「ハーヤー」すること
           コイノニア京都集会(2023年10月29日)

 出典: 「ヘブライ語の広がり」(最終回):『船の右側』(2023年10月号)。
水垣渉(1935年生まれ。元京都大学文学部キリスト教学科主任教授。
     日本キリスト改革滋賀摂理教会)。

  ヘブライ語の「ハーヤー」は、「成る/起こる/ある」の意味です(創世記1章2~3節)。とりわけ、「誰かにハーヤーする」という言い方をしますから、その人は、「ハーヤーされる者」(筆者)になります。出エジプト記3章14節で、神はモーセに、「わたしは『わたしはある』という者である」(2017年新改訳聖書)とご自分の名前をモーセに告げます。"I am who I am"[NRSV].聖書協会訳では「私はいる、という者である」。七十人訳のギリシア語では「エゴー・エイミ・ホ・オーン」です。
  ヨハネ福音書では、イエスが、自分を指して、「エゴー・エイミ」(私はある/居る)と告げます。ギリシア語で「~である」と言えば、「存在する」ことですから、欧米を中心に、一般的に「神は存在する」という意味に理解されています。だから、「オントロギア」(存在論)と言われます。「神は存在するか」というギリシア思想に根ざすこの思考様式は、科学的な証拠(エヴィデンス)を求める論理のほうに道を開くことになります。
  京大キリスト教学科の有賀鐵太郎先生(1899--1977)は、「ハーヤー」とは、「ある」だけでなく、神に「あらしめられる」ことによって、その結果「ある」というのが正しい理解だと指摘しました。先生は、先の出エジプト記の名前を「私は、有らしめられて有る者」と訳しました。これが「ハヤトロギア」(臨在論)です。「神は臨在するか」と、神の<働き>のほうに目を向けるこの体験様式は、現実に生起する「出来事」に目を開くものです。
 創世記で、神は「光よ、ハーヤーせよ」と言われます。だから、これは、単に「光が存在する」ことだけでなく、「光を存在させている者(神ご自身)がそこにある/居る/働く」ことをも含んでいます。「神は存在するよ」と言われたら、「あ、そう」で済みますが、「神様が居るよ」と言われたら、「え、どこに?」となります。ハヤトロギアから見れば、出来事の「こと」は、神の「言」(こと)であり、そこに神ご自身が「ある/居る」ことです。だから、イエス様は、今も「働いている」お方です。私たち一人ひとりが、自分で「実体験させられている」出来事に目覚めさせられるのが臨在論で、これは御霊のお働きです。「ハーヤーする」神の御霊の御臨在に身も心も思考も委ねきると、その心は「空(くう)」を生じ、そこに不思議な「命(いのち)」が働きますから、「空即生命 命即生行」 (空はすなわち命を生じ 命はすなわち行を生じる)です。

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