福音書の真正性
マタイ16章のペトロの告白から
■イエスの発言の真正性
 まずマタイ16章17〜19節の「わたしの教会」を含むイエスの言葉が、はたしてイエス自身の口から出た言葉かどうか?というその真正性(authenticity)から考察をはじめたいと思います。「エクレーシア」(教会)は、四福音書で2回しかでてきませんから、17〜19節は、イエス復活以後に、マタイの教会が、ペトロの使徒的な優位性を支持する目的で加えた編集であると見なされるのも理解できます。この部分がイエスの真正の発言であることを否定する理由は、例えば以下の通りです〔新共同訳『新約聖書注解』(T)110〜111頁〕。
(1)「エクレーシア」(教会)がでてくるのは、四福音書ではマタイ福音書の2回だけであるから、「教会」はイエスの関心事ではなかった。
(2)イエスは差し迫った終末観を抱いていたから、自分の死後に教会が誕生し拡大することを予想していなかった。それゆえに、「教会」はイエスの口からでたものではない。
(3)イエスは、ペトロが、自分に預けられた鍵によって地上で権威を行使する時代が来るとは考えていなかった。それゆえ、17〜19節は、後期の教会で、ペトロの優位性が確立した頃の見解を反映している。
(4)イエスはクムランやファリサイ派のように特定の宗団を形成する意図があったか疑わしい。したがって、「教会」を口にすることはなかった。
(5)ペトロの「生ける神の子」告白も、教会が「陰府の力に勝つ」ことも、イエス復活以後の教会の信仰から出た発言である。
(6)「つなぐ」「解く」という発言は、イエス時代のユダヤ教のラビが、律法に基づく法的判断を指す用語であり、イエスがこれを用いたとは考えられない。だからイエスの「教会」発言は、イエス復活以後の教会の伝承である(ヨハネ20章23節参照)。
(7)17節の「(あなたに)あらわした」は、パウロのガラテヤ1章15節の「あらわした」と同じ用語であり、パウロは、復活以後の教会の「ペトロの岩」伝承を知っていて、ペトロの優越性に対抗しようとしている。したがって、イエスの「教会」発言は、パウロ時代の教会の創出による発言である。
 以上は、イエス以後の教会のペトロへの復活顕現物語が、生前のイエスの記述として織り込まれたと推定される理由です。言い換えると、ここでのイエスの言葉の真正性を否定する根拠です。イエスの「教会」発言の史的信憑性を否定するこれらの見解を見ると、そこに二つの前提条件を洞察することができます。
(1)文献的あるいは歴史的な視点から見ると、イエスの発言は、イエスの復活信仰成立<以後の>キリスト教会の発言あるいは見解と一致する。だから、この発言は、在世当時のイエスにさかのぼるものではない(1)(5)(6)(7)。
(2)イエスがその在世当時にこのような発言したとは考えられないから、発言は復活信仰以後の教会の発言にほかならない(2)(3)(4)。
 では、否定の理由(1)について考察してみましょう。文献的、歴史的な見地から、イエスの発言がイエス以後のキリスト教会の発言と一致するというのはその通りです。この事実は、学問的な裏付けによって確認することができますから、これを無視したり否定したりすることができません。しかし、このように学問的に裏付けられた事実から<導き出される結論>のほうには問題があります。イエス以後の教会の見解と聖書が証しするイエスの発言が一致することが、イエス自身がその発言を「しなかった」と判断する根拠には<ならない>からです。
 理由(1)で、ペトロによるイエスへの信仰告白とイエスによるペトロへの祝福が、復活信仰成立以後の教会の発言と一致するからと言って、どうしてその一致が、イエス自身にさかのぼるものでは<ない>と結論する根拠になるのか? ペトロの発言とこれへのイエスの祝福は、生前のイエスとペトロの間で交わされた出来事である。<だからこそ>後の教会は、この出来事を重視して、使徒たちの間でペトロの優位性を継承し保持した。このように結論することがなぜ<できない>のか? 理由(5)にいたっては、事実認定それ自体に問題/誤りがあります。「陰府の門」「天国の鍵」などは、復活信仰成立以後の教会の用語とは見なされ<ない>からです。事実は逆で、パレスチナでのイエス自身の発言と見なすほうが適切であり、それゆえに、マタイ福音書の資料として保持されてきた。このように見なすほうがより適切です。理由(6)は、イエスの頃のラビが用いた用語であるから、イエスがこのような用語を用いたと考えることができないと結論します。この前提と結論は、全く逆です。イエスの在世当時にラビたちが用いた用語であれば、当然イエスもこのような言い方をした。こう結論するほうが学問的な推論としてはるかに適切ではないでしょうか。イエスとラビたちは対立関係にあった。<だから>イエスはこのような用語を用いた<はずがない>という推論であれば、その推論それ自体が全くおかしいと言わなければなりません。なぜなら、その前提から、全く逆の結論を推論することもできるからです。
 このように、理由(1)も理由(2)も、学問的に見て、その根拠が薄弱だと言うことが分かります。なぜなら、(2)では、前提となるイエスの終末観が学問的に正しいとしても、それゆえに、教会の拡大をイエスが期待して<いなかった>などと推論する理由はどこもないからです。全く逆に、イエスは、自分が地上から去った後も、イエスの運動が継続することを期待しただけでなく予知していたと考えるほうが、はるかに蓋然性が高いからです。
 理由(3)と(4)にいたっては、在世当時のイエスに対する事実認定それ自体に誤りがあります。イエスはペトロたちが自分の運動を引き継ぐことを期待<しなかった>のか? あるいは、イエスは自分なりの共同体を形成しようとは<しなかった>のか? 生前のイエスの運動を正しく洞察するなら、これらとは逆の推論のほうがはるかに適切です。
 以上のことから、ここで二つの問題が問われてくることが分かります。
〔A〕イエスの復活信仰成立以後に書かれた福音書のテキストを文献的にあるいは歴史的に正しく解明し、その結果得られた事実を確認すること。
〔B〕これらの事実確認をよりどころにして、生前のイエスの出来事を推論し洞察すること。この二つです。
 〔A〕の事実認定は学問的に可能です。しかし、注意しなければならないのは、〔A〕の事実認定から〔B〕の生前のイエスの出来事を推論し洞察するためには、学問的な方法論が未だ十分とは言えないことです。だから、わたしの見解をも含めて、ペトロの告白とこれに対するイエスの祝福を、イエス生前の出来事として認める立場を支持する説は、概(おおむ)ね、〔A〕のほうではなく、〔B〕のほうに、真正性を<否定する説を否定する>根拠を見出しています。
■非継承的な編集
 ここで前項で考察したことをもう少し考えてみることにします。わたしは、福音書の証言が、イエスの復活信仰成立以後の教会の発言と一致するからと言って、そのことから、福音書の証言がイエスにさかのぼるものではないと推論したり結論づけたりするのは誤りだと指摘しました。福音書はイエスの復活信仰成立以後の教会によって編集されたり執筆されたりしたものです。もしも、教会の編集が復活信仰以後であるがゆえに、生前のイエスの出来事にさかのぼるものでは<ない>と推論したり結論したりできるのなら、そこに一つ前提しなければならないことがあります。それは、後の教会が、生前のイエスの出来事をそのまま忠実に伝えようと意図しているのでは<なくて>、教会それ自体が置かれている歴史的な事情に左右されて、教会のその時の事情によって伝承や資料を<編集し直している>という前提です。このような前提は、編集者が、伝えられた過去からの伝承をそのまま忠実に保持しようとしているのでなく、自分たちの置かれた状況、これを「生活の視座」と言いますが、この「生活の視座」に左右され、この見地から執筆や編集を行なっているという見方です。このような編集の仕方は、伝えられた伝承を変更したり訂正したり、場合によっては正反対の方向に書き直したり、さらには、実際のイエスの出来事とは無関係に、事実そのものを「創出する」こと、言わば架空の出来事を創作することを意味します。このような場合、その編集を過去から伝えられた伝承から見て<非継承的な編集>と呼ぶことができます。だから、ペトロの告白とイエスの教会発言の真正性を否定する説は、後の教会の編集の<非継承性>を主張していることが分かります。
■継承的な編集
 イエスによる「わたしの教会」発言の歴史的な信憑性を否定する説に対して、このような否定に反論するW・D・デイヴィスとD・C・アリスンの説があります〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)612〜615頁〕。
(1)両人は、まずマタイ16章17〜18節が、教会による編集であることを認めています。その上で、「エクレーシア」は、例えばほんらいアラム語「ケニスター」、あるいは例えばヘブライ語の「ヤハッド」や「ハ・カーハール」ではなかったかと推測しています。その上で、イエスが終末的なイスラエルの回復を期待して<いなかった>と見なすことなどとうていできないと考えるのです。イエスが「人の手で造られない別の神殿を建てる」(マルコ14章58節)ことを考えていたとすれば、それは何らかの終末的な共同体の誕生を予期していたことを意味するからです。
(2)イエスが共同体の形成を意図しなかったという説に対して、両人は次のように反論します。洗礼者ヨハネは、明らかに「すべての民に開かれていて」しかも終末において最後まで忠実な「残りの者」の共同体が形成されることを意図していたと考えられます。第二イザヤ書では、この「残りの者」こそが真のイスラエルですが、イエスの伝道活動も同様の路線をたどったと推論することができます。イエスの悔い改めと信仰への呼びかけは、終末に向けてのイスラエルの復興と裁きに関連しているからです。特にイエスの伝道が、反対と拒否に出遭ったことから、「残りの者」の存在が期待され、イエスがそのような共同体に言及したことは十分ありえることです。
(3)イエスが、共同体の形成を未来のこととしてペトロに託したとは考えられないから、イエスの発言は復活信仰成立以後の教会によるという説に対して。なぜ「建てよう」という未来形をそのように厳密に解釈するのか? ほんらいの意味は、「今からわたしはペトロという岩の上に教会を建てることにする」だと解釈することがなぜできないのか? エレミアスは、ここをそのように解釈しているのは正当である。
(4)もしもペトロへの発言が、後の教会での彼の優位性を主張するものだとすれば、最初期の教会において、ペトロがそのような位置を占めていた形跡が見あたらないのはなぜか? マタイ福音書のテキストを正しく読むなら、そこにペトロの絶対的な優位や支配が授与されたという含みを読み取ることはできない。デイヴィスとアリスンは、ここでペトロに託されたのは、主としてペトロと弟子たちの宣教活動に関してであろうと推測しています(この点でカトリックの解釈と異なる)。したがって、イエスが、教会における最重要の地位をペトロに約束したのではないものの、彼が最初期の教会で重要視されたのは、逆に考えれば、イエスによる何らかの発言があったことを裏付けていると言えます。
 このように推論して、彼らは次のように結んでいます。「マタイ16章17〜18節について言えば、学界の海に確かな島など存在しない。マタイ16章17〜18節がイエスにさかのぼるとためらいなく言い切ることはできない。しかし、これが主から出たことを否定する多くの論もそれほど説得力があるとは言えず、むしろそれとは逆のほうに重心が傾く点がある。マタイ16章17〜18節には、フィリポ・カイサリアでの出来事の最終結果が含まれている<可能性があり>、ここのテキストは、イエスの生き方を垣間見せる重要な見方を与えてくれる<可能性がある>」〔デイヴィス『マタイ福音書』(2)615頁〕。
 以上の見解から分かるように、信憑性を支持する説も、学問的な見地から見てこの部分が編集によることを認めています。その上で、この編集が、ここのテキストがイエスにさかのぼるものでは<ない>と、その信憑性を否定する根拠になり得るのか? と学問的な事実認定から引き出される推論の仕方それ自体に疑義を呈しているのです。言い換えると、学問的な事実認定から、その事実に基づいて、テキストの信憑性を否定するその<立論の仕方それ自体>に反論しているのです。信憑性を支持する側の人たちは、編集それ自体に対してではなく、その編集が、イエスにさかのぼるものでは<ない>とする立論の方法に疑義を呈しているのですから、この人たちは、編集がイエスの出来事にさかのぼり得ること、言い換えると、編集が、イエスの出来事を、たとえそのままではないまでも、何らかの仕方で受け継いでいると考えていることが分かります。このような場合、その編集は、それが指し示す出来事を継承していることになりますから、これを「継承的な編集」と呼ぶことができます。
 これは一つの例ですが、同様の反論は最近になって多く見られるようになりました〔フランス『マタイ福音書』614頁〕。そこに共通する課題は、学問的な事実認定については、どちら側も一致しているものの、その編集の仕方がこれの源である伝承と継承的な関係にあるのか、それとも非継承的な関係なのか? この点で分かれているのが洞察できます。言い換えるなら、聖書のテキスト編集についての学問的な事実認定から、その元の伝承へとさかのぼることができるのか、それともほんらいの伝承から切り離された内容へと変化しているのか、この点について見解が異なるのです。この場合、「学問的には」そのどちらの可能性もありえますから、継承か非継承かを「学問的に」判別する方法は、現在の段階ではまだその方法論が確立していないことが見えてきます。これが、編集の継承性をめぐって賛否両論が生じてくる原因なのです。
■教皇の『ナザレのイエス』
 ここで現在の教皇であるヨゼフ・ラッツィンガーの『ナザレのイエス』(里野泰昭訳:春秋社:2008年)をめぐる講演(2009年)を採りあげることにします。この講演集は、『史的イエスと「ナザレのイエス」』(上智大学キリスト教文化研究所編:リトン社:2010年)という題で出版されたもので、教皇ベネディクト16世著『ナザレのイエス』に関する五つの講演を集めたものです。司会は小林稔氏で、佐藤研、岩島忠彦、里野泰昭、増田祐志、田中仁の諸氏の講演集です。佐藤氏はプロテスタント系の方で、他の5名はカトリック系の方でしょう。
 まずラッツィンガーの『ナザレのイエス』から始めます。彼はその著書の序文で、聖書の批判的・歴史的研究は、福音書の諸伝承や資料によってイエスの姿を再構成しようと試みてきたが、結果は相互に矛盾する対立的なものに終わり、イエス像にたいする不信の念が増大して、イエスの姿そのものがますます遠のいてしまったと述べています〔『ナザレのイエス』2頁〕。彼は「ナザレのイエスの歴史的な実像についての信頼のおける視座は、批判的・歴史的方法による学問的な研究によってはほとんど達せられないか、不十分にしか達することができない」というシュナッケンブルクの言葉を引用しています〔前掲書3頁〕。その理由として、批判的・歴史的な方法が本質的に自らを超えるものに向けられているからであると指摘して、人間の言葉というものは、それが発せられたその瞬間において、当のその人に意識されていた以上の意味合いを含んでいることを念頭に置く必要があると述べています〔前掲書11頁〕。したがって著者は「福音書のイエスを真のイエス、ほんらいの意味での『歴史のイエス』として描くことを試みた」のです。
 里野氏は訳者として『ナザレのイエス』を紹介しながら、『史的イエスと「ナザレのイエス」』において、ラッツィンガーが、聖書の学問的な研究において批判的・歴史的な方法が不可欠であることを確認していると指摘します。しかし、歴史的根拠を前提にしながら、それは福音書の信仰の視点によって超えられなければならないと著者(ラッツィンガー)は考えていると述べています。イエスは聖書(旧約聖書)の精神的、宗教的な伝統の中心に立っており、この視点からイエスを見る時、「歴史のイエス」に新たな現実性が与えられると里野氏は言うのです。イエスには神が働いており、このためユダヤ人はイエスのこのような神的な権威に躓いた。なぜなら、イエスは、ユダヤ人から見れば、神を僭称する者として、神の律法に重大な挑戦を行なったと見なされたからです〔小林稔編前掲書105頁〕。里野氏は福音史家の歴史的な「記憶」は「聖霊」によって深められており、ヨハネ福音書が「聖霊による福音書」であるとは、速記的な歴史記録ではないとしても、歴史の「記憶」を基盤としていると著者が述べていることを指摘しています。里野氏によれば、キリスト教の信仰は啓示の歴史性を無視することができないから、その意味で「歴史のイエス」が大事であるが、それは、「信仰のキリスト」の歴史的な根拠の探求という意味であって、人間イエスについて、イエス伝的な勝手な想像を展開することではないと言うのです。
 増田氏も確信的意図(偏見)をもって編集された福音書から、客観的・中立的な史的イエスの姿を復元しようとしても、結局は「分からない」との結論になるだけでなく、それは「信仰のキリスト」へ導くものではないと述べています〔小林稔前掲書134頁〕。ただし増田氏は、ラッツィンガーが他宗教を強く否定していることを指して、神道・仏教・儒教の霊性が強い日本では、500年前に到来したキリスト教の絶対性を主張しても、日本人の苦笑を招くだけだと批判します〔前掲書146頁〕。
 川中氏は、ラッツィンガーがマルコ8章29節(及びこれとの並行箇所)でのペトロの「メシア告白」を、復活以前のイエスの出来事に置いている点を指摘します(『ナザレのイエス』366〜385頁参照)。しかし川中氏は、ペトロの信仰告白それ自体の歴史性をも問題にしなければならないとして、告白が文学的虚構であるという可能性を全面的に排除することができるか?と問いかけます。なぜなら、十字架で刑死したイエスの復活体験があって初めて、「メシア=キリスト」としてのイエスが真に理解されたからだと言うのです。
 以上、『ナザレのイエス』の内容とその問題点を見てきましたので、ここで、「歴史的批判に基づく」史的イエス観を見ることにします。佐藤氏は、自分の福音書解釈が、史的イエスを徹頭徹尾「人間」として見るものであると述べて、イエスに神性を認めないこの立場は「方法論的には無神論」かも知れないとさえ言います。歴史学・文献学・社会学・政治学・人類学・心理学などの諸分野を加味して人間学的にイエスを考察して、その「人間学」的な理解を限界にまで推し進めることによって、改めて神学的な観点から見直そうとするのです。だから、佐藤氏は、イエスの人間性を、(1)その時代的な限界において把握し、(2)人間としての能力の不完全性を認め、(3)しかも人間として、最後の瞬間まで「成長と飛躍」を続けた存在だと定義するのです〔前掲書17頁〕。
 佐藤氏は、イエスの時代的制約として、間もなく訪れる終末論をあげます。イエスは、終末の訪れに関して、その時間設定を誤ったと考えており、イエスが期待した世の終わりは来なかったと見るのです。(2)またイエスの不完全性については、イエスが洗礼者から受洗したのは、自分自身への罪の意識からであったと推定しています。イエスの結婚観はあまりにも原理主義であり、逆にこのために現実の女性の問題を見過ごしていると言うのです。さらにイエスは、「人を裁くな」と言いながら、自らはファリサイ派を厳しく裁いていることにも、人間的な不完全性を認めています。しかしイエスは、十字架の刑死という凄絶な悲劇的な死を迎えることによって初めて、「神の子」を現わす「悲劇力」の存在を証ししたと見るのです。挫折と失敗の無力のただ中に「力」を見るというが佐藤氏の「神の子」理解です。
 このようなイエスこそ、「真の人」であり、その極限状態において「真に神」とでもいうべき現実性が顕現する、と言うのが佐藤氏の見解です。無力と恥辱としか名付けようのない死の現実の中に、言い換えると、神の存在しないところに逆説的に現われる「神」を見ようとするのです〔前掲書42頁〕。
 ここで注意してほしいのは、佐藤氏は、イエスの神性への信仰、在世中のイエス(ナザレのイエス)に神性やカリスマ性を見出そうとする視点を<意図的に排除>していることです。したがって、佐藤氏があげる人間学の学問的諸分野には、宗教(現象)学、心霊学、カリスマ社会学、神話学など、およそ「宗教」あるいは「信仰」にかかわる学問的な分野は、おそらく意図的に氏の視野から排除されています。この点に、氏が福音書の史的信憑性を考察する上での最重要な課題が浮き彫りにされるのを見出すのです。
 岩島氏の発言は、まさにこの点を採りあげています。氏は、最近の史的イエス像は、(1)それぞれの著者自身の多分に恣意的な思い入れが投射されていること。(2)多くの史的文献批評的見解が、歴史上の実際のイエスを「矮小化」していること。この二点を指摘した上で、史的イエスを追求する聖書学者の多くは、実際のイエスと復活信仰以後のケリュグマ的なキリスト像との連続性を跡づけようとするものではなく、逆にこのような後付けそれ自体を拒むような性質のものだと指摘します〔前掲書50頁〕。
 岩島氏は、聖書学のこのような傾向は、福音書を全体として「神話」だと見なすシュトラウスの見解がその発端であると述べた上で、歴史のイエスを、旧約聖書のモチーフと初期教会のキリスト信仰との両面から合理的に説明しようとするあまり、史実のイエスは完全に消滅してしまうと言うのです。これは福音書のイエス像を宗教的な観念の所産と見て、このイエス像の歴史的存在そのものを否定することになります。
 その上で氏は、このような聖書学が生んだ批判的なイエス像は、教会の教義への反感から出たものであって、それこそが合理主義や観念論が生んだ架空のイエス像に過ぎないことを指摘し、これらのイエス伝は、近代人好みの創作に過ぎないと述べています〔前掲書54頁〕。
 岩島氏は、ケリュグマのキリストと実際のイエスとを関連づけようとする試みが、第二期の史的イエス探求の課題であるとして、その試みとして、G・ボルンカムの『ナザレのイエス』(1956年)や、J・M・ロビンソンの『新たな史的イエスの探求』(1959年)やG・タイセンの『イエス運動の社会学』をあげています。
 さらに1980年頃からは、新たな史的イエス探求のために北米の聖書学者による「イエス・セミナー」(1985年設立)をあげて、彼らはイエスのほんらいの言葉が、ヘレニズム世界に共通する知恵文学に属すると見なすようになったことを述べています。そこには、J・D・クロッサンの名前があげられており、結果としてイエスの言葉は、ヘレニズム哲学の類型の中に無理に押し込められて、平板化し矮小化されてしまっていると指摘しています。氏は、イエス・セミナー以外でも、サンダース、ヘンゲル、タイセン、ウィザリントン、バートン・マックなどをあげて、イエスを「知恵の教師」と見なす非終末的なイエス像か、あるいは逆にサンダースのように、ユダヤ教徒としてのイエス像を描き出していると見るのです。
 このようなイエス像は、現代人に納得のいく像であり、そこに共通するのは「神」が出てこないことであり、このようなイエス像を四福音書の描く神からのメッセージとしてのイエス像と対立させています。福音書では、イエスの人格的本質の特徴が「イエスの神」であるのに対して、史的イエス研究のそれは、この「神からのイエス」が十分明確にされていないと述べています。
 このように述べてから、岩島氏は、(1)ケリュグマのキリストから史的イエスへさかのぼることが可能であること。(2)むしろ、史的イエスは、ケリュグマのキリストという形で初めて、その人格の核心を語ることができること。(3)それゆえに、生前のイエスに「含蓄されているキリスト論」を確認する必要があると結んでいます〔前掲書72頁〕。
■キリスト神話
 前項で岩島氏は、北米のイエス・セミナーに言及していますが、このメンバーの一人バートン・マックの著作をここで採りあげたいと思います。わたしの手元にはBurton L. Mack. The Lost Gospel: The Book of Q and Christian Origin. Element (1993).〔『失われた福音書:Q資料と新しいイエス像』秦剛平訳。青土社(1994年)〕、これと Who Wrote the New Testament? The Making of the Christian Myth. Harper San Francisco (1995). と、この二冊があります。ここでは後者のほうを採りあげることにします。
 副題の「キリスト教神話の形成」が示す通り、マックはこの著作で、「キリスト教神話」"Christian mythology" がどのようにして成立したのかを扱っています。このことから、彼は、復活したイエスを「キリスト」として宣べ伝える福音、いわゆる原初教会のケリュグマを「キリスト神話」"Christ Myth"と見なしていることが分かります。
 では彼が「神話」と言う時、それはどのような意味でしょうか? 序文を読むと、彼がこの本を著わしたのは、アメリカ社会で聖書からの引用や聖書の教えが日常のあらゆる分野で「無批判に」行なわれていることに注意をうながすためだとあります〔Mack.Who Wrote the New Testament? 3〕。聖書の言葉とその価値観が語られる割には、聖書それ自体についての知識が欠けていると著者は感じているようです。
 著者は、新約聖書がなぜ書かれたのか? と問うことで、イエスが神の御子として世に到来した時は、神のオーラに包まれた歴史の特別の時で、キリスト教はそこから始まったという通念を否定することから始めます。「そのような見方は、あいにく、実際に起こったことではない」と言うのです〔前掲書5頁〕。
 マックによれば、イエスの死後、「イエスの言葉集」(Q)を編集した人たちによって「イエス運動」が起こりました。この運動が、おそらく北シリアのアンティオキアあたりで「イエス・キリストと呼ばれる神を信じる宗団へと変化した」のです〔前掲書75頁〕。これによって、イエスは、殉教と復活を通じて神的で霊的な存在へ変貌しました。この信仰を代表するのがパウロです。マックはこれを「キリスト神話」"the Christ myth"と呼んでいます〔前掲書105頁〕。マルコ福音書の作者マルコは、キリスト神話がそれまでしなかったこと、すなわち、このキリスト神話の十字架と復活の部分を採りあげて、これをエルサレムで起こった歴史的な出来事して演じて見せたのです〔前掲書152頁〕。
 イエスの運動には大きく三つの流れがあって、それらがキリスト教として統一されたのは二世紀の終わりから3世紀の初め頃のことで、新約聖書が規範として成立したのは4世紀のことです。宗教史家はこれを「神話」と呼んでいます。だから新約聖書は、キリスト教の始まりについて真実を語るものではなく、ローマの「帝国教会」に至る経過の正確な叙述でもなく、それは、新約聖書の諸文書による「なんら合理性のない諸神話の所産ではないか?」と問うことができると言うのです。また、福音書につけられた「マタイ」「マルコ」などの名前も歴史的な根拠がないとになります〔前掲書8頁〕。
 続いて著者は、新約聖書を生みだした「社会構造とその神話形成」を縷々(るる)説明していますが、著者が描き出す当時の地中海世界は、アメリカを中心とする現代の世界と余りに似ているので、読む者は21世紀の現在の姿を描いているのではないかと錯覚するほどです。このような社会状況の中で、イエスが宇宙的存在であり、創造と歴史の主であるという神話が形成されますが、それは当時の教会が、キリスト神話として想像した空想の所産にほかならないことになります〔前掲書13頁〕。キリスト教神話は、歴史と場所が設定されていますから「実際の出来事」のように思われがちで、この点でほかの諸神話とは異なると考えられますが、キリスト教神話も他の神話と変わるところがなく、それは、当時の人たちが、自分たちのおかれた社会的状況の中で共同生活を行なうために編み出したものです。
 神話は人々の共同体が集合的に生み出したもので、それは、共同体の「始まり」に関するものであり、共同体の歴史にかかわる神話は叙事詩/叙事物語の形を採ります。したがって、聖書とは、キリスト教起源を語る神話であり、聖書的叙事物語の形を採るキリスト教神話ですが、この聖書が奇妙なことに「神の言葉」と呼ばれていることになります〔前掲書15頁〕。
 以上のような出だして、著者は、キリスト教が生まれる地中海世界の状況とその国家観(神殿国家と都市国家)、それに思想的社会的状況を語り、続いて新約聖書の各文書が、どのように書かれたかを説明しています。著者によれば、イエスは、黙示思想やイスラエルの旧約聖書に基づく預言者的な存在ではなく、むしろ、当時の地中海世界に広く流布していたギリシア哲学の知恵思想に近い「智恵の教師」だったことになります。ここで、これらについて言及するのは控えますが、著者によれば、四福音書は、70年のユダヤの滅亡以後のユダヤ人キリスト教徒たちが、彼らの置かれた状況の中でエクレシア共同体の物語を創出した神話だということになります。
 以上のことからわたしたちは、マックの「キリスト神話」について、次のように結論づけることができます。すなわち、マックが言う「キリスト教神話」とは、
(1)エクレシアを構成する人々の共同体による多分に空想的な想像による所産であること。
(2)このキリスト教神話は、四福音書の場合に限ってみるなら、1世紀の終わり近く(70年〜90年代)に形成されたこと。
(3)このキリスト教神話は多分に非合理で空想的な所産であるから、ナザレのイエスを含む史実とは無縁であること。
 以上の3点をここで確認しておきたいと思います。
■神話を正しく読む
 以上のマックの説を見て分かることは、マックは、新約聖書、とりわけ四福音書の記事を「キリスト神話」と見なしていることです。「神話」の本来の機能は、物事の起源/いわれ/はじまりを人々に知らせてこれにその共同体を参与させることです。マックも「神話」をこの意味で理解しています。しかしマックの聖書批評の基本的な姿勢は、アメリカでの「無批判的な聖書の引用」に対して「学問的な」立場からこれに警告することですから、彼の「キリスト神話」は、「なんら合理性を持たない神話」として扱われている印象を受けます。彼は四福音書の記事が、<1世紀末の>キリスト教徒の共同体が、自分たちの置かれた状況の中でキリスト教の世界観を見出すために創り出した「神話」だと見ていますから、その「神話」は、イエスの頃の実際の史実からは切り離されていることになります。だから彼は、キリスト教の信仰に沿った聖書学者の解釈にも批判的です〔前掲書9頁〕。ちなみに、マックの説が出た頃(1995年)に比べると、現在(2012年)では、過度の聖書批判への反省から、聖書の記事の信憑性を「懐疑的に扱う説に対して懐疑的な」見方が強くなってきています。
 しかし聖書学の現在の傾向からすれば、今後もマックのように聖書を神話として扱う学者が増えてくると思われます。従来、聖書は、ギリシア・ローマや日本古来の神話とは異なる<歴史的な出来事に基づく>叙事物語だと見なされてきました。このような見方は現在でもなお有効で、カトリック系の学者は、ほぼこの視点に立って聖書を解読しています。しかし、マックの説はそうではなく、聖書のキリスト教神話も、ギリシア・ローマ神話、日本古来の神話、インドのヒンズー教の神話やジャワ島の神話、北欧やゲルマンの神話と同じレベルの「聖書神話」として扱われる可能性があります。比較宗教学や神話学の立場から見れば、このほうが学問的に好ましいでしょう。
 ただし、そうなると、「神話」とは何か? 神話を正しく理解する方法は何か? という問いが、聖書理解をも含めていっそう切実な問題になってくるでしょう。だから、マックの神話理解も、<この視点から>批判しなければなりません。問題は学問と信仰という古くて新しい問題にかかわるからです。
■ガリレオの裁判
 ここで、かつて天動説と地動説をめぐって、ガリレオの地動説と当時のキリスト教会の天動説との衝突事件を思い起こしてみることにします。教会はその権威と権力を笠に着て、ガリレオ説を否定し、彼はやむなく自説を撤回しますが、「それでも地球は動いている」とつぶやいた話は有名です。ここでは、科学と宗教の衝突が宗教の負けに終わった、というのが現在の一般的な理解でしょう。
 しかし、よく考えてみると、問題はそれほど単純ではないようです。天動説は誤りで、地動説は正しかった。改めて考えますと、はたして、この判定は正しいのか? こういう疑問が湧いてくるからです。なぜなら、私たちの身体は、現在でも地動説ではなく、天動説の世界に適合しているからです。太陽が「昇る」と起きて、太陽が「沈む」と休む。わたしたちは<今でも>そのように考え、そのような言い方をします。それは、わたしたちの体のリズムは、現在でも天動説に従って働いているからです。日本から飛行機でアメリカやヨーロッパに飛ぶと時差ぼけにかかるのは、<実際の>地球の自転と太陽の運行が、わたしたちの体に影響するからです。だとすれば、わたしの体は<実際の>地動説に適合するのではなく、<仮想の>天動説の世界で生活するようにできていることになります。天文学が発見してくれた「事実」に基づいて飛行機に乗ったり、宇宙旅行に出かけることは、わたしたちの体に合わないのです。
 このように考えると、天動説の世界は、わたしたちの身体の<現実>だけでなく、わたしたちの思考の<現実>ともよくマッチしていることが分かります。天動説の世界は、決して<仮想>の<非現実>の世界ではなく、人間の身体にとっては、これこそが<確かな現実>であり、この現実無しに、わたしたちは生活することができないのが分かります。
 当時の教会がガリレオの地動説を否定したのは誤りです。しかし、この事をもって、科学的学問的な世界が「正しい」と思い込んで、天動説の世界を否定したり軽視したりすることもまた、教会の地動説否定を同じ程度に「誤り」であることに気づかなければなりません。なぜなら、天動説は、学問的な世界が教える事実とは、<異なる事実/現実>を表わしているからです。
 マックの唱える「聖書神話」説にも同様のことが当てはなります。もしもマックが、聖書神話の世界を<非現実的>な<仮想の>世界であって、<実際に存在しない>ことを聖書が表わしていると思い込んでいるのなら、彼は大きな誤りを犯しています。ここで問われるのは、聖書が神話か否か?ではなく、神話とはそもそも何か?そして、神話を正しく判断するためにどうすればよいか? ということなのです。
 念のためにお断わりすると、わたしは、20世紀に著しく発達した聖書批評の学問的な成果を軽んじているのではありません。その学問的な成果として解明されてきた聖書本文の編集過程や形成過程の解明が貴重な成果であることを十分認識しています。だから、マックが提示している聖書の「神話性」を否定したり、軽んじたりするつもりはありません。しかし、このような学問的な探求は、聖書が神話で<ある>ことをあぶり出してはくれますが、その神話が何を指示するのか? どのようにこれに接するべきなのか? と言うことを学問はあぶり出しては<くれない>のです。それはちょうど、聖書の学問的批評が、聖書本文の編集過程をあぶり出してはくれますが、そのことが何を指し示すのか、その編集過程をどのように扱うべきか、その意味、接し方を教えてくれないのと同じです。
 新約聖書、とりわけ四福音書は、「伝記」〔キーナー『ヨハネ福音書』序文解説〕、「叙事物語」、「神話」へと、事実を記した伝記説から、未開人の描く空想的な神話説まで幅広い見方があります。神話は、語り方が高度に比喩化(隠喩/寓意/象徴など)した段階に属しています。
 「キリスト教神話」を仏教やヒンズー教や日本の神話群と同列に置くのは、現在の学問的な見地から見て誤りではないでしょう。学問的な視野から見れば、現在の「キリスト教神学」は、神学よりも広い「キリスト教学」の中の一つの分野に含まれることになりましょう。しかし、マックのように、聖書を含む人類の神話を「空想的な」所産だと決めつけるのは、正しい神話への接し方ではありません。
■神話の解釈
 ここでわたしたちは、神話をどのように解釈すべきなのか? 言い換えると、神話に対する正しい接し方を考えてみる必要があります。現代の聖書学者の言う「作り話の神話」としてではなく、神話学者の言うほんらいの「神話」のことです。神話学者と言えば、わたしの脳裏には、19世紀の著名な神話学者であったフレイザー(James G. Frazer 1854-1941)の名前が思い浮かびます。彼は『黄金の枝』と題する厖大な著作を遺しています。しかしわたしはここで、現代の神話学者カール・ケレーニイの神話論から、この問題を探りたいと思います〔C.G.Jung and C. Kerényi. Essays on a Science of Mythology. Trans. by R.F.C. Hull. Princeton University Press (1949).〕〔カール・ケレーニイ/カール・グスタフ・ユング著『神話学入門』杉浦忠夫訳。晶文社(1975年)〕。これの原著は、ハンガリーの神話学者ケレーニイ(1897〜1973年)とドイツの心理学者ユング(1875〜1961年)の共著で、1951年にドイツ語で出版されました。
 ケレーニイはこの著作で、神話の中の様々な神話素の中で、最も原初の重要な「童子神」と「少女~」を扱っています。ユングはこれら二つの神話素に彼独自の心理学的な考察を加えています。ケレーニイは、主としてギリシア神話を中心に、仏教神話から北欧神話まで幅広い神話を扱っていますが、わたしはここで、この二つの神話素を紹介するのではなく、ケレーニイがその序論で述べている「神話への正しい接し方」に触れてみたいのです。
 神話は、数学や音楽や哲学やその他の芸術と同様に、また、それらが結合した「神殿」建築とそこで行なわれる礼拝や儀式と同様に、一つの完結した宇宙像を形成していて、これを聞く者、見る者、演じる者、考える者、礼拝する者に開示してくれます〔『神話学入門』72〜73頁〕。神話は、歴史記述や伝記よりもはるかに比喩化の進んだ形態で語られますから、登場人物も彼らの行為も高度に象徴化されています。だから、ケレーニイは、神話の解釈を音楽鑑賞にたとえています〔前掲書17頁〕。音楽も「音色」という高度に象徴化した手法で伝達しようとするからです。
 「ミュートロギア」(神話)とは「口から語られた言葉」(ミュートス)を「拾い集める/言う」(レゴー)ことですから、音楽のように「集められた音」を「聴く」ことが大切で、これが神話に接する正しい姿勢です。神話も音楽と同じように、「流れ出る」ことによって開示します。そこには基本となるモチーフがあり、これに伴う変奏があります。だから、神話という音楽を聴く時には、「解釈」したり「解説」したりするのでなく、ただ流れ出るままの音色にじっと耳を傾けて聴くことが求められます。それは音楽的/神話的な音色/言語で語られますから、これを学問的な言葉に翻訳するのは困難です。音楽も神話も「ただ聴く」ことによってのみ伝わるからです。「自らを注ぎだして共感する者だけが認知できる」のです〔Essays on a Science of Mythology.3-4 〕。
 神話はこれを生みだした人たちにとっては、単に音楽的に謡(うた)われたのではなく、生きられたのです。語られている神話の素材は、彼らの表現と思考の様式であり、その生き方です。神話は彼らの生き方に「意味を与える」ように働く様式です。この「意義づけ」こそ、神話のもう一つの側面であり、それは「起源を語ること」"aetiology"にほかなりません。だから宗教学的に見るなら、神話は矛盾を秘めています。なぜなら、神話は、神話を語ることにおいて宇宙の起源から発生するすべてを語るものですが、神話は、解き明かしの手段として生み出されたのではなく、なによりも、神話それ自体がそのままで「開示する」性質を具えているからです。しかし、何事も「解明しよう」とする研究者たちには、神話のこの神秘的な性格が理解しがたいものですから、彼らには、神話は、「解き明かし」の目的で「考え出された」としか映らないでしょう。
 神話が「起源を語る」とは「根拠づける」ことです。だから神話は、「なぜ?」とは問わないで、「どこから?/どのようにして?」と問うのです。しかも神話が伝えるのは「原因」(アイティア)ではなく、「諸原因」よりもさらに「太古(アルカイ)の根源」なのです。ギリシアでは、この「太古」とは「水」のことであり「火」のことであり、「無限」(アペイロン)のことです。単なる原因ではなく、時代を超えた原初の無限、これが神話によって開示されるのです。それは生命を生み出す源の「水」のように、永遠に誕生させる不滅の太古のことです〔Essays on a Science of Mythology.6 〕。
 神々は根源的なものを現わし、新たな世界の誕生は常に新たな神の誕生を伴います。神々は、原初の太古に<永遠に存在する>だけではなく、神話の中に登場する神々という「神話素」は、常に原初に向けられていて、原初の起源へ「さかのぼる/戻る」のです。これこそが神話の基本的な性格です。学者は、世界の有り様を見抜いて、「事実はこうである」と洞察するでしょう。しかし、神話を語る者は、原初に立ち返って「<ほんとうは>こうである」と語るのです。だから、神話で言う「原初」とは「ほんもの/真正/信憑性」"authenticity"のことです。このような「真性/信憑性」は、主体と客体とが直結する主客一如の世界であり、それが神話的根本主義 "mythological fundamentalism"としてわたしたちに映るのです。だから、神話的根本主義とは、太古(アルカイ)への旅立ちであり、そこから与えられる再開示/発見にほかなりません〔Essays on a Science of Mythology. 7-8〕。
■人が人を伝える
わたしたちは今、ケレーニイを通じて、「神話」とは「ほんとうは何を意味するのか」を学びました。それだけでなく、神話に接することが「何をもたらすのか」をも知ることができました。これが、現在、<学問的な>意味で言う「神話」です。ケレーニイは、ほんとうの意味で言う「神話」は、どのように接し、どのように聴くべきかを教えてくれます。だから、四福音書が「神話」であるとは、<このような意味で>言えば正しいことが分かります。それは、わたしたちをそもそもの始まりへと連れ戻してくれるだけでなく、繰り返し繰り返し、その起源を新たに開示してくれるからです。
 ところで、福音書に限って言えば、これをイエス伝としてであれ、イエス・キリスト神話としてであれ、そこに見逃すことのできない特徴があります。それは、なるほど福音は出来事であるとは言え、その出来事とは、ナザレのイエスという一人の人格体に帰着するからです。これを平たく言えば、「福音」と言い、「イエス伝」と言い、「キリスト神話」と言っても、要するに一人の「人」を伝えようとしていることなのです。伝えるのは福音書の記者/作者たちです。伝えられるのはわたしたちです。だから、<人が人を人に伝える>。これが福音書ほんらいの働きであり四福音書が書かれた目的です。
 福音書は新聞記事ではありません。新聞は、わたしたちに起こった「出来事」を伝えてくれますが、ある「人」をその人格において伝えることが目的ではないのです。だから新聞記事は、出来事の場所と出来事の起こった時間、その原因、その経過、その結果などをできるだけ詳細に正確に、すなわち客観的に伝えようとします。日々の新聞記事だけでなく、現代の歴史学も過去の歴史をできるだけ正確に客観的に伝えようとします。その場にいて見てきたように、言葉と写真で、だれの目にも分かるように伝えるのが、新聞と歴史学が目指していることです。
 ところが、福音書はそうではありません。福音書が伝えるのも出来事ですが、その出来事は、ナザレのイエスという「人それ自体」が出来事の中身だからです。イエスが語った言葉、イエスが行なった事、それらもイエスの出来事に含まれますが、福音書は、そのような個々の断片的な出来事を伝えるのではなく、「神のみ言(単数)を伝える」とあるとおり、ナザレのイエスが復活してキリスト(救い主)とされた事を伝えるのです。言い換えると、イエス・キリストという一人の霊的な人格が、福音書の中身であり、福音書は、イエスのこの霊的な人格を人に伝えることで、イエスの人格に触れさせ、そうすることで「イエスを信じる」ために書かれたものです。
■似顔絵
 人を伝えるのと、物事を伝えるのと、そこに違いがあるのでしょうか? 面白い話があります。現在日本の警視庁には「似顔絵捜査班」という組織があって、そこでは被害者から犯人の似顔絵を聴き取って描く専門の捜査員がいるそうです。この似顔絵捜査班は、「似顔絵の戸んちゃん」と呼ばれた一人の捜査員戸島国雄さんの発案から始まったとテレビの番組で知りました。彼は、被害者が、持ち場の異なる警察の捜査官から犯人の人相などを幾度も同じ質問で訊ねられるのを見て、犯人の似顔絵を聴き取って描く事を思いついたのです。
 これが驚くべき結果をもたらしました。それまでは、モンタージュ写真と言って、人間の顔の各部分ごとに写真を作り、これらを組み合わせて犯人の人相を合成していました。しかし、そのような合成写真では、犯人がなかなか捕まらないのです。モンタージュ写真は、客観的で合理的に思われますが、写真の合成では、犯人の特徴がうまく伝わらないからです。
 ところが、似顔絵は、犯人そっくりなので、これを見た犯人が、夜中に似顔絵をはがそうとしたところを逮捕されたほど似ているのです。似顔絵を描く時には、被害者から犯人の人相を聞き出すのですが、その際に、写真のように客観的な見方を求めては、逆に失敗します。似顔絵は、目撃者が見た人物から最も強く印象を受けた点を目撃者から聞き出すことで描き始めます。その人の目は怖いとか、優しいとか、サラリーマン風だとか、労働者風だとか、若々しいとが、中年男性だとか、老人だとか、目は「大きい」とか「小さい」など、被害者が感じたままを、その印象通りに描くことが大事なのだそうです。その結果、戸島さんは、1000枚近い似顔絵を描き、その6割が犯人逮捕に結びついたそうです。彼は、警視総監賞を40回近くも授与されました。
 似顔絵は、その人の特徴を「誇張して」描きます。だから、実際の写真とは異なります。「客観的に見れば」写真のほうが正確なのでしょう。似顔絵は特徴が誇張されていますから、「客観的には」実際の犯人の顔と正確に一致しません。ところが、実際の犯人と似顔絵とは、驚くほど似ているのです。人が人を人に伝える場合は、客観的な正確さよりも、その印象、見たままの感じ、被害者が受けとめたその人の全体像、これらがはっきりとした特徴を帯びて伝えられるほうが、より的確に、実際に近い姿で伝わることが分かります。怖い、優しい、厳しい、きつい、などなど、人による人の人格的な受け止めから来る印象のほうが、真正の人に近いのです。
■マザー・テレサを描く
 もう一つの例をあげてみたいと思います。マザー・テレサは、多くの人たちに主の僕として深い印象を遺して召されました。しかし、マザーの始めた慈愛の業は、今もなお「愛の修道会」の人たちによって受け継がれています。
 マザーの在世中に、多くの新聞や雑誌の記者たちが、彼女の人柄や奉仕の業などを世界の人たちに「伝え」ました。中には、心ない記事もあって、マザーを困らせたこともあったようです。しかし、このような「外部から見た」記事を読んでマザーの人格の本質に触れた人が、はたして幾人いたでしょうか?わたしも含めて、ほとんどの人は、「偉い人だ」とは思っても、それ以上に、マザーを深く知ろうとはしなかったのではないでしょうか?新聞や雑誌の記者たちが「取材した」レポートは、マザーを外側から伝えていますが、読むほうは、もうそれで分かったつもりになりがちです。
 ここに一人の報道カメラマンがいて、彼はマザーを写真で伝えようと、彼女と行動を共にし、彼女の行く先々で起こる出来事や、彼女の行動を写真で記録し、その表情、その態度、顔の皺まで正確に記録して、これを人々に伝えたとしましょう。このような写真を見て、マザーの霊的な人格が、これを見る人に伝わるでしょうか? 一つだけはっきりしていることがあります。それは、そのカメラマンは、マザーと一つ心には決してなれない、ということです。彼がレンズを通して彼女を撮れば撮るほど、彼とマザーとの距離は決定的に深まります。なぜなら、もしも彼が、マザーと同じ心になり、マザーに「従う」なら、彼はカメラを捨てなければならないからです。だから、彼がカメラを握りしめて、マザーに近づくほどに、二人の距離は埋めがたく明確になります。言い換えると、彼は、マザーの映像を伝えることはできますが、マザーの「実像」を、すなわちその霊的な人格を人に伝えることはできないのです。
 マザーは現在この世にいません。もしも今、マザーのほんとうの実像を、その人となり、その霊的な人格を、尋ね求めようとするならば、どうすればいいでしょうか? マザーの記事を集めて読み、マザーの写真を集めて、それらを見ることによって、彼女の霊性に触れることができるでしょうか? 言うまでもなく、それらの記事や写真は、在りし日のマザーの面影を「伝えて」くれるでしょう。しかし、はたして<それ以上のこと>を伝えてくれるでしょうか?写真は客観的で正確です。しかし、その仕方でマザーの人となりのほんとうの姿、その霊性が伝わるでしょうか? 記事や写真は、マザーを知る手がかりにはなりますが、マザーそのものを伝えてはくれないのです。
 しかし、もしもあなたが、現在活動している「愛の修道会」に入って、彼女たちと共に、かつてのマザーの奉仕活動を実践するならば、あなたは、修道会の人たちがマザーに対して抱く想いを聴いて知ることができるでしょう。彼女たちは、過去のマザーと同時代の人ではありません。しかし、彼女たちが「信じている」マザー、彼女たちが「知っている」マザー、このマザーこそが、かつて地上で奉仕していたマザーその人の霊的な人格をはるかに正しく伝えている。このように考えることができましょう。なぜなら、彼女たちは、レポートを書いたり、写真を撮ったりはしませんが、マザーに「従って」いるからです。
■終わりに
 四福音書は、ナザレのイエスその方を、その人格的な霊性を、その言葉と行ないと共にわたしたちに伝えようとしています。福音書は、イエスに従った人たちが伝えた伝承を受け継いだ人たちによって書かれたものです。それは、後から来るわたしたちにイエスを伝えるためであり、イエスを信じて、彼に従うために書き遺したものです。
 それはイエスを信じる人たちが伝えたものですから、写真のように客観的ではありません。人が人を伝える場合に伴う、思いこみや印象や記憶に残る特徴が強く出た描き方になります。だから、それは、学問的に見れば正確とは言えません。しかし、紛れもなく地上にいた頃のイエスの姿と、彼のうちに宿る霊性の真相を、的確にわたしたちに伝えています。だからこそ人は、福音書を読んで、「分かった」つもりにならなくても、イエスを信じ、イエスに従おう。こう思い、そう決心するのです。 (2012年4月)
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