自然と不自然のトランス・ジェンダー
       (2024年4月12日)
(1)能登半島地震は、そこに住む人たちに甚大な損害をもたらしました。ところが、多くの人たちは、自分が住むその土地から離れがたい思いを抱いています。能登の地震こそが、能登半島を地上に造り出した働きそのものだからです。大地震は、そもそも、日本列島を成り立たせたプレート同士の移動によって発生するものだからです。噴火がなければ富士山はできない。人間にとって、自然がもたらす天災と天惠は、表裏を成しています。
(2)自然と不自然の関係も同様です。かつてネズミは卵生でしたが、ある時から胎生に転じました。ネズミにしてみれば、驚くべき不自然が生じたのです。ところが、自然は、そこに生じる「不自然」をも「自然化する」働きを持っています。だから、今では、ネズミの胎生はごく自然です。これに似た事は、人類の進化(evolution)の過程で、幾度も繰り返されてきました。これは、必ずしも「進歩」(progress)とは呼べません。核兵器の開発は、人類の「進化」の過程に含まれるかもしれませんが、これを人類の「進歩」とは呼べません。
(3)LGBTのジェンダー問題への賛否両論も同様の複雑さを具えています。それが「自然に」生じる現象であるのならば、たとえ「不自然」に思われても、当事者たちには避けがたいことですから、彼らの存在そのものを頭から否定するのは、当事者たちへの人権侵害になります。従来の「自然な」人間性から発生したこの「不自然」に、どう対処すべきなのか?この悩ましい課題に対する答えは、「自然」が生み出した「不自然」は、必ず自然それ自体によって、自ずから「自然化される」ことです。性同一現象の発生には、そうさせる自然に、何らか目的が潜んでいるに違いありません。ホモ・サピエンスは、地球上では現在が満杯状態だから、これ以上増えないための自然の配慮かもしれないのです。
(4) トランスジェンダーの人は、一般の自然な状態にある人からは「不自然」に見えます。しかし、夫婦や親子兄弟などの家族関係が正常で、家族愛が自然な人は、LGBTに陥ることがないと言われています。さらに言えば、家族愛に恵まれた人たちは、その自然な愛の有り様を拡大発展させることで、トランスジェンダーの人をも受け容れることができるようになります。神による「ハーヤー」を生きる人は、いわゆる不自然を自然化することができるからです。これを「許しの営み」と言います。自然な人の営みが、不自然とも想われる人の有り様を「受け容れる」ことができるのならば、逆に、今度はトランスジェンダーの人もまた、自分とは異なる一般の人の「家族愛」を美しいと思うようになりましょう。このようにして、自然が生み出す不自然をも「自然化」する人の営みを「許し合い」と言います。既成の自然観を原理化してLGBTを「不自然」だと攻撃する。逆に、自分には「自然な不自然」を盾に、一般の自然観に「挑戦する」、あるいは「宣戦布告」する。これでは、人間同士の「許し合い」による自然化への営みは阻害されます。
(5)夫婦が一つ心になるなら、「性同一」の人を見ても、自分たちの自然な愛情を発展させることで、その不自然をも自然化することができます。家族、夫婦の自然な愛情こそが、「不自然」とも想える性質を具える人に接して、その不自然を自然化する方向へ働く力を発揮するからです。神が創造した自然は、その自然から生じるあらゆる不自然をも自然化する働きを有するからです。
(6)同性愛が文献的に確認できるのは、ギリシアの女性詩人サッポー(前6世紀頃)からですから、たかだか二千五/六百年前からです。人類の男女別の人類学的な歴史は何百万年も前からですから、同性愛はごく最近始まったばかりです。人類が、「自然に生じた」その「不自然」を完全に「自然化する」までには、まだかなりの時期を要するかもしれません。それまでは、相互の「許し合い」が必要です。
【付記】本日(2024年4月13日)の午後1時からのNHK2チャンネルのテレビ放送で、日本基督教団の川和(かわわ)教会の平良愛香(たいらあいか)牧師のメッセージを見聞きする機会を得ました。彼は、キリスト教の牧師平良修(たいらおさむ)の息子で、性同一のいわゆる「ゲイ」です。 平良愛香牧師は、 1968年生まれで、沖縄出身です。自分がゲイであることを両親に告白し、さらに、母に励まされて、日本基督教団の牧師になるまでの苦労を語り、教会の牧師として、LGBTの人たちへの理解を求めるメッセージを語ってくださいました。 
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