メディア・リテラシー
牧師さんたちとの祈り会(2023年9月8日)
「メディア」とは、新聞・雑誌とラジオ・テレビとSNS(ネット情報)とを総合した言い方です。「メディア・リテラシー」とは、このメディアを読み解く能力のことです。「リテラシー」は、文字を読む能力のことですから、現在ほとんどの日本人は、これを具えています。しかし、メディアを読み解く能力は、まだ極めて貧弱です。お送りした「AIの本質を探る」は、新聞記事ですが、これの内容を理解した上で、評論するためではありません。この新聞記事は一つの出来事です。内容が嘘であれどうであれ、目の前にある<現実の出来事>です。この出来事をあなたはどう読み解きますか?これが、わたしの聴きたいことです。わたしは、この出来事を以下の四つの視点で読み取っています。
(1)ここには大事なことが抜けています。それは「ギリシア思想」です。「ギリシア」の文字はどこに見当たりません。これでは「キリスト教」が全く意味を持たなくなります。メディア・リテラシーで大事なのは、なにを言うかではなく、なにを言わないかなのです。メディア・リテラシーの最も難しいところが、この「言わない」問題です。
(2)書いた人は、キリスト教とギリシア思想との関係を知らないのでしょうか?それとも、知っていながら業(わざ)と「言わない」のでしょうか?前者なら無知。後者なら本心を隠した不誠実です。メディア・リテラシーで大事なのは、語る人が、「本心から語っているかどうか?」です。
(3)では、「私たちクリスチャン」のほうは、こういう過ちを犯さないでしょうか? ここで、私たちが常時行っている「聖書解釈」が重要な役割を果たします。信仰のために、聖書から「ほんとうのこと」を学び取るのが、聖書解釈の意義ですから。メディア・リテラシーの能力は、「聖書解釈」によって鍛えられるのです。
(4)今後AIが発達すると、もっともらしい反キリスト教の言説が出回ることが予想されます。これに対抗して、AIを利用したキリスト教擁護論(クリスチャン・アポロジー)を展開することも大事です。しかし、「ああ言えば、こう言う」の言葉の投げ合いだけでは、この国にキリスト教が広まるとは思えません。キリスト教の「イデオロぎー的な理念化」では、分裂と議論ばかりで、人の心を救うことはできません。ここで、ほんとうに「ものを言う」のは、イエス様の御霊による「現実に働くパワー」です。これを伴う「愛と謙虚な知性」こそ、AI対策への「決め手」です。
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