14章「宗教する人」(ホモ・レリギオースゥス)の誕生
■類人猿から猿人へ
 ここから「ホモ・レリギオースゥス」、すなわち「宗教する人」の起原とこれの進化の過程をたどろうと思うのだが、これが一筋縄ではいかない。「宗教する人」を人類の進化と関連づけて論じている人が日本ではまだ少ない、と言うより、ほとんど見あたらないから、さしずめ手探り状態で進むしかない。人類が類人猿から分岐して現在のホモ・サピエンスにいたるおおよその過程は、すでに第一部の9章「鮮新世と更新世」と10章「更新世と完新世」で概観した。
 人類の祖先はチンパンジーだと誤解されているようだが、正しくは、チンパンジーやボノボ(実はこの二種類の類人猿は似て非なる正反対の性質を持つが、今はこの点に触れない)と人類は、相互に共通する祖先から分岐(進化)した。800万年ほど前のことらしい。類人猿から分岐した最初期の猿人で、現在知られているのはサヘラントロプス・チャデンシスと呼ばれる。およそ700万年前に存在したらしい。これと並んで450万年〜430万年前のアルディピテクス・ラミダス(ラミダス猿人)も最古の猿人に属する。彼らは人類の系統樹から見れば、わたしたちの直接の先祖ではないものの、とにかく「ヒト」が生まれた最初期のことだから注目に値する。猿人は、類人猿と比較すると次の特長がある〔『地球46億年の旅』40号12〜13頁〕。
(1)頭骨の孔が中央に近い(猿は後ろにある)から、直立して体を支えることができる。
(2)骨盤が広く二足で重い体重を足で支えることができる。
(3)大腿骨が膝から下で、真っ直ぐ下ではなく内側に傾く。
(4)足指では、猿のように親指が他の指と離れていて枝を掴むのに有利な形状ではなく、足の親指が他の指と並んでいる。だから、樹木よりも地上を歩くのに適している。
 このように、地上を二足歩行で歩くこと、これが類人猿と猿人とを分かつ決定的な違いであった。猿人がなぜ樹木から降りて地上を歩くことになったのか、この謎はまだよく分からないらしい。地球の環境変化で森林が減少し疎林と平原が多くなったのが原因だとも考えられるが、それならサル類も同じだから、樹木をめぐる生存競争で負けた結果、言わば敗者の類人猿が、その生存のためにやむなく地上に「降ろされた」のかもしれない。とは言え、まだ完全な歩行ではなく、時折樹木に登ることもしていたから、本格的な二足歩行が始まったのは、ラミダス猿人の出現後、420万年ほど前からと考えられる〔岩波『地球全史スーパー年表』〕。
 この二足歩行がこれ以後の人類にどのような影響を与えたかを想像するのは難しくない。先ず両手が使えるから、両手で食物を抱えて遠くから運ぶことができる。これが主としてオスの仕事なら、ここでオスとメスとの仕事の分担が始まることになる。直立で歩くから従来よりも大きくて重い頭脳を発達させることできるのも容易に想像がつく。こう言うと、いいことばかりのようであるが、裸で他の動物や野獣とは、運動の速さにおいてはるかに劣るヒトが、肉食獣の格好の餌食になるのは目に見えているから、彼らが地上でどのような危険にさらされたか、これもまた容易に察しがつく。それまでの猿たちは樹木に護られて安全を保証されていたのだから。だから二足歩行という危険きわまりない出来事は、人類に進化を「もたらした」のは確かだが、同時に多大の犠牲の上に進化「せざるをえなかった」のもまた厳然たる事実であろう。「苦難は進化の母」なのである。
■猿人から原人へ
 猿人から原人へ進化する過程にあるのが、アウストラロピテクス・アファレンシスで、約390万年〜290万年前にいた人類である。エチオピアで発見されたこの種の女性は「ルーシー」と呼ばれている。彼女の足跡はラエトリ遺跡(タンザニア北部)に現在もくっきりと残っている。チンパンジーや初期猿人に比べると犬歯は退化しているが、大臼歯が発達しているから、固い種子や固い皮の果実などを食物としていたので「ナットクラッカー」(くるみ割り人)とも呼ばれる。脳容積はチンパンジーより50CCほど大きく400CCほどである。骨盤も広がり膝の関節も発達していたから直立の体を安定して支えることができた。足裏には土踏まずができているから、かなりの距離を歩くことができたが、長距離は無理である。しかし、直立してお腹の幅が広くなると、エネルギー源である脂肪を蓄えることができるから、徐々に遠くへ歩行することができる段階にある。堅い果実を噛みつぶす力から判断すると、まだ火を用いた食事はしていないと考えられる。手の指と足指は現在のわたしたちとほとんど変わらないから、猿人にくらべてはるかに「人間らしく」見える。野獣やその他の敵から身を守るために手に棒を持つ夫と妻と子供の三人づれで、アフリカのサバンナを歩いている姿が目に浮かぶ〔『地球46億年の旅』40号15〜18頁〕。おそらくこの頃(240万年前)から最初期のごく簡単な石器を使用するようになったのだろう〔岩波『地球全史スーパー年表』〕。
■原人の出現
 原人の時代はホモ・ハビリス(235万年〜145万年前)から始まり、ホモ・エレクトス(180万年〜25万年前)で終わるが、ホモ・ハビリスの出現によって、人類は、道具と火を使用するという決定的な進化を遂げた(210万年前)〔岩波『地球全史スーパー年表』〕。なお、これら2種の人類と同時期に、ホモ・エルガステル(190万年〜130万年前)やパラントロプス・ロブストス(175万年〜120万年前)などが存在した。エルガステル(ギリシア語で「仕事する人」)はエレクトスに近いが、ロブストスのほうは、頑丈型と呼ばれる別個の系統の人種である。原人ではこのほかに、ジャワ原人(120万年〜70万年前)と北京原人(140万年〜50万年前)がよく知られている。
■ホモ・エレクトス
 ここからわたしたちホモ・サピエンスの直接の先祖に当たるホモ・エレクトスに入る。「ホモ・エレクトス」は、最近ではホモ・エルガステルやジャワ原人、北京原人なども含む広い意味で用いられるようになった〔『地球46億年の旅』42号11頁「サイエンスメモ」〕。西アジア(現在のグルジアのドマニシ)に180万年前頃、ホモ・エレクトスが存在していたことが分かっている。彼らは、始めのうちは、野獣が食べ残した動物の肉を漁っていたらしいから、これによって、肉食と植物食の両方の選択ができるようになった。そのうちに自分でも動物狩りをして、初期の石器を用いて獲物を解体して肉を食べるようになった。ドマニシのホモ・エレクトスもこの段階に来ていたと思われる〔『地球46億年の旅』42号4〜5頁〕。先の尖った石器を握って、解体した肉と骨を分け合い、骨はその髄まで食することができた。しかし、生肉を食べる姿から判断すると、火の使用はまだ彼らにまで伝わっていなかったらしい。
 ホモ・エレクトスの生存は、180万年〜25万年前と150万年もの間続いたが、彼らの最盛期は100万年前後だと考えられる。1984年に東アフリカのケニア北部のトゥルカナで、10歳前後のホモ・エレクトスの完全な化石が見つかった。この「トゥルカナ・ボーイ」は身長165センチだから、成人すれば180センチくらいになるだろう。完全な肉食の形跡があるから、この頃のホモ・エレクトスは集団で狩りをして、仕留めた獲物を食べることができた。ただし、逆に野獣の獲物にされる危険も多かっただろう。肉食は脳の発達を促し、平均750〜1200ccもの脳を持つから猿人の500ccよりはるかに大きい。広義のホモ・エレクトスは、アフリカを出て西はヨーロッパから東は中国とジャワにまで拡がったから、彼らの食生活がいかに多様だったかが分かる。
 問題は彼らの文明度、とりわけ宗教性である。原人に続く旧人では、埋葬などの宗教行事が行なわれていたことがはっきりしているが、ホモ・エレクトスの場合はどうだったのだろう?二足歩行に始まり、手斧にちかい石器を使用し、火を使い、かなりの豊かな発声力があったから、言語活動も相当程度はできただろう。しかし、何しろ「わたしたち人類が存在してきた時間の95パーセントはまだ謎に包まれている」〔ウォルター『人類進化700万年の物語』130頁〕のだから、この辺のところの判断が難しい。
 人類が本格的な宗教行為を始めたのは約5万年前のことだから、ネアンデルタール人やホモ・サピエンスの時代からである。しかし、そこへいたるまでに、何らかの準備段階があったと思われるから、それがどのようなものかをホモ・エレクトス段階で推定するのも誤りではないだろう。
〔集団性〕チンパンジーとボノボは、集団内での独裁制に違いがあるものの、どちらも25頭から大きければ250頭もの集団を形成する。集団には明確な縄張りがあり、近隣集団との争いや殺し合いもある〔ズデンドルフ『人間と動物をへだてる、たった二つの違い』47頁/51頁〕。このことから判断して、ホモ・エレクトスも血縁を主とする集団を形成していて、同じ集団相互の間にある種の縄張りがあり、他人種の集団はもとより、ホモ・エレクトスの集団同士でも争いや殺し合いが行なわれていたのではないかと推定される。
〔相互理解〕チンパンジーの目には白目がない。霊長類では、相手をじっと見つめることは攻撃への脅しを意味する。ところが、人類には白目があるから、黒い眼球の動きで相手の表情を読み取ることができる〔ズデンドルフ『人間と動物をへだてる、たった二つの違い』180〜81頁〕。だから、驚きや哀しみを涙を伴って伝えることができる。このように、相手の顔を見ることでその表情を読み取り、しかも、他の霊長類よりも多様な発声能力で、自分の気持ちを伝えることができる。類人猿でも他の動物でも、鳴き声などで相互にかなり複雑な内容を伝達できる。類人猿でも、かなりの程度の相互理解ができるから〔ズデンドルフ前掲書182〜87頁〕、ホモ・エレクトスの集団内では、かなり進んだ相互理解が可能であり、このことが協力して獲物を追い仕留めることを可能にしていたと考えられる。特に、他の霊長類に比べて、人間には獲物を探す場合などに、自己の判断が「誤り」であることに気づく能力がある。
〔情報処理能力〕経験から学習する能力なら、類人猿にもかなりの学習能力がある。しかし、人間には、類人猿よりも、経験で与えられた情報を「まとめて」記憶したり、新たな情報をすでに得ている情報と「結び合わせる」ことができる高度に発達した知能がある〔ズデンドルフ前掲書205〜6頁〕。
〔思考と伝達〕人間には、経験や五感から得た情報を記憶し、情報をまとめ、相互に結び合わせるなどの複雑な思考能力があること、その上で、自己の「想い」を同じ集団内の他者に伝達するコミュニケーションの能力あること、この二つの点で、ホモ・エレクトスはチンパンジーなどの類人猿にはるかに優っている。これが、人間とサルとを区別する大きな違いである〔ズデンドルフ前掲書308〜15頁〕。ホモ・エレクトスが生存した時期は100万年以上もあるが、その間、石器は刃先がより薄く鋭くなったものの、その製法はほとんど変わっていない。言い換えると、石器の製法が代々正確に伝えられてきたことを意味する。
〔親和性の発達〕類人猿はその集団内で、必ず相互の親しみを表わす「毛繕い」行為を行なう。ホモ・エレクトスの集団は、平均して100人と推定されているが、この数は、相互に把握できる数であり、名前を知り合い、何らかの儀礼を行なうのに適している。これを超えると、狩猟民族では、分裂が生じる。彼らは火を使用したから、狩りの成功の後や食事の後などに、火を囲んで互いのコミュニケーション(毛繕い行為)を行なったかどうか。その際に、どのような振る舞いが行なわれたのか、これらは推測の域を出ない。類人猿でも、一匹のサルがバナナを採るのに成功すると、これを見ていた他の猿たちが叫び声を上げて跳ね回る。ホモ・エレクトスの場合も、狩りの特別な成功の後などには、集団で火を囲んで発声したり、動き回ったのではないかと思われる。この際に重要なのは、両手が自由に動かせることである。また、直立した二本足は、踊るのに適している。両手を「打つ」行為は「ウタ」(歌)の始まりとされるから、手をたたいて発声することは、「歌」の起原となるのかもしれない。両手と両足を同時に動かして、ある種のリズムに合わせて、集団で踊る行為が行なわれたのではないかと思われる。これを裏付ける確証はないが、このような集団での「踊り」が、100万年前に、すでに行なわれていたのではないかと推測することができよう。
■旧人の出現
 猿人から原人へ進化を遂げた人類は、約60万年前にさらに旧人へと進化する。アフリカで誕生したと思われる「ホモ・ハイデルベルゲンシス」(70万年〜20万年前)である。ホモ・ハイデルベルゲンシスの脳容積は原人の600〜1200CCから1100〜1300CCへ増加する。この段階で表われるのが埋葬などの儀式である。ホモ・ハイデルベルゲンシスはホモ・エルガステルから進化したという説もある〔ウォルター『人類進化700万年の物語』133頁〕。この旧人は、30万年前からのネアンデルタール人と20万年前からのホモ・サピエンスの共通の祖先であろう〔前掲書134頁〕。ネアンデルタール人は、20万年前の現在のホモ・サピエンスの直接の祖先ではなく、別種の人類だと考えられている〔『地球46億年の旅』42号20頁〕。どうやらホモ・ハイデルベルゲンシスのほうが、わたしたちの直接の祖先らしい。
 (1)二足歩行に始まり、(2)加工した石器などの道具を使い、(3)火を使用し、(4)類人猿よりも複雑な音声を出し、(5)集団で狩りをして獲物を分け合うなどの複雑な生活の知恵を身につけた人類は、旧人の段階で、(6)身体を呪術的に飾り、(7)死者を弔うという類人猿や他の動物には見ることのできない特性を具えることになった。ここからさらに、「社会」を形成し、「農耕」を営む段階へ進むことで、ようやく有史以来の「文明」が始まることになるのだが、これはまだ先のことである。
 スペインのアタプエルカ遺跡では、洞窟の奥に、深さ13メートルの穴が掘られて、そこに30体もの人骨が密集していた。おそらく遺体を埋葬する墓で、人類の進化において画期的な出来事だとされている〔前掲書22〜23頁〕。約30万年前のネアンデルタール人の場合は、天然のアスファルトを接着剤にして鋭い石器を槍の先に付けたり、身体にペイントを施したり、貝を加工したペンダントを身につけたりしている。また埋葬の際に花を供えた形跡もある。80〜40万年前の間は、断続的であるが間氷期(氷河が引いて地球が温暖化する)が続き、40万年前頃から、再び、断続的とは言え、かなりの長期にわたる氷河期が地球を襲うから、人類の進歩も、こういう地球の環境変化と密接に関連しているのだろう。
■「宗教する人」の誕生
〔狩猟小集団の特徴〕
 わたしたちは、ようやく「ホモ・レリギオースゥス」(宗教する人)の誕生にたどり着く段階まで来た。第二部の初めの三つの章で指摘したように、進化論学者の中には、「宗教」に対する偏見から、宗教を進化と結びつけることを拒否する人たちがいるらしいが、この点は先の章で扱ったから、すでに「解説済み」として控えさせていただく。宗教の発達が人類の進化と深く結びついているのは間違いない。
 すでに見てきた通り、人類は、共同で狩りをするなどの複雑な生活形態を可能にした。これが、類人猿では、ほんらいは通じ合うことができない程度まで、他者とのコミュニケーションを発達させたこともすでに述べた。旧人の生活では、比較的小数の狩猟集団の特徴である画一性と平等性が徹底していた。こういう集団性は、獲物を獲得する場合だけでなく、敵対する他の集団との戦闘においても重要である。だから、集団内での結束を固くする道義性を育成すると同時に、敵対集団への残虐きわまりない行為をも正当化する。当然のことであるが、相互の信頼による結束が固く、自己の共同体のためなら命をも捨てるほどの犠牲の精神が培われている集団のほうが、闘いに際してより強固であるから、それだけ生存の可能性が高くなる。特に氷河期が断続する40万年前頃からは、厳しい生活環境の中で生存するために、狩猟民族相互の戦闘による死亡率が13〜15パーセントに及ぶと推定されている。ちなみに、20世紀の二つの世界大戦で、ヨーロッパとアメリカでの男性の戦闘での死亡率は1パーセントである(日本はこれの数倍以上か?)。人類の総人口が、農耕が始まる1万年前までは、ほとんど増えていないことも人類の集団同士の殺し合いのすさまじさを物語っている〔ウェイド『宗教を生み出す本能』82〜83頁〕。
〔歌と踊り〕
 イギリスの考古学者スティーヴン・スミスは、人類は、数百万年の長期の間に、徐々にではあるが、リズム感を発達させて、これが音楽的な音あるいは声と組み合わされて相互のコミュニケーションを図る方法になったと考えた。ホモ・エレクトスの頃に、すでにかなりのリズム感が発達したことを先に指摘したが、旧人の段階では、原始的な音楽の技能を持ち、これが身振りや発話と結びついたと考えられる。人類は、リズムに合わせて足を踏みならすことができる唯一の霊長類である。こういう音楽的な技能は、思考的な「言語の発達」に先立つと考えられる。ホモ・ハイデルベルゲンシスには、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスとが共有する染色体FOXP2と呼ばれる遺伝子がすでに具わっていたと考えられている。この遺伝子は、言語ではなく、音楽や拍子などの音を基礎にするものである。この音声や音のリズムは、ホモ・サピエンスにおいては、音が象徴化、すなわち記号化することで、旋律として抽象的な思考を表現するまで発達することになる〔ウォルター『人類進化700万年の物語』170〜71頁〕。先に指摘したように、ネアンデルタール人は、ホモ・サピエンスに比較して、音声の発話の巾がチンパンジー並みに狭かったから、現在のわたしたちのような複雑な音声を出すことができなかった。だから、彼らは、例えば「シー」と「ソー」と「スー」の区別、日本語の「サシスセソ」が言えなかったらしい〔前掲書172頁〕。
 しかし、旧人は、手と足をリズムに合わせて自由に動かすことができたし、体の動きに合わせて、音声を出すこともできた。いわゆる「宗教」が、正式な言語以前に存在していたかどうかが問題にされるが、言語活動の発達を待たなくても、ある程度の発声や身振りで情報の伝達ができたことは他の動物の例を見るまでもない。これらの発声(叫び/うなり声)や身振りが、リズムを伴うことで、一致した踊りや戦闘での全員の行進となる。このようにして人類は、チンパンジーと異なって、同じリズムに合わせて全員が体を動かすことを楽しむ能力を獲得した。
 旧人の段階にある人類は、植物の豊饒、健康、狩猟の成功、戦闘での勝利などを生存の条件としていた。彼らは、これらの成功を祝って、あるいは成功を願う気持ちから、おそらくはごく原始的な「打楽器」を用いて、そのリズムに合わせて集団で踊り叫びを発したと推定できる。このような歌と踊りの集団的な行為が長時間続くと、集団全体がある種のトランス状態に達するのは現在の人類でも変わりない。発達した言語や抽象化する思考能力を持たなくても、このような踊りを通じての集団的なトランス状態は、自己と他者との境界を越えて、身体的にも心情的にも全員の一体感を醸成した。それだけでなく、自己の人間的な限界をも克服するある種の超能力を体感させ、自分たちを囲む天地自然との超越的な一体感へ達したと推定することができよう。この段階から、宗教的なヴィジョンへの移行は、それほど遠くない。わたしたちは、ここに「ホモ・レリギオースゥス」(宗教する人)という人間性の原型を見出すことができる。
〔祖霊と供犠〕
 人類の最初期段階での「祈り」とは共同体の生存であった。同時に、ホモ・ハイデルベルゲンシスの化石から、かなり老年の遺骨も発見されている。このことは、たとえ直接狩猟に参加できなくても、子供と同様に老人にも食料が分け与えられていたことを物語る。それだけでなく、すでに見たように、花を添えた埋葬の様式から判断すると、老人たちはある種の尊敬を抱いて埋葬されたことをうかがわせる〔『地球46億年の旅』42号4〜5頁/22〜23頁〕。
 わたしたちは、集団的な歌と踊りの中で個人を超えた集合的なトランス状態にいたることを指摘したが、そのような身体的かつ心情的な一体感の中で現われる視覚的かつ聴覚的なヴィジョンから、生存を祈願する対象として共同体の先祖がその姿を見せるのはごく自然であろう。事実、先祖崇拝は人類に共通する宗教的な行為であることが広く認められている。自分たちの生存を祈願するもっとも身近な対象としての祖霊崇拝がこのようにして誕生する。ただし、トランス状態で現われるヴィジョンには、祖先だけでなく、狩猟の対象となる動物たちであり、さらには太陽や月や山河などの自然現象をも含まれるのは言うまでもない。
 日照りの雨乞い、狩猟の成功、戦闘での勝利、先祖へのこれらの祈願をより確かなものとするために必要とされるのが、「供え物」、すなわち「供犠」である。人間に最も必要なものが先祖にも転嫁されて、貴重な食物や動物(生きている場合は供犠として屠らなければならない)が献げられた。それよりももっと大きな「生贄(いけにえ)」として人身御供(ひとみごくう)がある。これが東アジアで実際に行なわれていたことをハイヌウェレ神話が伝えている〔イェンゼン『殺された女神』〕〔吉田敦彦『小さ子とハイヌウェレ』〕。
 共同体の結束と勝利のためには、自らが「犠牲になり」敵を「犠牲にする」ことが最高の行為だと見なされるから、「犠牲」は宗教的な意義を帯びる重要な要因であった。このようにして、「祖霊崇拝」と「供犠」と「祈祷」とこれを執り行なう「儀礼」が、人類の「宗教」を形成する四大要因となる〔ウェイド前掲書86〜87頁〕。「宗教」とはこの意味で人類が獲得した「新しい能力」〔ウェイド前掲書88頁〕であり、これの起原として、わたしたちはトランスを引き起こす「聖なる歌舞」を想定することができる。
                   宗教する人へ