東アジアのキリスト教化に向けて
                      京都コイノニア会(2025年1月26日
 『船の右側』(2025年1月号)に、「世界宣教の現状と日本の教会の役割」(篠原基章)と「ペンテコステの原点に立ち返る」(天野弘昌)と、二つの重要な記事がでています。
 「世界宣教」のほうには、現在、世界のキリスト教徒の割合が、全体の30%ほどだとあります。問題は、その分布状態です。ヨーロッパと北アメリカを併せて21%ほど、アフリカが40%ほど、アジアが18%ほど、南アメリカと中南米を併せて22%ほどです。2020年の世界の宗教別では、キリスト教が32%強で、イスラム教が24%強、ヒンズー教(インド)が13%強、アジアの仏教が6.8%、世界全体の無神論その他が23%ほどです。
 ここで一つ、大事なことが抜けています。それは、世界の総人口で、現在、およそ80億と言われています。その80億は、どこに居るのかと言えば、圧倒的にアジアが多い。中国だけで14億以上、インドだけで14億5千万、インドネシアがおよそ3億、日本その他を合わせると、世界の総人口の半分がアジアです。
 ところが、キリスト教徒の割合は、アジアでは、わずか18%です。1億2千万の日本の人口のキリスト教徒は、0.5%です。世界的に見ると、圧倒的に人口が多いアジアで、キリスト教徒の数が圧倒的に少ないのです。しかも、アジアでは、仏教とイスラム教とヒンズー教と儒教とキリスト教と、それ以外の土着のもろもろの諸宗教とが混在していますが、渾然一体ではありません。このことから、21世紀以降の世界の宗教では、キリスト教がアジアに向かって広がるのが見えてきます。
 では、アジアにキリスト教が広まればそれでいいのかと言えば、そこにも問題があります。アフリカは、世界のクリスチャンの40%も居るのに、アフリカの国々は、「グローバルサウス」と称されてレベルが低いのです。アフリカや中南米のキリスト教の信仰理解が「浅い」からです。だから、「ペンテコステの原点に立ち返る」では、21世紀のキリスト教の宣教では、ただ宗教として広めるだけではあまり意味がありません。一人ひとりの信仰に深さがないからです。必要なのは何か? 「ペンテコステの原点」は、これを英語で”discipleship”と言い表しています。日本語で言えば、「師の衣鉢を継ぐ」です。師と同じ衣(ころも)を着て、同じ容れ物の鉢を手に持って、師に見倣って修行の行脚をすることです。だから、大切なのは、イエス様の「ほんものの弟子になる」ことです。イエス様から信仰の「奥義を授かった」深い理解の「愛弟子」になることです。
 言うまでもなく、こういうキリスト教は、欧米の白人のキリスト教に反するもの(アンチ・ホワイト)ではありません。非白人の「ノン・ホワイト」でもありません。そうではなく、これからは、アジアにおいて、「ポスト・ホワイト」(脱白人)のキリスト教の時代が始まるのです。イエス様の十字架の愛と罪の赦しの御霊のお働きには、ものすごい力が秘められていますから、これから、白人の世界をも含めて、「脱白人」(ポスト・ホワイト)のキリスト教の時代が来ることが予想されます。
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