25章 イエス
 今まで、ノア、アブラハム、モーセ、釈迦、孔子の五人の偉大な霊性の指導者を概観してきた。今回も的を「ナザレのイエス」の宗教的霊性に絞り、それがホモ・レリギオースゥスとしての人類にどのような啓示をもたらしたかを洞察したい。だから、これは「キリスト教」を論じることでもなければ、イエス以後の「キリスト教会」の歴史を考察することでもない。
■イスラエルの領土
 モーセに率いられたイスラエルの民が「約束の国土」を求めて荒れ野をさ迷い、ついにその目的を達成して、現在のパレスチナに「イスラエルの国土」見出したことは先に見た通りである。主なる神から与えられたその国土にいかにして安住し続けるか? このことが、モーセ以後のイスラエルの部族連合にとって最大の課題であった。律法はこの祝福を保持するために与えられ、逆に律法を破り主なる神との契約に違反するならば、国土喪失の「呪い」を受けることが、預言者たちによってしばしば警告された。
 だから、南王国ユダの民が、その国土を奪われてバビロンに捕囚となった時に、彼らはその国土喪失の原因を神との契約と律法を破った己の罪に見出そうとしたのである。この意味で、旧約時代のイスラエルの神学は、「約束の領土神学」であったと言っても言いすぎではない。
 イスラエルの領土神学と分かち難く結びついているのが律法で、両者の結びつきは特に申命記に明記されている。狭義の「律法」は、出エジプト記にもレビ記にも詳しく記されているが、今回の「律法」(トーラー)は、ヘブライの伝承に基づくモーセ五書全体のことである。ここでは、モーセ五書の中の申命記に注目したい。申命記の律法は出エジプト記の律法を受け継いでいるが、申命記は、律法そのものよりも、律法に対するイスラエルの心構え、イスラエル的な「律法主義」を明確に表明している。この書は、いわゆる申命記史家(たち)によって編集されているが、ここで申命記の内容やその編集過程に立ち入ることは控えたい〔詳しくはコイノニア会ホームページの「ヘブライの伝承」の第2部「約束の国伝承」を参照」〕。
 申命記の精神は、6章4節の「聞け、イスラエルよ。われらの神主は唯一の神である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神主を愛しなさい」に最もよく集約されている。しかしながら、申命記では、「主なる神を愛する」ことの裏側に、次のような警告が響いている。「あなたは、他の神々、周辺諸国民の神々の後に従ってはならない。あなたのただ中におられるあなたの神、主は熱情の神である。あなたの神、主の怒りがあなたに向かって燃え上がり、地の面から滅ぼされないようにしなさい」(同14〜15節)。
 主の命令を守るなら豊かな祝福が伴い(申命記11章26〜32節)、主の命令を破るなら恐ろしい呪いが伴うから(28章1〜46節)、申命記全体は、これら二つの命題をめぐって展開されていると言ってもよい。どちらかと言えば、祝福よりも呪いのほうが事細かに語られているが、これらは、北王国と南王国とが、それぞれアッシリアと新バビロニアによって滅ぼされ、民族絶滅の危機に陥った体験を基に書き直されているからであろう。イスラエルの民は、字義どおりに「地の面から滅ぼし尽くされる」ほどの苦難を味わった。
 申命記は、モーセ律法、とりわけ十戒を核とする諸律法を厳格に守るよう繰り返し説いているから、申命記的なこの「律法主義」は、イスラエル周辺の諸民族の「他の神々」、すなわち彼らの「偶像礼拝」に厳しい目を向けている。しかしここで採りあげなければならないのは、イスラエルの領土の<内側に>住んでいたカナンの諸民族のほうである。
 イスラエルの民がカナンへ侵入した際に、そこに住むカナンの原住民に対して行なったことは、申命記2章26節〜3章7節に記されている。そこには、ヨルダン川の東岸地域で、イスラエルの民の進路を阻(はば)んだ二つの王国、シホンが統治するヘシュボン王国と、オグが支配するバシャン王国とが、イスラエルによって占領され、「神は彼らの領土をイスラエルに与えた」とある。その際に、イスラエルの民は、「町全体、男も女も子供も滅ぼし尽くして一人も残さなかった」(申命記2章34節/3章6節)。これがいわゆる「聖絶」(ヘーレム)と呼ばれる出来事である。
 「聖絶」については、未だ分からないことがある。もしもこれが字義どおりに行なわれたとすれば、古代国家間の闘いの中でも最も残酷な部類に属する行為になろう。苛酷と言われたアッシリアでさえも、占領下の民に対して、最下層の農民たちはそのまま土地に残し、捕らわれた人たちも他国へ奴隷として連行された。だから、申命記で語られる聖絶も、敵の民を主ヤハウェに「献げる」という祭儀的な暗喩(メタファー)であって、字義どおりの「皆殺し」ではなかったという解釈がある〔『新共同訳旧約聖書注解』(1)301〜302頁〕〔岩波訳『民数記:申命記』巻末用語解説9〜10頁〕。
 しかし、申命記のテキストを字義どおりに読む限りでは、このような暗喩的な解釈は不可能である。「男も女も、子供らもすべて<聖絶>し尽くして、誰も残さなかった」〔岩波訳〕とは「完全に絶滅させて、一人たりとも生き残らせない」"...we utterly destroyed men, women, and children. We left not a single survivor. "〔NRSV〕ことを意味する。捕囚期に近い申命記史家(たち)の時代には、「聖絶」は字義どおりではなく、祭儀的な比喩を帯びていたという解釈は、それなりに理解できるが、申命記が伝えているのは、イスラエルのカナン侵入の初期段階では、敵対する民族同士の闘いが、字義どおりに殺すか殺されるかの凄絶な闘いであって、この現実の前には、暗喩的な解釈による「憐れみの情」は介入する余地がなく(申命記7章2節後半)、現実に「皆殺し」が実行されたと見るべきであろう。「聖絶」が暗喩性を帯びるのは、この現実が伝承された後の段階のことである。
 大事なのは、イスラエルの民の「酷(むご)い仕打ち」という軍事的・社会的なレベルの見解ではなく、彼らが主ヤハウェの命令を実行しなければならなかったその宗教的な動機のほうである。主ヤハウェが彼らに与える約束の領土の内側では、異民族の神々に基づく偶像礼拝的な要因は、宗教的にも文化的にも社会的にも、いっさい遺すことを許さず、これを根絶することが求められたからである。だから彼らは、敵対する異民族と協定を結ぶことをせず、おそらく異民族がヤハウェ信仰に改宗することさえ拒否したと考えられる。「イスラエルの領土内」の異民族の宗教と文化を含むいっさいの価値観を、言い換えると彼らのアイデンティティそれ自体を抹殺することが目的だったからである。だから「聖絶する」とは敵対者の土地や物を主ヤハウェに「献げもの」として献げるだけでなく、真の意図は、そこに住む「人間」に向けられている。この場合「献げ物」という名詞形ではなく、動詞の能動使役態(ヒフィル)が用いられ、敵の領土を「占領し」、「そこに住む人たちを殺戮する」ことを指している〔TDOT(5)186〕。だから異民族を「聖別する」とは「絶滅し殺す」ことで〔TDOT(5)188〕、少なくともこれが「聖絶」(ヘーレム)のほんらい意味である。
 「聖絶」(ヘーレム)には、「呪い」「絶滅」「殺されるべく献げられた人」などの意味があるが、これに含まれる宗教的な意図は、字義どおりにせよ隠喩的にせよ、申命記的な律法主義として、以後のユダヤ=キリスト教に大きな影響を及ぼすことになった。
■領土の霊的領域化
 「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに人の子は来る」(マタイ10章23節)。これはイエスが、十二使徒を派遣するに当たって与えた指示に続いて、弟子たちが迫害されることを予想しつつ語った言葉である。
 古代の教父クリュソストモスは、ここをイエスに派遣された弟子たちが再びイエスのもとへ戻った時のことだと解釈し、カルヴァンは、イエス復活以後に起こったペンテコステの聖霊降臨を指すと受け取った。現在では、イエスの終末での再臨を指すという解釈が一般的である。文献的な批判から、ここはエルサレム滅亡以後のマタイの視点から見て、弟子たちがユダヤ人に迫害されて、イスラエルの町々を「逃げ回らない」うちに人の子の裁きが降ってエルサレムが滅亡することだという解釈もある〔フランシスコ会訳聖書(注)4〕。これだと、「回り終えない」は、福音宣教のためではなく、迫害されて「逃げ回る」ことを指すことになる。この節は前半の迫害と後半の伝道とに分かれているから、おそらくマタイ以前の資料から合成されたもので、後半はイエス様語録から出たものであり、二次的な編集を受けているとは言え、これはイエスにさかのぼるであろう〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)188〜89頁〕。この言葉が弟子たちの福音宣教に関わることをマタイは正しく洞察して、これを十二弟子派遣の後に続けたと見るべきである。人の子の終末的な裁きがユダヤ人に臨むことと、それが福音宣教と結びつく例はマタイ8章10〜13節にも見ることができる。
 問題は「イスラエルの町々(全部)を回り終えないうちに」である。これを字義どおりに解釈すれば、イエスの当時のユダヤとガリラヤの全地域を弟子たちが巡り終わらないうちに、「人の子」が来臨して、神の国が成就し完成するという意味になる。「人の子」がイスラエル共同体を代表するイエス自身であるとすれば(ここではこの解釈が正しい)、この預言が実現「しなかった」ことはマタイにもわたしたちにも明かである。むしろ、弟子たちがイスラエルの全土を回り終わらないうちにイエスは十字架刑に処せられた。その結果イエスは復活し、イエスの復活以後に到来したのは、人の子イエスの再臨による終末を待ち望む教会の実現だった。だから、<字義どおりの意味>でなら、マタイ10章23節の預言は成就しなかった。
 預言の字義どおりの成就が果たされなかったことから、「イスラエルの町々」とは、字義どおりではなく、パレスチナの外に広がる離散のイスラエルの民が住んでいる地上の諸民族の全地域を指す、という拡大解釈がなされる。この解釈では、「イスラエル」は、異邦の諸民族を含む全世界の「神に選ばれた霊的な意味でのイスラエルの民」のことだから、「イスラエル」の内容に変容が生じてくる。この解釈だとマタイ10章23節のイエスの預言は、まだ実現していない終末を指すことになり、教会は終末の神の国を目指して、全世界の民に福音を伝えることで、「イスラエルの全部の町々を回り終える」ように努めることが要請される。現在では、イエスのこの預言はこのように受け取られる場合が多い。
 文献批評の立場から、この節はイエスに直接さかのぼるものではなく、後の教会によって創出されたという説があるが、成就しなかったことをわざわざイエスの口から言わせるという「教会による創出」説には無理がある。わたしたちはここで、<偽(誤)預言>か<教会の創作>か、どちらかを選ばなければならないのだろうか? 
 このような二者択一の前に、「イスラエルの町々」という言い方それ自体が何を意味する/しないのかを根本的に探る必要があろう。そもそもこの言い方は、「領土」を表わすのか? それとも何かほかのことを意味するのか?「イスラエルの町々(全部)」が、現在の観光ツアー案内の文句であれば、文字通り、イスラエル全域を指す地理的な意味でなければならない。しかし、イエスが実際に見ていた「イスラエルの町々(の全域)」は、観光案内のパンフレットを作った人が見ているようなものではない。イエスの「見る/観る」には、終末的な視野と霊性による洞察がこめられているから、イエスの霊的な「観る」は、その土地に住む<人間の霊性>のことなのである。
 例えばヨハネ1章48節に「わたし(イエス)は、あなた(ナタナエル)がフィリポから話しかけられる前に、(すでにあなたが)いちじくの木の下にいるのを<見た>」とある。この「見る/観る」は、ナタナエルについて「<見なさい>。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない」(同47節)とイエスが言う時の「見る/観る」である。イエスがナタナエルの中に「まことのイスラエル人」の姿を霊視していることをヨハネ福音書は的確に伝えてくれる。このことは、イエスが、現実の人間とは別個の存在を「見て」いたことではない。そうではなく、イエスは、<ナタナエルの内に>、ナタナエル自身さえも、さらに周囲の誰にも見えなかった<ナタナエルの霊性>を「観て」いたことを意味する。
 だから、イエスが言う「イスラエルの領土」の真意は、「真のイスラエル人たち」がこの地上に顕現するその存在領域のことにほかならない。これが分かれば、イエスが、ほんらいの霊的な「イスラエルの町々」を指していたことと、その言葉が、教会によって変容拡大することとはなんら矛盾することなく、ごく自然につながることが理解できる。 「イスラエル」の国土的領域から人間の霊性を指す霊的領域化へのこの変容こそ、イエスが「イスラエル」にもたらした重要な転換であったことを新約聖書全体が証ししているのをわたしたちは見る(マタイ8章11節/マルコ10章21節/ルカ17章21節/ヨハネ18章36節/ローマ14章17節など)。
■イエスの悪霊追放
 わたしたちは先に申命記的な律法主義に基づく聖絶の思想を見たが、これをイエスの悪霊追放と関連づけるとそこに興味深い事実が浮かび上がってくる。イエスの伝道を特徴づける「悪霊追放」は、かつてイスラエルの民が、約束の国土領域から異邦人たちを「追放する」行為と並行するところがある。イエスは、敵対する者(サタン)を御国の領域から「追放する」だけでなく、イスラエルのカナン侵入の最初期の頃に、敵対する異教の小王国を滅ぼし尽くしたように、サタンの王国を「絶滅させる」ことを意図している点でも「聖絶」の思想につながる。イエスが悪霊どもを「追い出す」行為は、悪霊を神の国の領域から追放するだけでなく、これらを「滅ぼす」ことをも意図しているからである(マルコ5章1〜13節)。ただし、マルコ5章のゲラサの悪霊追放の場合のように、悪霊が水の中で「おぼれ死んだ」としても、これはまだ完全な絶滅を意味するとは言えず、最終的な絶滅は、終末に訪れる神の裁きによって、悪霊どもとこれらに支配された人間たち共々「火の地獄に投げこまれる」(マタイ5章22節)まで待たなければならない。
 イエスのこの悪霊追放の背後には、イスラエルのサタン伝承がある。伝統的なヘブライの思考法は、神の民を「われら」とし、これに敵対する異邦の諸国民を「彼ら」とする二分法であった〔ペイゲルスの『悪魔の起源』松田和也訳(青土社)70頁。Elaine Pagels. The Origin of Satan. Random House (1995).〕。歴史的に見れば、ソロモン王の時代の「サーターン」は、主として国王に「敵対する者」を指す普通名詞である。これが「告発する者」となり「敵対する者/告発する者」から、「サーターン」が堕天使伝承に組み込まれて、「サタン」という悪霊どもの頭を指す固有名詞になった。原初のイスラエルの十二部族連合と異民族との敵対関係から、イスラエルの領土の「内部における」敵対関係への移行をここに見ることができる。
 時代が降って、アンティオコス4世からの弾圧と闘ったユダ・マカバイオスは、イスラエルの外からの敵だけでなく、セレウコス朝と内通するイスラエル「内部の敵」(サタン)とも闘わなければならなかった。マカバイの勝利によってユダヤにハスモン王朝が成立するが、成立したこのハスモン朝に対抗して、今度はファリサイ派やエッセネ派が興り、イスラエル内部に働く「サタン」は、この段階でますます強くなったとも言えよう。
 この段階でのサタンは、ユダヤ教の内部に潜む敵であるから、異教・異民族はなく、最も近いところに宿る敵になる。中でも、クムラン宗団とこれを核に広がるエッセネ派は、イスラエルの内なるサタンと、ギリシア的な支配権力を支える悪霊の働きを揶揄(やゆ)し、サタンと結託するエルサレムの神殿祭司制を批判し、真のイスラエルと偽りのイスラエルのように、ラディカルな霊的二分法をイスラエルの内部にもたらした。その結果、エッセネ派とその中心となるクムラン宗団においては、共同体の「内部の敵」を悪魔化する事態が生じることになる。エッセネ派は、天使と悪魔との抗争をイスラエルの内部に見出すことによって、ユダヤの多数派を呪われた存在と見なしたのである。「光の子」と「闇の子」、すなわち、神の側につく天使と人間、これに対する悪霊ベリアルとサタンの側の人間、という対立の構図がこのようにして生まれた。
 イエスとサタン(悪魔)との対決は、悪魔によるイエスへの荒れ野での誘惑の場に描かれている(マタイ4章1〜11節/ルカ4章1〜12節)。イエスは荒れ野で40日間断食して、この間に悪魔の誘惑を受けたとあるが、これは、イスラエルの民が荒れ野で40年間さまよい、その間に様々な試練を受けると同時に、モーセを通して契約と律法とを授けられた期間に対応するのであろう。マタイ福音書とルカ福音書とでは、誘惑の順序が異なるが、どちらの場合も悪魔の誘いに対するイエスの答えは同じで、マタイ福音書では、「人はパンだけで生きるものではない」(マタイ4章4節=申命記8章3節)、「あなたの神である主を試してはならない」(マタイ4章7節=申命記6章16節)、「あなたの神である主を拝み、ただ主にのみ仕えよ」(マタイ4章10節=申命記6章13節)とあって、どれも申命記から引用されている。
 イエスと悪魔とのこの対決は、共観福音書では、「サタンが天から稲妻のように墜ちるのを見た」とイエスが告げる場面で一つの頂点に達する(ルカ10章18〜19節)。ルカ10章17節はルカ自身による編集と考えられるが、同18〜19節はルカの特殊資料からで、ルカはこの箇所を72人の弟子たちによる伝道の成果と結びつけて、そこにサタンの王国が神の国の伝道によって敗北したことを読み取っている。ルカ福音書では、「サタン」が固有名詞で出てくるのはこの箇所が最初である(この資料がアラム語にさかのぼることを意味するのか?)。固有名詞の「サタン」が登場するのは、旧新約中間期の比較的後期のことで、サタンは、それまでの悪霊どもの頭に取って代わって「悪霊の頭」になるから、ルカ福音書のこのサタンも悪霊王国の頭である。堕天使たちが地上に落ちて悪霊に変じたという創世記6章1〜4節に基づく後期の伝承を、ルカ福音書のこの箇所と直接に結びつけることはできないが、イザヤ14章12〜15節の「明の明星」の墜落が、この箇所に反映していると見られている〔Marshall, The Gospel of Luke. 428-29.〕。
 しかし、ここでサタンが、天から「稲妻のように墜ちた」とあるのは、ルシフェルの墜落の反映だけでなく、それ以上に、サタンの「滅び」が完了していることをイエスがすでに予見していることを指している(ヨハネ12章31節/ローマ16章20節を参照)。なお、ルカ福音書ではサタンの「墜落」が予見されているが、ヨハネ福音書ではサタンの「追放」であり、ローマ人への手紙ではサタンの完全な「敗北」である。「追放」「敗北」「滅び」などが「絶滅」と結びつく用法は、申命記の「聖絶」思想へさかのぼることで説明がつく。なお、マタイ24章とルカ17章で、イエスが「ノアの洪水」に言及しているのも、洪水と堕天使たちの悪霊伝承が、その背景にあるのかもしれない。以上で分かるように、イエスと申命記の「呪い」との関わりは、主としてサタンとその手下どもの悪霊追放、およびサタン王国の敗北と滅亡につながる。
 イエスは、イスラエル内部の神とサタンの二分法を人間存在の根底に潜む神と悪魔との霊的な二分法へとさらに徹底させた。こうすることで、この二分法は、イスラエルを超えて人類に普遍する神の霊と悪魔の霊の二分法へと拡大されることになった。
■イエスによる終末
 イエスは、自分が行なった悪霊追放について、「彼は悪霊の頭ベルゼブルによって悪霊を追い出している」という非難を向けられてこう答えている。「もし、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。しかし、わたしが<神の指で>(悪霊を)追い出しているのなら、神の国はあなたたちのところに(すでに)来ている」(ルカ11章19〜20節)。ここでは、イエスの悪霊追放が、神の国が<すでに到来している>ことの証しとされている。このことは、悪霊追放が、イエスが宣べ伝える神の国の「終末的な到来」と深く結びついていることを意味する。イエスの到来と共に神の国がすでにこの地上で「始まっている」ことは、「時は満ちた。神の国は近づいた(すでに始まった)」(マルコ1章15節)というイエスの宣教開始の言葉からも読み取ることができる。終末に成就する神の国が、イエスの到来と共にすでにこの地上で「開始されている」というこの終末観は、それまで見ることができなかった「イエスによる終末」の大きな特徴である。
 宣教開始に伴う神の国の終末的な到来に始まり、イエスの終末観には、時期的に見て幾つかの段階があり、それぞれ、その時期に伴う出来事がある。これを主としてマルコ福音書に準じて見ていくと次のようになろう。
 第一段階は、今見たように、イエスの伝道活動と共に開始された「神の国到来」である。
第二段階は、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活する」で始まる三度に及ぶ弟子たちへの受難予告である(マルコ8章31節/9章31節/10章33〜34節)。三番目の予告に見るように、これらには後の教会の編集が加えられているが、イエスが自分の受難と復活を「常々予告していた」(9章31節)と思われる。第三段階では、受難と復活の予告に、イエスが裁判の席で大祭司に告げた「あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る」(マルコ14章62節)が伴う。ここでイエスは、「人の子」とは自分であることを明らかにしている。受難と復活に伴うこの「人の子の栄光化」には、「人の子イエス」が「義人」であることが神によって立証されるというヘブライの受難の僕伝承が背後にある。「あなたたちは見る」とあるように、イエスの大祭司への予告は、大祭司たちの存命中にすでに実現することが予告されている。こういう「人の子の栄光化」伝承は、イザヤ書の「受難の僕」とダニエル書の「人の子の栄光化」(7章13節)が結びついたものであろう。ダニエル書のこの「人の子」は、人間の<ようで>ありながら人間を超えた者であり、個人でありながらイスラエル共同体全体を表わすという不思議な多重性を帯びているから、「人の子」にまつわるこの多重性はイエスにも受け継がれている。このためイエスの「人の子」には、おそらくイエス自身も決しがたい多義性を秘めていたと思われる。
 第四段階としては、「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」(マルコ13章2節)」とあるイエスのエルサレム神殿の崩壊予告がある。この予告が、同時にエルサレムの滅亡を告げているのは言うまでない。この予告には、親バビロニアによるかつてのエルサレム神殿の崩壊が反映されていると見ていいであろう。洗礼者ヨハネがすでにこの予告を行なっていたかどうか確かでないが、ユダヤでは、同様の予告やうわさがユダヤ戦争が始まる前からあったらしい。この予告が終末と結びついていることから、イエスには、エルサレムの滅亡と終末とが二重映しになっていたと思われる。
 第五段階は、人の子の来臨/再臨である。これも、第六段階の最終的な終末の到来と重なってくる。
 
それらの日には、
このような苦難の後、
太陽は暗くなり、
月は光を放たず、
星は空から落ち、
天体は揺り動かされる。
その時、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
その時、人の子は、天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、
彼によって選ばれた人たちを四方から集める。
       (マルコ13章24〜27節)
 
 神殿崩壊への預言に伴う様々な出来事への予告と(マルコ13章1〜23節)、人の子の終末での再臨/来臨預言(同28〜37節)と、この二つの間に挟まれて上の引用がでてくる。ここの「人の子の栄光」(24〜27節)は宇宙的な様相を帯びている。従来この部分は、これの後に続くいちじくのたとえと、人の子イエスの再臨とに結びつけて解釈されてきた。終末に顕われる人の子とイエスを同一視することができないという見方もあるが、ここではこの問題に触れることを控える(この問題について詳しくは『ヘブライの伝承とイエスの霊性』の「イエスと人の子」の章を参照)。引用したマルコ13章24〜27節については、主として二つの点が問われている。
(1)ここで語られる宇宙規模とも思われる描写は、はたして、天体をも含む宇宙の崩壊のことで、「歴史を含みつつも歴史それ自体をも超える」内容を指すものなのか〔Edwards, Mark. 402.n.42〕? それとも、神殿の崩壊とエルサレムの滅亡に見られるような政治的、国家的、宗教的な激変を表わす表象なのか〔France, Mark. 500〜501〕?
(2)ここで語られているのは、終末と人の子の来臨/再臨の出来事なのか? それとも、ダニエル13章にあるように、人の子が、神の王座の右に座ることによって至高の権威を授与されること、特に受難と復活を経たイエスの高挙とメシア王国への即位を指すものなのか? そうであれば、この部分は、将来に起きるべき終末での人の子の来臨/再臨とは直接関係がないことになる。
 マルコ福音書のここの大苦難が、神殿崩壊とエルサレムの滅亡を指すと見るならば、これに続く人の子の顕現は、エルサレム神殿とこれを中心とする「イスラエルの領土」に代わる新しい神殿と「神の王国」が出現することを預言するもので、これこそイエス自身が告知した「神の国」であり、「イスラエルの町々を巡り終えないうちに」実現する出来事であったことになる。したがって、イエスが預言したのは、将来的な意味での終末の人の子の来臨/再臨のことではなく、イエスを裁いた大祭司たちにも「見える」姿で、すなわち彼らの「この世代に」(マルコ14章62節)、神の王国への人の子の即位が起こることである。この場合、宇宙的な表象は、辞義どおりに天体を指すよりも、むしろ地上の宗教的政治的な変動を言い表わすための旧約以来の伝統的な表現法だと見ることができよう。
 マルコ13章24〜25節には、地上のエルサレムを襲う否定的な側面が予告されているが、同時に、この否定面は、続く同26〜27節で、ダニエル7章13〜14節の「人の子の高挙と即位」という肯定的な出来事へ移行する。地上の神殿と王国が失墜するのと表裏をなして、天における神の王座において新たな王権が確立される。だからここでは、「イスラエルの勝利」は、地上のエルサレムの滅亡と裏腹に、神の民を代表する「人の子」の即位として新たな段階を迎える。
 旧約聖書の言語を正しく理解するならば、マルコのこの人の子は、イエス自身による人の子言葉を教会が受け継いで、イエスが予告した「人の子の至高権」が、神の民の「新しいエルサレム」へと、すなわち「真の(霊的な)イスラエルの領土」へつながることを予告している。おそらくマタイ10章23節の「イスラエルの町々を巡り終わらないうちに人の子は来る」も、ほんらいマルコ13章の前段階の伝承に含まれていたもので、「人の子は来る」は、受難を間近に予期していたイエスの言葉を遺しているのであろう。
 以上の見解に対して、マルコ13章全体が終末の出来事を預言しているのであって、イエス自身が、人の子/神の子として再臨することを告知しているという解釈もあるが、この場合でも、預言の内容それ自体は、イエス自身へさかのぼりえるという見方に変わりない。即位説と終末説は、そのどちらかの選択を迫るものではないであろう。即位から終末の再臨/来臨へという移行は、実際のイエスには二重映しになっていたと考えるほうが適切である。マルコ13章31節では、それまでの「これらすべて」が、人の子イエスの目にはっきりと啓かれていた。しかし、32節以降では、「その日」(単数はここだけ)は、イエスをも含めて「だれも知らない」〔France 501〕。並行するマタイも24章36節には「だがその日とその時は」とあって、時期的に区別されていて、しかもマタイ福音書は「人の子の来臨/再臨」(パルーシア)を3度繰り返していて(マタイ24章27節/同37節/同39節)、ここでは明らかに、エルサレムの神殿崩壊でも、人の子の復活に伴う栄光化でもなく、地上全般に及ぶであろう終末的な裁きの到来が語られている。したがって、ダニエル7章13節を背景としたこれらの預言は、地上でのイエスによる受難直後の天での即位預言と神殿の崩壊、これを受けた復活直後の教会による証言(マタイ28章18節)、さらに終末での最終的な人の子による裁きへと(マタイ25章31〜34節)、それぞれの時期に応じて適用されたと見ることができよう〔France503〕。〔これらの問題について詳しくは「ヘブライの伝承とイエスの霊性」の35章「イエスと人の子」を参照〕
 以上をまとめると、イエスが伝えた神の国の到来と終末には、少なくとも次の五つが関係している。
(1)イエスによる御国の到来。
(2)人の子の天での即位。
(3)エルサレム神殿の崩壊。
(4)人の子の来臨/再臨。
(5)最終的な終末。
 共観福音書のイエスの黙示的な預言を資料的に見るなら、マルコ13章/マタイ24章が、ダニエル書のミドラシュ的な解釈に基づくというのは少し言い過ぎかもしれない。しかし、マルコ福音書とマタイ福音書のテキストがダニエル書を反映しているのは明白であるから、福音書の記者たちが、終末においてダニエル書とイエスの言葉が同時に成就すると見ていたのは間違いない。マルコ8章11〜13節を根拠にイエスはしるしについて語るのを拒否したという見方もあるが、第一テサロニケ(5章1〜11節)や第二テサロニケ(2章1〜12節:この書簡は真正と認められる)などと共観福音書から判断すると、これらの黙示的なしるしがイエスにさかのぼると観るのは不自然ではない。
 また、マルコ13章は一回限りの説話から出たものではなく、ヘブライの預言書と同様に、種々の資料の集積から形成されたと考えられる。だから、神殿崩壊をも含む終末預言の説話全体については、マルコ13章の文言と内容を直ちにイエスにさかのぼると見ることはできない。だが、これらの預言がイエスに起源することを否定することもできない。イエスはおそらく、神殿崩壊を預言し、同時に、彼に従う者への迫害を終末的な言語で語り、ダニエル書13章を引いて、神によるイエスの義の立証を告げたのであろう。真正の「主の言葉」としては、マルコ13章2節/同12節/同26節/同28〜9節/32節などが考えられている〔Davies(3)332〜33〕
 以上見てきたことを総合しながら、ナザレのイエスの霊性について洞察を加えるなら、
(1)イエスは、神殿の崩壊と終末の人の子の来臨/再臨との両方について預言していた。ただし、イエス自身が、この二つの出来事を時期的にどこまで区別していたかについては明らかでない。おそらくイエスの目には、この二つの出来事が二重に映っていたのではないかと考えられる。
(2)イエスのこの預言がもとになって、ヨセフスの記録にあるように、ユダヤ戦争の時に、イエスの信奉者たちが、エルサレムとユダヤからヨルダン川の東方ペレアへと逃れた。このことから、イエスの語った預言を核にして、キリスト教会の黙示伝承が形成され、これがパウロへ、共観福音書へ、ヨハネ福音書へと伝えられた見ることができる。
(3)イエスの神殿崩壊の預言は、彼が告知した神の国の到来と密接に関係している。この場合、神の国が「すでに」到来していることと、それが「まだ」未完成の状態にあって、これからも御国の成就へ向けて神の働きが継続するというイエス独自の視点があったと見ることができる。これは、イエス以前には存在しなかった、全く新しい「終末的な救い」の時間構成であり、イエスの霊性に宿るこのような独特の「時の場」によって構成される「神の国」こそ、イエスの福音の中核でありキリスト教の本質的な性格を形成するものである。
(4)イエスの預言は、ダニエル書を反映していたが、ダニエル書が預言する人の子の至高の権威への「即位」と、メシアとしての人の子の「来臨」という、この二つは、イエスの霊性における黙示的な性格を見極める上できわめて重要である。しかし、イスラエルの民全体を代表する「人の子」と、人格性を帯びた個人としての「人の子」と、この二つの側面はイエスにあっては明確に分離されていたとは言えない。また、人の子の天上での即位と、人格を具えた個人としてのメシアが地上に降臨することとの関係も必ずしも明確ではなかったようである。ただし、イエス自身は、人格を具えた個人としてのメシアの降下と、同時にそのメシアが「人の子」として即位するという信仰に抱いていたと見ていいであろう。
(5)人の子とイエス自身との関係については、人の子は、イエス自身の霊性において、自分自身と深く関わるもので、地上でのイエスの言動の正しさを立証してくれる者こそ「人の子」であった。しかも同時に、その人の子が終末に訪れる時には、その「人の子」が自分自身なのか? あるいは自分とは異なる別の人格的な個人なのか? この点について明確な区別を付けていたとは言えないように思われる。だからこそ、マタイは「人の子」を「わたし」としてイエス自身と同一視できたのであり、同時に、マルコのように「人の子」をイエスとは別の人格であるかのように扱うこともできた。人の子は、イエスにあっては、「自分であって自分ではない」という不思議な霊性を有していたことになる。自分が求めていた人物が、実は自分のことであったことを発見するという「自己発見」は、『第一エノク書』にもその他の神話や伝説や物語にも見ることができる。
■イエスにある復活の命
〔「生まれ変わり」について〕
 「生まれ変わり」という日本語には二つの意味がある。例えば、ある少年がダライ・ラマの「生まれ変わり」だと言えば(そういう少年が実在する)、その少年がダライ・ラマと何らかの意味で<生き方が継続している>ことを意味する。ところが、日本語で「彼は自堕落な生活から<生まれ変わった>」と言えば、その人が、それまでとは<違う生き方>になったことを意味する。「生き方が」継続することと、「生き方が」変容すること、日本語の「生まれ変わり」に含まれるこれら二つの相反するかに見える意味の分かれ目はどこにあるのだろうか? それは、「生まれ変わる」本人が、まだ地上で<身体的に生存>しているかどうか?にかかわってくる。この世に生きている間に起こる「生まれ変わり」は、同じ人が、それ以前と以後では「違う生き方」の人になることを指す。これに対して、人の死後に起こる「生まれ変わり」は、その人の「生き方」が死後も受け継がれていることが重要である。
 人の死後に生じる「生まれ変わり」については、「不滅の魂」「輪廻転生」「地獄行き」「極楽浄土への成仏」など、様々な有り様が提示されているが、要するに死後の世界でも何らかの姿で存在し続ける状態を指している点で共通する。なお、宗教的な意味で言う「よみがえり」「生き返り」も、一度死んだその<同じ>人が、現在の世界にそのままの姿で戻ることである。ただし死後に生じるこれらの生まれ変わりの場合、人の状態が「死後も同じ」と言うのは必ずしも正しくない。地獄に落ちるにせよ、極楽に成仏するにせよ、人の死後の姿は、生前とは明らかに異なる性質を具えるからである。それでも、生前と死後とが<同一の人>であることが重要なことに変わりない。いわゆる「輪廻転生」思想においては、人間が様々な動物にも変身すると言われるが、その場合、変身前と後の人の同一性がどのような意味で「保たれる」のか、わたしにはよく分からない。ギリシア神話のキルケー伝説では、魔女キルケーによって獣の姿に変身させられた人間どもは、獣の姿になっても、以前の人間としての魂だけはなお保持し続けている。だからこそ、彼らは、みずからの悲惨をいっそう嘆き悲しむことになるのだろう。もっとも、イギリスの詩人ミルトンは、これをさらに徹底させて、キルケーによって変身させられた人間どもは、その魂までも失ってしまうから、自分たちが動物の姿であるそのことさえ気付かないところまで「堕落している」と述べている。
 これに対して、地上で生きている間に生じる「生まれ変わり」は、それまでとは異なる存在に<変化/変容する>ことを指す。しかし、この意味での「生まれ変わり」は、必ずしも宗教的あるいは霊的な意味でなくても、「あの人はこの頃<人が変わった>」という言い方に見るように、日常の世界で、ごく普通に生じる出来事として理解されている。だから、この場合の「生まれ変わり」に、霊的・宗教的な意味を読み取る必要は必ずしもないであろう。
〔「復活の命」とその意義〕
 人の前世と来世を「肉体の死」によって分けるところに生じる「生まれ変わり」の意味合いのこのような違いは、これをイエスの、と言うよりも新約聖書の「生まれ変わり」と比較してみると興味深いことが分かる。新約聖書で言う「生まれ変わり」は、基本的には、<生前にこの地上において>その人に生じる出来事である。これは父なる神の子イエス・キリストを通じて神から降る聖霊の働きによって初めて起こりうる出来事である。しかも、ここで生じる「生まれ変わり」は、その人の身体と霊性を含む全存在をそれ以前とは異なる存在へと「造り変える」事態を指しているから、これは、地上で起こるどのような「生まれ変わり」よりも大きく変容した性質を具えることを意味する。だから、プロテスタントでは、通常これを「生まれ変わり」とは呼ばず、「新たな誕生」を意味する「新生」と呼んでいる(英語では通常"a born again Christian" と言う)。
 新約聖書の「新生/生まれ変わり」は、日常の生活で起こる「人が変わったようになる」現象以上の変容を指している。ただし、新約聖書で言う「新生」と日常世界の「生まれ変わり」とは、単なる変容の程度の差以上に、さらに決定的な違いがある。新約聖書で言う「新生」では、イエス・キリストを信じることによって生じた人の霊性が、その人の肉体が失われたその後でも<永遠に遺り続ける>からである。だから新約聖書では、人の「生」と「死」の分かれ目は、その人の肉体の有無とは直接変わりがないことになる。だとすれば、人間存在を「魂」と「肉体」に二分して、たとえ肉体が滅んでも魂は永遠に生き続けるというインド・ヨーロッパ系の霊魂不滅説と変わらないように思われる。しかし、霊魂不滅説では、人の「滅性」(mortality)と「不滅性」(immortality)の分かれ目はその人の身体の消滅を境にして生じる。これに対して、新約聖書の言う「新生」とこれによって与えられる「命」は、すでに指摘したように、現在地上に生存している間に、その人の霊性において生じる出来事なのである。イエス・キリストを信じる時に、その人が現存している間に「始まる」この新たな命の誕生は、生前においてその人の身体に働きかけるだけでなく、身体の消滅以後も遺り続けて、「人類の終末」において初めて「完成する/成就する」。これが新約聖書の言う「(永遠の)命」である。
 だから新約聖書では、このような「生」と「死」の有り様の<身体の消滅後における継続>を「霊魂不滅」や「極楽への成仏」や「よみがえり」や「生まれ変わり」とは呼ばず、通常「復活」と呼んで区別している。先に指摘した身体の死を境にする「生まれ変わり」は、自然界で動植物に生じる「再生」と同じ意味でも用いられる。「年々歳々花相似たり」とあるように、自然界の「再生」では、その個体の季節ごとの消滅を通じて、春の巡りと共に新たな命が、その親と「同じような」姿をとって再生する。これに対して「復活の命」では、個人が消滅する以前にその人において起こるから、それは霊性の革新とでも言うべき変容を伴う。その変容は、個体において「始まった」時から、個体の身体の消滅とは関わりなく一貫して継続し、人類の最終段階の終末において「完成する」という独特の時間構成を採る。だから「再生」(英語の"regeneration")は、新約聖書の「復活」(英語の"resurrection)とは区別される。もっとも、『広辞苑』によれば、現在の日本語の「再生」は、「同じ姿で再び生じる」ことだけでなく、キリスト教の「復活」の変容を指す意味でも用いられるとある。これはおそらく明治以後に、キリスト教の影響を受けて加えられた意味であろう。
 実は、新約聖書でも、この独特の「新生」を表わすのに「再生」を意味する「パリ(再び)ゲネシア(生まれる)」が用いられている場合がある(マタイ19章28節/テトス3章5節)。おそらく、日本語の「再生」と同じく、ギリシア世界ではそれまで存在しなかった独特の「新生」を表わす的確なギリシア語がなかったからであろう。マタイ19章28節は「新しい世界になる」〔新共同訳〕/「新しい世界が生まれ」[フランシスコ会訳]と訳されていて、これはイエス・キリストが復活して聖霊が降臨し、教会の時代が始まった時のことで、世の終わりに成就するとある〔フランシスコ会訳聖書19章(注7)〕。テトス3章5節のほうは、カトリックの典礼では、「この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、<新たに造りかえる>洗いを通して実現したのです」と訳している〔カトリック典礼「主の洗礼」2016年1月10日号〕。ここで言う「洗い」(洗礼)はその人の死を象徴するから、ここを「再生の洗い」と訳せないこともないが〔フランシスコ会訳聖書〕、典礼では、テトス書のこの箇所をナザレのイエスが受けた「洗礼と聖霊降臨」の出来事と関連づけている。この関連づけの点でも、その際にイエスに臨んだ聖霊の働きを「新しく生まれさせる」「新しく造り変える」と訳している点でも、典礼のほうがより的確な解釈だと言えよう。なぜなら、ナザレのイエスが地上において体験した<聖霊によって新たに創造される復活の命>こそ、イエスがその霊性を通じて啓示した人類への新しい「命」の有り様だからである。共観福音書では、「命にいたる門」(マタイ7章14節)とあるように、イエスはこれを「命」と呼んでいるが、ヨハネ福音書のイエスは、これを「永遠の命」と言い表わしている。
 現在この世にあって生じる「生まれ変わり」でありながら、人に変容をもたらすその命(生き方)が、そのまま<肉体の死後も継続する>というのは、それまで人類に知られていなかった出来事である。イエスは、このような「命」の有り様を「水と霊による新たな生まれ」(ヨハネ3章3〜8節)による創造の業として啓示した。このような「命」に具わる霊性は、新約聖書のほかに存在しない。同じ物が死後に「再生」する存続の有り様を説く宗教とは異なるからである。イエスが人類にもたらした一度限りの歴史的な「復活の命」は、生前の霊的な死(洗礼によって象徴される)を境にして変容しながら、しかも人の身体の生前と死後を一貫する「生命」であるという<変容と同一性>の両面を具えている点で、イエス以前の諸宗教とは大きな違いがある。イエスに宿った命の霊性が、それ以前のユダヤ教(死後に地上の姿と同じに生まれ変わる信仰)をも含めて、それまでの人類の宗教に画期的な転機をもたらしたと言うのはこの意味である。
■「復活」の三大特徴
 以上をまとめると、先ず「イエスの復活」について、以下の三つの点を確認したい。
(1)最初期に伝えられた福音の本質は<ナザレのイエスの復活>にある。福音のすべてが<この出来事>に含まれていると言っても過言ではない。
(2)弟子たちがイエスの復活を信じることができたのは、イエスの顕現を初め、種々の復活体験に接したことによるものであるが、これらの顕現や体験は、<イエスがその生前に>、自分を含めて復活について語った言葉に基づいていると見るべきである。
(3)イエス自身のこのような復活信仰は、旧約聖書の時代からイエスにいたるまでの間、イスラエルに受け継がれてきた<復活あるいはよみがえり伝承>に基づいている。
 次にイエスの復活信仰の特徴として、以下の三つの点を指摘したい。
(1)イエスの人格的霊性の現われとしての<からだの復活>であること。
(2)ナザレのイエスという実在する歴史上の<個人の復活>であること。
(3)復活は歴史的な意味で<すでに起こった出来事>であること。
 次にイエスの復活信仰は、新約聖書において、次の三点を強調することにおいて、変容の過程をたどることになる。
(1)復活が、「からだ」の復活であると同時に霊的な復活であること。
(2)復活が、個人の復活であると同時に共同体的な復活であること。
(3)復活が、すでに起こった出来事であると同時に人類の終末において成就する出来事であること。
 「強調点の変容」と言うが、このことは、イエス自身が、復活に含まれる二重性を自覚して<いなかった>という意味ではない。そうではなく、復活が、「からだ」であると共に霊的な有り様であること、「人の子」とは、イエス個人にかかわるだけでなくイエスを信じるすべての人たちをも含む共同体的な意味をもつこと、そして「人の子」とは、イエス自身のことであると同時に、未来に顕われる人の子でもあること、このような復活の秘義を、イエスは、自分に授与された霊性によって覚知していたと思われる。
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