【補遺】「改宗者」について
ここで、旧約から旧新約中間期を経て新約聖書時代にいたる「プロセーリュトス」についてまとめておきます〔TDNT(6)727-44〕。
(1)旧約時代
旧約時代では、ふた種類の「他国人」が区別されています。
〔A〕「ネーカール」(外国からの旅人/よそから来た人)と呼ばれる人たちで、これは一時的な「旅人/寄留者」のことです(申命記14章21節/同23章21節)。彼らはイスラエルの社会的・宗教的な掟の外に属する人たちです。
〔B〕「ゲール」と呼ばれる人たちで、異邦人でありながら、イスラエルの領土に長期間滞在するか、あるいは永住する人たちで、これには、イスラエル人によって奴隷にされた者たちも含まれます(出エジプト記22章20節)。彼らには、安息日を守ることが義務づけられます(出エジプト記20章10節/23章12節/申命記5章14節)。イスラエルの領土それ自体が神に属するものですから、そこに「住む」者はその国土の神の支配に従わなければならないのです。したがって、過越祭などの三大祝祭日には、イスラエルの民と同様に祭りに参与しなければなりません(申命記16章9〜11節)。ただし、この場合、割礼を受けていることが前提にされていますから、半永住的な寄留者には、割礼が強制されないまでも、これが民の「仲間入り」の条件であったことになります。割礼を受けた寄留の異邦人は、後のユダヤ教で言う「プロセーリュトス」に近い人たちです。
(2)旧約聖書以後と新約時代
ここで扱うのは、新約聖書に出てくる「プロセーリュトス」のことではなく、旧約と新約の中間期を含む時代の「プロセーリュトス」のこと、とりわけギリシアとローマのヘレニズム時代のユダヤ教においてのことです。居住の地域にかかわらず宗教的な意味での「プロセーリュトス」(改宗者)が用いられるのは、ヘレニズム時代になってからです。
この時代には、オリエント、ギリシア、エジプト、ローマ帝国内に「ディアスポラ」と呼ばれる「離散のユダヤ人」が広く分布していました。彼らは、異邦人の間に住んでいましたから、パレスチナのユダヤ教の指導者たちは、これら「離散のユダヤ人たち」にも偶像礼拝を避けて唯一の神を礼拝することを教えるために「伝道/宣教」が必要になりました。離散のユダヤ人は、ヘレニズム各地の諸会堂を中心にユダヤ教を守っていましたが、異邦の民の中にあるユダヤ教の会堂には、ユダヤ教に関心を抱く異邦人たちもいましたから、宣教はユダヤ人だけでなく、それら異邦人にも及ぶことになります。したがって、「プロセーリュトス」は、もはや、かつてのように、イスラエルの領土という居住地とは全く無関係な用語になります。ただし、ユダヤ教の唯一神教に関心を寄せても、割礼を受けて完全なユダヤ教徒になる異邦人の数は、それほど多くなかったようです。
ちなみに、七十人訳では、「プロセーリュトス」が「ゲール」の訳語として用いられる例が77ほどあります。しかし、七十人訳では、「ゲール」の訳語として「パロイコス」という訳語も用いられています(11回ほど)(創世記15章13節/出エジプト記2章22節など)。七十人訳での「プロセーリュトス」は、居住地にかかわる社会的な意味よりも、宗教的な意味合いが強く、この意味での「プロセーリュトス」(改宗者)は、フィロンにいたってその内容が完成されます。「プロセーリュトス」の中には、ユダヤ式の名前に改名した者もいました。
「離散のユダヤ人」(ギリシア語「ディアスポラ」)が広がった時代のユダヤ教の「改宗者」の意味は、ラビを中心とするパレスチナのユダヤ教とそれ以外のヘレニズム世界のユダヤ教とでは異なる様相を見せます。パレスチナの内でも外でも、「改宗者」(ヘブライ語「ゲール」/ギリシア語「プロセーリュトス」)は、一般的に言えば、社会的な身分よりも宗教的な意味合いが強くなっていると言えます。パレスチナでは割礼が「改宗」への必要条件でしたが、ラビの文献では、「改宗者」は、(1)割礼(出エジプト記12章48節)と(2)滴礼の洗礼(出エジプト記19章10節)と(3)神殿への捧げ物(出エジプト記24章5節)とが必須の条件でした。これらを行なった「改宗者」は、「モーセ律法」(すなわちパレスチナのユダヤ教の諸規定全体のこと)を守る者として、社会的にも宗教的にも、あらゆる面でイスラエルの民と同じ扱いを受けました。パウロが、割礼を受ける者は「すべての律法を守る義務がある」(ガラテヤ5章3節)と言ったのは、このことを指しています〔TDNT(6)739〕。ただし、ヒレル派とシャンマイ派とでは、多少の違いがあり、ヒレル派のラビであるエレアザルは、改宗者がモーセ律法(トーラー)をそらんじる(暗記する)ことが十分できなくても「改宗者」として認め、過越際の直前に改宗しても、神殿への参与を認めています(AD90年頃)。これに対して、シャンマイ派は、過越祭の少なくとも1週間前に「改宗」していなければ、死体に触れるなどの異邦人の汚れを帯びている可能性があるとして、神殿への参与を認めませんでした。ちなみに、ヘロデ大王を始め、ヘロデ家は、ユダヤの南部にあたるイドマヤ出身でしたから、ヘロデが、ユダヤの王になるために、ヨハネ・ヒルカヌスによって正式の「改宗者」となることが義務づけられました〔TDNT(6)734〕。
ラビによれば、パレスチナに居住する者は、「改宗者」であるなしを問わず、すべての人は「七つのノア規定」(創世記9章1〜17節)を守る義務があるとされましたが、この規定は、パレスチナ以外のユダヤの諸会堂にも適用されました。言い換えると、ヘレニズム世界にあるユダヤ教の会堂は、会堂のその敷地全体がパレスチナと同じ「イスラエルの聖地」(アレツ・イスラエル)だと見なされたのです。
パレスチナでは、たとえ「ノアの規定」を守りユダヤ教の会堂に参与しながらも、割礼を受けるにいたらない異邦人は、「神を敬う/畏れる者たち」と呼ばれて、「改宗者」とは区別されていました。割礼を受けた者でなければ、「トーラー」(律法)を正しく学ぶことができないと見なされたからです(使徒言行録15章5節と同19〜20節とを参照)。
一方で、離散のユダヤ人(ディアスポラ)たちの諸会堂では、パレスチナの(ラビ的な)ユダヤ教とは事情がやや異なりました。パレスチナ以外のヘレニズム世界では、ユダヤ人の会堂に参加し、ユダヤ教に熱心で「ノアの規定」を守る者は、たとえ割礼を受けるにいたらなくても、「改宗者」(プロセーリュトス)として受け容れられる傾向さえありました。そこでは、「改宗者」と「神を敬う/畏れる者たち」との間で、宗教的な差別はあまりなかったようです。だから、「神を敬う/畏れる者たち」であったコルネリオは、パレスチナでは「異邦人」であり「異教徒」だと見なされていたのです(使徒言行録10章2節)。パウロが、第一回伝道旅行で、小アジアのピシディア州のアンティオキアで、町外れにある立派なユダヤ人の会堂でイエス・キリストの福音を伝えた時に、「多くのユダヤ人と改宗者たち」がパウロの言葉に耳を傾けました。しかし、パウロに反対するユダヤ人たちに扇動されて、彼をののしったために、パウロは「異邦人のほうへ向かう」と宣言していますが、この「異邦人」とは、ヘレニズム世界全体の人たちの中でも、とりわけ「神を畏れ敬う」異邦人のことを指しています(使徒言行録13章42〜47節)。
(3)新約聖書の「改宗者」
新約聖書には、「改宗者」(プロセーリュトス)が4回出て来ます〔TDNT(6)742-44〕。
1)マタイ23章15節:
パレスチナ以外のヘレニズム世界では、ユダヤ教の会堂における異邦人は、割礼を受けない「神を敬う/畏れる者たち」が多数派を閉めていました。だから、パレスチナのファリサイ派が宣教によって目指したのは、彼ら「神を敬う/畏れる者たち」に割礼を施して、モーセ律法を完全に遵守させることで、自分たちファリサイ派と同程度の「ユダヤ教徒」にすることでした。このためにファリサイ派は「海と陸を巡り歩いた」のですが、イエスは、その結果として、彼らと同じ「偽善」をまとう擬似ファリサイ派を育成しているにすぎないと批判したのです。ただしイエスは、ファリサイ派の努力の「結果」に目を向けているのであって、彼らの宣教活動それ自体を批判したり是認したりする意図からでないのに注意しなければなりません。ユダヤ人との結婚、あるいは財産や遺産相続のために「偽装改宗者」となる者も中にはいたようですから、マタイはこういう場合をも念頭において、「己に倍する地獄の子」と加えたのでしょうか。
2)使徒言行録2章11節:
ペンテコステにおいて、聖霊降臨を目撃した人たちの中には、「ユダヤ人たちと改宗者たち」とがいたとあります。この二つだけは、他と異なって、地理的な出身地と結びつけられておらず、「ユダヤ教」との関連で言及されています。おそらくリストはここで終わっていて、続く「クレタとアラビアから来た人」は、後の編集による付加だと考えられています。だとすれば、「ユダヤ人たちと改宗者たち」は、それまでのあらゆる地域からの巡礼者たちを宗教的にまとめた言い方であり、ほんらいイスラエル民族に属する「ユダヤ人・ユダヤ教徒」と、ほんらいはイスラエル民族に属さない異邦人の「改宗者・ユダヤ教徒」の意味でしょう〔TDNT(6)742〕。だからこの二つの語は、あらゆる地域から来た人たちの中に、ほんらいの「ユダヤ人」も異邦人からの「改宗者」も含まれていたことを指します。
3)使徒言行録6章5節:
食事の配分を司る役目を使徒たちに代わって委ねられた7人の一人に、ニコラオが居て、彼だけが「アンティオキア出身の改宗者」と説明されています。この箇所では、「ギリシア語を話すユダヤ人たち」(原語「ヘレーニスタイ」)と「ヘブライ語を話すユダヤ人たち」(原語「ヘブライオイ」)との間で、食事の配分をめぐってもめ事が起こったとあります。「ヘブライオス」(ヘブライ人)とは、通常イスラエル民族を先祖に持つ人たちのことです(フィリピ3章5節)。しかし、ここで言う「ヘブライオス」(単数)は、通常とは意味が異なっていて、パレスチナ生まれで、会堂の礼拝を「アラム語で」行なうユダヤ人を指すと考えられます。だとすれば、「ヘレーニステース」(単数)は、パレスチナの内外を問わず、アラム語が不向きなために、会堂では主としてギリシア語で礼拝を行なうユダヤ人のことを指すことになります(使徒言行録9章28節)〔Richard I. Pervo. Acts. Hermeneia (2009)154〕。復活した「イエスの働き」においては、パレスチナの内外を問わず、アラム語中心のユダヤ人キリスト教徒と、ギリシア語中心のユダヤ人キリスト教徒とが混在していたのです。ここでは「エルサレムに在住している」人たちのことですから、選ばれた7名の中で、ステファノを含む6名はいずれもユダヤ人ですが、ニコラオだけは、エルサレムに在住しながらも、北シリアのアンティオキア生まれの異邦人「改宗者」のユダヤ教徒であったことになります。7人の誰が「ヘブライオス」で、だれが「ヘレーニステース」かは判別できないようです。
4)使徒言行録13章43節:
ほんらい割礼を受けて完全なユダヤ教徒になった「改宗者」と、割礼にいたらないまでも会堂に参与する親ユダヤ教の「神を敬う/畏れる異邦人」とは区別されますが、ここでは珍しく「神を畏れる改宗者たち」という言い方が出てきます。改宗者の中でもとりわけ熱心な異邦人のことでしょうか。「神を畏れる」か「改宗者ち」か、どちらかが後から加えられたという見方もあります〔 Pervo. Acts. 342(注)107。
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