あとがき
 とにかく考える道筋だけはつけておこう。こう思って始めたこのシリーズである。前半は、生命の進化を追うことに終始したが、後半はホモ・レリギオースゥス論である。この二つがうまく結びつくかどうかさえもあやしかったが、どうにか、自分なりの道筋を見出した気がしている。とは言え、まだまだ未熟なのは百も承知である。後は、だれか、若手の人類学の専門家が、このホモ・レリギオースゥス論を受け継いで、これをさらに徹底させ発展させてくだされば本望である。人類の宗教的霊性の進化などという大それたことを考えたのも、要するに今の人間の歩みの中で、最も不鮮明で、分かりにくく、しかも世界の生々しい日常の現実に根ざしている問題はほかにないからである。その上、宗教学もキリスト教神学も、それなりの思惑なり計算なりに動かされて、この問題に真正面から向き合おうとはしない。ネットでの「ホモ・レリギオースゥス」も、わたしが追い求めた路線から逸れて、何か別のことを言うための証左程度にしか扱っていない。進化論と宗教、人種差別と進化論など、この問題にまとわりつく過去の欧米のなくもがなのしがらみから、わたしたちはいまだ解放されていないようだ。せめてアジアのキリスト教徒だけでも、これからのアジアのキリスト教と人類の歩みに目を留めて、この大事な問題から目をそらすことなく、どこまでも真理を真の意味で学問的に追究していただきたい。こう思う。事はわたしたち人類の生存に関わるのだから。
2016年4月23日 京都嵯峨にて    私市元宏    
                宗教する人へ