御霊の赦しと謙虚な祈り
     (2023年2月10日)
   交野(かたの)の私市町の近くにある郡津の村上一族が指導する教会堂の礼拝に出席して学んだこと。それは、教会堂を建てるほんとうの力と秘訣は、イエス・キリストの<赦しの御霊にある力と知恵と愛>のお働きにあることです。これのみが、異言を伴う御霊が働く教会堂をアジアに広げる真(まこと)の神のお働きです。御霊のお赦しにひたすら謙虚になること。かつてパレスチナの地上を歩まれたあのナザレのイエス様の御前に、ひたすらへりくだり、謙虚になって祈り求めることです。これこそ、二千年来、キリスト教の修道者たちが行なってきたことであり、今も、主に用いられている聖霊に満たされた人たちが実践していることです。主様の御前に祈る。これが、イエス・キリストの御霊にあるパワーを引き出す最大で最重要な秘訣です。ひたすら謙虚になって無念無想にされ、ナザレのイエス様からの十字架の赦しの御霊のお働きを受け容れてください。謙虚な無心は、十字架の赦しの通路です。十字架の恩寵の光に照らされると、人間のもろもろの罪の性(さが)が、これを支える人知もろともに相対化されます。その相対性も、絶対恩寵のパワーの働きで、陽光を浴びて溶け去る淡雪(あわゆき)のように消えます。ナザレのイエス様から発する赦しの御霊の絶大なパワーは、人類の命の源です。異言・預言の賜が活かされるためには、穏やかに注意深く語ることが求められます。偽物でなく、本物を目指すこと。これが三位一体の神の御意志(みこころ)です。 三位一体の神のお働きとその力が、どのようなものかは、マタイ5章43〜48節とルカ6章27〜36節と同12章22〜32節で、イエス様の御言葉として明らかに語られています。なお、「国家と教会」の関係で言えは、教会(キリストのエクレシア)が国家権力の座に座ることがあってはなりませんが、教会は、国家権力が魔性を帯びるのを防ぐために、絶えず国権に働きかけ、国権が神の御心に沿うようにこれを支える必要があります。「御心が天において行なわれるように地にも行なわれますように」という主の祈りは、このことを言い表わしています。
             五分間説教集