受難週:マルコ福音書とヨハネ福音書の比較表
        マルコ福音書は緑ヨハネ福音書は栗色。共通項目は赤。
         ユダヤ暦ニサンの月(3月~4月)
日時 18           0                           6               12                   18
8日
9日
土曜

   ベタニアでの
香油注ぎ?
9日
10日
日曜
  エルサレム入場
 
10日
11日
月曜

いちじくへの呪い神殿の浄化
11日
12日
火曜

この週を通じて
問答や譬えが
語られる。

また、イエスによる
終末預言が
告げられる。

12日
13日
水曜
ベタニアでの
塗油



祭司長たちの陰謀
ユダ裏切りを画策

13日
14日
木曜
主の過越の日
 
羊の犠牲
ユダの裏切りを予告
 

14日

15日
金曜
過越(除酵)祭
最後の晩餐
ゲッセマネの祈り

イエスの逮捕

アンナスの尋問
最高法院での審問
ペトロの否認
ピラトの裁判
十字架

ピラトの審問
ピラトの裁判
羊の犠牲と十字架
イエスの死
埋葬
15日
16日
土曜
過越(除酵)祭
安息日に入る


16日
17日
日曜
女たち香料を買う イエスの復活
女たち墓を訪れる

マグダラのマリア
と弟子たち墓を訪れる




 ここにあげた対照表は、従来の一般的な学説に従って、共観福音書とヨハネ福音書との最後の晩餐の日が異なるという前提に立っています。しかし、ヨハネ福音書の最後の晩餐が、本当に共観福音書とは異なっているのか?という疑問は、今もなお続いています。ヨハネ福音書での最後の晩餐もニサンの15日と矛盾しないという指摘もあります〔J・エレミアス『イエスの聖餐の言葉』田辺明子訳。日本基督教団出版局(1974年)120~123頁〕。逆に、マルコ福音書の「最後の晩餐」は、「過越の食事」を象徴していると解釈すれば、マルコ福音書の内容は、ヨハネ福音書の日時(14日)と合致するという説があります〔R.T. France. The Gospel of Mark. The New Testament Greek Commentary. Eerdmans (2002) 561--562.〕。なお、マルコ14章12節の「除酵祭の第1日、すなわち過越の小羊を屠る日」は、ユダヤ暦に従って辞義通り解釈するなら、15日(除酵祭の第1日)、すなわち過越の小羊を屠る日(14日の午後)になり、矛盾しますが、マルコが、ユダヤ暦(夕から夕まで)ではなく、当時のローマ暦(朝から朝まで)に従っていたとすれば、除酵祭の初日を14日に見て、過越の小羊の屠りと最後の晩餐とを同一の日(14日)に含めることができます。
【注】【ユダヤ教の暦】
ユダヤ教の暦は、新月から新月までを1ヶ月(29日~30日)と数える太陰暦です。ただし新月がいつ始まるかは、目測に頼っていましたから、曇りの日などは、1日ずれることもありました。1日は日没から始まり日没に終わります。その上で、日没から日の出までを夜としてこれを三つに区分しました。第一は18時~22時/第二は22時~午前2時/第三は午前2時~6時となっていました〔「ヨベル書」49章:『聖書外典偽典』(4)旧約偽典(Ⅱ)教文館(1975年)156頁/(注5)336頁も参照〕。また、日の出から日没までを昼として、これは12の時刻に分けていました。昼と夜の長さは季節によって異なりますから、1時刻の長さも、季節によって長さが異なり、しかも昼の1時刻と夜の見張りの時刻も長さが同じではありません。さらに、イエスの頃のローマ暦では、1日は、朝から翌朝まででした(6時~6時)。このローマ暦の影響もあって、イエスの時代には、昼も夜も12の時刻に分ける場合があり、さらに、ローマの暦の影響もあって、事実上は季節に関わりなく、昼と夜とを同じ長さの12時間としていたと見る説もあります〔C.K.Barrett;The Gospel According to St.John.(1978)p.391.〕。上記の表では、マルコ福音書とヨハネ福音書の「違い」を分かりやすくするために、日付をふたとおりにした上で、伝統的なユダヤ暦に従って、1日を現在の18時から18時までとしてあります。上記の太陰暦では、1年が約354日になります。したがって、太陽暦から見れば、毎年11日ずつ新年がずれることになります。この季節のズレを調整するために、ユダヤ暦では、2~3年ごとに、13か月目を加えていました。だから、その年は、1年が13ヶ月になります。このようにすれば、19年間で、太陰暦と太陽暦との総日数がほぼ同じになります。だからユダヤ暦は、厳密には太陰暦ではなく、太陰=太陽暦だと言えます。
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