霊的な憂国の士を求む
                  (2025年2月20日)
 過日は、ご著書をお送りいただき有り難うございました。
 Xさんのものを読んでいると、今日本でおおきな話題になっているメディアとSNSとの関係を思わせます。大手の新聞やテレビの報道は、現在のもろもろの出来事について、これぞ真実で正しい判断であると言わんばかりに報道していますが、心ある者の目には、「言わないこと」「言えないこと」「知らないこと」「分からないこと」の「四ない」を巧みにはぐらかしているのが見えてきて、 「メディア」ならぬ「魔ディア」に想えてきます。政治権力や財界に操られたいわゆる、おおやけの「正統な」見解の危うさを日々感じさせられ、そのことに気づいている個人個人が、それぞれに発する自己流のSNS(Social Net System)のほうが、「ほんとう」であり、「真実」だという見解が現在この国で(大手のメディアを脅かす)おおきな話題になっています。
 もちろん、メディアとキリスト教界とでは、事情が全く異なります。しかし、現在の日本で、正統のキリスト教を流布している出版でも、意図的に「言わない」こと、とりわけ、「確かなことが分からない」ままに、憶測や、欧米の学説の受け売りや、独断で済ませながら、あたかもこれが「まことの」説であり、信仰の「正しい」有り様だと自認する向きが絶えません。
 Xさんの著作のように、公に広く公認された正統派ではなく、どちらかと言えば、表には出てこない諸説は、「公式」ぶった解釈や学説に対して、正統メディアに対抗するSNSにも相当する役割を担っていると言えましょう。Xさんの拠り所とする資料は、種々ありますが、それらの諸説の根底には、親キリスト教と反キリスト教の両方を含めて、その背後には、イスラエルだけでなく欧米やその他の「ユダヤ系の」学者や知識人の見解が大きく影響しているのではないか。読みながらそう思えます。
 現在、多くの大手のキリスト教会が唱えて教えている聖書とキリスト教を大手の「正統メディア」だとすれば、さしずめ、わたしやあなたのような信条は、不特定の人たちに向けられたSNSの部類に入るのだろうと思います。このことは、SNSと既存のメディアのどちらが正しいのか?と言うような問題提起ではありません。SNSが既存のメディアを「変革させる」ところにその真の意義があることを知らなければなりません。何か今までにない語らいと歩みがこれからのキリスト教界で起こる。こういう出来事を予感させる預言的性格を備えているのがご著書です。
 とりわけ、『厩戸皇子』は興味深く、賛同するところ大です。「ヨルダン川の東岸にいたエフライムとマナセの両部族が、モンゴロイドの遊牧民であった」という説は、初めて知りました。三韓征伐と応神天皇、聖徳太子の仏教導入などは、任那が日本府であったことがおおきな原因のひとつであることが、『任那と伽耶』という小冊子にも出ています。
 「蘇我稲目」(そがのいなめ)が仏教の受け入れを主張し、「物部尾輿」(もののべのおこし)は反対し、両氏の対立が、それぞれの子である蘇我馬子と「物部守屋」(もののべのもりや)に受け継がれます。そして587年(用明天皇2年)、蘇我馬子は物部守屋を殺害(丁未の乱[ていびのらん])。この戦いには、13歳の聖徳太子も蘇我軍の一員として参戦しています。用明天皇の后が額田部の皇女で推古天皇になります。実は、馬子は、この頃(7世紀)に、旧物部の領地を天王の后(額田部の皇女)に献上しています。このために、その献上されたかなり広い領地が、「妃(きさき)領」となり、そこに住む者たちがが、敏達天皇の時に、「私市(きさい)部」と呼ばれたこと(597年)が『日本書紀』にでています。現在の枚方から交野線の終点である「私市」(きさいち)の由来です。
 「桓武天皇の母は、百済(くだら)系渡来人の血統である「高野新笠」(たかのにいがさ)(〜790年)で、彼女は、高山寺を建てる詔を発した光仁天皇の妃です。高野新笠は百済王の子孫とされている人物で、始めて日本に漢字を伝えた和仁などの渡来人が、私市の地の民として住んでいました。 平安京を建てた桓武天皇自身も私市で育ち、彼は「百済王等は朕が外戚なり」と発言していたと伝えられており、それまでの天皇とは異なる血統であることを、強く自覚していたことが分かります。
 ところで、Xさんの『禅と景教』などを読んでいると、聖書と禅の経典からの教えの言葉とが、ほとんど交互に現れて、とりわけ『禅宗と景教』を通じて、「新約聖書の禅的霊読」という独特の聖書理解を見る思いがして、大変興味深く感じました。
 仏教とキリスト教という、二つの高嶺の山を眺めるその有り様から、空海の仏教世界や道元の『正法眼蔵』の世界を垣間見る思いがします。実を言うと、現在の日本では、科学的無神論と宗教的有神論、仏教とキリスト教、神道とキリスト教、あるいは世俗の呪術的な宗教とキリスト教のように、二つを眺める立場の人たちが非常に多いことを実感しています。「高嶺の双山を眺める」のは、興味深く面白いからでしょう。
 ただし、そこには、意外な落とし穴が併存することをも知っておく必要がありそうです。「高嶺の双山を眺める」ためには、それなりに「離れた位置」からしか眺めることができません。しかも、二つの高嶺をほどよい地点から眺める場合、その高嶺と自分の位置とが形成する二等辺三角形の一角に立てば、そこから動くとその三角形が崩れますから、もはやそこから動くことができなくなります。つまり、それ以外の見方ができなくなる恐れがあるのです。彼は、どちらの山にも「登る」ことができませんから、「双山同時展望」からは、どちらの山の「頂上からの展望」も見えてこないのです。あえて言わせていただくならば、Xさん個人の奥の深い霊性が、今ひとつ見えてこないのです。「知的に」どちらとも言えないもどかしさを覚えると言えば、言い過ぎでしょうか。卍と十字架のどちらでもない、ぼんやりした世界だけが、映し出されてくる気がします。せっかく、禅と聖書を読み込んだのに、もったいない。そんな気がするのですが、これが、二つを見比べる現在の日本人に共通する問題点であることを常々思わされる理由です。
 あえて苦言を呈するならば、こういう「知的霊性」の深さと奥行きに達するためには、二つの方向が考えられます。一つは、徹底的に宗教学的に、禅とキリスト教とを学問的に攻究することで、自分なりの知的な世界を明確に霊想するほうほうです。ですが、これは、大変な学問的な仕事で、詳細を究めるのは至難の業です。もう一つの霊知探求の道は、禅宗にせよ、基督教にせよ、特定の仏典にせよ、聖書にせよ、「一つの道」に的を絞って、奥深く霊知を働かせて、その世界を探求する方法です。わたしは、基督信者ですから、Xさんに、イエス・キリストの御名を唱えながら、祈りと探求一筋に、聖書が証しするイエス様からの「啓示」を受けることをおすすめします。
 思い切って、どちらかの山に登り詰めて、その頂上に達した時に初めて、えも言われない素晴らしい展望が拓けてきます。さらに、もう一つの山が、その頂上までも身近に見えますから、「こんな山だったのか」と、改めて、もう一方の山への理解が深まることにもなります。このためには、自分の知力と知的な営みから、「一まず離れて」、ひたすら、祈りを通じイエスの御名を呼び求める信仰が与える霊的な働きかけに「自分の言葉(理性/知性)と自分の体」を任せきり委ねきるならば、さらに奥の深い歴史の啓示に与ることにつながると思うのです。
 『禅宗と景教』を読んで、空海の伝えた仏教の世界と非常に近いのではないかと思いました。空海は仏教を優先させているのは明らかです。仏教とキリスト教を「融合する」と言う場合、両方を「混ぜ合わせる」ことでは成り立ちません。両方から「超越する」ことが求められるからです。その超越が成り立つためにはは、一方が他方を「吸収する」という仕方でしか生まれません。空海の場合は、仏教を通じて、これに景教(の聖書の世界)が入り込んでいると言えます。私が、あえてこのように言うのは、空海の仏教導入が、「護国仏像仏教」であり、国家神護の性格が強いことです。それゆえに、平安京の朝廷と平安京の指導者たちは、積極的に空海仏教を吸収したのです。
 言うまでもなく、この事態は、空海の深い仏教理解に基づくものですが、そこには、当時の唐が、当時の「日本」から見て、遙かに優れた政治と経済と文化を有していた背景があります。明治維新に、日本が、「基督教」に門戸を開いたのは、当時の欧米諸国が、日本より遙かに優れた文化と制度を具えていたことと軌を一(いつ)にします。
 現在の日本は、新たな宗教的価値観を国是とすることで、アジア諸国において、優れた高度の宗教文化を具える国になることで、新たな「アジア・キリスト教圏」が成立するという世界の「救済史」の展開を期待することができます。そういう新しい宗教的国是を形成する道はと言えば、私は基督信者ですから、空海の場合とは逆に、キリスト教を軸にして仏教を吸収することによって、統合を果たした宗教的な価値観によって、新らたな日本の国是が成し遂げられると信じます。こういう視野に立つ聖書理解に基づく「新しいキリスト教」の世界観を受け容れることで、「東アジアキリスト教圏の成立」が国是となることが、これからの日本に求められている使命であると私は確信しています。どうか主が、新たな憂国の士をこの国にお与えくださるように。こう祈ります。その上で、こういう新しい視野を啓いてくれたご著書の贈呈を改めて感謝申し上げます。
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