赤い人民主義と白い民主主義
        コイノニア京都集会(2023年2月25日)
 今回は、5分を超えて10分になりそうです。年寄りの身勝手に免じてご容赦ください。
■赤い人民主義と白い民主主義
 2022年11月28日(?)の夕刻から夜にかけて、北京のある公園で、大勢の若者が白紙を掲げて集まり、現政権の「自由なきゼロ・コロナ対策」を批判しました。白紙に何か書かれていれば、逮捕される理由になりますが、書かれていなければ、警官たちは、黙って若者たちの抗議を見ているだけです。共産党の「赤い独裁政権」に向けて、「白い自由」を叫ぶ若者たち。真っ赤な人民主義と真っ白な民主主義。人民主義と民主主義の違いをこれほどみごとに現わす出来事を見るのは初めてです。
  日本人は、民主主義と人民主義との違いに気づいていません。「自由のない人民主義」か?個性を発揮する「自由の民主主義」か?この二つは、かつて東西ベルリンの壁となって人々を隔てました。自由は「自分に由る」ことですから、自分は「赤」なのか、「白」なのかが問われます。どちらでもないなら、ガールフレンドと遊んでいる「ピンク」の若者です。
■「自由」のイデオロギー化
  大事なのは、「自由」が、まことの平和を実現する共同体をつくる「一人ひとりの個性」を育てることです。独裁権力に反抗する「自由」でも、それが人の思惑(おもわく)によって理論化され、観念的なイデオロギーに化して絶対視されると、体制に敵対する「自由」の「正義論」が、過激な「知の暴力」となります。そうなると、内部分裂したり、破壊的な暴力に変じる危険が生じます。例えば、現在、反トランプを唱えるアメリカ人たちが、白人への反体制的なイデオロギーに走ると、分裂を引き起こしてアメリカ社会を崩壊させる危険があります。人文学にせよ、自然学にせよ、「知よ、おごるなかれ!」です。
■人の知恵
 たとえ「正義」と言えども、「人間の知恵」や「人の思惑」から生じる「正義感」は、これを絶対化すると危険です。ウクライナでは僅差で親欧米のゼレンスキーが選挙に勝ち、ベラルーシでは僅差で親ロシアのルカシェンコが選ばれた。同じデモクラシーでも、結果は正反対です。私がこのように言うのは、同じロシアの隣国である今の日本が、アメリカの尻馬に乗っかって、プーチンを侮辱したり、ロシアを敵視するのは危険だからです。ウクライナで失敗したら、プーチンの恨みは、今度は極東へ向けられ、日本の北方領土へ侵攻するかもしれません。その上、日本が、中国への敵対行為を重ねるなら、危険はさらに増大します。人は、「正義」を唱えても、「謙虚」さを失うと大きな誤りを犯す危険があります。
人知を超える神の知恵
 イザヤやエレミヤは、南ユダ王国の王たちに向けて、武力を誇る大国に敵対するのは危険だと警告しました。イエス様の時代のユダヤのゼロータイ(熱心党)は、ローマの権力に反抗して過激化し、ユダヤ戦争を引き起こし、ユダヤの滅亡を招きました。その結果、1948年に今のイスラエルが誕生するまで、二千年近くも、ユダヤ人は国を持たない悲哀を味わったのです。日本も、今の政情でロシアや中国を敵に回すのは危険です。今日本は、独裁権力をただ敵視するだけでなく、国同士の平和のために、相手の国の民主化を図り、その国の民にも安全な生活を与える政策を実施することです。
 大事なのは、イエス様の十字架の赦しの絶大なお力です。御霊にある「個性の自由な発揮」こそ、民主主義の基本です。イエス様は、パレスチナのガリラヤの村々町々で、「悪霊を追い出し病気を癒やして」、一人ひとりに「ほんとうの自由」を実体験させて、大自然を創られた神の御業を証(あか)しされました。これが「真(まこと)の民主主義」です。日本の平和を守り、親子兄弟姉妹の家庭を作り、家庭内の個性を育てる。イエス様のこういう御霊のお働きが、今、アジアで最も必要です。
【補遺】三反四親
             五分間説教集