16章 宗教する人の展開
■文明の開始
人類は約700万年前に二足歩行を始めてから、240万年前には原人のホモ・ハビリスが火の使用と言語活動を始めた。さらに60万年ほど前の旧人ホモ・ハイデルベルゲンシスから、ようやく埋葬という宗教に到達する。さらに20万年前に「新人」と呼ばれるホモ・サピエンスの時代が訪れて、石器時代の血縁集団から農耕牧畜の地縁集団として定住するようになった。約1万年前頃からのことである。このあたりから文明の時代に入る。ここからは、約5000年前から2000年前(紀元前)にわたる「宗教する人」を概観したいと思う。文明期に入ると記録によって詳細な歴史が知られているから、これらの歴史的な背景は省いて、「宗教する人」がどのような展開を見せたかだけに絞りたいと思う。
西アジアのメソポタミアでは、ティグリス川とユーフラテス川両方の流域で約1万年前から農耕が行なわれていた。農耕は北西のアナトリアから伝わったらしいが、灌漑による本格的な穀物の栽培が始まったのは7000年前のメソポタミアにおいてである。すでに見たように、人類の伝達能力は驚くほど高いから、ここを拠点に農耕が世界に拡がったという説もある〔谷澤伸他『世界史図録ヒストリカ』山川出版社(2013年)33頁〕。農耕はナイル川流域のエジプトでも(7000年前)、ヨーロッパとギリシアなどの地中海世界でも(6000年前?)行なわれ、インドのインダス川流域では5000年前に本格的な農耕が行なわれている。なお、中国の黄河流域に本格的な農耕が始まったのは7500年前頃からのようだ。日本でも土器が大型化するのが5000年前の縄文中期だから、農耕はその頃から始まったのだろうか。
定住と農耕により、食物の貯蔵が可能になると、余剰の物資を管理し配分したり、近隣の集団と交易をしたりする労働の専門化が生じることになり、これに伴って集団の階層化と貧富の差が生じてくることになる。こうして集団は、支配階級と被支配層とに分かたれるようになる。しかし、古くから平等で結束した集団を形成してきた狩猟民の体制から、支配と被支配の体制へ移行するのは容易でない。そこで、権威と結束の原点となってきた宗教が重要な役割を果たすことになる。宗教には聖職制が設けられ、聖職者が祭儀を取り仕切ることで、人々はこれら聖職者を通じて神々との交流が図られる。集団全体で行なわれてきた舞踏は徐々に抑圧される。農耕集団から発達した都市国家は、官僚と軍隊など世俗の職制を具えるようになるが、民全体の統治理念は宗教に依存し、聖職者階級が重要な地位を占めていた〔ウェイド『宗教を生み出す本能』139〜140頁〕。
■王権と神殿
特定の集団が武力を伴う力を得ると、周辺の諸部族を征服統合して、これを統治することで古代国家が誕生する。国家の最高位の指導者は聖職者を兼ねるから、神の霊威を帯びて神格化される。時代は下るが、ローマ帝国の最高神官としての皇帝、近代では、英国国教会の首長である君主、天照皇大神宮の子孫と見なされたかつての日本の天皇なども、このような王権思想を受け継いでいる。こうして王権は神聖化され、同時に、民と神々とのトランス状態での交流や、全体での舞踏による祭儀は制限されて、共同体全体の宗教的な祭儀の場としての神殿が建てられる。この段階で、聖職者の統治規定が、かつての舞踏による共同体全体の一致した規範と道義に置き換えられることになる。
こうして、4000年以上続いてきた舞踏による祭儀宗教は、メソポタミアに都市国家が出現する紀元前3500年(今から5500年前)頃には消滅する。定住の都市国家に君臨する聖職者たちは、もはや舞踏を必要とせず、舞踏は神殿の祭儀に組み込まれるか、地方の田園の民の間で生き続けることになる。しかし、人類の宗教行動を基礎づけたトランスや恍惚を求める祭儀性は、「宗教する人」の本性に深く具わるものとして刻印され受け継がれることになるから、こういう体制の変化によって、宗教の原始形態は消滅したけれども、宗教行動の主体であるホモ・レリギオースゥス(宗教する人)は変化しただろうか? ホモ・レリギオースゥスに潜む恍惚への霊的な希求は、制度化された宗教への絶えざる反発を引き起こし、以後の人類の宗教史の底流に一貫して流れ続けていくことになる。
■王権体制と宗教する人
〔忠誠と敵意〕
4章で見た共同体による祭儀は、宗教する人の自己を超えた共同体全体への一体感と深く結びついている。その宗教性が強ければ強いほど、共同体内部での、相互信頼も強まる。だから、ある民族宗教の中で生活する人は、自分たちが宗教を実践しているとか、自己が宗教する人であるという意識すらない。宗教的な営みは、同じ共同体内での狩りや農耕と同様に生活の一部だからである。だから彼らは先祖や神々を信じていることを語ることもないし、その必要もない。宗教する人のこの信頼感は、現在のわたしたちで言えば、医学者や科学者が言う病原菌の存在や原子力の存在を自分は何一つ直接に見たり認知したりしなくても、わたしたちが「信じて疑わない」のと全く同じである。共同体に伝えられ受け容れられていることを「信じる/信頼する」こと、これが宗教人類学が言う「ホモ・レリギオーサス」の文化的遺伝子と言えるかもしれない。この営みは、生活のあらゆる分野に関わるから、ホモ・レリギオーサスは、他の様々な「ホモ」としての有り様の基底を形成していると言えよう〔デネット『解明される宗教』224頁〕。
類人猿でさえも、ごく近い血縁でしか群れることがなく、家族の拡大にはそれなりの闘争と試行を経ている。人間は、同一共同体内部の他の人々と共に居ることが心地よいことを学んだが、宗教は、まさにこのような信頼関係の有り様を大規模な都市社会、あるいは国家全体の規模にまで拡大することを可能にする道を開くことになった。宗教する人にとって、家であれ神殿であれ国土であれ、その国土に基づく国家であれ、自分が所属する「聖なる住まい」の建立と維持は、人間の創造性の根源的な欲求なのである。したがって、自己の所属する国土への定住は、その場における「世界の創造」に等しい。彼は、自己の居住や都市空間を創造するだけではなく、自己が所属する都市あるいは国家のその支配者の安定を願い、共同体を凶作から救い、外敵との戦争において勝利を願い、交易する自国の船の航海の無事を願う。
しかし、このような「無意識の信頼性」と表裏を成すのが、自己の所属する共同体の存在を脅かす力、とりわけ自己の共同体と敵対する他の人間の集団への憎悪であり敵対意識である。宗教は、このような憎悪を、通常の他の動物では、ごく近い血縁関係においてのみ本能的に働くその敵対関係の領域をはるかに超える民族や国家全体の規模にまで押し広げるのである。このようにして、自分の共同体内部に働くこの忠誠心は、共同体への外敵に向けられる敵意と表裏一体となる。
〔犠牲の構図〕
宗教する人から成る王権は、これの神格化を通じて、王権の名の下にその臣下への絶対の忠誠と服従を当然のこととして要求する。この場合、臣下は狩猟共同体の場合と同様に、必要とあれば自己を王のために犠牲にすることも辞さない覚悟が求められ、共同体存続のための自己犠牲の精神は最も気高い忠誠の証として讃えられる。逆に、王権への服従を拒む者や忠誠心に背く行為を行なう者は、信頼を裏切る反逆者であり、王権を支える神への冒涜と見なされて容赦なく処罰される。こうして、神格を帯びた王権は、犠牲となる覚悟を求めると同時に、背く者、敵対する者を自分たちの神への「犠牲」として献げる行為を正当化する。
ところが、この犠牲の構図は、その王権が支配する民族や国家の存続が危うくなる時には、今度は王権それ自体が神への犠牲として献げられる、という事態へ発展する場合がある。その王権が、もはや神から見放されている、あるいは王権の神格性が弱体化している、民の目にこのように映る場合、その王権に危機が訪れることになる。年老いた王、戦に負けた王などが、こうして排除され殺されるという事態が生じる。これが、古来の「王殺し」である。「王殺し」の犠牲は、政権交代の度に起こる粛正や追放という形で歴史を形成してきたが、現在では、これが選挙というより平和な手段によって行なわれるところまで進化してきた。
ただし、「王殺し」の場合に、逆に危険を感じた王が、自分の後継者を、たとえそれが自分の息子であっても、これを「殺す」ことで、その者を神への犠牲として献げることで王の権威の延命を図る場合がある。このような逆の犠牲では、王権は自己の延命のために絶えず犠牲を殺し献げ続けなければならない。だから、その王権は、絶えず「犠牲を作り出す」制度として民を支配しなければならない。こうして、最も恐ろしい王権国家が生じることになる。
〔自己認識〕
ここで宗教する人の国家的な共同体形成とその制度化から転じて、宗教する人それ自体の認識の有り様に目を向けたいと思う。共同体との一体感が、忘我のトランス状態でもたらされていた狩猟時代の原初の宗教する人が、その認識をどのように変容させたかを探ろうとする試みである。
わたしたち現生人類は、脳の機能が、例えば興奮性神経の伝達物質であるグルタミンの燃焼において、他の霊長類に比べると独自のグループに属している。遺伝子の突然変異によって、わたしたちの脳は、象徴的な思考や創造性を生じる働きを獲得したのかもしれない〔ウォルター『人類進化700万年の物語』224〜25頁〕。その新たに獲得された機能とは、脳における言語獲得の機能と関連するようだ。
この機能は、人間が他の動物に比べて成人になるまでの未成年の期間が著しく長いことと関連する。子供はその間に、言語機能を発達させ、同時にさまざまな「ゴッコ」遊びをやる。「ゴッコ」遊びは、子供の手近にある物を別の物に「見立てる」ことで成り立つから、子供はこの遊びを通じて、ある物を別の物で「表わす」という表象と象徴の思考を発達させることができる。このような表象化と象徴化は、わたしたちが自分の体験をまとめて記憶し、これを引き出して伝える時にきわめて重要な意味を持つ。
人類はまた、類人猿に比べても顔の表情が豊かで、他者とのコミュニケーション能力に優れていることを先に指摘した。この能力は、他者の「気持ちを洞察する」能力においても著しい。「わたしは、わたしがこう考えていることをあなたが知っていることをちゃんと知っているし、そういうわたしの洞察をあなたが見抜いて知っていることもわたしは知っている。」このように、引き出しの中にさらに小さな引き出しを入れ、さらにその中にまたより小さな引き出しを入れるという「入れ子」の思考は、ある程度他者の思いを洞察できる知能の優れたチンパンジーでも、三つ以上の引き出しが入るともう不可能である。
ところで、「自分が自分のことをどう思うか」を考えるとき、あなたは心理学者がメタ意識と呼ぶものを経験している。それは自分が意識していること、そのことをさらに意識する能力のことである。わたしたちはそれを当たり前だと思うが、これには高度の言語能力が必要なのである。言語にはなんらかの象徴(記号)が伴う。象徴言語は、自分の言っていることを理解できるよう心の中である「音声」を発する。こうして自分に話しかけるときに、話しているのが誰なのか? 自分が自分に話しかけるとはどういうことなのか?話しかけるのが自分だったら、いったい誰に話しかけているのか? このことを不思議に思わないだろうか。あるいは、聞いているのは一人なのだろうか、二人なのだろうか。それとも大勢なのだろうか。わたしたちが「考え」と呼ぶ声はどこから生じているのだろうか。こういう疑問に突き当たる。
1970年代、プリンストン大学の哲学者で心理学者であったジュリアン・ジェインズ(1997年没)は「二分心の崩壊における意識の起源」(日本語訳『神々の沈黙』)を著し、その著書は議論の的になった。紀元前1万年から紀元前1000年までの間、現代人は、自分の心の中で聞こえる声を自分の外に実在するものの声として考えたと彼は論じたのである。換言すると、古代人は、わたしたちのように自分自身には話しかけなかった。その代わり自分の心の中で聞こえる声を、自分のものではなく首長あるいは悪魔あるいは神の声のように自分の心の外に実在するものの声として考えた、と彼は論じたからである。だから古代人は、自分のことやその自分の考えを観察して全てを知っている存在に耳を傾けていると信じていたことになる。ジュリアンはこの種の心のことを「二分心」(biameral mind)と呼んだ〔ウォルター前掲書239頁〕。
このようにして、古代エジプトやメソポタミアでは、その声を発する物理的象徴として偶像が作られた。その声はまた、ハンムラビやモーゼが言っているように神から啓示された律法でもあったとジェインズは説明している。はたして、ジェインズは正しいのだろうか? かつての人類は、「自分で自分のことを」考えることができなかったのだろうか。もっと正確に言うと、ホモ・サピエンスは、進化の過程において、「自分で考えている」ことを認識できなかった時代があったのだろうか? 今日でも人間の脳は、自分の中で話す自分を自分の「自己」だと認識するのに苦労することがある。統合失調症患者は、自分のものとは認識できない声、時には複数の声を聴くことがある。
人間の脳は、何らかの方法で、自分に話しかけて自分を支配する技を思いついた。外部の声を内部の声に変える方法を思いついた。どうやってそれを成し遂げたのか?その答えは、象徴を作り出して、それを複雑に織り上げる能力にある。他の動物は象徴を呼び出すことができない。一つの象徴や出来事を脳の中の別の表象体験と関連づけることができないからである〔ウォルター前掲書240〜41頁〕。
人間のこの象徴する能力、これの窮極の働きは、「わたし」あるいは「あなた」を創り出す能力である。あなたが、自分自身に話しかけている時、あなたが話しかけている相手は、「あなた」の表象なのである。自分が思い浮かべている「あなた」は、鏡に映った「あなた」のように、自分の脳が創り出している「象徴」の映像なのである。同様にしてわたしたちは、自分のうちに、ある他者を「あなた」として創り出すことができる。ところが、脳の働きはそれだけにとどまらない。その象徴的な「あなた」がほんものの「あなた」自身を変えることができるからである〔ウォルター前掲書249頁〕。わたしたちの脳は、このようにして、自分を変え、自分を制御し、自分に命じ、自分を再編成し、再創造することさえできるのである。これが、宗教<する>時に、ホモ・サピエンスの脳に生じる働きである。
■霊性の聖者たち
ここからは、文明の開始以降に現われた人類への偉大な霊的な指導者を採りあげて、この人たちが、「宗教する」人類をどのように教え導いたのかを学びたいと思う。とは言え、文明開始から現在までの人類の宗教的指導者などと言う途方もないことを考えているわけではない。せいぜい、文明が始まってからイエス・キリストが出現するまでの期間に現われた世界的な霊性の聖者たちから、代表的な7名を選んで、この人たちが、ホモ・レリギオースゥスとしての人間の有り様にどのような新たな啓示を与えてくれたかを、わたしなりの視点からごくおおざっぱにたどるにすぎない。
以下で採りあげるのは、ノア、アブラハム、モーセ、(ヴェーダの宗教と)釈迦、孔子、第二イザヤ、イエスの七名である。ノアとアブラハムとモーセは紀元前10世紀以前の人であり、釈迦と呼ばれるゴータマ・シッダールタ(前568/7年頃の生まれ)と孔子(前551年頃の生まれ)と第二イザヤ(前6世紀後半の人)の三名は、ほぼ前6世紀後半に集中して生まれた人たちである。この間に、オリエントでは、人類最初の大帝国とも言うべきアッシリア帝国が成立し、それが新バビロニア帝国を経て、アケメネス朝ペルシアという巨大帝国が成立することになる。最後のイエスは、人類の歴史を前後に分ける紀元前4年頃に生まれた。
■ノア
〔メソポタミアの神殿国家〕
古代オリエントの文明は、ペルシア湾に注ぐティグリス川(北側)とユーフラテス川(南側)の流域で起こった。ティグリス川の流域は、河口近くの南部が「バビロニア」と呼ばれ、北部(現在のイラクのサマラからモスル辺まで)は「アッシリア」と呼ばれる。ユーフラテス川の南部は「シュメール」の地で、ウルやウルクやニップールなどの町があった。この川の北部は「アッカド」で、シッパルがあった。ユーフラテス川のさらに北部には「マリ」がある。これらの地域全体は「メソポタミア」と呼ばれている〔筑摩世界文学大系(82)『古代オリエント集』第一巻付録地図〕。
メソポタミアの定住村落で農耕が始まったのはシュメールの地域で、紀元前7000年頃のことである。だから、今から9000年も前である。紀元前5000年頃には、ティグリス川をも含むこの地域で日干し煉瓦が作られるようになり、この煉瓦を用いた灌漑用の貯水池が作られた。シュメールでは、大きな正方形の灌漑用の貯水池が二つ並び、そこから水路で水が運ばれて畑へ引かれていた〔『世界史図録ヒストリカ』33頁図〕。
農耕の諸部族が統合され初期の神殿国家が形成されるのは前3500年頃のシュメールにおいてである。古代神殿都市の代表はウルクで、これが都市文明の始まりと見なされている。この時期の楔形文字の粘土板が多数発見されているが、最初期(前4000年頃)の文字はまだ楔形文字ではなく、それ以前の○や凹みの古拙な象形文字であった。最初期の文字は穀物の量を記録するためなど、財政・経済に関するものに限られている。
前2700年頃には、ウルク第一王朝ギルガメシュが成立する。現在、ウル第三王朝の神殿の遺跡ジックラト(聖塔)がユーフラテス川の東側に遺されているが、100メートル四方の煉瓦の城壁の上にさらに城壁が二層重なり、その上に立方形の神殿が建っている。最初の古代都市は、このような壮大な神殿が中心で、その周囲には大きな楕円形の城壁が二重に築かれていた。城壁の内部には神々を祀る神殿があり神官たちが住んでいた。城壁の外側は、粘土作りの民家で囲まれていた〔朝日百科『世界の歴史』(2)6頁図〕。この構成は、ほとんど、後のエルサレム神殿とエルサレムの街の原型だと言えそうだ。原初の国家は、神々を祀る神殿が中心で、神官が支配していたのが分かる。
シュメールでは、先ずウルク第一王朝ギルガメシュが起こり(前2700年)、ラガシュ王国が起こり(前2500年)、継いでシュメールに代わりアッカドのサルゴン王がメソポタミアを征服し(前2300年頃)、ウル第三王朝が起こり(前2100年頃)、外部からのアモリ人の諸王国が起こり(前2000年)、バビロン第一王朝のハンムラビ王(治世前1792年〜前1750年)が即位し、メソポタミア全域を統一してバビロニア王国が成立する。ただし、シュメールがアッカドの支配に入り、バビロニア王国の時代に至るまでの間、遊牧民による侵入が度々あり、遊牧民の支配がその内乱によって崩壊すると、再び王朝が起こるという過程が繰り返されている〔エリアーデ『世界宗教史』(1)74頁〕。
〔神殿国家と王権〕
遊牧民の宗教共同体から、農耕と定住によって、より大きな共同体である「国家」を形成することになるが、最初期の国家は神官の支配による神殿国家であった。メソポタミアの神話では、原初の母なる水が太母(たいも)であり、その太母から、男~アン(天)と女神キ(地)が生まれ、この配偶~からエンリル(大気~)が生まれた。ただしこれらは言わば国家の神々で、これ以外に民族や部族の神々も礼拝され、国家の代表~ではない民間の神々も庶民の間で信仰されていた〔朝日百科『世界の歴史』(2)9頁〕。神殿国家では、王は神殿に祀られる神(神々)の代理であるから、その共同体の民に対して、神への心服を通じて、忠誠と服従を求める。このような神殿国家においては、「宗教する人」の有り様に次のような変化が生じる。
(1)狩猟民の共同体では、トランス状態あるいはエクスタシー状態で顕現するカミは祖霊であり、しかも祖霊信仰は、共同体全体が分かち合うことで結束を促し、敵対集団への対抗意識と戦闘能力を高める働きをしていた。しかも、狩猟遊牧民あるいは部族の宗教は、ある特定の場所(住居)に限定されることがなかった。ところが、神殿国家体制においては、神殿の建設によって、神の存在と神殿は不可分一体となって地域的に限定されることになる。
(2)神の霊感あるいは霊能の働きが、民全員ではなく、王あるいは少数の神官グループあるいは特定の巫女などに限定されるようになった。特に、ほんらい共同体全体が共有するはずであったトランス状態でのカミ顕現が、一人の「王」あるいは少数の権威集団にその神顕現が独占されることで、「聖なる王権」を担う王に「人間の神格化」が生じることになった。
(3)人間の神格化は、その特定の人物に自己を神とする自己陶酔をもたらす。この結果、宗教する人にほんらい具わっている共同体への忠誠と信頼関係が、一人の人間の神格化によって、神殿共同体の民全体による王への絶対服従という形で要求されることになる。これと同時に、宗教共同体の忠誠と信頼への支えと表裏を成す敵対する者への憎悪と暴虐が、王権への服従と忠誠を拒む者に対しても向けられることになる。こうして、民の中にあって王権への忠誠と服従を拒む者に対しては、共同体の外敵同様の憎悪と暴虐が正当化される。
(4)この結果、王は、神格化された自己への服従と犠牲を民に強いると同時に、逆らう者たちを、外部の敵対者と同様に扱い、彼らを容赦なく神への犠牲とする。このようにして、共同体内部において、聖なる王権への「犠牲」として身を献げるか、あるいは敵対する反逆者として「犠牲にされる」か、どちらかの道をたどる構図が生じる傾向がある。
ただし、メソポタミアでは、比較的対等な相互関係にある狩猟遊牧民の侵入が度々くりかえされたことがあって、その宗教的な王権に二つの特徴が見ることができる。
(1)諸部族の統合により、礼拝の対象が、先祖の祖霊崇拝から天地創造の神々への神話へ変容した。このため、諸都市にはそれぞれ神々の星座が割り当てられ、未来への占い(占星術)が発達すうことになる。この点で、例えば祖霊崇拝が根強い中国の場合とは異なる。
(2)遊牧民の侵略を受けたためか、王が神と完全に一体化することがなく、王が、神々と民との間を媒介する宗教的な役割を担うことになった。この点で、神々と王とが完全に一体化した古代エジプトの王権とは異なる。メソポタミアの都市国家制度が「神殿都市論」と「原始民主政論」の二つの異なる視点から論じられるのはこのためである〔朝日百科『世界の歴史』(2)4頁〕。前18世紀にメソポタミアを統一したバビロン第一王朝のハンムラビ王が、世界で初めて「ハンムラビ法典」と呼ばれる石碑を建立することで、王権の行使を法制化したのは、おそらくメソポタミアの諸王権のこのような背景がら出ているのであろう。
〔洪水伝説〕
古代シュメールの洪水伝説を伝える粘土板には、この伝説が表裏六つの欄に刻まれている。だが、その四分の三以上が破損していて解読できない。しかも、そこに刻まれたシュメール語は前2000年頃のもので、標準シュメール語とかなり異なる。すでにアッカドの時代に属するこの粘土板は、時代がアッカドに移行してもシュメール語が文化と宗教を伝承する言葉としていぜん用いられていたことを伝えている。洪水伝承の遺された部分は以下の通りである〔筑摩文学大系『古代オリエント集』五味亨訳12〜14頁〕。
アン(天の神)とエンリル(大気の神)とエンキ(大地の楽園デュルムンの主~)とニンフルサグ(母~でエンキの妻)が登場する。人類はこれらの神々によって創造された。王権が聖なる王冠を頂いて天から降ってきた。王は五つの町を建設しそれぞれを神々に配分した。王は洪水が起こらないように灌漑を行なった。王は謙虚で従順であった。王であり聖油を扱う神官でもあるジウスドゥラは、神々からすべての住居と首都が洪水に襲われて、人類の種が滅びて王権が覆されると聞かされた。洪水が七日七夜暴れた。巨船は洪水の上を漂った。太陽が昇り光を放つとジウスドゥラは巨船に窓を切り開いた。王ジウスドゥラはウトゥの前にひれ伏して牛と羊を献げた。王がアンとエンリルの前にひれ伏すと、彼らは王に神のごとき命を授け、神の息吹のごとき永遠の息吹を王にもたらした。こうして王ジウスドゥラは、動物と人類の種を救済した。
ここには、人類が滅びに直面したこと、しかし、神々の前に「謙虚で従順な」聖なる王が、神官として、人類と動物の種(たね)を滅びから救済し、神のごとき永遠の命を授かるという神話が語られている。旧約から新約にいたる聖書の救済史を多少とも知っている読者なら、この神話が、「ホモ・レリギオースゥス」としての人類の霊性の有り様において、宗教的にどのように重要な意義を帯びているかを洞察できると思う。このジウスドゥラ王は、次のギルガメシュ叙事詩に登場する「知恵の人ウト・ナピシュティーム」の前身であり、ウト・ナピシュティームは創世記にでてくるノアの前身にあたる。
〔ギルガメシュ叙事詩〕
ギルガメシュ叙事詩に関する以下の記事は筑摩文学大系『古代オリエント集』(矢島文夫訳134〜166頁)による。解説によると、現存する『ギルガメシュ叙事詩』はニネヴェで出土した粘土板にアッシリ語で刻まれていて、1872年にイギリス人ジョージ・スミスによって発見された。しかし、人名の読みはシュメールにさかのぼるから内容はシュメール起源である。だから、この作品はシュメール人とアッカド人(アッシリア人とバビロニア人)の合作ということになるようだ。主人公の名前「ギルガメシュ」はアッカド語で「先祖である英雄」を意味するらしい。
ギルガメシュはシュメールの古キウルクの王で、三分に二は神で、三分の一は人間である。この王は、シャマシュ(太陽神)の子であったが、民の娘たちや妻たちに暴虐を働く暴君だったから民に恐れられた。民が天の神々にこのことを訴えると、神々は女神アルルに命じてエンキドゥという毛深い猛獣のような男を作った。ギルガメシュは女性を彼に遣わして彼に人間らしさを教えてから、ウルクで二人が出逢う。大格闘の末、二人は友になり、深い杉の森に住む怪物フワワを退治に出かける。怪物を殺してウルクへ戻ると、女神イシュタルはギルガメシュを誘惑する。しかし彼は応じない。怒った女神は「天の牛」を送って都を滅ぼそうとする。エンキドゥはこの牛のももを引き裂いて女神の顔に投げつけた。天の神々は相談の末、エンキドゥを死なせることにする。エンキドゥは呪われて病に倒れて亡くなる。ギルガメシュは友の死を悼むと同時に、自分も死に襲われることを恐れ、不死の薬草を求めて賢者ウト・ナピシュティームのもとを訪れようと旅に出る。サソリ人間に出逢ったり、深い暗闇を通り過ぎたりして、ようやくウト・ナピシュティームのところへ来ると、賢者は彼に神々がユーフラテス川に起こした大洪水の出来事を語る。神々はウト・ナピシュティームに船を作るよう命じてその寸法を教えた。七日で船ができるとシャマシュは大洪水を起こした。七日経つと洪水が引いて船はニシルの山にとどまった。ウト・ナピシュティームが鳩と放つと鳩は戻ってきた。大烏を放つと戻ってこなかった。船から出たウト・ナピシュティームは山の頂に御神酒を注ぐと、神々はその香りをかいだ。ウト・ナピシュティームはこの話の後で、ギルガメシュに不死の薬草の在処を教えた。ギルガメシュは、出かけて、深い深淵に潜り込んで、バラのような刺のある薬草を手に入れた。しかし、彼が水浴びをしている間に、蛇が薬草を奪って立ち去った。ギルガメシュは空しくウルクへ戻った。
この物語は、神殿国家の王が神格化されることで暴君に転じたこと、遊牧の民と争うが和解したこと、都市の発達により破壊された大自然が人間に災害をもたらしたこと、人間はこれを征服したが、このため神々の怒りをかったことなどが示唆されている。暴君が不死の薬草を求めるのは、秦の始皇帝を想わせるが、英雄である人間が不死を求めても所詮得られないことが語られている。しかも、その不死の在処を知っているのはただ賢者ウト・ナピシュティームだけである。永遠の命を蛇に奪われるのは、創世記のエデンの園の神話を想い出させる。
〔ノアの物語〕
ノアの物語は創世記6章〜9章で語られている〔コイノニア会ホームページの「ヘブライの伝承とイエスの霊性」1章「堕天使とノアの洪水」を参照〕。この物語はヤハウィストと祭司資料編集者たちによって編集されたと考えられるが、基となる伝承それ自体はどこまでさかのぼるのか分からない。ヤハウィストも祭司資料編集者たちも捕囚期の頃の人たちだと考えられるが、両者のどちらが先なのかさえ確定されていない〔コイノニア会ホームページの「ヘブライの伝承とイエスの霊性」12章「モーセ五書とヤハウィスト」を参照〕。この物語はイスラエル民族に口伝で継承され、これが、おそらく北王国ユダのヨシヤ王の頃の宮廷書記官たちによって記録されたのが、ヤハウィストによって編集され、最終的に祭司資料編集者たちによって現行の形にまとめられたのであろう。
ノアは、メソポタミアの叙事詩『ギルガメシュ』に出てくる「ウト・ナピシュティーム」と呼ばれる賢者が、そのモデルだとされている。イスラエルが捕囚にされていた当時の新バビロニアの天文学では、占星術などの占いによって未来を見透すことができると信じられていた。しかし、このような神殿国家の「知恵」に警告を発しているのが知恵の人ウト・ナピシュティームであり、創世記のノアの「知恵」なのである。ノアの物語は、次の四つの視点からこれを見ることができる。
(1)人類の生存と滅び。
(2)人類の暴虐と裁き。
(3)人類の救済と選び。
(4)神と人の契約と流血禁止。
創世記の洪水物語の前置きの部分に「わたしの霊は何時までも人の中に留まることがない」(創世記6章3節)とあるのは示唆深い。この部分は、ヤハウェが人に命の息を吹き込んだとあるところから(創世記2章7節)、人が何時までも生きることができないことを告げているにすぎないと解釈することもできよう。しかし、シュメールにさかのぼる洪水伝説では、神々が洪水を起こしたのは、地上に人が増えすぎたために「人間を減らす」のが目的だったことが明かされている〔『ギルガメシュ叙事詩』第11書板182〜85行〕。だとすれば、創世記2章7節は、続く洪水伝承とほんらい深く関わっていたことが分かる。ヤハウィストあるいは祭司資料編集者たちは、「ヤハウェの霊が人に留まらない」ことを堕天使たちと人間の女との交わりの結果、人間に反逆の堕天使の霊が宿るようになったからだと説明しているが、洪水伝承との文脈から見ても「ヤハウェの霊」は、単に人の身体的な命を指すだけでなく、人に宿る堕天使の霊との対比において理解されなければならないだろう。さらに、「ヤハウェ」なる~名は、後のモーセの時代に初めて明かされるから、洪水伝承では、ほんらいこれは「神の霊」ではなかったかと思う。とにかくここでは、人間のうちに神への「反逆の霊」が入り込んできたことが、「ヤハウェの霊」が人から取り去られる原因であったと示唆していると言えよう。おそらくこの「反逆の霊」とは、宗教する人において、暴虐を伴う「自己神格化」が生じたことと無関係ではないであろう。
洪水の原因として「人の暴虐」があげられているが、ここで言う「暴虐」は、特に王権を含む人間の為政者たちが民に対して行なう暴政のことであり、その結果として行なわれる国の内外での様々な暴虐行為一切を指している。このような暴虐行為が、権力者の自己神格化と不可分に結びついていることはすでに見た。だから、大洪水は、このような人間の暴虐への神からの「裁き」であることが明らかにされる。しかし、「暴虐」は、いったい人間のゆえなのか? それとも人間にはあらがい難い人間を超えた堕天使の霊の力によるのか? これについて明確な答えは与えられない。ただ、その暴虐を行なう人間が、その暴虐ゆえに裁きを受けて滅びにいたることだけが語られる。これが人類の「生存と滅び」に関わるこの洪水伝承が現在のわたしたち人類に伝えている警告である。
ここで、「救済と選び」の問題へ移るのであるが、「救済」は、人類の大部分が死滅(絶滅)するという厳しい「裁き」と表裏を成している。世界の創造から破滅へ、そして世界の再創造へいたる「裁きと滅び」の過程の中から、少数者の「選び」が生じる。終末の裁きを「生き延びる」者たちが出ることになる。
「ノア」は、「慰め」を意味すると同時に神への「宥(なだ)め」をも指す。ノアは、神からのお告げに絶対的に服従する。こういうノアの信仰は、彼が、この洪水物語で終始一貫「沈黙」を守っていることに表わされる。彼は、最後まで一言も語らない。おそらくノアのこのような黙従には、神に「己を献げる」という自己犠牲が含まれている。だからこそ、彼は神への「宥め」であり、人類への「慰め」となるのである。これが、彼が人類の救済者として選ばれる理由であり、これによって人類が「生き延びる」可能性が授与されてくることになる。
洪水を生き延びたノアは、その家族と共に、感謝の生贄を神に献げる。神は、その供え物の香りを知って、ノアの祈りを聞き入れ、二度と人類を洪水で滅ぼすことがないことを示す「虹の契約」を与える。契約の「しるし」は動物の生贄や人間の血ではなく、「虹」という自然現象であることに注目したい。ノアは、それまでの人類とは異なって、自己神格化と、自然現象の中に神々の神性を見出そうとはしなかった。彼は、自然を創造した天地の神、それゆえに自然を超えた神が、自然現象を仲立ちとして神と人との間に契約を結ぼうとされていることを悟ったのである。こうして、ノアは、神との「虹の契約」を通して、神と自然と人間とが調和し和解する「知恵」を学んだ。
おそらくこのような神観念を彼にもたらしたものこそが、彼が見ている「ヤハウェの霊」なのであろう。ただし、ノアに与えられた神と自然と人との「平和の契約」には、一つの重要な条件が付けられていた。それは人類の流血をさけるために「人の血を流さない」ことである。「人の血を流さない」とは「人を殺さない」ことであるが、大事なのは、ここで初めて、「人を殺さない」ことが、同一集団内の共同体的な限定を取り払って、人類全体に及ぼされたことである。わたしたちは、ここで初めて、「殺さない人」としての「ホモ・レリギオースゥス」に出逢うことになる。こういう「殺さないホモ・レリギオースゥス」は、神との契約関係において初めて可能な存在になることをも指摘しなければならない。ただし、ここに啓示されている「宗教する」人間存在は、それまでの人間存在とは本質的なところで異なっていることに気づく必要があろう。洪水伝承は、人類にとり、一つの時代が終わって、新しい時代が再創造されることを予想させる。だから、ここに啓示されている人間存在は、人類の霊性の進化における一つの分岐点を指し示すものであろう。この物語が「原福音」(プロト・エヴァンゲル)と呼ばれるのはこの意味である。ここで生じた分岐が、具体的にどのような結果をもたらすのか、その意義を探るのは現在の段階では難しい。ホモ・サピエンスがホモ・ハイデルベルゲンシスからネアンデルタール人とホモ・サピエンスとに枝分かれ(進化/分岐)してから「わずか」20万年であり、ノアに啓示された新たな「殺さない人間」としての「宗教する人」は、たかだか今から5000年ほど前のことにすぎない。ホモ・サピエンスが今後どこまで存続するのか分からないが、今から100万年ほど後には、ノア型のホモ・レリギオースゥスと、ホモ・サピエンス型のホモ・レリギオースゥスとの霊性の違いがはっきりした形を採るだろう。ノア型のホモ・レリギオースゥスとしての人間は、ほんのついさっき始まったばかりだからである。
人間が当時の世界で最も繁栄していたメソポタミアの宗教国家に向けて、ノアは、天からの洪水による人類の滅亡を予測した。滅亡は、人類の暴虐があまりにひどかったからであるが(創世記6章5節)、滅亡は人類の罪悪のゆえというよりも、この人類に終末が訪れるのは避けられないという、天の配剤のほうを強く感じさせる。人類は、どんなに繁栄しても滅亡が訪れるのを避けることができない。しかもその中から「生き延びる」者が選れること、このことをこの物語は証ししている。人々は、ノアが受けた神からの啓示をあざ笑うが、ノアは、神のお告げの通りに箱舟を建造して、自分の家族と選ばれた動物たちを生き延びさせることに成功する。世界の滅亡と再創造のこの伝説は、人類が二度と洪水に襲われることがないために、「人の血を流す」ことを止めるよう神から厳しく警告されるところで終わる。血で呪われた大地から人類を救う者はだれか? 流血と暴力が横行していた王権国家と、これを支える「犠牲者の血を流す」行為、このシステムを正当化する「宗教する人」の霊性への厳しい問いかけと警告をわたしたちはこの物語から聴き取ることができるだろう。
宗教する人へ