新世には進化の過程が停滞し始めた。影響は北半球に強く、北と南半球では大陸ごとに異なる進化が見られる。アジア大陸には、インドリコテリウムと呼ばれる高さ4.5メートルで体重はアフリカ象の3〜4倍もある像とも馬ともつかない巨大な哺乳類がいた。アフリカ大陸にはフィオミアとよばれる有蹄類の像の先祖がおり、南半球の南米大陸では、ピロテリウムと呼ばれる南米特有の有蹄類の像の先祖がいた。特に南米では、ペテルフィルスやプロパレオホブロフィルスのような現在のアルマジロやナマケモノの先祖が出現した〔『地球46億年の旅』36号〕。
■海に帰った哺乳類
 さらにこの時期に、哺乳類の中から海に戻るものが現われた。鯨の先祖である。すでに4900万年前のテチス海には、海辺に潜んで陸の獲物を狙うアンビュロケトスのような巨大な哺乳類がいた。カバや鯨は陸から海辺に移住し、そこからさらに深海へと移住して進化を遂げ、後肢が小さく退化し、尾びれが発達して、3600万年頃現在の姿になった〔『地球46億年の旅』36号9〜11頁〕。5000万年前に、陸に住んでいたパキケトゥスから3700万年前のドルドンにいたる進化の過程は『地球46億年の旅』36号12〜13に図示されている。
■霊長類の進化
 曉新世(6600万年前〜5600万年前)や古第三紀の中期に当たる「始新世」(5600万年前〜3390万年前)には、鳥類や爬虫類から進化した哺乳類の中から霊長類の進化が始まり、オモミス類のティヤールディナと呼ばれる尾長の猫?のような真霊長類が存在していた。漸新世(5600万年前〜3390万年前)には、北米大陸のオモミス類は寒冷化によって絶滅したが、ヨーロッパやアジアのティヤールディナは、低緯度の暖かい地域に移動することで生き延び、その後エジプトピテクスと呼ばれる真猿類に進化し、さらに中新世(2303万年前〜533万年前)には、プロコンスルからシバピテクスへいたる中新世ホミノイド類が現われた。そこから大型の猿類と人類へ進化したのである。「真猿類」と呼ばれる霊長類の進化は、先ず四肢で枝を把握する力を獲得することと、眼球を顔の中央に寄せることで遠近感を図る視覚を発達させる進化を遂げた〔『地球46億年の旅』38号14〜18頁〕。
■色識別の変化
 霊長類の進化は視覚による色彩の識別から始まった。恐竜時代に夜行性であった哺乳類は、二色型であった。白亜紀の恐竜の絶滅に伴って、哺乳類が昼の生活へ適応するようになり、特に霊長類は、目を頭の前方に移行することで視覚を向上させ、さらに三色型の色覚を取り戻したのである。モノクロの一色型(狸/夜猿/鯨)と、赤と紫外線(青)の二色型(猫、牛、馬)と、赤と緑と青の三色型(ゴリラ/日本猿/人)と、赤と緑と青と紫外線の4色型(鳥/亀/魚)がある〔『地球46億年の旅』37号8〜11頁〕。
 霊長類は紫外線と赤をうまく用いて、三色型になった。これは、緑の樹木の間に赤い実を見つけるのに役立った。始新世の頃、メガネザルの先祖はすでに三色型であった。視覚全体の構造で言えば、物体の形と色は、網膜から電気信号に変えられて脳の奥にある左右の視覚野へ送られる仕組みになっている〔『地球46億年の旅』37号12〜13頁〕。
■群れの形成と集団生活
 始新世には、すでに菜食のため、また捕食獣から身を守るため、共同で生活する霊長類が存在した。発達した真猿類では、果実のある森ごとに、群れごとの行動範囲の縄張りがある。雄と雌との性別では、一夫一妻型と一夫多妻型(ゴリラ)と一妻多夫型(猿の一種ピグミーマーモセット)と乱婚型(チンパンジー/ニホンザル)がある。また複数の雄の父系型では雄同士が協力して群れを守るが、食物や雌をめぐる競争がある。複数の雌の母系か型では、親和的であるが家系間に順位が生じる。また雄と雌との間では、相互依存関係の場合もあり専制的な場合もある〔『地球46億年の旅』38号24〜25頁〕。
■地球の冷え込み
 今回は新生代の中期「新第三紀」の始めの「中新世」(2303万年前〜533万年前)のことである。この時期、それまで温暖であった地球が急激に冷え込み始めた。このため、高緯度の亜熱帯林は漸新世の中頃までに常緑樹から落葉樹に変わることになった。内陸部では寒冷化に伴って雨量が減少し、乾燥化が進み、新第三紀には、森林が加速度的に縮小した。このために、広大が草原地帯が出現し、その草原にイネ科の植物が広がるようになった。イネ科はトウモロコシ類とサトウキビ類と稲、小麦、大麦類に大別される〔『地球46億年の旅』38号8〜11頁〕。
■現生動物の祖先たち
  草原の出現とイネ科の植物の広がりは、哺乳類にも大きな影響をもたらし、森林、草原、砂漠など、それぞれの環境に適応した進化を遂げた。漸新世から中新世を経て鮮新世には、レプトキオン(犬科)、ヒッパリオン(馬科)、ジラフォケリックス(キリン科)、クバノコエルス(イノシシ科)、ディノテリウム(像科)などが、それぞれの環境で生息するようになる。これら哺乳類の歯は、比較的固いイネ科の葉を食べることができるように進化した〔『地球46億年の旅』38号12〜17頁〕。
■海の哺乳類
 新第三紀の中新世には、海温が摂氏16度を超える温暖な海域が増えて、鯨類が様々に進化して海に住むようになった。 ただし、533万年前頃から、海水の変動が激しくなり、このため絶滅する哺乳類も出てきた。中新世の中頃(1300万年前〜1200万年前)には、リヴァイアタンという巨大な肉食のクジラ類がいて、同類の鯨類をも襲ったと考えられる。鯨類は、海中で音波を発信して、周囲の獲物を捕らえることができるようになった〔『地球46億年の旅』38号18〜22頁〕。
■日本列島の形成
 新生代の中期である新第三世紀の前半期にあたる中新生(2303万年前〜533万年前)は、実に2000万年間もの長い期間にわたる。この中新世時代に日本列島が形成された。日本列島の形成は、日本海の形成とその拡大運動に深く関わっている。2000万年前まで、現在の日本列島は、大陸のすぐ近くに南北に散らばる大小の島々であった。現在の名古屋から糸魚川に沿う地帯は海で、暖流が流れていたことになる。
 ところが、中新世の前期に、大陸の東に激しい地殻運動が起こり、現在の日本海に陥没による地溝帶が生じた。原因は地殻運動だけでなく、これに影響されて、地球のマグマが上昇して風船のように膨らむホットプルームが大陸と列島の間で起こり、これに押し広げられる形で、日本海が広くなり、2000万年から1500万年の間に、ほぼ現在の日本海ができた。
 ホットプルームによって押し広げられた日本海の形成は、当然大陸の東部に散らばる島々にも影響して、東北日本に当たる部分は反時計回りに25度東へ押しやられ、逆に西南日本に当たる部分は時計回りに45度も西へ押されて、現在の朝鮮半島とつながることになった。その頃の日本には、湿地帯にマングローブが育ち、ゾウ類やサイ類やワニ類がいたことが化石によって分かっている。
 その後、東北部と南西部の間(フォッサマグナ)の火山地帯に噴火が起こり、日本アルプスが形成されて北と南の島がつながることで本州ができたことになる。原日本海の拡大はさらに続き、南西端の九州北部と朝鮮半島の間に海峡ができることで、現在の日本列島が誕生したことになる〔『地球46億年の旅』39号14〜19頁〕。
■地中海の消滅と回復
 日本列島がその形を整えた中新世の末期(560万年前)、現在のイベリア半島の最南端がアフリカ大陸とつながる変動が生じた。このため、大西洋の海水が地中海に流入できなくなった。乾燥気候の地中海は急速に干上がって、560万年前にほぼ消滅した。海峡が閉じられてから64万年ほどが経過した後で、突如再び海峡が開いて、533万年前には、再び大西洋から海水が流入することになった。現在の地中海の海底には、消滅によって生じた塩分の蒸発岩が2000〜4000兆トンもあると推定されている〔『地球46億年の旅』39号24〜25頁〕。
               生命の進化