「イエス様の御霊の風よ、どうか(この身に)そよいでください!」このように祈り続けるなら、やがて、人知れず祈らされる時に訪れる不思議な「独りリバイバル」が生じます。「独りリバイバル」は、その独自性も含みますから、御霊のお働きの内容にも及びます。「独りリバイバル」から、何が始まるでしょうか。
アズベリーのリバイバル(the Asbury Revival)のきっかけになった牧師の説教は、その牧師自身が「完全な失敗だった」と見なすものでした。事ほどさように、人の思惑(おもわく)に左右されない、不思議な主様の風のそよぎが生じたのです。そこで語られるモットーは、「ひたすら謙虚にされること(Radical humility)です。・・・・・アズベリーのリバイバルは、24歳ほどの女性を始め5人ほどの学生らのチームによって、これにいたる2週間にわたる集会が重ねられていました。彼女たちは、空いている倉庫で何度もミーティングを重ね、深く祈り、人の思惑(おもわく)ではなく、主イエスから与えられる知恵にのみ依り頼み、一人ずつ挙手をして発言し、全員の一致をもって物事が決められていたのです。・・・・・(それなのに)この2週間にアズベリーを訪れた5万人のうちの誰一人、彼女たちの名前や顔を知らないのです。・・・・・リバイバルが始まってからは、アズベリー大学、神学校、そして町の人たちは、徹底的なへりくだりをもって聖霊の声に耳を傾け、事前の準備もないままに、ただ主に目を向け、名声を求めず、ただ聖霊のみが働くためのスペースを用意し続けました。」〔ストラッサー眞美(Mami Strasser)(台湾出でアズベリー神学校卒・アメリカ在住)「アズベリーにおける御霊の注ぎ」『船の右側』(2023年4月号)8〜9頁〕。アズベリーでは、「イエス様のほかに有名人は要らない」(No celebrities except Jesus)のです〔前掲書〕。
これが真(まこと)の御霊にある民主主義です。独りリバイバルは、どうすれば、人々のリバイバルへ広がるでしょうか?これに応えるのもイエス様の十字架の罪の赦しが発する「御霊の風のそよぎ」です(次の項目「イエス様の風がそよぎ始めるまで」も参照してください)。ひたすら「風よ、そよいでください」と祈る。それだけです。主の風のそよぎを受けて、自然にあるがまま語り行う人が目指すのは、「ドミニックは、朝から晩まで、ただ善い神様のことしか口にしなかった」と歌の文句にある生き方です。
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