三位一体と聖霊について
ヨハネ福音書15章26節は、三位一体の聖霊について、後の教会に大きな影響を与えました。三位一体の神観が形成される先駆けとなるのが、テルトゥリアヌスの三位一体観です。彼に始まる三位一体論は、父の神がキリストの上に位置すると説いたアレイオスなどの異端論を排除するという過程を経て、ニカイア会議において公式に認められました。そこでは、御父と御子とが同一の本質「ホモウーシオス」(同一本質)の者であると定義されています。しかし、ニカイア会議でもカルケドン会議でも聖霊の位置づけはまだはっきりしていませんでした。これが公式に認められるのは、トレドでの公会議(複数)においてです。第三回トレド教会会議(589年)は、西ゴート族の王レカレドによって召集されました。王は、アレイオス主義からカトリックの正統信仰へと導かれ、カトリックの教会に受け入れられた人です。三位一体は、御父→御子→聖霊のように、救済史の流れに沿って啓示されますが、この啓示の結果を逆方向から見ると、三位一体は同心円の形をとることになります。東方教会の信条は、このような同心円的な発想から生まれていて、ヨハネ福音書15章26節に基づいて「聖霊は<御父から>発出し御子を通じて授与される」とされています。
これに対し、三位一体を時間軸においてではなく、これを存在論的な構造として見ると、三角形で現わされることになります。そこでは、三つの位格(ヒュポスタシス/ペルソナ)が明確に認められ、三者の交わり(コイノニア)が形成されています。この三位一体論は、西方教会で、アンブロシウス(四世紀)と、彼から学んだアウグスティヌスに始まります。第三回トレド教会会議(589年)では、「御父と御子から(a Patre et a Filio)発出する聖霊」と定義されました。ところがこれが、第六回トレド教会会議(638年)では、「御父と御子<と>から(de Patre Filioque)発出する聖霊」と言い換えられたのです。いわゆる「フィリオクェ」問題がこれです。こうして西方のラテン教会は、東方教会(現在のロシア教会)と一線を画すことになりました。ここでは聖霊は、御父と御子との交わりそのものを形成するのです。
最近の動きとしては、ロシア正教会とカトリック教会との間で、フィリオクェ問題は、「御父からの聖霊の発出」あるいは「御子を<通じて>(dia)の聖霊の発出」として、聖霊は、御父からのみであるという方向へ収斂しつつあるようです。このような過程を経て、「御父のみからの聖霊の発出は、教義としての真理であって、ヨハネ福音書15章26節とニカイア・コンスタンティノープル信条に基づいていて、教父の根本原則において確認されている」〔ルーカス・フィッシャー編『神の霊・キリストの霊』一麦出版社(原書は1981年)〕と定義されるようになってきました。
以下は第六回トレド教会会議(638年)の信条からの抜粋です。
「神である御子は神である御父に由来し、神である御父は神である御子に由来するのではなく、御子の御父は御子に由来する神ではあられない。御子は御父の御子、御父に由来する神であられ、すべてを通じて御父と共に等しい方、真の神からの真の神であられる。だが、聖霊は生まれたものでも造られたものでもなく、御父と御子とから (de Patre Filioque)発出された方、双方の御霊であられる。これを通して、御父と御子は実体的に一つであられる。双方からひとりの方が発出するからである。このい大なる三位の内には、実体の一性が存在する。」
〔小高毅編『原典古代キリスト教思想史』3ラテン教父〕
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