5章 三位一体と個人
                      
三位一体の霊智
 三位一体では、全人類の歴史を貫く「父なる神」と、その御子である一人の個人「イエス・キリスト」と、この二つのペルソナの間には、天と地上との間に介在する人知で計り知ることのできない「次元的な」隔たりがあります。また、歴史のナザレ人イエスと、復活したイエス・キリストから降る聖霊の働きとの間にも、私たちの想いを超える不思議な時間的な隔たりがあります。言い換えると、三者の交わり(communion)の有り様には、人知を超える神秘が潜んでいることが分かります。三位一体の「神」における三者の「愛にある自由な交わり」は、このように人知では理解できない「永遠の昔から隠されてきた秘義」(コロサイ1章26節)です。ただし、この「秘義」(ギリシア語「ミュステーリオン」)は、単なる「謎」や「秘密」のことではなく、秘義であることが「人に顕される」というなんとも不思議な秘義なのです(エフェソ1章9節/コロサイ1章26節)。 パウロは、こういう「秘義」のことを「ユダヤ人がイエス様を信じないで、代わりに異邦人が信じる」という不思議な出来事として語っています(ローマ11章33〜34節)。
 ところが、この三位一体の神同士の交わりに私たちも加わることできて、そこに働く「愛と自由」に与ることができるのです(第一ヨハネ1章3節)。三位一体の交わりにあっては、天地創造の昔から今に到るまでを支配しておられる父なる神の霊智が働いています。その霊智は、神の御子であり、一人の人間でもあるイエス・キリスト個人のうちにも宿りました。そうすることで、神の霊智は、今度は、イエスの御霊を宿す私たち個人個人においても働くようになるのです。
 だから、三位一体の神のお働きに与る私たちは、自己勝手な判断と選択、自己中心の言動を慎んで、「信仰によって頭なるキリストにしっかり結びつく」(コロサイ2章19節)ことが何よりも大事です。これによって初めて、「私たちも互いに愛し合い、相互の交わりを保つことが可能になる」からです。「キリストと共にある」(コロサイ1章12〜13節)ことから生まれる自由とは、こういう自由のことです。
■霊智の個人と使命
私たちは、コロサイ人への手紙の三位一体から「霊智」の大切なことを学びました。
(1)この霊智は「神秘」と結びつく霊智ですから、「知」は「未知」と表裏を成しているのです。
(2)三位一体から発する霊智は、ナザレのイエス様という「個人」に宿りました。この個人は、「人の子」と呼ばれています。「人の子」は、イエス様お一人を指すと同時に(マタイ3章20節/同11章19節)、人類全体に広がる共同体にもなります(マタイ12章8節/同13章41節/同16章28節)。
(3)霊智が個人に働く時に初めて、「個人の自由」が生まれます。この個人の自由は、「未知なること」に向かう時に発揮されますから、「選びの自由」を生じます。結婚・離婚や就職の時などの「選びの自由」です。だから、この「自由」には危険(リスク)が伴います。「選びの自由」は、選ぶリスクと選ばないリスクを含めて、様々なリスクを計量して、その比率を判断する理性の働きと関連します。
(4)個人の「選びの自由」は、これを「実践する」ことが求められます。ここで、その個人への「使命」が生じます。「〜からの自由」(free from...)から「〜への自由」(free to...)へと、自由から使命が生じるのです。これをしない自由は、なまけた「暇(ひま)な自由」です。暇をもてあます自由は悪を誘います。「小人怠惰にして不正を行なう」とあるとおりです。 
■個人の自由と使命
 21世紀の現在、従来の資本主義と民主主義の社会が、世界規模で混迷を深めています。この時にあたり、神は、この日本で、新しい社会と国家を作り出すための御業を初めておられるのです。それは、あらゆる分野で、<まことの文化を創り出す個性>を具えたキリストの民を育てることです。日本人のクリスチャンの善いところは、宗教的に寛容なこと、その信仰が合理的なことです。反対に、悪いところは、用心深すぎて、個人の発信能力が低いことです。
 このように、現在の日本のあらゆる分野で、それぞれの仕事において、実を結ぶ御業を産み出す個性を具えた「キリストの民」を育てること、これが、コイノニア会(この教会)ほんらいの使命です。コイノニア会(この教会)の一人一人には、「個人の自由」が保証されています。このことは、それぞれの独自の分野で、主イエス・キリストから使命が与えられていることを意味します。その使命が発信するメッセージは次のことです。
(1)主のみ名を呼び求める者は、誰でも必ず救われます(ローマ10章9節/13〜15節)。信じた者には、
(2)主からその個人に使命が与えられます。
(3)その使命を全うするための生活が与えられます(マタイ6章31〜33節)、
(4)その家族が護られます(使徒16章31節)。
(5)日本人一人一人が、このように主に導かれるなら、この国は必ず護られます。
 「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も、あなたの国も救われる」のです。どうか、あなた自身の使命を全うするために、全身全霊を傾けて、主イエス・キリストの導きに信託してください。そして、深谷先生を助けて、横浜聖霊キリスト教会を育てるために、皆さん一日一人が、「こういうイエス様」を人々に証しする使命を果たしてください。
■祈る自由
 最後に「祈る自由」についてです。私たち主にあるクリスチャンは、ただ自分の欲求から出る「願い事」ではなく、宇宙と人類の歴史を見通す父の神と、旧新約聖書が証しするイエス・キリストと、現在自分が置かれている状況と、この三つが重なり合う中で、三位一体の神からの判断を祈り求めることです。異言で祈る人は、こういう未知の出来事へ向かうことのできる人です。祝祷の祈りがこれです。「願わくは、父なる神の御愛、御子イエス・キリストの御恵み、聖霊の親しき御交わり、私たちと共にありますように。アーメン。」

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