説教すること コイノニア京都集会
(2022年9月) 私は、これまで、自分が信じる真実を何処までもごまかさないで語るよう心がけてきました。物事の真実は、難しく、時には怖いです。真実は隠されています。人が言わない隠れた真実を知ると、怒りがこみ上げてきます。だから、つい大声を出してしまいます。これは自分の弱さで、主様の御臨在から出たものではありません。年寄りとは言え、自分でも許しがたいです。大事なのは、真実を知った後で、それをありのまま受け容れて赦す心です。これが私にはまだ足りません。私の不徳のいたすところで、改めて深くお詫びいたします。
真実を知るのは、知った真実を受け容れて赦すためです。とりわけ、韓国の宗教のように、宗教問題には、いろんな事が隠れています。それと気づいたら、無性に腹が立つこともありますが、宗教は、その人にかけがえのない大切なものですから、他者の宗教を赦す心構えがなによりも大事です。特に、相手がキリスト教徒の場合は、赦す覚悟が絶対に必要です。これは、御霊のお働きによらなければできません。私は、この点で、まだまだ修行が足りません。
この間、和宏と、関西で有名な村上先生の教会に出席してきました。そこで学んだことは、「いいお説教」がなによりも大事だということです。私も反省を込めて、これからは、自分の想いをそのままに語ったり、学問的な内容を説き明かしたりはしません。その代わり、牧師さんが、教会の人たちのためにする「お説教」に見習って、「五分間説教」を語ることにします。ただし、「いい説教」は、「語る」ための訓練が要りますから、体力を要します。だから、説教を朗読させていただきます。幸いにして、まだ書くことができますから、自分に与えられている御霊にある真実のほうは、著述を通して伝えたいと思います。
五分間説教集