7章 民の個性を活かす国
        
パンデミックから見えること        
            横浜聖霊キリスト教会(2021年4月18日)
 前回は、イエス様を信じる人に初めて、まことの「個人」が与えられると指摘しました。その上で「答えの見えない」出来事の中から、異言を伴う祈りを通じて、人それぞれに与えられる個性を発揮する使命が、イエス様から与えられると証ししました。また、日本のクリスチャンが、個性を発揮することは、「お国のため」にもなるとも言いました。今回は、この「お国のためになる教会」の問題を扱います。
■官意下達型
【官意強制の中国】今回は、パンデミックの中で、「官」(政府)と「民」(国民)との関係に注目して語ります。先ずあげられるのは、国家権力を握る政府が主導する「官意強制型」の国です。中国がその典型でしょう。現在の中国は、AIの最新技術を利用して、何億もの国民一人一人を国家が一元的に管理する方策をとろうとしています。そこでは、「個人の自由」は無視されます。コロナ対策でも、個人が自分で自由に選ぶことは許されません。個人は、国家による命令に従わなければならないからです。これによって、コロナが抑えられていますが、これと表裏をなして、ウイグル自治区や香港やチベットでは、個人の自由が侵害されています。
【官意無策のブラジル】「官意強制型」の中国と対照的なのは、「官意無策型」のブラジルです。そこでは、政府は、一切何もしてくれません。だから、コロナは野放しに流行しています。裕福な金持ち階級は、コロナから守られている(?)ようですが、貧民街は放任されて、コロナに怯えています。だから、現在、ブラジルから、変異ウイルスが、世界中に広がろうとしています。
■民意尊重型
 昨年(2020年)のアメリカでは、トランプ政権が、経済を優先するあまり、一切を民意に委ねる「民意尊重」で、コロナ放任の政策を採りました。個人の自由を重視するアメリカ国民も、当初はこれを歓迎(?)して、マスク着用も休業も、個人の勝手次第でした。逆にマスクを着用したと言って殴られた人も居たそうです。このため、現在でも、アメリカは、コロナの感染率が世界一です。ただし、バイデン政権になって改められて、現在は、マスクの着用が増加しています。これが、アメリカ型の民意尊重の実態です。
■官民協力型
 今度は、独特の仕方で、官と民とが協力し合う場合です。2021年2月15日現在、日本でもようやくコロナのワクチンが「到着した」という知らせをテレビが伝えています。ところが、イスラエルでは、医療関係者はもとより、高齢者へのワクチン摂取が、現在すでに終わっていて、若者への摂取が始まるところだと報道されています。まもなく、イスラエルの全国民へのワクチン接種が終わるそうです。一体、この驚くべき速さはどのようにして起こったのでしょうか?
 聞けば、イスラエルのネタニヤフ首相は、アメリカのファイザー社の社長に十何回も電話して、ワクチンが出来たら、まずイスラエルに、少し安い値段で、優先して売って欲しい。その代わり、イスラエル国民は、ワクチンの効果の実験台になってもいいと申し入れたそうです。日本では、副作用が出るとテレビで騒ぎ立てている時にです。驚くべきは、イスラエルでは、ワクチンのリスクにおいて、政府が国民の同意を得ていることです!イスラエルの国民は、どうしてこれほど<政府を信頼する>のでしょうか?日本とイスラエルとのこの大きな違いはどこから生じているのでしょうか?それは、イスラエルの政府が、ワクチン接種を申し入れる際に、そのワクチンの情報を徹底して収集していたからです。イスラエル政府は、あえてリスクを採ると同時に、そのようなリスクを採るために、詳しい情報を入手する方法も知っていたのです。言い換えれば、イスラエルの医学者たちは、政府と協力して、国民のために、あえてリスクを採ることができるほどの情報を得ていたのです。「リスクと情報」、この二つが、<何もしないでただ怖がる>日本の民と、<なにもできないでただ言い訳する>日本の政府と、イスラエルとの大きな格差を生んだのです。官と民と学が、互いに信頼し合って協力する。この体勢がなければ、コロナのような<未知の危機>を無事に素早く乗り越えることができません。イスラエル政府の指導力は、相互信頼に基づく官民学の三位一体から出ています。
  台湾のコロナ対策に目を向けてみましょう。台湾では、コロナ流行を初期段階で抑えることに成功しました。台湾では、民間と行政と医学とが協力することができました。コロナ流行の当初、行政は、風通しがよいから地下鉄でのマスクは不要だと説明していました。しかし、民のほうは、マスクを着け続けたのです。行政が(中国のやったように)権威的な指示を出していたら、こういう民間主導はできなかったでしょう〔『朝日新聞』(2021年1月14日)「台湾にみる官民のあり方:民主主義を傷めずコロナ抑止に成功:信頼と強調が基礎」台湾デジタル担当政務委員(閣僚)唐鳳(タンフォン)1981年生まれ。IT業界から民間登用で閣僚へ〕。台湾では、「勝てないなら一緒にやろう」という考え方があります。「たとえダメでも失敗でも、みんな一緒にやったのなら後悔しない」のです。台湾のこの手法は、中国の手法とは異なります。
■仏(ほとけ)様政策の日本
  では、日本はどうでしょうか?2020年の第一波のコロナ対策では、日本は、政府による規制によることなく、民の自発性によって驚くべき効果を上げて、世界を驚かせました。医学の専門家が、きちんと意見を言い、それを聞いた人々が自粛したからです。こういう「自粛要請」は、中国などから「ホトケ様政策」だと云われました。
 ところが、コロナの第二波では、医学の専門家の会議が、政府が指名した「審議会」に変わり、政権主導の「忖度(そんたく)会議」になりました。その結果、「Go to Travel]政策が出されました。しかし、経済政策とコロナ対策との両方がうまく噛み合わなかったために、第二波では、大失敗で、日本の感染者は、現在(2021年4月)50万です! 経済政策をやる時にはしっかりとやる。コロナ対策をやる時には徹底させる。このやり方は、それぞれの対策の「タイミング」が絶妙なほど適切でなければなりません。コロナへの対策がうまくいかなかったのは、専門家と官との意見の一致が欠けていたからです。官は民に自粛を要請する一方で、Go To Travel キャンペーンで、経済活動を促すという矛盾した方策を行なった。その際に、自粛要請もキャンペーンも、将来の見通しを立てることなく、その場しのぎで実行したために、大事な「タイミング」を誤ったのです。
民から官への提言
  私の見るところ、日本では、
(1)専門家の助言と官の方策とが、うまく噛み合わなかったようです。政治的な判断は、全く予想できない未来に向かっても出さなければなりません。だから、科学的な方法でも判断の難しいことを、政府は、あえて判断しなければならないのです。
(2)ところで、民のほうは、政府に「どうするのか?」と質問と要求ばかりを続けてきました。自分たちの側は、どうしてほしいのか? あるいはどう対処したいのか?こういう具体的な細かい点まで民のほうから提言するのを避けたのです。テレビを見ても、新聞を読んでも、「政府の対応の仕方」「政府の無策}「政府の判断」、そればかりが聞こえてきて、いったい、それぞれの地方の市町村は、具体的に何をしたいのか?そのために、なにを必要としているのか? これがさっぱり見えてこないのです。「オール・ジャパン」の全国規模の対策ばかり政府に要求しても、それぞれの地域の現状に合う政策が出てこないのは当然です。東京と大阪の知事だけが例外でした。この二人の知事の発言が、私にはとても大切に聞こえました。台湾と日本の違いがこれです。
(3)メディアは、数字を詳細に報告しました。また、政府に対して適切な方策を採るように細かい点まで促し続けました。いろいろと具体的な数字をきめ細かく知らせてくれましたが、地方の実情を把握した報道は少なかったようです。
  結果として、第一波は、民の自粛が功を奏して、驚くべき成功をおさめました。第二波での政策の時期的な失敗にもかかわらず、第三波では、Go To を一時改めて、2021年3月の現在で、感染を終息させることに成功しています。これらは「驚くべきこと」ではありません。ほんとうに「驚くべき」なのは、日本の民が、きわめてすぐれていて、官の意向を受けながらも、自主的に各自が判断し自粛して行動するという見識と良心を示していることのほうです。
 現在の日本では、今後起こるであろう様々な未解決の課題について、官ではなく、民からの自主的な判断と行動が、解決へのほんとうの糸口になります。映画監督の原一男は、次のように述べています。「(民の個人が)政府や権力が何かしてくれるだろうと、ただただ、諾々(だくだく)と従っても何も変わらない。結局、民衆一人ひとりの主体性が問われている」〔「ふつうの人を撮る理由」映画監督 原一男(1945年生まれ)『朝日新聞』(2021年2月17日)〕。いざとなったら、「マニュアルなし、権限なし、担当者たちの個人芸が頼り、。手探りの連続です。・・・・・現場に神宿る。電話だけの(お役所の)確認作業では役に立たず、現場に行って初めて決められることがあった。・・・・・指揮権は下に移譲する」ことです〔『朝日新聞』2021年6月16日「危機に弱い政府」原真人〕。大切なのは、「官民学の三位一体の協力関係」です。
■民の個性を活かす国
  聖書は、人類を襲う危機として、剣と飢えと疫病と天災の四つをあげています。私は、その中で、先の世界大戦と東日本大震災とパンデミックの三つを目撃しました。今、最も深く感じることは、どの三つの場合でも、日本の民は、驚くほど勇敢で、それらの危機に心を込めて対処したことです。
 東日本では、最後まで原子炉に留まり続けて災害と闘った「福島の英雄50人」を始め、地震と津波と放射能の三重被害の中で、堪え忍んで家族と生活を守り抜き、その上、故郷の再興を諦めずに今も戦い続ける人たちがいます。「みんなのために」自分にしかできない個性を発揮する人たちです。パンデミックでも、日本の民は、驚くほどの自主性を発揮して、感染拡大とコロナの終息に努めています。わたしたちは、このような人たちに働く神の人類への深い「恩寵の霊性」を見る想いがします。
 翻って、これら三つの危機に際して、日本の指導者たちは、民の勤勉努力と誠実に比べて、あまりにも上から目線で、無為無策であるばかりか、適切な政策も対応も採ることがなかったと観ぜざるをえません。命じる国側の無力さと無思慮、命じられる民の賢明さと誠実な努力、三つの大危機を通じて、官と民との、この対照が、浮き彫りにされている感があります。だから、民の提言と民の対処の仕方を官のほうが汲んで民の意向を政策に反映させるほうが、適切な政策が実行されると思わざるをえません。官から民へではなく、神の恵みに支えられた民から、官へ向けての「官民協力」こそ、これからの日本が目指すべき道です。このために、民が個性を活かして、積極的に提言することがとても大事です。 民の要望に応えてこれを助けることをラテン語で"minister"と言います。これが英語のminister(大臣)です。民意を汲む官が、民意に支えられて、民意を助ける方式を採ることが大事だからです。
■教会の使命 
  最近(2020年〜21年)になって、核の保有国を取り囲むように、核兵器をなくそうという運動が数多くの小国から広がり、国際的な核禁止条例が発行されました。唯一の核兵器の被害を受けた国でありながら、日本政府はこれに加入していません。それでも、政府がそっぽを向いている間に、広島と長崎の原爆体験者たちを中心に、個人の日本人によって、原水爆の禁止を訴える運動が、忍耐強く続けられました。単なる政権批判や反政府活動ではない。人類の良心に訴えるという、もっとも遠回りの方法で、アメリカを含む各国に訴え続けたのです。これら、個人の力が、不思議にも、75年経った今になって、ようやく実を結んできたのです。核大国は、今、自分たちを取り囲む「人類の声」を無視できないところへ来ています。いわゆる反政府、反権力運動ではない。権力者と政府への個人個人による忍耐強い「働きかけ」こそが、最も遠いやり方で、最も効果的な力を発揮しているのです。「急がば回れ」です。
 地球温暖化対策でも同じです。学者たちの個人的な警告とこれに動かされた個人の働きが、スウェーデンの少女までを動かして、今、二酸化炭素禁止条例となって世界の国々を巻き込んでいます。福島の原発事故からの復興についても同じです。福島の復興は、政府の復興援助が切り札にはなっていません。被害地域の個人個人が、今、100年先、200年先を見通して動き始めています。
 私たちのクリスチャンは、人類の歴史を通じて、やがて訪れるであろうイエス様の神の国を目指しています。教会の組織力も大事ですが、世界の国々を神の国へ変えるのは、組織の力ではない。ほんとうに日本やその他の国の人を動かす力は、マザー・テレサやキング牧師、最近ではアフガニスタンで殉教した中村さんや、現在中国に銅像が建っている唯一の日本人など、個人個人の働きです。急がば回れです。地上の国を神の国に少しでも近づけるのは、その国の民が、自分に与えられた個性を発揮して、自分の使命を成し遂げていく、これが唯一の正しいやり方です。自分にそんな生き方ができるのか?自分にそんな使命が果たせるのか?「人にはできません。しかし、神にはできる。神は、あらゆる場合に、何でもできる」(マルコ)10章27節)。これが、イエス様が、私たちに与えてくださる「罪の赦しの恩寵」であり、その働きに与るわたしたちへの「恩寵の霊操」です。「真理と命の道である<私は居る>」(ヨハネ14章6節)です。「私は居る」(エゴー・エイミ)と語りかける御臨在の働きです。福祉に携わる人の多いこの横浜教会は、「お国のために」、大事な使命を帯びているのです。ある人たちは、こう言うかもしれません。「キリスト教の教会なのに、お国のために貢献するのか?」と。言うことが逆です。「イエス・キリストの民だからこそ、今のこの時に、日本のために貢献できるのです」。私が皆さんに語っている個性を発揮する民は、恩寵の霊操に活かされているイエス・キリストの民だからこそ、可能なのです。キリストの民こそ、今の日本にとって、まことの希望です。これが、この横浜聖霊キリスト教会の存在価値(レーゾンデートル)です。
【注】「レーゾンデートル」はフランス語の「レーゾン・ド・エートル」(raison d'etre)からで、「存在する理由/根拠」を意味し、日本語では「存在価値」と訳されています。
【補遺】『朝日新聞』(2021年4月23日号)に、神里達博(かみさとたつひろ)〔1967年生まれ/千葉大学大学院・科学技術史専門〕が、「国家を合理的に使い倒せ」と題して、世界的なパンデミックから1年以上も経過して、台湾を始め、膨大な感染に襲われた英米でさえも、ワクチンで、とにかくコロナを押さえ込むことに成功しgむ人々の幸福を増やすために『国家という仕組み』を合理的に使い倒すことが、まさに死活的に重要だ」と説いています。私(私市)に言わせれば「民が国家を使いこなす」と言うべきです。
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